はっきりと目標をUボートの捕獲と定め、情報機関を駆使して
南アフリカに乗り込んだギャラリー大佐のハンターキラー22.3。
捜索を続けるも諦めて引き上げようとした途端、
駆逐艦「シャトレーン」のソナーマンがUボートの存在を突き止めた、
というところまでお話ししてきました。
ここまで歩いてくると、ようやく実物のU-505を
甲板の高さから見ることができる展示室にたどり着きます。
アメリカ海軍が知力の限りを尽くして捕獲したU-505。
ここに展示されるまでにはそれこそ本になるほどのストーリーがあり、
この展示では、それが熱く語られます。
潜水艦のフロア全部を使って、資料が展示されています。
皆様には、このわたしが順にこれをお見せしていくつもりです。
潜水艦は内部を何回かに分けてツァーで紹介しています。
1階フロアに見える人々は、ツァーを予約し、時間が来るのを待っています。
そこにたどり着くまでに、パネル展示が続くわけですが、
まずはU-505を捕獲した時のシーンが現れました。
潜水艦の右舷に横付けされたボート、見覚えがありますね。
やはりこれは、Uボート乗員を確保しにいくボートだったんですね。
パネルの前に並んだ九人の海軍軍人たち。
彼らが直接Uボートに向かったボートのクルーなのかな?
やはりそのようです。
一人一人の顔写真がボートに乗って登場しました。
彼らはUSS「ピルズベリー」から派出された
「ボーディング・パーティ」=乗り込みチームです。
航空機からのマーキングの後、駆逐艦から発射された魚雷で
U-505は損傷し、総員退艦を始めました。
彼らがボートを放棄することが明らかになった時、
タスクグループ22.3は、ホエールボート(っていうんですね)を投下し、
ボーディング(敵船乗組)と救助の訓練を受けたクルーを派遣しました。
まずはU-505を捕獲した時のシーンが現れました。
潜水艦の右舷に横付けされたボート、見覚えがありますね。
やはりこれは、Uボート乗員を確保しにいくボートだったんですね。
パネルの前に並んだ九人の海軍軍人たち。
彼らが直接Uボートに向かったボートのクルーなのかな?
やはりそのようです。
一人一人の顔写真がボートに乗って登場しました。
彼らはUSS「ピルズベリー」から派出された
「ボーディング・パーティ」=乗り込みチームです。
航空機からのマーキングの後、駆逐艦から発射された魚雷で
U-505は損傷し、総員退艦を始めました。
彼らがボートを放棄することが明らかになった時、
タスクグループ22.3は、ホエールボート(っていうんですね)を投下し、
ボーディング(敵船乗組)と救助の訓練を受けたクルーを派遣しました。
そして、USS「シャトレーン」とU「ジェンクス」が生存者を拾い上げる間、
USS「ピルズベリー」はホエールボートをU-505に送り、
アルバート・L・デビッド中尉が9人の搭乗隊を率いて乗り込みました。
その、USS「ピルズベリー」のホエールボートが、
損傷した潜水艦の横に停泊した瞬間が絵になっているわけです。
彼らのここでの任務はUボートを強襲し、
残存しているドイツ海軍の乗組員を圧して潜水艦を制御することです。
このクルー全員が大々的に顔写真と共に紹介されていますが、
この任務は誰にでもできることではなくとてつもなく危険でした。
まず、このときU−505の状態は海上で沈没寸前となり、
渦に巻き込まれるように自転していました。
当然ですが、鹵獲されることを防ぐため、
艦隊には爆薬が装備されていた可能性は大でした。
アルバート・L・デビッド中尉が9人の搭乗隊を率いて乗り込みました。
その、USS「ピルズベリー」のホエールボートが、
損傷した潜水艦の横に停泊した瞬間が絵になっているわけです。
彼らのここでの任務はUボートを強襲し、
残存しているドイツ海軍の乗組員を圧して潜水艦を制御することです。
このクルー全員が大々的に顔写真と共に紹介されていますが、
この任務は誰にでもできることではなくとてつもなく危険でした。
まず、このときU−505の状態は海上で沈没寸前となり、
渦に巻き込まれるように自転していました。
当然ですが、鹵獲されることを防ぐため、
艦隊には爆薬が装備されていた可能性は大でした。
このとき乗り込みメンバーとなった九人の名前が
「極秘」として記された文書。
「極秘」として記された文書。
■ U-505に搭乗
”シーストレーナー・カバー”
Uボートにはドイツが連合軍の手に渡ることを望まない
最高機密の情報と技術が満載されていました。
だからこそ今回ギャラリー大佐とアメリカ海軍は
総力を挙げてUボートの捕獲作戦に乗り出したわけですが、
Uボートの艦長は、万が一自艦が捕獲の危険に晒された場合、
自沈または沈没させよという厳格な命令を受けていました。
タスクグループの攻撃が艦体を損傷させたとき、
U-505の乗員はボートを浸水させ自沈させようとしました。
その時彼らが開けたのはこのシーストレーナーというパイプです。
次の瞬間水はボートに流れ込みました。
「ピルズベリー」の乗り込みチームがU-505に到着するまでに、
潜水艦の艦尾はすでに水没しており、
海水麺は司令塔の最上部分にほぼ到達していました。
モーターマシニストのゼノン・ルコシウス一等水兵が乗艦し、
このストレーナーから海水が流れ込んでいるのを発見し、
すぐさまストレーナーのカバーを探して再び固定しました。
それが冒頭写真の”ストレーナーカバー”です。
”スカットル・チャージ”
U-505を総員退艦する前に、ドイツ軍乗員は、
潜水艦全体に装備された多数のスカットル・チャージ、
=時限爆弾のタイマーをセットするように訓練されていました。
アメリカ軍の乗り込み隊と救助隊は、
起爆スイッチとなっている針金のワイヤーをすぐさま引っ張り、
時限爆弾のスイッチを解除することに成功しました。
潜水艦全体に装備された多数のスカットル・チャージ、
=時限爆弾のタイマーをセットするように訓練されていました。
アメリカ軍の乗り込み隊と救助隊は、
起爆スイッチとなっている針金のワイヤーをすぐさま引っ張り、
時限爆弾のスイッチを解除することに成功しました。
左上、艦橋だけ海上に出た状態
下、アメリカの旗をUボートの司令塔に立てる
もちろん一つでも爆発していたら、Uボートはもちろん、
乗り込んだアメリカ海軍のクルーが海底に沈むことになったでしょう。
下、アメリカの旗をUボートの司令塔に立てる
もちろん一つでも爆発していたら、Uボートはもちろん、
乗り込んだアメリカ海軍のクルーが海底に沈むことになったでしょう。
■USS「ピルズベリー」の乗り込み隊9名
潜水艦はいつ沈没するか爆発するかわからないし、
どんな抵抗を受けるかもわかりませんでしたが、乗り込み隊である
デイビッド中尉たちはハッチから内部に降りていったのです。
急いで調べたところ、甲板に横たわっていたドイツ人水兵の死体以外は、
U-505は無人であることが確認されました。
これが今回の拿捕を決めた決定的な瞬間となったのです。
そしてその後、まずスカットルチャージの取り外しが行われ、
ついで沈没を防ぐためにバルブの閉鎖を済ませてから、
海図や暗号帳、書類の整理に取りかかりました。
危険を承知でUボートに乗り込んで行った9名については、
一人一人紹介されていましたので、ここに挙げておきます。
アルバート・L・デイヴィッド 米海軍中尉
(左はギャラリー中佐、『ガダルカナル』艦上にて)
チェスター・A・モカースキー 一等砲手兵曹 U.S.N.
ウェイン・M・ピケルス 二等航海士 U.S.N.所属
アーサー・W・ニスペル 魚雷手 三等兵 U.S.N.R.
写真なし
ジョージ・ジェイコブソン U.S.N.チーフ・モーター・マシニスト・メイト
ゼノン B. ルコシウス U.S.N.一等機関士補
起爆スイッチを最初に切った殊勲者。
ウィリアム・R・リアンドゥ U.S.N.三等電気技師補
スタンリー E. ウドウィアック U.S.N.R.三等兵曹(ラジオマン)
ゴードン・F・ホーネ 米海軍三等軍曹
「ピルズベリー」の信号員でU-505に乗艦した後は
タスクグループと通信業務を行う。
シグナルマンはタスクグループから見分けやすいように
一人白いユニフォームを着せられていた。
シルバースターメダル受賞
フィリップ・トゥルシェイム操舵手
操舵手として「ピルズベリー」から出されたホエールボートを操縦した。
乗り込みパーティには加わっていないが、
Uボートとボートを並べ位置を維持する重要な役目を果たした。
アール・トロシーノ(引揚隊司令官)
トロシーノは-505の沈没を阻止する救助隊を指揮した。
彼が考案した巧妙な計画に従って、引揚隊は、
牽引中に潜水艦のバッテリーを再充電することに成功。
これにより、クルーは潜水艦の搭載ポンプを使用して
攻撃中に浸水した海水を排水することができた。
1954年、U-505がシカゴに牽引されることになった時、
トロシーノはその指揮も勤めることになった。
海軍は彼にコンバット「V」メダルを授与した。
D.E.ハンプトン大尉
トロシーノは-505の沈没を阻止する救助隊を指揮した。
彼が考案した巧妙な計画に従って、引揚隊は、
牽引中に潜水艦のバッテリーを再充電することに成功。
これにより、クルーは潜水艦の搭載ポンプを使用して
攻撃中に浸水した海水を排水することができた。
1954年、U-505がシカゴに牽引されることになった時、
トロシーノはその指揮も勤めることになった。
海軍は彼にコンバット「V」メダルを授与した。
D.E.ハンプトン大尉
ハンプトンはUSS「ガダルカナル」からの2次サルベージ隊を率いた。
彼は、捕獲後、U-505を奪取する命令を与えられていた。
潜水艦の状態により、救助と牽引も任されていた。
ハンプトンはボートからの排水作業を組織し、
トロシーノ中佐の引揚作業を援助した。
海軍からは厚労勲章メダルが与えられている。
彼は、捕獲後、U-505を奪取する命令を与えられていた。
潜水艦の状態により、救助と牽引も任されていた。
ハンプトンはボートからの排水作業を組織し、
トロシーノ中佐の引揚作業を援助した。
海軍からは厚労勲章メダルが与えられている。
さて、ミッションの最初の部分が完了しました。
アメリカ海軍ハンターキラータスクグループ22.3は、
ダニエル・V・ギャラリー大佐の指揮下においてU-505を捕獲したのです。
これは、1815年(1812年の戦争の最終年)以来、
アメリカ海軍にとって敵船を戦時に捕獲した最初の例となりました。
拿捕後、タスクグループはU-505をバミューダに曳し、
Uボートの解析を行うことにしました。
バミューダに到着する前夜、ギャラリー大佐は
お手柄だった乗り込みメンバー9名を
USS「ガダルカナル」に招待しています。
ギャラリー大佐は翌朝、捕獲した潜水艦にアメリカ軍人を乗せて
港に入るという演出のために、彼らをU-505に移そうと考えたのです。
■ 余談:乗り込みメンバーの間違いを加工?
アメリカ海軍の写真加工技術
ここでちょっとしたミスが起こりました。
USS「ガダルカナル」に乗艦したグループの最先任、
デビッド中尉は、まずギャラリー大佐に面会に行きました。
このとき、カメラマンはデビッド中尉のいないパーティを撮影し、
これをプレスリリース用の写真にしてしまったのです。
九人いたのでこれが乗り込みクルー全員だろうと思ったんですね。
実際は、そこにいなかったデビッド中尉の代わりに、
物資の手配を担当するために「ピルズベリー」から乗り込んでいた
チーフのコミサリー・リスクが一緒に写っていたのです。
写真を撮られた人たちはプレスリリースとか全く考えていないので、
誰一人このことを疑問に思わず、リスク曹長も一緒に写真に収まりましたが、
公式の写真に作戦と関係ない人がうつっているのはいかがなものか、
となったので、直前で海軍は写真を加工しました。
これがもう全く苦し紛れで、今なら雑コラ認定間違いなし。
リスク曹長を消して右側の三人を中央に寄せ、
肩にかけた手を加工していますが、このコラ、どうやら文字通り
写真を切り貼りしたらしく、アスペクト比まで弄っていないので、
右から3番目の人の右腕の長さがとんでもないことになってます。
どうも加工チームは、移動させた三人の写真を
リスク曹長の身長に合わせて床から「持ち上げた」らしいのです。
そして右側の三人が実物より大きくなってしまいました。
そこでもう一度博物館で大パネルにされた写真をご覧ください。
当時の海軍写真班は、さすがにいない人物を継ぎ合わせて
そこにいるように加工することができなかったため
リスク曹長の身長に合わせて床から「持ち上げた」らしいのです。
そして右側の三人が実物より大きくなってしまいました。
そこでもう一度博物館で大パネルにされた写真をご覧ください。
当時の海軍写真班は、さすがにいない人物を継ぎ合わせて
そこにいるように加工することができなかったため
プレスリリースの写真にデビッド中尉はいないままでしたが、
当博物館では、ちゃんとこの写真にデビッド中尉を参加させています。
しかも、アス比もちゃんと加工しているので、
本来あまり背の高さが違わない水兵さんたちが元の身長差に戻りました。
ただ、この加工にも決定的におかしな点があります。
確かにパネルはぱっと見不自然というわけではありませんが、
海軍という組織に絶対にあり得ない写真であることは
おそらくこのブログ読者ならどなたもご存知ですね。
そう、デビッド中尉の立ち位置です。
もし本当に中尉がいたら、海軍の慣習としてかならず士官は中央前列に立ち、
こんな風に水兵の後ろから顔を出すことなどありえません。
パネルの加工がいつ行われたかは不明ですが、
おそらく少なくともここ数年ではなかったとわたしは断言します。
もし現在のフォトショップを使えば、誰でも
デビッド中尉の全身像を真ん中に配置した、
自然な写真をいくらでも合成できるからです。
当博物館では、ちゃんとこの写真にデビッド中尉を参加させています。
しかも、アス比もちゃんと加工しているので、
本来あまり背の高さが違わない水兵さんたちが元の身長差に戻りました。
ただ、この加工にも決定的におかしな点があります。
確かにパネルはぱっと見不自然というわけではありませんが、
海軍という組織に絶対にあり得ない写真であることは
おそらくこのブログ読者ならどなたもご存知ですね。
そう、デビッド中尉の立ち位置です。
もし本当に中尉がいたら、海軍の慣習としてかならず士官は中央前列に立ち、
こんな風に水兵の後ろから顔を出すことなどありえません。
パネルの加工がいつ行われたかは不明ですが、
おそらく少なくともここ数年ではなかったとわたしは断言します。
もし現在のフォトショップを使えば、誰でも
デビッド中尉の全身像を真ん中に配置した、
自然な写真をいくらでも合成できるからです。
さて、こうやってU-505を捕獲するという、
最初の目的を果たしたハンターキラータスクグループ22.3。
次にギャラリー大佐に与えられたミッションは、
潜水艦を沈まないように曳航するということでした。
続く。
どちらも、今の自衛隊の内火艇や作業艇とほとんど同じデザインでビックリです。帝国海軍の搭載艇は全く違うデザイン(9mカッターだけは海軍式を踏襲)だったので、戦後の自衛隊は、こういうところもアメリカのスタイルに移行したんだなとわかります。
敵艦に乗り込む立入検査隊は、当たり前ですが、決死の任務です。自衛隊では、1990年代中頃に北朝鮮の核開発に伴う海上封鎖が検討された時に本格的に取り組み始めましたが、それ以前は、海上で実際に臨検を行う可能性はあまりなかったので、この米軍の立入検査隊員達のように、普通の作業服に武装(小銃や拳銃を携行)するだけでした。
その後、1998年に北朝鮮の逃亡工作船を追尾した、初の海上警備行動の際には、工作船が停船した場合には立入検査が命ぜられました。実際には停船しなかったので、立入検査はありませんでしたが、まだ「普通の作業服に武装」スタイルで、その後、それでは不十分と認識され、各艦で専門の立入検査隊が編成され、隊員には専用の戦闘服が支給され、特別な訓練が行われるようになりました。アデン湾での海賊対処行動では、海賊がいるとなると、実際に部署に就きます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%B7%E8%A1%9B%E8%89%A6%E4%BB%98%E3%81%8D%E7%AB%8B%E5%85%A5%E6%A4%9C%E6%9F%BB%E9%9A%8A
Uボートが攻撃を受けて、どんな状況だったのかよくわかりませんが、米軍が搭載艇を降ろして、立入検査隊を乗り込ませる時間があれば、余裕で自沈させることが出来るので、米軍はもちろん素晴らしかったと思いますが、ドイツ軍はちょっと練度不足だったのかなぁと思いました。