第二次世界大戦中は戦車揚陸艦LST-393、
戦後はフェリー「ハイウェイ16」として活躍した輸送艦の見学、
あとは甲板を残すのみとなりまいた。
左舷側には艦唯一の
3"/50 caliber gun
(3インチ50口径砲)
が装備されています。
フェリー時代には武器は外されて、展示艦になってから
同型のものを設置したのだと思われます。
3"/50 caliber gun
(3インチ50口径砲)
が装備されています。
フェリー時代には武器は外されて、展示艦になってから
同型のものを設置したのだと思われます。
今気がついたのですが、地面には船が置いてあります。
屋根に星印があるのでおそらく陸軍のPTボート的なのに違いない、
と探したところ、
ベトナム・リバーボート
であるらしい画像が出てきました。
パトロールボート・リバリーン、略してPBRと呼ばれるボートは、
ベトナムのジャングル川のような浅瀬をパトロールするためのものでした。
1966年に登場した最初の11隻のモデル1 PBRは、
ベトナムのメコン川やその他の内陸水路に沿った武器輸送を阻止し、
セキュリティチェックや河川パトロールに運用されました。
特殊なベトナム戦争用ボートは、グラスファイバー製で、
海上船舶よりも底が平らで、長さは約31フィートでした。
艇長、機関士、船員、砲手仲間からなる4人の乗組員を乗せ、
時には5人目(多くは南ベトナムの税関または警察官)も同行しました。
船には4丁の機関銃とグレネードランチャー、
そして各兵士が携行する多数の武器が搭載されていました。
河川でのパトロールは米軍にとって全く新しい体験であったため、
最初のPBRは何度も設計変更を余儀なくされました。
しかも、河川の任務はベトナム戦争の中でも特に危険であり、
ゲリラとの戦闘などによって死者を多く出しています。
海軍と陸軍の両方が使用したこれらの「ベトナムバトルシップ」は、
戦争を通じて重要な任務を数多くこなしました。
前回ご紹介したビデオ、「Dデイショー」では、この20ミリ泡にも
人が配置されて、航空機に攻撃をしているのが確認できます。
この場所からも民間船時代には武器はなくなっており、
ここにあるのは有志(元軍曹らしい)製作によるレプリカだそうですから、
あくまで「撃っているフリ」だったはずですが。
20MM OERLIKON CANNON
(エリコン20ミリ砲)
「太平洋のカミカゼキラー」として知られているこの対空機関砲は、
0.5 ポンドの銃弾を1マイルまでの誤差で正確に発射することができました。
通常は5人で運用しますが、独自の60発弾薬ドラムのおかげで
一人でも対応することができました。
どこにでも取り付けることができ、LST393には
多い時で12門が搭載されていました。
「知られている」って・・・。
「太平洋のカミカゼキラー」なんて言葉、生まれて初めて聞いたわ。
二連装ボフォース40ミリ砲
A twin Bofors 40 mm
は、艦尾の左舷に装備されています。
ブリッジには、ウィールハウスのさらに上にデッキがあります。
このドアは密閉されていて入ることはできません。
そこに上がって最上階から見たエリコン泡。
隣の埠頭に見えている建物は、
グランドバレー州立大学(という大学があることを初めて知る)の
一つの研究棟なのだそうです。
艦尾甲板階。
A twin Bofors 40 mm
二連装ボフォース40ミリ砲
「太平洋のカミカゼキラー」なんて言葉、生まれて初めて聞いたわ。
二連装ボフォース40ミリ砲
A twin Bofors 40 mm
は、艦尾の左舷に装備されています。
ブリッジには、ウィールハウスのさらに上にデッキがあります。
このドアは密閉されていて入ることはできません。
そこに上がって最上階から見たエリコン泡。
隣の埠頭に見えている建物は、
グランドバレー州立大学(という大学があることを初めて知る)の
一つの研究棟なのだそうです。
艦尾甲板階。
A twin Bofors 40 mm
二連装ボフォース40ミリ砲
さて、これで一応甲板の装備などを見終わり、このあとは
艦内のあちこちを利用した軍関係の展示を見ていったわけですが、
あとになって、大変残念なことに気がつきました。
このとき、わたしはうっかりしていて(疲れていたのかも)
エンジンルームを見学することなく艦を降りてしまったのです。
内部を動画で公開しているYouTuberがいました。
Landing Ship Tank "USS LST 393" Tour
どうやら、スターンラダールームの後、ブリッジに上がる前に
バンクの途中にある階段を降りないとだめだったようです。
11:44から16:00までがエンジンルームになりますのでご覧ください。
ところで戦車揚陸艦の内部の広さを生かし、LST393は各種イベントの開催、
パーティなどへの貸し出しなどを積極的に行っています。
そして、艦内のいたるところに、集められた戦時グッズが展示されています。
パーティなどへの貸し出しなどを積極的に行っています。
そして、艦内のいたるところに、集められた戦時グッズが展示されています。
戦車揚陸艦特有だと思うのですが、タンクデッキは
フロアの周りをぐるりと囲むようにコンパートメントがあります。
今日から紹介していくのは、そのコンパートメントを
展示ブースのように利用した戦時記念品や展示などです。
フロアの周りをぐるりと囲むようにコンパートメントがあります。
今日から紹介していくのは、そのコンパートメントを
展示ブースのように利用した戦時記念品や展示などです。
まずその前に、甲板階から降りる手前で見たものを。
オリジナルの機械部品が説明付きで棚に並べられています。
1、トリゲート
2、汎用ノズル
3、汎用ノズル
4、ワイゲートWyegate?
5、ダブルフィメール Dewatering
6、シミーズ
7、雄から雌へ
8、ジュビリー・パイプ・パッチ リペア
10、雄プランクフランジ リペア
リペア以外はほとんどが消火ホース関係の部品となります。
階段の踊り場には陸軍軍人さんが立っていました。
それではここからミリタリーグッズ展示に入ります。
まずはOD色のケースに収められたフィールドデバイス一式。
固定脚付のマシンガン、傘の骨のようなスタンド、磁石、
バックパックに、塹壕から外を見るための陸上ペリスコープらしきもの。
偽装網の上にはどこかに飾られていたらしき一コマ漫画。
ベテランらしい軍曹が新人から銃剣を奪い取りながら、
”Get on the ball." -Rookie.
ゲットオンザボールというのは、本気でやれ、というような意味でしょうか。
真剣に取り組むとか、集中してやるというようなニュアンスです。
漫画もう一つ。
”Home was never like this!"
我が家ならこうじゃなかったのにな。
そりゃまそうだろうと。(AA略)
ルーズベルトをあしらった飾り時計、ミッキーの看板、
当時の大きなラジオや夫婦記念の絵皿・・・。
なんだかアメリカの街にひとつはあるスリフトショップみたいです。
軍サービスを行っていた元女性軍人が、
「当時わたしが着ていたお気に入りの服なの!飾って!
これはわたしが最近趣味にしているパッチワークなの!
これもミシンと一緒に飾ってくださる?」
とおっしゃるので仕方なく飾っている感ありありの展示。
「当時わたしが着ていたお気に入りの服なの!飾って!
これはわたしが最近趣味にしているパッチワークなの!
これもミシンと一緒に飾ってくださる?」
とおっしゃるので
最上階の構造物の周りを一周して甲板をもう一度臨む。
鳥の巣がありました。
燕にしてはちょっと大きくて色が違う気がしますが・・・。
写真を撮っていると、別の見学者がやってきたのですが、
彼ら(男性一人、女性一人)はわたしたちを見て、
「さっき潜水艦でも会ったよね」
と声をかけてきたのでちょっと挨拶をして、
今見たばかりの燕(多分)の巣があることを教えてやると、
「うぇえ、こいつら家にすぐ巣を作るんだよな。
気持ちわりい」
みたいなことを言ったので、そりゃすまんかったと謝りました。
まあたしかにあまり可愛い雛ではありませんでしたが、
こういうとき日本人ならこんな反応しないよな・・。
気がついたら二羽の鳥が鳴きながら軍艦の周りを飛来していました。
写真をアップしてみたら、一羽が木の枝を咥えていました。
もしかしたら雛たちの親なのかもしれません。
気になって調べてみたら、
chimney swift(エントツアマツバメ)
ではないかと思われます。
文字通り煙突や構造物に巣を作るので嫌われているとか。
ニイちゃんが憎々しげに言い放つのもちょっとわかりました。
コウモリみたいな感じなんですよね。
わたしが写真を撮った時、親鳥らしいのは激しく鳴いていましたが、
これは巣に近づいたわたしたちを威嚇していたのかもしれません。
何にしてもすまんかった。<(_ _)>
今見たばかりの燕(多分)の巣があることを教えてやると、
「うぇえ、こいつら家にすぐ巣を作るんだよな。
気持ちわりい」
みたいなことを言ったので、そりゃすまんかったと謝りました。
まあたしかにあまり可愛い雛ではありませんでしたが、
こういうとき日本人ならこんな反応しないよな・・。
気がついたら二羽の鳥が鳴きながら軍艦の周りを飛来していました。
写真をアップしてみたら、一羽が木の枝を咥えていました。
もしかしたら雛たちの親なのかもしれません。
気になって調べてみたら、
chimney swift(エントツアマツバメ)
ではないかと思われます。
文字通り煙突や構造物に巣を作るので嫌われているとか。
ニイちゃんが憎々しげに言い放つのもちょっとわかりました。
コウモリみたいな感じなんですよね。
わたしが写真を撮った時、親鳥らしいのは激しく鳴いていましたが、
これは巣に近づいたわたしたちを威嚇していたのかもしれません。
何にしてもすまんかった。<(_ _)>
エリコンはスイスの会社ですが、元々、設計したのはドイツ人で、第一次世界大戦での敗戦後、ドイツでの武器の開発が禁止されたため、スイス(中立国)で会社を立ち上げたのですが、これが大正解で、第二次世界大戦では連合国、枢軸国どちらもエリコンの20ミリ機銃を採用しました。
連合国では主として艦船の対空機銃として、日本ではゼロ戦の主兵装、ドイツでは陸軍の対空機銃として使われました。元々、米軍の船で、戦後、海上自衛隊に供与された元「あさひ」は、今、フィリピンにいますが、この機銃を使っています。
ボフォース40ミリも大ベストセラーで、やはり、特攻機対策として採用されましたが、戦後、自衛隊にも採用され、ちくご型の後部に鎮座ましましていました。これは砲身の長さが40ミリの60倍のL60タイプですが、海上保安庁は長砲身化したL70タイプを今でも主兵装として使っています。
河川用警備艇(PBR)は、ベトナム戦争を描いた映画「地獄の黙示録」に大々的に登場します。この映画でPBRが世間に周知されるようになったと言っても過言ではありません。というのは、反乱を起こした米軍の高級指揮官をPBRに乗船した特殊任務の軍人が暗殺に行くお話しなので、任務が始まってから終わるまでの間ずっと、PBR船上や、補給に降りた場所で展開します。予告編です。https://www.youtube.com/watch?v=fuBbTMTFyR8
珍しいLSTのツアーありがとうございました。ちょうど朝鮮半島からの引揚者(子供)の手記を読んでいたのですが、38度線から釜山までLSTに乗って、上甲板で水兵に頼んで一番前に立たせてもらった、という記述がありました。LSTは引揚にも使われたので、思い出がある日本人も多いのではないでしょうか。
飾りでの装備であり、この位置装備であれば反動のため架台の相当の補強が必要です。
艦橋も相当の改造がされています。
艦首尾ともに機銃架台等も撤去され、甲板上も車両甲板の排気ダクト等も撤去されクリアーになっています。
通常はLCVP用ダヴィットが2~6組が艦橋ウイングや艦橋前等に設置してありました。
現代の揚陸艦がLST-1型船型ではなくなってきたのは艦首を擱座しての物資車両揚陸のため船首が太って喫水が浅く、抵抗が大きく、速力が遅くなるうえ、航行中スラミングという、船首が波によって海面に出て船底を叩くこととなり、船体に悪影響が出るためです。
揚陸手段にヘリコプターやLCAC等が使えるようになり、艦内にドックを持ったり、飛行甲板装備で速力を得る船体となっています。