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元陸幕長とお会いした~歩兵の本領

2014-04-06 | 自衛隊












これまで何人かの自衛隊幹部、特に上級幹部を実際に目にし、
さらにインターネットの検索過程でそのご尊顔をチェックした結果、
何となくですが、やはり陸海空それぞれの「タイプ」があるのではないか、
という気がしてきました。

とは言っても当方あまり空自にご縁がないので陸海だけのサンプルですが、
ものすごくおおざっぱにわけると、海自の将官佐官は陸自に比べると
草食系というか、学者系で、陸自は比較すると幹部であっても叩き上げのような、
汗臭い感じが漂う雰囲気の方がどうも多いような気がします。

勿論「傾向」ですから、パイロット出身で副官任務にも付いておられた先日のK1佐のように、
どちらかというと内勤一筋みたいな草食的雰囲気の自衛官も数多くいましょうが、
先日ネット検索の過程で見つけたある陸自幹部は、鋭すぎる目つきに口髭を蓄え、
縁のない金縁眼鏡をかけたその佇まいが、首から下の制服をそのまま
ダブルの光る素材のスーツとか、街宣の構成員の特攻服に変えても何ら違和感がない、
というかそちらの方が似合っているのではないかとか思ってしまうもので、

「陸自幹部ともなるとこれくらいの迫力が出てくるのね」

と納得するとともに逆にこのタイプは決して海将にはいないと確信した次第です。

さて、それでいうと今回お会いした元陸幕長は、完璧に「陸自タイプ」です。
首から上が赤銅色に日焼けし、白髪の短髪はパンチパーマみたいです。(違いますが)
そして数万人の組織の上に立って号令をかけたことのある人間ならではの
眉間から放たれるような目の光が、どう見てもただのおっさんとは雰囲気を異にしています。
当日の宴会を企画した経済人から、

「見た目は怖いです(が話せば普通のおじさんです)」

と聞いていたものの、わたしは怖いというより、海自タイプとの違いの
あまりの分かりやすさに膝を叩きたくなるような気がしました。


会合は時間きっちりに始まり、料理が運ばれてくる間もなく、

元陸幕長のお話を全員で拝聴する、という独演会スタイルで始まり、
誰かがそれに間の手を入れたり質問したり、という調子で和気藹々と進みました。

退職後の幹部将官というのはご存知のように一般企業に天下るので、元陸幕長も
今は某企業(護衛艦の装備を作ったりしている」の監査役みたいな肩書きがあるのですが、
今回のように講演を頼まれることはしょっちゅうあるようで、退官後の幕僚長の仕事は
天下った会社の業務よりこちらがメイン?という気がしました。

現職中はともかく、退官し一般人となった今では、特にオフレコのこういう場では
歯に衣着せぬ発言もしばしば。
在任中の不満や自衛隊の内部のこと、極東情勢、明快な調子でご自身の見解を語る様子は
講演のみならず内輪の席でこういった話をすることこそ退官後の元陸将にとって
もしかしたら「本業」なのではないか、とすら思わせました。


■ 酒を飲まねば陸自上官ではない

宴席ですから乾杯から始まり、わたしとTO、例のI会長を含む列席者の半数が
お酒を飲めない人でウーロン茶とかノンアルコールビールでしたが、陸自2人組は
当然のようにビールに始まり日本酒に移り、元陸将に正面でお酌をしていた人が後で言う所によると

「気づいてましたか、ものすごい飲んでましたよ」

そういえばほとんど独演会状態で澱みなくしゃべり続けながら
運ばれてくる料理も全て平らげ、その合間にコンスタントに酒を吸引していました。
ご本人の最初の言によると

「陸自で酒が飲めなくては上にはなれませんから」

東北かどこかの方面本部総監をわずか何ヶ月かで移動を命じられたとき、
奥方が

「お父さん、何を悪いことしたの」

と心配するのに対し、ご本人、

俺をここにこれ以上置いておくとこの辺りの酒がなくなるからだ」

と答えたというほどの自他ともに認める酒豪です。


何かと体育会的に見られがちな陸自ですが、上と下のコミニュケーションの取り方、

このあたり空自の「クール」、海自の「決して超えられない線あり」に対し、
陸はあくまでも「ひたすらアツい男と男」といった一般人の持つイメージがあります。

陸海空問わず飲み会を何かと行う団体らしいのであくまでもイメージですが。


ところでこの夜、話はなぜかいきなり旧軍の特攻批判から始まり、元陸将は

「賛美しちゃ駄目ですよ。国が組織して兵隊を死なせるなんて作戦を。
命じる方は誰も死なないで、考案者は終戦の日に勝手にどっか飛んでっちゃった」

などとクソミソにおっしゃいました。

特攻を否定することと死んだ者を「犬死にだった」と貶めることは、個人的意見ですが
全く違うベクトル上に存在していますし、それが「統率の外道」であったことは
発案者も当初から認めているわけです。
そして特攻を賛美することと、特攻で散華した英霊の意思を顕彰することもまた、
全く別の次元に位置するのであって、イコールではないと思うのですが、
元陸将は特攻を「指揮官の立場から」見て、だからこそ言わずにおれないのだろうと
そのアツい口調の真意を憶測していたわたしです。

この元陸幕長の写真を検索すると、海外派遣に出発する隊員と握手する写真が
一枚ならず出てくるのですが、副官によるとこのとき元陸幕長は二百人ほどの隊員と
一人ずつ手を握り、目を見つめて激励の言葉を送ったということですし、
実際に現地に指揮官として在った陸将は、その当時

「もし派遣中に隊員が一人でも死んだら腹を切る」

と本気で考えていたそうです。
もし日本国自衛隊以外の他の国の将軍がこんなことを決意した日には
腹がいくらあっても足りないことになりますが(笑)、幸い(というか奇跡的に?)
ただ一人の死者を出すこともなく、陸幕長は腹を切らずに済みました。

「まあ切るといってもカッターくらいしか使えないので、
せいぜい腹の段に筋をつけるくらいで終わったかもしれませんがね」



■ 我いかに陸幕長になりしや

結果的には選挙という方法で選ばれる国家の長と違い、何万人もの組織のトップである
自衛隊の長になるからには、どんなにか傑出した能力と統率力を備えている人物だろう、
と我々一般人は思うものです。

わたしは海上自衛隊の最高位である海将のお一人に、
(今更ですが、海幕長というのは『チーフ・オブ・スタッフ』、
つまり16人の海将の代表という位置づけ)ずばり

「どうしてご自分が海将にまで上り詰めることができたと思われますか」

ということをお聞きしたことがあるのですが、やはりご自分では

「防衛大学主席卒はもちろんのこと、その後も間断なく繰り返される
昇任のための課程への受験と課程の修了、そして勤務を評定され最終的に生き残ったから、
つまり
自衛官としての受験戦争を勝ち抜いてきたからです」

などということは決しておっしゃいませんでした。(あたりまえか)
そのとき印象に残ったのは、たとえ自分が評価されない瞬間があったとしても
それは絶対的な評価ではなくあくまでも比較の問題にすぎない、
というようなことを語っておられたことで(もし意味が違ったらすみません)
つまりそれは、自衛官として与えられる日々の任務に邁進するならば
拘泥するべきことでもなんでもない、とおっしゃったように受け取れました。

つまり自分の努力に対しての(能力ではなく)絶対の信頼—、
五省にいう「努力に憾みなかりしか」「無精に亘るなかりしか」
恥じることさえなければ、という意味です。


こういうことを訊ねると大抵の成功者からは謙遜から「運が良かったんです」
という答えが返って来るものですが、どんなに運がよくても、
実績と能力の土壌のないところに花は咲くものではないでしょう。
その海将も元陸幕長もそんな紋切り型の返事は決してしなかったと記憶します。


元陸幕長はこの日会合が行われた地の出身で、防大14期卒。
ここを見て下さい、凹んでいるでしょう、と云われて見ると
眉間がわずかに窪んだ感じがあります。
防大での交友会活動(運動部)であるホッケー中パックが当たったそうで、
その自衛官人生は波乱の幕開けとなったということでした。

ところで、わたしと比べると自衛隊についての知識は皆無に等しいTOは、
この日自分からは一言もしゃべることなくノンアルコールビールを啜っていましたが、
彼と幕僚長にはちょっとした接点が会ったことが分かりました。

TOが関西の公立高校の生徒であったとき、隣は陸自の駐屯地で、
(というと学校名までわかってしまいそうですが) 金網越しに隊員が
可愛い女子高生に目をつけ、デートにこぎ着けたりするほど密着していたそうです。
(今ならありえないことのような気がする)
ある日生徒が基地に向かって悪戯でロケット花火を打ち込みました。
ことがことだけに基地側の対応もマジにならざるを得ず高校に厳重抗議、
それを受けて校長激怒、全校集会、当事者つるし上げ、という事件があったそうです。

この話を宴席にいく道すがら聞いたばかりだったので、元陸幕長が
全ての方面隊の司令をしたことがあり(これは元陸幕長ただ一人らしい)

「そういえば中部方面隊司令だったとき、隣の高校からロケット花火が・・・」

と言い出したときには我々はあまりの偶然に思わず盛り上がってしまいました。
つまりTOが高校生のとき元陸幕長は隣の基地にいたってことになります。

それにしても、TOがロケット花火を撃った本人じゃなくて本当によかった。


■ 元陸幕長の名言思い出すまま

◎なんでわたしが自衛隊を退官して三◎電◎の相談役なんですか。
普通の国はね、軍人が退官したら恩給がつくんですよ。
それができないから天下りなんてしないといけない。
おかしいですよ。

◎「 日本人はね、皆受け入れてしまうんですよ。
ヨーロッパ人は不細工は淘汰されるから、きれいな者だけ残る。
日本人は皆を公平に生かしてきたからそうでもない」

◎「 集団的自衛権の問題、安倍さんは最近後退しましたね。
まあ、もしかしたらできないかもしれないな」

◎「軍隊のことは軍人にしかわからないことがある。
いくら軍に詳しくても(わたしに向かって)
軍人になってみないとわからないことが多い」

◎「ムバラク大統領に呼ばれて行ったことがあるが、
ホテルに連れて行かれたら周りを武装した(って当たり前だけど)
軍が取り囲んでいて、何があったんだと思ったらそれは自分と家内の警護だった。

部屋にいるのも退屈になって夜外に出てみようとホテルのドアを開けたら
頭から布を被った狙撃兵みたいなのがずいっと出て来て、何かいう。
言葉が通じないけど「どこへ行く」みたいなかんじで、
とてもふらふら出歩くことなど許されなさそうだったからあきらめた」

◎「出国する日、朝5時に呼び出されて眠いので不承不承夫婦で出かけたら、
まず実弾の入った銃を野っ原みたいなところで「撃たせてやる」と渡され、
奥さんまでがそれを撃った後、ゴルフクラブを渡して『これも打て」

『こんな真っ暗なところどこに向かって打てばいいんだ』

と聞くと、松明を持った男がだーっと走っていく。
そこに向かって打て、と。
何打かしているうちに夜が空けて来てそのとき初めて、そのコースの両側を
銃を持った兵士がずらりと並んで警備しているのを知った」



■ 誇れる功績

「わたしはこれだけは任期中にやったことで誇れるということがあるんですよ」

陸上自衛隊は東京池尻にある三宿駐屯地に、2007年、自衛隊初の託児所を
モデルケースとしてオープンしました。
運営は民間に委託され、営業の形態は自衛官の生活形態に合わせたもので、
保育時間が早朝から深夜までと長く、実質24時間営業であることで、
災害派遣や夜勤などの勤務に赴く隊員のニーズに合ったものとなっています。

「育児を後押しする体制がなくてどうやって女性自衛官が確保できるかということです。
海自と空自にも声をかけたんですが、何かあるらしく乗ってこなかったので陸自だけで」

副官だったK1佐は、奥様も現役自衛官、当時適齢期の幼児を(0~5歳)お持ちで、
その施行を待ちかねて子供をそこに預け、本当に助かった、とのことです。
モデルケースですから、ここの経営がうまく行けば同じような託児所が
各駐屯地にできる可能性もあるということです。
勤務時間が不規則な職場なのにどうして今まで託児所の一つもなかったかというと、
やはりそれも「国民の目」に対する配慮というものが大きかったそうです。

保育所不足は一般でも大きな問題ですが、そんな中「なぜ自衛隊だけ」とか
「税金を使って」などという声が出て来るかもしれない、という配慮です。
なんというか・・・・こういうのって、本当に悲しくなる話ですね。


余談ですが、自衛隊の官舎は「夫の階級に準じて妻の階級がある」という
噂を耳にしたことがあったので、その真偽をK1佐に聞いてみたところ、

「そんなことは全くありません。
むしろ結びつきが強く、コミニュティでも皆仲がいいですよ」

ということでした。
一般企業の奥様方より「外圧」があるせいか団結しているのかもしれません。



最初にご自分の履歴について話し始めたときに、元幕僚長は

「わたしは歩兵なんですよ」

とおっしゃいました。
わたしが脊髄反射で(笑)つい、

「歩兵の本領、ですか」

と軽口を叩いたところ(ちょっと反省してます)
打てば響くように、というか結構嬉しそうに

「そうです、万朶の桜、です」

この歌を知らなければ、二人は一体何の暗号を交わしているのだろう、
と思われそうなやり取りになりました。

まあこれも所詮「軍隊を知らない軍隊の外の人間」としてのイメージですが、
航空でも、空挺でもでもなく「歩兵」であったということが、
この軍人の場合人格とか胆とかを作り上げ、その結果として幕僚長という最高峰に
この人物を押し上げることになったのではないかという気がしました。

あくまでもイメージですけど。