「いせ」転籍に伴う懇親会と佐世保へのお見送りからそう日を分かたず、
わたしはまたしても呉に行っておりました。
スケジュールの合間に1時間ほど大和ミュージアムで時間を潰し、
(先日高松で伊藤元呉地方総監にいただいた無料パスポートがお役立ち)
その後ミュージアム前の広場でTOを待っていると、ターミナルから
艦船クルーズの人が6時過ぎの便に乗りませんか?と客引きにきました。
おお、これはあの、自衛艦旗を一斉に降下する軍港を見ることができるという
「夕呉クルーズ」のこと?
「まだ乗れますか?」
と聞くと、
「乗れないということは、ま・ず・ありません」
と力強く太鼓判を押されました。
まあ、それだからわざわざ外に客引きに来てるんだとは思いましたがね。
落ち合ったTOも筋金入りのクルーズ好きなので、参加は一も二もなく決まり、
わたしたちはまずチケットを買っておいて指定の時間にターミナルに向かいました。
ターミナルで待っていると、江田島から到着したフェリーから、
自衛官らしい雰囲気の私服の人たちが降りて呉の街に散っていきました。
これが呉の夕方の日常風景なんですね。
時間が来て、外で待っていたわたしたちが船に乗り込むため歩いていると、
わざわざ追い越して先頭に割り込もうとする一団がいました。
中国人みたいだなと思ったらやっぱり中国人でした。
前回は午前中に乗った軍港めぐり(正式名は艦船めぐりだけど)ですが、
今回は待望の日没クルーズです。
この日はまだ海の上を渡る風は冷たかったものの、素晴らしい夕焼けが見られそう。
呉地方総監部の発着所内に休んでいる支援艇も、夕日を受けて。
前回こちらの「ファルコン」一隻だった建造中の船が2隻に増えてる!
ポンツーンにブロックを積んでいた同型艦の「スワン」がもうこんな形に!
造船作業というのがこんなに進捗が早いとは初めて知りました。
この奥でもさらに一隻大型艦を建造中。
"ORIENT ARROW"という船名が読み取れます。
他の船ブログでは「オリエント・スカイ」という名前の船があるという記事を見つけました。
姉妹船でしょうか。
クルーズでは「大和の大屋根」の説明も必ず行われます。
3月ごろまではこの上にブロック工法のパーツが山盛りになっていましたが、
この時にはほぼ何も乗っていない状態でした。
さて、いよいよ自衛隊基地に差し掛かります。
最初に見えてくるのは練習艦「しまゆき」。
今年の練習艦隊には参加していませんが、かつて初めて女性艦長を戴いた練習艦です。
続いてはこの安定感のある後ろ姿。
船が女性ならまさに安産体型?の輸送艦「おおすみ」。
向こうには「しお」型らしい潜水艦の姿が確認できます。
掃海母艦「ぶんご」にはこの直前に高松で乗ったばかりでした。
全く違う場所でつい先日あの甲板の上にいたのに・・・と少し不思議な気分です。
先日横須賀で潜水隊員を困らせてたおじさんが言っていたように、
後ろのハッチから掃海艇が出てくると思う人がいても無理は・・さすがにあるな。
そもそも母艦で運べるようなものだけで掃海ができるなら、誰も苦労せんわ。
「かが」は先日「いせ」を見送った岸壁に「いせ」の代わりに入って、
ずっとそこを居場所としているようです。
やっぱりこうしてみると空母だわー。ヘリ空母だわー。
クルーズは自衛艦旗降下の時間にちょうど折り返して帰ってくるペースで行われます。
これはまだ往路なので、自衛艦旗の周りにも人影はありません。
「かが」後部にはSeaRAM(近接防空ミサイル)が設置されています。
ファランクスCIWSと似ていますが、それもそのはず、設計を踏襲しているのだとか。
この反対の右舷側にはCIWSがあって、解説の方は
「ミサイル(SeaRAM)と銃(CIWS)」
とあっさり説明していました。
護衛艦「いなづま」と敷設艦「むろと」が並んでいます。
先代の艦番号482も名前は「むろと」で、本艦は4年前の2013年から就役しています。
先日「そうや」という名前の機雷敷設艦があったという話を高松で伺いましたが、
敷設艦の命名基準は「岬」なので、「そうや」は
「つがる」「むろと」「えりも」
という流れで、宗谷岬からと付けられたことになります。
南極探検でおなじみの「宗谷」はどうも海峡の方からみたいですね。
ただし、敷設艦といっても「そうや」以外、この「むろと」もですが、
電纜敷設艦(でんらんふせつかん)といって、水中機器やケーブルを敷設するものなので、
掃海隊群ではなく、海洋業務・対戦支援群の所属になります。
色々と秘密なものを敷設する関係上一般公開はされませんし、その任務についても
自衛隊以外に詳細が伝わることがない怪しい艦です。
そもそも、海洋業務以下略という群そのものが
「対潜水艦線に必要な海洋データ(水質、水温、潮流、海底地形等)を
収集・分析・研究して護衛艦、航空機に資料として提供することが主たる任務」
ですので、いわゆる一つの潜水艦隊ばりに秘密の塊だったりするわけです。
もちろん「むろと」の任務も明らかにはされていません。
ここに勤務になっている幹部の前職とか見てると、他から来た人はほぼゼロ。
全員が海洋業務群出身で、いかに特殊な職かが現れている気がします。
アレイからすこじまが見えてきました。
夕方なので、潜水艦がほぼ全部帰ってきて繋留されています。
最近某所で呉の古地図をみる機会があったのですが、驚きましたね。
この呉軍港のあたり、全部海だったんですよ。
今陸地になっているところを埋め立てて港にしてしまったのは海軍だったのです。
この近辺もそうで、昔は海の中に「鳥(からす)小島」なる島があった場所でした。
多分カラスの巣になっている小さい島があったのでしょう。
島でもないのになぜ「小島」なのかという理由を初めて知りました。
かつて海だったところには今では岸壁ができ、潜水艦基地となっています。
この2隻も、実は海洋業務群所属となります。
「ひびき」と「はりま」は、海洋業務・対潜支援群の第1音響測定隊所属。
こちらも謎のベールに包まれた「音響測定艦」となります。
命名基準は「灘」。
音響測定艦だから「ひびき」をつけることを前提に、灘に決まったんでしょうね。
ちなみにこういう特化した名称の軍艦を持っているのは日本国自衛隊だけで、
例えばアメリカ海軍では単に「海洋監視艦(Ocean Surveillance Ship)」だそうです。
こちらももちろん潜水艦探知を行うわけですから、日頃の訓練においては隣の潜水艦群とは
「天敵」ということになります。
潜水艦基地があるので、音響測定艦も敷設艦もここ呉に置かれているのだと思うのですが、
対潜部隊の隊員と潜水艦隊員とは仲が悪い・・・なんてこと、あるのかな(笑)
護衛艦「あぶくま」と訓練支援艦「くろべ」。
訓練支援艦とは、対空射撃訓練支援用の艦で、無人標的を射出する役目です。
先ほどの「しらゆき」は練習艦として最初の女性艦長が就任しましたが、
こちらは1990年に最初の女性自衛官が通信士として乗り組んだ自衛艦であり、
「しらゆき」より5年も前に、同じ女性隊員が艦長になっています。
「しお」型潜水艦の横を通りかかったら、舷門で番をしている海士くんが
こちらから盛大に自衛艦旗を降るのに答えて手を振ってくれました。
「わーい!手を振ってくれてる!」
喜んで一層大きく旗を振り回すわたし。
気がつくと、右舷側に一列に座っている中国軍も手を振ってました(笑)
ただし向こうからはきっちり双眼鏡でチェックされていたようです。
ところで今更気がついたのですが、自衛艦旗って基本航行中は掲揚だけど、
潜水艦は揚げなくてもいい、となってるんでしょうか。
X舵(左)と十字舵(右)。
「はえー」という感じで我が日本軍の艦艇群に見とれる中国軍団。
独裁国家である貴国の軍には、軍施設を気前よく外国人に見せる度量はまずあるまい(笑)
ちょうど潜水艦基地の前で船が向きを変えた頃、夕日が沈み始めました。
船のデッキ後方には船上で振るための旭日旗の小旗が用意されています。
当然ながらわたしとTOは一本ずつ手にして、人の姿が見えると振りまくっていたのですが、
案内の方からは
「自衛艦旗降下のときには振らないでください」
と前もって注意がありました。
中国人たちはわたしたちが旗を振るのをまじまじと見ていましたが、
さすがに自分たちが手に取ることはしませんでした。
「むろと」の艦首では、艦首旗降下の用意です。
艦首旗は日没と同時に降下されます。
「いなづま」は海曹二人で降下を行うようです。
旗の降下に当たっては、自衛艦旗はもちろん艦首旗も、それを扱う者は必ず
作業服から制服に着替えて行います。
このとき初めて知ったのですが、このようにたくさん艦艇があるところで
自衛艦旗の掲揚降下を行うとき、合図を出す役割の艦艇があります。
その艦が揚げるのが、この黄色とブルーの旗。
これをなんというのか、説明があったのですが聞き逃してしまいました。
この旗の動きを見て、「時間!」という、とか決まっているのでしょうか。
ちなみに、マストに上がっているのは代将旗。
掃海隊群司令、護衛隊群司令又は練習艦隊司令官たる1等海佐の乗り組んでいる自衛艦に揚げられます。
「かが」の後方に差し掛かるとき、降下の準備が整い、合図を待つ状態でした。
「いなづま」の乗組員は皆上陸してしまったのですか?
「かが」の後方を船が差し掛かったとき、「じか〜ん!」と
声がかかりました。
たくさんいるので、どこの艦艇の声が聞こえてきたのかはわかりません。
「かが」の甲板にはさすがに何人か人がいるんだろうなあ。
「うみぎり」には呉阪急ホテルで二回も半熟卵を乗っけた「うみぎりカレー」を
食べたという関係で、大変親しみを感じております。
オランダ坂の上には当直士官がやはり白い制服で立ち、格納庫には
作業服の隊員たちが敬礼をしているのが確認できます。
着替えるのは旗を扱う三人とラッパを吹く人だけでいいみたいですね。
「ドーソードードーミー ドーソードードーミー
ミーミーソー ミーミーソー ミードミソーソミードドドー
ソーソソソーソー ミードーミードー (繰り返し)
ドーソードードーミー ドーソードードーミー
ミーミーソー ミーミーソー ミードミソーソミードドドー」
おなじみの喇叭譜「君が代」が、軍港中の艦艇、それこそ
小さな掃海艇から巨大なヘリ搭載型護衛艦に到るまで、呉軍港中の艦艇から
少しずつずれて聞こえてきました。
わたしのような人間にとって、これを至福の時と言わずしてなんというのでしょうか。
呉においては、海軍がここを文字通り「作って」以来、ごくわずかな間をのぞいて、
同じ場所で、同じ時間に、同じ旋律が1日2回連綿と奏でられてきたわけですから。
ちなみに現在でも海上自衛隊で使用されている「君が代」は明治28年に制定された
信号喇叭譜の第一号「君カ代」と全く同じものです。
余談ですが、これに対し、陸空自衛隊は警察予備隊ができた時
「旧軍のものは一切使用しないで、新しい感覚で」
と念を押されて急遽警視庁音楽隊によって作曲されたものを使っています。
元東音隊長の谷村征次郎氏によると、これは
「毎日国旗の掲揚降下をする習慣がなかった陸軍出身者ばかりだったので
あまり抵抗がなかったものと思われる」
ということですが、旋律の出来そのものについては作った本人がのちに
「まあおざなりのものを作ったがあれだけは今でも気が咎めてならない。
あれは旧に復するべきと思う」
と言っていた(−_−)とも著書に書かれています。
陸上自衛隊 ラッパ君が代
さて、あなたはどうお感じになりますか?
ちなみに陸軍で演奏されていた時、「君が代」は今の海自のテンポよりかなり早かったそうです。
「ドーミドー」
自衛艦旗降下終了です。
「しまゆき」には降下と同時に電灯が点きました。
そして港に帰ってきた頃、「てつのくじら」のフィンが光っているのが見えました。
夜になると「てつのくじら」は識別灯を点けるんですね!
その晩は「五十六」で夕食を取りました。
たっぷりのシラスが乗った冷奴(木綿)とか。美味しかったです。
おまけ*帰りの飛行機から見えたこの可愛い島は・・?
なぜかこの日はすぐ近くに「風の塔」が見えました。
みなさん、呉に行ったら、ぜひ夕呉クルーズに!
旧軍からの海軍伝統を体感できるこの艦船めぐり、熱烈おすすめいたします。