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「腹部砲手の死」〜メンフィス・ベル 国立アメリカ空軍博物館

2024-01-27 | 飛行家列伝

映画「メンフィス・ベル」で心に残った戦闘シーンといえば、
ガラスドームに囲まれた銃座を敵の弾が破壊し、
他のクルーがそこに入るためのハッチを開けたら、
ドームがなくなって銃手がぶら下がっていたというものです。

Ball Turret Scene - Memphis Belle
今日はそのボール・ターレットとそこに配置されていた搭乗員、
セシル・スコット軍曹についてのお話です。

まず、B-17のボール・ターレットの説明から始めましょう。




機体中央下部のDFのペイントの下側のレドーム、これがボールターレット。
いかにもとってつけたような部分ですね。
機体のお腹部分にあることから「ベリーガン」と呼ぶこともあります。



こちらでもどうぞ。
飛行中の銃口は後ろ向きが基本位置の模様。



これは国立空軍博物館のメンフィス・ベルを前から見た場合。
タイヤの向こうに見えているのがボール・ターレットです。
これも銃口は後ろ向きに固定されています。



外から見ると結構な大きさに見えますが、
決してそんなことはありません。
左下のハンガーみたいなのが気になりますが、なんでしょうか。


内部がどうなっているかはこれが一番わかりやすいかもしれません。
ボールに入り込んでハッチを閉めると、全体が360度回転し、
下方と水平位置の敵機に狙いをつけます。

爆撃機を下から攻撃してくる戦闘機を機銃で追尾すると、
砲塔と一緒に回転する状態でした。

遊園地のアトラクションなら楽しそうですが、
高高度の空中でガラスボウルに閉じ込められて逃げ場はなく、
時には敵機がこちらを狙って撃ってくるわけです。

まず恐怖心を克服することから始めなければならなかったでしょう。

B-17 Ball Turret Gunner (Dangerous Jobs in History)
「第二次世界大戦の最も危険な仕事の一つ」

このビデオでは、ターレットの中にどうやって入るか、
銃手がどんな姿勢をとるかに始まり、
アルミニウムとプレキシガラス製のボールは容易に銃弾が貫通し、
銃手は命を落とすことが多かったこと、
また、もし機の機械系統が破壊されて、強制着陸を余儀なくされた場合、
ボールは中から開けられなくなり、
銃手は脱出できないまま着陸で押し潰されて生存できなかった、
などということが説明されています。

WW2 Ball Turret with Twin .50 Cals at the Big Sandy Shoot 実物で銃撃してみた

Ball Turrets - In The Movies
映画に出てくるボールターレットシーン。
「メンフィス・ベル」では、ターレットに入るラスカルが、

「前のミッションのことでただ神経質になってるわけじゃないよ。
だって俺ってこんなネズミ捕りみたいなところに座る配置だからさ」

それに対してヴァージが、

「隅々までちゃんとチェックするから安心しろよ」

みたいなことを言っています。
これは伏線で、実際には冒頭のシーンのようになるわけで、
いくら不備がないかチェックしていても攻撃されれば終わりというわけです。


映画といえば、こちらはワイラー監督のドキュメンタリー映画のポスター。
なんと、ポスター図柄のメインがボールターレットガンナーです。

「最も危険」であるからこそ、このようにクローズアップされるわけですね。

■ セシル・スコット



映画「メンフィス・ベル」でボールターレットガンナー、
リチャード「ラスカル」ムーア軍曹を演じるのはショーン・アスティン
映画出演時は19歳だったはずです。



これがメンフィス・ベルの「最も危険な配置」にいた男、セシル・スコット。

Cecil Harmon Scott は、身長の低い青年でした。
俳優のショーン・アスティンがそうであったように

世界で一番危険な仕事、といわれたボールターレットの砲手だった彼は、
実に穏やかな表情の好青年で、実際に肝も座っていたとみえて、

"攻撃される前は、たいてい恐怖を感じるものだが、
飛行機が近づいてきて攻撃し始めると、もう大丈夫だ"

などという言葉を残しています。

セシルが軍隊に入る決心をし、募集事務所で手続きをしたとき、
入隊基準となる最低身長に1/4インチ足りなかった彼は、リクルーターに

「君の身長は兵隊として小さすぎるし、体重も軽すぎる」

と言われて最初は受け付けてもらえませんでした。
そこで彼は少しでも身長を伸ばすために毎日鉄棒にぶら下がり、
また、体重を増やすためにバナナを食べまくりました。

4分の1インチなんてせいぜい6ミリですから、
当時のアナログな身長計では誤差範囲でなんとかなったのかもしれません。
体重も、食べまくって増やしてなんとななる程度だったのでしょう。

意気揚々とペンシルベニア州ハリスバーグの事務所に戻り再検査を受けて
めでたく数字をクリアした彼は、空軍の二等兵として受け入れられました。

しかも、突然彼は陸軍航空隊から指名を受けます。

陸軍は、突如小柄な航空搭乗員の必要性に気がついたのでした。
B-17爆撃機の砲塔の中で丸くなっている砲手。
こればっかりは、小さくて体重の軽い者にしか務まらないということを。

航空隊の求める人材の条件を、今度こそドンピシャでクリアした彼は、
熱烈に望まれてB-17のボールターレットガンナーに就職。
そして出征。

ついには1942年8月1日にワラワラで軍曹に昇進することになりました。


彼はイギリスに行ってからメンバーに「スコッティ」と呼ばれていました。
いかにも背丈の小さな彼にふさわしいあだ名です。

後年、副機長のヴェリニス軍曹がロンドンで犬のスコッティ(テリア)
を買ってきましたが、彼がその名前をすでに持っていたため、
犬の方は名前を「シュトゥーカ」と付けられたに違いありません。

ちなみにスコットは左から2番目

メンフィス・ベルの乗組員の多くがそうであったように、

セシル・ハーモン・スコットの家庭も大恐慌の影響を受けています。

彼の父ロスはペンシルベニア州の木材伐採会社の経営者でしたが、
やはり厳しい時代をそれなりに経験していました。

夫婦には子供が7人いましたから、彼らは育ち盛りの子供たちのために
十分な食料を家庭の食卓に並べるのにかなり苦労をしたそうです。

セシルの身長が人より小さかったのはそのせい・・・?
いや、単に遺伝だよね。たぶん。

セシルの妹、メアリーは、幼い頃の思い出として、
雪を食べたことを語っています。

「メープルシロップときれいな雪を混ぜると、本当においしかった・・」

メープルシロップは地産なので我々が思うより安かったと思います。

セシルの学歴については、色々とサーチしましたが、

たとえば物故者のデータを集めたサイトなどでも、近しかった人が

「とても静かな人でした」

と思い出を書いているくらいで、メンフィス・ベル以外のことは
第二次世界大戦が始まるまでゴム会社で働いていたこと、
戦後はフォードで働いていたことくらいしか情報がありません。

戦争が始まった時、彼は25歳くらいだったと思われます。

イギリスではスコッティと呼ばれた彼は、危険な配置に就き、

ドイツの戦闘機からメンフィス・ベルを守るボールターレットの砲手として
他の乗組員から頼りにされていました。

彼はその時のことを戦後このように語ります。

「砲塔の中で7時間過ごしたことがあるけど、悪くなかったよ。
あそこからならすべてが見渡せたしね。
敵の戦闘機の位置がこちらから見て高すぎて狙いにくかったら、
チーフ(パイロットのボブ・モーガン)に高度を少し上げるように言って、
そいつを狙うんだ」

彼の証言には、どう訳すのか悩んでしまったこんな文章がありました。

時々スコットは、その「ベリーガン」の位置から、
ドイツ軍のパイロットがプロペラにぶら下がって、
機を失速させて下からこちらを撃とうとしているのを見た。


これは原文のままだと「hanging on their propeller」となるのですが、
いくらなんでもパイロットがプロペラにぶら下がるわけがないので、
わざとストールさせるため(trick)、迎角を大きくして、
という意味ではないかとわたしは解釈します。

「そうやって彼らはこちらの爆ボムベイの爆弾に当てて爆発させ、
飛行機ごと吹き飛ばそうとしていたんだと思います。」


その後、彼らがその失速状態から抜け出せず、
墜落していくのを見届けるのも、ターレット内のスコッティの役目でした。

いずれにしても凄惨な話です。


ターレットに彼の名前が書かれている

第8空軍の他の多くの砲手と同様、スコットは多くの敵機を銃撃しましたが、
公式には彼の成績となったのはたった1機の「損傷」だけでした。

なぜなら、彼自身が自分の銃撃で相手の飛行機を撃墜したと認識しても、
彼のような配置の砲手が「撃墜」のクレジットを得るには、
第三者の確認が必要で、実際にはそのようなことは不可能だったからです。

上の説明動画は、のちの詩人、第二次世界大戦中腹部砲手だった
ランダール・ジャレルの詩の一節で終わっています。

ボールターレットガンナーの死

母の眠りの中から僕は国に落とされた
そして濡れた毛皮が凍りつくまで、その「腹」の中で蹲っていた
地上から6マイルも離れ、人生の夢から解き放たれた
僕は真っ黒な対空砲火と悪夢のような戦闘機で目を覚ました
僕が死んだとき、彼らはホースで砲塔から僕を洗い流した


ジャレルは次のように解説しています。

「小さな球体の中で逆さまになっている砲手は、
まるで子宮の中の胎児のように見えるのです。
戦闘機は炸裂弾を発射する大砲でこちらを攻撃してくるのです。

最後のホースというのは蒸気ホースでした」




セシル・スコットは戦後 フォード・モーター・カンパニーに就職し、
そこで定年まで30年間勤務。
1979年、ニュージャージーで63歳の生涯を閉じました。



続く。



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1 Comments

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恐怖を克服する必要はなかったのでは (Unknown)
2024-01-28 07:48:43
>左下のハンガーみたいなのが気になりますが、なんでしょうか。

射手のシートベルトのバックルでしょう。

>遊園地のアトラクションなら楽しそうですが、高高度の空中でガラスボウルに閉じ込められて逃げ場はなく、時には敵機がこちらを狙って撃ってくるわけです。まず恐怖心を克服することから始めなければならなかったでしょう。

やって見た訳ではないので、あくまでも想像ですが、恐怖を克服するのは難しいし、その必要もなかっただろうと思います。

射手は、自機を攻撃して来る敵機を自ら目視出来、なおかつ、反撃出来るので、まわりの状況がわからないパイロットや無線機オペレータより、怖い思いはしても、安心感は高いと思います。

前回の「Snipes」(船の機関科員)だったら、最悪、何もわからないうちに人生が終わることだってあります。多少、怖くても、それよりは、ずいぶんましだと思います。

経験者が言っているように、敵機を視認した時は怖いと思うでしょうが、実際に撃ち合うことになったら、忙しくて、怖い思いなんて、吹っ飛んでしまうと思います。なので、恐怖を克服する必要はなく、決まった手順ですべてを正確にこなすことが求められていると思います。
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