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「素晴らしき戦争」と「1917 」〜ウィーン軍事史博物館・第一次世界大戦

2019-10-08 | 博物館・資料館・テーマパーク

 

さて、サラエボ事件が起こったところまで無事(?)たどり着いたので、
ここからはそれを原因に起こった第一次世界大戦のコーナーです。

 

リチャード・アッテンボローの「素晴らしき戦争」(OH, What a Lovely War)
をご覧になったことがあるでしょうか。

この映画でも描かれていたように、戦争というものを長らく経験してなかった
ヨーロッパの人々は、セルビア事件のあと起こった戦争に付いて、
なにかスリリングでロマンチックな冒険のように考えていたようです。

あの映画の、綺麗な女性がステージで「戦争に行って」と媚態を見せれば、その場で
ホイホイと徴兵に応募する若者のように、イギリスの若者も、ドイツの若者も、
こぞって軍隊を志願し、そうでもしなければ仲間に顔向けができないし、
女の子にいい格好できない、と競うように志願を決めたものだそうです。

そして皆が戦争は何ヶ月かで終わると考えており、戦線に赴く際には
クリスマスには帰って来るよ、というのがおきまりの挨拶でした。

Good Bye-ee From Oh What A Lovely War!

映画のこの楽しげな出征シーンなど、彼らの当初のピクニック気分を
皮肉に表していますが、もちろん戦争に息子を送り出す母の本能的な懸念は

どんなに楽観的な世相であっても皆同じ。

最後に彼女が見せる表情が、当時の兵士たちの母親の心情そのものです。

ここに見られる写真と私物は、オーストリア=ハンガリー帝国が、
サラエボ事件発生後宣戦布告した7月28日以降、戦地に赴いた
当初のオーストリアの人々の「出征記念パーティ」の集合写真だったり、
戦地に持ち運ばれたものであろうと思われます。

帽子を花や羽で飾り立てるのが当時の「出征兵士へのはなむけ」だったようですね。

ハーモニカやまだヴァイオリンはわかるとしても、戦地に持ち運ぶのに
この大きなオルガンは一体、と不思議に思ってよく見ると、鍵盤には
実音と関係のないアルファベットが記入されていました。

(黒鍵に長短がなく、左からABCD〜並びに1234)

鍵盤の前にリールがあることから見ても、通信機のようです。

よく見ると?周りに置いてあるのは楽譜ではなく「戦闘報告書」。
戦場で本部に通信を送るための機械だったようです。

この頃のヨーロッパの革製品というのはとにかく鞣しと仕立てが丁寧で、
フランツ・フェルディナンドの靴もそうでしたが、100年経っても
完璧な形とツヤを保っているので感心するばかりです。

ここにあるのはオーストリア軍の鉄帽のようですが、第一次世界大戦開始時、
連合国兵士は信じられないくらい軽装備で戦争に臨みました。

しかし、この戦争から本格的に登場した機関銃によって様相は一変します。
革製のヘルメットで(ステッキをついている人もいた)銃剣を持って突撃しても
生身で相手の陣地にたどり着くことは不可能であることに、彼らはやっと気づくのです。

突撃していった人々がマシンガンでなぎ倒されて初めて、彼らは
身を隠すためのシェルターや塹壕を構築し始めました。

そうして第一次世界対戦は「塹壕戦」となった経緯があります。

 

彼らがお祭り気分で浮かれて参加した戦争が、やはり映画でも描かれていたように、
毒ガスと機関銃、巨大砲の登場で洒落にならない大量抹殺の現場となり、
数ヶ月で終戦どころか、戦場でクリスマスを4回も迎えなければならなくなるとは、
平和ボケしていた当時のヨーロッパ人には想像もできなかったのでした。

英語では「キューポラ」と説明されているこのドームは、塹壕の弾除けに使われた
シェルターの「蓋」で、アントワープ付近の戦場に設置されていました。

砲弾が弾着してできた金属の裂け目が戦闘の様子を物語ります。

立てて展示してある砲弾は1911年モデルです。

キューポラの内部に入って天井を見上げることもできます。
展示では何本もの柱で支えられていますが、現場では
地下壕の上に蓋をするように置かれていたものと思われます。

 


実は今これを作成しているのはニューヨークで借りているAirbnbなのですが、
サンフランシスコに続き、今度のエアビーにもネットTVが装備されており、
Huluなどは個人で登録していなければ観られませんが(日本のhuluとは別)
その代わり、Tubiなどの無料映画チャンネルがあって、なぜかどのチャンネルでも
第一次世界大戦ものと第三帝国もののドキュメンタリー映画が異常に充実していたので、
此れ幸いと毎日大画面で勉強させてもらっています。

第一次世界大戦ものには「The First World War」というシリーズがあって、
ネットには上がっていない映像や画像もタイムリーに観ることが出来ます。

「The First World War」より。
ちょうどこのシェルターのエピソードが紹介されていました。

ベルギーでのシェルター&壕の建造中の写真です。

元軍人の談話を引用して、シェルター戦について現場の声を紹介していましたが、
どうも空調設備はうまく行かなかったようなことを言っています。

ジェネレーターの空調すら閉鎖されてしまった、とのことです。

そんなところに砲弾が直撃したら中の人はどうなるでしょうか。

一度壕に直撃弾があると、やすやすとそれは破壊され、同時に下に居る
250名の人員はほとんどが死傷することになりました。

空調の悪いシェルターの中は、コンクリートのダストが立ち込め、
惨憺たる有様になったそうです。

「彼らはもはや人間の様相をしていなかった」

この写真は、当時地下壕に展開した部隊の指揮官だそうです。
直撃弾を受けて亡くなりました。

ちなみにドイツが参戦後、ベルギーに侵攻して、8月16日までには
リエージュにあった全ての防空壕は砲弾によって破壊し尽くされました。

もう少し小型の壕のドーム。
おそらくここから砲撃が行われたのだと思われます。
ここに砲弾が直撃し、分厚い鋼鉄が抉られ、ひびが入りました。

ポーランドのプシェムイシルという都市にあった装甲キューポラです。
この真下にいた人々は果たして無事だったのでしょうか。

生存者はゾッとするような火傷を負うことになった」

この戦争は、ちょうどこの頃発明された大量殺人兵器になんの予備知識もないまま、
いきなり人間が生身で対峙して、多くが命や健康な身体を奪われた最初の戦争でもありました。

その空前の戦死傷率は、ヨーロッパ全体に後々まで残るトラウマとなり、
自らを「ロスト・ゼネレーション」(失われた時代)と呼ぶ向きもあったほどです。

発明されてまもない飛行機が兵器として初めて登場したのも、
この第一次世界大戦でした。

KuKで広く用いられていたのがこの複葉機のプロトタイプ、

アルバトロス(Albatros )B II

です。

木製のプロペラ、まるで自転車のそれのようなタイヤ、こんなもので
空を飛ぶに止まらず、機銃を持ち込んで銃撃戦を行っていました。

その中で撃墜王レッドバロンことマンフレート・リヒトホーヘン男爵のように
技量に秀でた空の英雄も現れましたが、大抵は飛行機に乗って数ヶ月で
パイロットは墜落死する運命にありました。

そのリヒトホーヘン自身も、常に自分が死の隣り合わせであると感じながら
飛び続け、わずか26歳で撃墜されて死亡しています。

誰かも言っていましたが、人間はまだ空を飛ぶのに不慣れだったのです。

木の幹に取り付けて銃座を回転させる銃なども発明されました。

ダイムラー社の開発した航空エンジンです。
ちなみにこのダイムラーでエンジン開発を行ったのが、オーストリアの生んだ
天才技術者、フェルディナンド・ポルシェでした。

(ポルシェをドイツ人だと思っていた人はいませんか?)

それまで飛行機のなかったオーストリアに開発が始まったのは、
飛行機の将来性にいち早く気づいたポルシェの主張によるもので、
第一次世界大戦前からダイムラーの航空用エンジンの優秀性は
すでに世界に知れ渡っていたのです。

プロペラ回転の隙間を縫って機上から弾が発射されるという設計も、
ポルシェによって発明されたアイデアでした。

ポルシェはオーストリア皇帝よりフランツ・ヨーゼフ十字勲章と軍功労十字勲章、
1917年にウィーン工科大学から名誉博士号を授与されています。

ポルシェはたたき上げの技術者で大学を出ていませんが、しばしば
「ドクトル」と
称されるのは、この名誉学位授与によるものです。


ハウザー砲、

Škoda(シュコダ) 380 mm
Model 1916 howitzer

です。

日本、アメリカでいろんな軍事博物館に行きましたが、艦砲を除いて
こんな巨大な砲を間近で観たのは初めてです。

現場で撮った写真ではどうも近すぎて全体像がよくわからないので、
wikiの写真をご覧ください。

こんなものを撃ち込まれたら、鋼鉄のシェルターの下もひとたまりもありません。

オーストリア=ハンガリーの誇るこの包囲砲は、1916年5月、
南チロル攻勢に投入するために、開発されました。

38センチの砲弾の重さは750kg。
油圧空気圧で発射し、発射頻度は5分に1度。
最大射程は1万5千メートルといいますから、15キロ、
東京から撃ったら千葉くらいの感じですか。

問題は精度ですが、これはろくなものではなかったと思われます。

このメガトン砲の組み立てから装填までの写真が展示してありました。
 

弾砲は、砲身、架台、および発射プラットフォームの半分ずつ、つまり
4つに分けて輸送されました。

これらは8輪の電動トレーラーで運ばれました。(写真右側)

その電力も、ポルシェが設計した砲兵発電機M. 16によって供給され、
ガソリンエンジンで最高速度時速14キロで移動することができました。


右側がセッティング済みの砲で、レールに乗っています。
レールに乗せるときにはソリッドゴムタイヤは取り外し、トラックでレール上を牽引しました。

運搬する距離が長ければ、普通の機関車が牽引することができます。

弾薬を牽引し持ち上げるためのアームと鎖は標準装備。
これに人力で砲弾を乗せて装填口まで運び、(左)
トレイルに砲弾を乗せて装填を行うというわけです。

しかしながら、実際にこの武器がどの程度の戦果をあげたかについては
どこにも書かれていません。
戦後までに8基は製造されたということですが・・・。

Tubiの番組では、もう少し小型の砲が装填から発射を行う様子が
動画で紹介されていました。
こんな至近距離で砲撃を行うのに、なんの装備もしていません。


近代兵器が人間の体に与える影響に対してあまりにも無知だったこの時代、
戦地から帰った多くの者に、「シェルショック」症状が現れました。

The Effects of Shell Shock: WWI Nueroses | War Archives

 

もう誰も戦争を「ロマンチックでスリリングな冒険」と考える人はいませんでした。

 

と、ここまで制作してから、MKに、今年12月アメリカで公開になる
本格的な第一次世界大戦映画、

「1917」

のことを教えられ、驚愕しました。

1917 - Official Trailer [HD]

わたしがウィーンに行き、サラエボ事件に始まる第一次世界大戦について
勉強しだした途端にこれですよ。
過去、何度かあったブログと現実との不思議な符合が再び?

偶然といえば、使用されているテーマ曲がわたしの死ぬほど好きな
アメリカ民謡、

Wayfaring Stranger(彷徨える異邦人)

であることで、これも符合の一つのように感じています。
わたしが大大絶賛中のピーター・ホレンスのバージョンをぜひお聴きください。

Poor Wayfaring Stranger - Peter Hollens feat. Swingle Singers
 

完全アカペラです。
ドラムのように聴こえるのも『口三味線』ですので念のため。


1917 - In Theaters December (Behind The Scenes Featurette) [HD]

メイキング映像も興味深いですね。
日本で公開されたら何をおいても観にいくつもりです。

 


続く。