MSIのトラフィックコーナー展示から、最後に
ユナイテッド航空のボーイング727を紹介します。
スミソニアン航空宇宙博物館以外で、
このクラスの大きさの航空機を室内展示していたのは、
わたしの記憶の限りではここだけです。
さらに、このボーイング727は一種の動的展示として、
何分に一度か、引き込み脚を出したり入れたりを見せてくれます。
ブルーの髪のお姉さんや、指差しているグループなど、
普段見ることのない(飛んでいる時ですからね)ジェット機の脚収納シーンに
皆思わず立ち止まってその動きを眺めています。
■ ボーイング727
ユナイテッド航空のボーイング727を紹介します。
スミソニアン航空宇宙博物館以外で、
このクラスの大きさの航空機を室内展示していたのは、
わたしの記憶の限りではここだけです。
さらに、このボーイング727は一種の動的展示として、
何分に一度か、引き込み脚を出したり入れたりを見せてくれます。
ブルーの髪のお姉さんや、指差しているグループなど、
普段見ることのない(飛んでいる時ですからね)ジェット機の脚収納シーンに
皆思わず立ち止まってその動きを眺めています。
■ ボーイング727
ボーイング727は、ボーイング社が開発・製造した旅客機です。
旅客機には、通路が二つのもの、(国際線のほとんどがこれ)
一つのものがありますが、二つのを「ワイドボディ機」と呼ぶのに対し、
こちらは「ナローボディ機」とされています。
1958年、より重い707クワッド(quad)ジェット、
4発エンジンジェット機が登場した後、ボーイング社は、
大量輸送をこちらに任せて、ナロータイプを
小さな地方空港間を行き来させる需要に対応させました。
1960年、ユナイテッド航空とイースタン航空が、
それぞれ40機の727の注文を行い運用を始めます。
1962年11月27日に最初の727-100がロールアウトし、
1963年2月9日に初飛行、翌年イースタン航空が就航しました。
クヮッドの4発に対し、エンジン3発をトライジェットといいますが、
ボーイング社で生産された唯一のトライジェット機である727は、
T字尾翼下にプラット&ホイットニーのJT8Dローバイパスターボファンを、
後部胴体の左右に1基ずつ、中央に1基を搭載しています。
JT8D-9A
胴体上部とコックピットは輪切りにすると6角形をしていて、
全長40.5メートル、2クラスで106名、1クラスで129名が定員となります。
旅客機のほか、貨物機やコンバーチブルバージョンも製造されました。
727は主に国内線に使用されましたが、国際線も運航しました。
2022年2月現在で、国内に残って商業運航しているのは合計38機。
最後の機体は1989年9月に製造された1,832機で、
それ以来生産されていないので、後は消えていくだけとなります。
■開発
ボーイング727の設計は、ユナイテッド、アメリカン、イースタン航空の、
「滑走路が短く、乗客数の少ない小都市に就航するジェット旅客機」
という要求を反映して行われました。
当時、双発の民間航空機は空港までの最大飛行時間60分という規制があり、
各社ともにハブ空港の圏内に位置する小空港に乗り入れたかったからです。
そして結局、3社は新型機の設計にトライジェットで合意しました。
しかも、727は主翼に高揚装置を備えていたため、
初期のジェット機よりも短い滑走路での着発が可能でした。
たとえばフロリダのキーウエスト国際空港は、
滑走路が当時4800フィートでしたが、ここにも余裕でOKでした。
ちなみにキーウェストの滑走路は現在でも5,076ft(1,547m)しかなく、
そのため出発フライトの機体には重量制限があります。
後の727型は、より多くの乗客を運ぶために拡張され、
ボーイング707やダグラスDC-8などの初期のジェット旅客機や、
DC-4、DC-6、DC-7、ロッキードコンステレーションなど、
老朽化したプロペラ旅客機の短・中距離路線で置き換えられていきました。
1984年には1,832機、1,831機の納入で生産が終了し、
1990年代前半に737がこれを上回るまで、
ジェット旅客機の中で最も多い総数となっています。
旅客機には、通路が二つのもの、(国際線のほとんどがこれ)
一つのものがありますが、二つのを「ワイドボディ機」と呼ぶのに対し、
こちらは「ナローボディ機」とされています。
1958年、より重い707クワッド(quad)ジェット、
4発エンジンジェット機が登場した後、ボーイング社は、
大量輸送をこちらに任せて、ナロータイプを
小さな地方空港間を行き来させる需要に対応させました。
1960年、ユナイテッド航空とイースタン航空が、
それぞれ40機の727の注文を行い運用を始めます。
1962年11月27日に最初の727-100がロールアウトし、
1963年2月9日に初飛行、翌年イースタン航空が就航しました。
クヮッドの4発に対し、エンジン3発をトライジェットといいますが、
ボーイング社で生産された唯一のトライジェット機である727は、
T字尾翼下にプラット&ホイットニーのJT8Dローバイパスターボファンを、
後部胴体の左右に1基ずつ、中央に1基を搭載しています。
JT8D-9A
胴体上部とコックピットは輪切りにすると6角形をしていて、
全長40.5メートル、2クラスで106名、1クラスで129名が定員となります。
旅客機のほか、貨物機やコンバーチブルバージョンも製造されました。
727は主に国内線に使用されましたが、国際線も運航しました。
2022年2月現在で、国内に残って商業運航しているのは合計38機。
最後の機体は1989年9月に製造された1,832機で、
それ以来生産されていないので、後は消えていくだけとなります。
■開発
ボーイング727の設計は、ユナイテッド、アメリカン、イースタン航空の、
「滑走路が短く、乗客数の少ない小都市に就航するジェット旅客機」
という要求を反映して行われました。
当時、双発の民間航空機は空港までの最大飛行時間60分という規制があり、
各社ともにハブ空港の圏内に位置する小空港に乗り入れたかったからです。
そして結局、3社は新型機の設計にトライジェットで合意しました。
しかも、727は主翼に高揚装置を備えていたため、
初期のジェット機よりも短い滑走路での着発が可能でした。
たとえばフロリダのキーウエスト国際空港は、
滑走路が当時4800フィートでしたが、ここにも余裕でOKでした。
ちなみにキーウェストの滑走路は現在でも5,076ft(1,547m)しかなく、
そのため出発フライトの機体には重量制限があります。
後の727型は、より多くの乗客を運ぶために拡張され、
ボーイング707やダグラスDC-8などの初期のジェット旅客機や、
DC-4、DC-6、DC-7、ロッキードコンステレーションなど、
老朽化したプロペラ旅客機の短・中距離路線で置き換えられていきました。
1984年には1,832機、1,831機の納入で生産が終了し、
1990年代前半に737がこれを上回るまで、
ジェット旅客機の中で最も多い総数となっています。
■デザイン
赤で示した部分がエンジンからつながるS字ダクトですが、
初便の離陸時に、ダクト内の流れの歪みによって
エンジンにサージ(急激な増減)が発生するという問題を引き起こしています。
この問題は、ダクトの最初の曲がり角の内側に
大型の渦発生装置を数個追加することで解決しました。
727は汎用性の高い旅客機で信用性も高く、
多くの新興航空会社の機体の中核を成すようになりました。
727が世界中の航空会社で成功したのは、
中距離路線でありながら小さな滑走路を利用できた、つまり、
人口が多くても空港が小さい都市から、
世界中の観光地へ乗客を運ぶことができたからです。
短い滑走路に着陸できるようになったのは、
そのすっきりとした翼のデザインにありました。
赤で示した部分がエンジンからつながるS字ダクトですが、
初便の離陸時に、ダクト内の流れの歪みによって
エンジンにサージ(急激な増減)が発生するという問題を引き起こしています。
この問題は、ダクトの最初の曲がり角の内側に
大型の渦発生装置を数個追加することで解決しました。
727は汎用性の高い旅客機で信用性も高く、
多くの新興航空会社の機体の中核を成すようになりました。
727が世界中の航空会社で成功したのは、
中距離路線でありながら小さな滑走路を利用できた、つまり、
人口が多くても空港が小さい都市から、
世界中の観光地へ乗客を運ぶことができたからです。
短い滑走路に着陸できるようになったのは、
そのすっきりとした翼のデザインにありました。
翼にエンジンを搭載しないため、前縁装置、
および後縁リフト増強装置を翼全体で使用でき、
最大翼揚力係数3.0を実現したことが最大の理由です。
および後縁リフト増強装置を翼全体で使用でき、
最大翼揚力係数3.0を実現したことが最大の理由です。
後に控えたU-505の見学に体力を温存するため、
私たちは結局申し込むことはありませんでしたが、博物館では、
展示されているユナイテッド航空ボーイング727の機体に乗り込み、
その内部と外部を探検し、民間航空を形成する技術について学ぶ、
というツァーが常時開催されていて人気でした。
ツァーの案内をするのは贅沢なことに?
ボランティアである、ユナイテッド航空の本物のパイロットです。
飛行機、飛行、航空業界について聞けば、それこそ何でも答えてくれたとか。
コクピットの説明などもこのボランティアは操縦法まで教えてくれそうです。
時間がなかったので中に入って写真を撮ることもできませんでしたが、
この左側の『Thin Air』は高度に対する技術、
そして右側の『Rough Air』は、
気流に対する安定性の追求についての展示だと思います。
時間がなかったので中に入って写真を撮ることもできませんでしたが、
この左側の『Thin Air』は高度に対する技術、
そして右側の『Rough Air』は、
気流に対する安定性の追求についての展示だと思います。
左側の席はフライトアテンダントが座るジャンプシートでしょう。
昔の東京大阪のシャトル便では、右側最前席に座ると、
FAの方達としばらく向かい合うことになる仕様でしたが、
(あれは男性の方々にとってはお得感を感じる瞬間だったらしい)
今ではあまりお目にかからないような気がします。
【ダン・クーパー事件とエア・ステアの廃止】
727は小規模な空港向けに設計されたため、地上設備からの独立性確保として
胴体後部の下腹部から開くエア ステアが設けられました。
信じられないことに、これ、当初飛行中に開くことができたのです。
開いているエア ステア
1971年11月24日。
その頃、世界的にハイジャック事件が頻発していましたが、
この日ダン・クーパーと名乗る男が、
ポートランド発ノースウェスト・オリエントのボーイング727
をハイジャックし、シアトルのタコマに緊急着陸させた上、
現金20万ドルとパラシュートを要求して再び離陸させ、
このハッチを使って降りていった、という衝撃の事件が起こりました。
開いているエア ステア
1971年11月24日。
その頃、世界的にハイジャック事件が頻発していましたが、
この日ダン・クーパーと名乗る男が、
ポートランド発ノースウェスト・オリエントのボーイング727
をハイジャックし、シアトルのタコマに緊急着陸させた上、
現金20万ドルとパラシュートを要求して再び離陸させ、
このハッチを使って降りていった、という衝撃の事件が起こりました。
D.B.クーパー事件
ちなみにダン・クーパーは搭乗券を買う際の偽名であり、
事件の名前として残っている「D.B.クーパー」は、
あわてんぼうのどこかの記者の間違いが流布されてしまったものです。
いずれににしても、この飛び降りた人物のその後がわからず、
生死すら判明していない(おそらく死亡したとされる)ため、
今日に至るまでことの真相は明らかにされていません。
何しろ、被疑者とされた名前の残っている人物だけで13人もいるのです。
それはともかく、この事件以降、ボーイング社はじめ全ての航空会社は、
飛行中にエア ステアを下げることができないようにする装置、
その名も「クーパー ベーン」を取り付けて再発に備えました。
【727の運用】
21世紀に入っても、727は一部の大手航空会社で現役を続けていました。
しかし、燃料費の高騰、9.11以降の経済情勢による旅客数の減少、
空港騒音の規制強化、古い機体の維持やフライトエンジニアの人件費、
こういった理由から、ほとんどの大手航空会社は727を廃止し、
より静かで燃料効率の高い双発機で代替しました。
(3基エンジンの727は騒音問題でずいぶんもめた)
また、現代の旅客機はパイロット2人という少人数で運航しますが、
727型機はパイロット2人とフライトエンジニア1人を必要としました。
2003年にはデルタ航空もノースウェスト航空も
最後の727型機を定期便から退役させ、
多くの航空会社が727を737-800またはエアバスA320に置き換えました。
ちなみにダン・クーパーは搭乗券を買う際の偽名であり、
事件の名前として残っている「D.B.クーパー」は、
あわてんぼうのどこかの記者の間違いが流布されてしまったものです。
いずれににしても、この飛び降りた人物のその後がわからず、
生死すら判明していない(おそらく死亡したとされる)ため、
今日に至るまでことの真相は明らかにされていません。
何しろ、被疑者とされた名前の残っている人物だけで13人もいるのです。
それはともかく、この事件以降、ボーイング社はじめ全ての航空会社は、
飛行中にエア ステアを下げることができないようにする装置、
その名も「クーパー ベーン」を取り付けて再発に備えました。
【727の運用】
21世紀に入っても、727は一部の大手航空会社で現役を続けていました。
しかし、燃料費の高騰、9.11以降の経済情勢による旅客数の減少、
空港騒音の規制強化、古い機体の維持やフライトエンジニアの人件費、
こういった理由から、ほとんどの大手航空会社は727を廃止し、
より静かで燃料効率の高い双発機で代替しました。
(3基エンジンの727は騒音問題でずいぶんもめた)
また、現代の旅客機はパイロット2人という少人数で運航しますが、
727型機はパイロット2人とフライトエンジニア1人を必要としました。
2003年にはデルタ航空もノースウェスト航空も
最後の727型機を定期便から退役させ、
多くの航空会社が727を737-800またはエアバスA320に置き換えました。
■ ボーイング727の墜落事故
ボーイング727が関与した死亡事故は118件に上ります。
死亡者多数の大事故をいくつかリストアップします。
特に1960年〜80年代は大事故が多すぎて、130人で「脚切り」しましたが、
事故原因のほとんどはヒューマンエラーによるもの、
パイロットのミス、ハイジャック、軍機との衝突、攻撃などです。
事故の数だけ見ると、飛行機に乗るのが怖くなりますが、
この原因を見る限り、機体そのものは、適正に扱っていれば
絶対と言っていいほど事故にはならないのでは、とさえ思います。
まあただ、これはボーイング727という機体だけのデータと考えれば、
単純にやっぱり飛行機って落ちるんだなあということになるんですけどね。
それではどうぞ。
1966年2月4日: 全日空60便(727-100型)
夜間に東京の羽田空港にアプローチ海上に原因不明で墜落
搭乗133人全員死亡
1971年7月30日:全日空58便
ボーイング727が関与した死亡事故は118件に上ります。
死亡者多数の大事故をいくつかリストアップします。
特に1960年〜80年代は大事故が多すぎて、130人で「脚切り」しましたが、
事故原因のほとんどはヒューマンエラーによるもの、
パイロットのミス、ハイジャック、軍機との衝突、攻撃などです。
事故の数だけ見ると、飛行機に乗るのが怖くなりますが、
この原因を見る限り、機体そのものは、適正に扱っていれば
絶対と言っていいほど事故にはならないのでは、とさえ思います。
まあただ、これはボーイング727という機体だけのデータと考えれば、
単純にやっぱり飛行機って落ちるんだなあということになるんですけどね。
それではどうぞ。
1966年2月4日: 全日空60便(727-100型)
夜間に東京の羽田空港にアプローチ海上に原因不明で墜落
搭乗133人全員死亡
1971年7月30日:全日空58便
航空自衛隊のF-86F戦闘機と衝突し乗客・乗員162名全員が死亡
1976年9月19日:トルコ航空452便
空港を間違えて着陸しようとして山地に衝突
乗員8名と乗客146名全員が死亡
1977年11月19日:TAPポルトガル航空425便
空港の滑走路をオーバーラン、急な土手を越えて突っ込み炎上
乗客164人のうち131人が死亡
1978年9月25日 パシフィック・サウスウエスト航空182便
1976年9月19日:トルコ航空452便
空港を間違えて着陸しようとして山地に衝突
乗員8名と乗客146名全員が死亡
1977年11月19日:TAPポルトガル航空425便
空港の滑走路をオーバーラン、急な土手を越えて突っ込み炎上
乗客164人のうち131人が死亡
1978年9月25日 パシフィック・サウスウエスト航空182便
サンディエゴでセスナ機と衝突して墜落
727便の乗客137人全員とセスナ機の2人、地上にいた7人の計144人が死亡
1980年4月25日: ダン・エア1008便
旋回中に地形に衝突し、乗客・乗員146名全員が死亡
1982年6月8日: VASP168便
最低降下高度を下回って山に衝突
乗客・乗員137名全員が死亡した
1982年7月9日: パンナム759便
ニューオーリンズ国際空港を離陸した直後マイクロバーストにより墜落
搭乗していた145人全員と地上にいた8人が死亡
1985年2月19日:イベリア航空610便
着陸中にテレビアンテナに衝突して墜落
乗員148名全員が死亡
1986年3月31日: メキシカーナ940便
離陸後、上空で過熱したタイヤが爆発し火災が発生、機体は制御不能に
乗員167名全員が死亡
1988年3月17日:アビアンカ航空410便
離陸後、コロンビアの低山に墜落
搭乗していた143名全員が死亡
1989年10月21日:タンササ414便
アプローチに失敗し山中に墜落
乗客・乗員138人のうち131人が死亡
1992年12月22日: リビア・アラブ航空1103便
リビア上空でリビア空軍のMiG-23と空中衝突を起こし墜落
乗客147名と乗員10名が死亡、MiGパイロット二人は生存
1993年5月19日:SAMコロンビア航空501便
空港(SKRG)へのアプローチ中に山に衝突
乗客・乗員132名全員が死亡
1996年11月7日: ADC航空86便(727-200型機)
空中衝突を避け回避行動をとった後コントロールを失い墜落
144人が死亡
2003年12月25日: ユニオンデトランスポーツ
アフリカンデギネ141便
滑走路をオーバーランして海へ
乗客名簿に記載された163人のうち151人が死亡
墜落の原因は乗客と貨物の過積載
727便の乗客137人全員とセスナ機の2人、地上にいた7人の計144人が死亡
1980年4月25日: ダン・エア1008便
旋回中に地形に衝突し、乗客・乗員146名全員が死亡
1982年6月8日: VASP168便
最低降下高度を下回って山に衝突
乗客・乗員137名全員が死亡した
1982年7月9日: パンナム759便
ニューオーリンズ国際空港を離陸した直後マイクロバーストにより墜落
搭乗していた145人全員と地上にいた8人が死亡
1985年2月19日:イベリア航空610便
着陸中にテレビアンテナに衝突して墜落
乗員148名全員が死亡
1986年3月31日: メキシカーナ940便
離陸後、上空で過熱したタイヤが爆発し火災が発生、機体は制御不能に
乗員167名全員が死亡
1988年3月17日:アビアンカ航空410便
離陸後、コロンビアの低山に墜落
搭乗していた143名全員が死亡
1989年10月21日:タンササ414便
アプローチに失敗し山中に墜落
乗客・乗員138人のうち131人が死亡
1992年12月22日: リビア・アラブ航空1103便
リビア上空でリビア空軍のMiG-23と空中衝突を起こし墜落
乗客147名と乗員10名が死亡、MiGパイロット二人は生存
1993年5月19日:SAMコロンビア航空501便
空港(SKRG)へのアプローチ中に山に衝突
乗客・乗員132名全員が死亡
1996年11月7日: ADC航空86便(727-200型機)
空中衝突を避け回避行動をとった後コントロールを失い墜落
144人が死亡
2003年12月25日: ユニオンデトランスポーツ
アフリカンデギネ141便
滑走路をオーバーランして海へ
乗客名簿に記載された163人のうち151人が死亡
墜落の原因は乗客と貨物の過積載
続く。