さて、「たたらと刀剣館」の展示、続きです。
はめ込み式のテレビのようなガラスをのぞくと、ジオラマがあり、
最新式のバーチャル映像によってたたらを解説する仕組みでした。
ボタンを押して説明をスタートすると、音声とともにたたらに火がついたり、
人が現れたりして、たたら製鉄の実際を解説してくれます。
実際に見るともっとリアルです。
鍛治場を再現した精巧なジオラマもありました。
顔に前垂れのついた頭巾をかぶって鉄を持つ人、
そしてそれを数人の男たちが叩いて延べていきます。
ふいご番の前垂れは顔が焼けてしまうのを防ぐためです。
ここには再現された実物大の「たたら炉」の断面模型があります。
何層にもわたって積み重ねられた土やスミ、石には
長年の経験から得られた知恵が凝縮された全く無駄のない造りです。
すべて、保温・保湿のために工夫された複雑な構造です。
ここから「鞴(ふいご)」で風を送り込み、安定した火力を確保します。
ふと向こうを見たら息子が独自に「ふいご」を踏んでいました(笑)
この真ん中に立って片足ずつ踏みしめることで風が送られるのですが、
問題はそれをどれくらい続けなくてはいけないかです。
だいたいひとりが一時間、三日三晩交代でこの「番子」を踏みました。
これを交代しながら行うことが「かわりばんこ」の語源となっています。
「一つ二つは赤児も踏むが 三つ四つは鬼も泣く」
はまさにこの労働の厳しさを歌ったものだったのです。
こちら「踏み鞴(ふいご)」。
写真のように二人が両端を踏んでシーソーのようにし、風を作ります。
これを踏む人を「地団駄」といい、これが「地団駄を踏む」の語源ですが、
地団駄は「踏む人」であり踏むものは「踏みふいご」なのに、なんか変ですね?
これは天秤ふいご。
レバーを引っ張ると、右下から空気が出ます。
不思議なのですが、押しても引いても同じところから空気が出ます。
さて、隣の鉄打ち場では実演が始まりました。
刀鍛冶が玉鋼に火を入れ、刀にしていく過程を見せてくれます。
火に入れる前に玉鋼を藁と布で包み、泥をまぶしていました。
これは酸化を防ぐためなのだそうです。
この火床を「ほど」と読みます。
火から出した鉄には藁を混ぜます。
これも酸化を防ぐための工夫でしょう。
そしてあとは「鉄は熱いうちに打て」そのままです。
これを鍛錬といいますが、叩くことで不純物や空気が飛び、
硬度の高い鋼を伸ばし練り上げることができるのです。
ここでは観光客に説明するためにやっているので、
本来何日もかけてする作業はすぐに終了して、
「そうやってできたのがこの刀です」
まるで3分間クッキングのようです。
もちろんこのあと刃を研いでいく重要な過程があるわけですが。
鍛治師にも「国家資格」があって、文化庁の試験を受けるのだそうですが、
毎年12人くらい受けてそのうち合格は一人だそうです。
1年前のお正月、備前の刀打ち始めをし、ここでお話ししましたが、
ここでも見学者に鉄を打たせてくれるということで何人かが挑戦しました。
「スーツとかネクタイとか、火花が飛んだら穴が空くかもしれませんがいいですか」
散々脅かされてから打つのはのは我々の同行者。
もう一人、ということでこの女性も我々一行の一員。
わたしたちはやったことがあるので遠慮しましたが、二人とも
あまりに重いので驚いていました。
この刀鍛冶さんはとても面白い方で、
「夏場来て頂いたら、暑さでやせ細ったわたしを見ていただけます」
と言って場を笑わせていました。
次の異動までの間にお土産店に連れて行かれました。
主催者の気配りが身にしみます。
いきなりシュールな絵柄になっている「どじょうすくいまんじゅう」の
広告にウケましたが、これは買ってません。
そういえばここは「安来節」のふるさとなんですね。
山陰銘菓 - どじょう掬いまんじゅう - CM
次に連れて行かれたのは「鉄の歴史博物館」。
昔からおそらく変わっていない街並みにわたし歓喜。
博物館、といいながら、ここは地元のお医者さんの家だったそうです。
中は一切写真禁止でしたが、たたらの道具や過去帳、帳簿などがありました。
ここで昭和47年に再現された「たたら製鉄」のNHK製作ドキュメンタリーを
鑑賞したのですが、音楽が、もしかしたら武満徹?という感じのおどろおどろしさで、
(ひゅ〜♪ カーン♪ ど〜〜〜ん、って感じ)見ていた一人が
「いまから殺人事件でも起こるんですかね」
と呟いておられました。
この時に出演して実際にたたら製鉄を再現した「最後の村下(むらげ)」たちは
現在全員この世にはいません。
このビデオで知ったのですが、たたら師たちは、製鉄が始まったら4日3晩、
仮眠だけで作業を続けなくてはなりません。
さらには火を両眼で見ると目をやられるので、まず片目で作業し、
その片目が疲れると目を交代して行うのですが、それも限度があり、
引退の頃には視力がほとんど失われる宿命を免れることはできなかったということです。
そしてこれらの作業は女性を一切排して行われました。
女性は神事にもつながる作業に「穢れ」を持ち込む、という意味もありますが、
女性の神様がやきもちを焼くからという説もあります。
「もののけ姫」で女たちがたたらを踏んでいましたが、現実にはありえないことだそうです。
この博物館になった家の母屋は藁葺きでした。
鳥が屋根の隙間から入っていくのを見ましたが、いい巣になっているようです。
なんといっても藁は取り放題ですしね。
博物館前の街並み。いい感じです。
自民のポスターがありますが、このあたりはかつて竹下登の選挙区だったみたいですね。
今念のために家系図を見たら、縁戚に米内光政の娘、そして三島由紀夫がいます。
ミュージシャンのDAIGO、漫画家の影木栄喜は孫、口癖は出雲弁の「だわな」。
自身が東大出で留学経験もある宮澤喜一が
「あなたの頃の早稲田は無試験だったんですってねえ」
と言い放った時、「あれは許せないよ」と怒っていたそうですが、
その話を聞いた佐々淳行が、
「でも早稲田でも試験くらいあったんでしょう?」
と尋ねたところ、竹下は
「それがね、無試験だったんだよ」
と答えたという話があります。
ボケてどうする(笑)
ひっそりと営業していた和菓子屋さんが気になって入ってみました。
招き猫に福助、不二家のペコちゃんはアンティークで高値がつきそう。
鑪カステラというのを購入してみました。
季節がら、桜の味を販売していました。
そして店の片隅にはそのとき咲き初めた桜の枝が一抱え、
無造作な様子で手桶に活けてありました。
わたしたちはこのあと、実際にかつての姿のまま保存されている
「たたらの里」のかつてのたたら炉を見ることになりました。
続く。