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令和元年海上自衛隊練習艦隊 帰国行事 その1

2019-10-25 | 自衛隊

わたしが江田島の卒業式に出席し、将官艇でお見送りをし、そして
神戸港への入港をお迎えし、大阪と神戸と横須賀でレセプションに出席し、
雨の横須賀で見送った令和元年卒業の新幹部たちが、約半年の航海を終え、
また横須賀に帰ってきました。

ここ何年か練習航海関連行事には参加していますが、これほどまでに
フルで立ち会った期はわたしの追っかけ歴でも初めてです。

御代が平成から令和に代わり、今上天皇が即位礼正田の儀において
日本国の内外に即位を宣明されてほんのすぐ後、
練習艦隊は横須賀に帰港し、帰国行事が行われました。

この日お話しさせていただいた新任幹部のご家族によると、
練習艦隊は一度着岸してからまた沖に出ていたそうです。

まさか接岸の訓練のためってことはないと思いますが・・・。

先日観艦式が中止になったあと行われた一般公開できたばかりの
ここ横須賀基地逸見岸壁にわたしが到着したのは、
式の行われる1時間前くらいだったでしょうか。

幹部の家族はかなり早くから基地内に入場し、
「かしま」艦内を見学させてもらうことができるようですが、
このころにはすでに幹部が岸壁に降りる準備を始めました。

「かしま」から行進曲と共に降りてくるのは、ラッタルが危険なので、
(たぶんね)ヘリパッドのある付近岸壁から行進してくるようです。

儀仗隊が定位置に着き、準備を始めました。

左のお髭の海曹は海幕の先任伍長ではなかったかと記憶します。

  

儀仗隊は海曹と海士で構成され、ほとんどがセーラー服の海士ですが、
各列の左端は4人とも海曹です。

これは、横一列の

分隊海曹1、海士8

合計9名がワンセットでこれを一個分隊とし、こういう礼式では
4個分隊で儀仗隊を構成することになっているからなのです。

今回の儀仗隊には女性隊員は入っていないようです。

この時間にはまだ招待出席者はほとんど来ていないので、
この間にせっせと会場の写真を撮ります。

「かしま」と「いなずま」の間には「しらせ」がいます。

幹部や隊員の家族の椅子席はこの一角です。
座らずに招待者席の後ろで立って見ている家族もいます。

実はこの日、横須賀は大変な強風が吹き荒れていました。
後ろの「いなづま」の自衛艦旗を見てもおわかりでしょうが、
どのくらい強かったかというと、プリーツスカートを着てきたのと
髪の毛を纏めなかったことを心から後悔したくらいです。

練習艦隊が一旦沖に出たのは、強風のせいだったのでしょうか。

「かしま」マストには練習艦隊司令官である海将補を表す
桜二つの海将旗が揚っています。

横須賀音楽隊がスタンバイしました。
風が強いのでほとんどの人は帽子の顎紐を下ろしています。
ところで女性隊員の帽子に顎にかける紐はついていないようですが、
風の強い艦上などでどうしているのでしょうか。

音楽隊の演奏は儀仗礼や観閲などの礼式曲以外では、
「聖者が街にやってくる」と、エドワード・バグリーの
「国民の象徴」二曲だけが待っている人たちのために演奏されました。

自衛隊音楽隊は何かというと最初にこの「国民の象徴」を演るのですが、
途中に「星条旗よ永遠なれ」がちらっと顔を出すので、
もしかしたらアメリカ海軍関係者が出席するときには必ず演奏する、
というきまりでもあるのかもしれない、と思います。

わたしのように早く来て会場の様子を観察するという目的でもない限り、
招待客は皆開始ギリギリに会場入りします。
特に最前列は国会議員などの席なので始まるまで空いたまま。

このころから袖線の太めな自衛官が次々と入場してきました。

招待客の前を通るとき、彼らは職務上顔見知りの多い招待客の前で
立ち止まって挨拶をしていきます。

前列はまだガラガラですが、新任幹部の行進が始まりました。

数ヶ月前、同じ岸壁から出航し、各地で様々な体験を重ねてきた新幹部たち。
今年は大きな事故もなく無事で帰ってこられてなによりです。

行進と整列も遠洋航海の間数え切れないくらいくり返したせいか、
明らかに出発前、神戸で見たときよりも『こなれ』が感じられます。
一人ひとりの重ねた経験が生む自信が、その姿勢にわずかながら
余裕のようなものを与えているのかもしれません。

彼らのほとんどが胸に緑と白の徽章を付けています。
どこかの国でもらってきたものでしょうか。

ほひーほ〜〜〜〜〜♪

とサイドパイプが鳴り響きました。
練習艦隊司令官と「かしま」「いかづち」の両艦長下艦です。

全体の一割いるという女性新幹部も整列を行いました。
右端に見切れているのはタイ王国からの留学生です。
ここのところ連続で、タイ留学生が遠洋航海に参加しています。

わたしの前には第七艦隊司令官マーズ中将が座っておられ、
ときどきこのような親密さを自衛隊の将官に表していました。

マーズ中将はまだ9月に第7巻隊司令になったばかりなのですが、
この写真だけ見るとずいぶん昔から旧知の仲だったみたいです。

マーズ中将の向こうにいるのは女性の副官で、前第7巻隊司令と同じく、
中将も通訳の女性を同行していました。

前司令は通訳を後ろの席に座らせ、同時通訳させていましたが、
今回至近距離にいたのをいいことに会話を耳ダンボにして聴いていると、
通訳の女性は、

「ウィリアム、わたしは向こうからインターカムで話しますから」

みたいなことをいって、副官と一緒に全く別のところに座りました。
インカムで同時通訳を行うというのもですが、通訳が仕事相手を
ファーストネームで呼んでいたのにもちょっと驚きました。

アメリカ人でも「お堅い」人はミスターとかタイトルで呼ばせますが、

「コールミー、ウィリアム」

と本人が言えば、そこから先はファーストネーム呼びになります。

司令官と両艦長が立ち、帰国式典が始まります。

最前列の国会議員などが全員到着し、防衛副大臣が到着するまでの間、
皆は不動の姿勢で待ちますが、この時の梶元海将補はバッチリカメラ目線(笑)

まず、無事で帰ってきたことを報告する「帰国報告」が行われます。

そして、到着した防衛副大臣がまず「栄誉礼」を受けます。
栄誉礼は、この日のように音楽隊がいる場合は、黛敏郎作曲の

栄誉礼「冠譜」及び「祖国」

が演奏されますが、たとえば自衛艦上でラッパしかいない場合は

らっぱ隊100名による栄誉礼  -陸上自衛隊第1師団らっぱ隊 / 練馬駐屯地創立記念行事2016

最初だけ同じのこの曲が吹鳴されます。

そして巡閲のときも、幹部たちは全員行われている方向を向いて
敬礼を続けますが、なぜか海曹がこれを行いません。

何かちゃんとした意味があるのだと思いますがいつも不思議です。

栄誉礼と巡閲を終え、防衛副大臣がやってきました。
第4次安倍改造内閣の防衛副大臣は原田憲治氏に代わり、
1975年生まれと若い山本朋広氏です。

副大臣の後ろを歩くのは横須賀地方総監、渡邊剛次郎海将。

ここからは来賓の挨拶と訓示など。

山本議員は、あるとき海上自衛隊の海外派遣部隊で護衛され、
本当にあの時は心強かった、という一般人からお礼を言われた、
というご自身の体験を紋切り型ではない言葉で語りました。

さすがは政治家だけあって、カンニングペーパー一切なしです。

山村海幕長の訓示は、紙に書かれたもので、

「諸君は夕日に映える広大な太平洋に心奪われ、時には荒れ狂う厳しい海を体験したであろう」

「本日からそれぞれ部隊勤務へと旅立つことになる。
海上自衛隊の全ての活動の基本が海の上であることを念頭に置き、
遠洋航海で学んだことを生かし」

といった、なんか去年も聴いたなー的な素晴らしい内容です。

しかし、遠洋航海は毎年何かしら違うイベントがあるので、
こういう挨拶はある叩き台があってそれを毎年微調整しているのです。
今年の訓示には

「日本人移民120周年となるペルーなどを訪問し、パラオなどでは激戦地を巡り、
戦争の歴史と日本人としての自分を再認識したことだろう」

という一文が添えられていました。

本年度の練習航海での訪問国は11か国に上ったそうです。
来賓には外務大臣政務官も来られ、主にそういうことについて
外務省の立場から労いと感謝を述べました。

続いて来賓の紹介です。
政治家は三浦のぶひろ、迫真くん、須藤元気(敬称略)ら。
わたしの前は第三管区海上保安本部長でした。

本部長は、

「お疲れ様でした!現場でお会いしましょう」

と挨拶をされ、おお、と思いました。

今年9月に着任したばかり、ウィリアム・マーズ中将。
アメリカ海軍も司令官配置はだいたい2年くらいで交代するようです。

マーズ中将は潜水艦出身だそうで、横須賀では第7艦隊の
潜水艦隊司令官としての経験もあるそうです。

続いて、司令官、艦長、幹部代表に花束贈呈が行われました。

笑顔で花束を受け取る梶元大介海将補。

「かしま」艦長、高梨康行一等海佐。

江田島出航の際「かしま」の錨が泥に埋まり動けない状態から
前進と後進をかけて抜け出した時のお話にはしびれました。


何度かの壮行会やレセプションで言葉を交わした顔も見えます。
日本への帰国直前、自衛官となって歩む進路を決めるともいえる
最初の配置発表があり、この日横須賀で帰国行事を終えると同時に
それぞれの任地に向かうのです。

 

続く。