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掃海艦「はちじょう」除籍 最後の自衛艦旗降下

2017-06-09 | 軍艦

高松で行われた一連の掃海隊員追悼式から帰ってすぐ、
掃海艦「はちじょう」の除籍が横須賀地方総監部で行われました。

この式典に参加させていただきましたので、ご報告します。

「はちじょう」は掃海「艦」。
掃海艇より大型の掃海任務を行う艦です。
英語でも名称は

掃海艦 Mine Sweeper Ocean (MSO)

掃海艇 Mine Sweeper Coastal (MSC)

となっており、掃海艇の「中型」に対し「大型」に分類されます。
大型艦が「大洋」、中型艦が「沿岸」となっていますが、つまりは
大型はより深々度の機雷に対応すると考えれば良いでしょう。

かつては「中型」より小さい「小型」(MSB、BはBoats)掃海艇もあり、
対応困難な浅海域・内水域の掃海や、MSCの安全確保のための
前駆掃海を担当する役目を負っていました。

掃海ヘリコプターや遠隔操縦式掃海具がそれに代わるようになったため、
90年には小型の掃海艇はなくなりましたが、この小型艇について
高松のうどんの夜(笑)、ご一緒した「偉い人」から、

「小型艇には台所がないので、母艇が調理した料理をバッカンという
缶に入れて、みんなに順番に手渡しで配っていた

という話を聞いて、わたしはもう胸キュンで萌えたものですよ。
また、「みほ」という母艇の後ろをコガモのようについていく様子から
彼らは「カルガモ艦隊」とも呼ばれていたそうで・・・(;´д`)

 

前置きが長くなりました。

掃海艦の建造目的は、一言でいうと深々度機雷への対処でした。
掃海艦構想に関わった当時の研究開発幕僚の追想録によると、
当時その対処能力を有していない状況から、

「現実的に起するかもしれない脅威に対抗するための演習」

を行う必要を想定して、米海軍の機雷戦過程に留学した幕僚が
米軍の司令官と鋭意構想を進め、米側からも

「東京湾外域における空母の運用を考えてもぜひ正式に要望する」

という掃海艦建造へのゴーサインを取り付けた、ということらしいです。

この時代においても(もしかしたら今も?)アメリカ海軍の「お墨付き」
というか「要望」が、新造艦建造の後押しとなったってことですね。


ともあれ、東西冷戦構造の終焉の時期に計画された「やえやま」という名の
掃海艦が初めて海自に導入されたのは、平成5年のことでした。

そして「はちじょう」は2番艦「つしま」に続く「やえやま」型の3番艦です。
姉二人は、「やえやま」=2016年6月28日、「つしま」=同7月1日と
すでに除籍となっており、最後の木造製掃海艦となった末っ子の
「はちじょう」も、ついに今日をもって引退することになったのでした。

 

「はちじょう」の除籍に伴う自衛艦旗変換の儀式は横須賀地方総監部の
船越岸壁と呼ばれる、地方分遣隊所在基地で行われます。

昨年、実は「やえやま」除籍が同じ船越岸壁で行われることになり、
わたしにも出席のチャンスがあったのですが、その時アメリカにいたため
涙を飲んでお話をお断りしたという経緯がありました。

今回の「はちじょう」除籍に立ち会うことになったため、
わたしは初めて船越岸壁にくることができたのでした。

 

写真の台地が今工事中ですが、ここには護衛艦隊指令部ができるそうです。
グーグルマップで空から見ると、今工事中のこの部分は広大な空き地で
くず鉄が大量に放置されているのがわかります。

 

自衛隊基地入り口のセキュリティは民間の警備会社が請け負っているのですが、
これがだねえ・・・。

わたしはある方のおかげで来賓として呼ばれたという形であり、
後から考えると、別に門の前で待っていなくてもよかったのですが、
来賓以外の入場者と報道陣と一緒に開門まで門のところに立っていました。
その後、わたしの名前を名簿と照合した自衛官が

「中に入って受付で名前を言ってください」

というのでそのまま入っていこうとしたら、警備の人が入れてくれないんだよ。

「いや、来賓なので中で受付するらしいんですけど」

といっても、それでは入れることはできない!の一点張り。
押し問答のすえ、「臨時」と書かれたタグをもらって中に入っていき、
さらに中で赤いリボンをもらってそれも付けるという妙なことに。

とはいえなんとか無事に中に入れたので、ホッとしました。

除籍になる「やえやま」の前には式典に出席する幹部と音楽隊の姿が見えます。

掃海艇、掃海艦の後甲板は岸壁より低いのが普通。
そのため、自衛艦旗降下のために甲板にいる乗組員たちがよく見えます。

まだ人が集まっていないので、後甲板にいる乗員たちを見にいきました。

この後自衛艦旗を降下し、それを持った副長に続いて下艦したら
それが彼らにとって最後になるのです。

最後の自衛艦旗降下を待ちながら、皆どのような思いを持つのでしょうか。

赤いリボンと黄色い入門証をダブルでつけた怪しい来賓(笑)


お誘いくださったのは高松でもご一緒だったミカさん(仮名)ですが、
中に別の知り合いがいて、撮ってあげると言われたので撮ってもらいました。

基本自分の写真を撮ることに全く興味がないので、実は珍しい一枚です。


自衛艦旗降下を撮るために、艦尾近くの岸壁はカメラを持った人でいっぱいでした。
わたしも実はここにいたかったのですが、なまじ来賓なのでそれはできず(涙)

その代わり、ミカさん(仮名)がyoutubeにあげた動画を共有させていただきました。
どうぞご覧ください。

この写真を撮った時にはまだ来賓が席についていない頃だったので、
乗員も整列はしていますが、皆リラックスした様子で岸壁の様子を見たりしています。

ところで白いシェルフみたいな物体はなんなのかしら。

時間通りに返納式は始まりました。
わたしの席は「はちじょう」と書かれたラッタル越しに乗員が見える位置です。

このラッタルのバナーですが、基本的に船が除籍になるともう役目が済むので、
式典に参加している人が手を挙げてもらうことができるようです。

この日二枚あるうちの一枚のバナーを持ち帰った方は、
「やえやま」の初代艦長で、もう退官されたという男性でした。
岸壁で伺ったところによると、もちろん「やえやま」のバナーも
去年の除籍の後ちゃんと持って帰られたということです。

初代艦長ということは、艤装艦長から始まって掃海艦が自衛隊に
生まれる瞬間の目撃者であったということになるのですが、それから四半世紀が過ぎ、
その方が今日ここに最後の「やえやま」型掃海艦の終焉を見届けることになったのです。

自分が艦長を務めた木造製掃海艦の最後の一隻が海上自衛隊の籍を解かれる日。
元艦長にとってもその感慨はひとしおであることとお察ししました。

舷門には海曹と海士が一人ずつ。
腕章をしていますが、もちろん最後の当直となります。

ということは、この二人が自衛艦旗を降下するのでしょうか。

群司令、隊司令などはテントの中に座り、その他は外で式典を見守るようです。
音楽隊員は遠く見えませんが、練習艦隊の時と同じ服装をしているように見えます。

長旗がはためいているのに気づきました。
こんな風に揚がっている長旗を見るのは初めてです。

そういえば長旗とは旧海軍時代から

「海軍将校が指揮する 艦船に掲げられる」

と決められています。
艦船の長が幹部である掃海艦なので、これが掲揚されているというわけです。

ちなみに自衛隊の旗章規則によると、

第26条

個々の自衛艦等を指揮する者が、幹部海上自衛官である場合には、
当該自衛艦等に長旗を掲揚するものとする。

とあります。

長旗は艦長が下艦すると同時に降下されたと思うのですが、
いつ降ろされたのか結局その瞬間を見逃しました。

執行は横須賀地方総監ということになるようです。
来賓はじめ全員が席に着いてから現れる横須賀地方総監、道満誠一海将。

道満海将は(『も』という感じ?)潜水艦出身です。

式の開始となって次の瞬間、自衛艦旗の降下が始まりました。
もっと色々とセレモニーがあるのだろうと思っていたので、実のところ結構驚きました。

わたしのところからは、こんな光景が見えていました。

アナウンスをしていた女性隊員が珍しい白のスカート姿です。
こんなバージョンもあったんですね。

さて、冒頭のyoutubeをご覧いただいた方はお気づきだと思いますが、
通常、自衛艦旗降下のときに吹鳴される喇叭譜「君が代」ではなく、
音楽隊による国歌「君が代」の演奏が行われています。

この理由は明白で、護衛艦旗が艦に授与され、副長に掲げられて乗艦し、
初めて掲揚されるときに演奏されるのは国歌「君が代」ですから、
返納の時にも喇叭譜でない「君が代」でないといけないのです。


ふと、日常の護衛艦旗掲揚降下で演奏される「喇叭譜君が代」は、
つまり国歌「君が代」演奏の代用、或いは簡易版という位置付けなのか、
ということについて考えたのですが、正解はわかりませんでした。

 

さて、この後、降下された自衛艦旗を先頭に、総員がいよいよ
永遠に「はちじょう」から去る時がやってきます。

 

続く。