ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

潜水艦「レクィン」〜”パンプキンパイコースに針路を取れ”

2024-02-26 | 軍艦

カーネギーサイエンスセンターで展示公開されている、
第二次世界大戦終戦直前に就役した潜水艦「レクィン」内部ツァーです。


前回はこの艦内区画の9番にあるコントロールルームと、
その出口にあるレイディオ・シャック(通信室)を見ました。



ここで次のコンパートメントに移動します。
今日は2番であるメスデッキ、乗員食堂をご案内します。

この楕円形のコンパートメント間のハッチですが、
もちろん水密ドアが設置され、いざとなるとそれは閉じられました。



左に見えているのがコンパートメントドアです。
次の区画に入るとすぐに右手(左舷側)にゴミ捨て用のハッチがあります。

これは直接外と繋がっているため、開閉には細心の注意が必要でした。
ハッチの蓋には、

「開ける前に必ず説明書を読むこと」

と書いてあります。



ここは乗組員全員の胃袋を満たすための調理を行うギャレーです。
ここにくるととたんに展示にやる気というか、工夫が見られます。



ミートミンスミキサー(肉をミンチにする機械)と、手前には
アメリカのキッチンでは欠かせないブレンダーがあります。

ブレンダーはキッチンエイド製品だとターゲットなどで2〜30ドルで買えます。
単純な機構なので、値段もトースター並みに安いのかと。

棚の上にはハインツの「スィートレリッシュ」の缶詰が見えます。

レリッシュというのは薬味というか、日本だと漬物的位置の添え物で、
みじん切りにしたきゅうりのピクルスのことを指し、
アメリカ人はこれをホットドッグなどに付けて食します。

ピッツバーグはハインツの発祥の地であり、現在も
最初のハインツの工場が残っていますが(現在はアパートになっている)
ここでハインツ製品が強調されている理由はそれだけでなく、
ここピッツバーグに「レクィン」を運んでこられたのも、
ハインツ創業者ヘンリー・ハインツの孫である上院議員、

ジョン・ハインツ3世 Henry John Heinz III 1938-1991

の尽力があったからです。


コーンスターチはとろみをつけたりお菓子の材料にしたりします。
その向こうの「ポッパーズ・チョイス」というのを調べると、

コーン油(弾力性と低飽和度)とココナッツ油(味とサクサク感)
を独自にブレンドした非分離、非水素添加のポッピングオイル
ココナッツ・オイル(味とサクサク感)が独自にブレンドされている

ポッパーズ・チョイスは、コレステロールを含まず、
ココナッツ・オイルよりも飽和脂肪酸が55%低い

原材料 大豆油、ココナッツオイル、ベータカロチン(着色料)、
ナチュラル&ノンオイル

ということらしいのですが、これを調理に使っていたんでしょうか。



それにしても手前のチョコレートメレンゲパイ美味しそう・・・。
左の茶色い袋は海軍でローストしたオリジナルコーヒー入り。

「ネイビークロージング」がコーヒー?と不思議ですが、
ブルックリンには昔からブルックリンネイビーヤードというのがあり、
現在もここでは海軍公式グッズを販売しています。

Brooklyn Navy Yard

床に転がっている白い袋はブラウンシュガー入り。
海軍でも健康志向で精白砂糖は避ける傾向にあるのでしょうか。



日本の鉄板焼きレストランなら、この一切れが四人分になって出てきそう。
手前の「モートンソルト」ですが、現在でもアメリカで食用を始め、

工業、農業用から道路用の塩を販売しているシカゴ本社の会社です。



アメリカで最もよく知られた10代広告のうちの一つ、
モートン・ソルトのロゴ「モートンガール」。

ところで、このステーキを焼いている鉄板なのですが、



これは本稿を作成しているとき住んでいたAirbnbのキッチンコンロで、

真ん中の鉄板部分を

プランチャPlancha

というらしいです。


真ん中の部分を火を下ろした鍋類を置くためのものだと思っていましたが、
MKに言われてこの下にバーナーがあるのを知りました。


一般家庭にも時々あるこのシステム、一度にたくさんステーキを焼く
潜水艦のギャレーなら常備しておくべきかもしれません。



床のグレーチングごしに階下の様子が見えます。



ここはコールド・ストレージ / パントリー、冷蔵庫と食品庫です。
ここには哨戒中に必要な食料品が4.5トンの量貯蔵されていました。



■「針路を”デザートコース”に取れ」

パイが登場したところで、余談です。

「 荒れた海を通過することは、
レーダーピケット潜水艦の操舵を容易にするだけでなく、
潜水艦のパン焼き係の寿命が延びる

何その風が吹けば桶屋が儲かる的な?逸話。
この話は艦内の掲示板に書かれていました。

この好例は我が「レクィン」で起こりました。

ある晩「マンブレース作戦」に参加中のピケット潜水艦「レクィン」、
嵐の中、大西洋で海上を任務哨戒していたときのことです。

パン焼きのチャールズ・ベドウェルは、そのとき潜水艦の小さな調理室で
パンプキンパイを焼こうとしていたのですが、
パイをオーブンに入れるのと同じ速さで潜水艦が荒れた海の中を転がるので、
中身が詰まったパイの中身は全て床にぶちまけられてしまいました。

彼がパイ焼きを諦めかけたとき、艦長がコーヒーを飲みにやって来ました。
そしてパン焼き係の窮状を見て、ブリッジの当直士官に、
ただちに潜水艦の針路を変更するよう指示を出したのでした。

って作戦はもうええんかい。

変更されたあとの針路は「パンプキンパイコース」

または「デザートコース」と呼ばれることになり、
ベドウェルはもちろん、乗組員全員が幸せになりましたとさ。

どっとはらい。


■ クルーズ・メス



クルーズメスのテーブルはこの4つだけです。
一度に座って食事ができるのは24名、ということですから、
一つの椅子に男三人が腰掛けるということですか。

まあ、潜水艦勤務の男たちは基本スマートなので座れるでしょうけど。

テーブルにはバックギャモンなどゲームの面がプリントされていて、
彼らはここで食事、休憩、映画鑑賞の時間を過ごしました。


メスとギャレーの間にはここにも受け渡し窓があります。
棚の上にはスポンサーのハインツ缶詰がずらり。
アップルソース、トマトケチャップ、アプリコット、ビーツの缶が
まるで商品見本のように並んでいます。


カウンターにはトースターと並んで映写機がセッティングされています。
今日はムービーナイトですか。


ところでまじまじと見ても何かわからなかったのがカウンター横のこれ。
アルファベットと数字の組み合わせでウィンドウの中の何かを選ぶようです。
もしかしたらジュークボックス的な?



その下にはかつての「レクィン」で乗組員が休憩時間を過ごしている写真が。


こちらの二人はトランプ、向こうの二人はゲーム盤で対戦しています。
右側に積み上げられたパンとコーヒー豆がリアル。



壁には自衛隊でも見られる艦マークの盾、
ブルティン(コルクですが)ボードには今は写真しか貼ってありません。



通信が来た時のためのヘッドフォン、そして据え付けられた時計は
通常のものとちがい、24時間時計となっています。
窓のない潜水艦は昼と夜を太陽で確認することができないので、
灯りの色でそれを表しますが、さらにこれがあるとわかりやすいですね。



盾は基本的に交換することによってコレクションされます。

上左から:
SS257/ SS568「ハーダー」
SS481「レクィン」
SS555「ドルフィン」

下左から;
SSBN64「ベンジャミン・フランクリン」
SSN615「ガトー」
SS34「クラマゴア」(Clamagore)

このほかにも、カウンターの横には

SSN720「ピッツバーグ」
SS41「バップ・ドス・デ・マヨ」(BAP Dos de Mayo)

の盾があります。
バップ「ドス・デ・マヨ」は聞いたことがありませんでしたが、
ペルー海軍がエレクトリック・ボート社に発注した潜水艦です。

ドス・デ・マヨという名前は、スペイン・南米戦争中の1866年に
カヤオで戦われた同名の戦いの勝利に敬意を表して命名されました。



ボードに貼られた写真も見ていきましょう。

「レクィン」甲板での乗員記念写真は、士官以外全員が砲の上。
下の写真は艦長の離任式でしょうか。
絵葉書にはフロリダのどこかの港が描かれています。


右:サインがあるのでおそらく女優のプロマイド
左:甲板での一シーン。カラーなので1960年以降でしょうか。


右はこれも女優かな。
左はファミリーデイか何かで、かーちゃんと嫁(妹かも)
が潜水艦見学をしにきた時の記念写真でしょう。

こういうときに、潜水艦乗員は彼女らのことを

スナッチ・イン・ザ・ハウス(Snatch in the house)
=潜水艦に乗船している女性


と呼ぶということは先日スラング集で書きましたが、当時の女性は
こんなときにもスカートを履いていたので、ハッチから降りてくる時、
ハッチ下に「走り出す」輩が「レクィン」にいなかったことを願うばかりです。





甲板にやってきたお客様。



溺者救助の方法は誰にでもわかるところに常備です。


続く。



潜水艦「レクィン」〜コードネームは”ロケットウルフ”

2024-02-18 | 軍艦

ピッツバーグのカーネギーサイエンスセンターに展示されている
潜水艦「レクィン」の艦内ツァーシリーズ続きです。
前回、士官区画までをご紹介してきました。



「シルバーサイズ」のときも言及しましたが、「レクィン」のバッテリーも
この士官居住区画、オフィサーカントリーの床下に設置されています。
士官居住区は12番、バッテリー室は10番。
バッテリー室には126個の鉛蓄電池が保管されていました。



さて、オフィサーズ・カントリーから次のコンパートメントに移ります。
区画間のハッチは、Uボートもそうだったように分厚い円筒形の者が多く、
通過するには身を屈めてくぐっていくわけですが、「レクィン」は
ご覧のように縦長の楕円で一般見学客にも「優しい」作りとなっています。

■ コントロールルーム


このコンパートメントは潜望鏡が通るセイルの下部分です。


この図の9番に当たります。
コントロールルームを一言で言うと、

「メイン・ジャイロコンパスとその周りに
潜水と浮上コントロール装置がある場所」

ということになろうかと思います。

■ ハル・オープニングとベント・フラッド警告灯


先ほどの部分とその天井部分です。



SALT WATER DEPTH TO KEEL
SP. GR. OF SEA WATER
1.025

とあります。
まず、Depth to Keel(キール深度)とは、
水面から船舶のキール(最も深い部分)までの水深(または喫水)のこと。
キールは、一般的に定義された測定基準点です。

しかし、潜水艦であるこの艦の場合、その数字が意味を持つのは
海上航走している時だけと言うことになるのですが・・・。

それからSP.GRというのは、Specific Gravityを意味すると推察します。
物体の比重を水の密度で割ったもので、水の密度は1mあたり1,000kg。

というわけで、海水の比重は1.025ということが表記されています。



上の段のランプは、外に向かって開かれるハッチやドアが
潜航の際水密されているかを確認するためのランプで、

HULL OPENINGS

と言う文字が刻まれています。
この確認ランプは現在も生きていて、ブリッジのハッチ、
メインハッチがオープンであとはクローズされていると表示されています。

下の

VENTS(ベント)

は当たり前ですが全てシャットされています。
今更言うまでもないですが、潜水艦は潜航する際ベント弁を開きます。
ベントはメインタンク内部空気排出を行い、
メインタンク下部の海水注入用の穴(フラッドホール)から海水が入り、
船体浮力が低下して艦が沈下を開始するので、今開いていると困ります。

フラッドホールが閉じているかを示すため、右側に

FLOOD(フラッド)

のランプがあります。


その隣の壁面の機器も見ていきましょう。



下はアンプで上には
DELAY
COARSE-OUT
FINE-IN
と操作するダイヤルがある機器です。
製造番号が写っていないので判明しませんが、

ナビゲーター、有資格の修理技術者、または上記のいずれかによって
認可された者以外は、この機器を取り扱わないでください。


と緑のテプラで警告がされているので、
かなり専門的な知識が必要な操作を要するものかもしれません。

それらの乗っているシルバーのロッカーの中には、
小さな武器(小銃など)が収納されているようです。



エンジンテレグラフです。
これはメインのものではなく、艦内各所にあるものの一つで、
この区域の左舷に設置されています。


操舵のアングルをモニターする機器です。

この針が触れている方向に舵が切られているということになり、
現在の「レクィン」はほんのわずか左に舵を切っています。
35以上の数字がないのにちょっと驚きました。

モニターの上の二つの機器はそれぞれ左と右を示しますが、
0から3000までの数字の意味はわかりませんでした。



左は速度計、右はどの方向に進んでいるかを示す磁石、
下の赤いランプはそのままステアリングギアのオンを表します。


潜望鏡が貫通している中心部。
垂直のラッタルは上階のコニングタワーに行くためのものです。



写真を撮っているときは気づかなかったのですが、
ここで初めて艦内の説明版らしきものが出てきました。

ここはコントロールルームで、潜航と浮上に関する装置があり、
この上には司令塔、コニングタワーがあると書かれています。


ラッタルの向こうがステアリングです。

当たり前のことを今更と言う感じですが、水中で舵を切るには、
潜水艦の尾部舵を使って左舷(右)または右舷(左)に旋回します。

操舵手のことを英語でプレーンズマンといいます。
操舵は二人のプレーンズマンがここプレーンズステーションに常駐し、
上下左右の動きを指示するプレーンと舵を速度に合わせて調整します。


ラッタルの横の部分は天井からいろいろと
ものものしいものが迫り出しています。


丁寧に写真を撮っていたら前の人との間がずんずん開いていくのだった。


この階の下の灯りがついていました。



そうなると何があるか見たいのが人情というもの。
潜水艦の井戸がある部分ですから、何かあるはずですが・・・。



前の人を追いかけながら適当に壁を撮るとこんな写真になります。

何が撮りたかったんだって感じですね。


高圧電気の機器(アンプなど)が収納されている部分。
剥き出しになっていると危険なので、まるで金庫のような表面です。



唯一扉のあるコンパートメント、それがレイディオシャックです。
通信室はボートにとって最も重要な情報をもたらすため、
どんな潜水艦でも必ずコントロールルームの近くにあります。

このガラス戸にはここに「レクィン」のコードネームが

ROCKET WOLF(ロケットウルフ)

であることがかかれています。
ロケットウルフか・・・当時はかっこいい響きだったんだろうな。

この無線室は現在でも稼働しています。


コードネームロケットウルフで通信しているのかな。


現在でも現役で稼働中のレイディオ・シャック。
ということは、通信機器は完璧にインストールされているということです。

どんな人がここで通信を行なっているのでしょうか。

検索していたら、昔「レクィン」の通信士だった人が、
大型掲示板のようなところでこんな書き込みをしていました。

The Requin's call sign during my time aboard was ROCKET WOLF....
(We operated with Cutlass whose call sign was CABBAGE...
"Cabbage, Cabbage this is Rocket Wolf, Rocket Wolf...
How do you read me? OVER."


カットラス(戦闘機)のコールサインが「キャベツ」だったので、

「キャベツキャベツ、こちらロケットウルフロケットウルフ、
聞こえますか?オーバー」


とかやりとりをしていたという、まあそれだけの話ですが。



さすがに現役の無線室なので、機器は海軍工廠製ではなく、
普通に民間のトランスミッターなどが装備されています。



NY3ECという番号がわかっていたら通信できる、ってことですか?
アマチュア無線をされる方がおられたらぜひ(って何話すんだ)

https://www.facebook.com/radiocronache/posts/the-ny3ec-station-on-the-uss-requin-ss481-submarine-1945-1968-in-csc-pittsburgh-/1429822994020800/

どうもこの人↑はアマチュア無線愛好家らしい

また、別の書き込みによると、

「NAQCCは水曜日にRequinをアクティベートします。
7.041、10.117、14.061 +/- qrmで彼らを探して下さい。
午前10時頃開始予定。」

ということでした。


続く。






USS「レクィン」〜初代艦長カッター中佐とオリンピック作戦

2024-02-16 | 軍艦

カーネギーサイエンスセンターで公開されている潜水艦、
USS「レクィン」の内部に潜入しております。

前回まで入艦したところにあった前部魚雷発射室と、
それから士官食堂などをご紹介してきたわけですが、
ここであらためて「レクィン」という艦名について説明をします。



USS「Requin」(SS/SSR/AGSS/IXSS-481)

■ Requinの発音

実はこのrequinはどう発音するのが正確なのか当初悩んだのですが、
ˈreɪkwɪn
とわざわざwikiに記してありました。
できるだけ正確なのは ɪ を「フェイス」のように発音するため
「レィクィン」となり、日本語の「レクィン」とちょっと違います。

それにしても、この響き、英語っぽくないというか、もしかして?
と思ったら、やはりフランス語の「サメ」を表す単語でした。

これはアメリカ海軍の艦船名で唯一フランス語が採用された例だそうです。

なぜアメリカ海軍がフランス語の「サメ」を使ったのか?
その理由はちょっと検索したくらいではでてきませんでしたが、
フランスには1794年から同名の軍艦が何隻か存在します。

最新のものは「Narval」級潜水艦の4番艦である、
S634「Requin」で、1958年から1985年まで現役でした。
ちなみにこの「ナヴァル」はイッカクで、S633「Dauphin」イルカ、
S637「Espadon」メカジキなど、同級は海洋生物の名前が命名基準です。

しかし、フランス語だとRが喉の奥から出す特殊な音なので
「requin」の発音は「ホキン」「ホイキン」に聞こえます。

日本語のウィキだと「レクィン」になっているので、
今後も当ブログではこれでいくことにします。

■ 建造と初代艦長カッター中佐

「レクィン」のキールは1944年8月24日、
メイン州キッタリーのポーツマス海軍工廠で打ち下ろされました。

進水は1945年1月1日スレード・D・カッター夫人のスポンサーにより行われ、
1945年4月28日にスレード・D・カッター中佐の指揮のもと就役。

これとても珍しいパターンですね。

スポンサーというのはつまり進水式の時にシャンパンの瓶を割る女性で、
大抵が地元政治家の妻とか、関係した財界の大物の妻が務めるのですが、
同姓同名の別人でなければ、艤装艦長夫人がスポンサーになったのです。

発注が1943年6月、起工(キールレイド)がわずかその2ヶ月後で、
進水式は起工後わずか4ヶ月後という「戦時生産モード」だったので、
こう言っては何ですが、適当な人材が見つからなかったのかもしれません。

もっとも「レクィン」の艤装・初代艦長に任命されたカッター中佐は、
ただの?艦長ではなく、おそらく最も勲章を受けた、
潜水艦指揮官の一人であったことから夫人が選ばれた可能性もあります。


スレイド・デヴィル・カッター(アナポリス時代)1911-2005
デヴィルはdevilではなくDevilleなので念のため

は、4つの海軍十字章を授与されたアメリカ海軍将校です。
第二次世界大戦における日本軍艦船撃沈数では第2位タイでした。

海軍兵学校ではアメリカンフットボールのオールアメリカン選手で、
かつ大学ボクシングのチャンピオンだったということです。


因縁のネイビーアーミーゲームでゴールを決めた瞬間のカッター

■最初の哨戒で味方からの攻撃を受ける

卒業後潜水艦士官としてのキャリアを始めたカッターは、
1941年12月18日、USS「ポンパノ」(SS-181)の副長として
最初の戦時哨戒に出るため真珠湾を出港しました。

この11日前、真珠湾攻撃があり、日米は開戦していたこともあって、
米軍の警戒体制はマックスだったわけですが、隠密行動が基本の潜水艦は
ピリついた米軍の哨戒機に敵と認識され、攻撃されただけでなく、
USS「エンタープライズ」(CV-6)から急降下爆撃機を呼び寄せられ、
「ポンパノ」は燃料タンクが破裂するまで攻撃されることに・・・。

こういう事態になったらこの頃の潜水艦はもうお手上げです。
自分が味方であることを哨戒機に伝える手立てがありませんから。
それではどうしたかというと、逃げました。

とにかく逃げ切って運良く味方に沈められることも、自軍の潜水艦を
撃沈してしまった哨戒機のパイロットが軍事法廷に立つ事態も防ぎました。

そしてそのままマーシャル諸島まで怒りに任せて爆進し、
その怒りを思いっきり敵である日本軍にぶつけました。

その結果、16,000トンの日本輸送船が4本の魚雷で攻撃され、
帝国海軍の駆逐艦が魚雷攻撃を受けましたが、何しろ「ポンパノ」は
急爆に壊されたオイルタンクから燃料が容赦なく排出されていたこともあり、
有効な戦果には結び付かなかったというのが戦後わかっています。

副長時代、「ポンパノ」は日本海域での哨戒で爆雷を受け、
一旦沈没するも何とか生還するという経験もしています。

■「シーホース」での活躍と海軍十字賞

次にカッターはUSS「シーホース」の副長に任命されますが、
艦長のマクレガーが積極性を欠く指揮だったとして
ロックウッド潜水艦司令に解任されたため、急遽艦長に昇任しました。

「シーホース」での哨戒でカッターは通算3回の海軍十字賞を受け、
潜水艦指揮官としての名声を得ることになります。

また、「シーホース」は5回目の哨戒で1944年6月13日に
戦艦「大和」と「武蔵」を中心とする日本の戦闘群を発見しています。
これは、遠くから発見したため接触はしていないが、
定期的な報告を本隊に送り続けたということのようです。

このときのレイテ沖海戦では「武蔵」「扶桑」「山城」の戦艦と
「瑞鶴」「瑞鳳」「千歳」「千代田」の航空母艦、
「愛宕」「摩耶」「鳥海」「最上」等巡洋艦、駆逐艦、潜水艦が沈みました。

■ 艦長室と士官寝室


さて、ここでカッター中佐も居住した、オフィサーズアイランドの艦長室、
士官寝室などの写真を見ていきましょう。

ただし、何度も言うようですがカーネギーサイエンスセンターは
コンパートメントの解説板などを全く設置していないので、
必ずしも正確であるとは限りませんので一応念のため。

このハンガーにも士官のジャケットやコートがかかっていますが、
パッと見ただけでも少佐のと大尉のが混在しており、
割と適当に雰囲気で並べただけのものであることがわかります。



士官寝室なので、少佐と大尉が同居していたという可能性もありますが、
それにしても同じクローゼットに他人の服を混在させないだろうっていう。



このコンパートメントはベッドが3段。


洗面用ボウルは収納式ですが、ここでは開けて見せてくれています。


金色の物々しいプレートには「ベッドに上がらないでください」と注意書き。
かつてベッドの占有者の名前入りのプレートが貼られていた可能性も微レ存。


そしてこれが艦長室です。

初代艦長カッター中佐以降、27年間の就役期間に、
ここは18名の指揮官の住処となりました。



これは、シナボン
アメリカではモールや空港に必ず出店して、周りに独特の香りを撒き散らす
お馴染みのシナモンロールのチェーン店ですが、わたしはいまだに

日本では横須賀米軍基地の中でしか見たことがありません。



多くの指揮官がいても、「レクィン」にとっては
初代艦長カッター中佐の存在はとても大きなものらしく・・・。


ベッドの枕元に挟まれたさりげない写真も、いかにもカッター中佐の
アナポリス時代を思わせるものになっています。

■カッター中佐「レクィン」艦長に就任


就役当日の「レクィン」甲板にいる艦長(左から二人目)以下士官たち
艦長でかすぎ(さすが元アメフト選手)

「シーホース」の4回目の哨戒と休養休暇の後、
カッターは新造USS「レクィン」(SS-481)の指揮官に任命されました。
前述のように同艦のスポンサーとなったのが妻のフランでした。

どうして新造艦の艦長にカッターが選ばれたかについては後述しますが、
結論からいうと、「レクィン」が就役後、最初の哨戒に出発し、
帰ってきた(1945年7月)直後に戦争は終わってしまいました。

カッターの現役潜水艦指揮キャリアはここでストップすることになります。


◼︎オリンピック作戦とコロネット作戦

なぜ潜水艦隊はこの時期の新造艦「レクィン」の指揮官に
スレード・カッターを選んだのか。

それは、アメリカが九州侵攻作戦「オペレーション・オリンピック」
本州侵攻作戦「オペレーション・コロネット」を想定していたからでした。

当ブログでも過去この本土侵攻作戦について触れたことがありますが、
これは言い換えればアメリカが日本という国との戦争でいかに手こずり、
戦争を終わらす為に手段を選ばないところまで追い詰められたかの証左です。

たとえば硫黄島では、アメリカ軍は日本軍を倒すのに4週間かかり、
予想を遥かに上回る3万人近くの死傷者を出し、
沖縄戦は太平洋における戦争の中で最も激しい戦いの一つになりました。

そこで米軍は官民一体となった日本の抵抗と特攻隊に苦しめられ、
約12週間にわたる戦闘のあげく、5万人近い死傷者を出しました。

これに対し、日本軍の死傷者は約9万人、民間人の犠牲は
少なくとも10万人を超えるとされています。

そしてアメリカは沖縄を日本本土侵攻の「予行演習」と考えていました。



本番の第 1 フェーズ、「オリンピック」は1945年10月下旬に予定され、
作戦規模はノルマンディー上陸作戦と同等となる予定でした。


このとき見積もられていたアメリカ軍負傷者は13万2,000人、死者は4万人。

第 2フェーズ、「コロネット」作戦では、1946年春に東京近くに上陸し、
年末までに日本軍を降伏させることを構想しており、
この作戦の予測死傷者数は 9万人とされていました。

アメリカがそれほどの犠牲を覚悟してでも作戦を遂行させたかった理由は、
もちろん、何としても早く戦争を終わらせたかったからですが、
しかしながら、ワシントンが入手したいかなる証拠をもってしても、
日本が最後の一人まで戦うつもりであることを示していたので
本土上陸はほとんど「最終作戦」として起案されたのでした。

ただし、

「日本は決して降伏しない」

と考えられていた、と書きましたが、実際は、ソ連の侵攻を受けて
ご存知のように日本政府は交渉の開始を模索し始めています。

その情報を受けてアメリカは、本土上陸をせずに戦争が終わることを察知し、
かわりに?終戦に向けて(人体実験としての)原子爆弾投下に踏み切った、
というのが現在のところ通説となっていますね。





ともあれ、この作戦に潜水艦隊も、優秀な司令官の率いる潜水艦を
参加させるという流れとなり、その上で「レクィン」艦長に選ばれたのが
3回の海軍十字賞を受けたカッター中佐だったというわけです。

就役当初から「レクィン」は5インチ(127ミリ)/25口径甲板砲を1門、
24連装5インチ(127ミリ)ロケットランチャーを2基搭載しており、
これは艦隊潜水艦としては通常より重い兵装とされました。

それも、彼女が最初からオリンピック作戦とコロネット作戦で
日本本土を砲撃することを想定していたから、とされます。


■ スレイド・カッター艦長について

最後に、カッター艦長個人の指揮官としての戦績を記します。

他のトップスキッパー(艦長)との比較 /ランキング2位
哨戒回数 4回
撃沈成績 21隻/142,300トン
JANAC(戦後の日本側の喪失と照らし合わせた撃沈)
19隻 / 71,729トン

ちなみにカッターは上官にも反抗的な態度を取る人物で、
上から可愛がられるようなタイプではなかったため、
そのことが後方提督への昇進を妨げたと言う話があります。

特に物議を醸したのは、最初の原子力潜水艦、
USS「ノーチラス」(SSN-571)「厳密には実験船だ」とディスり、
ハイマン・リッコーヴァー提督を激怒させた件だったとか。

カッター・・・・無茶しやがって・・・(AA略)


戦後、カッターは潜水艦第32師団を指揮し、
その後、潜水艦第6戦隊、油井船USS「ネオショー」(AO-143)
重巡洋艦USS「ノーサンプトン」(CLC-1)を指揮。

そのあとは何と、海軍兵学校のフットボールコーチになりました。

かつて彼がフットボールとボクシングの名選手であったことと、
戦時中の英雄として有名であったことが、この任務の多くを助けました。

海軍での現役最後の任務は、ワシントンの海軍歴史展示センター長でした。

1965年に現役を引退し、最初の妻と死に別れてから
1982年、70歳にして再婚しています。

2005年アナポリスのリタイアメント・コミュニティで死去、享年93歳。
米国海軍兵学校墓地に葬られました。


続く。





潜水艦「レクィン」に乗艦!〜前部魚雷発射室と士官食堂

2024-02-04 | 軍艦

さて、ピッツバーグのカーネギー科学博物館に展示係留されている
潜水艦「レクィン」のゲートを通り、甲板に上がります。



まずは桟橋からこれから乗り込む「レクィン」の姿を撮影だ。
甲板には見学者の通路として、細い柵が設置されています。


USS「レクィン」SS-481

ユニークな潜入体験!

私たちの潜水艦は特別な空間であり、真の歴史的遺物です。
あなたの安全とこの艦の保存のために、次のことを行ってください。

 • 慎重に歩きます。床が濡れていると滑りやすくなる場合があります。
 • 装備に注意しながらゆっくりと進みます。 
• 特に階段では足元に注意してください。
・ご搭乗前に食べ物と飲み物をすべて済ませてください。

⬅️入艦はこちらから!


艦体に到達するまでに、艦尾の写真も抜かりなく一枚。
艦首から入り、艦尾から出てくる見学通路のようです。


甲板上に設けられた通路は大変狭く、両手で手すりが掴めるかどうかくらい。


甲板デッキの木材は一度は張り替えられたように見えます。


甲板から見たサイエンスセンターの建物。


セイルに突き当たってその右側を進んでいきます。



ここですかさずセイル根本のライトに注目。



ガラス?に覆われているのは電球本体だけというのにちょっとびっくり。
干渉を受けにくい構造ではありますが、てっきり外側に
ガラスがあるものと思っていました。

ところでこの電球、もし切れたらどうやって交換するんでしょうか。


セイルの右舷側を通り過ぎます。


写真を撮っていたら、すぐ前にいた赤Tシャツ父さんがいなくなり、
その代わりに初老の夫婦がいました。
赤T父さんは子連れだったので、先に入館させてもらったのかもしれません。



セイルの前に来たので、振り返って構造物全体を撮影。
アップにしてみると塗装の択れがすごい。
下地を整えずそのまま上からペイントしているので、こうなってしまった模様。


艦首部分に、見学用の階段が設置されています。
小さな子供はこの階段は降りられないので、パパが抱っこして。


「レクィン」の艦首はピッツバーグの都心部に向けられています。
ちょうど彼女の向かう方向にある、先端にお城のような飾りのあるビルは、
他でもない、塗装を手がけたPPG本社のあるワン・PPGプレイス

艦首が大スポンサーのビルに向いていることは決して偶然ではないでしょう。

その左手の黒っぽいビルはこの一角でで一番高いビル(64階建)
その名もピッツバーグらしい、USスティールタワーです。



博物艦として保存されているすべての潜水艦は、見学者のために
手すり付きの階段を改造して設置しています。

就役中の潜水艦にはもちろんこんな悠長な出入り口はありませんが、
「ダウン・ペリスコープ」(イン・ザ・ネイビー)という映画では、
乗組員がここからゾロゾロ出てきてびっくり、ということがありました。

海軍リクルートのテーマソング(インザネイビー)を主題歌にしていましたが、
そこまで軍事考証(というほどのものなのか)はちゃんとしてません。

さて、というわけで、いつものように見学列の最後尾から入艦です。



入ったばかりはカメラの設定を変えられないので画像ボケてます。
魚雷室勤務の乗組員が寝ていたバンクが階段脇にもあります。


階段を降りるとそこはフォワード トルピードルーム、全部魚雷発射室です。
4基の魚雷発射管のうち、左上のハッチが開けられ、
これから装填される予定の魚雷が左上に用意されている状態。


発射管室床下の機構をアクリルガラス張りにして見ることができました。

全部魚雷発射室には発射管が6基あります。
アクリル板の下に見えているのは、この床の下にある2基の発射管機構です。

時間があれば内部の写真を撮りたかったのですが、
見学の列がスタスタと先に行ってしまったのでできませんでした。

乗艦から下艦まで20分って短すぎない?
ちなみに添乗員?はほとんど何の知識もなく説明もしてくれませんでした。
もしかしたら近くにいる人には説明があったのかもしれません。

階段を降りて魚雷発射管を見たら、ツァーはUターンし、
艦尾に向かって進んでいきます。



壁際で目を引いたのがたくさんの缶詰。
ディスプレイ用ですのでラベルなどがありませんが、すべて保存食です。
実際の潜水艦が哨戒に出る時は隙間なく食料が搭載されていました。
ある程度哨戒が進んで食べ物が消費されるまでは、
乗組員はただでさえ狭い空間で不自由な生活を余儀なくされました。



唐突に洗面台(収納式)。
こんなにいきなり洗面関係の設備が出てきた潜水艦は初めてです。


年季の入った椅子。



一人用のシャワールームです。

ということはこのコンパートメントはオフィサーズカントリーですね。
「シルバーサイズ」もそういえば艦首近くに士官区画がありました。

扉はあったはずですが(そりゃそうだ)、
展示のために取り外されています。


「シルバーサイズ」もそうでしたが、士官用のシャワーは
前部魚雷発射室の後ろ寄りにあります。

「レクィン」の10人の士官と5人の上級下士官のための区間には
ステート(stater)ルーム、パントリー、ワードルーム、オフィスがあります。



まずオフィス。
壁には「誰かが迂闊に話せば船が沈む」という防諜ポスターがあります。



書類などを収納するデスクがあるので、ヨーマンズ オフィスかもしれません。
ところで奥の書類引き出しは果たして開けることができるのでしょうか。



士官用のパントリーです。
ここでは士官と上級下士官のための食事を用意していました。



パントリーにトースターやその他什器などの展示はなし。
説明のためのパネルもなし。
一般人が見学した時に、ちょっとこれは不親切かもしれません。

運営保全しているのがボランティアの団体か、そうでないかの違いでしょうか。
カーネギーサイエンスセンターはそこまで面倒みません的な。



こちらもオフィスです。
おそらく艦長の部屋ではないでしょう。



このスチール製の棚には、何か機器がインストールされていたと思われます。
復元をしようという気がまったくないので、それが何だったかもわかりません。



士官用ダイニングルームです。



ダイニングルームとパントリーの間には窓があって、
ここから食事などを提供していたようです。



窓の反対側の壁には艦内電話。



潜水艦であっても士官用に陶器の食器、シルバーが搭載されています。
空母だろうが潜水艦だろうが、士官の待遇に違いがあってはなりませんから。

その「待遇」を象徴するひとつが、おそらく食器なのでしょう。

シルバーはご存じのように、手入れが行き届いていないとすぐにくすみ、
それを磨くことがバトラーとかカリスマ主婦に必須というくらい面倒ですが、
アメリカ海軍のどの軍艦にもこのシルバー類は装備されていました。



士官食堂のテーブルをよくみると・・・これなんだろう。
こんなところにあるスイッチって、鉄板焼きの火力調整くらいだけど・・。

さらによく見ると、テーブルの両端にスリットと紙を巻き取るローラーが。
これは地図を見るためのチャートデスクだと思いませんか?

士官食堂の机はよく緊急時の手術台に使われますが、
ここには確か手術用の無影灯は設置されていなかった気がします。



シルバーの上にはお風呂用のアヒルさん(セーラー服)が待機していました。

続く。



USS「レクィン」公開再開!

2024-02-02 | 軍艦

今日から新シリーズ、USS「レクィン」を始めます。

ピッツバーグの中心を流れるオハイオ川沿いに係留され、
カーネギーサイエンスセンターの展示の一つとして公開されている潜水艦。

わたしがピッツバーグを訪れるようになってすぐその存在を知り、
コロナ流行真っ最中に外側だけを見学してきたわけですが、
ピッツバーグ最後の年にようやく内部ツァーが再開されていたので、
ここで紹介するために突撃してまいりました。



カーネギーサイエンスセンターと「レクィン」が係留されている河岸の間には
普通に川沿いの遊歩道が横たわっており、
そこを通る人は誰でも潜水艦の姿を間近に観ることができます。



遊歩道側からも博物館への入場は可能となっており、
チケットセンターにもそのままアクセスできるというおおらかさ。



潜水艦の位置からオハイオ川の向こう岸を見ると、
ピッツバーグ名物のケーブルカーがちょうど上下行き交うところでした。


前にも書きましたが、昔は斜面の下と上を繋ぐ近道として、
「ピッツバーグ・ダッチ」と呼ばれるドイツ系移民が敷設した交通機関です。
そういえばザルツブルグにも全く同じようなケーブルカーがあったなあ。

誰もが車を持っている今日では輸送手段というよりも
歴史的な構造物として後世に残されています。



今ではピッツバーグといえば橋とケーブルカー、というくらい、
はっきりいって他にはわりとなにもないところなので、
これを保存し、シンボルにしたのはある意味英断だったかもしれません。


川沿いに切り立った斜面の上は住宅街になっています。
このとんでもなく目立つところに看板を作った「アイアンシティ ビール」は、
景観を損ねているという理由で訴えられたそうですが、
結局裁判に勝って、看板を残す権利を得ました。

ただ、言わせてもらえばこの看板のデザインが悪すぎ。
もう少しいい感じだったら文句は出なかったんじゃないかという気がします。

というわけで「レクィン」のセイル部分を拡大。



ご存知のように、潜水艦の潜望鏡には、攻撃用と捜索用があります。

この写真の左側が捜索用で、先細りの方が攻撃用だと思われます。
そう思った理由は、捜索能力重視の捜索用は大きく、
いざ攻撃となった時は相手に発見されないように小さな方がいいらしいから。
(という説を見つけたのですが、違っていたらすみません)

ちなみに最新式の原潜の潜望鏡は非貫通式電子光学潜望鏡(電子光学マスト)
は、攻撃用と捜索用の機種区別はなく、同じ型のものを2本装備しています。

(同じ型ならなんで一つにしないの?という気もしますが、
分けた方が機能的である理由があるのでしょう。)

ちなみに、自衛隊の潜水艦は光学式が搭載されていますが、
「そうりゅう」はこの他に光学式の潜望鏡も搭載しているそうです。

光学式に何かあった時のバックアップなんでしょうか。



ちなみにこの捜索用ペリスコープの映像は、
博物館内部に設置されたモニターで見ることができます。

あまりに鮮明な画像なので、はめ込み画像かと思いました。


コロナ時にここに来た時には当然内部公開を中止していましたし、
これしか関係展示がなかったので、この写真を撮ってお見せしたものですが、
若干展示が変化しているようなので、もう一度アップします。

まず真ん中のダイブスーツから。



【アメリカ海軍マーク V ダイブスーツ】
1958年9月製

 1916年に発明され、1984年まで使用されていたMk V 潜水服により、
ダイバーは以前は到達できなかった深さで作業できるようになりました。

加圧スーツはゴムの上に綿のキャンバスを重ねて作られており、
真鍮のヘルメット、手袋、加重ブーツには防水シールが付いています。

ダイバーはメインリグの下に保温のためにウールのボディスーツを着用し、
浮力と再浮上を助けるために重りのあるベルトを着用しました。

Mk.Vの技術は、高高度飛行用スーツや、初期の宇宙服の開発に役立ちました。


【錨鎖 アンカーチェーン】

2.5リンク分の錨鎖
長さ: 38 インチ(96.5cm)
重量: 約 150 ポンド(68kg)

アンカーとは、海底に埋め込むフックの一種です。
本体はシャンクと呼ばれ、実際に底に食い込む「歯」をフルークといいます。

なぜアンカーには鎖が付いているのでしょうか?
アンカーチェーンは衝撃吸収材として機能します。
波や風がボートを動かすと、ラインがきつくなる前に
ボートはチェーンを底から持ち上げなければなりません。

アンカーチェーンは、海底の岩や瓦礫による
ナイロンロープの擦れを防ぐのにも役立ちます。


子供にもわかりやすい表現がされています。


【マーク9 MOD3 爆雷 デプスチャージ】
1945年2月製造

爆雷は、水上艦艇や航空機から投下される対潜兵器です。
この装置は、特定の深さで爆発するように設定でき、
ターゲットに爆発的な衝撃波を与えることができます。

マーク9は爆雷工学における大幅な進歩と言われています。

既存の砲身の形状を重みのあるティアドロップ型に変更し、フィンを追加して、
より速く、より直接的な軌道で飛行できるようにしました。

 Mod3のデザインは、第二次世界大戦末期から冷戦まで使用されました。


【魚雷】

説明はありませんでしたが、中身を抜いた魚雷が横たわっていました。
「レクィン」が搭載していたのと同じ大きさの21インチです。

というか、潜水艦魚雷のサイズは全て21インチに統一されてたんですけどね。


これは潜水艦の近くにあった謎の展示。

ある年代のアメリカ人ならおそらく皆知っている、
SFコメディ番組『ミステリー・サイエンス・シアター3000』のキャラ、
トム・サーボ(赤い方)とクロウ
撮影に使われた人形現物なのかもしれません。

トム・サーボの頭部はガムボール・マシン、胴体はおもちゃの
「マネー・ラバー・バレル」貯金箱とおもちゃの車のエンジンブロック、
脚の代わりにボウル型のホバークラフト・スカートをつけています。

このシリーズでは、こんなのもあったと驚愕。

MST3K: Gamera vs. Jiger - Saturday Night Live: Gamera! | SEASON 13

「ガメラ」が上映されているのをトム・サーボやその他が見ながら
ミッキーマウスの替え歌(ミッキーをガメラに変えて)を歌ったり、
ツッコミを入れるというタイプの番組だったようですな。

「ガメラ」はアメリカで放映されたらしく、英語に吹き替えられています。

大村崑さんがお父さん役ででてきたとき、彼らが
「コンちゃーん」と言っているような気がするのですが気のせい?




ツァー参加者は、申し込みをして時間が来たらここで待っていると、
引率の人がやってきて団体を案内してくれます。



そして、見学者一団とともに潜水艦に向かい、乗艦を待つ間、
アメリカンすずめのカップルがいたので写真を撮っていました。



潜水艦とは全く関係ないですが、どうしても見ていただきたくて・・。

すずめカポーは木に残った花殻を食べに来た模様。



上のオス?は日本のスズメに似ています。



下のメス?がまるではしゃいでいるみたい。
鳥や動物も写真に捉えた一瞬がとても表情豊かに見えることがあります。



表情といえば、潜水艦の甲板から鴨が泳いでいるのが見えたので、
なんとなく写真を撮ったのですが、アップにしてみると、
全員?がしっかりカメラ目線だったので驚きました。
特に最前列のリーダーは外部を常に哨戒する役目らしく、ガン見です。



潜水艦に渡る桟橋の手前には、参加したければチケットを買えとのお知らせ。



USS「レクィン」のスポンサーになったのは、地元の大企業である
PPG(船舶、インフラ、タンクなど大型の塗装施工会社)。

「レクィン」の展示にあたってはPPGが塗装を行ったので、
宣伝方々そのデータを公開しているのです。

カーネギー科学センターの冷戦時代の潜水艦 USS Requin は、
PPG PAINTS™ ブランドのおかげで新鮮な塗装を施されています。

SPEEDHIDE® プライマーとPPG 保護および船舶用コーティング製品である 
SIL-SHIELD™ シリコーン・アルキド・エナメル、
これら2 種類の高性能コーティング、約240ガロンを当社が寄付しました。

これらの製品は、優れた接着性、耐食性、耐久性のある仕上げを提供し、
USS「レクィン」のような鉄鋼の表面に最適です。

PPG Paintsラインは、世界有数の塗料会社である
PPG Industriesの事業部門PPG Architectural Coatings のブランドです。


また、施工にあたっては、足場の構築だけで280時間、
塗装には960時間を要したということで、その下には
「レクィン」を訪れる見学者が年間平均15万5000人だとあります。

数字の3と書いてある部分では塗装色についての説明があり、
基本的に使用されているのは「Pantone430U」(グレー系)と白、黒。

3色の配色は、USS「レクィン」のような潜水艦博物館の標準です。
黒は船殻を覆い、灰色は上部構造、帆、マスト、レールを覆います。
艦体番号はもちろん白色です。


比べてみないと断言できませんが、コロナ閉鎖のころより
エントランスが綺麗になっている気がします。

さあ、それでは長年の課題だった「レクィン」内部潜入に臨みます。

続く。

スナイプス(喫水下で航行する男たち)〜USS「エドソン」

2024-01-25 | 軍艦

USS「エドソン」の艦内ツァーも最終日となりました。


ボイラー室には消火用の二酸化炭素のボンベがあります。
二酸化炭素は危険物なので中身は空にしてあることを明示しています。


全体的に赤く塗られているのは消火設備ではないかと思ったのですが、
#2エンジンルームの予備コンデンサーと排気装置だそうです。

艦船用タービンジェネレーター
Ship's Service Turbine Generator(SSTG)

蒸気で動くタービンは、主発電機の巻線を回す別のシャフトに接続された
シャフトに取り付けられ、艦上で様々な目的のための電気を生産しました。


蒸留プラント
2段フラッシュ式蒸留プラント

右側の丸いタンクの蓋?には
「海水ヒーター」とあり、各パイプには供給先が書かれています。

メイン蒸気システムは蒸留プラントに過熱蒸気を供給し、
海水を瞬時に過熱して蒸気にし(フラッシュプロセス)、
凝縮させて再びフラッシュさせます。

2 回目のフラッシュプロセスの後、得られた凝縮液が収集されます。
これらは、以下の目的で使用されました。

蒸気を生成するためのメインボイラープラント用
飲料用や化学薬品(臭素や塩素など)が添加された淡水タンク用

■ スナイプス Snipesとは?

冒頭写真は、ボイラールームのおどろおどろしい地縛霊よろしく、
「釜の中で絶叫する男」・・実に趣味の悪い「エドソン」の展示です。
おそらく、ハロウィーン前になると出回る、庭先の幽霊飾りでしょう。

余談ですが、アメリカではここ何年か、この手のハロウィーンのおふざけが
だんだん悪趣味になってきて、わざわざ家の前に井戸を置いて、
そこから手が出てきているとか、蜘蛛の巣を家全体に張り巡らすとか、
悪ノリする家庭が目立つような気がするのですが、
この「ゾンビ」もその一連の装飾品として売られていたものでしょう。
(そして、そういったろくでもない飾りのほとんどは驚くほど安い)

なぜそのようなものがここにあるかと言うことを考える前に、
ここボイラー室で働いていた海軍機関士たち・・・

スナイプス”Snipes”について説明します。


「スナイプス」

SNIPES OF THE US NAVY:
アメリカ海軍のスナイプス:
艦底で生きる水兵たち:


彼らはこのように呼ばれます。

その誇り高き歴史と伝統とは。
彼らは誰なのか、何をする人たちなのか。

説明になるかどうかわかりませんが次をお読みください。

海軍エンジニア

これを読んでいるあなたは入隊ほやほやの新人だろうか?
DC資格を取ろうとしている?
水上戦のピンを取得しようとしているところだろうか。

そんなあなたは、艦の底深くでフネを動かしている乗組員を訪ねて
甲板の下を冒険したことがあるだろうか。

彼らはどこから来て、いったい何をしているのだろう?
一度でもそんなことを考えたことがあるだろうか。

スナイプとはいったい何なのか?

「スナイプ(Snipe)」という言葉はもともと、
機関部の船員に向けられた侮辱と考えられていた。

他の一般的な呼び名は「ビルジ・ラット」や「ブラック・ハット」で、
「ビルジ」や高温で汚れた機関室で働く乗組員を指していた。

カバーオールを着用する前の時代、船員は季節の制服として
の白とブルーの「アンドレス」(脱衣服)をよく着ていた。

カバーオールは「ディキシー・カップ」「ホワイト・ハット」と呼ばれた。

しかし、スナイプスは、彼らの職場環境があまりにも汚かったため、
ダンガリーシャツに移行した最初の乗組員だった。

第二次世界大戦の頃、乗組員たちは「白い帽子」を紺や黒に染め始めた。

これは、船上での日常生活につきものの油汚れを隠すために、
新しいデニムのズボンで帽子を洗ったせいで、

紺になったのだ(つまり染めたのではない)と考えられている。

そもそも陸上勤務やトップサイドの仕事に就ける幸運な乗組員たちには
こうした問題は起こりようもないので、機関兵を
「ビルジ・ラット(ねずみ)」程度にしか見下さないことも多かった。


【ソルティードッグ・オールドスクール
SNIPEの歴史】


艦船機関部の歴史は、木造帆船の時代まで遡ることができます。

艦船を動かす帆を作るのが文字通り仕事であった帆職人や、
船を浮かべて水密を保つ大工とメイトもそれに含まれます。

以下は、現代のSNIPE格付けの例。

艦体整備技師
ダメージ・コントロールマン
機械工
機関手
電気技師
ガスタービン システム技師


世界の海軍が蒸気動力に転換するにつれて、
艦艇の燃料庫から石炭を回収し、艦の炉室に輸送する責任を負う、
「コール ヒーバー」が登場しました。

動力が蒸気ボイラーからガスタービンエンジン、原子炉へと移行していくと、
その100年ほどの間にさまざまな肩書きが生まれては消えていきました。

第二次世界大戦では、米海軍がCBRN防衛/ダメージコントロールのために
化学戦スペシャリストを創設したこともあります。

ここで語るのは、現代の鉄鋼船の金属工や配管工と一緒に働く
シップ・フィッターのことです。

現在は巡洋艦、潜水艦、航空母艦で働く原子力訓練を受けた者と、
それ以外を浮揚させ、動かす者という棲み分けがされていますが、

今日、これらの男女は、エンジンの稼動維持から消火活動、
ダメージ・コントロール、そして通信システムの管理という重要な任務まで、
それこそあらゆることを担っているのです。


さて、USS「エドソン」のスナイプたちが生息していたこの場所に、
次のような「嘆きの歌」が貼ってありました。


”スナイプの嘆き”

今、私たちの誰もがおりにふれ海を眺める際、
そこに、この国の自由を守るために出航していく
強力な軍艦を眺めたことがあるだろう。

この国の自由を守るために任務に出て帰港してくる
力強い軍艦を眺めたことがあるだろう。

そして私たちは、誰もが一度は魅力的な海の男たちの物語を

本で読んだり、人から聞いたりしたことがあるだろう。

雷、風、雹の中を雄々しく航海する男たち。

しかし、彼らを語る勇壮でロマンチックな海の上の伝説では、

滅多に語られることのない「場所」がある。

それは喫水線の下にあり、そこでは生きた犠牲が払われている。
- 水夫たちが "穴 "と呼ぶ 熱い金属の生き地獄だ。

そこには蒸気で動くエンジンがあり、シャフトを回転させている。
火と騒音と熱気で魂を打ちのめされる場所だ。
地獄の心臓のようなボイラー、憤怒の蒸気の血、
そこでは怒れる神々が造形され、夢の中で悪魔となる。

轟く炎からの脅威は、まるで生きている疑問符のようだ。
それは今にもそこから飛び出し、あなたを舐め尽くすだろう。

タービンは地獄で孤独と喪失に苛まれる魂のように悲鳴を上げる。
どこか遠くの上空からそうするように命じられたタービンは、
あらゆる鐘の音に応えて、動く。

ただひたすら火を灯し、エンジンを動かす男たち、
彼らは光を知らない。


そこに人間や神のための時間はなく、恐怖に対する寛容さもない、
その様相は、生きとし生けるものに涙の貢ぎ物も払わない。
人間ができることで、この男たちがやったことのないことは、
そうそうないからだ。

甲板の下、穴の奥深く、エンジンを動かすために。

そして毎日毎時、彼らは地獄で見張りを続けている。
もし火が消えれば、艦は役立たずの砲弾となる。


怒れる海には船が集結し、戦争をする。
下にいる男たちは、自分たちの運命がどうなるのか、
ただ険しい笑みを浮かべて待つだけだ。

彼らは、戦いの叫びを聞くこともなく、
運命に翻弄される者のようにただ下に閉じこもっている。

戦いの叫びも聞こえない「下にいる男たち」は、
弾が命中すればただ死んでいく。

いや、それでなくとも毎日が戦争のようなものだ。
1200ポンドの熱せられた蒸気はときとして彼らを殺す。

だから、もし君が彼らの歌を作ったり、
彼らの物語を語ろうとしたりしたら、
その言葉そのものが君の耳に響くだろう。

その言葉は、焼かれた炉の慟哭を聞かせるだろう。

そして人々はほとんどこの鋼鉄の男たちのことを耳にすることはない。
船乗りたちが "穴 "と呼ぶこの場所についても、
ほとんど知られていない。

しかし、私はこの場所について歌い、
あなたに知ってもらおうとしている。
なぜなら、そのうちの一人が私だからだ。

汗に塗れたヒーローたちが、
超高温の空気の中で戦うのを私は見てきた。
しかし誰も彼らの存在を知らない。

こうして彼らは、軍艦が出航しなくなるその日まで、
ずっと戦い続ける。
ボイラーの強大な熱とタービンの地獄のような轟音の中で。

だから、戦うべき敵を迎え撃つために撤退する艦を見かけたとき、
できることなら、かすかにこう思い出してほしい。

できることならかすかに思い出してほしい。

"The Men Who Sail Below "を。 



さて、ここで長らく語ってきたUSS「エドソン」の物語も終了です。

機関室の「喫水下の男たち」に想いを馳せたあと、
通路に沿って進むと、明るい五大湖沿いの夏の光景が広がりました。

目の前の桟橋は、岸壁から「エドソン」までを繋いで、
ここに訪れる人々を迎え入れる唯一の通路です。


USS「エドソン」の博物館としての管理と運営は、
わたしが少しお話をした、「この町で唯一の日本人」である女性とその夫、
ベトナム戦争のベテランを始め、地元の人々のボランティアで成り立ちます。

この日、彼らは集まって青い屋根の建物の下で会合をしていました。


海兵隊員の名前を命名された海軍の艦艇一覧です。
「エドソン」もこのなかにあります。

右側に「KIA」とあるのは、キル・イン・アクション、戦死した人です。

この中で唯一「エドソン」だけが、Diedとなってますが、
その理由は、メリット・エドソン将軍は戦死ではなかったからです。

他の海兵隊戦死者のほとんどが1942年か43年、おそらく
南太平洋での日本軍との戦いで戦死したと思われるのに対し、
エドソン将軍だけが没年が1955年となっています。

これは「エドソン」の建造計画が立ち上がったちょうどその時、
海兵隊の戦功者であったエドソン将軍が逝去したことから、
急遽他の第二次世界大戦戦死海兵隊員のリストに「割り込む」形で
「エドソン」が誕生したのだと考えられます。



かつては波乱の海の戦いを見守った甲板からは、
いまでは永遠に平穏なサギノー川の流れがただ見渡せるだけです。

そのときに揚がったのと同じ星条旗を掲げながら。


「エドソン」の甲板から、一羽の美しいサギが飛翔しているのが見えました。
サギノー川の上にサギか・・・・


と日本人のわたしだけは思ってしまうのだった。



それでは「エドソン」の甲板に別れを告げることにしましょう。


最後に今までの旅を振り返ります。


車に戻り、もう一度全体写真に挑戦しましたが・・・またしても失敗。


思い余って?土手を駆け上り、もう一度・・。
これでも少し艦尾が切れてしまいました。
(実は眩しすぎて対象をはっきり捉えることが難しかった)



悔しいのでさらに土手を一番上まで駆け上がりました。
これでやっと「エドソン」の姿を収めることができたというわけです。

そしてこれが最初で最後の完全な艦体写真となりました。


わたしたちはこの後、オハイオ州クリーブランドに向かいました。


「エドソン」シリーズ終わり


#2エンジンルーム〜USS「エドソン」

2024-01-24 | 軍艦

ミシガン州のヒューロン湖に流れるサギノー川沿いに係留された
駆逐艦USS「エドソン」の艦内ツァーも終盤に差し掛かりました。


艦尾から艦首方向に進むと、数段階段を降りて次の区画に入ります。
この写真の右側にあるのが冒頭の艦内図です。




バックアップジェネレーターとラダーコントロールは、
甲板階の二階下の艦尾にあります。
さらにそこから1階分下に降りてきました。
見学できる最下層階になります。



今いるところは×印の位置。
これから見ていくのは、#2エンジンルーム、第2機関室です。

ここに収められている機器についてざっと前もって挙げておくと、

2基のメイン エンジンのうち1基
各エンジンは 35,000 馬力、合計 70,000 馬力を生成

 淡水蒸発器 2 台のうち 1 台
海水をボイラー給水と飲料水に変換する

メインコンデンサー
自動車のラジエーターのように機能し、蒸気を冷却して液体に戻し、
ボイラーで再利用したり、機械を冷却する

 
サービスジェネレーターの4基のうち2基
発電機で電力を供給する



■ Disalinator 
海水淡水化装置とアメリカ海軍の取り組み



何か意味がありそうだけどただのポンプ。


艦内図によるとこの辺りにDesalinater(海水淡水化装置)があるのですが、
画面中央に大きなU字をひっくり返したようなパイプと、
その近くにあるものがそうではないかと思われます。

アメリカ海軍の船舶における海水淡水化の歴史は長く、記録によると、
第二次世界大戦中、USS「サバンナ」の乗組員に
真水を供給するために蒸留プラントを使用したのが最初です。

このプラントは海軍による設計・建設で、
1日あたり約4,000ガロンの淡水を生産することができました。

朝鮮戦争とベトナム戦争中も、艦船で淡水化装置を使用していました。
「エドソン」にあるのと同じタイプのものです。

1970年代初頭、初の逆浸透プラントがUSS「ニミッツ」に設置されました。
このプラントは1日当たり約20万ガロンの淡水を生産することができました。

もちろん現代の海軍艦船では多くの海水淡水化プラントが稼働しており、
これらは、船舶の乗組員や非常用に真水を供給し、
船舶の環境への影響を軽減するのに役立っています。

現代の世界でスタンダードとなる海水淡水化プラントは、
高濃度の溶液に高い圧力をかけることによって水だけが膜を通過し、
塩分が取り残されるという理論のものになっています。

しかし、この逆浸透方式には長所と短所があります。

まず、対象となる艦船の目的(任務)によっては、
浄水システムをカスタマイズする能力が制限されること。

次に、季節により水を生成する能力が制限されること。

第三に、12,000ガロンの蒸留プラントが、
ROプラントで生成された水をすべて処理できなかった場合、
艦は最終的に廃水を海に排出しなければならないことです。

こうした欠陥を考慮して、海軍は現在、艦船群に
どのような水生産戦略を導入すべきかを決定するための調査を行っています。

そして導かれた一つの仮定が、

浄水プラントをモジュール化し、必要に応じて交換する

と言う戦略です。

これによって、資源をより無駄なくかつ効率的に利用できるようになり、
また必要に応じて水の生産量を増やすことも可能になるかもしれません。

■ エレクトリック・ジェネレーター


GE ジェネラル・エレクトリック社製500KW発電機です。


右舷側に2基、図のように並んで設置されています。

エドソンには 4基の発電機がありますが、
そのうち2基は前部 #1 エンジン ルームに、
2基はここ #2 エンジン ルームにあります。

1 キロワットは 10 ~ 100 ワットの電球に相当すると考えた場合、
「エドソン」には、2,000 キロワットを生産する力があるので、
100 ワットの電球を 20,000 個点灯することができるということになります。

キロワット時で測定すると、これは
アメリカの平均的な家庭 2 軒の 30 日間の電力使用量
に相当します。

■#2メインエンジン

第2機関室のメインエンジンは2つのコンポーネントで構成されています。
高速回転する「蒸気タービン」と「減速機」のセットです。

「蒸気タービン」は 7,000 RPM で回転し、
「減速機」はこの速度を 1~250RPMの間で適宜減速します。 

プロペラが 250 RPM で回転すると「エドソン」は
32 ノット (36.6 MPH) を超える速度で巡航できます。

減速機

減速機のギアシステムは、歯車を介して主蒸気エンジン、
主蒸気タービン出力駆動軸を主軸に連結する働きをします。

このトランスミッションの主な目的は、
蒸気タービンの低トルク-高速の速度を、
艦の主駆動軸とプロペラ システムの高トルク-低速に減速することでした。



このステーションには、主蒸気システムやその他のサポートシステムの
圧力と温度を測定するためのさまざまなパネルとゲージがあります。

この中のスロットルバルブは、主エンジンからタービンに送られる
蒸気の量を変えることによってエンジンの速度を増減しました。


ターボジェネレーターのスイッチパネル
高圧危険と至る所に書かれている



「フラッシュ」エバポレーター

パイプには水が左から供給されて生成されたものが右から出るという
矢印が記されています。

この装置は蒸気と真空を使用して塩水を飲料水、
またはボイラー給水に変換します。
2 台の蒸発器で 1 日あたり最大 16,000 ガロンの水を生成できます。

毎日の水使用量: 
 
最大生産量: 16,000 ガロン
1.ボイラー用: 6,000 ガロン
2.乗組員用: 7,530 ガロン
(これには、料理、飲酒、入浴、洗濯、調理が含まれます)
 3.予備: 2,470ガロン (船の洗浄やその他の淡水のニーズに使用されます)

■ スチーム タービン エンジン


ここからはさらに下層に向かって深く降りていく
垂直のラッタルを見下ろすことができます。


緑色の(前進)舵輪の左上にはエンジン オーダー テレグラフがあります。
スピードチェンジのオーダーを艦橋から受けると、
エンジンルームはオーダー通りに表示します。

赤い舵輪は

アスターン・スロットル バルブ Astern Throttle Valve

で、これで蒸気がプロペラを逆回転できるようにします。


あたかも森のように直立するパイプとノズルの間の通路を進むと、


スチーム タービン エンジン

エンジンから生まれる蒸気の熱エネルギーを
出力ドライブシャフトを介して主減速機に届け、
シャフトとプロペラを駆動して船を推進させます。

蒸気熱エネルギーを機械エネルギーに効率的に変換する設計です。



2B2  メインフォースド ドラフトブロワー
 強制通風機

ボイラーに空気を供給するために設置される強制通風送風機です。


足元の地下にも関係機器が見えます。


ボイラーデュープレックス 燃料フィルター 

この装置の機能はボイラー燃料油の最終フィルターです。
ボイラーを停止せずにフィルターを交換することができます。


写真下にぶら下げられている赤い取手のついた黒い棒は、

ライト-オフ トーチ Light-Off Torch(松明)
ボイラー燃料油バーナーガン 

ボイラー炉に「火をつける」ために使用されます。
燃料オイルは 1000 PSI でガンからポンプで送られます。

ガンの先端には「スプレープレート」が付いています。
これにより、燃料が非常に細かい「ミスト」として噴霧され、
「Billowing Fireball」が生成されます。
「エドソン」は 4 つのボイラーに一つづつバーナーガンを備えていました。


燃焼制御エアコンプレッサー 

「Worthington」3 ステージエアコンプレッサーは、
100 PSI の圧縮空気を供給します。

この空気は「自動燃焼制御システム」の制御空気として使用されます。
このシステムは、ボイラー蒸気圧力、ボイラー再水流量、燃料流量、
ボイラーへの空気流量を自動的に調整します。

万が一システムに障害が発生した場合、
ファイアルームはバルブ、レバー、および乗組員一丸となっての
「チームワーク」システムで、全体を手動で操作することになっています。


ボイラールームの気温は華氏110度にまで上がりました。
これらのようなダクトは、ボイラールームで働く乗組員のために
ファイアルームの各所に設置されて、
外気(必ずここよりは涼しい)を送り込んでいました。


バーナーガンの横に何やら軍艦らしくない実験室のようなコーナーが。
詳しい説明はなかったのですが、これらはオイルのサンプルです。

下から「プリビアス(前回の)オイルサンプル」
「ベースライン オイルサンプル」
「ブルー」「ホワイト」「レッド」と記されています。

具体的にどういう状態のオイルで、なんのためにサンプルがあるのか、
全くわかりませんでした。


エアコンプレッサー (HPAC) 

空気貯蔵フラスコに貯蔵される 3000 psi 以上の空気を生成します。


この空気は、魚雷発射システムに使用される蒸気減圧弁などの空気制御弁、
またその他限定されないさまざまな目的に使用されました。



この圧力は、蒸気低減ステーションを通じて
90 ~ 125 ps の範囲内の圧力まで段階的に変化させることができます。


さらに通路を進んでいきます。

続く。


主砲下部装填室と機械修理ルーム〜USS「エドソン」

2024-01-22 | 軍艦

USS「エドソン」艦内ツァー続きです。


このハッチは関係者以外使用禁止。
見学者は階段で移動します。


覗いてみると下は砲弾のラックが見えました。
ということは、ここは砲に砲弾を供給するシステムですね。


降りてみるとそこは砲弾供給システム。
ここは甲板の主砲の真下にもうけられたハンドリングルームです。

この写真では何が何だかわからないので、
まず全体像の画像をご覧ください。

写真に写っている「L」は、この下部分装置左側の意味だと思われます。

ちなみにスプロケット(英: sprocket)とは、
軸の回転をローラーチェーンに伝達したり、
ローラーチェーンの回転を軸に伝達するための歯車のことでで、
チェーンホイールとも言います。




写真の部分はローダー(装填)ドラムのホイストということになります。



図で水兵さんがバリバリの正装をして配置されていますが、
Projectile Hoist=弾頭上げのためのホイストです。



弾頭が装填されている状態。
ここから階上のマウントに直接送られそこで装填されます。



もう一つついでに甲板の砲を上から見た図。


ファイルケースがたくさんあるこの部屋は、サプライオフィスです。
日本語で言うと需品科です。


サプライオフィスのデスクの上には監視カメラのモニターが・・。
自分が写っているのでつい撮ってしまいました。

■ 機械修理 
Machinery Repair Shop


左のハッチを進んでいきます。
出口に消火ホースがあるということは火災の起きやすい現場?


マシナリー リペア ショップです。

重精密切削加工機と金属加工用機械を完備した機械修理工場には、
機械修理工(略称MR)が常駐していました。




海軍の機械修理工(MR)は、艦船を支援し、

割り当てられた機器の中間および組織的なメンテナンスを行います。

ボルトなどの機械用金属部品の製造、変形したねじ穴の締め直し、
機械の稼働による変形箇所の修復を専門とする配置で、
フライス盤、ボーリングミル、グラインダー、電動ハックソー、
旋盤、ドリルプレス、および船上の機械工場で見られる
精密測定機器の使用に熟練していなければなりません。

現在の海軍には2種類の機械修理工:

Machinery Repair Maintainer
機械修理整備士
  Machinery Repair Technician
機械修理技師


がいます。

機械修理工は1948年に創設された配置で、
機械工航海士(Machinists Mate)外部機械工(Outside Machinist)と、
工場機械工(Shop Machinist)の2つが統合されたものです。



彼らは重金属の切断の専門家だったので、
艦内でengraving(彫刻)の必要があると行っていました。

まさか氷やスイカの彫刻はしないと思いますが、彼らは作業場にとどまらず、
必要があれば艦上のあらゆる場所で金属の溶接、
切断、研磨までやってのける「何でも屋さん」でもあります。

写真手前の機器は研磨機械、向こうにあるのは旋盤機械だと思います。


修理ショップのデスクとファイルキャビネット。
当時から使われていたものかどうかわかりませんが、

「道具を使ったら必ず元に戻してください」

という注意書きがあり。


各種修理が行われた作業台と、部品収納棚、ツールと木材置き場。
残されたカッターのメーカーは「クラフツマン」。

CRAFTSMANイケイケHP

アメリカ人にとってガレージは家庭の「マシナリーショップ」でもあります。
そのガレージでゴキゲンの「ガレージバンド」。

ヒューレット・パッカードが最初に何やらを作った家が、
現在「ヒューレットパッカードガレージ」という名称であることは、
この国における「ガレージ」という言葉の広い意味を象徴しています。

■ No.2 非常用ディーゼル ジェネレーター ルーム





非常用ディーゼル発電機が置かれたコンパートメントです。
これは船舶用蒸気発生器が停止した場合に使用されるバックアップ発電機で、
定格 240 馬力の 
6-71 シリーズ カミンズ ディーゼル
Cummins Diesel
でした。

Cummins Inc. エンジン部門


このシリーズのエンジンは非常に信頼性が高く、
現在でも海軍でさまざまな構成でこれらのエンジンが使用されています。

「Aギャング」=補助部門は、「EN」またはエンジンマンで構成され、
発電機のエンジン部分を保守しました。
発電機はフライホイールから直接駆動されました。

「EN」とは米海軍機関士のことで、海軍の艦船や小型船で
内燃機関を操作、修理、整備する下士官水兵です。
通常、これらのエンジンはディーゼルエンジンを指します。

ENはまた、全艦艇に搭載されている空調・冷凍システム、脱塩プラント、
エアコンプレッサー、小型補助ボイラーの保守・操作も行います。

そして微妙に気になる「A GANG」ですが、海軍のスラングで、
船舶や潜水艦の補助部門を指す言葉です。

衛生、暖房/空調、非常用ディーゼル、油圧、高圧空気、低圧空気、
酸素発生装置、飲料水、ハッチのメンテナンス、各種システムを担当します。

発電機はフライホイール(Flywheel、回転系の慣性モーメントを利用した
機構に用いられる機械要素のひとつ。弾み車、勢車)で直接駆動されました。

発電機の定格は 100kw、450 ボルト (交流)、60 ヘルツ、160 アンペア。

艦内の発電および配電システムはを保守していたのはEM、
または電気技師の同僚で構成される電気部門の乗組員たちです。

非常用電力は、同じくこのスペースにある非常配電盤を通じて
重要な電気回路に配電され、

たとえ死傷者が発生した場合でも艦が戦えるようにすること
を想定していました。

たとえば、配電システムが損傷した場合でも、非常用電源ケーブル、
非常用電源ボックスを使用して非常用電源を使うことができます。

■ アフターステアリング

このコンパートメントの奥がアフトステアリングです。
アフター・ステアリング・コンパートメントは、
船の最後尾のコンパートメントにあり、
メインステアリングギアが配置されていた場所でした。

駆逐艦の護衛艦には、電気モーターで油圧ポンプを駆動し、
油圧ラムを動かして舵を切る電気油圧式操舵装置がありました。


これはわたしが昔見学した、ハドソン川沿いに係留されている
駆逐艦USS「スレーター」のアフトステアリングです。

ブリッジでは、操舵手が船のハンドルを回すと、
電気信号が舵からステアリングギアに送信されます。

信号はアフトステアリングで処理され、
ステアリング ギアに舵角の指示を示します。

油圧は電気制御バルブを介してステアリング 油圧ラムに送られ、
ラムと舵(後部ステアリングの下に位置)を動かすのです。

また油圧ポンプのクランクを手動で回すスタンバイ操舵方法もありますが、
もちろんこれは困難で疲れる作業でした。


最後に、このコンパートメントの壁にあった絵をご紹介します。



「アンダーウェイ リプレニッシュメント」
(海上補給)


と題されたこの水彩画のポスターは、USS「インディペンデンス」
1965年10月、USS「マウントカトマイ」(Mt. Katomai)から
補給を受けている南シナ海でのシーンを描いたものです。

USS「インディペンデンス」CV-62は、1965年5月10日、
初の太平洋艦隊での任務でベトナム沖の南シナ海に展開しました。

100日間にわたる作戦行動に参加しましたが、これは
ベトナムに展開した五番目のアメリカ軍空母となります。

「インディペンデンス」と第7航空団は、
1965年6月5日から11月21日までの活動で
北ベトナムのハノイ - ハイフォン間の輸送路に対する
最初の大規模攻撃を行い、航空史上初の空対地ミサイル攻撃を行いました。

この給油が行われたのは、そんな戦闘のさなかだったことになります。

このとき空母は北ベトナムの軍事補給目標に対し、
昼夜を問わない定期的な攻撃を継続し、7,000回に及ぶ出撃を行いました。


一方の「マウントカトマイ」は、1965年2月26日、
第7艦隊の艦船に補給するため、サンフランシスコを出港し、
真珠湾経由で5月15日にスービック湾に到着。

数日のうちに、南シナ海での再武装作戦のために出港し、
ベトナム沖の空母打撃群と戦闘艦にサービスを提供する任務を
11月下旬まで行っていました。


続く。


キャデラック オブ ザ フリート(艦隊のキャデラック)〜USS「エドソン」

2023-12-30 | 軍艦

USS「エドソン」の艦内ツァー、続きです。

■ガンマウント キャリアルーム


このコンパートメントは艦の主砲の 1 つの真下にあります。
ここにある機械で、下の弾倉から銃架まで弾薬を輸送するのです。

USS 「エドソン」の砲は全自動ですので、
必ずしもオペレーションのために人力は必要ないのですが、
通常、「エドソン」では有人で運用されていました。



全体的に大きすぎて全体像が掴みにくいですが、
ここからマウントに弾薬が送られていくということです。

一つのマウントは 2 人の乗組員によって管理されていました。

そのうちの1人はオブザーバー

オブザベーションバブルという位置に座ってオペレーションを監視しますが、
必要があれば、そこからサイトをのぞいて発砲することができました。

もう一人は、装置から瞬時も目を離さず、
すべてが適切に機能しているかどうか確認するためにそこにいました。

砲架搭載室自体は 2 名の乗組員によって管理されていました。
そのうちの 1 人は、機械が正しく動作することを確認する安全監視員であり、
砲台運搬室のもう一人は砲長です。

砲長は銃のすべての機能を監視できる特別なコンソールの後ろに座り、
緊急の場合には自分の位置から砲を制御することもできました。

マガジンの担当は9名で行います。
彼らの仕事は銃の機械式装填装置に装填することでした。

ローダーは 2 つのスチール製ドラムで、
リボルバーのドラムのように機能します。
各装填手は 1 丁の銃に 20 発の弾薬を装填しました。

■ダメコン鬼十則


「鬼十則」なんていうブラック企業チックな言い回しが
アメリカにあるのかどうかはわかりません。
とりあえず10のルールなのでそう表現してみましたが、
キリスト教国ではむしろ「十戒」が適当かもしれません。

ダメージコントロール’十戒 ’

1. 諸君の艦を防水状態に保て

2. 素材の状況に違反(Violate)するな

3. 重大な損傷にも耐える艦の能力を信じよ

4. たとえ暗闇の中でも、自分の進むべき道を把握せよ

5. ダメコン用具の使用方法と維持方法を熟知しておけ

6. 損害状況を最寄りのダメコンステーションに報告せよ

7. 個人物品は常に適切に保護しておくように

8. 日頃から人的損害発生時の対応について訓練しておく
自分自身を守ることが諸君の艦を守ることにつながる

9. 少しでも希望ある限り、艦を救うためにあらゆる手段を講じよ

10. 冷静であれ(Keep Cool;)決して艦を諦めるな!



ここでさらに下の階への階段が現れました。


かつては水兵用のコンパートメントだったのだと思いますが、
今は戦争博物館のようになっています。


下の階(おそらくエンジンルーム)に続く、
垂直のラッタルのハッチがありましたが、もちろん使用禁止です。
っていうか、これどうやって降りていくんだろう。


それはともかく、この周辺の展示は、おそらく地元出身のベテランの
戦歴に基づいて展開されているらしく、ガダルカナルの戦いでした。

写真の男性、ジョン・ミールケさんという方ですが、
かつて海兵隊でガダルカナルでの戦闘に参加しています。

パトリック・K・オドネル著「イントゥ・ザ・ライジング・サン」より

約 300 人の海兵隊員が小さな丘の側面にせまっていた。
馬蹄形の戦線はヘンダーソン飛行場前の最後の防御陣地だった。

ジョン・ミールケは彼らの最後の抵抗を思い出す。
 
「私たちは集まって尾根の逆斜面に陣地をとっていました。
尾根のふもとのあたりでは、空挺部隊数名が任務から離れており、
私たちは集まって尾根の逆斜面に陣地をとっていました。

その時、彼らの中に一瞬パニックが起こりました。

基部の周りで、何人かの空挺部隊がその位置から退却していました。
彼らは口々に合言葉を叫んでいました。
パニックに陥ることより恐ろしいことはありません。

そして彼らは前進していきました。

彼らに対して申し訳なく思いましたが、私自身は怖くありませんでした。
幸いなことに、彼らは(士官の命令によって)方向転換しましたが、
その多くは穴に戻り、そこで死亡しました。
 
しかし士官たちは


『銃撃を続けろ!そこから上がれ!』

といい続けました。・・・・」
 

戦いの行われた尾根に立つ海兵隊員

600名からなる日本軍が何度も奪還しようとしたヘンダーソン飛行場。

尾根の高台の後ろに陣取った海兵隊は、島への侵攻初期、
この場所で何度も血みどろの戦闘を余儀なくされました。



この時の戦闘風景がジオラマにされていました。
日本兵が突撃していく先には海兵隊の潜んだという「穴」があります。


日本語によるガダルカナル島「攻撃要図」

一木支隊の攻撃と米軍の防御
第一次総攻撃と米軍防御
第二次総攻撃と米軍防御

第二次攻撃後の日本軍態勢


日本軍の攻撃が矢印で記されています。
赤で記された場所が写真に撮られたヘンダーソンフィールドです。

■ 海軍関係展示


木箱に入れられた機器は、

スタディメーター(STADIMETER)

といいます。

スタディメータは、高さがわかっている物体の距離を測定する機器で、
2,000ヤード以上、10,000 ヤードまでの距離をかなり正確に測れます。

艦隊で行動しているとき、艦隊内の他の艦までの距離を測定するために、
ブリッジではほぼ継続的に使用されていました。

とてもデリケートな機器であるため、許可された担当者だけが
慎重に取り扱う必要があります。

ブルージャケットマニュアル 1943より

ちなみに写真右がわの金色のゴミ入れ(にしか見えない)には、

ミサイル駆逐艦 USS「バリー」DDG-52

の刻印が入っています。



エドソンのパッチの横にあるのは海兵隊の帽子でしょうか。

■ 乗組員室
Crews Berthing(B&M Division)


水兵用のバンクにやってきました。
ロッカーのようなベッド、極限まで細長い個人用ロッカー。


ここはファイアーマン?の控え室でしょうか。
防火スーツとホースの横にチェッカーボードが備えてあります。
配電盤の上には昔のタイプのテレビが。


 ボイラー技術者 (BT) とマシニストメイト(MM)の乗員が
このスペースに住み、寝ていました。

「フォレストシャーマン」級は、すべての停泊エリアに空調設備を備えた
最初の艦級であり「艦隊のキャデラック」と呼ばれていました。

中段と下段のマットレスとパッドは、持ち上げて
下に物を収納することができましたが、
最上階のベッドののラックはそういったスペースがなかったので、
そこの住人はロッカーを使用しました。


ロッカーで作られた壁の向こうは、立ち入り禁止。
G&ASの「補給」とあります。
Gはガス、ASは「Aviation Support」?(適当)



ところで、この、大人一人がギリギリで、起き上がると頭を打つ
狭い空間が、現在の展示艦で驚くべき利用法をされていました。



ガラス張りの大型艦船模型展示棚として活用。
誰が思いついたか知りませんが、なかなかスマートなやり方です。

そしてこの模型はもちろんUSS「エドソン」。



「エドソン」の上下には、


USS「インガーソル」INGERSOLL DD-990

下のは文字がぶれてどうしても読めません。
USS Ha
だけはわかるのですが。
「Hawaii」かな?





USS「ジョン・ポール・ジョーンズ」JOHN PAUL JONES DDG32


USS 「アイルウィン」AYLWIN (FF-1081)

「ノックス」級フリゲートです。


艦尾にはヘリポートがあります。
しかしこのヘリポートは波があるとき着艦しにくそう・・・。

ちなみに自衛艦のヘリパイロットから、何回やっても
波の高い日や暗いときの着艦は怖い、と伺ったことがあります。

しかも、決して他の者にその不安を悟られてはならないという・・。



それでは、この青い目の水兵さんに見守られながら次に進みます。


続く。



お帰りなさいエドソン〜USS「エドソン」

2023-12-27 | 軍艦

USS「エドソン」の艦内展示をクローズアップした前回は、
「エドソン」の退役式についてのお知らせを含む、
最後の艦内報をご紹介することができました。

今日もその続きです。



1988年12月にその兵役を終え、退役したUSS「エドソン」。
その後、各方面の尽力で博物艦として保存されることになりました。



「お帰りなさいエドソン」というシリーズは、
ここベイシティの地元紙のヘッドラインだったようです。
写真は1974年当時撮られたもの。
波を切る舳先が完全に宙に浮いた状態なのに注目です。



退役後、フィラデルフィアの海軍工廠で保存されていた「エドソン」は、
その名も「カーネル」という名前のタグボートに曳航されて
ここまでやってきたといいます。

「現在USS エドソンは、フィラデルフィアの停泊地から
3,000 マイル以上離れたベイ・カウンティへ向かっています。

タグボートが老朽化した全長418フィートの海軍駆逐艦を
サギノー川の河口まで曳航し、そこで水上博物館となる予定です。

艦の到着は間もなく予定されていますが、
彼女について知っておくべきことは次のとおりです。

USS「エドソン」は、
メリット "レッド マイク" エドソン少将にちなんで命名された、
アメリカ海軍の「フォレスト シャーマン」級駆逐艦でした。
1988 年に退役しました。
進水は1958年1月4日、最初の配備は1960年1月の西太平洋でした。
冷戦中に活躍し、ベトナムに 3 回配備され、
その間に複数の有功部隊賞を受賞しました。」



セントローレンスシーウェイの閘門を通過するUSS「エドソン」。


セントローレンス シーウェイは上の部分。

実は「エドソン」は、退役後1989年から2004年までの間、
ニューヨークのイントレピッド海上航空宇宙博物館で展示されていました。

ニューヨークのイントレピッド海上航空宇宙博物館にいた頃の
USS 「エドソン」


イントレピッドで展示されていた頃の「エドソン」シックベイ

昔「イントレピッド」に行った時には「エドソン」はおらず、
その「代わり」に展示されたという、航空機コンコルドがありました。

コンコルドの機体の下はその日陰にテーブルが置かれ、
フードトラックで買った軽食を食べる場所になっていたものです。

とにかく、コンコルドに展示場所を奪われた?「エドソン」は、
2004年に一度ブルックリン海軍工廠で艦体の修理を行いました。

まだイントレピッド博物館にいた頃の「エドソン」に、
ある日、ベイシティから来た人々が乗り込みました。


彼らは、ニューヨークのイントレピッド水上航空宇宙博物館を訪れた
単なる観光客ではなくサギノー・バレー海軍艦船博物館のメンバーでした。

「私たちは彼女が『それ』であることを確認するために来たのです」

サギノー・バレー海軍艦船主催のマイク・ケグリー氏は語りました。
全長418フィートの退役海軍駆逐艦は、まさに彼らが探していた船でした。

このころ、「エドソン」を引き取って展示艦にしようと名乗りを上げたのが、
ウィスコンシン州の海軍艦船協会と、ケグリー氏たちの
サギノー・バレー海軍艦船協会だったのです。

その結果、サギノー・バレー海軍艦船協会が権利を勝ち取りました。


ところで、さきほどの現地の説明によると、
「フィラデルフィア海軍工廠から曳航されてきた」
となっていますが、二つの海軍艦船協会が手を上げて選考されていた時期、
「エドソン」はブルックリン海軍工廠で修復を行なっていたとあるので、
フィラデルフィアではなくニューヨークから曳航されたことになります。



フィラデルフィアからにせよ、ニューヨークからにせよ、
セントローレンスシーウェイを通過したということは、
「エドソン」は曳航されて川を北上して行ったということでしょうか。

しかしそれだとどうしてもカナダ国境を越えることになるんだけど・・。

謎だ。

再び「エドソン」を地元に迎えるベイシティの新聞の記事です。

この5月、海軍はUSS「エドソン」の所有権を博物館に正式に移管する。

「エドソン」は現在、タグボート「コロネル」の乗組員7名によって
エリー湖を曳航されているところである。

「エドソン」は今週初めにサギノー川に到着すると、
一時的にワート・ストーン・ドックに係留され、その後は
インディペンデンス公園のボート乗り場近くで
恒久的に係留するための設備を完了させる。

ボート乗り場から400メートル下流にある
ワート・ザ・ストーン・ドックスのダグ・ワート社長は、
USS「エドソン」に一時的な住居を提供することによって
博物館を支援できるのを大変うれしく思っていると語った。


そしてベイシティのサギノー川河畔に到着。



以降、「サギノーバレー・ナーバルシップ ミュージアム」として、
かつての姿を後世に伝えるとともに、軍事にかかわるイベントや
その他のコミュニティの場として地元の人たちに支えられ今日に至ります。

■「エドソン」での退役軍人支援イベント



「退役軍人に対する正しい認識を」

と書かれたこの記事。

写真の男性は1952年にMP(ミリタリーポリス)の任務に就いていました。
この日「エドソン」で行われた退役軍人の日のセレモニーに出席するため、
わざわざポーツマスからここまでやってきたそうです。


この日のセレモニーに参加した地元のベテランたち。

USS「エドソン」は過去の軍事遺産の保存・継承のみならず、
観光資源として、また退役軍人の顕彰の場として、
今日もサギノー側のほとりにその姿をとどめています。

■ アワード受賞記念パーティ招待状



第 1 回 造船業者主催 パーティ
 後援 
アメリカ海洋造船労働者産業組合
49地域、C. I. O. 

'43年2月20日土曜日夕
 ウェノナ ホテル ボールルーム 
午後10時から午前2時まで



ウェノナホテルはベイシティの格式あるホテルでした。
その後、ホテルを廃業してアパートになっていましたが、
1977年10人の死者を出すという歴史的な火事によって消失しています。



デフォー造船会社 

アメリカ海軍船
U.S.S「バルダック」Balduck

進水式を含む海軍記念日の式典にご出席いただくよう、
あなたのご家族やご友人を心よりご招待いたします。

1944年10月27日金曜日、午後3時30分

主催: メアリー・ダーブンストラクト夫人

進水式とその後のヤード内見学ツァーに伴う海軍記念日の記念品は、
2番ゲートを入門した際にお受け取りいただけます。

今日は「従業員の日」です。

ゲート番号 2. 「フットオブジェファーソン」は
3:20 P.M に開門しますのでご利用ください。

入門証は必要ありません。


USS「バルダック」(APD-132)は、ガダルカナル戦死した海兵隊伍長、
レミ・A・バルダック(1918-1942)にちなんで命名された、
アメリカ海軍の「クロスリー」級高速輸送艦です。

バルダック伍長は、ルンガでの日本軍との戦闘で、
小隊の先頭に立って日本軍の陣地を正面から攻撃し、
敵に手榴弾を投げつけた瞬間に致命傷を負い、戦死しています。

「バルダック」はミシガン州ベイシティのデフォー造船会社で
1944年10月27日に進水しました。
この招待状はそのときの進水式に参加する人に向けたものです。

1945年5月7日にニューオーリンズで就役した「バルダック」は、
沖縄に到着後、朝鮮と中国の青島占領に参加し、就役1年で予備役に。

1953年再就役し、横須賀とサンディエゴを往復し、1958退役しています。


アワード 

アメリカ海軍の「E」ペナント に対して
受賞者 デフォー造船会社

海軍長官
ワシントン
1942 年 3 月 6 日

親愛なるデフォー氏:

この度、海軍生産賞委員会が、デフォー造船会社の生産功績に対して
海軍「B」賞の受賞者に指定したとお知らせできることを光栄に思います。

1966 年以来「B」は卓越性を表す伝統的な海軍の象徴であり続けています。
それは、あなたと同僚諸君によって大切にされるべきものです。
海軍長官として、そして同じアメリカ人としてこの栄誉の達成を祝福します。

そうすることで、あなた方の会社の貢献は他の愛国的同胞の貢献とともに、
始まりに過ぎないことを思い出していただきたいのです!

これらの製造品の層はこれからも勝利の流れとなるに違いありません! 

敬具

 H.J. デフォー氏、デフォー造船会社社長、
ミシガン州ベイシティ

デフォー造船は、1905年にベイシティに設立された小さな造船会社です。

第二次世界大戦中、戦争のため操業は絶頂期で、
同社は154隻の船を建造する盛況を見せましたが、
1976年、アメリカ海軍との契約更新に失敗し、操業を停止しました。

第二次世界大戦後、米海軍向けに護衛艦、誘導ミサイル駆逐艦、
オーストラリア海軍向けに誘導ミサイル駆逐艦などを建造し、
またRV「メルヴィル」とRV「クノール」という調査船も建造しました。

RV「クノール」Knorr は、1985年、サイドスキャンソナーを使って
RMS「タイタニック」の沈没地点を最初に発見した船です。

また、1960年代に沈没した行方不明の原子力攻撃型潜水艦、
USS「スコーピオン」とUSS「スレッシャー」が、
深海の莫大な圧力によって爆縮した破片を発見しています。


■セイラーズ クリード 船乗りの信条



私は合衆国水兵である

アメリカ合衆国憲法を支持し擁護し、私の上に任命された者の命令に従う

私は海軍のファイティング・スピリット(Bluejacket)を代表し、
世界中の自由と民主主義を守るために先陣を切った人々を代表する

私は、名誉と勇気と献身と誇りを持って我が国の海軍戦闘チームに奉仕する

私は、卓越性を持ちすべての人の公正な処遇に全力を尽くす


「セイラーズ クリード=水兵の信条」の「水兵」とは
新兵から提督に至るまで、すべてを表すものです。

海軍全体の規律を維持するためには、
文書化された基準(規範)が不可欠である、ということで、自尊心、
他者への敬意、名誉、勇気、献身といった基本的価値観に重点を置いた
「水兵信条」など、海軍に特化した規範があります。

海軍に所属する水兵の存在の事実上すべての側面を支配するもので、
これは海軍文化の定番であり、忠誠の誓いのように暗唱され、
すべての軍人に自分たちが何者であるか、
なぜ任務に就くのかを思い起こさせるためのものです。

セーラーズ・クリードができたのは意外と最近で、1993年、

海軍作戦部長フランク・ケルソ提督の指示により作成されました。

1994年、海軍作戦部長のジェレミー・ブールダ提督は、
「ブルージャケット」という言葉を「ネイビー」に置き換えることで、
この信条をよりすべての兵士を包含するものにするという
マイナーチェンジを承認しました。

今日、「船員の信条」は新兵訓練所で全隊員が暗記し、
士官訓練にも取り入れられていますし、
曹長の任命式には、曹長の信条と水兵信条の両方が唱えられます。

海軍の制服に身を包むすべての職員は、まず水兵であり、士官、曹長、
下士官、飛行士、海兵隊員、水上戦士、潜水艦乗組員、
加えて、ボートマン、ヨーマン、クォーターマスター、ラジオマン、
医務士官、看護士官、チャプレン(従軍牧師)など。
これらも全ては「セイラー」と包括されます。

これは団結とエスプリに影響する重要な点です。


水兵という言葉は、米国海軍の隊員(将校または下士官)を表す場合は、
常に大文字で「SAILOR」と表記され、米国海兵隊の下士官、
または将校を表す場合にも、同じように大文字で表記されます。



続く。


「エドソン」退役式へのご招待〜USS「エドソン」

2023-12-24 | 軍艦

ミシガン州のヒューロン湖に流れ込むサギノー川沿いに展示された
駆逐艦USS「エドソン」の艦内見学、前回は
CPO室、通称ゴートロッカーまでを紹介してきました。

■艦内ランドリー


続いては乗組員全員の衣類とリネンその他を全て洗濯する、
シップズ・ランドリーです。
全員、つまり士官たちの制服のプレスも全てここが引き受けます。

ここに備えられた巨大な洗濯/脱水機および乾燥機の容量は
50 ポンド 、22〜3kg(乾燥重量) でした。

ところで、アメリカ合衆国の洗濯機は、とにかく大容量を難なく洗い上げ、
乾燥機は、布団であろうがクッションだろうがガンガン乾かしてしまいます。

それもこれも洗濯機乾燥機が巨大だからこそなせるわざです。

家庭用でもホテルのコイン式のランドリーであっても大きさは同じで、
むしろ家庭用の方が容量も大きいのが標準仕様。

日本のように「置き場所に困る」という家はほとんどないので、
(集合住宅はほとんど共用のランドリーがある)
洗濯機と乾燥機は必ず独立したものが備えられていて、
「洗濯乾燥一体型」なんてのは今までお目にかかったこともありません。

ところで、大きな乾燥機の何がありがたいかと言うと、大抵のものは
ポンと放り入れるだけでほとんどシワが伸びて仕上がること。

ちなみに我が家の洗濯乾燥機はドイツ製のミーレです。
(スペース的にビルトインできる国産タイプがなかったのでやむなく・・)
最初、備え付けにきた業者が、

「ドイツ人は乾燥機で乾かし切らずに、最後の仕上げとして干して仕上げる」

と言っていて、そのときは、ふーんさすがドイツ人、マメなのね、
と思っただけでしたが、実際使ってみると、その意味がわかりました。

自動乾燥にすると、終わっても僅かに湿りが残っているので、
すぐに干さないとシワが伸びないまま生乾きになるということだったのです。

もちろん乾燥時間を延ばせばそれなりにカラカラに乾きますが、
なにしろドラムが大きくないのでシワが刻まれてしまいます。
それなら生乾きのまま干したほうが綺麗に仕上がる、という・・。

最近の日本製乾燥機がどうなのかは知りませんが、
アメリカのは乾燥から出してそれを干すという作業をしなくていいし、
なにしろどれもこれも気持ちよくぱりっと乾いてくれるので、

「乾燥機って本来こうあるべきだよなあ」

とあらためて思ったりします。

が、その話はともかく。



各コンパートメントでは、汚れた洗濯物は 2 つの容器に集められ、
1 つは白用、もう 1 つは青 (カラー) 用でした。

また、清掃員が集めた洗濯物を持ち込んで洗濯を行う指定日があります。
持ち込まれた洗濯はその日に仕上がりますから、
1日の終わりに各部門の代表者はきれいな洗濯物を受け取り、配布します。 

■ 艦内シャワー

「エドソン」の展示にあたっては、そのために水兵や下士官の人形を
オーダーして製作するような予算はなかったと見えて、
各部署に配置された人員は、明らかにファッション用のマネキンです。

せめて、ギャレーのスキンヘッド二人組のように、
イケメンの男性ばかりで揃えることもできなかったのか、
それともあえてウケを狙ったのか、艦内ショップに
LGBTQな香りを漂わせる色っぽい水兵さんを配置していたり、
シャワー室ではこれは完全にアウトな女性がシャワーを浴びていたりします。

タオルを巻いているからシャワーは終わった模様

もちろん「エドソン」の現役時代、女性は乗り組んでいませんでしたから、
彼女は乗組員たちの「願望」を具現化した夢の存在ということで。

さて、軍艦のシャワーについては何度も同じことを書いていますが、
艦は水量が限られているため、シャワーの湯は少ない上、
厳しく使用量を時間で制限されていました。

時間にして3分間が限度だったので、最初に体を濡らしたら一度止めて、
石鹸を体と頭になすりつけ(おそらくシャンプーは使わなかったと思われ)
石鹸を流し切るのがせいぜいだったに違いありません。

幸い?アメリカ人は、バスタブに肩まで浸かるということに対して
日本人のように切実な欲求を感じない人種なので、これで十分ですが、
基本的欲求の4番目に”入欲(浴)”があると思われる日本人は、
シャワーだけで下手すれば何ヶ月もなんて、精神的にかなり来ます。

というわけで、自衛隊の艦には湯船があるそうです。

わたしは昔、ある護衛艦の艦長室に一人用のバスタブがあったのを見て、
アメリカ海軍の人が見たらさぞ驚くだろうなと思った記憶があります。

まあもっとも、その艦長ご自身にうかがったところ、

「ゆっくり入浴なんてしたことありません」

というお返事だったので、「4大本能」のひとつより任務遂行の責任が勝る、
というのも日本海軍の末裔らしさかなと感銘を受けたものです。

ちなみに自衛艦風呂の湯船の湯は海水を沸かしたものだそうですが、
天然のバスソルトだと思えば、むしろ贅沢ですよね。

アメリカでは入浴剤というと「バスソルト」で、
皆風呂用のエプソムソルトなどを使います。


■ベトナム時代の「エドソン」写真



「エドソン」の記録写真コーナー。
これを一枚ずつ見てみましょう。



ベトナムにて 1968年

手前二人は士官と下士官。



1968年5月3日
DMZで艦砲射撃により撃墜された南ベトナム人パイロットを発見
(画面中央上の水上)
 USSエドソンは救出に向かっている

これってまじなやつ・・。



「エドソン」右舷前方海上に南ベトナムのパイロットがいる

ヘイローが彼を救出しようとして上空にきましたが、
「エドソン」は、自分たちが前進して救出を行うので、
そこから退いてほしいとヘイローに要請したそうです。


ヘリの立場は一体・・・。


「エドソン」からホエールボートを海上に下ろしている
要救助者に近づいてあとはホエールボートで収容する作戦



その後、海上から救出された南ベトナム海軍のパイロットは
ストレッチャーで手当てのために「エドソン」のシックベイに運ばれました。

写真ではオレンジ色のメンバーが担架で運んでいます。




1968年6月
非武装地帯で海兵隊員を支援している間、
海軍の快速ボートが弾薬、食料、淡水(プラス一杯のアイスクリーム!)
を補給するために「エドソン」に横付けしてきたところ



1968年ベトナム
トンキン湾のヤンキー ステーションにて
「エドソン」が給油を受けた空母。


給油の間人員を受け渡ししているところ。
(運ばれている人の遠目に見ても不安そうな様子よ)


■ 1988年11月 ある日の「副長からのお知らせ」


まず、掲示板の下の「ペイントについて」からみていきます。

【USS 「エドソン」 DD-946 の塗装】

「エドソン」のすべての金属表面をコーティングするには
約 14,000 ガロンの塗料が必要でした。

当時の海軍グレードの塗料は平均して1ガロンあたり重さ約7ポンドでした。
つまり、最初の海上試験で、「エドソン」は
塗料だけで 98,000 ポンド(49トン)を運んだことになります。

(これらの数値は USS「フォレスタル」のデータから推定されたもので、
排水量 1 トンが必要であると記載されています)

「エドソン」の排水量は進水時2800 トンでした。

さて、その次は右上の「Long Beach DISPATCH」ですが、
これは「エドソン」がベトナムから帰還したことを報じています。
戦績目覚ましかった「エドソン」を、タイトルで
「トップガン デストロイヤー」と呼んでいますね。

さて、最後に右上の「本日の通達」です。
これは「エドソン」副長の名前で出されたお知らせとなっています。

【お知らせ】

1、カロリーカウントコーナー 

土曜日
ランチ:ホットのツナとスイスのバンズ添え 415カロリー
クレオール風マカロニ 350カロリー
ディナー:ベイクドチキン 300カロリー

日曜日
ランチ:フィッシュウィッチチーズ添え 520カロリー
夕食:ベジタブルベイクドミートローフ 315カロリー

月曜日
ランチ:コールドカットプラッター 435カロリー
夕食:シリアンビーフシチュー 545カロリー

1988年といえば、アメリカでもフィットネスや健康志向が高まり、
ジムに通うのがステイタスみたいな風潮になった頃ではなかったでしょうか。
軍艦でもカロリーを意識して食事をしていたということですね。

2. 艦スケジュール: 

以下1988年11月11日から30日までの期間の改訂されたスケジュールです。
1988 年 11 月 11 日から 30 日 - ニューポート入港

 3. ヘッドデューティの割り当て: 

(1988年11月7日から11月20日までの期間)
11月7日、11月13日: B&M ヘッド
11月14日、11月20日:第 1 部門ヘッド

ヘッドデューティとはトイレ掃除のことです。

 4. サンクスギビング フードバスケット プログラム
「幸せな感謝祭」にするための取り組み

困っている家族のために、チャペル・オブ・ホープは
感謝祭の食料バスケットを準備しています。
乾物や缶詰、お金の寄付受付はチャペル・オブ・ホープで11月20日まで。
このプロジェクトへのご支援を心より感謝申し上げます。 


5. NOTE

廃止措置手順 (機器、資材など) に関する質問がある場合は、
ヒギンス大尉または CW02 ジュリアーニに問い合わせてください。

いかなる状況においても、廃止措置問題に関して
 NAVSEA、INACSHIPSPAC、CNSG-4 など、
外部機関に連絡する権限は誰にも与えられません。

「廃止措置」というのは、ほかでもない、
この「エドソン」が退役することを指しています。

民間業者などの介入などを阻止するため、阻止問題に関しては
絶対に上官の頭越しに上と話をするな、と言っているようです。

6. NOTE

新しい 
CINCLANTFLT はカーター提督です。
彼は1988年11月2日にフランク・B・ケルソー2世提督を解任しました。


CINCLANTFLTというのは、
 Commander-in-Chief, U.S. Atlantic Fleet
大西洋艦隊司令

のことです。
「彼は誰それを解任しました」という言い方は穏やかではありませんが、
普通にポスト代替わりの時にはこのような文言を使用します。

7.  DECOM(退役式) への招待

艦は「エドソン」 の DECOM への招待状を郵送します。

参加に興味のある人をご存知の場合は、1988年11月15日までに
管理事務所の YNC (SW) WHITE まで名前と住所を提出してください。

参考までに、日付は 12月15日 13:00、
USS 「エドソン」ピア II で設定されています。
悪天候の場合はNUSCジムを使用します。


DECOMというのは、「エドソン」退役の式典のことです。
「エドソン」が海軍を退役したのは1988年12月15日でした。

乗組員がこれに参加するのは当然のことですが、
このお知らせでは、退役の式典に参加する知人や関係者がいれば
手続きをすれば招待できますよということを告知しているわけです。

おそらくこの「お知らせ」は、「エドソン」副長が配布した最後の連絡で、
それが今日に至るまで外されることなく掲示されているのでしょう。

8. パトリック・ホールでの食事

1988年11月19日 から、下士官乗組員は
パトリック・ホールで食事をできるようになります。

「エドソン」ステッカーの付いたIDカードを提示する必要があります。
 ステッカーが必要なメンバーは、ヘルゲーソン大尉 までご連絡ください。

 9. 補給下士官会議

1988年11月14日月曜日、午前9時に
メッセデッキで補給下士官会議が開催されます。

この会議はすべての補給下士官に義務付けられています。

10. 礼拝スケジュール

日曜日、1988年11月13日

09:00 - USS「エドソン」(プロテスタント)ロジッド牧師
09:00-SS「アイルズ」(プロテスタント)レイツォ牧師
09:00-055「 クラーク」(プロテスタント)マリヤ牧師
10:00- USS 「カポダーノ」 (プロテスタント) フォントルロイ牧師
1030-SMA 会議室 (ラナン カトリック) スミス牧師

聖書研究、1900水曜日 - 15 コロンビア サークル、
グリーン レーンハウジング / デイビス牧師

 グループ牧師事務所の支援が必要な方は、デービス牧師、
フォントルロイ牧師、または RPC ローガン までご連絡ください。

 D.A.ナップ

(Knapp) エクゼクティブ オフィサー



続く。


「曹長に聞け」〜USS「エドソン」付録:CPOジョーク

2023-12-06 | 軍艦

前回までUSS「エドソン」の乗組員生活区画を見てきました。
続きです。

■ シックベイ



「シック・ベイ」は軍艦の病棟であり診療所です。
ここにあったプレートには何が書かれているかというと、

このコンパートメントは、乗組員が怪我や病気のをするスペースです。

1. 医師はいませんでした

2. 乗組員は軍人による治療を受けることになります

3. 隊員は救命士と同様であり、実行できる手当て、治療は限られていました

4. 彼らの主な役割は、患者を航空母艦などの大型船や、
適切な治療が提供できる陸上施設に移送するまで、
患者の状態を安定させることでした。

通常、シックベイは独立勤務の曹長または一等兵曹が統括します。
彼と助手の HN または HM3 は両方とも航海 X 部門に配属されていますが、
「エドソン」の場合は、この艦が

戦隊司令官旗艦  DESRON
(スコードロン コマンダーズ フラッグシップ=デスロン) 

としての役割を果た酢ようになってからは、メディカル オフィサー
=軍医が乗組員として勤務していました。

「シックコール」(体調不良の連絡)の受付は、
0730-0830と1300-1330の間にすることになっており、
軽度の病気とされる乗組員はシックベイで治療を受けますが、
「エドソン」が港にいれば病人は上陸させられて、
隊員には手がけられないレベルの治療を海軍病院で受けました。

ところで、かつて海軍衛生兵だった人のこんな詩を見つけたので
翻訳しておきます。

”私は海軍衛生兵”

私は海軍衛生兵だ

若者の体力と熱意、そして老人の知恵と経験を持っている

医者3役、看護師1役、海兵隊員2役、ヨーマン1役、母親3役だが、
実態は100%水兵だ

1778年以来、数え切れないほどの海兵隊員、兵士、
水兵の命綱となってきた

あるとき私は戦場から海兵隊員を運んできた
そして、私の死を兄弟姉妹のように悼む海兵隊員たちに、
私自身も恭しく運ばれてきた

私は若い

私は老いた

勇敢で、怖がりで、傷だらけだ

ロブ ローリー ボーイ、外科スチュワート、ファーマシストメイト、
病院衛生兵、IDC・・・・

私の肩書きは年月とともに変わってきた

平和を謳歌しながらも、海やジャングル、外国の都市、ワシントンD.C.、
そして白、褐色、珊瑚色、黒......あらゆる色の砂浜で、
戦争の痛みを感じてきた

白、褐色、珊瑚色、そして黒......私は自由で、地獄を味わった
硫黄島では古き栄光を得たこともある

私は潜水艦で盲腸を摘出し、戦闘のさなかに手足を切断した
通常の医療行為で期待をはるかに超える範囲の処置を数多く行った

私は、自分の国の海軍、海兵隊、陸軍、空軍の負傷者を治療するために、
自分の負傷も死も顧みることはなかった

私は海軍の中で最も多くの勲章を持っている
そのほとんどは、本人ではなく、妻や子供、あるいは母に贈られたものだ

私は、これまで戦ってきたすべての海兵隊員と、
船に乗って海に出たすべての水兵の命が存えたのは
"ドク "と呼ばれた人たちのおかげであることを、心の中で誇りに思う

すべての兄弟姉妹に幸せなバレンタインデーを

マーク・A・ライト

HMC(SS)、米海軍

2003年2月14日




■ CPO ギャレー



見ればわかる。
CPO(チーフ ペティ オフィサー)の巣、ではなく、ギャレー&メス。
海軍的にいうところの「ゴートロッカー」です。

No Entry Use Other Door
進入禁止 他のドアを使用せよ

という言葉がどうしてこんな大々的に看板に金文字で打ってあるのか。
そもそもこの部屋に「他のドア」があるのか。
このドアを使っていいのは誰なのか。

色々と疑問が湧いてきます。

すべての軍隊には「入隊」(Enlisted)と「徴兵」(Commissioned)
という2種類の兵隊がいるものですが、アメリカ海軍と沿岸警備隊には
4つの階級が存在します。

「入隊」(Enlisted)
任命されたCPO
任命されたウォラント(
Warrant)
「徴兵」(Commissioned)


そのため、"チーフ "という称号はより特徴的なものとなります。

曰く、曹長は

知恵の泉である
親善大使である
人事関係の権威である
技術専門家である


海軍でも沿岸警備隊でも、そこここで使われる言葉、それが

"曹長に聞け "(Ask the Chief.)

だといえば、CPOが海軍でどんな存在なのかがわかるでしょう。

(あ、よかった『他のドア』があった)



Fouled Anchor ファウルアンカーという海軍用語があります。



ファウル(foul)とは、絡みつく、絡まるという意味の海事用語で、
一般的には、何かが間違っている、または困難であるという意味です。
帆船時代に生まれた言葉でもあります。

ファウル・アンカーとは、錨が海底の障害物に引っかかったり、
ストックやフルークにケーブルが巻きついたりした状態を指します。

そして、CPO、曹長の紋章にはこのファウルアンカーがあしらわれています。
錨は、曹長にとって、すべての下士官が日々耐えなければならない
試練と苦難を象徴する、曹長そのもののシンボルとされてきました。

錨、鎖、文字。
知らない人が見ると、単にアメリカ海軍の曹長を示す記号に過ぎませんが、
曹長にとっては、これらはより高貴で輝かしい意味を持っているのです。
たとえば、錨と鎖、『USN』のレターに、彼らはこんな意味を込めます。

U "は "Unity "
協力、調和の維持、目的と行動の継続性

S "は "Service(奉仕)"
神、仲間、そして海軍への奉仕

N "は "Navigation "
全人類、特に同胞である仲間のチーフとの取引において、
神と人の前にまっすぐに歩むことができるよう、自らを真の航路に保つこと

チェーン
柔軟性の象徴
私たちが日々、一本一本繋いでいく人生の鎖


私たちの魂に対するすべての神の約束の成就という希望と栄光の象徴
誘惑、苦難、迫害の嵐の中で、信仰を堅固に保ち、
自分のあるべき立場にとどまるよう励ますものである

■ CPOジョーク



CPOジョークを集めてみました。
これを読むと、CPOという人種の実態がわかってくるかもしれません。

「誰が犠牲になるか」

ヘリコプターの下に11人がロープでぶら下がっていた。
10人の海軍士官と1人の曹長である。

ロープは11人全員を支えるには十分な強度がなかったため、
多くが助かるためには誰か一人が手を放さなければならなかった。
しかし誰がその志願者になるかは決めかねた。

そのとき決然と曹長が名乗り出た。


「わたしは海軍のために何でもします。
家族を捨て、すべての経費を請求せず、見返りもなく多くの残業をする。
それが曹長だからです!」


彼が感動的なスピーチを終えると、海軍士官たち全員が拍手をし始めた。

「川を渡る力」

むかしむかし、3人の海軍士官が森の中を歩いていると、
突然、巨大な荒れ狂う川の前に立った。
しかし、彼らはどうしても向こう岸に行かなければならなかった。

しかし、こんな激流をどうやって?

最初の海軍士官はひざまずき、主に祈った:
主よ、どうか私にこの川を渡る力をお与えください!

主は彼に長い腕と丈夫な足をお与えになった。
これで彼は川を泳いで渡ることができた。
約2時間かかり、何度も溺れそうになった。

しかし、彼は成功した!

これを見た二人目の海軍士官は、主に祈って言った:
主よ、どうか私に力と、この川を渡るのに必要な道具をお与えください!

主は彼に桶をお与えになり、桶が何度か転覆しそうになったにもかかわらず、
彼は何とか川を渡ることができた。

この様子を見ていた3人目の海軍士官はひざまずいて祈った:
主よ、どうか私にこの川を渡る力と手段と知性をお与えください!

主はその士官を曹長に変えられた。

曹長は地図を一目見て、数メートル上流に歩いて行き、橋を渡った。


「マスターチーフと3人の中尉」

ある日、マスターチーフがランチを食べに、
キャプテンとオフィサーズ・クラブに行った。
メインダイニングに入ると、そこはかなり混雑していた。

空席が2つあるテーブルに3人の中尉が座っているのに気づいたので、
艦長は彼らに仲間に入れてもらえないかと頼み、
中尉たちは快く彼らを席に招いた。
彼らは昼食を注文し、食べながら会話がはずんだ。

話の流れで、マスターチーフが、これまで多くの士官を見てきて
特徴を観察してきた結果、その士官の来歴を割り出すことができると言った。

中尉たちは興味を持って、自分たちがどのようにして任命されたかを
当ててみたまえと彼に言った。

曹長は左側の中尉に向かい、ROTCを卒業したでしょうと言った。
驚いた中尉はどうしてわかったのか尋ねた。
マスターチーフは、中尉の会話から、
学歴は高いようだが、軍歴は浅いようだったからと答えた。

マスターチーフは次に、右側の中尉に、
OCSを経て入隊した経験があるでしょう、と言った。

この中尉も驚き、どうやって当てたのかと尋ねた。

マスターチーフは、やはり会話を通して、
しっかりとした軍歴を持ち常識を備えていることがわかったからと言った。

そして、テーブルを挟んで向かい側にいた中尉に、
あなたは海軍兵学校を卒業しているでしょうと答えた。

中尉はその通りだと答え、調子に乗って、高い知性、軍人としての姿勢、
その他海軍兵学校で身につけた優れた資質に気づいたからか?と聞いた。

曹長は、そのようなことはないと答えた。
彼はただ、中尉が兵学校のクラスリングをはめていたのを見ただけだった。

「提督への道」

長時間の民間フライトで、3人の男が並んで固くなって座っていた。

飛行機が水平飛行になった後、窓際の席の男が突然、
低い声ではっきりと自信たっぷりに言った。


「アメリカ海軍提督、退役。結婚して息子が2人、2人とも外科医です」

数分後、通路側の座席に座っていた男が、
口元に笑みを浮かべながらこう言った。


「アメリカ海軍提督、退役。既婚、2人の息子はともに裁判官です」

少し考えた後、中央の席の男が自己紹介することにした。
目を輝かせてこう宣言した。


「アメリカ海軍曹長、退役。結婚歴なし、2人の息子はともに提督です」


「ザ・マスターチーフ」

曹長はある日、新入りに気づき、執務室に来るよう吠えた。
曹長はまず、君の名前は何だ、と新入りに尋ねた。
ジョン、と新人は答えた。

マスターチーフは眉をひそめた。

「私は誰もファーストネームで呼ばない。
それは親しみを生み、権威の崩壊につながる。
スミス、ジョーンズ、ベイカー、としか呼ばない。
私のことは『マスターチーフ』としか呼ばせない。わかったか?」


「はい、曹長!」

「よろしい!では、君の苗字は」


新人はため息をついて言った。

「私の名前はジョン・ダーリング・マスターチーフです」

「・・・・さて、ジョン、次に言っておきたいことはだな」



「消えたチーフ」

第二次世界大戦中のある島嶼作戦で、
5人の人食い人種が通訳として海軍に雇われた。

機動部隊の司令提督が人食い人種を歓迎したとき、彼は言った。
「我々は君たちのサービスに対して十分な報酬を与える。
だから、水兵を食ったりはしないでくれ」

人食い人種は約束した。

4週間後、司令部の提督が戻ってきて言った。

「君たちはよく働いてくれているし、私は君たちにとても満足している。
しかし、我々の曹長の一人がいなくなった。
彼の消息を知っている者はいるか?」


人食い人種たちは皆、首を横に振った。
提督が去った後、人食い人種の酋長は村人に、
曹長を食った馬鹿者がこの中にいるといった。

ためらいがちに手を挙げた者に、酋長は言った。

「馬鹿者!どうせ気づかれないと思ってこの4週間、

少尉、中尉、中佐、そして司令官を食ってきたのに、
貴様はよりによって曹長を食っただと?


「シーマンシップ・テスト」

ある時、OODが下士官のシーマンシップをテストすることになった。

「曹長、もし前方の見張りが海に落ちたらどうしますか?」


「簡単です。"Man Overboard "と叫びMan Overboardの手順に従います」

「それではオフィサーが船外に落ちたらどうしますか?」

曹長は言った。

「うーん・・・・・どっちのですか?」

註:Officerにはcommissioned(士官)と
non commissioned(下士官)がいる


「猿」

ある観光客がペットショップに入り、展示されている動物を見ていた。
彼がそこにいる間、下士官が店に入ってきて、
「シーマン モンキーをください」と言った。

店員はうなずき、店の脇にある檻に行き、サルを取り出した。
首輪とリードをつけ、曹長に手渡した。

驚いた観光客は店主に聞いた。
数百ドルですよ。どうしてそんなに高いんですか?

「ああ、あのサルはヘッドや通路を掃除したり、
船や格納庫の備品の定期メンテナンスをしたり、
複雑なアビオニクス・システムのトラブルシューティングや修理を
ミスなくこなしたりできるんだ。」


観光客は別の檻の中のサルを見た。


「そっちはもっと高いよ!$10,000! 何をするんですか?」


「GMT、CSTT、PRT、DC、3M、PQS、事務処理もできる。
本当に役に立つものばかりですよ」


観光客はもう少し辺りを見回すと、ケージに入った3匹目のサルを見つけた。
首には50,000ドルの値札がついていた。


「うわ高い!いったい何をするんだ?」

店主は答えた。

「まあ、実際に何をするのか見たことはありませんが、
納品書には『オフィサー』と書いてあります」

「理髪店」

ワシントンDC近郊の小さな町で、床屋が店を開いて商売をしていた。

若い海兵隊員がハイ&タイトに仕上げてもらいにやってきた。
床屋は若い海兵隊員に兵役について尋ね、世間話が弾む。
散髪が終わり、海兵隊員が財布を開くと、床屋は言った。


「国家への偉大な奉仕に感謝して、お金は結構です」

翌朝、床屋が店を開けようとすると、玄関先に箱が置かれていた。
箱の中には感謝の手紙とSEMPER FIの真っ赤なTシャツが入っていた。

同じ日の朝、若い陸軍のG.I.が散髪にやってきた。
同じように陸軍の話やその他の世間話をする。
散髪が終わると、G.I.は立って財布に手を伸ばす。
床屋は言う。おごるよ。国のために働いてくれてありがとう。

翌朝、男が床屋を開けると、玄関先に
陸軍のボールキャップと礼状が入った箱が置かれていた。

同じ日、マスターチーフが散髪にやってきた。
彼はフルドレスブルーに身を包んでいる。

理髪師は感心し、また同じことが起こる...軍務についての世間話だ。
マスターチーフがお金を払おうとすると、またしても店主は言った。


「偉大な国家への奉仕に感謝して(略)」

翌朝、床屋が店を開けようとすると、
玄関先に3人の曹長がいた。


「老いた塩」

ある年老いた戦艦の提督が死んだ。
ペテロは彼を温かく迎え入れた。


「あなたは国によく仕えたのだから、天国に入ることができる」

提督は門をくぐり、聖ペテロに歩み寄った。


「ここに海軍曹長がいないことを祈るよ。
彼らは人間の中で最も無作法で、最も不愉快な種類だ。
もし彼らがここにいるのなら、私は中に入らない」

「心配はいりません、提督。
天国に入ったチーフはいません。
ここには一人もいませんよ」
そうして、提督は天国に向かった。


しばらくして、提督は驚くべき光景に出くわした。
それは、カーキ色の服を着て、頭に駐屯地の帽子を少しかぶり、
片手にはほとんど空になったジャック・ダニエルのボトル、
そして両腕には美しい女性。

憤慨した提督は、あわてて聖ペテロのところに戻り、彼に詰め寄った!


「あれは何なんだ。」


心配しないで、提督、聖ペテロは優しく言う。

「あれは神です。彼は自分がチーフだと思い込んでいるだけですよ」

「司令部長の選考」

ある若い海軍士官が交通事故に遭った。


なぜか両耳は切断されたが、身体的な障害はなかったため、
彼は軍に残り、最終的には提督となった。
しかし、彼は自分の外見に非常にセンシティブなままだった。

ある日、提督が3人の曹長と面接していた。
最初のマスターチーフは水上戦タイプで、素晴らしい面接結果だった。
面接の最後に、提督は彼にこう尋ねた。


「私について人と違ったことがあると思うか」

水上戦のマスターチーフはこう答えた。


「あなたには耳がありません」


提督はこの無粋な態度に激怒し、彼を執務室から追い出した。

2回目の面接は航空マスターチーフで、彼は最初の人物よりもさらに優秀で、
人事ファイルもはるかに良かった。
面接の最後に、提督は彼に同じ質問をした。

航空曹長はこう答えた。


「あなたには耳がありません。」


提督は彼を追い出した。

三人目の面接は潜水艦曹長だった。
彼は明晰で、非常に鋭く、他の2人を合わせたよりも
多くのことを知っているようだった。
提督はこの男を気に入り、同じ質問をした。

驚いたことに、潜水艦曹長は言った。


「はい、あなたはコンタクトレンズをしていますね」

提督は感心して、なんて観察力のある曹長なんだろうと思った。
その上この人物は私の耳について何も言わない。

提督はなぜそれがわかったのか尋ねた。

その潜水艦の曹長はこう答えた。


「はい、耳もないのにメガネをかけるのは難しいですから」

「全能の下士官の力」

旅客機が離陸しようとしたその瞬間、5歳の男の子が癇癪を起こした。

困惑した母親が、何をなだめようとしても、
少年は激しく叫び続け、周囲の座席を蹴り続ける。

突然、飛行機の後方から、アメリカ海軍曹長の制服を着た年配の男性がきて
苛立つ母親が息子に向かって振り上げた手を止めた。
白髪で礼儀正しく、物腰の柔らかい曹長は身を乗り出し、
自分の襟の方に手をやって少年の耳に何かをささやいた。

途端に少年は落ち着きを取り戻し、母親の手をそっと取り、
静かにシートベルトを締めた。
他の乗客は皆、自然に拍手をした。

チーフがゆっくりと席に戻ろうとすると、客室乗務員が彼の袖に触れた。


「あの少年にどんな魔法の言葉を使ったのか、お聞きしてもいいですか?」

彼は穏やかに微笑み、そっと打ち明けた。


「この錨、ストライプ、バトルリボンを見せて、これをつけている者は、
乗客を一人を飛行機から放り出す権利がある、と言ったんです」

「チーフと提督」

チーフと提督が同じ日に死んで天国に行った。
天国に着くと、聖ペテロが二人に、天国の新しい家に案内すると言った。

提督の新しい家に着くと、プールやテニスコートもある、
ゲート コミュニティーにある美しいマンションだった。
提督はそのマンションにいたく満足した。

聖ペテロは、チーフにどこに住むか見せてあげるから来なさい、と言った。
提督は、まだ天国をあまり見たことがないので、一緒に行きたいと言い、
3人はチーフの新しい家を見に行った。

大きな丘に着くと、彼らは車を走らせ、巨大な邸宅に入った。
チーフが新居の調査をしている間、提督はペテロを横に引き寄せて言った。

「なぜチーフの家はこんなに大きくて、
私の家はマンションなのか理解できない。
地球上では私は提督で、彼はただのCPOだったのに!」


聖ペテロは言った。


「提督、あなたはわかっておられない。
天国には提督はたくさんいるが、チーフはめったにいないのです」


「ベスト」

兵士、水兵、空兵、海兵が、どの軍がベストかについて口論をした。
口論は白熱し、最終的には互いの殺し合いにまで発展した。

そして彼らは天に召され、天国のパーリーゲートにいることに気づいた。
そこで彼らは聖ペテロに、どの軍が一番優れているかと尋ねた。

聖ペテロは即座に答える。


「今度神様に会ったら、お考えをうかがってみます」

しばらくして、4人は聖ペテロに再会した。
彼らは神からの返答が得られたかどうかを尋ねた。

すると突然、白く輝く鳩が聖ペテロの肩に舞い降りた。
鳩のくちばしには、きらきら光る金粉のついたメモが入っていた。

聖ペテロは4人に言った。


「主が何とおっしゃっているか見てみましょう」


トランペットが鳴り響き、金粉が宙に舞い、ハープがクレッシェンドを奏で、
聖ペテロは4人の若者たちにメモを読み上げた。

覚書

To:兵士、水兵、海兵隊員、航空兵

From: 神

件名:どの軍務が最高か

諸君、軍隊のすべての部門は名誉ある高貴なものです。

あなた方一人ひとりが、立派に国に貢献しているのです。

アメリカ軍の一員であることは、特別な敬意、賛辞、
献身を保証する特別な召命を意味するといってもいいでしょう。

そのことを誇りに思ってください。

敬具

GOD CPO USN (Ret.)


「いびきをかく男と同室」

曹長が小さな町に入る頃には、ホテルの部屋は満室だった。


「どこかに部屋があるはずだ、ベッドだけでもいい、どこでもいい」


と彼は懇願した。

「ああ、ダブルの部屋ならあるんだが・・・海兵隊のガニー(砲手)だ。
でも実を言うと、彼はいびきがうるさくて、
過去に隣の部屋の人から苦情が来たことがあるんだ。
あなたにとって割に合うかどうかわかりませんよ」


「大丈夫です」


と疲れたチーフは断言した。

翌朝、チーフは目を輝かせて朝食にやってきた。

「よく眠れましたか?」


「よく眠れましたよ」


マネージャーは感心した。

「もう一人のいびきはどうでした?」


「いや、すぐに黙らせましたよ」


「どうやったんですか?」


「部屋に入ったとき、奴はすでにベッドにいていびきをかいていたので、
頬にキスをして『おやすみ、きれいだね』と言ってやりました」



「魔法のランプ」

二等下士官、一等下士官、曹長が昼食をとるために船を降りていた。
公園を横切る途中、彼らはアンティークのオイルランプに出くわした。

それをこすると、煙の中から精霊が出てくる。


「3つしか願いを叶えられないから、各自1つずつ願いを言うがいい」

「まず私から!」


と二等兵曹が言う。

「バハマでスピードボートに乗って、美女に囲まれて、
何不自由なく暮らしたい!」


パッ!彼は行ってしまった。

次は俺だ! 一等下士官が言う。


「ハワイで、専属のマッサージ師とビーチでくつろぎながら、
無限のピニャコラーダと美女に囲まれていたい!」


パッ!彼は去った。

次はお前だ、とジーニーはチーフに言う。
チーフは言った。

「昼食後すぐにあの二人をフネに戻せ」

続く。


ウィッシング ウェルとミッシングマンズ テーブル〜USS「エドソン」

2023-12-03 | 軍艦

USS「エドソン」の艦内探訪シリーズ続きです。
上甲板から1階下のワードルーム、そして士官用ステートルーム、
給料支払い事務所、人事事務所を前回まで見てきました。



人事事務所を出たところに赤くペイントされた何かがありました。
艦内で赤いものといえば消火関係・・?



■ AFFF ホース リール アッセンブリー

やはり消火関係だったようです。
その隣にあったAFFF ホースは、火災時の初期対応用消火ホースです。

即時に対応できる要員がすばやくアクセスできて取り扱えるように、
そしてその後の本格的な消火のための再突入を強化するために、
このホースは機械スペースの正面玄関近くに設置されていました。

■ 艦内売店



棚の上のスナック菓子は、日本でもお馴染み「キットカット」以外にも、
「ミルクダッズ」(ミルク不発弾)、ネッスルのチョコレートバー、
「ベビールース」はピーナッツのヌガーバーです。
どれをとっても日本人の甘味許容量を軽く倍超えしそうな勢い。


マルボロ、キャメル、ウィンストン、ポールモール、
セーラム、ラッキーストライクなどのタバコ各種。

海軍でも昨今は艦内禁煙が進んでいますが、この頃は無問題。



売店勤務のセメラッド水兵。
こっち見んな(笑)

■ クルーズ メス デッキ & ギャレー


クルーメス デッキ(兵員食堂)にやってきました。
ここはギャレー(キッチン)もあります。



右側のトレイとカトラリーを撮ってから左にスライドして
食事を受け取っていくシステムです。
カトラリー置き場にある「本日のメニュー」は、


グリュイエール(チーズのことと思われる)
スパム
イカ

これがマジならあまり美味しくなさそうな・・・。
メインがスパムというあたりがもうね。


サーブしてくれるのは内側に立ったキッチンのクルー。
奥にスキンヘッドのイケメンがいる・・・・。



トースターですが、「エドソン」は今日現在でも
パーティやスリープオーバー(お泊まり)企画で艦を借りられるので、
もしかしたら使うことがあるのかもしれません。



昔テレビが置いてあったかもしれない場所には
薄型液晶があり、かつての「エドソン」の活動が映し出されています。


こちらのキッチンにもスキンヘッドのイケメン、フェレン水兵がいます。
スプーンを一本持って立ち尽くすフェレンくん、
エプロン引きずってますよ〜。

ところで、このフェレン君のように、厨房で働くかどうかというのは
はっきりいって本人の意思でもなんでもなく、
スカウトされて海軍に入った場合、特に選択の余地はなかったそうです。

ここには残飯を処理するという任務?もあるのですが、
当時は海の生態系とか汚染とかが全く問題にもなっておらず、
軍艦は残飯を粉砕機に放り込んで、海に撒いていました。

アメリカ人の基本的なキッチンには、どんな古い家にも
シンクにディスポーザーが付いていて、食べ物のかすは
シンク横のスイッチをオンにすれば、底のモーターがすごい音を立てて
全てを砕いて排出してしまうという仕組みです。

法律でこれを禁じている国からやってきた我々日本人は、何度やっても
これをするたびにものすごい罪悪感が拭えないのですが、
アメリカ人ときたら、キッチンのシンクとは「ゴミ排出所」だと思っていて、
せいぜいその機械が壊れないようにストレーナーをつけるくらいしか
「配慮する」ということをしません。

ですから、軍艦が海軍ぐるみでおんなじことをしていても、全く驚きません。

むしろ、今はそういうことに国際的にうるさくなってきて、
アメリカ海軍はどう対処しているのだろうと不思議です。

とにかく、アメリカ海軍がこうやって残飯を撒き散らすと、
南洋ではおこぼれに預かろうとするサメが集まってきていたそうです。

そうなるとうっかり海に落ちることもできません。

空母など、飛行士が海に落ちる危険性もあるというのに、
もし彼らがサメの餌食になったとしてもそれは
自業自得となってしまう、ということまで考えなかったのでしょうか。


コーヒーサーバーがある「談話室」でしょうか。


「エドソン」現役の頃はカセットテープ全盛だったと思いますので、
ここにあるCDは、現在の艦内企画で使ったものだと思われます。

「007カジノロワイヤル」「プラトーン」「ブリット」
「ラスト オブ ザ モヒカンズ」「センチネル」「レイジング ブル」
「スタートレック」「ダニエルクレイグ 007」

「エドソン」時代の作品も含まれています。

■ ウィッシング ウェル(願掛けの井戸)


「エドソン」にもウィッシング ウェルがありました。
井戸の向こうにある黄色いTシャツは「エドソン」調理スタッフオリジナル。

古今東西古来より、船乗りは迷信深いものです。
航海は常に危険と予測不可能な事態を伴うからです。

第二次世界大戦中の海軍兵士は、戦闘の危害から身を守るために
小さなセント・クリストファー・メダルを首から下げていました。

「守りたまえ」とある

船の進水式には女性が舳先でシャンパンのボトルを割り、
それがうまくいったら幸先がいいという験担ぎをしますし、
水兵が刺青をいれるのも、ファッションというより縁担ぎの意味があります。

設備(荷下ろし用井戸)を利用した展示艦の願掛け井戸は、
これまでのアメリカ国内で見てきたいくつかの軍艦で見てきました。



コインを入れてベル(これがどこにあるかわからなかった)を鳴らすと
あなたの願いが叶います!と断言されていました。

底をのぞいてみると、なかなかの金額のコインが貯蔵されていました。


■ 乗組員の生活の場



この一帯は乗組員の主な生活に必要な施設が集まっています。
左手のドアを覗いてみましょう。



バーバーショップ

9000-1100、1230−1530の営業です。
三百人以上の乗組員がいるので、毎日誰かが来るのでしょう。

ドアの横の張り紙には、マイケル・フォリーとトーマス・クレート・タボー、
という二人のバーバーが詰めているとありますが、
この名前は、展示の再現に力を貸してくれた人だそうです。


バーバーの制服に、客が掛けるケープ。
後ろには建造中の「エドソン」の写真、
地域出身のベテランの「俺もかつては」的自慢写真が並びます。

ブルーエンジェルスの元メンバーが、引退後にシートに収まる写真もあり。

当時の兵隊のヘアカットは基本的に「ハイ&タイト」とされていました。
クルーカットのミリタリーバージョンとでも言うべきスタイルで、
今でも、そして自衛隊でも、特にヘルメットを着用しがちな職種の方は
てっぺんを残してサイドを刈り上げるこのヘアカットをしていますね。

具体的には、側頭部と後頭部の髪をこめかみの上まで、
通常は1.6mmかそれよりも短く刈り上げます。

頭頂部を残すのは、戦闘用ヘルメットの重量がかかるため、
頭部を保護すると言うちゃんとした理由があります。


そしてなぜか同じ一角に郵便局がありました。

水兵はランチに来て手紙を受け取り(出し)、
散髪もとここ一カ所でいくつものことができたわけです。

ポスト オフィス

郵便は配備中の軍艦の乗組員の士気に大きな影響を与えます。
通常、この規模の郵便局は、NAV X 部門に割り当てられた郵便係
[=PC] の水兵または 3等水兵が運営しています。

もし展開中に艦が数週間郵便物を受け取れなかった場合、
郵便物が溜まって大きな荷物が 10〜15 個一度に来ることもありました。

仕分けが完了し「メールコール」が 「1MC」から発せられると、
部門の「郵便局」がその部門の郵便物を受け取ります。

ちなみに「1MC」=1 Main Circuitとは、艦内放送回路のこと。
一般的な情報や命令を艦内のすべてのスペースとトップサイドに送信し、
すべての乗組員が(通常)それを聞くことができる十分な音量です。

毎日定期的に乗組員に一般的な情報を伝えるために使用され、
艦内各所に設置されたラウドスピーカーを通じて再生されます。

非常時、たとえば対艦ミサイルの飛来、化学攻撃、衝突、
飛行甲板の墜落など、差し迫った特定の危険の際には、
さまざまな警報音を送信するためにこの回線が使用されます。



ポストオフィス勤務だった「エドソン」のベテラン、
トーマス・アラン・カツマ(Katsma)氏の家族は、
2017年に氏が逝去された際、彼の思い出を「エドソン」に残そうと、
かつて勤務していた場所に写真を提供しました。

「エドソン」がベトナム戦争に参加していたとき、
カツマ水兵は20歳だったということになります。

その後の彼の人生が家族に愛され豊かで幸福なものだったことを祈ります。



■ミッシングマンズ・テーブル再び

ベトナム戦争では多くのMIA(任務中行方不明)
POW(戦時捕虜)の軍人が祖国に帰ることができませんでした。

ここにもそんな軍人たちを忘れないための「陰膳」的慣習である

「ミッシングマンズ テーブル」
Missingman's Table


があります。
当ブログ的には短期間内での繰り返しになりますが、ここの説明から
ミッシングマンテーブルの「作法」とその意味について書いておきます。

あなたの目の前にあるテーブルは名誉ある場所です

ただ一人用のセッティングです。
このテーブルは、武器を職業として扱うわたしたちの仲間が
わたしたちの中からいなくなってしまった、
という事実を象徴するわたしたちの方法です。

彼らは一般に”POW”または”MIA”と呼ばれ、
わたしたちは ”BROTHERS” と呼んでいます。

彼らは今日わたしたちと一緒にいることができないので、
わたしたちは彼らのことをこうやって思うのです。

【 小さな一人用のテーブル】

抑圧者に対する一人の囚人の弱さを象徴しています。

【白のテーブルクロス

祖国の武器を取れという要請に応じた
彼らの意図の純粋さを象徴しています。

【花瓶に飾られた一輪の赤いバラ

信仰を持ち続けて帰還を待っている戦友の家族、
彼を愛する人たちを表しています。

【花瓶に結ばれた赤いリボン

花瓶に目立つように結ばれた赤いリボンは、
行方不明者の生存情報を要求するという不屈の決意の証である
何千人もの人々の胸元に施された赤いリボンを彷彿とさせます。

 【キャンドル】

不屈の精神が、天に向かって到達することを象徴します。

【レモンのスライス

レモンは彼らの苦い運命を表しています。

【パン皿に置かれた塩】

彼らを待つ家族の涙を象徴しています。

【逆さまに置かれたグラス

今、彼らはわたしたちと一緒に乾杯することはできません。

【椅子

椅子は空席です。彼らはここにはいません。

彼らとともに救い、彼らを同志と呼び、彼らの力と援助に頼り、
彼らを頼りにした者たちよ。

忘れないで!
彼らが帰ってくるその日まで、決して忘れないで!



続く。

オフィサーズ ワードルームの「序列」〜USS「エドソン」

2023-11-30 | 軍艦

ミシガン州ヒューロン湖のサギノー湾から流れ込む
サギノー川ぞいに退役後の姿を留める駆逐艦、
USS「エドソン」の内部を探訪するシリーズ。

ブリッジの階から一階下の艦長・副長室、通信機器室、
そしてトップシークレットである通信傍受室まで見てきました。

ここでさらにもう一階下のフロアに移動します。



ドアの上の「艦内アドレス」はI-59-I、

WR MESS RM WR LOUNGE
8 FWD BAT. DRESSING STA
(ワードルーム メスルーム、ワードルームラウンジ、
8フォワードバッテリー、ドレッシングステーション)

ワードルーム単体の意味は、軍艦における将校のための娯楽室・食堂、
またはコミッションオフィサーそのものを指します。
ここでは「ワードルーム」を「士官」という意味で使っています。

また、ドレッシング ステーションは、戦闘時に負傷者が出た場合、
応急手当てなどをする部屋のことで、その際はテーブルがベッドになります。

ここにあったワードルームそのものの説明によると、

ワードルームは士官が食事をしたり、会議を行ったりする場所でした。
このメスは各士官からの寄付によって賄われていたものです。

ワードルームパントリー勤務の士官付きの料理人は、
士官用の調理は厳密に下士官とは別に行うことになっていました。



士官用の調理を行ったWR手前のキッチン

そこは、フォーマルな食事、適切な服装、厳格な行動規範を備えた
一種の
「ジェントルマンズクラブ」に似た雰囲気を持っていました。

この傾向は、艦の規模が大きくなればなるほど顕著になります。

特に海軍では艦内にスペースのない潜水艦であっても、
厳密に士官と下士官兵の食事場所は分かれていましたし、
使われる食器も陶器製にこだわる、などという違いはありましたが、
どうしてもキッチンは同じにせざるを得ない場合もありました。


■ 「ラインオフィサー」と「スタッフオフィサー

特に海軍ならではというか、ワードルーム内における序列もあって、

キャビンの使用も暗黙の了解のもとに、

ライン-オフィサーは右舷側
スタッフ-オフィサー
は左舷側

と昔から決まっており、現在も変わっていません。

このライン-オフィサーとはなんぞや、って話ですが、
「ライン-オフィサー」または「オフィサー・オブ・ザ・ライン」とは、
アメリカ海軍またはアメリカ海兵隊の将校または准尉であり、
一般的な指揮権を持ち作戦指揮の地位に就く資格を持つ将校のことです。

オフィサー・オブ・ザ・ライン(Officer of the line)

という表現は、18世紀から19世紀にかけてのイギリス海軍で、当時は
シップ・オブ・ザ・ライン(Ships of the line)
と呼ばれていた大艦艇そのものの呼称に由来しているという説があります。

語源は、当時は艦砲が船に横付けされていたため、この効果をあげるために
帆を動力とする軍艦を「ライン」に組織したことから来ています。

つまり戦術または戦闘部隊の指揮を行う資格を持つ将校を意味しますが、
この用語は一般的に米陸軍では使用されません。

具体的には、

海軍航空士官および海軍飛行士官

水上戦士官
潜水艦戦士官
海軍特殊戦/海軍特殊作戦 (NSW/NSO) 士官
(SEALsから成る、 特殊戦戦闘機 (SWCC)士官
爆発物処理(EOD)士官(海軍潜水士官で構成される)


などを指し、さらにラインオフィサーの中でもこれらの士官を


「非制限(Unrestricted,URL)ラインオフィサー」

と称します。
それでは逆の


「制限付き(Limited Duty)ラインオフィサー」

は何かというと、

情報、暗号、海洋学/気象学、工学任務、
航空工学任務、航空機整備、広報

などの分野に所属する士官のことです。

「原子力潜水艦の父」ハイマン・リッコーヴァーが少将になったとき、
これに強く反発し反対したのは、「非制限ラインオフィサー」でした。

彼らの中では、あくまでも、
「アンレストリクテッド LO」>「リミテッドデューティLO」
だったということを表します。

そしてスタッフ-オフィサーは、非戦闘専門分野を任務とする将校であり、

弁護士、チャプレン(従軍牧師)、土木技師、
医療サービス専門家、兵站・財務管理専門家

などを指します。
言及されてませんが、軍楽隊の指揮官もこちらに含まれるでしょう。

スタッフオフィサーのことは「幕僚団士官」ということもあります。

しかし、海兵隊は海軍とは異なり、幕僚隊が存在しないため、
機関将校や補給将校、法律関係将校は「全てラインオフィサー」です。

ちなみに、海兵隊の医務隊、歯科医務隊、看護師隊、
チャプレン隊には士官はいません。
その役職が必要な場合は、海軍から派遣されます。

空軍はというと、医務、看護、歯科、医療サービス(医療管理)、
生物科学、法務官、チャプレン隊に配属されるのは「専門将校」と呼ばれ、
法務官はラインオフィサーともみなされ、空軍の一線(LAF)に属します。
(ちなみに空軍には准尉はいない)

そして、「ライン-オフィサー」の発祥の地であるイギリス海軍では、
その連邦加盟国ともども、この言葉もその地位も消滅し、存在しません。


■ ワードルーム Ward Room



・・・と散々説明してきたわけですが、

「エドソン」のように「右舷と左舷」にシートが分かれていない場合は、
(窓際のシートはすべて左舷側にある)
制限なしもありも、そもそも序列もあったもんじゃない気がしますね。



このシートの中でもどこが「上席」とか、暗黙の了解があったとかかな?



まあそんなことはどうでもよろしい。

ワードルームメスの奥に目立っているこのボロボロの星条旗ですが、
わたしの想像通り、やはり特別なイベントを経験していました。

1941年12月7日、真珠湾攻撃があったとき、
駆逐艦USS「セルフリッジ」DD-357に翻っていたものだそうです。



U.S.S セルフリッジ

1942年1月15日
司令官より
米艦隊司令へ

題;1941年12月7日 真珠湾における行動についての報告

当艦は、1941年12月7日の空襲中、
真珠湾とそこに拠点を置く船舶の防衛に参加す。
空襲発生当時係留せし岸壁X-0、ほぼ北東に艦首をむけていた。

艦外右舷側に「ケース」「リード」「タッカー」
「カミングス」「ホイットニー」。

作戦開始時、すべての機銃に対し、
0.50 口径と 1.1 口径の弾薬が箱で用意されていた。
銃は有人で装填するのみの状態ですぐに使用できる状態にあった。

乗艦していたのは9人の士官と乗組員の99%。

朝のモーニングカラーズ(旗掲揚)の約 4 分前に、
甲板士官が日本軍の飛行機から発射された魚雷が
USS「ラレイ」(Raleigh)LPD-1 に命中したのを目撃。

ほぼ同時にシグナルブリッジから海軍航空ステーションが火事と連絡あり。
甲板士官はジェネラルクォーターズのアラームを鳴らし、
状況を確認したうえで、出港のため機関室にボイラーの点火を命ず。

0758頃、セルフリッジの50口径機関銃、日本軍機に向けて発砲し、
すぐに1.1口径機関銃が続いた。
これらはこの地域における攻撃後の最初の発砲とされる。

砲撃を受けた敵機2機が墜落。
1機は「カーチス」に向かってダイビング中1.1銃が命中したものである。
翼がもぎ取られた飛行機はベコニングポイントの海岸近くに墜落した。

「セルフリッジ」の西に向かって低空飛行していた別の飛行機が、
ノース海峡のUSS「ラレイ」に爆弾を投下した。

3機目の飛行機は、1.1インチの砲撃の中を飛んでいたが、
丘の中腹にある生け垣の陰に消えるのが目撃された 。

4機目は、左舷の50口径機関銃で胴体下部を撃たれ、煙を上げ始め、
最後に目撃されたときはセルフリッジの北のサトウキビ畑に向かったが、
その後この飛行機が墜落したことが確認されている。

戦闘中m850発の1.1インチ口径弾と2,340発の.50口径弾が消費された。
人的被害はなかった。

唯一の物的被害は、右舷側にある小さな円錐形のへこみであり、
これは小銃の銃弾によって付いたと考えられる。

艦の装備性能は、乗組員の能力と同様優れていた。
襲撃中、弾薬供給の中断によって発砲が滞ることは一度もなかった。
銃撃に加わらない乗組員も、最も効率的かつ迅速な方法で弾薬を補給した。

戦闘部隊としての乗組員の行動、協力、冷静さ、士気は素晴らしく、
誰か特定の士官や兵士の行動が傑出していたというものではない。

行動調書




本棚にあるのはほとんどが艦艇年鑑などの関係書ですが、
左上にジャック・ロンドンの「アドベンチャー」が見えます。



長いテーブルを挟んで両側に椅子が並びます。
ワードルーム士官たちはここで食事を取ったのでしょう。
それにしても、このテーブルの並びも艦体に対して横向きですので、
「左舷側」「右舷側」の階級分けはできません。

「エドソン」のラインとスタッフオフィサーはどう住み分けていたのか。



トイレが広すぎい!
これ、個室ですよね。



■ ステートルーム State Room

ここは区画名でいうと「ステートルーム」とされています。
士官の寝室ということですが、艦長、副長ときてNo.3となると、
自衛隊でいうところの「船務長」「砲雷長」でしょうか。


■ 支払い事務所(Disbursing Office)

ここは海軍艦艇の会計事務所です。
このオフィスは乗組員の給料日を管理する任務も負っています。
少なくとも過去にはそうでした。

「エドソン」の給料支払いは、通常 2 つの場所のいずれかで行われました。
食堂デッキで行われることもあれば、
この支払事務所の窓の外で行われることもありました。

ただし、変わらないことが 1 つありました。

給料日にはいつも衛生兵「コーアマン」Corpsmanがいたことです。
なぜ衛生兵か。


USS 「エドソン」は比較的小型の船であったため、
乗組員が一つのところに集合することはめったにありません。

衛生兵の任務の一つは、乗組員に必要な予防接種を受けさせることですが、
この要件を全員に遵守させるのは非常に困難なことでした。

しかし、給料日になるといずれにしても誰もが同じ場所に集まり、
必ず全員がお金のある場所に集中することになります。

そこで衛生兵たちは、彼らのブースを支払い事務所の前に設置して

予防接種を受けないと給料がもらえないシステムにしていました。

現在、軍の全てで乗組員は乗艦中に自分のお金にアクセスするため、
直接預金システムに参加することが義務付けられていますし、
アメリカ海軍は船舶にATMを装備しているのが標準となりました。

(すげー)

給料受け取りたかったら注射を受けろ、という技が使えなくなったのです。

しかし、コロナ以降、予防注射に対する考え方も随分変わって、
むしろワクチンを打たなければ勤務に参加できない、
などの縛りができているはずなので、そちらは無問題となっています。



■ 人事部(Personnel Office)

NAV/X 部門に配属された職員 をパーソネルマン(PN) といいます。
パーソネルマンもまた、(艦のヨーマンとともに)
個人の人事経歴記録の管理について責任を負っていました。

ここでは、22人の士官と315人の下士官兵に関する記録について、
大手企業や会社で保管されているものと同様の業務を行っていました。



タイプライターはアタッシェケース付きのモバイル式。
電化製品の仕様に時代が感じられますね。


続く。




「軍機オブ軍機s」通信傍受システムの二人〜USS「エドソン」

2023-11-20 | 軍艦

ヒューロン湖沿いのベイシティに展示されている
「ザ・デストロイヤー」ことUSS「エドソン」艦内探訪、
ブリッジから一階下のコンパートメントにやってきました。

■ エグゼクティブ オフィサー ルーム


艦長室ほどではありませんが、広い個室です。
このベッドは平常はソファとして使われているような作りです。



ある艦では艦隊司令などが乗艦してきたときには、
司令官は艦長室を使い、艦長は副長の部屋に移動し、
副長はさらに下のベッドに移動ということになっていました。

自衛隊ではどうかわかりませんが、アメリカ海軍の艦船では
そうなったとき階級に従い、ベッドを「降格」させることもあります。



しかし、居室としての設備は艦長室並み。



個室に専用トイレ付き。
艦内表示には「COMM HEAD」(司令官トイレ)とあります。
やはりここはエグゼクティブ・オフィサー専用室のようですね。

■ レイディオ・ルーム



無線室、レイディオ・ルームにやってきました。



歴史的展示艦艇であっても、ここまできちんと
現役の時の姿通りに無線室を保存しているところはそうありません。
たまにあっても、ほとんどはフレキシガラスで覆われて、
ガラス越しに中をのぞけるようになっているものです。

「エドソン」で感心したのは、その気になれば
すぐ近くに立って機器の全てを見ることができることでした。



ここから、かつて関係者以外立ち入り禁止だったようです。
一体ここにどのような機密があったのでしょうか。


ここにはトランスミッター、パワーサプライ、アンプなどの機器が
整然と積み重なっています><
うーん・・・まだこれくらいでは「機密」とはいえないよね。



説明によると、ここには「ファイアー アックス」消防斧があったようです。
ここから先はコミュニケーションスペースなのですが、
ここへの出入り口が一つしかないため、緊急の場合に
出入りを確保するために、ドアに備え付けてあったのだとか。

ということは、ここから先が「機密」なんでしょうか。

■ メッセージ解読室



こちらにはタイプ、椅子の向こうにある機器はなんぞや。


大きなゲーム機にキーボードをつけたような・・・。
これはデコーディング エネミー メッセージの機器、
つまりここで敵の通信を傍受&解読していたのです。



なるほど、これで「関係者以外立ち入り禁止」のわけも、
入り口に斧があったわけもわかりましたね。

機器の上に置いてある分厚い書類は使マニュアルです。



この部屋では2人の係がメッセージの解読を行なっていました。

ベトナムの洋上でこの狭い部屋に詰めっぱなしはさぞきつかったでしょう。
部屋は一応空調はされていたそうですが、艦艇がが攻撃されると
部屋は密閉され、あるいは永久にそこから出られません。

なぜならここにある機器そのものが「機密」だから。
艦が危機に陥ると、自動的にここは破壊される仕組み
だったそうです。
(どのようにして破壊するかまではわかりませんでした。

自爆装置がどこかに仕掛けてあったのかもしれません)

そうなったとき、この部屋の傍受係は、自力で
閉じ込められる前にここから脱出しなければなりません。

どこから脱出するかって?


はい、この小さな丸いハッチからです。
ハッチの上には赤い字で

「脱出用スカットル 前にものを置くこと禁止」

と書いてあります。

非常時を知らされてから、乗員がこの窓から外に出て
梯子を降りて脱出するのに与えられた余裕はわずか数秒
だったそうです。

なんかハッチを開けるだけで数秒くらいかかってしまいそうなんですが・・。
よく見るとハッチの上に非常用のライトもありますが、
そんなもの持って出る余裕なんかなさそうですし。

ここで勤務していた二人は、間違いなく、海軍内でも
最も戦闘の極限状態にさらされていたと言えるかもしれません。


ちなみに「ここで働いていました」という人が戦後も現れないのは、
その存在そのものが「機密扱い」だったからです。

彼らの存在に限らず、「エドソン」には戦後秘匿され、
現在でも明らかにされていない機密部分があるとされます。



それを踏まえた上で、この部屋(防音設備になっている壁)に貼られた
張り紙に書かれたことを見ていきます。

毎日所定の時刻に暗号化された電子キーが変更されます。
その場合、通信者は他のセキュア通信機器と通信しません。
変更が行われているときは、通常、
許可された乗組員 2 名のみがここに入ることができます。
ドアはボルトで閉められ、カーテンが引かれ、
これらの 2 つの看板がドアの外に吊り下げられ外部をシャットアウトします。




ここからは秘密保持の観点からの法的解釈などの通知。

トップシークレット
「機密扱いは、国家安全保障に損害を与えるなど、
極めて重大な事態を引き起こすことが合理的に予想される
情報または資料の不正開示に適用されます」

シークレット
「国家安全保障に重大な損害を引き起こすことが合理的に予想される資料
または情報の不正開示に適用される機密扱い」

 コンフィデンシャル
「国家安全保障に損害を与えることが合理的に予想される資料
または情報の不正開示に適用される機密扱い」

アンクラシファイド
「公式使用のみ」の一般情報が含まれる場合

なおその詳細について。

機密扱いの資料のすべてのページには、
各ページの上下に適切な機密扱いのマークが付けられます。
すべての文書のすべての段落には、段落の冒頭に適切な分類
(T/S、(S)、(C)、(U)) が付けられるものとします。

最高機密とマークされた文書には、各ページに
ページ数が記載されたページ (LE 1/5) が付けられます。
すべての機密文書は、厳格なガイドラインに従ってのみ格下げされます。

(格下げについて:必要な発行元政府機関の指示は、
発行元機関との協議後にのみ格下げされ、いかなる機関も個人も、
他の機関から作成された文書を格下げしてはなりません。
州長官またはその職員であっても文書を格下げすることはできません)

CIA、DIAからの発信、FBI、VISE VERSA!
多くの場合、文書には「複数の情報源」とマークが付けられており、
この場合、提供元の各機関に個別に連絡する必要があります。

機密文書は、適切なレベルの分類 LE に対して事前に承認された機器、
および回路でのみ送信できます。

機密情報のみがクリアされたシステムでは
極秘情報を送信することはできません 。

機密文書は、その適切な分類レベルについて
事前に承認された機器および回線でのみ伝送できます。

すなわち、極秘情報は、極秘扱いしか許可されていないシステムでは
送信することはできません。

機密文書は、適切なレベルでクリアされたコンテナ、
または電子機器にのみ保管されます。
誤った取り扱いは、偶発的または意図的であっても重罪となり、
罰金あるいは収監によって処罰される可能性があります。



クラシファイドマテリアル金庫

この部屋とこの特別ファイルキャビネットは、
トップシークレットの機密資料を保管するために使用されていました。

組み合わせは 3 か月ごとか、あるいは
担当者の移動があった場合に変更されました。

別の大きなCMS金庫がコーヒー瓶(写っていない)の後ろの
整理デッキにあり、その下には機密文書
(例えば機器の技術マニュアルなど)が保管されていました。



ここにはかつて下の写真の機器がインストールされていました。
展示にあたって復刻することができなかったらしく、苦渋の判断で写真のみ。



本棚の上には1976年から1991年までのジェーン年鑑が揃っています。
Jane's Yearbook は昔は軍艦だけの年鑑でしたが、現在は範囲を広げ、
兵器だけでなく、商船や鉄道、都市交通システムなども扱っています。

ここにあるのは「兵器システム」「水面下兵器システム」
「ファイティングシップ」「ミリタリーコミュニケーション」「水上艦」

しかしいずれも「エドソン」の活動時期とは異なっています。

そのほかには

「世界の戦闘艦隊(コンバットフリート)

「ソ連海軍ガイド」


などが並んでいます。



「RECCE BOOK」のRecceの意味がわからないのですが、
要するにベトナム戦争時、周辺に投入されていた
ソ連海軍艦艇の艦影早見表です。
単語帳のようなリングに通した見やすい仕様となっています。



ここで階段が現れたので降りていきますと、



階段の下には「ツアーガイド順路」として上を指し示していました。
わたしはどういうわけか見学路を逆行してきたようです。
でも今更やり直すわけにもいきません。
仕方がないのでこのまま逆行を続けます。



説明がないのでわかりませんが、こちらが洗い場のような感じで、
右手の小さな窓から食器が運ばれてくる感じでしょうか。

さて、わたしは一体どこにやってきたのでしょうか。



続く。