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”パリー”とガン高校〜シリコンバレーの高校生

2023-07-19 | アメリカ

ここパロアルトでの生活もはや3週間になろうとしています。
この間のことをつれづれにご報告させていただきます。



最初に住んだプロフェッサーズ・ビルでは毎朝近所を歩きました。
この一帯は緑が多く街路樹が影を作るので、とても快適です。
(西海岸のトレイルは海岸や川沿いで日陰がなく、陽が高くなると過酷)

住人が設置した妙なオブジェに出会うのもまた一興。



ある朝、何年か前Airbnbではない業者を通じて借りた
インド人がオーナーの部屋を見つけました。

外から見るといい感じですが、典型的なアメリカの古い家で、
中はあまり清潔とは言い難かった記憶が・・・。

あれは確かトランプが大統領になった年でした。


いつもは東海岸から西海岸に移動しますが、今年は
最初から最後まで西海岸に滞在します。
移動がないので交通費は安く上がりますが、
物価の高騰は結構凄まじく、極力外食は控える方向に。



しかしたまには家族での外食も楽しみたい。
なにしろここはあらゆるエスニックな料理が楽しめる西海岸です。
最初の外食は、モールの中にあるパエリアの店でした。
鍋は大きいですが、レストラン側も物価高に腐心しているらしく、
ライスの量は限界まで減らされていました。
鍋底まで深さ1センチくらいしかなかったかもしれません。

これを3人で食べるのは、いかに少食の我々でも少々もの足りませんでした。

■ パリー〜全米一〇〇の多い高校


このモールの道向こう側にパロアルトハイスクールという高校があります。
地元では「パロ高」的なノリで「パリーPally」と呼ばれています。

位置的にいうと、モールと並んでおり、目の前の幹線道路の向こうは
総合で全米1とも2とも言われる有名大学があるわけです。

昔からここに来るたびに、なんとなくですが、
この高校に通う生徒は、なまじ道向かいにあるこの有名大学の存在が
プレッシャーみたいになっていないのだろうかと思っていました。

今回ふとしたきっかけで、「パリー」の創立は向かいの大学とほぼ同時期、
高校の敷地そのものが、その大学の提供によるものであることを知り、
さらにその疑念は強くなったのですが、それが確信となったのは、
MKがふともらした、

「あそこ、全米一自殺が多い高校なんだって」

という情報でした。
別に附属高校というわけではないまでも、隣にあって
歴史的な関係も実際の関係もあれば、その大学への入学を望む親は
他の高校より有利になるかもという思いで越境させるケースもありそうです。

しかしわたしの予想に違わず、パリーで優秀な子に限って、
プレッシャーに押しつぶされてしまうケースが後を絶たないようでした。

そして、この「近隣プレッシャー」は、パリーだけのことでなく、
やはりこの近く(大学より2ブロック南、車で5分以内)にある
パリーのライバル高、ガン(Gunn)ハイスクールもまた、
同じく自ら命を断つ生徒が少なくないと聞いて、わたしは戦慄しました。

そしてこんな記事を見つけました。

シリコンバレーの自殺者
The Silicon Valley Suicides


なぜパロアルトでは将来を嘱望された子供たちが自殺するのか?

ハンナ・ロージン
2015年12月号
救われた物語

空気が悲鳴を上げ、生命が止まる。
まず遠くから、怒った虫が群がるような高い鳴き声が聞こえ、
次に群れが移動するような踏みつけ音がする。

カルトレインの踏切を通り過ぎる自転車に乗った子供たちは、
学校から家に帰りたがっているが、その手順は知っている。
ブレーキをかける。電車が通過するのを待つ。

5両編成の2階建て車両が時速50マイルで駆け抜ける。
あまりの速さに、乗っているシリコンバレーの通勤客の顔は見えない。
駅に入ってくるカルトレインは速度を落とし、あなたを招き入れる。
しかし、踏切に差し掛かったカルトレインは、まるで救急車のように、
猛烈な勢いで警告を発してくる。



子供たちは、通過する列車が肌に感じる突風を発生させるまで待つ。
警報機が鳴り響き、念のため赤いライトが数秒間点滅する。
そしてゲートが持ち上がり、安全に渡れることを知らせる。

自転車、スケートボード、ヘルメット、バックパック、
バスケットボールのパンツ、賑やかな会話。

「お前何年間同じガム噛んでんだよ?」
「クイズ(試験)は来週だよ、バカ」

道路では、ミニバンが少し早すぎる左折をした。
パロアルトの春はいつもそうだが、空気はまた静かだ。
キツツキが近くで仕事をしている。
ハチはジャスミンを探しに行くのに熱心で誰も刺さない。

パロアルト高校の校庭、ガン高校の子供たちが放課後にたむろする
ピアッツァの食料品店のテーブル、真夜中過ぎの子供たちの寝室。

数人の生徒が、バレーボール・チームの恒例行事である
「スクービー・ドゥー」に扮して写真を撮ろうと、早起きしていた。

そのうちの一人、アリッサ・シー・トーは、
合唱室の外で1時間目が始まるのを待っていた。
徐々にクラスメートたちが彼女に加わり始めた。
窓からは、そこに詰めている教師たちの姿が見えた。

ヘンリー・M・ガン高校の他の教室では、約1900人の生徒が待っていた。
数分後、教師たちは外に出ていった。
アリッサは中の席に着いた。

2014年11月4日、ホームカミングの数日後、
大学入学願書が皆を熱狂させ始める1カ月ほど前のことだった。

教師は、「昨夜自ら命を絶った」という言葉を含む声明文と、
キャメロン・リーという名前を読み上げた。

アリッサはまずこう思った。

「うちの高校に他にキャメロン・リーって子、いたっけ?」

というのも、彼女が知っているキャメロン・リーは、
人気者でスポーツ万能、学業には無関心のようで、
人のリュックを裏返すという迷惑ないたずらの熱心な実践者だったからだ。

その日、アレックス・ギルが少し遅れて学校に着くと、
廊下で誰か泣いている人がいた。

校長のデニース・ハーマンは彼を呼び止めて話しかけた。
彼女はアレックスがキャメロンの親友の一人であることを知っていたからだ。

そのこと告げると、彼は床に膝をついた。

彼はキャメロンが前日に送ってきたメールのことを考えた。
キャメロンは、バレーボールのトライアウト(基準テスト)に行ったが、
メールをしてきた段階ではまだ健康診断を受けていなかった。

彼は死ぬ数時間前にそのメールを送ったに違いない。


註;アメリカの大学は、スポーツ枠があり、隣の名門大学も
フットボール、野球、バレー、各スポーツでの推薦入学者を取っている

後日、ターン・ウィルソンは、創作の授業で、
キャメロンと友達だった人はいるかと尋ねると、
生徒の3分の1が手を挙げ、
彼と一緒に授業を受けたことがあるかと尋ねると、全員の手が挙がった。

生徒たちはいつもは "おどけてて陽気 "なのだが、
その時間帯は "まったくもって無口 "だった、と彼女は後に語った。

その朝、学区のグレン・"マックス"・マクギー教育長は、
学区のもうひとつの公立高校である、
パロアルト高校のキム・ディオリオ校長に電話をかけ、

"これはみんなに大きな打撃を与えるだろう "

と警告した。
マクギーはその年、この地区に赴任してきたばかりだったが、
赴任したときからその歴史は知っていた。

この2つの高校の10年間の自殺率は、全国平均の4倍から5倍である。

2009年の春から9ヶ月間にわたり、ガン校の生徒3人、
新入生1人、新卒者1人が、対向してきたカルトレインの前に飛び出した。
別の新卒者は首を吊った。

その間の数年間は静かではあったが、慰めにはならなかった。

スクールカウンセラーは、ハイリスクと思われる子供たちの流入に
「圧倒され、過負荷」状態が続いていた、と、
2006年からガンのメンタルヘルス・プログラムの監督を手伝っている
ロニ・ギレンソンは言う。

そして、2013-14学年度の調査によると、パロアルトの高校生の12%が、
過去12ヶ月間に真剣に自殺を考えたことがあるという結果だった。

キャメロン・リーが亡くなる3週間ほど前、マクギーの勤務3カ月目に

地元の私立学校の女子生徒が陸橋から飛び降りた。

その1日後、前年にガンを卒業したクイン・ゲンズが線路で自殺した。
感謝祭前だというのに、ガン校の生徒2人がすでに亡くなっていた。

「自殺のクラスター」とは、複数の死が連続して発生し、
しかも近接した場所で発生することを意味する。
マクギーと他の管理者たちは、傷つきやすい生徒たちが
深く考えすぎて、自分をキャメロンと同一視しすぎることを心配した。

ディオリオは2009年と2010年、
「パリー」のガイダンス主任を務めていた人である。
一日中、パリーの生徒たちはフェイスブック、インスタグラム、
ツイッターから最新情報を得ることができるようにした。

2時限目には、多くの生徒がまたもやカルトレインの仕業だと知っていた。

その日もいつものように、ほとんどの教室では電車の音が聞こえた。
それは20分おきくらいに通過していったが、生徒たちにとって、

その日の警笛は、『ハンガー・ゲーム』で子供が死ぬたびに鳴り響く
大砲のように聞こえた、と、ある生徒が後で教えてくれた。


アトランティック誌の全国特派員ハンナ・ロージンが、
12月のカバーストーリーの背景にある調査について説明している。

有難いことに、あるいは不気味なことに、
この学区には自殺予防の専門家が揃っていた。
スタンフォード大学の専門家と、近年深い知識を備えた素人たちだ。

2009年から10年にかけて起きた集団自殺の後、
学区は自殺後の包括的な「ツールキット」をまとめ、
再び集団自殺が起きないようにするために何をすべきかを職員に教育した。

統計的には、それが起きる可能性は高いわけではない。
なぜなら10年以内に同じ場所で2度目のクラスターが発生する
「エコークラスター」は極めてまれであるとされるからだ。


ガンの教師たちに対する対策は、もしトラウマを強く感じられたら、
その日は代理の教師を立てることができるというものだった。

グリーフ(悲しみ)カウンセラーは校内をくまなく歩き回り、
泣きながら立ち尽くしている生徒のグループに出会うと対応した。
職員は、特に傷つきやすいと思われる生徒を慎重にチェックした。

訓練では、模倣を阻止する鍵のひとつは
死をロマンチックにしないことだと学んでいたので、
彼らはちょうどいいトーンを打ち出すのに苦労した。

キャメロンの記憶や打ちひしがれた家族を侮辱することなく、
キャメロンを英雄や殉教者に仕立て上げることは避けなければならなかった。

花輪とテディベアの記念碑にキャンパスを占拠させることなく、
生徒たちが悲嘆に暮れるスペースを作らなければならなかった。

2009年、このクラスで最初に線路で亡くなった
ジャン=ポール・"J.P."・ブランシャールを追悼することになったとき、
生徒たちは学校中にバラの花びらをまいたものだった。

ターン・ウィルソンは、そのバラの花びらは美しく、
心を揺さぶるものであったが、同時に、病的なものであり、
まさに落ち込んだティーンエイジャーが自分の将来の悲劇の背景として
想像するような「小道具」に思われたと回想している。

キャメロンが亡くなった翌夜には、何人かのクラスメートが校内に忍び込み、
"We love you cameron " "Rip cameron "
といったメッセージをチョークで書いた。

結局、何人かの生徒が校外の地元の小学校で追悼式典を開くことにした。
それを計画した一人が、その年の3年生学級委員長で、
J.P.の妹の一人であるイザベル・ブランシャールだった。

「私は15歳なのに、追悼行事を企画することになってしまった」

と、帰宅した彼女は母親のキャスリーンに言ったという。

疲れ果てたキャスリーンの言葉には、根底にある疑問があった。


「よそ者からの嫉妬を買い、クールなガジェットやアイデアが生まれ、
楽観主義が限りなく広がり、多くの人々がこぞって老化を遅らせ、
おそらくいつか死を止めるような発明に取り組んでいる」

そんな場所に住んでいながら、高校3年生が、
他の10代の若者の死にシンパシー感じているのはなぜなのだろう?




■ カルトレイン沿いのコーヒーショップ


さて、こちらにきてからMKが開拓した美味しいコーヒーショップに
何軒か連れて行ってもらいましたが、その一つは、スタンドだけで、
テーブルは全て外の傘の下というカリフォルニアらしいこの店です。

ところで、この写真の様子を覚えておいてください。
MK以外に人はいません。



隣は先ほども話題に出たカルトレインのメンローパーク駅。
ちなみに「パリー」はこの次の駅との間にあり、最初の写真が
おそらく彼らが「利用」した踏切となります。

メンローパークは空撮を見ても一軒当たりの面積が異様に広く、
隣のアサートンと並ぶ豪邸街で、ザッカーバーグもイーロン・マスクも
ここに自宅(のうちの一つ)を持っているという地帯です。

気候が良く、いつも花の香りに満ち溢れ、緑が辺りを覆う。

しかしシリコンバレーという世界でも特殊な地域には、目に見えぬ軋轢、
富と幸運の奪い合い、熾烈な生存競争といった相剋が渦巻いています。

高校生たちは、そこに飛び込まざるを得ない自らの運命への諦めと、
うまくやっていくための努力を強いられる生活を、
おそらくは物心ついた頃から意識して生きてきたはずです。


そして、競争に勝ち、どこがゴールかわからない実績
(おそらく最初の『関門』は隣の名門大学に入れるかどうか)
を出すために、懸命に泳ぎ続けています。

しかしある日、「主流」に乗れないことを知り、泳ぐのをやめてしまう。
泳ぐのをやめても彼らは水から上がろうとせず、溺れていきます。

バレーボールで推薦基準に達しないと宣言されたキャメロンのように、
今まで思い描いてきた自分の未来の姿が否定された瞬間、
自分の生をも否定して、そこから離脱する道を選んでしまうのです。

彼らの自死はMITやカルテックなどの難関大学で多々起きる、
いわゆる期待されたエリートの挫折の果てのそれと構造を同じくしています。


この街角のいたるところには、メキシコからの不法移民が、時には子連れで
「助けてください」というプラカードをあげて物乞いをしています。

素晴らしい気候、眩いような洗練された都会、最先端のハイテク都市、
その栄華のおこぼれに預かり、何をやってでも生きていこうとする人々は、
そこに住むことそのものがゴールであり、幸運だと信じています。

ところが、移民にとっての天国の住人であるはずの若い人たちが、
人生のあまりにも早い段階で、容易く自分の生を手放してしまうのです。

何と皮肉で悲しい対照であることか。


コーヒーショップの一隅には(おそらく向こうがアパートであるため)
客席の代わりにフルーク式の錨が立っています。


この日、わたしたちが到着したとき、他に客がいなかったので、
安心して?時間のかかるプアオーバーを注文しました。

ところが、わたしが並んだ途端、後ろに長蛇の列ができてしまい、
(これはさっきの写真の3分くらい後)
今回も連日にわたり、いつもの、自分には何の得にもならない特殊能力
(招き猫パワー)を発揮していることをあらためて確認しました。

うーん・・・この能力、何かの役に立てられんものかな。

続く。