お正月は、ジャニーズ系の面々がやっている番組を次から次へと見ていた。
別にファンじゃないけど、帰省している娘が見るといったら見なきゃあね。
勢いで、嵐の二宮君の「坊ちゃん」まで見た。
言わずと知れた、夏目漱石の名作、私も高校生のころ読んだ、ような気がする。
といっても50年近くも昔のこと、よく覚えていない。
ドラマを見たら、大まかな粗筋は、記憶とそう違っていなかったが、
細かいところは、原作に忠実なのか、アレンジしてあるのかわからない。
マドンナが、あの背の高い松下奈緒という配役は疑問だったけど、
まあ、こんなもんだったのねと見終わった。
でも、最後にとても興味深いことが。
松山から帰って来た坊ちゃんは、鉄道会社の技師となり、
子供のころから常に見方してくれた下女の清と暮らす。
そして、3年後に(2年後だったかも)清は死ぬ。
言い残した、清の願いはただ一つ、
「坊ちゃん、後生だから清を坊ちゃんのお墓に入れてください」
「その願いの通り、清は俺の墓で、俺が来るのを待っている」
というような一人称で、ドラマは終わる。
何気なく見ていたけれど、考えてみたら、これって結構スゴイ話じゃない?
主人のお墓に使用人を入れた、ということよね。
清は、無条件に坊ちゃんを可愛がってくれた人ではあるけれど、
まだまだ上下関係に厳格な明治の時代に、
小説とは言え、そんなことあり得ないんじゃないかと思うけど、どうなのかしら。
破天荒で、自分が正しいと思えば、
世間の常識など気にしないということなのでしょうね。
それを清もわかっていて、
坊ちゃんが願いを聞いてくれると思ったからこそ口にできたわけだしね。
この部分は原作通りなのかしら?
どうしても気になる私、夫の予約していた本が届いているというので
一緒に図書館へ行って、坊ちゃんの最後のページを読んでみた。
東京へ戻った坊ちゃんは、下宿にも寄らず
甥の家に世話になっている清のところへまっしぐら。
「まあ、お早いお帰りで」と、涙を浮かべて喜んだ清を見て、
「おれも嬉しくて、もう二度と田舎へは行かない。東京で、清と一緒に家を持つんだ」
と決心する。
坊ちゃんは鉄道の技師となり、家を借りて清と暮らす。
玄関つきでなくても清は満足そうだった、とあるのは、
門がなくてもということかしらね???
ドラマの通り、清は死に際に
「坊ちゃん、後生だから清を坊ちゃんのお墓に埋めてください。
清はそこで、坊ちゃんがいらっしゃるのを楽しみに待っています」
と言い残す。
「だから、清の墓は小日向の養源寺にある 」で、坊ちゃんの物語りは終わる。
簡潔な文章に、坊ちゃんの清への思いが溢れている。
清は幸せよね。
今度借りてきて、ちゃんと読んでみようかしら。