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「夕張」誕生〜映画「怒りの海」第4日

2020-09-24 | 歴史

稀代の天才技術者、平賀譲の伝記でもある国策映画、
「怒りの海」、4日目になります。

 

コンサート行きをあくまでも渋って見せる平賀でしたが、
しぶりながらもいつの間にかその気になったらしく、次のシーンでいきなりコンサート会場。

考えが煮詰まってしまっているのも平賀をその気にさせた理由でした。

オーケストラはNHK交響楽団の前身である新交響楽団だと思われます。
戦争中は歌舞音曲の類は一切禁止されていたように思っている人もいるかもしれませんが、
交響楽団は普通に活動を行なっていました。

新響は終戦のときにはベートーヴェンチクルスを行なっていたそうですし、
その後演奏会を再開したのも9月からです。

冒頭絵にも描いたこの指揮者がとにかくクローズアップされています。
この指揮者は山田和男、のちの山田一雄の若き日の姿だったのです。

新交響楽団は戦前近衛秀麿の後任としてヨーゼフ・ローゼンシュトック
常任指揮者に就任しましたが、ユダヤ人だったため、戦争が始まると
彼の出演に制限がかかるようになってしまい、その代役を務める形で
ローゼンシュトックに指揮法の薫陶を受けた(山田はピアノ科卒だった)
山田が振るようになっていたということで、映画出演となったのでしょう。

若き日のヤマカズ

皆の記憶にあるヤマカズ

わたしは晩年の白髪の姿しか知らなかったため、映画を見て
最初これがあの山田一雄とは全く思わず、検索を重ねて
若い時のヤマカズさんの写真を発見したときには驚きの声をあげてしまいました。

曲はバッハ作曲「パッサカリアとフーガ」。

ここでコンサートマスターが映るのが常道だと思うのですが、
なぜかそれがビオラのトップです。
映画スタッフの勘違いかな?

当時のコンマスは女優の鰐淵晴子の父君、 鰐淵賢舟でした。
鰐淵晴子さんは女優として有名ですが、ヴァイオリニストでもありました。
父親とドイツ人の母親の英才教育の賜物だったと言うわけですね。

壮大なフーガを繰り返しながら進む短調の荘厳かつ悲壮な交響曲。

しぶしぶ引っ張ってこられた態の平賀でしたが、
思わずその音の渦に身も心も引き込まれていくのでした。

 

 

複雑で多層的な旋律を奏でる各パート。

そしてその音の流れを棒一本でまとめ上げる指揮者。

同時に平賀は自分の信念を形にするために自分の下で
苦悩し足掻いている部下たちを思うのでした。

交響曲の旋律をバックに林を歩く竹中。
釣りをしながらも
設計が頭から離れない山岸。

相変わらず誰もいなくなった事務所で一人図面に向かい続けている谷のことを。

平賀の脳裏に去来する思いは如何なものなのでしょうか。

楽曲の多層な追いかけ合いが終わり、最終部分で専門用語では追迫部、
ストレッタという大きな一つの旋律となってエンディングに突入したとき、
平賀はたまらず、曲が終わりきらぬうちに席をあとにするのでした。

谷にスタッフを全員集めるように命じたのち、
平賀は何かを決心したふうに資料室に足を運びました。

ちなみにこの廊下を歩くシーンで壮大なフーガは終わりを告げます。

 

そこには艦政本部の会議でやりあった機関設計者の高木(志村喬)がいました。

「おお、あなたもここでしたか」

平賀は何事もなかったように声をかけますが、高木返事しません。
しかし平賀は構わず目当ての資料を本棚から探し出しにかかります。

ちらりと横目で平賀を見ながらも前回のことがあってか
目を落としたままの高木。

資料室には一つしか机がないので、こうなります。
これは気まずい(笑)

互いが互いをチラチラ見ながら何か言おうとして呑みこみますが、
口を開くきっかけがなかなかつかめません。

高木に至っては立ち上がって本棚の間でタバコに火をつけようとしますが、
ライターの調子が悪くカチカチやってあきらめたり、
この一連の名優二人の無言の掛け合いはなかなか見応えがあります(笑)

このときの大河内の演技も、志村のライターが点かないのを見て
一瞬ポケットに手を入れかけますが、志村がタバコ入れをしまうと
すぐに手を出したりして、文字通り「芸が細かい」。

高木が黙って荷物を片付け出すと、平賀はあえて自分のタバコに火をつけてから、
さりげなくマッチを机に置いて、

「はい」

高木はほっとしたように

「ありがとう」

口を聞くきっかけができたので、平賀は早速さりげなく世間話風に

「ご苦労ですな。日曜日まで」

「いや、あなたこそ」

「実はね高木さん、今朝ふっと思いついたことがあってね」

「いやわたしもなんだ。
子供と遊んでるうちに妙にフッといい知恵が浮かんできましてね」

「歳を取るとお互いにセッカチになってねえ」

「はっはっは」「まったくですはっはっは」

話が何だかつながってませんが、二人には多分わかっているか、
あるいはどうでもいいことなんでしょう。
とにかくここまできたらもうあとは親交まっしぐら。

「わたしの方はじつは見通しがつきましてね」

「僕の機関の問題もうまくいきそうなんだ」

お互いが自分の考えを先に披露しようとペンの取り合い。
また喧嘩になるのでは?とハラハラさせられます(嘘)

平賀は先に説明を始めますが、そのシーンはまるまるカットされており、
高木の「機関についてのアイデア」も明らかにされないままです。

シーンはいきなり艦政本部。
平賀が部下を集めて今度は彼らに向かって説明しています。

「つまり、こう・・鰹節のような格好で作るわけだ」

すると見ていた誰かが

「昔の『◯〇〇○型』(聞き取れず)に似てますね」

「そうね・・・
で、波をかぶる舳先から砲塔にかけてはこんなふうに思い切り高くする」

「それからこの機関部のあたりは傾いた時の復原力を持たすために
この程度の高さにするんだね」

「後ろの砲塔から〇〇にかけては波をかぶらない程度に思い切り低くする。
つまり、上甲板がこんなふうに三段の曲線を描くんだ」

さて、これを読んだだけで、「夕張」という名前がすらっと出てきたあなたは
おそらく「艦これ」ファンかさもなくば船屋さんでしょう。

「こう言うふうにすれば船を相当細くしても折れたりすることはない」

「第二の狙いとしては、従来防御だけの目的で
舷側や甲板に張っていた装甲板を、
艦の構造を厳重にするような張り方に工夫するんだ。
たとえばだね」

(書いている手元を映さず、技術者がなるほど、という)

「目方を節約するために『か〇〇〇〇』なんかも出来るだけ沢山あけるんだ」

この5文字がどうしても聞き取れませんでした。

「主任!わたしのカンじゃ今度こそきっとモノになります」

「カンじゃないよきみ、わたしは確信を持っとるよ」

相変わらず負けず嫌いの平賀先生です。

席を外していて平賀の説明を聞いていなかった竹中が戻ってきました。
誰からもなにも言われていないのに平賀の描いた船体図
(ちなみに走り書き)を見ただけで首を振って

「素晴らしい・・・・!」

それでわかるんだ・・。

「世界一の船ができるぞ!」

そしてそれからはスタッフが不眠不休で頑張る様子が描かれます。
眠気と戦いながら計算する山岸。

平賀の走り書きを見ただけでその素晴らしさに気づいた竹中。

時折咳をしながら机に向かう谷。

軽巡洋艦の常識を覆す画期的なデザインで世界を瞠目させ、ジェーン年鑑には
特記項目付きで掲載されるなど注目された「夕張」は、
平賀譲の才能が遺憾なく発揮された、海軍史上特筆される艦とされています。

苦難の末、平賀の名前を造船史に永久に留めることになった
「夕張」の完成後、続々と生み出された軍艦が
実写映像をバックに紹介されます。

気になるのは、1944年当時海軍にこれらの軍艦は
残っていたかと言うことなんですが><

これはおそらく名前の上がったどれかでしょう(当たり前だ)
皆様はこの写真だけで艦名がお分かりでしょうか。

 

さて、そんなある秋の日。
菊作りの腕が玄人並みだったという平賀の作品、
「扶桑秋」が天位(多分特賞のこと?)を取りました。

わざわざその菊を見にきたらしい海軍士官とその妻。

「まあお見事ですこと。
平賀様って菊作りまでこんなにお上手なんですのね」

横から体を乗り出した子供が

「お父さん、あったよあったよ、ここに」

振り返ると、あらそこに”菊作り菊見るときはただの人”であるところの
(これを知っている人はきっと結婚式に何度も出席したことがある)
平賀譲先生ではありませんか。

軍令部に移動になったばかりの浅香少佐でした。
挨拶を交わすや、浅香少佐、

「閣下、今度家内をもらいましてね」

お互いに丁寧に頭を下げ合う両家の女たち。

不忍池の周りをそぞろ歩きながら浅香は平賀に
ロンドン会議に随員として参加することを打ちあけます。

「奴らは我が巡洋艦の優秀な性能に震え上がったと見えます。
しかし我々は覚悟をしております。
断じて閣下ご苦心の危檣(高い帆柱)を奴らの思うままにはさせません」

しかし、平賀はそれに対し、

「我々造船官には心配ご無用です。
なあに、邪魔が入ったらまた新手を考え出しますよ」

女性子供は笑いさざめきながら後ろを歩くのでした。

ワシントン条約決定後、巡洋艦以下の補助艦艇については無制限だったことから、
平賀設計の軍艦群が証明するように、条約の範囲内で最大限の機能を持たせた
「条約型巡洋艦」を建造することで日本は海軍力を維持しようとしましたが、
早い話アメリカとイギリスがその補助艦艇に制限をかけてきたのです。

そんな中夜遅く(9時)まで仕事をしている造船官の谷。

谷の咳き込む声を聞いてハッとする竹中。

心配して皆が机の周りに集まってきます。

そこに平賀主任が帰ってきました。

「どうしたんだ」

「はあ、何でもないんです」

しかし言った端から床に崩れ落ちてしまいます。

しかし谷、大丈夫ですといったその後に続けて

「主任、帝国海軍は身動きできぬほど縛られてしまったのです。
前には主力艦と航空母艦だけでした」

前、というのはもちろんワシントン条約のことです。

「今はもう巡洋艦、駆逐艦、潜水艦、何もかも制限されてしまったのです!
我々は・・我々はどうしても数を生み出さねばなりません」

「私はまだ働けます。お願いします」

平賀主任は休めともやめろともいっていないんですがそれは。

ワシントン条約に続くロンドン軍縮条約の結果が、
造船の現場に与えた衝撃は計り知れないものがあったと推察します。

 

続く。