珊瑚の時々お絵かき日記

夫と二人暮らし、コロナ自粛するうちに気がついたら中国ドラマのファンになっていました。

母の一周忌で、命日が違う

2015年09月22日 | 母のこと

19日は母の一周忌だった。

といっても、弟の都合で法要は16日に行った。

参列者は、弟夫婦と一人息子、私たち夫婦とで5人だけ。

弟のお嫁さんのSちゃんの実家が料理屋さんを営んでいるので、

そこのお座敷をお借りしてこじんまりと執り行った。

滞りなく法要も済み、お坊さんにお帰り頂いた後、

Sさんのご両親の心尽くしのお料理をいただきながら、

母の思い出など語り合っていたら、「そう言えば」と弟が言いだした。

法要の一週間ほど前、母の位牌を何気なく手に取って見ると、命日が10日に見える。

あれ、へんだなと思ってよくよく見ると、やっぱり10日になっている。

大変だ!

位牌をお願いしたのは、1年前に葬儀を取り行ってもらった業者。

急いで連絡を取ると、平謝りで、大急ぎで新しく作り直して届けてくれたのだそうだ。

「へ~、そんなことあるんだ~、それにしても、良く気づいたね」

「虫の知らせだったのかな、何となく見たんだよね」

「でも、出来上がったら見るでしょ、普通」

「いや、意外と見ないもんだよ、信じてるもん」

「とにかく良かったよ、命日の間違った位牌じゃなくて」

なんて、4人で口々に言っていたら、弟が、

「あ、でも魂入れはどうなるんだろう?

魂入れしてもらったのは、間違ってた位牌ってことになるよね」

「そ、そう・・・だね~」と、私。

「古い位牌、もう、処分しちゃってるよね・・・」とSちゃん。

「魂はどうなったんだ?」と弟。

・・・・・

一瞬、全員無言になった。

すると、 夫が、「でも、本当の魂はお墓にいるんじゃないの、お盆に帰ってくるっていうんだから」

「そうそう、そうだよね、お墓にいるんだもん、大丈夫じゃない」と、元気づいた私。

「そうだな、そういうことだよなと」と弟。

 

お坊さんにお参りしていただいている間に思いだせば良いものを、と心の中で

思ったが、面倒なことを全部引き受けて手配してくれた弟を責められない。

私が思うに、お仏壇の中の位牌は間違っていたのだから、

きっと母は、位牌に入らず、弟が間違いに気づくのを待っていたんじゃないだろうか。

一周忌が近づいて、弟が位牌を手に取ったのは、偶然じゃなかったのかも。

今度は間違いのないお位牌、まあ、良かったんじゃないかしら。

 

19日、本当の命日にお墓参りに行ってきた私。

母に、「ごめん、母さん、自力で入ってね」と、お願いしてきた。

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母の四十九日でした

2014年11月07日 | 母のこと

昨日は、母の四十九日だった。

同時に納骨も済ませた。

母名義のお墓を弟名義に変更し、位牌に魂入れもしていただいた。

これで、母は無事にあちらの国の住人になった。

墓碑に刻まれた母の名と戒名を見て、もう、どこへ行っても会えないのだと、改めて思う。

人が亡くなった時、行事や手続き、面倒なことがいろいろ続く。

残された家族は、そういうことを一つ一つこなしながら、その死を納得していくのかも知れない。 

弟が母と父の遺影の小型版を作って渡してくれた。

母の遺影はカラーで、赤い花を持っていることもあって、華やかできれいだ。

32年前に亡くなった父の遺影は、白黒でぼやけている。

二つ並べると、時代を感じるとともに、ほんとうに長い時間を、母は一人で生きた来たのだと思う。

あの世では、父が、お前老けたな~なんて、意地悪なことを言っていなければ良いけれど。

 

 

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最後の花

2014年10月16日 | 母のこと

もう片付け時の菊が、花瓶に飾ってある。

母の葬儀から持ち帰った最後の花だ。

葬儀の後、籠二つ分と、祭壇に飾られていた中から

ふた抱えも持ち帰って、家じゅうに飾っていた。

しばらくは百合の芳香が鬱陶しいほどだったけれど、一つ減り二つ減り、

胡蝶蘭や、グラジオラスなど大きな花が先に萎れて行った。

トルコキキョウや、名も知らないやや小ぶりの花が次々に萎れて行き、

最後まで残ったのは、白い菊。

母が亡くなったのが先月の19日、よく頑張ってくれていると思う。

寒くなったのが幸いしたのだろう。

とはいえ、時間の経過はありありだ。

花としての形は保っているけれど、中心が茶色に変わって、

花びらの並びも乱れてきている。

触れたら、はらはらとくずれ落ちそうだ。

でも、触れてみたら、意外としっかりしていて、簡単には落ちない。

もう片付け時だと思うけれど、母の最期とイメージが重なって、躊躇ってしまう。

いっそ、19日までこのままにしておこうか。

 

 

 

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母が旅立ちました

2014年09月27日 | 母のこと

今月19日、母が旅立った。

最後の10日間程は、肺の機能が低下していたのだろう、

息遣いが荒く苦しげで、見ているのが辛く、早く楽になってほしかった。

それなのに、母の呼吸が止まりかかると、

「母さん、息して!もう一度頑張って!」と必死に呼びかけてしまう。

それが聞こえるのだろうか、そのたび、母は苦しげに息をする。

母を苦しめているだけなのかも知れないのに、呼びかけずにはいられない。

それを繰り返しながら、脈の間隔がだんだん長くなっていく。

そして、遂に消えてしまった。

偶然なのか、父のお墓で、「早く母さんを迎えに来て」と祈った翌々日だった。

 きっと迎えに来た父に手を取られて、真っ直ぐ前を向いて行ったと思う。

弟が涙ぐみながらぽつんと言った。

「今日は俺の誕生日だ」 

本当に、そう言われればそうだ。

父は、この日を選んで迎えに来たのだろうか。

何だかそんな気がする。

 

葬儀は家族葬で行った。

何もいらないから、お花を多めにして下さいとお願いした。

弟と私の家族、ごく近しい親戚、母のお友達、それだけのつもりだったけれど、

弟の職場のお友達が何人も来てくださり、思いのほかにぎやかになった。

何よりも、弟が職場で皆さんと良い関係を築いていることが よくわかって

母も安心したことと思う。

出棺の時は、タバコをひと箱、おやつにピザを一切れ、りんご、みかん、

父へのお土産にアンパンを入れた。

後で思いだすと、まるで遠足のようで、少し可笑しい。

葬儀屋さんの方が、

「美人さんだったでしょう?こんな綺麗なお顔のご遺体は久しぶりですよ」

と言ってくださった。

その言葉は、母に聞こえただろうか。

子供や孫に見守られ、たくさんの花に飾られて、母は旅立った。

とてもささやかな葬儀だったけれど、私たちは満足だった。

 

 

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母の入院 10 病院からの電話

2014年09月17日 | 母のこと

家に入った途端に携帯が鳴った。

母の病院からだった。

「一日一日と悪くなっています。そう長くはないと思います」

先生のその言葉を、聞く前にわかっていたような気がした。

電話を受けた時、母に会いに病院へ行って帰って来たところだったのだ。

眠っているようだった母の目が、ここ何日か開いている。

見ているという開き方ではなくて、瞼を閉じる機能がなくなったかのようだ。

父の最後の頃がそうだった。

父はまだ59歳だったから、生命力が強かったのだろう。

その状態が何日も続いた。

母が、目が乾いて辛いだろうと言って、瞼を閉じてあげても自然に開いてしまう。

その目を見ているのが辛いと言って、母が開いた目の上にガーゼを載せて塞いでいた。

そのことを思い出していた。

私も母の目を塞いであげようかと思ったけれど、

顔に布を被せることに躊躇があって、できなかった。 

呼吸も荒い。 とても辛そうだ。

肺がふさがったのだろうか。

「かあさん」、何度か呼びかけてみる。

もちろん、反応はない。

はぁはぁという息遣いを聞いているのも辛い。

「もう少しだよ、頑張って」

思わずその言葉が出た。

でも、何がもう少しなのか?何を頑張るのか?

自分で言っておいて、わけがわからない。

本当は言いたい。

「頑張らなくていい、もう楽になって」

 

「これはというときになったら、夜中でもご連絡しますか?」

先生がそう訊かれたのは、我が家から病院まで1時間近くかかるとご存じだからだ。

連絡しても間に合わないかも知れませんよ、という意味を含んでいるのだと思う。

それでも、「そうしてください」とお願いして、電話をおいた。

 

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母の入院 9 眠り続ける

2014年08月27日 | 母のこと

母の容態について担当の先生からお話があった。

5日ほど前から酸素吸入器をつけていることと、その翌日部屋を替ったことについての説明だった。

替った部屋には血圧やら脈拍やらのモニターがセットされている。

「前日の夜に血圧が急上昇して、しばらくして下がり始めたら、今度は下がり続けて、

心配したけれど、今は落ち着いています」ということだった。

そのことがあって、モニター付の部屋に移ったのだそうだ。

 

母はここ10日以上も眠り続けている。

先々週辺りは、呼ぶとかすかに目を開けていた。

でも、すぐにまた閉じて眠りに戻ってしまう。

今は呼ぶと瞼が少しピクリとするだけで、聞こえてはいるのかも知れないが、目は開かない。

一日中そんな様子だそうだ。

会いに行っても、寝顔を見て帰ってくるだけだ。

それでも、安らかに眠っている姿を見ると、ほっとする。

私たちが一番恐れていたのは、癌がもたらす痛みだった。

胃がんで痛みに苦しみながら死んだ父を見ているので、それだけが恐怖だった。

今はすぐに痛み止めが処方されて、痛みを我慢することもないと聞いているけれど、

やはり、痛み止めが聞かなくて苦しんだという話も聞く。

運良く、母が痛みで苦しんでいる様子はまったくない。

「少しでも痛みを感じているようならいつでも対処できるようにしているんですけど、

そんな様子が全然ないんです」と先生もおっしゃっていた。

いくら何でも、痛ければ、あのように安らかには眠っていられないだろう。

もしかしたら、癌で、痛みを感じる機能も破壊されているのかも知れないが、

それなら、ラッキーと言っても良いと思う。

死の恐怖を感じることもない。

きっとこのまま眠りつづけて、ある日自然に呼吸が止まるのだろう。

案外良い死に方なのではないかしら。

 

 

 

 

 

 。

 

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母の入院 8 施設を退去

2014年08月18日 | 母のこと

母の施設を退去した。

本人が入院や何かで住んでいなくても、3か月間は権利がある。

でも、当然利用料は支払わなければならない。

母は現在、病院で個室に入っているので、その分の支払いもある。

医療費、パジャマなどのリネン利用料、それに個室利用料で、7月の1週間で約5万円の支払いをした。

単純計算すると1か月で20万になる。

入院当初は検査などあって特に高額だろうから、これからはそこまでは行かないと思うけれど、

3か月とはいえ、帰らないことがわかっている施設への支払いはやはり痛い。

父は自営業だったから、母の年金は国民年金とわずかな厚生年金で月8万ほど。

足りない分は母の預金から支払うことになる。

あと数か月という診断が下されているといっても、生命力は不思議だ。

最近の母は、点滴効果かも知れないけれど、それなりに安定している。

一度失敗した胸からの点滴も昨日行ったら、できていた。

何となくだけれど、思ったより生きられるんじゃないかという気がする。

そうなれば、個室を維持する費用のことも考えておかなければならない。

大部屋へ移るという手もあるけれど、母は嫌だと言った。

わかって言っているかどうかはわからないけれど、

おむつ交換など考えると、母はほんとうに嫌だろうと思う。

実際は他の患者さんたちもみんな同じような状態なのだけれど、

それならいいわ、というわけにはいかないだろう。

やはり個室は維持してあげたい。

そのために、少しでも無駄な出費は抑えたい。

 

 施設へは電話で申し出をして、数日後荷物を引き取りに行った。

引き取りと言っても、実際は処分だった。

我が家には、引っ越しする度に預かった母の荷物がたくさんある。

自ら断捨離しなければならない私たちに、これ以上母の荷物を保管できない。

仏壇とテレビと小さなタンスは弟が引き取り、新しいタオル類などは私が持ちかえった。

けれど、山ほどの衣類は殆ど処分するしかなかった。

LかLLサイズで、痩せてしまった母にはもう大きすぎる。

施設で一番仲良しだったお友達に声をかけると、かなりの衣類や靴をもらってくださった。

まだ生きているのに、形見分けのようなことをしていいのだろうかと、胸が痛んだが、

処分するよりは母も喜ぶだろうと、勝手に思う。

奇跡が起きて母が回復したら、新しいのを買ってあげよう。

「母さん、今までの服はみんな大きすぎるよ。これからはMサイズだね」

って言って買ってあげる。

そう思って自分を納得させた。

夫と弟が一緒で良かった、男だからだろうか、せっせとことを運ぶので、

私も感傷に浸る暇がなかった。

私だけなら、いちいち手が止まっただろう。

でも、空になった部屋を振り返った時、これで母はすべて身の回り品を無くしたと思った。

まるで、母が生きてきた時間まで消えてしまったような気がする。

やはり、早すぎたのではないかと、後悔が押し寄せる。

せめて、一度すべて我が家へ運ぶべきではなかったかしら。

でも、たとえいくらか元気になったとしても、退院はあり得ない。

これからは必要ないものなのだ。

ここで処分しておかなければ、いつまでもできないだろう。

きっと、これで良かったのだ。

 そう、良かったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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母の入院 7

2014年08月12日 | 母のこと

先々週息子が帰って来てくれて、母も喜んでいたようだったけれど、

母が息子を憶えていたことが、私も嬉しかった。

先週は娘が帰って来てくれた。

娘は息子より6年先に生まれている。

自然、孫としては娘のほうが馴染が深い。

成人式の着物も母が買ってくれた。

母が元気な頃も帰省する度を訪ねてくれた。

 

娘を連れて病院へ行ってみると、母は胸の静脈から点滴を入れる処置をしているそうで、

ベッドにいなかった。

毎日針を刺すのは苦痛だろうと、針を入れっぱなしにするのだそうだ。

15分くらいで戻りますよということだったけれど、帰ってこない。

看護師さんが何度か、「もうすぐですからお待ちください」と言いに来てくださったけれど、

1時間過ぎても帰ってこない。処置が難航しているようだ。

部分麻酔を使っているそうだから痛くはないだろうけれど、こんなに時間がかかっては、

帰って来ても疲れ切っているだろう。

どうなっているのか気になったけれど、出直すことにした。

翌日出直すと、母は無事ベッドにいた。

点滴の針は手の甲に刺さっている。

結局胸の静脈には入れられなかったのだろう。

手足の細い血管がもうボロボロだそうだけれど、

胸の太い血管も同じくらい傷んでいるのかも知れない。

「先生に訊いてみる?」と娘が言ったけれど、聞いたところでどうなるものでもない。

できるものならしているだろう。

気配を感じたのか、母が目を開けた。ぼんやりと私たちのほうを見る。

「おばあちゃん、〇〇だよ。おばあちゃんに会いたかったよ」

と娘が耳元で呼びかけると、少し間があってわずかだけれど目に力がこもったような気がした。

少しの間は、記憶を呼び覚ますのにかかった時間かも知れない。

そして、娘のほうを見て何か呟いた。

何?と娘が耳を近づけると、

「ばあちゃんも会いたかった」と小さなかすれ声で言う。

私たちに聞こえるように言葉を発するために、必死の努力が必要だったろうと思う。

「うん、ありがと」と言ったきり、娘は涙ぐんで言葉に詰まってしまった。

そうよね、何を言えばいいのかわからないよね。

母は娘への一言で力を使い果たしたのか、目を閉じている。

でも、少しすると目を開ける。

娘への気遣いがわかる。

もっといて欲しいかも知れないと思うけれど、その分疲れることも確かだ。

枯れ木のようになった母に無理はさせたくない。

母の手を取って「お昼寝してね、また来るから」と言うと、頷いた。

病院を出るまで無言だった娘が、「9月に来れたら来るよ」と言った。

「うん、できればそうして」と返しながら、思う。

母の血管がそれまでもつだろうか・・・

 

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母の入院 6

2014年08月05日 | 母のこと

先週末、名古屋に住んでいる息子が母に会いに来た。

母の意識があるうちに一度会わせておきたかった。

「もしかしたら、わからないかもしれないよ」と前もって言っておいた。

でも、「ばあちゃん、○○だよ」と息子が母の耳元で大きな声で言うと、

母の目の色が引き締まったような気がした。

息子の顔を見て、今どこにいるの?と意外なほどしっかりと言う。

久しぶりに会った孫のために、一生懸命声を出したのだと思う。

息子が札幌にいないということも忘れていなかった。

たまたま、弟夫婦も甥を連れて合流した。

弟は結婚が遅かったので、甥はまだ小学2年生、

入れ歯も入れず枯れ木のように痩せた母の姿はショックだったろうと思う。

後で聞いたら、おばあちゃんだとわからなかったそうだ。

残念なことに、母も甥のことは憶えていないようだった。

母にとっては、甥も義妹も最近のこと、頭の中から消えてしまっているのだろう。

 

帰りの車の中で、息子に「ショックじゃなかった?」と訊くと、

「いやー、ショックだったよ、弱ってるって聞いてはいたけど想像以上だった」と神妙に言っていた。

息子にはこれがおばあちゃんに会う最後になるだろう。

元気なころのおばあちゃんを憶えていてほしいという気もするが、

やはり、わかるうちに会わせてよかったと思う。

今週末に娘が帰ってくる。

そのころ、母はどうだろう...

 

 

 

 

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母の入院 5

2014年08月01日 | 母のこと

一昨日は、元気に見えた母だけれど、昨日は何となく生気がなかった。

母さん、

声をかけると、目を開けてかすかに頷いたけれど、すぐに目を閉じてしまう。

何だかぐったりしているように見える。

手を握ったら、熱い。風邪をひいたのかしら?

額も首もやはり熱い。

すぐに看護師さんに伝えると、熱を測ってくれた。

「37度2分ですから、まだたいしたことはありません。部屋の温度が高いのかも知れません」

と言ってエアコンの温度を下げてくれた。

私の平熱は35度2分か3分だから、37度を超えたら大ごとだ。

母はどうなのだろう?

でも、毎日体温は測っているはずだし、これ以上は言えない。

目を閉じたままの母をしばらく見ていたら、そのうち眠ったようだった。

ほんとうに風邪ではないのかしら?

高齢者はよく風邪がもとの肺炎で亡くなっている。

少し不安を感じながら帰ってきた。

長くはないとわかっていても、母の容体の変化に一喜一憂するしてしまう。

 

 

 

 

 

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母の入院 4

2014年07月31日 | 母のこと

一昨日、母とまだ意志疎通できることに励まされた。

昨日、行ってみると点滴のパックが増えている。

栄養補給かしら、ほんの少ししか食べられないから栄養が足りないのだろう。

母さんと呼びかけると、すぐに目を開けた。

何だか元気そうに見える。

手を伸ばしてベッドの柵をつかもうとするので、起き上がりたいのかと思い、

頭のほう起こそうか?

ときくと、首を振る。

おしっこと言うので、したいの?ときくと頷いた。

すぐに看護婦さんに伝えると、病室のドアを閉めて処置してくださった。

本当は、歩いてトイレへと行きたいだろうけれど、そうはいかない。

この日の母は、よくおしゃべりをした。

でも、悲しいことに、入れ歯を外しているので聞き取れない。

入院して初めての食事の後、洗浄のため外したきり二度と入れたくないという感じで

拒否したのだそうだ。

「ごめん、入れ歯してないからよくわからないの。入れ歯する?」

ときくと、即座に首を振る。

やっぱりね。

「〇×△~」「え、何?」

何度かそれを繰り返して、最後は母が諦めてしまう。

入れ歯がないだけでなく、舌や唇の力も弱っているのだろう。

わかってあげられない私自身ももどかしい。

でも、こんなに元気なら先日見かけた患者さんのように、少しの間でも車いすで

お散歩できるような気がする。

あの患者さんも、車いすに点滴のパックをつけていた。

看護師さんに訊いてみると、

「うう~ん・・・実は昨晩から食事が摂れなくなっていて、点滴に切り替えているんですよ。

体調がよくないので・・・もう少し回復してからにしましょう」

と、申し訳なさそうに言われた。

そうか、元気そうに見えるのは点滴のせいなのだ。

ほんとうは、体調は良くないのだ。

「食べられなくなると鎮痛薬が飲めなくなるので痛みが出ます。

そうすると、点滴で入れることになります」

入院時にそう言われたことを思いだした。

明日は点滴のパックが更に増えているかもしれない。

それでも、本人が多少とも元気に見えるのは嬉しい。

聞き取れなくても、会話らしきことができるのも嬉しい。

 

今夜、息子が帰ってくる。

おばあちゃんがまだ意識があるうちに、会わせておきたい。

しばらく会っていなかったから、わからないかも知れないけれど・・・

 

 

 

 

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母の入院 3

2014年07月30日 | 母のこと

二日ぶりに母に会いに行ってきた。

用があったとはいえ、二日もあけてしまったことを後悔しながらだった。

部屋に入ろうとしたら、おむつ交換だったので少し待った。

談話室のようなところで待っていると、一面の面ガラス窓の向こうのテラスで

車いすに乗った患者さんの姿が見えた。

山の上の爽やかな外気を浴びて気持ちよさそうだ。

母と同じくらいの年齢で、看護師さんと家族の方が二人に付き添われている。

車いすの背に体を預けているけれど、よく見ると自力で体を動かせるようだった。

母にはこういうことも無理なのだろう。

 

少しして行ってみると、おむつ交換は終わっていた。

母は目を閉じていた。

でも、まだ眠ってはいないだろうと、耳元で呼びかけてみる。

「母さん」

すると、少し驚いたように目を開けた。

前回と私と見る目が違う。

「○○子だよ」

と名前を言うと、うんうんと頷く。

そして、細くなった手を伸ばしてくる。

その手をそっと握ったら握り返してきた。

涙が出てくる。

母はまだここにいた。

去ってしまったのではなかった。

多分、母は目もはっきりとは見えなくなっているのだろう。

前回私だということがわからなかったのは、

私が名乗らなかったからだ。

そういえば、母さんという呼びかけもしなった。

そのうえ、二日も一人ぼっちで、きっと心細かっただろうと思う。

「母さん、大好きだよ」

と言葉が自然に出てきた。

うんと頷いた表情は確かに母親の顔だったと思う。

子供の時にエプロンの端を引っ張って「大好き」と言ったら、何時も抱き寄せてくれた。

 久しぶりに母に甘えている気持ちになった。

 

母の手を握り、もう一方の手で撫でて居るとは母が何か言いたそうにする。

何?ときくと、小さな声で

「私、か・・・・の?」

聞き取れなくて、もう一度何?ときいたら、もう何も言わなかった。

一言がやっとなのかもしれない。

一緒に旅行に行ったときのことなど話しかけると、

時々うんと頷くけれど、わかっているとは思えない。

かえって疲れさせるだけだと気が付いた。

「もうお昼ねしてね」

そう言いながら、できるだけそっと手を離す。

手を振っても振り返すことはないけれど、目はずっと私を見て居た。

少し切ない。

帰りに車を運転しながら、母が何が言いたかったか考えていた。

「私、か・・・・の?」

もしかしたら、

「私、帰れるの?」

だったのではないかしら

きっとそうだと思う。

母は帰りたいのだ。

どこへ?

今までいた施設?

一人で暮らしていた部屋?

それとも、父、私、弟と4人で暮らしていた家?

どこにも帰れないのよ、母さん

涙が止まらない・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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母の入院 2

2014年07月27日 | 母のこと

母の入院している病院は、山の中腹にある。

我が家からは車で40分ほど。

午後降りだした雨を見ながら、母に会いに行こうかどうか迷う。

なじみのない地域、途中の急な坂、激しくなっていく雨足。

最近はとみに運転に自信がなくなっている。

でも、日一日と悪化する母の認知症状を思うと、私のことを憶えている可能性すら

すぐに消えてしまうだろう。

やっぱり行こう、と決めて夫に「行ってくれる?」と声をかけると「いいよ」と言ってくれた。

次からは一人で行くつもりだから、運転は私がした。

母のところへ着くと、土曜日で病院はひっそりとしている。

母は眠っていた。

起こそうかどうしようか・・・

タオルケットの上の置いた手をそっと握ると、母が目を開けた。

私だとわかっただろうか。

「調子はどう?」

話しかけると、無言で目が泳ぐ。

誰か大切な人だとはわかっているが、名前は思い出せない

そんな感じでは、もうなかった。

この人は誰?なぜ、親しげに話しかけるの?

そう言っているようだ。

覚悟はしていたけれど、やはりもう私のことも消えてしまったようだ。

お昼食べた?ときくと頷いた。

でも、美味しかった?と訊くとあちらを向いてしまった。

表情に浮かぶのは困惑。

手を握っても、足をさすってもどこか居心地悪そうで落ち着かない様子が見える。

そうだろう、母にしたら誰か知らない人が話しかけたり、足に触ったりしているのだ。

きっと不愉快なことだろう。

しばらく一方通行の会話をして、また来るね、そう行って帰ってきた。

母の魂はもう去った。

あのベッドに寝ているのは、抜けがらの身体だけ。

つなぎ止めようという努力は、もういらない。

肉体が魂の後を追うまで、ただ穏やかに見守ろう。

そんな気持ちにさせられた日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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母の入院 1

2014年07月26日 | 母のこと

一昨日、母が入院した。

母が入居している施設の系列の病院で、入院をいつにするか決めるための受診だったのが、

そのまま即入院となった。

施設のワゴンで走り出したとき、もう帰って来れないかも知れないことは予想していた。

その二日前に会いに行ったときは、ある程度会話が成り立っていた。

でも、その日はもう何か話しかけても頷くだけで、理解しているとは思えなかった。

一日か二日おきくらいで会っているのに、そのたびに悪化している。

それがあまりにも早くて、脳が癌でいっぱいになっていることは知っていても

そのたび驚かされ、落胆させられる。

歩くことはもちろん、自力では起きられず、左手左足が動かなくなっていた。

もうこの施設での生活は無理だと、嫌でもわかる状態だった。

先生がおっしゃるには、この進行の速さはやはり珍しいそうで、

他を巻き込んで大きくなって行くタイプの、かなり悪性のものだろうということだった。

50年を超す喫煙生活で肺全体が弱り切っていて、抵抗力がなくなっていたのかも知れない。

短期間に左肺にはびこり、軽々と脳へ飛んで行ったのだろう。

 

入院したのは、精神科ではなく内科だった。

一人では起き上がることもできないので、徘徊の恐れがないからだろう。

病室は大部屋に空きがないということで、シャワーとトイレを備えた個室だった。

「大部屋に空きが出たら移動しますか?」と訊かれて、「はい、お願いします」

と、答えたけれど、おむつ交換など考えたら大部屋ではまずいかしらという気もする。

そう長いことではないなら母の預金で対応できるので、個室でもいいかなという気もする。

でも、今までたくさんの人の中にいたのに、個室で一人寝たきりというのも

寂しいのではないかとも思う。

とにかく今は、大部屋に空きがないのだから様子見をしよう。

受診には、母のほかに入所者の方も二人一緒に来ていた。

施設の看護師さんも同行していて、いろいろな普段の生活についての説明や、

入院手続きなど、ずいぶん助けていただいた。

 車を施設の駐車場に置いてきていたので、私はとりあえず皆さんと一緒に帰り、

午後、夫と一緒にもう一度会いに行った。

違う場所にいることはわかるのか、ベッドで寝たまま目があちこち見回している。

夫のことを、誰?と訊いたらかすかに首を振る。

わからない?と訊くと、うんと頷いた。

1週間前は、名前を言うことができたのに。

帰るとき、じゃあ帰るよ、また来るねと言うと、どこへ?と言う。

「うちへ、明日また来るね」というと、頷いた。

その目が不安そうで、胸が痛んだ。

 

昨日、会いに行くと、もう不安そうではなかったけれど、

他の感情もなくなっているようだった。

私、誰?と聞いてみると、首を横に振った。

もう、私のこともわからないのだろうか。

わかるけれど、名前が出てこないということだろうか。

昨日は、私の名を言えたのに・・・

母の時間だけが凄い速さで進んでいるようだ。

像の足のように膨れ上がっていた足は、きれいにもとに戻っていた。

撫でながら、よかったね、と言ったけれど、寝たきりということでもある。

 複雑な心境だ。

お昼ご飯は食べた?と訊くと。首を横に振る。

食べたのを忘れているのだろうと思ったら、看護師さんが食事を運んできた。

検査があって、お昼御飯が遅くなったのだそうだ。

あ、ほんとうに食べて居なかったんだ。

少し嬉しい。

もう少しいたかったけれど、看護師さんに食事をお願いして帰ってきた。

夫が一緒にだったので、ありがたいけれど、かえってゆっくりできない。

今日は、私一人で行ってみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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早く入院したほうが良いのかも

2014年07月23日 | 母のこと

先日、母のことで、弟と私で施設の医師と話した。

唯一できる治療は放射線治療だが、さほど効果は期待できないとのことで、

私たちにわずかに残っていた、治療すべきかどうかという迷いもなくなった。

あとは母をいつ病院へ移すかということだけれど、入院先は精神科になるとのこと。

精神科といっても、一般にイメージされる精神科とは違うそうで、認知症の患者さんが多く

知らないうちに出て行ってしまっては困るということで出入り口に鍵がかかっているだけで、

あとは一般病棟とかわらないそうだ。

でも、母はまだ字が読めるので、精神科とどこかに書いてあったら傷つくだろうと思う。

それに、入院すればベッドで寝たきりになるだろう。

申し訳ないけれど、施設のほうでもう無理だというまで置いていただきたいと希望を伝えた。

今のところ、時間はかかるが自分で歩いているし、日中は談話室で他の皆さんと一緒に過ごしている。

でも、母の像の足のようにむくんだ足と、深く食い込んでひょうたんのくびれのようになっている

靴下のゴムのあとを見て考えが変わった。

「痛い」?ときくと、小さく頷く。

日中談話室にいるのは、自分がいたいというより、

詰め所の目が届くからいさせられているのかも知れない。

一日中椅子に座っていれば足もむくむだろう。

でも、非難はできない。

せいいっぱいのことをしてくれているのはわかっている。

本来が介護施設ではないのだから。

背中も痛いようだ。

やはり早めに入院させたほうが良いのかも知れない。

 入院先の精神科の先生の診察を受けて時期を決めることになった。

 

 

 

 

 

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