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戦死した女性軍人たち〜USS「リトルロック」ベトナムルーム

2024-12-14 | 歴史

巡洋艦「リトルロック」艦内を利用したベトナム戦争関連展示から、
今日はベトナム戦争に参加した女性軍人についてご紹介します。

■ ベトナム女性記念碑


以前ピッツバーグのハインツミュージアムで開催されていた
ベトナム戦争展示をご紹介する際、この
ベトナム女性慰霊碑に触れ、画像を上げたことがあります。


女性彫刻家、グレンナ・グッドエーカーが制作し、
ワシントンD.C.に設置されたこの作品は、負傷した兵士と女性二人、
どちらも看護師で一人は兵士を抱き抱え、アフリカ系看護師は空を見て、
ヘリの到着を待っているかのような瞬間を表現しています。

ベトナム戦争がようやく過去のこととなった1984年、
看護師としてベトナムに派遣されたダイアン・カールソン・エバンスは、
ベトナム戦争に参加した女性の勇気と、犠牲者を称えるため、
他二人とともにベトナム女性慰霊財団(VWMF)を設立しました。

戦争中、延べ26万5千人以上の女性軍人と民間人女性が従軍しましたが、
ベトナムに駐留した米国女性は約1万人で、その90%は看護師でした。

その他は、医師、理学療法士、医療関係者、航空管制官、
軍事情報部、行政部などで、民間人は、赤十字、USO、
スペシャルサービス、アメリカン・フレンズ・サービス委員会、
カトリック・リリーフ・サービス、その他の人道支援組織や、
報道特派員やワーカーとしてベトナムに派遣されていたわけです。

その中の8名が、命を落としました。

しかし、記念碑設立計画は、なぜか男性だけでなく女性から反対されました。
もとタスクフォース勤務で当時コネチカット知事だった
ジル・A・ミシュケル
の反対理由は以下の通り。

「退役軍人(ベテラン)という言葉は男性を意味する。
私たち(女性)が称えられるべきという提案すら不快である」


また、ベトナム慰霊壁の設計を行った中国系デザイナー、マヤ・リンも、

「(この追加を許可することは)記念碑が適切な、
法的および美的承認プロセスを経てから何年も経った後でも、
我々の国定記念物が民間の利益団体によって改ざんされる可能性」

というよく意味のわからない反対意見を出しています。

しかし結局、男性の上院議員2名、下院議員1名によって法案が提出され、
レーガン政権時代に、記念碑の設置の署名がまず行われました。

今にして思えば大変不思議なのですが、
国のため出征して戦場で任務を果たし身を危険にさらし、
その結果命を失った女性を顕彰することの一体何が問題だったのでしょうか。

エレノア・グレース・アレキサンダー大尉


冒頭写真の装備は、海兵隊の外科看護師であった、
Cap.  Eleanor Grace Alexander 

エレノア・グレース・アレキサンダー大尉

が着用していた迷彩服とブーツです。

彼女のマネキンは、愛用していた聴診器を首にかけ、
マネキンの後ろの彼女の認識票が大きく拡大されたポスターには、

”Not all women wore love beads in the sixties.”

直訳すれば「60年代、全ての女性が首飾りを愛したわけではない」
つまり戦場に自ら身を投じる女性もいた、という意味のフレーズが見えます。

1940年生まれのアレクサンダー大尉は、
ニューヨークの病院で外科看護師として勤務していましたが、
政治的関心の高さから陸軍看護部隊を志願しました。

友人は彼女が入隊したとき、危険を感じて、
代わりに平和部隊で国のために尽くしてはどうかと助言したのですが、
彼女の意思は固く、国内で訓練を受けたのち、医療旅団に配属されます。

1967年11月30日、アレキサンダー大尉は、戦闘で負傷した兵士のため、
プレイクで治療任務を行ないましたが、任務後基地に戻る飛行機が墜落し、
同乗していた25名と共に、27歳の若さで亡くなりました。

彼女がベトナムに着任してまだ1年も経っていませんでした。


国防総省は数日間この事故を公表しませんでした。
敵に情報が漏れることで捜索活動に障害をきたすからです。

ある新聞記事はこのことを以下のように伝えました。

「先週の木曜日、双発の輸送機がクイニョン南のジャングルの中で墜落し、
乗員全員となるアメリカ人26名が死亡した。
飛行機には4人の乗組員、2人のアメリカ民間人、
18人の陸軍兵士、2人の空軍兵士が乗っていた。

墜落の原因は不明。
飛行機はプレイクからクイニョンに向かう途中であった。」

彼女はベトナムで仲間の兵士たちから信頼され賞賛を受けていました。
ある兵士は、こう回想しています。

「アレクサンダー大尉を失ったとき、誰もがとても悲しみました。

戦場の常として我々は部隊から兵士を戦死によって失っていましたが、
そのような損失に対しては、こう言ってはなんですが、
元々覚悟があったというか、心のどこかで予期するものがありました。

しかし、アレクサンダー大尉の場合は少し違いました。

彼女を失ったことはいつもより皆を落ち込ませ、
喪失の悲しみで部隊には暗雲が垂れ込めたようになったのです。

彼女がいなくなって、私たちは皆、彼女をなんというか、

いかに理想化していたか、何より愛していたことに気づいたんだと思います」

同僚の看護師も、エレノアの戦士による喪失感に苦しめられました。

看護師で友人のローナ・プレスコットは、自らの心的外傷から
戦後看護師を辞めることになりましたが、その後、経験を活かして
心的外傷後ストレス症候群に苦しむ退役軍人のカウンセラーになりました。

彼女は戦後23年経って、エレノアにこんな手紙を書きました。

エレノア、あなたは私より数カ月年上。

「スーパーナース」としてO.R.を支えていましたね。

あなたは決して慌てず、ミスをせず、
身だしなみさえきちんとしていて、一流だと思った。

一方、私は目の前の生活に追われて、怒り、苛立ち、
ついでにくせ毛と毎日格闘していたわ。

どうやって持ちこたえたの?
みんな、あなたに頼っていたよ。

あなたと私は、トリアージし、仕事をこなし、兵士たちを動かし、祈った。
私はいつも怒鳴ってばかりだったけど、あなたはそうしなかった。
私はあなたの強さに感心してたし、羨ましかった。

テントの下で働いたり、ヘリからすぐに負傷者を運び出したり、
暑さの真っ只中に身を置いたりしましたね。

私が緊急外科チームに配属されたとき、
あなたはそこには自分が行きたい、といっていたっけ。

そのチームは1日24時間対応が基本だったのに。

あの時、プレイク出張の電話は緊急外科チームの私にかかってきた。
私がそこにいなかったので、あなたは私の装備とジャケットをつかんで、
私の代わりに激しい戦闘と死傷者の多いプレイクに行ってしまった。

それを知って、私は内心あなたのためにはよかったと思ってたの。
でもそれから6週間後、クィニョンに帰るあなたの飛行機が墜落した。

あの日はとても風が強かったわ。
あなたはV.C.領土の奥深くの山に墜落した。
機体には弾痕があったと聞かされた。

数日後、あなたの遺体が回収された。
少なくとも捕虜にはならなかったようだけど・・即死だったの?
・・・・痛みはあった?

私は追悼式に行くことができなかった。
精神安定剤を手に入れて薬を全部飲んだ後、眠り続けた。

どうして私は生き残って、あなたは死んだの?

エレノア、「壁」に行くと涙が出て止まらない。
あなたの死に涙が止まらないの。

23年経った今も、そのことをよく考える。

神のご意志なのか、それとも私があなたの運命を狂わせたのか。
申し訳ないのか、罪悪感を感じるべきなのか。
どうすればいいのかわからない。

私はあなたから命を奪ったの?


それとも、チームの一員として究極の看護をするという経験を、
無謀にもあなたにさせてしまったのかしら?

そのことを知りたかったけど、本当は知りたくなかったのかもしれない。

私があなたの統率力と冷静さに驚嘆すれば、
あなたは手術、点滴、剥離をフルでこなした私の経験を羨ましがった。

「わたしも本当に重要な仕事をするチャンスが欲しいわ」

って。

私はいつも、第85師団でのあなたの仕事の方が、
第616師団での私よりもうまくいっていると思っていたけどね。

エレノア、あなたは死ぬ前に「チャンス」を得たのよ。

それは私のおかげなのよ。
チャンスを得たあと、あなたが死んだことも。

それは違うと自分に言い聞かせてきたけど、でも、本当はそうなんだわ。

私はもがきながら、相変わらず不完全ながらも、
今も何かを世の中に与えようとしています。

私のように傷ついた他の生存者を助けること。
あなたのためにもそうしなければならないと思っています。

あなたの友人

ローナ



アレクサンダー大尉のマネキンの足元には、死亡記事、
彼女の追悼式のプログラム、戦後、彼女の兄が
手術室の制服を着た彼女を描いた絵と一緒に写っている追悼記事があります。

こうして、エレノア・アレクサンダー大尉は戦死後、
青銅星章とパープルハートを授与されました。


■戦死した8名の女性軍人

ベトナム戦争では、8名の女性軍人が任務中死亡し、
ワシントンD.C.にある壁に名前を追加で刻まれました。

シャロン・アン・レーン陸軍中尉(ロケット弾直撃による死亡)

エリザベス・アン・ジョーンズ陸軍少尉(ヘリが高圧線に触れ墜落)

キャロル・アン・エリザベス・ドラズバ陸軍少尉(ヘリ墜落)

アニー・ルース・グラハム陸軍中佐(脳卒中:搬送先の日本で死亡)

ヘドウィグ・ダイアン・オルロウスキー陸軍中尉(輸送機墜落)

メアリー・テレーズ・クリンカー大尉(輸送機の墜落)

パメラ・ドロシー・ドノバン陸軍少尉(戦病死)

圧倒的に多いのが輸送中の事故による戦死です。



続く。