さて、長々と語ってきた高松での掃海隊シリーズも最終回になりました。
先日は神戸に掃海艇の見学に行ったし、昨日は昨日で
掃海艦の除籍式典に立ち会う機会があり、最近すっかり掃海関係づいています。
さて、体験航海。
瀬戸内海の静かな湾内を遊覧船のようなコースでちょこっと回ってくるなんて、
日向灘の荒波に揉まれる掃海艇でライトに船酔いの洗礼を受けたわたしとしては、
こんなの掃海艇に乗ったうちに入らないんだぜ!と思わないでもありませんでしたが、
今回は自衛隊の過酷な部分をアピールすることが目的ではないのです。
あくまで「掃海艇のおしごと」について世間の皆様、特に自衛隊に入ってくれそうな
青少年に宣伝するのが大きな目的なので、
「あれ?たったこれだけなの?」
というくらいの方が、ある意味効果があるといえましょう。
艇内を一通り見終わり、展示を見たら、艇はもう岸壁に帰ってきており、
あっという間に入港作業にかかりました。
測距儀を覗きながら岸壁までの距離を読み上げているのは先任伍長?
その前にはわたしが目をつけた(前回参照)青年の姿あり。
ぜひ海自に入ってね〜!
さて、着岸作業の邪魔にならないように艦橋前デッキの最前に座ると、隣に
5歳くらいの女の子とその弟、というきょうだいが座っていました。
わたしは子供たちに
「あのお兄ちゃん見ててごらん。
今から岸に向かって手に持ってるもの投げるよ」
舫を繋ぐためのサンドレットを構えている隊員を指差して教えました。
第一投、投げました!
この腕のしなりをご覧ください。
やっぱり何回も陸上で練習してから甲板デビューするのかしら。
ボール型のサンドレットが岸壁に届くや否や、岸で待っていた地本の
陸・海・その他の三人が引っ張る作業に入ります。
紐を持ってはだーっと走り、先で離してまた岸壁に戻り、
紐を持ってだーっと・・を三人で繰り返すのがパターン。
「ぶんご」艦上では掃海隊群司令がまたしても説明の真っ最中。
今回いつ見ても海将補は(敬礼しているときでなければ)説明中でした。
そこに、先ほど「つのしま」の後に出航した「あいしま」が帰ってきました。
朝の位置とは入れ替わり、「あいしま」が外側に繋留するようです。
「あいしま」でサンドレットを構えている艇員発見。
これはもしかしたら「つのしま」甲板に向かって投げるつもりでしょうか。
「てええええええいっ!」
海上迷彩と青メガホン「おおおお〜」
ちゃんと「つのしま」甲板に落下したようですね。
もう一度投手を変えて行うようです。
「せいやああああっ!」
「きま・・・ったっ!」
「おー」「なかなかやるやん」
「あいしま」乗員が投げたサンドレットは、赤いヘルメットを装着した
「つのしま」甲板の隊員に回収され、あっという間に繋留されました。
気のせいか、「あいしま」の一般搭乗者は「つのしま」より少なく見えます。
「あいしま」は掃海艇には普通についているバウスラスタを駆使して、
じわじわと横にスライドし、艇体を寄せてきました。
探照灯の近くで見張りする乗組員。
「つのしま」艦橋デッキには、隊司令と艦長が出てきています。
接舷作業、しかも一般人を乗せた艇同士の接舷ですから慎重な上にも慎重に。
サンドレットで投げ渡された細い舫を、繋留するための舫に繋げ、
腰を入れて引きまくります。
軍手などの手袋が必須だと思うのですが、この人は素手でやってますね。
隊司令の腕組みがなんか怖い。
この掃海隊司令は、伊勢湾でのマイネックス機雷除去訓練の時、
報道陣にレクチャーをしていた方だと記憶します。
あの時は2佐でしたが、今は呉の第3掃海隊の司令であり1佐です。
何回聞いても、何回調べても、掃海隊群の編成は理解が難しく、
掃海隊「群」の下にあるのが1、2、3といきなり飛んで101掃海隊、
というのがまずよくわかりません。
掃海隊群は横須賀がヘッドですが、各掃海隊は横須賀、佐世保、呉にあり、
例えばこの「あいしま」は第3掃海隊の所属になります。
ところが、「つのしま」は42掃海隊所属で、同じ掃海艇なのに所属が全く別。
戦後自衛隊に掃海隊ができてから、どんどん編成が組み替えられて、
その辺の資料を見ただけでは一体どの番号の隊が「生きて」いるのかわからず、
これも素人には全体像が把握できない理由です。
どなたか地方隊の掃海隊群の組織図が見られるページ、ご存知ないでしょうか。
というわけで全くわからないなりに、腕組みしている一佐が「掃海隊群の隊司令」で、
同じ隊司令という階級でも命令系統的に上の方にいるらしい、と理解しました。
「つのしま」と「あいしま」の間の舫はピンと緊張したまま、
ゆっくりと艇体が近づいていきます。
「つのしま」の甲板にいる人だけが赤いヘルメットを装着しています。
はい接舷〜。
接舷後、第3掃海隊司令が「つのしま」幹部に操艦についてのアドバイス中。
一般人が興味本位で立ち聞きすることではないと考え、わたしは
音声が一切聞こえない操舵室の中からその様子だけを撮らせていただきました。
この後司令にご挨拶してから、退艦しました。
実はこの頃にはすでに「つのしま」にいた体験乗艦参加者は退艦しており、
わたしたちは「あいしま」の乗艦者が全員降りてから最後にラッタルを降りることに。
今気づいたのですが、この時には岸壁側にいる「つのしま」のラッタルに
「あいしま」のバナーがかかっています。
午後にもう一度体験航海が行われるので、その時に元のポジションに戻るようです。
さて、ここで改めて、平成14年度以降に今の形になった、ここ高松での
掃海殉職者追悼行事への掃海隊群の取り組みについて書いておきます。
当時の記録によると、追悼式については
「可能な限り多くの隊員を参列させる。若年隊員、ついで参列未経験者を優先する」
「艦艇部隊だけでなく、航空掃海部隊からの参列を促す」
「隊員に最も近いところの一般国民である家族や知人の追悼式への参列を奨励する」
「儀仗隊員はそれにふさわしいものを選び、十分な準備と心構えをさせて臨む」
とあります。
若年隊員が優先されているかとか、航空掃海部隊の参列が行われているかについては
どうも理想的にはそうであるが、実際は諸事情により無理、となった感があります。
最後の儀仗隊員についての一行について少し今回の関係で書いておくと、
何年か前儀仗隊指揮官を務めた幹部が、たまたま当ブログの今シリーズに写っていたため、
以前さるところで知り合ったその幹部の母上からメールをいただきました。
彼女のメールによると、慣例的に儀仗隊指揮官は
「ぶんごの新任3尉が勤める」
ということになっているのですが、その時には内部事情により
急遽彼女のご子息にに役目が回ってきたのだそうです。
急に儀仗隊指揮官の任務を命じられたその幹部は、鏡の前で綿密に姿勢をチェックし、
わざわざメトロノームを買って歩調を合わせる練習を繰り返すという研鑽の結果、
「彼は伝説の儀仗隊指揮官だった」(ミカさん仮名談)
というくらい、その指揮官ぶりは美しく決まっていたということです。
「ふさわしい者を選び、十分な準備と心構えをさせて」・・・・・・
その通りになったというわけですね。
さて、このレポートには、艦上レセプションにも触れてあるのでこれもご紹介しましょう。
「追悼式と関連付けた海自主導の広報活動として、呉監と共催で実地する」
「招待者は従来の選択に加え、近在の海自OB、隊員家族など関係者を含める」
「一般公開時の展示を活かすとともに、MH-53Eを後甲板に搭載した状態で行う」
その頃はヘリを搭載して艦上レセプションの時に見せていたってことでしょうか。
しかし、
今やってくれたらもっと人が集まりそうな気がしますが、それこそ
人が集まりすぎて収集がつかなくなるからやめになったのかしら。
金刀比羅宮でも感じたように、彼らの制服姿は何よりも自衛隊の宣伝になるわけですが、
これが現在も通達され実施されているかどうかはわかりません。
やはり体験航海の第一目的は募集対象者への広報だったのね・・・。
参加者として「対象外の外」という説もありますが、そこはそれ、
こうやってせっせと「広報」しているので、大目に見ていただければと思います。
退艦後、ミカさん(仮名)が地元の顔見知り(本当に知っているのは顔だけらしい)と
あれこれと話しているのを横で聞いていましたが、ちょうど昼になったので、
二人で埠頭にある「ミケイラ」というシーサイドレストランに行きました。
ボウルにたっぷり入ったサラダを二人で分け、メインにパスタをいただきました。
美味しくて安くて、海の真ん前の明るくてお洒落なお店なのに、日曜の昼間に
満席になる様子もないというのは、首都圏住まいのわたしにはちょっと信じられません。
とにかく「ミケイラ」、素晴らしく素敵なカフェレストランでした。
デザートは控えめに超ミニサイズのアイスミルクを。
窓越しに「ぶんご」がよく見えるのですが、昼過ぎに掃海隊群司令が私服で姿を現しました。
午前中の体験航海には「ぶんご」艦上からお見送りと敬礼をしておられましたが、
その任務を最後に、午後は横須賀に帰られるようでした。
お昼ご飯を食べ終わり、最後に埠頭に出てみると、午後の体験航海がもう始まっています。
朝乗った「つのしま」の外側の「あいしま」はすでに出航した後のようです。
午後もたくさんの人を乗せて、掃海艇の体験航海は大盛況のようでした。
群司令の見送りがないせいか、実にあっさりとした感じで岸壁を離れていくように見えます。
空港に向かう時間となったので、そろそろ掃海隊群に別れを告げることにします。
「ぶんご」の向こうに、朝と同じように後進しながら岸壁を離れていく
掃海艇「つのしま」の姿を見ながら、わたしは高松港を後にしました。
というわけで、何日かお話ししてきた追悼行事に関連する体験記を終わります。
最後になりましたが、参加に当たってご配慮をいただきました関係者の皆様、
現地でお世話になりました全ての皆様にこの場をお借りしてお礼を申し上げます。
終わり。