昨日、友人が夢を記録していたことを書いた。
そもそも彼女がどうしてそんなことをしていたのかというと、当時夢占いに凝っていたからだ。
朝目覚めて一番にノートを開き、昨夜見た夢の内容を忘れないうちに書きつける。
そしてあとで、ゆっくりと夢占いの本で調べるのだそうだ。
その占いを心から信じるわけではないとしても、良い結果であれば嬉しいし、悪い結果なら一日気になるだろう。
毎日そんなことをしていたら、夢というより占いが気になって、ほかの事に集中できなくなっても不思議じゃない
それでやめたわけだけれど、私も何度か占ってもらったことがあった。
内容はほとんど忘れてしまったけれど、ひとつ覚えている。
その頃私は、目的地にたどり着けないという夢をよく見ていた。
エレベーターに乗って目的の階のボタンを押す。
でもそのエレベーターはその前の階までしか行かないエレベーターだった。
そこで降りて乗り換えたら今度はその階を通過してしまう。
そこでまた乗り換えるが、どうしても自分の階に止まらない。
そんな感じだ
また、自分の家に帰りつかないこともあった。
そのとき、夢の中の私は高校生だ。
断崖絶壁を登り、目もくらむ谷底を眼下に、険しい山道を必死で歩く。
夢の中の私も「これは変だ」と感じていて、「私、いつもこんな危険な道を通って家に帰っていたかしら?」と昨日までのことを思い出そうとしているが思い出せない。
そして、やはり家には帰りつけない
これは彼女によると、詳しくは忘れたけれど、私が現状に満足していない、逃げたいと、無意識に願っているということだそうだ
そうかも知れないと思った。
一日中子供の世話でストレスもたまっていたに違いない。
でも、過去の記憶の断片がアトランダムに蘇ってきて、それを夢と呼ぶに過ぎないという専門家もいる。
その場合、夢占いに意味はないそうだけれど、やはりその記憶の断片の蘇り方に、何か意味があるのではないか?という気がする。
歯医者に通っているとき、何かを噛もうとした瞬間、歯がぼろぼろ抜け落ちる夢を見て、目がさめたら冷やせをびっしょりかいていたことがあった。
明らかに総入れ歯への警告だなと思った
その警告のおかげか、せっせと歯磨きに精を出し、今のところ総入れ歯の心配はないようだ
そもそも彼女がどうしてそんなことをしていたのかというと、当時夢占いに凝っていたからだ。
朝目覚めて一番にノートを開き、昨夜見た夢の内容を忘れないうちに書きつける。
そしてあとで、ゆっくりと夢占いの本で調べるのだそうだ。
その占いを心から信じるわけではないとしても、良い結果であれば嬉しいし、悪い結果なら一日気になるだろう。
毎日そんなことをしていたら、夢というより占いが気になって、ほかの事に集中できなくなっても不思議じゃない

それでやめたわけだけれど、私も何度か占ってもらったことがあった。
内容はほとんど忘れてしまったけれど、ひとつ覚えている。
その頃私は、目的地にたどり着けないという夢をよく見ていた。
エレベーターに乗って目的の階のボタンを押す。
でもそのエレベーターはその前の階までしか行かないエレベーターだった。
そこで降りて乗り換えたら今度はその階を通過してしまう。
そこでまた乗り換えるが、どうしても自分の階に止まらない。
そんな感じだ

また、自分の家に帰りつかないこともあった。
そのとき、夢の中の私は高校生だ。
断崖絶壁を登り、目もくらむ谷底を眼下に、険しい山道を必死で歩く。
夢の中の私も「これは変だ」と感じていて、「私、いつもこんな危険な道を通って家に帰っていたかしら?」と昨日までのことを思い出そうとしているが思い出せない。
そして、やはり家には帰りつけない

これは彼女によると、詳しくは忘れたけれど、私が現状に満足していない、逃げたいと、無意識に願っているということだそうだ

そうかも知れないと思った。
一日中子供の世話でストレスもたまっていたに違いない。
でも、過去の記憶の断片がアトランダムに蘇ってきて、それを夢と呼ぶに過ぎないという専門家もいる。
その場合、夢占いに意味はないそうだけれど、やはりその記憶の断片の蘇り方に、何か意味があるのではないか?という気がする。
歯医者に通っているとき、何かを噛もうとした瞬間、歯がぼろぼろ抜け落ちる夢を見て、目がさめたら冷やせをびっしょりかいていたことがあった。
明らかに総入れ歯への警告だなと思った

その警告のおかげか、せっせと歯磨きに精を出し、今のところ総入れ歯の心配はないようだ
