「韓流☆ダイアリー」ブログ!

韓国ドラマ・韓国映画の
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k-popは韓国政府の大きな後ろ盾のおかげで成り立っている

2019-10-06 | 韓国・日韓ニュース・韓国旅行・他

韓流ブームが突如として終焉を迎えた理由。
専用ジェット機で世界中を飛び回っていた韓流アーティストたち。
日本でも社会現象となっていたが、そのブームは一気に終焉を
迎えたのだが、その理由とは一体!? 
(『韓流アイドルの深い闇』著/金山 勲より)
■大名旅行も可能にした政府支援
2010年から、韓国の大手芸能事務所SMエンタテインメントは、
BoA、少女時代など30人を超える所属アーティストを連れ、
専用ジェット機で世界中を飛び回ってツアーを行っている。
この大名旅行のようなツアーに参加した韓国人スタッフに話を
聞いたが、何処に行っても大歓迎され、何よりも専用ジェットを
乗り回しているということで、各地の関係者やファンへの
アピール効果も大きかったようだ。タレントを含め彼ら関係者も、
高揚した気分で旅ができたと喜んでいた。
だが正直言って、タレントたちが世界中を飛び回っていても、
世界各地の会場を満杯にするほどの力は備わっていないはずだった。
それでも、このような形でワールドツアーを敢行できたのは、
音楽事務所が政府支援金を利用しているからだ。彼らは政府支援で、
海外での大規模な事業展開ができたのである。
■大統領の行動で日本の韓流ブームが終焉
日本は韓国と大きく事情が異なっており、韓国政府のように
エンターテイメントのコンテンツ輸出にこだわらなければならないほど、
経済的切実さはない。したがって韓国と比べて
エンターテイメント業界に対する支援額は少ない。

韓国国民の税金を使う巨額の国家予算が注ぎ込まれると、支出に見合う
リターンが求められるのは必然だ。そのため、タレントたちを、
確実に利益を上げる輸出商品と見做す、ドライな商取引感覚が
前面に出てくるようになる。
そうなると、韓国の30倍以上ある日本の音楽市場は格好の戦略目標だ。
その一方で、日本のエンターテイメント市場も、行き詰まりを
見せていたのが実状であった。
日本の音楽産業としては、レンタルビジネスの定着やインターネットの
普及による楽曲の配信などもあって、従来のメディアとしてのCDの
売り上げが、1988年の5879億円をピークに、10年後の1999年には
2460億円と、たった10年で半分以下にまで落ち込んでおり、まさに
危機的な状況にあった。
その対策には、素人に近い歌手や芸人、俳優を新人アイドルとして、
大量販売する戦略を取ったのである。
その結果、人気の定着を待たない、実力派アーティストを育てない、
第一印象のみに頼る使い捨て的な新譜の大量発売をする薄利多売主義が
蔓延した。
この戦略による音楽の低価格化の状況下では、日本人アーティストより
安価な韓国人アーティストを輸入した方が、明らかにビジネスリスクが
低くなる。
また、韓国人アーティストは、ある程度までの基礎的育成はなされて
いることで、輸入する日本側にとって先行投資の経費が省け、
コストパフォーマンスが良いというメリットがある。
このようなマネージメント側の、典型的なデメリット回避によって、
日本市場もK–POPなどの韓流ブームを呼び起こす基本的な条件が
整っていたのである。
ブームのきっかけをつくった韓流ドラマも、同じような理由で、
日本のメディアにとってはビジネスの上で極めて魅力的に映り、
多くの作品が輸入され放映されたのだ。
一方、韓国側でもビジネスとして韓国人タレントを日本に輸出することが
多く、日韓ともウィンウィンの状態にあった。私もソウルで日本芸能界と
韓国の橋渡し的な仕事を頼まれる機会も多くなってきた。
だが、2012年、当時の李明博(イミョンバク)大統領周辺では任期末期に
なって国会議員であった実兄が企業から不正献金を受け、大統領自身も
私邸の土地を不正入手したなどの疑惑からさまざまなスキャンダルが
取りざたされ、政権の人気が急速に落ちて行った。
韓国では政権の人気が低下すると、必ずと言っていいほど過激な
反日発言が政権中枢部から起きる。
かつて在日二世でもあった李明博大統領は、「日本は過去の謝罪や
反省は不要」とまで言い、歴史問題などでの配慮もあった。
だが政権末期には徐々に強硬姿勢を示すようになり、これまでの
日韓間での暗黙の了解を無視し、大統領による竹島上陸を敢行した。
そのうえ慰安婦に対して天皇の謝罪を求める発言など、日本人の
感覚からすれば、とても受け入れられない侮辱的な発言を
行うようになった。
日本国内では嫌韓感情が高まり、それまで堅調に伸びていた韓流ブームが、
突如として終焉を迎えた。韓国大統領の行動が日本国内での
K–POPビジネスの、大きな転換をひき起こす原因となったのである。

余談だが、当時付き合っていた韓国人の彼女との間で、何となく心の
齟齬ができ別れる羽目になってしまった。韓国寄りでも、日本寄りでもない
私の、煮え切らない態度に彼女が嫌気をさしたようだ。
何事にも白黒ハッキリとつけなければ、気持ちが収まらないネイティブ
韓国人と、日本育ちの在日の感覚の違いがボタンの掛け違いに
なったのだと思う。
資金以外の支援にも手厚いものがある。2009年5月に設立された、
韓国コンテンツ振興院のKOCCAがそれだ。
韓国のコンテンツ事業振興の中心を担っているKOCCAは、
エンターテイメント系のコンテンツの振興を目的に、ゲーム、放送映像、
ソフトウェアなど、それまでは個別にあった振興院を統合させたもので、
K–POPに対する戦略的な支援もこの機関が行っている。
その戦略の一例を挙げると、オリジナル版の韓流ドラマに流れていたBGMを、
各国で韓国が権利処理した楽曲に差し替える輸出用再制作支援や、
各国のメディアにアプローチする際のサポートなど、一貫したコンテンツ
輸出戦略の統括的支援がある。
日本でも駐日韓国大使館関係者が、来日した韓流タレントを取材する
日本メディアを、さまざまな形でサポートしてくれることがあった。
KOCCAが行った日本に対するアプローチの代表的な例は、2010年10月、
東京・有楽町の東京国際フォーラムで、5000人規模のK–POPの
ショーライブ「K-POPNight in Japan 2010」を文化体育観光部と
共催したことである。
このときは全席無料招待の満席で、観客は大熱狂だった。
KOCCAの他にも、文化体育観光部や韓国観光公社などは協力し合い、
さまざまな事業の立ち上げや、イベントの公演などを行っている。
さらに知識経済部、韓国貿易投資振興公社、韓国映画振興委員会という
政府機関や関連団体などが協力し、国家戦略として世界各地で
大々的なイベントを開催しているのだ。
こうしてK–POPは、韓国政府の大きな後ろ盾のおかげで、中小の
芸能事務所でも海外で挑戦できるようになり、大手の事務所では
より大規模事業が展開できるようになったのだ。
ともあれ、韓国政府の大々的かつ細やかな支援政策が、海外で
戦略的に盛り上げたためK–POPの世界的ブームが
起きたともいえるだろう。
私自身もソウルにいて、韓国のエンターテイメント業界に
出入りしながらこの経緯を見ていたが、日本ではとても考えられない
巨額の公的資金が投入され、業界全体が湧きたつような状況だった。
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コン・ユ、シナリオを読んで泣いた

2019-10-06 | 「コン・ユ」ドラマ・映画・情報記事

コン・ユが映画『82年生まれ、キム・ジヨン』の脚本を
読んで泣いたのはなぜ?
映画『82年生まれ、キム・ジヨン』は2016年に発刊されて
韓国で100万部以上が売れた同名の小説が原作だ。
この小説は、韓国社会で女性が背負う重圧を表現していたが、
映画は原作小説の骨子を受け継いで制作されている。
チョン・ユミが演じるキム・ジヨンは平凡な人生を
歩んでいたが、ある時を境に過去の体験に苦しめられて
如実に変化していく。
その夫のチョン・デヒョンを演じるのがコン・ユで、
妻のこれまでの生き方を理解して一緒に苦悩を分かち
合おうとする。
チョン・デヒョンを演じるコン・ユ。
制作発表会では、キム・ドヨン監督と呼吸がよく合ったことを
強調していた。
「監督は長い間演技をされた方であり、俳優の観点を
よくわかっていらっしゃいます。簡潔に話をされるので、
私たちもよく理解できました」
コン・ユはこう語って、キム・ドヨン監督のスタイルを
称賛していた。
さらに、注目を集めたのが次の発言だ。
「シナリオを初めて読んだときには、家族のことを思い、
かなり泣きました。特に母のことが多く思い出され、
電話をかけて“子供を育てるときに苦労したでしょ”と
声をかけました」
コン・ユは俳優として演技をしながら、この映画が描く
家族関係を自分のことのように捉えていた。
シナリオを読んで泣いた、というコン・ユがどんな演技を
披露してくれるのか。大いに興味をかきたてられる。
(文=康 熙奉/カン・ヒボン)

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