珊瑚の時々お絵かき日記

夫と二人暮らし、コロナ自粛するうちに気がついたら中国ドラマのファンになっていました。

母の入院 4

2014年07月31日 | 母のこと

一昨日、母とまだ意志疎通できることに励まされた。

昨日、行ってみると点滴のパックが増えている。

栄養補給かしら、ほんの少ししか食べられないから栄養が足りないのだろう。

母さんと呼びかけると、すぐに目を開けた。

何だか元気そうに見える。

手を伸ばしてベッドの柵をつかもうとするので、起き上がりたいのかと思い、

頭のほう起こそうか?

ときくと、首を振る。

おしっこと言うので、したいの?ときくと頷いた。

すぐに看護婦さんに伝えると、病室のドアを閉めて処置してくださった。

本当は、歩いてトイレへと行きたいだろうけれど、そうはいかない。

この日の母は、よくおしゃべりをした。

でも、悲しいことに、入れ歯を外しているので聞き取れない。

入院して初めての食事の後、洗浄のため外したきり二度と入れたくないという感じで

拒否したのだそうだ。

「ごめん、入れ歯してないからよくわからないの。入れ歯する?」

ときくと、即座に首を振る。

やっぱりね。

「〇×△~」「え、何?」

何度かそれを繰り返して、最後は母が諦めてしまう。

入れ歯がないだけでなく、舌や唇の力も弱っているのだろう。

わかってあげられない私自身ももどかしい。

でも、こんなに元気なら先日見かけた患者さんのように、少しの間でも車いすで

お散歩できるような気がする。

あの患者さんも、車いすに点滴のパックをつけていた。

看護師さんに訊いてみると、

「うう~ん・・・実は昨晩から食事が摂れなくなっていて、点滴に切り替えているんですよ。

体調がよくないので・・・もう少し回復してからにしましょう」

と、申し訳なさそうに言われた。

そうか、元気そうに見えるのは点滴のせいなのだ。

ほんとうは、体調は良くないのだ。

「食べられなくなると鎮痛薬が飲めなくなるので痛みが出ます。

そうすると、点滴で入れることになります」

入院時にそう言われたことを思いだした。

明日は点滴のパックが更に増えているかもしれない。

それでも、本人が多少とも元気に見えるのは嬉しい。

聞き取れなくても、会話らしきことができるのも嬉しい。

 

今夜、息子が帰ってくる。

おばあちゃんがまだ意識があるうちに、会わせておきたい。

しばらく会っていなかったから、わからないかも知れないけれど・・・

 

 

 

 


母の入院 3

2014年07月30日 | 母のこと

二日ぶりに母に会いに行ってきた。

用があったとはいえ、二日もあけてしまったことを後悔しながらだった。

部屋に入ろうとしたら、おむつ交換だったので少し待った。

談話室のようなところで待っていると、一面の面ガラス窓の向こうのテラスで

車いすに乗った患者さんの姿が見えた。

山の上の爽やかな外気を浴びて気持ちよさそうだ。

母と同じくらいの年齢で、看護師さんと家族の方が二人に付き添われている。

車いすの背に体を預けているけれど、よく見ると自力で体を動かせるようだった。

母にはこういうことも無理なのだろう。

 

少しして行ってみると、おむつ交換は終わっていた。

母は目を閉じていた。

でも、まだ眠ってはいないだろうと、耳元で呼びかけてみる。

「母さん」

すると、少し驚いたように目を開けた。

前回と私と見る目が違う。

「○○子だよ」

と名前を言うと、うんうんと頷く。

そして、細くなった手を伸ばしてくる。

その手をそっと握ったら握り返してきた。

涙が出てくる。

母はまだここにいた。

去ってしまったのではなかった。

多分、母は目もはっきりとは見えなくなっているのだろう。

前回私だということがわからなかったのは、

私が名乗らなかったからだ。

そういえば、母さんという呼びかけもしなった。

そのうえ、二日も一人ぼっちで、きっと心細かっただろうと思う。

「母さん、大好きだよ」

と言葉が自然に出てきた。

うんと頷いた表情は確かに母親の顔だったと思う。

子供の時にエプロンの端を引っ張って「大好き」と言ったら、何時も抱き寄せてくれた。

 久しぶりに母に甘えている気持ちになった。

 

母の手を握り、もう一方の手で撫でて居るとは母が何か言いたそうにする。

何?ときくと、小さな声で

「私、か・・・・の?」

聞き取れなくて、もう一度何?ときいたら、もう何も言わなかった。

一言がやっとなのかもしれない。

一緒に旅行に行ったときのことなど話しかけると、

時々うんと頷くけれど、わかっているとは思えない。

かえって疲れさせるだけだと気が付いた。

「もうお昼ねしてね」

そう言いながら、できるだけそっと手を離す。

手を振っても振り返すことはないけれど、目はずっと私を見て居た。

少し切ない。

帰りに車を運転しながら、母が何が言いたかったか考えていた。

「私、か・・・・の?」

もしかしたら、

「私、帰れるの?」

だったのではないかしら

きっとそうだと思う。

母は帰りたいのだ。

どこへ?

今までいた施設?

一人で暮らしていた部屋?

それとも、父、私、弟と4人で暮らしていた家?

どこにも帰れないのよ、母さん

涙が止まらない・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


あら、耳がおかしい

2014年07月29日 | 健康

先週の土曜日の朝、起きてテレビを付けたら、妙に音が小さい。

昨夜夫が寝た後しばらく起きていたから、ボリュームを下げたのかしら?憶えてないけど。

そう思って、ボリュームを押してみたら、いつもと同じ20になっている。

変だなと思いながら普通に聞こえるまで上げて行ったら、24になった。

むむむ、おかしい

遂にテレビが壊れたのかしら?

すると夫が、「テレビの音、大き過ぎるよ」と、文句を言った。

ええ、それじゃあ、おかしいのは私の耳なの!

一晩で耳が遠くなったってこと?

チャンネルを替えてみたりしたけれど結果は同じで、やはり私の耳がおかしいのだ。

年のせいかしら?でも、昨夜は何ともなかったのに~。

いきなりなんて、どういうことなの。

突発性難聴だったりして・・・

突発性難聴は両耳同時に発症することはないと聞いている。

片耳ずつ塞いでみると、両耳とも同じくらい聞こえるというか、聞こえないので、

幸いそれはなさそうだ。

突発性難聴なら、聴力の回復は見込めない。

少しほっとする。

そういえば、夏風邪が直りきらずに、鼻づまりの日々が続いている

そのせいかな~、鼻と耳は続いているものね。

そう思って、様子を見ることにした。

日曜日もやはり鼻は詰まったままで、耳も聞こえが悪い。

風邪が治っても耳は治らなかったらどうしよう・・・

だんだん心配になって来て、ネット検索してみた。

いろいろあったけれど、

軽い中耳炎になっていている可能性があり、放置すると大変なことになることもある

ということらしい。

大変なことって、やっぱり耳が聞こえなくなるっていうことよね

俄かに心配になって来て、月曜日一番に耳鼻科に駆け込んだ。

いくつか検査をした結果は、風邪で鼻が詰まっていることが原因で、

鼓膜が振動できなくなっているからだそうだ。

風邪が治れば自然に元に戻ります、とのこと。

やっぱりそうか、よかったわ~とほっとする。

「良いお薬があるんですけど、血圧の高い人に使うのはリスクがあるんですよね~」

と、先生が残念そうにおっしゃる。

血圧が高いって、いろいろ不都合なのね~、まあ、仕方がないわ

「いいえ、いいえ、自然に治るのならそれでいいです」

と、お礼を言って帰ろうとして、ふと思いついて質問してみた。

「あの、母が耳が遠いんですけど、私も将来耳が遠くなるんでしょうか?」

「うう~ん、老人性難聴が遺伝するという証明はされていないですけどね~、

体質は遺伝しますしね~、はっきりとはわからないんですよ」

というお答えだった。

まあ、癌が遺伝するか?と一緒ということか。

私は母のことで質問したけれど、そういえば、59歳で亡くなった父は、

すでに女性の声が聞きづらいと言っていたっけ。

遺伝があるかどうかはわからないとはいえ、

ある程度、覚悟しておかなければならないかも知れない

 

 

 

 

 

 

 

 


母の入院 2

2014年07月27日 | 母のこと

母の入院している病院は、山の中腹にある。

我が家からは車で40分ほど。

午後降りだした雨を見ながら、母に会いに行こうかどうか迷う。

なじみのない地域、途中の急な坂、激しくなっていく雨足。

最近はとみに運転に自信がなくなっている。

でも、日一日と悪化する母の認知症状を思うと、私のことを憶えている可能性すら

すぐに消えてしまうだろう。

やっぱり行こう、と決めて夫に「行ってくれる?」と声をかけると「いいよ」と言ってくれた。

次からは一人で行くつもりだから、運転は私がした。

母のところへ着くと、土曜日で病院はひっそりとしている。

母は眠っていた。

起こそうかどうしようか・・・

タオルケットの上の置いた手をそっと握ると、母が目を開けた。

私だとわかっただろうか。

「調子はどう?」

話しかけると、無言で目が泳ぐ。

誰か大切な人だとはわかっているが、名前は思い出せない

そんな感じでは、もうなかった。

この人は誰?なぜ、親しげに話しかけるの?

そう言っているようだ。

覚悟はしていたけれど、やはりもう私のことも消えてしまったようだ。

お昼食べた?ときくと頷いた。

でも、美味しかった?と訊くとあちらを向いてしまった。

表情に浮かぶのは困惑。

手を握っても、足をさすってもどこか居心地悪そうで落ち着かない様子が見える。

そうだろう、母にしたら誰か知らない人が話しかけたり、足に触ったりしているのだ。

きっと不愉快なことだろう。

しばらく一方通行の会話をして、また来るね、そう行って帰ってきた。

母の魂はもう去った。

あのベッドに寝ているのは、抜けがらの身体だけ。

つなぎ止めようという努力は、もういらない。

肉体が魂の後を追うまで、ただ穏やかに見守ろう。

そんな気持ちにさせられた日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


母の入院 1

2014年07月26日 | 母のこと

一昨日、母が入院した。

母が入居している施設の系列の病院で、入院をいつにするか決めるための受診だったのが、

そのまま即入院となった。

施設のワゴンで走り出したとき、もう帰って来れないかも知れないことは予想していた。

その二日前に会いに行ったときは、ある程度会話が成り立っていた。

でも、その日はもう何か話しかけても頷くだけで、理解しているとは思えなかった。

一日か二日おきくらいで会っているのに、そのたびに悪化している。

それがあまりにも早くて、脳が癌でいっぱいになっていることは知っていても

そのたび驚かされ、落胆させられる。

歩くことはもちろん、自力では起きられず、左手左足が動かなくなっていた。

もうこの施設での生活は無理だと、嫌でもわかる状態だった。

先生がおっしゃるには、この進行の速さはやはり珍しいそうで、

他を巻き込んで大きくなって行くタイプの、かなり悪性のものだろうということだった。

50年を超す喫煙生活で肺全体が弱り切っていて、抵抗力がなくなっていたのかも知れない。

短期間に左肺にはびこり、軽々と脳へ飛んで行ったのだろう。

 

入院したのは、精神科ではなく内科だった。

一人では起き上がることもできないので、徘徊の恐れがないからだろう。

病室は大部屋に空きがないということで、シャワーとトイレを備えた個室だった。

「大部屋に空きが出たら移動しますか?」と訊かれて、「はい、お願いします」

と、答えたけれど、おむつ交換など考えたら大部屋ではまずいかしらという気もする。

そう長いことではないなら母の預金で対応できるので、個室でもいいかなという気もする。

でも、今までたくさんの人の中にいたのに、個室で一人寝たきりというのも

寂しいのではないかとも思う。

とにかく今は、大部屋に空きがないのだから様子見をしよう。

受診には、母のほかに入所者の方も二人一緒に来ていた。

施設の看護師さんも同行していて、いろいろな普段の生活についての説明や、

入院手続きなど、ずいぶん助けていただいた。

 車を施設の駐車場に置いてきていたので、私はとりあえず皆さんと一緒に帰り、

午後、夫と一緒にもう一度会いに行った。

違う場所にいることはわかるのか、ベッドで寝たまま目があちこち見回している。

夫のことを、誰?と訊いたらかすかに首を振る。

わからない?と訊くと、うんと頷いた。

1週間前は、名前を言うことができたのに。

帰るとき、じゃあ帰るよ、また来るねと言うと、どこへ?と言う。

「うちへ、明日また来るね」というと、頷いた。

その目が不安そうで、胸が痛んだ。

 

昨日、会いに行くと、もう不安そうではなかったけれど、

他の感情もなくなっているようだった。

私、誰?と聞いてみると、首を横に振った。

もう、私のこともわからないのだろうか。

わかるけれど、名前が出てこないということだろうか。

昨日は、私の名を言えたのに・・・

母の時間だけが凄い速さで進んでいるようだ。

像の足のように膨れ上がっていた足は、きれいにもとに戻っていた。

撫でながら、よかったね、と言ったけれど、寝たきりということでもある。

 複雑な心境だ。

お昼ご飯は食べた?と訊くと。首を横に振る。

食べたのを忘れているのだろうと思ったら、看護師さんが食事を運んできた。

検査があって、お昼御飯が遅くなったのだそうだ。

あ、ほんとうに食べて居なかったんだ。

少し嬉しい。

もう少しいたかったけれど、看護師さんに食事をお願いして帰ってきた。

夫が一緒にだったので、ありがたいけれど、かえってゆっくりできない。

今日は、私一人で行ってみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


煙霧?

2014年07月25日 | 日々のこと

2時半ごろだったかしら、買い物が終わってヨーカドーから出るとなんだか外が煙っている。

車のガラスが汚れているのかと拭いてみたけれど、やはり煙っている。

何だかゴムが焼けるような臭いも感じる。

いやだわ、火事かしら?と一瞬思ったけれど、消防車が走っている様子はないし・・・。

それが、PM2.5だとテレビをつけて初めて知った。

天気としては煙霧と呼ぶのだとか。

えええ~~、PM2.5って中国から来たってこと?

ああ、もう何て迷惑な国なの~!

と、書きながらテレビも見て居たら

舛添東京都知事とパククネ大統領と会談したという報道があった。

パククネさんは相変わらずの歴史認識言動、

それに愛想笑いで応じる舛添さん。

何故わざわざ会いに行かなければならないのか理解できない

放っておけばいいじゃない。

関係改善しなくたって、日本は別に困らないと思うけど

あ、今度は、煙霧は大陸の森林火災の煙が流れてきているらしいという報道が。

大陸って、ロシア?中国?

あ、なんだか家の中にいても焦げ臭くて気持ちが悪い~

窓を全部閉めたら暑いしね~

 

 

 


早く入院したほうが良いのかも

2014年07月23日 | 母のこと

先日、母のことで、弟と私で施設の医師と話した。

唯一できる治療は放射線治療だが、さほど効果は期待できないとのことで、

私たちにわずかに残っていた、治療すべきかどうかという迷いもなくなった。

あとは母をいつ病院へ移すかということだけれど、入院先は精神科になるとのこと。

精神科といっても、一般にイメージされる精神科とは違うそうで、認知症の患者さんが多く

知らないうちに出て行ってしまっては困るということで出入り口に鍵がかかっているだけで、

あとは一般病棟とかわらないそうだ。

でも、母はまだ字が読めるので、精神科とどこかに書いてあったら傷つくだろうと思う。

それに、入院すればベッドで寝たきりになるだろう。

申し訳ないけれど、施設のほうでもう無理だというまで置いていただきたいと希望を伝えた。

今のところ、時間はかかるが自分で歩いているし、日中は談話室で他の皆さんと一緒に過ごしている。

でも、母の像の足のようにむくんだ足と、深く食い込んでひょうたんのくびれのようになっている

靴下のゴムのあとを見て考えが変わった。

「痛い」?ときくと、小さく頷く。

日中談話室にいるのは、自分がいたいというより、

詰め所の目が届くからいさせられているのかも知れない。

一日中椅子に座っていれば足もむくむだろう。

でも、非難はできない。

せいいっぱいのことをしてくれているのはわかっている。

本来が介護施設ではないのだから。

背中も痛いようだ。

やはり早めに入院させたほうが良いのかも知れない。

 入院先の精神科の先生の診察を受けて時期を決めることになった。

 

 

 

 

 


道庁の睡蓮とうに丼

2014年07月20日 | 日々のこと

昨日、 少し贅沢をしたくなって、うに丼を食べに行ってきました。

予約の12時半まで時間があったので、道庁へ行ってみました。

 

ポプラの綿毛がまだ残っています。

 

 

 先月の半ばはこんなに凄かったんですよ。

雪が降ったみたいです。

 

 

 池の睡蓮が見頃でした。

 

 

 

これ、好きです。

 

そろそろ時間なので、外へ出ようと歩いていると、あら、鴨の親子が。 

 右の池から左の池へ移動するようです。

みんな家族かしら

 

 

みんな無事に着きました。

 

道庁前の赤レンガの小道では、開通式の準備をしていました。

後でまた寄ってみようと思って、忘れて帰って来てしまいました。

 

さて、うに丼です

「すぎの」という、うにの美味しいお店です。

http://r.gnavi.co.jp/h018700/

カウンターを入れても20人がせいぜいという小さなお店です。

店内は、観光客と地元の人が半々という感じで満席でした。

私たちが食べたのは、「うにうに丼」です。

 オレンジ色のほうがバフンウニ、黄色いほうがムラサキウニです。

ニシンの煮つけもついて4500円、私たちにしてはかなり贅沢です。

写真を撮るのを忘れて、食べ始めてしまいました。

それで、バフンウニが少し減っています

美味しかったな~

 


突然の宣告

2014年07月18日 | 母のこと

喫煙者でもないのに、1週間咳が続いただけで肺がんじゃないかしらと不安になったのは、

母に肺がんが見つかった直後だったからだ。

1か月ほど前、母がお世話になっている園の看護師さんから電話があった。

○○さん(母のこと)の認知症の進行があまりに早いので、一度脳の検査をしてみてはどうかということだった。

意志の疎通ができない、トイレの失敗、食べ物が呑み込めない、などということも頻繁にあるそうだ。

認知症が進行していることは、私も会うたびに感じていたけれど、

今日は調子が良いなという日もあって、そんなものかなと思っていた。

でも、脳梗塞は繰り返すというから、もしかしたら表面には出ない程度の梗塞があるのかも知れない。

数日後の7月4日、夫に運転してもらって病院へ連れて行った。

最近は、「ちょっとここで待っててね」ということができない。

少し前までは、私が駐車して来たり、薬局で薬を貰ってきたりする間、「わかった」と言って、

じっと待っていられたのだけれど、今はよろよろとどこかへ行ってしまう。

予約しているわけでもなく、検査をするわけだから、かなり時間がかかるだろう。

 ただ所在なく病院で待っていなければならない夫には申し訳ないけれど、仕方がない。

 幸い思ったほど待つこともなく、脳梗塞でお世話になった先生が診てくださった。

MRIを撮った後、呼ばれたのは私だけ。

看護師さんが、「お母さんは見て居ますから」と言って下さった。

脳のMRIを見ると、脳梗塞の後は黒くなっているが、右半分一面に白いまだら雲のようなものがかかっている。

何かしら?とぼーっと見て居ると、先生から説明があった。

「これは、どこかに大きな癌があってそれが脳に飛んできてるんですね。

そして、この白い部分は機能していないということなんです」

そうか、これだけ脳の機能が失われていたら、認知症の進みも早いはずだ。

そして先生は、「あと数か月ですね~、放射線治療をすれば、いくらか延命できますけど・・・」と

淡々とおっしゃる。

想像もしていなかったことに、ショック状態だったのだろう、何も言葉が出てこない。

ただただ涙が滲んでくる。

その私を見て、「驚かせてごめんね」と先生が申し訳なさそうにおっしゃったけれど、

当人が86歳ともなれば、家族にもそれなりの覚悟はできているはず、

普通はそうショックを受けないものなのかも知れない。

胸のレントゲンを撮って、もともとの癌が左肺にあることがわかった。

先生は昨年末の脳梗塞の時の肺のレントゲン写真と見比べながら、

「そう思って見ると、この時もあったんだよな~、でも脳のほうに気を取られて見逃してしまいました。すみません」

と頭を下げられた。

そう率直に言えたのは、その時見つかっていたとしても同じ結果だったということなのだろう。

次々と思いもしていなかった事実を告げられて、頭が真っ白になっていた私でもそう思った。

怒りを感じるよりも、先生が見逃したことも運命だったのかなという気すらする。

考えてみれば、50年以上もヘビースモーカーだった母だ。肺がんでないほうが不思議なくらいだ。

どういう経過をたどるんですか?と聞くと、

食べられなくなって、体が動かせなくなり、頭がぼーっとしてきますということだった。

それなら、苦痛はあまりないのだろうか。

問題はこれからの生活をどこでするかということですが、今いる施設の先生と相談してくださいと、

手紙と母のデーターを渡された。

帰りを待っていてくださった看護師さんに結果を話すと、彼女も、まさか!と驚いて、一緒に涙ぐんでくれた。

 園の先生との相談の日を決めて、母を職員の方々にお願いして帰った。

母を乗せて病院からの帰り、「どうだった?」と夫に訊かれて、「後で」と小さな声で言うと、

何かを察したのだろう、母を下ろして家に帰る間、結果を説明すると、ああそうかとだけ言った。

家から弟に電話すると、「やっぱりな~」と一言。

そうなのだ、タバコだけは止めないと、禁煙に抵抗していた母だ。

私が買っていくのを止めたことで母はタバコを手に入れるすべを無くした。

否応なく禁煙することになったのだけれど、あまりに遅すぎた。

好きなものが火を使うタバコでなかったら、例えば果物だったら、チョコレートだったら、

やめさせることもなく、好きなだけ持って行ってあげたのに・・・

母さん、あなたの好物は最悪よ。

 

 

 

 

 

 

 

 


咳が続くな~

2014年07月17日 | 健康

1週間ほど前のこと、外で雨に降られたことがあった

北海道でも、最近の雨はゲリラ豪雨らしき降り方をする。

その時もそんな感じで、ほんの数分あたっただけなのにずぶ濡れになってしまった。

そのまま車を運転して、家に帰って来る間に風邪をひいたらしく、鼻水と咳が出始めた。

2,3日で鼻水は止まったけれど、咳が止まらない。

それに、喉の奥がいがらっぽい感じですっきりしない。

胸も痛いような気がする。

まさか肺がんじゃないよね...

病院へ行ってレントゲンを撮ってもらおうかと思うけれど、待ち時間を考えると行きたくない。

どうしようかなと迷っていると、先月の中ごろ職場で健康診断をしたことを思いだした。

その時、胸のレントゲンを撮っている。

といっても、健康診断の結果が渡されるのは、2か月くらい先だ。

だけど、もし何か深刻な病気の可能性が見られたら、すぐに電話か何かでお知らせが来るのよね。

きっとそうよね、でもそうかな~

そこで、健康診断を担当しているクリニックへ電話をしてみた。

すると、折り返しの電話で親切に結果を教えてくれた。

特に問題は見受けられませんとのことだった。

ほっとした。

ちょっとした体の変調に、つい神経質になってしまう。

50歳までは、健康診断の結果はオールAだった。

でも、それからは高血圧有り、高脂血症有り、ここがHここがLと、色とりどりだ

いつ何があるかわからない。

夫の分も含めて、健康診断の結果には一喜一憂してしまう。

 

 

 

 

 

 

 


屋根工事中2

2014年07月01日 | 日々のこと

今回施工をお願いした業者さんは大手だ。

17年前に家全体をリフォームしたときには、夫の友人の友人ということで、

個人経営の小樽の業者さんにお願いした。

その結果は、前にここでも書いたけれど、換気口に穴がない、

水道管に指定した管ではないものを使っている。

更には、屋根のひさし部分がトタンで覆われていて、換気が全くされていなかった。

その結果、天井裏は黴がびっしりで柱は真っ黒だったそうだ。

今回取り換える部分だったので、問題はないのだけれど、

そのまま済み続けて居たらどうなったのだろう???

ぞっとする。

そのほかにも、数え上げたら切りがない。

こういうことって、何かあって調べなければわからない。

何かあるのは、保証期間の10年を過ぎていることが多い。

苦情には、それは現場が勝手にやったこと、当人とは連絡が付かないなどと、逃げの一手。

もちろん、運が悪かっただけだろうとは思うけれど、個人経営の業者はもう懲り懲り。

今回は、縁も所縁もない大手に頼んだ。

費用はいくらか高いかもしれないが、小まめな打合せや、きちんとした説明、

寄せ集めではない大工さんたち、周囲への配慮など、

やっぱり大手は違うわね、と思わせるところは多い。

何より、大工さんをはじめ職人さんがお抱えで、一時しのぎの寄せ集めでないところが良い。

年に一度だったか2度だったか、講習を受けなければならないそうだ。

 

今までのところ、特に問題なく工事は進んでいる。

大工さんの仕事はほぼ終わった。

今日から内装と外装が始まった。

上手くいけば、今週中に完成しそうだ