ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

入間航空祭〜レセプションパーティ

2016-11-12 | 自衛隊

本日、着払いで航空自衛隊の遺失物取得係から、
11月3日入間で紛失したカメラが戻ってきました。
本体をストラップのついたケースごとプチプチで包み、
さらにそれを内側が緩衝材の封筒に入れて送るという
非常にリーズナブルでかつ安心安全な梱包です。

おそらく何万人もの落し物を関東一円に送るのは、何人もの隊員が
膨大な量の荷物の山と格闘する作業となると思われます。

今回たまたま落し物をしたおかげで、毎年「祭りのあと」に必ず
繰り返されるこのような煩雑な仕事を行ったり、
わたしをそこまで遠路はるばる連れて行ってくれた自衛官のように、
イベントの運営を最初から最後まで円滑に行うための
あらゆる分野で彼らが任務を果たしていることを知りました。

何度かかけた電話の対応も大変丁寧なものでしたし、こういうことがあると
一層自衛隊という組織に対し安心というか信頼感が増します。

 

さて、今日はシリーズ最終回として、却って来たカメラの画像を元に
当日の朝からもう一度お話ししてみます。

基地に入る門は大きく2箇所に分かれます。
稲荷山公園駅を降りてバス停のほうに行けば北門(と特設門)、
反対側に行っても稲荷山門という(正門らしい)入り口があります。

わたしは招待者用の受付が近いかと思い去年と同じく
稲荷山門から入ることにしました。

しかし、去年と比べてだいたい2分の1くらいしか並んでいないような気がしました。
3年前にテレビドラマの影響で大変な人出となったときは32万人、
だいたい平均が22万人、この日はなんと13万人だったそうですから、
2分の1と体感したのはほぼ正確だったということになります。

総火演もそうですが、一度行けばまず「人間航空祭」といわれるくらいの
うんざりするほどの人で入退場の辛さに懲りてしまう人も多いでしょう。
関係者・招待者・隊員家族以外ではカメラが趣味の人以外はほとんどが
「ご新規さん」なのかもしれないと思います。

今年は前日が雨で、朝方も雨天が予想されていたため、そのため
人出が大幅に少なくなったのかと思われました。

開門前にフェンス沿いの人たちは門の前に移動させられ、
そこで約1時間くらいを待つことになりました。 

形だけ鞄の中を隊員に歩きながら(荷物検査台などはない)チェックしてもらい、
すぐに中に入るのですが、入った途端走り出す人多し。

「走らないでください!」危険ですので走らないでください!」

自衛官がそこここで叫ぶも皆聞く耳持たず。
やっぱりブルーインパルスのウォークダウンが見られる場所などは
限られていますので、のんびりしている場合ではないのでしょう。

稲荷山門から入ると、もう一度入間基地内の踏切を
渡ることになるのですが、ここにお立ち台の上から注意を喚起し、
挨拶をしてついでに笑いを取る係の自衛官がいます。

わたしはここを通るのは去年に続き2回目。
去年はたまたまそういうキャラの人だったのかと思ったら・・、 

なんとお立ち台に「DJ自衛官」という幕がかかっていました。
2015年度の動画が上がっていましたのでどうぞ。

DJ自衛官! 2015入間基地航空祭

今年は3人投入です。

実は、今回紛失騒ぎを起こしたカメラ、SONYRX-100は、2代目です。
アメリカで買った先代はアメリカ滞在中にレンズが引っ込まなくなり、
奇しくも購入地のカリフォルニアで息を引き取ってしまいました。

RX-100はその後新しいバージョンがM4まで出ているのですが、
いろいろ調べたところ、あとから加わった機能はたいして意味がなく、
それならいまだに売られている1代目で十分じゃないかと思い、
総火演前に3万円台という超リーズナブルな値段で同じのを買いました。

使い方も慣れているし、それにやはり新しいと画像も綺麗です。 

開始前のエプロンの様子。
最前列には向こうから人が座りだしていますが、ガラガラです。 

そしてブルーインパルス開始前の同じところ。
混んではいますが、やはり去年ほどではない気がします。
coralさんもおっしゃっていましたが、今年の見学は皆楽だったのではないでしょうか。 

望遠レンズでは撮れない空挺降下の傘が10個並んだところ。
隣の白レンズカメラのおじさんは

「これは広角がもう一台必要ですなあ」

といっていました。 

さて、それでは格納庫で行われたレセプションについて。

招待者はで受付の際、レセプションパーティに参加するかどうか聞かれ、
参加費用を払って入場チケット(テーブルの番号が書いてある)を貰います。

わたしは去年参加しているのでどんなものかわかっていましたが、
ここでご報告する義務があるため(笑)あえて参加を申し込みました。

あえて、というのは主にコストパフォーマンスの問題です。 

最初に入間基地司令が挨拶をしました。
これを空自らしいというのかたまたまこの空将がそうなのか知りませんが、
しょっぱなから笑いを取りに来るスピーチでした。

ただし残念なことに、スピーカーの位置の関係で、わたしのいたところでは
何を言っているのか最初から最後まで全くわかりませんでした。
(来賓席の前の最前列のテーブルだったのに・・) 

地元に選曲を持つ議員の先生方が名前を呼ばれて返事だけしました。
スピーチは幸いなことにありませんでした。

はい、と大きな声で返事しながら手を挙げているのは
自民党の柴山昌彦議員。
柴山議員の後ろはヒゲの隊長佐藤正久議員(比例)。
先日呉でご挨拶したばかりの宇都議員は空自出身です。 

始まる前にテーブルの上の料理を撮ってみました。
陸自の式典にはまだご縁がなくて参加したことはないのですが、
どうしても海自のパーティと比べてしまいますね。 

唐揚げ肉団子シューマイカキフライ餃子、というメニューは
もちろん海自でも出るのかもしれませんが、問題はこの料理を
食べるために払う3000円というお金なんですなあ。

進水式や命名式など、企業が絡む場合はもちろんのこと、
海自の宴会料理では必ずテーブルを彩る船盛の刺身は絶対にここではでません。

料理の内容の割に高いのは、業者を入れているからではないのか、
とわたしは思うのですが、その辺はわかりません。 

今まで出た海自基地での宴会では調理した隊員の紹介がありましたが、
ここではそういう人の姿すらなかったのでそう思ったのですが。

カレーと焼き鳥、そしてうどんそばの屋台があって、
むしろ卓のものよりこちらがメインという感じです。
カレーはまあ普通に美味しかったです。 

焼き鳥屋台も皆首から入館証を下げているので業者ですね。

宴たけなわのころ、自衛官にエスコートされたミス航空祭の
皆さんが台上に上がって一人ずつ紹介を受けます。
台の前には家族らしい人々がどっと群がっていました。

このミス航空祭、毎年妙齢の娘を持つ関係者に声をかけて
出場者を集めるのだそうです。
自衛官の娘や姉妹あり、関連業者の娘あり。
元自衛官の娘さんなどというのも結構多いそうですね。

着物を着ないといけないので、成人式でせっかく誂えたから、
と出場する方もいるそうです。

選考で落とされたりする人もいるのかどうかはわかりませんでした。 

テーブルの上は瞬時にしてこのような状態になり、しかも追加なし。

乾杯後、卓の周りに陣取っていた人たちが取った後も場所を移動せず、
その場で食べだしたので人垣の外で立ち尽くしていると、一人が

「とる?」

といかにも鷹揚な様子で()前に入れてくれました。
そりゃとるさ。朝から何も食べてなくて眩暈してるくらいなんだから。
が、わたしが食べ物を取った後遠慮して外に出ると、ナチュラルにまた
最前列を占領してしまいました。

そういえば、会場に入ったとき、まだ乾杯もしていないのに
すでに料理を食べまくっているテーブルがあってあらら、と思ったのですが、
「お金払ったんだから(しかも3000円)」というのが念頭にあるとこうなるのかな。 

昼からのブルーインパルス演技は望遠で撮りましたが、
フォーメーションが広がるとデジカメの出番です。 

上向き空中開花。



まだ上向き空中開花のスモークが残っている中、
スタークロスが始まっています。


 

この日は風もそこそこしかなく、綺麗にシェイプが残りました。
なんでもあまり風がなさすぎてもスモークが消えないので
それもあんまり良くないということを聞いたことがあります。 

レインフォール。

1機で描くレターエイト。(途中)

そしてバーティカルキューピッドです。
最高に美しいハートシェイプが真っ青な空に描かれます。 

5番機と6番機が描いたハートに向かって、
4番機(スロット)が矢となって進んでいきます。 

きっちりと後ろからスモークを出すには、どこかで
指令が出ているとしか思えないのですが、そうなんでしょうか。 

さて、ブルーが全機着陸するのを見届けてから、わたしは荷物をまとめ、
早々に出口に向かいました。

招待席の近くで撮影会みたいになっているので何かと思ったら
米空軍の軍人さんを皆が取り囲んで順番に一緒に撮ってもらっていました。


この後、500mくらいの距離をシャトルバスが往復しているのですが、
歩くのを選んだことが裏目に出て、途中でカメラを落としたのです。

ないと気づいてすぐに来た道を戻ったのですが、今にして思えば
地面にカメラが落ちているのを見つけた人がすぐさま拾って
近くの自衛官に届けたってことだったんでしょうね。

この時拾ってくれた方にも、どなたかは存じませんがお礼を申し上げます。


それにしても肩にかけていたものが落ちても気づかないわたしって。



終わり
 


平成28年度自衛隊観閲式装備展示〜「塹壕まつり」

2016-11-10 | 自衛隊

平成28年度の自衛隊記念日観閲式は終わりました。
工科高校儀仗隊のファンシードリル、自衛太鼓、
そして音楽隊の演奏を楽しんだあと、同行の人たちが
誘うので装備展示を見て帰ることにしました。

ところで、終わってすぐわたしたちは全員喉が渇いてならず、
最後の売り尽くしにかかっている売店に立ち寄ってみたのですが、
お弁当や物販は余っているのに、飲み物は見事なくらい全て売り切れです。

この日は帽子がないと辛いくらい日差しが強く、
(同行者いわく”安倍さんは晴れ男だから”)気温も高くて
飲み物が飛ぶように売れてしまった模様。

「こんなに人が来てるんだから多めに持って来ればいいのに」

同行者は本気でキレていましたが、わたしは3年前の予行で、
大雨が降りまくるのに傘をさせずに体の芯まで冷えた、
という悲惨な1日が現実にあったのを知っているので、

「沢山仕入れて雨が降ればもうほとんど売れ残りますからね。
どっちに転んでも大丈夫なように控えめに発注したんじゃないですか」

となぜか業者の皆さんを庇ったりしておりました(笑)

観閲行進の会場を横切って展示場に向かう途中の売店にも
聞いてみましたが、ただの1本すら残っていません。

そのとき、売店の近くにこんな装備があるのに気付きました。



「あれ・・・・?これ給水器じゃないの」

近寄ってみると、なんと奇跡のようにそこにあったのは
陸自と空自で運用されている1トン水タンクトレーラでは。

主に駐屯地外における演習などの部隊活動で水を運搬するもので、

見てのとおりはは73式大型トラックや73式中型トラック、
78式雪上車などの大型車両が牽引して運搬します。

先ほどの車両行進では牽引ではなく荷台に搭載されて登場していました。


「これもしかしたら飲めるんじゃない?」

と言っていると、担当の自衛官が近づいてきて

「飲めますよ。コップがなくなってしまったのですが」

当初紙コップを用意して、それで自分で蛇口をひねって飲むように
なっていたらしいことがわかりました。

「じゃ、手で飲もう」

蛇口をひねりまず手を洗いましたが、意外なくらい冷たい水です。
手のひらにすくって飲むしかなかったため、ごくごく、というわけには
いきませんでしたが、喉の渇きは潤おすことができました。

「これは東日本大震災のときに被災地に行ってるんですよ」

「どれくらい水を運べるんですか」

「1トンです」

 

水たまりができても足場が悪くならないように
専用のマットを敷くなど、心配りが相変わらずすごい。

蛇口は車体の前面左右にそれぞれ3ヶ所ずつ、合計6ヶ所。

「わたしはこれとずっと行動を共にしているので、
一心同体というか、もうただの装備っていう気がしないです」

「そうだったんですか・・・」

おそらくこの隊員は装備専用の係に命ぜられて、東北にも一緒に行ったのでしょう。
ちょっと照れながら、しかし誇らしさを滲ませていう彼の言葉に、
猛烈に感動してしまったわたしでした。 



さて、展示会場に行くなり、わたしは前回とは
まったく景色が違っているのに気付きました。

前回、戦車を上からみることができるように、足場を組んで
そこを見学者が順に渡っていくようになっていましたが、
今年は地面が掘ってあり、そこに戦車が収まっています。

「なんと・・・!クリークが掘ってある」

「今年は塹壕まつりなんですよ」

「ふおおおお・・・工兵の力技って感じですね」

「施設科って言ってもらえますか一応」



これはすごい。
芝生だったところを展示のためだけに掘り返してしまうとは。
ちなみにここに展示してあるのは155mm榴弾砲である模様。 

長蛇の列ができていたので体力エグゾーステッドの我々は
中に入ろうとは誰もいい出しませんでしたが。

手前の斜面は車両の進入口で、人垣の向こうに
砲のノーズを突き出すようにして設置されており、
さらに上から偽装ネットをかけてあります。


見学者は男性ばかりでしたが(そもそも装備展示を見ている人の
8割が男性)、彼らは間違いなく、幼き日裏山で「基地ごっこ」をした頃の
ワクワク感を思い出したりしているんだろうなと思いました。




崩れないように土嚢でエッジを作り、驚いたことに
塹壕の斜面に芝を植えるという気合の入りよう。
朝霞の展示はこれからずっとこれで行くってことですよね。



見よこの仕事の細かさ、施工力の高さ。
掘り返して土嚢を積んでいるだけなのに、美しい直線です。

入り口から入っていくと、戦車のあるところからクリークを
全部探検して元のところに帰ってくるようにできているようです。



車両行進でも登場した無人機がいました。
正式には「遠隔操縦観測システム」といい、

“Flying Forward Observation System” 

の頭文字をとって「FFOS」と呼ばれています。

機体は行進にも登場した専用運搬機によって運ばれ、
このほかにも車載した統制装置、追随装置、簡易追随装置、
発進・回収装置、整備支援装置、作業車などが必要です。



通りかかった時に10式の動的展示が行われていて、
人だかりができていました。



ただしそれが終わればこの通り。
前回の3年前はまだ公開されたばかりで珍しいのもあって、
動いていようがいまいが人が周りに群がっていたものですが。

155mm榴弾砲だと思われ。
それにしてもまるで新品のように綺麗に磨き上げてあります。 

同行の自衛官妻Hさんは、陸自のイベントには来るのも初めてだそうです。
自衛官の奥さんって全く他の自衛隊や、夫の所属であっても
装備や何かには全く無関心という人が結構いるみたいです。

夫の方も奥さんに仕事に理解を持って欲しいが、度の過ぎた
興味はむしろ持って欲しくない、という考えの人がいるのかも(笑)


そのHさんが

「わたし、こういう形をしていたら皆戦車にしか見えないんです」

というので、まあ普通の女の人はそうでしょう、と聞いていたら、

「これは何のための戦車なんですか」

「装甲戦闘車といって、隊員の輸送が主な目的です。
丸い目玉みたいなのがあそこにあるでしょう。
あれはガンポートと言って、中から銃口を出して撃つこともできるんです」

というと、奇異なものを見るような目で

「すごいですね・・」

と感心されてしまいました。
覚えようとしなくても、これだけ見てたら嫌でも覚えますよね。

しかも未だに盛大に間違えることもあるのは、ここだけの話だ。
 

核・生物・化学兵器に適応するNBC偵察車もおります。
これ、製造は小松製作所らしいですね。
96式装輪装甲車も同じく小松です。



色からして周りと全然違っているのですぐわかる、アメリカ軍の装備。
車両行進でお目見えした陸軍ストライカー旅団の装甲車です。
つまりさっきの歩兵車のアメリカ版ってところですね。
なんか近くで見たらいろいろとデコデコしてる車だなあ。



車両に貼ってあるマーク。
「!」がついておりますが、第23師団第4大隊は「トマホークス」
という部隊名のようです。

トマホークというと我々はミサイルのことしか思いつきませんが、
もともとは北アメリカのインディアンが使う「斧」のことです。
この部隊マークでクロスしているのは「トマホークス」であると。

さらに「ブラボーカンパニー」は小隊名が「ブラボー」なのかな。 

装備の前では車員が立って説明したり写真を撮ったり。
木にもたれかかって見ている人も米軍関係者かな。 

写真をアップにしたら向こうの人がカメラ目線でした(笑)
お、おれ今写真撮られてる?みたいな。

腕を組んで皆で記念写真。

「わざわざワシントンからやってきたのかな?」

と同行者にいったら、

「フィリピンとかどこか近くに来てたんじゃないですかね」

なんでもC-5、C-C-17、C-130といった航空機に搭載できるので
そこからなら空輸できるから、という話でした。

改めて近くで眺めてみました。
ラッパみたいなのはやっぱりホーンだったりするんですかね。



車両行進の時に遠くから見て何だろうと思っていたものは
束ねた布の紐でした。
右下にスコップやハンマーなどが固定されているように、
外側に紐で固定してものを運ぶため装置のようです。 

で、これ。
行進中「なんじゃあこれは!」と思った得体の知れない物体、
これはプロテクターRWS( Protector Remote Weapon Station)。
遠隔操作式の銃塔で、いろんな火器を必要に応じて搭載することができます。 

開発したのは、ノルウェーの防衛・宇宙関連企業である
コングスベルグ・ディフェンス&エアロスペース社です。


歩兵車なので後ろのドアが89式と似ている気がしますね。
こちらは装輪装甲車ですが。 

米陸軍のクレーン付きトラック、ヘミット(M984A4)。
ウィンチも積んでいますが、用途は故障車両回収です。

こう見えてCー130で空輸することができるとのこと。
(っていうか、C-130がいかにすごいかってことですね)

こちらもみんなでポーズ。

こちら陸自迷彩と空自ジャンプスーツのお二人。
こんなちっちゃい迷彩服を用意しているんですね。

 

ところで、装備の向こうに・・・今年もいたよ。サイポン。
埼玉地本のゆるキャラなので「サイポン」。 

トウチくんは今年はいないのか。

っていうか、覚えるつもりもないのに地本ゆるキャラの名前が
いつのまにか知識として刷り込まれていることに気がついたとき、
そこに自衛隊広報のたゆまぬ努力を感じずにはいられません。(適当)


ところでサイポンには陸空海が一通りいるのですが(兄弟らしい)、
ここでは
やはり主催の陸自サイポン「りく」が一番美味しいとこ取りです。 

こころなしか態度もでかい気がする。

横に座るのが女の子の時だけ、さりげなく
肩にそっと手をかけるサイポンであった。 

空自サイポンみっけー。 

それでは海自サイポンはどこ?と思って探したら、
ちょうどテントに入っていってしまうところでした。

いくら埼玉がアウェーだからって何一足先に任務終了してんだよ。

「もう終わりますから入れてくだサイ」

「あっ、おかえりなサイ」


塹壕まつりのためにお試しで掘ったかのような謎の真四角のクリーク発見。

というわけで、こちら側の門から朝霞までバスに乗ることにしました。

ところが、バス乗り場に行くのに人が多すぎで優に40分はかかり、
バス乗り場のロータリーについてから約30分かかり・・・。

「こんなのなら最初から反対の出口を出て朝霞まで歩けば良かったですね」

前回もなんか同じことを思った覚えがあるような・・。
まあ、3年後にはまた忘れて同じことをしたりするんだろうけど。 

 

観閲式シリーズ終わり

 







バッテリープロットと機関室〜戦艦「マサチューセッツ」

2016-11-09 | 軍艦

砲弾と火薬を砲に送るための貯蔵施設、
発射体貯蔵室(プロジェクタイル・ストレージ)と第2砲塔だけに
併設されている「バルコニー」の見学をして、すっかり盛り上がり、
ここまでやってきたわたしです。



高圧電流がかつては通っていたと思われるバックステージを持つ廊下。
廊下の壁全体が配電盤となっています。



電気関係にとんとくわしくないので、これがなんなのか
的確に名前を言うことができないのをお許しください。

各々から10本のヒューズが出ているこの装備は、
ベースとなる変圧器で、GEの製品であることはわかりました。



この隣にあったモーターみたいなもの。



「セカンダリー・バッテリー・プロット」

セカンダリーということはメインが別にあるということになります。
恐るべしアメリカの工業力。

ここは1945年当時のセカンダリー・バッテリー・プロットが再現されています。
もともとはMk.1Aコンピュータ(砲撃統制システム)が4基あり、
周辺機器も備わっていましたが、展示されているのはそのうち1基です。
冒頭写真で手前に置いてあるのがその本体です。 

1960年になっても機械が現役だったので、「マサチューセッツ」が引退したとき、
それらは別の船に搭載されました。

ここに置いてあるMk.1Aコンピュータは、シリアルナンバーがNo. 1。
つまり第1号機で、海軍資料室から長期レンタルしているそうです。

 



部屋の左方と右手にあるパネルは、スィッチボードといい、射撃統制装置回路や
コンピュータの電源を入れるロータリースイッチ。

それではかつては4基あったMk.1コンピュータはどこに置いていた思います?



なんと、床下なんですね。
各コンピュータには、測定位置を安定させるために
安定化装置とジャイロスコープも取り付けられています。


バッテリーステーションが騒然となるのは、空戦時です。
敵が襲来すると、Mk.37の放火統制システムが

「acquire(レーダー補足」あるいは「Picked up」

し、次いでここにいる「放火統制員」が敏速にこの写真でいうと
左と奥にあるコントロールパネルを操作して、
Mk.1コンピュータと砲座をオンの状態にします。

砲火統制員、射撃管制装置、砲座のコンビネーションによる
複合的なロータリースイッチの操作によって、銃は発射されます。
 
万が一、ここにある機材が敵の攻撃により損害を受けた場合には、
すぐさま「クロス・コネクテッド」、別の機材に繋ぎ直す、
ということもできたそうです。

 
親切にもどうやってここと砲が連結しているのか、
わかる人には一目でわかる図が現地にありましたので挙げておきます。

ちなみにMK.37砲射撃指揮装置は、海上自衛隊の揺籃期に供与を受けた
甲型護衛艦(DD; あさかぜ型およびありあけ型)に装備化したものの、
重量過大である点と射撃指揮コンピュータが機械式である点から
あまり高く評価されず、比較的小型・軽量で盲目射撃可能な
Mk.56の装備化が志向されることとなったということでした。

ここに、「Mk.1コンピュータとはなんぞや?」

と説明があるので、これもざっと翻訳しておくと。


●5"38 caliber guns (Mk125インチ砲)のためのものである

●対空・海上の敵を射撃するためのものである

●刻々とせまる敵機に対し、高度、角度などをすべてコントロールできる

インプットするデータ:
ーターゲットの予想航路、高度、角度、スピード
ーターゲットの範囲、航行の方向、上昇
ー各艦のスピードと進行方向
ー風力と風向

アウトプットされるデータ:
ー砲座と統制機への角度指示
ー砲座と統制機への方角指示
ー砲座のヒューズ設定 

そして、上の写真の右側には、この部屋での態勢が写真で示されています。

オペレーターは全部で7人もいます。
レンジ、俯仰、高度、旋回、cross-revel(水準旋回)
そしてスターシェル(照明弾)オペレーター。
それらを一人の士官が統率します。



分かりにくい写真ですみません。
赤い丸の部分が「プロッティングルーム」で今いるところです。
ここにレーダーで補足された情報を基に前方の2基、後方の1基に対し
射撃のための信号が送られる、と簡単に言っておきます。



こちらがメインバッテリー・プロットでした。
つまり、艦首側にセカンダリープロットがあったということになります。

ここの床にはレーダー・コンソールが収納されています。



テーブルのようなものの手前の4つがレーダーコンソール。
画面手前が水平照準機となります。

船の上では射撃に必要な諸元を計算するために必要な
水平の状態を維持することが難しく、そのため砲撃を
コントロールするすべての機材にはジャイロスコープ内蔵の
「バーチカル・ステイブル」が搭載されていました。



さて、そこから進んでいくと、わずか5段の階段が。



機関室にたどり着きました。



ここからはもういたるところに階段があって降りられたり降りられなかったり、
登れたり登れなかったりで・・・。



うおおお、何が何だか全く説明できませんがこれはすごい。
なぜならホーネットではこんなところまで公開してなかったからです。



かつては轟音が常に鳴り響き、上半身裸でないと到底居られなかった
このエンジンルームも、今は冷え冷えとしてご覧の通り。



何かわかりませんでした。
奥が高圧電流の配電盤なのでコンデンサーかな。



ここで機関兵として働いていて戦後ここを訪れた人の言葉です。



・・・・もう何回この階段を降りて行ったことか。
わたしがここで働いていたのはまだティーンエイジの頃だった。
見学に訪れるとわたしはあの頃のように若返り、あのころのじぶんになる。

フネは恐ろしいくらいに暑く、太平洋を航行している時にはことに
まるで熱帯のジャングルにいるようだ。
わたしは気温50度の職場に就くために階段を降りていき、
何本ものタバコと強いコーヒーで目盛りを読むために眠気を払う。

戦友がまるでバケツのような大きさのマグカップを前に置いてくれる。
カップを前に24時間勤務をすると、別の者に交代するのだ。

気が付くと、全ては去り、ここからは誰もいなくなり、
そしてわたしはまた膝を痛めた年寄りとなって、ここにいる。



減圧装置の近くにあったので、減圧弁?



戦艦の燃料タンクは2箇所にあります。
貯蔵用が艦底、サービスタンクは舷側側。
サービスタンクの燃料は魚雷発射装置にも供給されます。

ボイラー用の燃料はサービスタンクからポンプで汲み上げられ、
濾過器を経過して噴射機で噴射されて要求されるスピードに対して
適正な割合で空気と混合するのです。(知らなかった)

浄化されたボイラーへの供給水はボイラーの

saturated side

と呼ばれる部分にあるパイプを通って加圧され、
489℉(260℃)にまでなります。
”saturated”という意味は、減圧がなされた場合、
スチームであるそれらは水にまた戻るということでもあります。

超高温となった蒸気はタービンに直接パイプで送られますが、
それがつまり「エンジン」となります。
高温高圧の蒸気はタービンを回転させる「ブレード」を動かし、
それによって船が推進するというわけです。




唯一説明があった、「reduction gear」すなわち減速装置。
タービンから送られてきた電力をプロペラシャフトに変換する装置です。

ギアは二重の螺旋状の形状をしていて、このエンジンルームの
すべての機器の中で
最も高価な装備であったそうです。



シャフトに連結している螺旋状のギアが内蔵されています。
「マサチューセッツ」の二重減速装置はギアが最大で1分間に6千回転から
185回転にまで減速することが可能でした。

減圧装置は、プロペラシャフトに直接連結しているということなので、
この右側の白い部分がそれなのかも・・・?




第二次世界大戦中のアメリカの艦船が搭載していた蒸気ボイラーは
この「マサチューセッツ」はじめ、約半数が

バブコック・アンド・ウィルコックス (Babcock & Wilcox Company) 

B&W製だったといわれています。
B&W社は戦後、原子力産業に参入し、加圧水型原子炉を中心に、
商用原子炉や艦船用原子炉の製造にあたりました。
炉心溶融事故で有名なスリーマイル島原子力発電所2号機も・・・。

原子力プラントの製造からは一時撤退していましたが、最近では
モジュラー式原子炉の開発を行っているそうです。




「スロー」「ファスト」「ストップ」というスイッチが、
「艦尾2#」「左舷1#」などの表示に付けられているので、
各タービンのスピードを調整するための何かであろうと思われます。



「諸君、ついに我々は歴史に残る上陸作戦の一翼を担うことになった。
艦橋からの眺めは筆舌に尽し難く、これからも忘れることはないだろう。
諸君もこの眺めをいま目の当たりにしていることと思う。
空は友軍機で埋め尽くされ、海面には遥か彼方まで我が軍の艦艇が・・・」



続く。



 


”オールorナッシング装甲” 砲弾格納室〜戦艦「マサチューセッツ」

2016-11-08 | 軍艦

この写真を見ていただければ、

「PROJECTILE FLAT 」(砲弾室)

に到達したのがこの戦艦「マサチューセッツ」見学の白眉であり、
とりもなおさず、アメリカで訪れたすべての軍艦見学の中でも最も感激し、
また興奮した瞬間だったというのがわかっていただけるでしょうか。


当たり前ですが、これらはすべて本物のつまり砲弾です。
プロジェクタイルは直訳すると「発射体」となります。

迷い込むように狭い通路から、まるで梯子のような階段が続いているのを、
ドキドキしながら一人で登っていってこの砲弾の林のような光景を見たとき、
わたしは思わず、

「すごい・・・・何これ」

とつぶやきました。
ここは、16インチ砲を格納しておくフラット(階)。
ちなみに平面図はこうなっています。



丸いものがちろんここに格納されている砲弾。
戦艦には常時この砲弾が1300発ストアされていたということです。

線が引いて説明してあるのは、すべて配置されている砲員です。

「シェル・マン」(砲員)
が全部で9名、巻揚げ機のオペレーターが4名、

下士官が1名(おそらくここの指揮官)。
二重になった砲郭の、さらに内側にエレクトリシャン(電気係)が1名。

こんな布陣でここでは任務が行われました。

一般に16インチ砲塔には二箇所の砲弾置き場が下階に設けられていますが、
「マサチューセッツ」の3基の砲台のうち、もっとも背の高い第2砲台には、
それとは別に「バルコニー」と称するもう一つのフラットが併設されていました。



それがこの、わたしが現在立っているところだったわけです。
戦艦の砲は艦首から順番に1、2、3と番号が振られますから、ここは
艦首から2番目にある16インチ砲であったことがこのとき初めてわかりました。



あらためて見ていただきたいのですが、手前のが第1、後ろに見えるのが第2です。
第2砲台のターレットが3つの中で一番背が高いというのがお分かりですね。


1942年の「カサブランカの戦い」(仏海軍の駆逐艦ジャン・バールに発砲されて
撃ち返したのが第2時世界大戦初の軍艦の砲撃だったというあれ)の時には、
砲弾はここから前方の第1砲、艦尾の第3砲までモノレールで移送されました。

モノレールは、セカンドデッキ(甲板下階)とサードデッキ(その下)を
砲弾の運搬を目的に敷設されていました。

そして説明板のせいで大変見にくいのですが、中央には弾丸を
上部の砲のあるところまで運ぶための機構が見えます。



上にはかつてモノレールのレールだった部分がそのまま残っています。

それにしてもみなさん、驚きませんか?

わたしはこのフラットの通路を、一周することができたのですよ。
横にずらりと並べられた砲弾も、触り放題です。(ちょっと触ってみました)
その気になれば(なりませんが)、こっそり油性ペンで自分の名前を落書きできるし、
さらにその気になれば、持って帰ることも・・・・。

もちろんこれを抱えて細い急な階段を降りねばなりませんし、
そもそもそれぞれの砲弾はしっかり根元を固定されていますし、
これを持ってゲートを出ることは物理的にも不可能ですが。

あまりの気前の良さ?に唖然としてしまう前に、これらの砲弾が
すべて火薬が抜いてあるのか心配になったくらいでした。

するとやはり、しばらく行ったところにこんなお知らせが貼ってありました。


お客様へ

わたしたちバトルシップコーブに展示されている軍事装備は、
海軍及び陸軍のEOD(爆発物処理班)によってすべてを確実に無力化
(不発化、不燃化)されております。

一般に、弾丸、砲弾、手榴弾、小型爆弾などの爆発の危険のあるものが
まるで記念品のように扱われることもありますが、これは大変危険です。
このようなものは、扱い方によってある日突然何かに反応して
爆発する可能性があるということです。

あなたがもしこのような爆発の危険のある装備を持っていて、それが
EODのような専門家に鑑定を受けたものでなかった場合には、
所轄の警察か地元の役所に届け、万が一爆発の危険があればそれを
処理してもらうのがよいでしょう。

間違っても自分で処理しようとしたり捨ててはいけません。

高い専門知識を持ち訓練を受けた者だけがそれをすることができます。
生きている爆発物ほど価値のない記念品はないのです。 


ここにずらりと並んだ砲弾がすべて安全なものであると安心させるついでに、
しっかり啓蒙を行っています。
それにしても、古い弾丸や手榴弾などがそんなにあちこちに出回って
家に持っている人がいる、ってことなんですよね。

さすが銃が州によっては合法な国だけのことはあります。 



このフラットからはもちろん透明のアクリル板越しにですが、下の階である
パウダーハンドリングルーム(火薬取り扱い室)を見下ろすことができます。

艦内に監視員や説明員を一切置いていませんが、見学者の不慮の事故を
できるだけ防ぐための気配りはそこここに見られ、この点においても
他の記念艦より格段に上のように思われました。

この写真で右に見えている長方形の塔が、砲弾のエレベーターである
ホイストです。
 
 

このスリットの内側は、砲が旋回すると同時に回転します。
16インチ砲の旋回角は「ー145°から+145°」だったといいますから、
290°も稼働したということになります。

実際の戦闘のときには砲撃をする方向がそんなに目まぐるしく変わる、
ということはありえないので、この床がニューオータニのスカイラウンジのように
ぐるぐる終始回っているわけでもなかったでしょうけど、それにしても
床が回転する戦闘中には、どうやって砲弾の運搬が行われたのでしょうか。

中央にキャプスタン(糸巻き状のもの)が見えていますが、
これには「ジプシー・ヘッズ」(ジプシーの帽子みたいだから?)
という名称があり、
砲弾をホイストまで運搬するときに使われました。

 

どうやってホイストを使ったのかの説明はありませんでしたが、
この当時の写真を見ると、引き出す予定の手前の砲弾に鎖を巻き、
さらにその鎖を対面に渡してキャプスタンに掛け、引っ張っています。
大の男一人でも持ち上げることすらできないみたいです。

これではなおさら持ち帰るのは無理ってことです。



赤で線を引いておいたのが、プロジェクタイル・フラットです。
ここに書いてあることは全て今まで説明してきたことばかりですが、
一回の射撃につき、パウダーバッグが6個必要であるとあります。

バーベット断面図。
こちらは「バルコニー」のない砲塔です。 


戦艦「マサチューセッツ」の設計は

"All Or Nothing Armour" (0か100かの装甲)

と言われていました。
いわゆるバイタル・エリアだけを重点的に分厚い装甲で守っていたけれど、
その他は非常に脆弱だったという意味です。

結果的にそれは砲塔と砲弾庫だけが異常に守られていたということでした。
人間でいうと頭だけを守り、手足の防御は薄くするようなものです。

「攻撃は最大の防御に通ず」

をそのまま地でいっていたということなのかもしれません。
しかし、彼女がそうならざるを得なかった理由というのは、
1922年のワシントン海軍軍縮会議の結果にありました。





上がマサチューセッツ、下は戦艦「アリゾナ」です。
「アリゾナ」が建造されたのは「マサチューセッツ」の26年前。
この間、戦艦の設計思想がどう変わったのか一目でわかりますね。

「マサチューセッツ」に搭載されていたMk 2 16インチ砲は、
それまでアメリカ海軍の戦艦で用いられてきた50口径14インチ砲を
凌ぐ威力を有するものとして開発されました。

最初にこれを搭載したのがサウスダコタ級戦艦(3連装4基12門)
及びレキシントン級巡洋戦艦(連装4基8門)。

「マサチューセッツ」はサウスダコタ級の4番艦です。

つまり「マサチューセッツ」の装甲が砲塔に集中したのも、
これが当時の最新兵器であったからということが考えられます。

ターレット周りの装甲という点から二つの艦を比較してみますと、

アリゾナ 正面:18 サイド:9 後ろ:9 上部:5

マサチューセッツ 正面:18 サイド:9.25 後ろ:12 上部:7.25


で、特に背面の強化をしているのが目に付きます。
「アリゾナ」のバーベットの厚さは13インチ。
「マサチューセッツ」は11.6インチでしたが、セカンドデッキから下の部分は
「アリゾナ」の場合4.5インチしかありませんでした。

これに対し、「マサチューセッツ」の砲塔下部の厚さは17.3インチと、
とんでもなくこの部分を強化していることがわかります。
それにもかかわらず軍縮条約で重量を制限されてしまったので、
「オールorナッシング」でその他を薄くせざるを得なかったというわけです。

このように重量を削減し、16インチ砲を搭載したサウスダコタ級の建造によって
アメリカは海軍史上最大最強かつ最速の戦艦を作ったつもりでした。

しかしながら、八八計画によって建造された帝国海軍の戦艦と比較すると、
砲力や防御力は同等かそれ以上でしたが、速力において大きく劣り、
また、イギリスのN3型戦艦と比較した場合でも、砲力において下でした。
(イギリスは18インチ砲を採用していたため)

これらのことから、

アメリカは世界最強の海軍を実力で築くことが容易でないことを悟り、
ワシントン海軍軍縮条約によって政治的に築く途を取る事になるのである。
(wiki) 

軍縮条約では世界一のイギリスには遠慮しつつも食い下がり、同等の権利を得て、
その分他の国、ことに日本にしわを寄せまくったってことですねわかります。 




砲塔の「エレクトリック・デッキ」図。

三つある砲の「レイヤー」が備わっています。
ここで各砲の電源を管理していたということなのでしょうか。
どこにもこのデッキについての説明がなく、残念ながらこれ以上のことは
わかりませんでした。


続く。



 


2016年入間航空祭 ブルーインパルス 後半

2016-11-07 | 自衛隊

2016年度入間航空祭におけるブルーインパルスの演技、後半です。

1番機から4番機までで行うチェンジオーバーループ
まず4機のトレイル編隊で進入してきます。 


このときの密集隊形がもうほとんど触れ合わんばかり。
おそらく互いの距離は1mといったところでしょう。

トレイル編隊のまま上昇。



上昇しつつダイヤモンド編隊に素早くチェンジ。

頂点に達したら左に捻り込みながらロール。

続いてレターエイト
4機で進入し、1機だけが編隊を外れ、3機とは反対方向に円を描きます。



こうして全く違う方向に外れていってしまい、1機と3機が描いた円が
8の字型になるところからレター8。 

円を描き終わった4番機はいつの間にか3機に追いつき、
ダイアモンド隊形を整えるというもの。

ちなみにこの写真でスモークを消しているのは1番機で、
追いついた4番機は皆と一緒にスモークを出しています。 

追いついた後は密集隊形で離脱。

続いては5番機と6番機で行うオポジット・コンティニュアス・ロール

高速で交差するのは一瞬なので今まで撮れたことがなかったのですが、
今回は一機のロールする様子を追いながら撮影し、
すれ違う少し前から連写のシャッターを押し続けたのが正解。



正面から見るのとは違った角度なので、両機が実は前後に離れて
クロスしていることがよくわかりました。

3機に見えますが4機で行っているフォーシップ・インバーテッド

1、4番機がまず同時に背面になり、続いて2、3番機が背面になったところ。



全機が一斉リカバリーを行ったところ。
スモークの形でロールしたことがわかります。

続いては5番機と6番機。

背面を合わせて飛行します。

「まるで水に映った影のようにぴったりと飛ぶ様子をご覧ください」

というアナウンスがありました。
この写真を見ると、地面から見て完全に同位置ではなく、
少しですが手前と向こうに機体をずらして飛んでいるらしいことがわかります。

気流のこととか、なにか安全上の理由があるのかもしれません。

 



ソロ演技も幾つか行われましたが、これはループだったかな。

続いてはワイド・トゥ・デルタ・ループ
1番機から5番機までの5機が会場後方より間隔の大きな
デルタ編隊で進入してきます。



頭上を通過後そのままループに入りデルタ隊形のまま降下。

徐々に隊形を縮めていき、最終的にはここまでになります。



そこに6番機も加わって全機での演技。
デルタ・ループです。


 
4番機が「スロット」というわけがこれを見るとわかりますね。

そのまま全機で垂直上昇していきます。

6機でデルタ隊形を飛ぶときには、1番機はスモークを出しません。
スロットにまともにスモークをかけてしまうからでしょうね。



今回わたしが撮った中で会心の一撃というべきショット。(当社比)
ループで描く円は直径2kmの大きさだそうです。

バレル(たる)ロールを編隊を組んだまま行うこのフォーメーションですが、
バレルロールとは横転(ロール)と機首上げ(ピッチアップ)を同時に行うもので、
仮想の樽の胴をなぞるように螺旋を描くことからその名があります。

ブルーインパルスが「戦技班」という名称を持っていることからもわかるように、
航空機のマニューバとはつまるところ航空戦を想定しているわけですが、
例えばバレルロールは敵機の背後をとるための機動の一つとされています。



5機で行う上向き空中開花に入りました。

昔は下向き空中開花という演技がありました。
有名な話ですが、1982年、静岡県・浜松基地のエアショーで、
4番機がこの演技中に墜落、パイロットが殉職すると共に、
周辺住民に12名もの負傷者を出す大事故を起こしたことから
それ以来、演目から削除され実施されることはなくなりました。




デルタ隊形で上昇と同時にスモークON。 

隊形を維持したまま上昇。

徐々に花が開いてゆきます。
開ききったスモークの写真はコンデジで撮りました(T_T)

バーティカルキューピッド、スタークロスの写真もしかり。
カメラが入間からかえってきたら、またお見せしようと思っております。 

ちなみにこれは今からハートを描こうとしている5、6番機。

今回は撮影には不思議なくらい失敗がなかったのですが、
肝心のカメラを落とすというありえない失敗をしてしまったわたしです。

5番機と6番機がまたもやデュオをしておりますが、
これなんでしたっけ・・・忘れました。
タッククロスのようにも見えますが・・・。 

ぴったり後ろをついているようですが、スモークを被らないように
絶妙のコントロールで飛んでいるらしいことがわかります。 

毎日これを鍛錬しているとはいえ、まるで神業のようです。



そしていつも演技の最後を締めくくるのがコークスクリュー。
5番機が背面で飛び、6番機はバレルロールをおこなって
5番機のまわりを螺旋を描くようにして飛ぶのでこの名があります。 

今回の撮影の反省点はこれでした。
2機の駆動を追いかけるあまり、スモークが「スクリュー」になっている
様子を撮ることができなかったのです。

ただ、これをうまく撮ろうと思ったら撮影の場所が
5番機の進行方向の延長線にあるのが望ましく、わたしのいた
エプロンの右端近くでは2機の駆動を真横から見ることになり、
どんなにうまく撮っても残念な構図にしかなりません。 

もう少し引きで撮らないとダメだったですね。

というわけでコークスクリューも無事終了。
バードストライクなどの事故もなくブルーインパルスの演技は終了しました。 



そして今度は1番機から順番にランディングして駐機場所に戻ります。
機体から降りるところも見逃すまいと待ち構えている人たちが
駐機場の前には分厚く人垣を作っていました。

最初に入間に来た時には人の頭の上から写真を撮ることもできましたが
今回は着陸を見届けた途端わたしは会場を後にしました。

このときにカメラを落とすという想定外のアクシデントがなければ
案外早くに電車に乗れたような気もしますが、結局遺失物せンターまで
歩いて、届出の後は元来た道を辿って帰り、 間違えて稲荷門から出たため
池袋行きの電車乗れたのは夕日が沈みかけるころでした。 



車を停めた所沢駅からさらに家まで渋滞で2時間、
買い物をして家に帰ったときにはもうへろへろでしたが、
そんなわたしに次なる指令が下されました。

メールチェックをしたわたしを待っていたのは、
その次の日に横須賀地方総監部に入港する練習艦隊を出迎える、
・・というミッションだったのです。

この練習艦隊帰国についてはもう少し先にお話ししたいと思います。



 


入間航空祭ブルーインパルス〜ウォークダウンからスローロールまで

2016-11-06 | 自衛隊

午前中のプログラムは終わりました。
いつもだいたい同じようなものだと思うのですが、
今年は例年にも増してあっという間に終わった気がします。

夢中で写真を撮っていると時間の感覚がなくなりますね。

前回の写真を見た方が「大きなカメラは体にきますので気をつけて」
とご心配を下さったのですが、入間航空祭に来るたびに
少しずつ撮影そのものによる疲労の度合いはましになっている気がします。

それと正比例して、写真の失敗率も随分低くなり、プロの人たちが
例えば広角と望遠をカメラ二台持ちするように、Nikon1とデジカメで
フォーメーションが広がったときに持ち替えるなどという、
初期からは考えられないような対応も取れるようになってきました。


今回両隣に座った夫婦はどちらも夫の方がハイエンドカメラ持ち。
右はNikonのD500(これはサブだと言っておられましたが)で、
左はキャノンの白レンズ。
どちらも奥さんはカメラには全く興味はなさそうで、ときどき
携帯で写真を撮っていると言う感じです。


こういうカメラを持っている人たちに結構ひどい目にあったという
過去の経験から、当初は少し身構えでないでもなかったのですが、
今回は嬉しい方に予想は外れました。

どちらの方とも和気藹々で会話が弾み、右の人には
ご自慢の野鳥の写真を見せてもらい、左の人とは撮影の合間に


「今のはうまく撮れましたか」

「まあまあです」


などと声を掛け合って楽しく交流しながらの撮影となったのです。
こちらの人はフォーメーションがレインフォールなどで広がると、

「あああ〜(画面に)おさまらなかったー」

と実に残念そうにし、2機がクロスしたときなど、

「失敗!撮れなかった」

と言いながらも撮ることを心から楽しんでいる様子。
どちらのおじさんも奥さんと普通の夫婦より仲良さそうでしたが、
”いいカメ爺と悪いカメ爺”の違いはつまりコミュ力にあるのかもしれません。


ところでわたしは、先ほども言ったように、ブルーインパルスの撮影中は
普通のカメラ好きがサブにする
Nikon1をメインにし、サブのソニーのRX100は
主に散開隊型を撮ることと、アナウンスされる説明の音声を
記録するためだけにずっと動画モードにしておき、
あとはレセプションや会場の様子などを撮るために使っていました。

実は今回、そのカメラを会場で落としたのです。


すべてのプログラムが終了したとき、

「今日は早めに会場を出て少しでも楽に電車に乗ってやるぜ!」

と招待会場から外に向かって線路沿いを歩いていてふと気づくと
右肩にバッグと一緒にかけておいたはずのカメラが、ありません。


カメラが落ちたのに全く気づかないというのもどうかと思いますが、
おそらく芝生の上に落として音がしなかったのでしょう。

気づいた途端、歩いてきた道を取って返したのですが、見つからず。
そこここに立っている自衛官のうち一人を捕まえて聞いてみました。

「あのー、たった今、道の途中で落し物をしたみたいなんですが、
どうしたらいいでしょう」

「大事なものですか」

「カメラです」

「・・・・それは大事ですね」

自衛官はとりあえず近くのテントに届いていないかどうか確かめてくれ、
その後遺失物センターまでわたしを連れて行ってくれました。

先を行く彼の後ろを(早足なんで大変でした)小走りで追いかけ、
人ごみを縫うようについていくと、そこはなんとエプロンの向こう端。
本日立ち寄りもしなかった機内展示場とブルーインパルスの近くです。

ちなみにこの日、iPhoneのバイタルチェックを後で見ると、
1日の総歩数が1万8千歩を記録していたのですが、
このときの歩数が結構大きかったとわたしはいまでも思っております。


落としたばかりでまだ届いていないだろうなとは思ったのですが、
カメラの機種と名前、電話番号を紙に書いて届けておきました。

先ほどの道をもう一度探しながら歩くため戻ってみると、
案内してくれた自衛官がもうすでに
元の場所に戻ってお仕事をしていました。

「さっきはありがとうございました」

声をかけると、

「ああ、ありましたか」

「届いてませんでした・・・」

すると、近くにいた彼の上司らしい人が

「例年次の日になるとものすごい量の落し物が出てくるんで、
今日なくても明日に電話してみられるといいですよ」

「はい、明日電話する番号もいただいてきましたから」

彼らにそう声をかけてもらうと見つかるような気がしてきます。
帰ってしばらくしたら携帯に着信記録が入っていました。
次の日番号にかけると、

「航空自衛隊です」

という返事。
なんとこちらがかける前に見つかった旨連絡をくれたのです。

あれだけの人がいるイベント会場でも落としたカメラがちゃんと届く。
ここが日本でしかも自衛隊イベントならば不思議なことではありませんが、
相談した自衛官の対応の良さも相まって感動もひときわでした。

それはともかく、長々と説明してきましたが、そういう事情なので、
午前中のプログラムについてお話しした後書くつもりだった
昼間のレセプション写真は、デジカメが入間から
着払いで週明けに帰ってくるまで見ることもできません。

というわけで、今日は午後からのブルーインパルス演技についてです。

13時05分からウォークダウンが始まりました。
こればかりはどんなことが行われているのかここからは見えません。

入間基地航空祭2016 ブルーインパルス・ウォークダウン ・飛行前点検・タキシーアウト 

ウォークダウンからの動画をどうぞ。
なんかみんな不思議な歩き方をするんだなと思ったのですが、
歩くとき手を動かさないのであんな風になるみたいです。
それから、クルーの敬礼が瞬間芸か?というくらい早いのも特徴。

理由はわかりませんがそういうことに決まってるんですね。
もうここから演技は始まっているという感じです。


 

映像には、彼らがGスーツをつけるところも少し写っています。
G-スーツは下半身を締めることによって、飛行中に
脳から血液が失われることを防ぎます。

タキシングは最初の離陸隊形のまま行われます。



ブルードルフィンが駐機してあるレッドドルフィンの横に差し掛かります。

それぞれの番号に搭乗するパイロットは決まっています。
たとえばこの1番機は編隊長、Leaderの搭乗機。

後席に乗っているクルーもいずれは編隊長として1番機を操縦します。
後席は手が空いているので両手を振る人が多いですね。 



アプローチを始める場所でスモークの点検が行われています。

まず4機がほとんど密集形のまま離陸。

ウォークダウンが始まった頃には招待席まで
航空燃料の独特の匂いが強く立ち込めていました。

密集隊形での離陸はそれ自体が大変技術を要するそうです。

まずはダイアモンドテイクオフ&ダーティターン

4機のT-4がフィンガーチップフォーメーションで離陸、
エアボーン直後に4番機が機体を滑らしてダイヤモンドフォーメーションを組みます。

大きく旋回を行い会場正面より進入、後方へ離脱します。

なお、1番機はフライトリーダー、2番機、3番機はそれぞれ
レフトウィング、ライトウィングと呼ばれます。

4番機は「スロット」だそうですが、slot には中央の意味があるので、
おそらくこの隊形にも見られるように真ん中にいることが多いのでしょう。

まだこの時点では脚を出したまま演技を行っています。
正面から見ると着陸灯も点けて飛んでいるのがわかります。



5番機と6番機はこのあと2機で離陸しました。
5番機のことをリードソロ、6番機をオポージングソロといい、
どちらも6機の中でソロをとるパートのようです。

5番機は離陸後そのまま超低高度を飛行し、ハーフループを行い、
ループに達したらロールを行いながら降下し、水平飛行を行います。

先の4機が超密集隊形のファンブレイク
お互いの機体の間は1mくらいしかないそうです。
高い技術と互いへの信頼あってこそのフォーメーション。 

チェンジ・オーバーターン

5機で行いますが1機フレームアウトしてしまいました。
トレイル隊形といって縦に積み重なったような状態で進入し、
一瞬にしてこうやって編隊をデルタ型に組み替えます。

そしてそのまま大きく旋回。
旋回しながらだんだんと機体の間を狭くしていくのが見もの。

最終的にはここまで密集します。



ソロ機が急上昇後垂直降下。
インバーテッド&コンティニアスロール です。



降下後、連続ロールを行いながら会場を離脱します。

続いてレインフォール

ご覧のようにこの日はまったく「ブルーインパルス日和」というべき
素晴らしく条件の良い空模様でした。
晴れ渡って雲一つなく、風もそんなに強くありません。

ループに入り、ほぼ下を向いたところでスモークがON。

そのまま大きく広がっていくのですが・・・・。

実際はわたしはこの直後カメラを持ち替え、
散開したスモークをデジカメで撮ったわけです。

んが、縷々冒頭で述べたように、デジカメは今まだ
入間航空基地の遺失物係にあるので、ここから先をお見せすることはできません。

演技後半のエントリ作成までにカメラが帰ってくるといいのですが。

気を取り直してもう少し先に進みます。
6番機、オポージングソロ機によるバーティカルクライムロール。 

ロールを行いながら急上昇します。

次も6番機によるソロ演技、スローロール
ゆっくりと右ロールを行いながら左から右に抜けるこの演技、
飛行機にとって「ゆっくり進む」ということは大変難しく、
地味に見えますが高度なテクニックを要するのだそうです。



ロールしていると機首が下向きになるので、
この演技はやや上昇してから行うことになっています。


続く。


 


 


平成28年度入間航空祭〜午前の飛行展示

2016-11-04 | 自衛隊

11月3日というのは、

「その前後の日と比べて偶然とは思われない程の高い確率で晴れになる」

特異日です。
入間航空祭が例年この日に行われるのも1年に4回しかない
晴れの特異日でありかつ祭日であるからです。

今年の11月2日つまり前日、航空祭の招待券をいただき、
行くつもりになっていたところ、結構厳しい雨が降ってきて
次の日も午前中は雨、という局地予報を見たときには
珍しいけどこういうこともあるのだなと思っていたら、結局
特異日の特異日たるゆえん、予報は早々と更新され、
航空祭当日の早朝にも全く持って行った傘は必要なくなりました。

そして雲ひとつない秋晴れです。

ちなみにこの「特異日」のことを英語でシンギュラリティといいますが、
これは「確率が高い」という意味ではなく、ある気象状態が、
「その前後の日と比べて」大きな確率で現れる日のことです。
つまり晴れの多い季節で前後にも晴れが多ければこう呼ばれません。


さて、今回わたしは招待客用入場券をいただいたので、
一人で行動したのですが、最近の異常な「早乗り」が習い性となったのか、
4時台に家を出ずにはいられず(笑)6時半にはすでに現地におりました。

去年招待券を持っていたら正門の脇の小さな門から別に入れたので
どうしようかなと思っていたのですが、今年は稲荷山門で待つ人が
去年の推定3分の1以下になっていたので、結局皆と一緒に入りました。

招待者用のテントに行くと、そこでレセプションに参加か否か聞かれ、
参加するのなら三千円也を支払って胸にリボンをつけてもらいます。

「このリボンが無くなったらスタンド席には入れませんので」

念を押されて、エスコートの自衛官に招待席まで連れて行ってもらい
まだ選び放題のシートに落ち着きました。



今回はスタンド最上階に座ってみました。

前に並んでいるC-1の前で取材用の撮影を行っています。
今日のプログラムに空挺部隊の降下があるのですが、
第一空挺団の隊員とそれを輸送するC-1の機長がガッチリ握手、の構図。

陸空の広報が付き添っていますね。

招待席は椅子に座れるのでシートを広げることもできない
エプロンに比べるともう天国のようなのですが、
(招待券くれた方、心から感謝しております)
ただ、ブルーインパルスの地上での様子は全くわかりません。

 ウォークダウンなど気配さえもわからないくらい遠くです。

整備中のT-4の向こうのCH-47Jが展示準備中。
ノーズの先にある赤い大きなバケツにご注目。



U125Aが一番に離陸を始めました。



T-4のクルーが登場してキャノピーを閉じています。



最初はCHの模擬消火展示でした。
先ほどの大きな赤いバケツを空輸しています。
U125Aが消火する場所を偵察して指示します。



バケツがひっくり返っていないのにどうして放水しているのか
仕組みが説明されないのでわかりませんでしたが、もしかして
原子力事故の際福島で陸自のCHがやらされたあれと同じ方法では・・・。

かなりの水量(たしか18トンとか)なのにそう見えません。



後ろを向いたチヌークの後部が開いていて人の姿が見えます。
バケツを監視する人?



救難展示、続いてはUH60J。
それはそうと、向こうのビルの屋上に見物人がたくさん・・。
これは絶好の見物ポイントですね。

今マップで調べてみたらここには狭山区役所が・・・。



空自ではどう言っているのか知りませんが、陸自でいうところの
リペリング降下をした隊員が、引き揚げ用の担架に人を乗せ、
自分も一緒に引き揚げてもらうの図。



担架を先に収納してから引き揚げてもらいます。



最後にお辞儀をして退場しました。
礼儀正しいロクマルさん(UH-60Jの愛称)です。



離陸前のひととき。
機体の整備をするクルーの紹介も行われ、整備機体には
整備する係の名前が書かれることも説明していました。

入間に最初に来た時にはパイロットの名前だと思っていて
読者の皆さんに教えてもらったりしたものです。



あれー?なんか見慣れないT-4がいる・・。

現地でも説明していましたが、この1機は「レッドドルフィン」仕様といい、
もともとは芦屋基地第13飛行教育団の機体だったものです。

第13飛行教育団のT-4の定数がカリキュラムの変更で削減され、
浜松基地第1航空団にそのうちの何機かが移動したのですが、
塗装を変えなかったので、通常塗装とレッドドルフィンが混在した状態なんだとか。



こちら通常塗装の浜松基地第1航空団機。
パイロットが手を振ってくれています。



こちらは後席のクルーが両手を振ってご挨拶。
T-4部隊の紹介に、たしか

「経験を積んだツワモノです」

みたいな台詞があったのですが、皆ベテランなんですよね。



CHの搭乗員を乗せた車が到着。
一番愛想よく観客に手を振っていた人。



こういうシーンが見られるから航空祭は好きです。



搭乗前の各種打ち合わせも和やかに。



こちらにも敬礼している未来の女子自衛官。



いよいよ離陸が始まりました。
まずは2機が同時にテイクオフ。
669のパイロットは646の方を見ているようですね。



完全にシンクロしていて1機にしか見えません。



レッドドルフィンも発進。



赤の塗装を施しているのは、通常のT-4が尾翼の先端に
視認しやすい蛍光色の赤を塗っているように、視認性のため。

T-4は練習機なので、視認性第一なのです。



最初は4機編隊での飛行。



そのときエプロンを空自制服の一団が通り過ぎました。
中に美人な隊員がいる気がする・・・。



T-4演技中ですが、C-1がタキシングを始めました。
結構煙がたつもんですね。



この角度から見るとこの飛行機は猛禽類そっくりです。
体は大きいですが、駆動性にも優れているのです。



こちらラストの〆に入ったTー4軍団。
1機ずつひらりひらりと垂直降下していきます。



そのとき一瞬ですが機体は斜め上を向いた状態になります。



そして演技を終わって帰ってきたT-4。



結構長い間後輪だけで滑走路を走ります。
お疲れさま〜。



続いてはC-1。



わたしがよくこんなものが空を飛ぶなあ、と思う飛行機ナンバーワン。
しかも結構これで身軽だっていうね・・・。



なぜかいつもC-1と行動を共にする U-4も離陸。
全然同じジャンルの飛行機?と思えないんですが、
この理由をどなたかご存知のかたおられますか。



そのとき滑走路向こうをオイルタンクを積んだトラックが通りました。
あっ、「ブルーインパルス」って書いてある!



C-1が全機飛び立ち、どこか海の上で編隊を組んで
もう一度入間上空に帰ってくるまで結構な時間が必要でした。
というわけで、その間エプロンではミス航空祭の皆さんがまず
一人ずつご挨拶をしたようです。

ようです、というのは、わたくしこのしばらくの間
猛烈な眠気に勝てずに目を閉じて仮眠を取っていたものですから・・。

ちなみにこのミス航空祭は、この中からさらに「ミス」「準ミス」
を選んだりするわけではありません。
賞金が出るとか水着審査があるとかそういう殺伐としたものでもなく、
いかにも空自らしい華やかなイベントとして地元に親しまれているようです。



とかなんとかやっていたら、C-1の編隊飛行、キター。
あの大きな機体のC-1がこんな編隊を組んで・・・・。



壮観です。



横から見たC-1、何かに似ていると長年思っていたのですが、
あれですよ、あれ、お座敷芸の「シャチホコ」。

参考画像



にてねーよ!ちう声も聞こえますがあくまでも個人的な感想です。

続いてC-1からの空挺降下が行われます。
まずお試し降下として一名だけ。



普通降下で用いられるゴールドの傘での降下です。



地上では落下目標と風向きを示すためにスモークが焚かれています。
見事そのスモークの真ん中に着地。

スモークの向こうにはちゃんと消防車も待機しているという。



続いては10人くらいが降下を行いました。
まず最初の人。



飛び降りるときには両手を胸で組むようです。



続いて二人目。

何回飛び降りてもこの瞬間は怖いだろうなあ・・。



10個の傘が開いているところに、別のC-1が低空飛行でやってきました。

「あぶなーい!」

「低すぎるよ、低すぎる」

「傘にぶつかったらどうするの」

皆口々に心配していましたが、実はかなり向こうを飛んでいます。
ブルーインパルスのすれ違い演技と同じで目の錯覚を利用しているんですね。



鈍重な体型のC-1の中をツバメのようにスイスイと飛んでいる
(ようにみえる)U-4。
要人の輸送に使われることも多い飛行機です。



しかし何を思ったか(笑)垂直になってみせたりするC-1。
君らの見かけによらない軽快な駆動力はようわかった。



はりきってこんなこともしてくれます。
これ、中に乗っているパイロット以外の人ってどうなってるんだろう・・。



演技を終えて帰ってきたC-1。
皆普通にランディング後の滑走を行いましたが・・・、



最後の1機が着地して短い距離で滑走を止めてしまう技を披露。

「どんな狭い飛行場でも着陸することができます」



そして全機でタキシングしつつ元の場所に移動していくC-1。
それにしてもこの轟音の中電話するのは無茶な気がするがどうか。


続く。



 


ブルーインパルスと序曲「1812」〜平成28年度 自衛隊記念日観閲式

2016-11-03 | 自衛隊

一つのイベントについてあまり細々話をしていると、
秋のイベントシーズン、次から次へと話をすることが増えてしまい、
エントリの掲載に支障をきたすことがわかってきました。

というわけで、今日は陸自主催の観閲式について
最後までお話ししてしまおうと思います。

車両行進のあとのプログラムにはただ「展示飛行」とだけ書いてありました。
展示飛行と観閲飛行の違いってなんなんだろう、
と思っていたら、こちらはなんと、ブッルーインパルスの演技だったのです。



前回も前々回も予定すらされていませんでしたし、
今回ブルーが来るという予告にも全く気づかなかったので、
(そもそもプログラムに書いていない)
6機の「ドルフィン」が会場に飛来した時にはちょっと驚きでした。





いきなり2番目のプログラムにスランテッド・ハートきました。

 

水平のハートにはキューピッドの矢は刺さりません。
まあ、総理大臣観閲ということで堅くいったのでしょう。

ブルーの演技はNikon1で撮っていましたが、
ハートを描くために飛行機が離れだしたのでコンデジに持ち替えました。



続いてファンブレイク。



あまり覚えていませんが、ロールしながら飛んでいた気がします。

演技の間にクルーの紹介が行われていました。
防大が一人、一般大が二人、あとは航空学校卒でした。
隊長が日本体育大学出身とアナウンスされたとき、まわりから

「ほおおおー」

といった声にならない声が上がったのがなんかおかしかったです。
ちなみにもう一人の一般大出身者は明治でした。


 
この日も演技について説明のナレーションが行われていましたが、
それはクルーになって1年目の隊員が担当すると決まっているそうです。

ブルーインパルスの任期はわずか3年と決まっており、最初の1年は
訓練待機(TR)という立場で任務を習得する立場にあります。




レベルオープナーが本日の「締め」でした。



そういえば今日11月3日は入間航空祭ですね。



ブルーインパルスの展示飛行そのものも観閲式の「トリ」でした。
これをもってプログラムは終了。

まず儀仗隊が観閲大の前に整列します。



安倍総理はシルクハットを左胸に当て、稲田防衛相は
右手を左胸に当てる姿勢で降納を見守ります。


 
国旗降下は君が代で行い、儀仗隊とともに喇叭で退場します。
この前に観閲官はじめ来賓は車とバスで退場。
安倍首相の車には手が振られ、「安倍さーん」という声もかかりました。
スモークガラス越しに手を振っている首相が確認できました。



さて、ここからは観客を一気に帰らせないため(たぶん)、
しばらくの間エンターテインメントが行われます。
まずは高騰工科学校の儀仗隊によるファンシードリル演技。



高等工科学校は前述したように

「陸上自衛隊少年工科学校」

から2010年に改編になりこの名称に変わりました。
2回前の陸自主催の観閲式のころ、わたしは

「観閲式に行きたいけどどこに頼めば行けるのかしら」

などと他人事のようにここに書いた覚えがありますが、
(あれからもう6年経つんですね)
その年の3月にこの改編が行われ、民主党政権下で行われた
あの最初で最後の()観閲式においては、「高等工科学校」として
初めて朝霞を行進したと言うことになります。



かつて彼らの身分は「自衛官」とされていましたが、
改編時に防大生と並び「自衛隊員」になりました。

「自衛官」と「自衛隊員」が同じものだと思っていた方はおられませんか?

簡単に言うと自衛官は制服を着ている「武官」、
自衛隊員は防衛事務次官などの官僚や一般事務官・技官(いわゆる背広組)等、
自衛官候補生、即応予備自衛官、予備自衛官、予備自衛官補のことです。

ここに防衛大学校学生、防衛医科大学校学生、そして彼ら、
陸上自衛隊高等工科学校生徒及び非常勤職員も含まれるということになります。

つまり改編前、彼らはいわゆる「制服組」とされていたことになります。



「陸上自衛隊」と頭についているので、卒業したら自動的に
彼らは「陸曹」の身分が与えられるわけですが、防大に入ったり、
あるいは航空学生になることで、海上、航空自衛官に進路変更することもできます。

 

防大とおなじくクラブ活動は必須です。
ここでドリル演技をしているのは「ドリルクラブ」の生徒たち。
ドリル部を含むロボット研究部・吹奏楽部・和太鼓部のことは
「特定クラブ」といい、このいずれかに属していればこれだけに専念できますが、
これ以外のクラブに属する場合は、体育クラブと文化クラブ二つを
掛け持ちしなければならないという規則があるのだそうです。



皆さんお上手で最後までほぼノーミスの演技でした。
ほぼ、というのは一番最後に一人が銃を落としかけたのですが、
ちゃんとフォローして無事にリカバーしたからです。

その生徒には皆の温かい拍手が送られました。



お上手!



敬礼しながら銃ぐるぐる回しをなんと全員で。



続いては自衛太鼓の演舞です。
朝霞振武太鼓以外にも「アルプス太鼓」が松本駐屯地から見参。

 

黄緑に赤いラインが自衛隊音楽まつりでも印象的。
北富士天王太鼓。
陸自北富士駐屯地は山梨県の文字通り富士山の北に位置し、
総火演でもおなじみ第1特科隊を擁します。




音楽まつりでは武道館全体が太鼓の振動で地鳴りをおこすほどです。



どんな瞬間を写真に撮っても皆のポーズが異様に決まっています。



この腕の筋肉を観よ。
きっと腹筋なんかもバキバキに割れてたりするんだろうなあ。



さて、いよいよ演目最後は陸自音楽隊合同演奏。

「チャイコフスキー作曲、序曲『1812年』です」

と曲目がアナウンスされた途端、知り合いのいる黄色席に座っていたわたし、
脱兎のごとく最上段に駆け上ってカメラのモードをビデオにしました。



ナポレオン軍をロシア軍がやっつけていく様を表し、
チャイコフスキーがその譜面に実際の大砲を指示しているこの曲。
ときおり陸自では音楽隊と120迫撃砲のコラボをやっています。

 

実際に自分がこの演奏に立ち会えるとは夢にも思っていませんでした。

 

動画を撮りながらのシャッターなのであまりいい画質ではありませんが、
砲火の瞬間が撮れました。

[HD] 1812 Overture - Tchaikovsky - with JGSDF 105mm Cannons 2010


大砲出演の部分だけ抜粋した映像が見つかりましたのでどうぞ。
砲員たちの動きがとにかくかっこよくて思わず見入ってしまいました。



続く。

 


表彰式と懇親会(と愚直たれコンテスト)〜自衛隊記念日式典

2016-11-02 | 自衛隊

さて、というわけで自衛隊記念日の式典が始まりました。



まずは起立して国家斉唱。
このときに伴奏を行ったのはもちろん呉音楽隊ですが、
最初に呉地方総監が式辞の際こう述べられました。

「先日薨去された三笠宮崇仁親王に哀悼の意を捧げ、
本日の音楽演奏は国家斉唱だけにさせていただきます」

本来はその他の場面にも予定されていた音楽演奏は
「自粛」という扱いになった模様です。

そういえば、昭和天皇崩御の際にはその前後を通じ、
歌舞音曲の類を自粛するという空気が日本を覆った覚えがあります。



池太郎呉地方総監は最初に親王殿下に対する弔意を表し、
続いて海上自衛隊と三笠宮家との繋がりについて説明されました。

前にも一度書いたことがありますが、海自は練習艦隊の新幹部たちの
マナー講習をを昭和44年から三笠宮殿下から賜り、
平成になってからは親王殿下の孫にあたる遥子女王殿下、彬子女王殿下が
跡を引き継がれて現在に至るという深い関係を持っています。

それ以外にも両女王殿下には基地での行事へのご来臨、
ならびに講演を賜ることもあったということでした。

呉地方総監は、このあと、

◯呉地方総監部は鎮守府時代から121年の間、地元の人々とともにあった

◯近年様々な防衛論議がなされている状況であるが、その中においても
自衛隊は国民の期待と負託に応えるべく努力していかねばならない

◯わが国を取り巻く厳しい情勢の中、海上防衛を全うするためには
隊員一人ひとりが各自に与えられた任務を愚直に完遂していくことが不可欠である

と挨拶されました。
この「愚直たれ」は池新総監の座右の銘であり、当ブログでも
一度紹介させていただいたことがあります。

◯草鹿任一は兵学校生徒を前にこういった
「軍人として職責のために絶対必要なものは何か
心に嘘偽りがあって迷いがあれば戦いに勝つことはできない」
「海軍の敢闘精神とは真の正直であることである
正直者こそが真のリーダーになる」

◯愚直さとは草鹿中将のいう”真の正直さ”に相当する
生の保存という本能にすら打ち克ち、任務を全うせんとするならば
それはこの愚直さあってこそ可能である。

◯諸君とともに任務遂行のために愚直さを追求していく所存である





来賓の挨拶は政治家が三名続きます。
まず寺田稔衆議院議員。
見るからに官僚タイプだなあと思ったらやっぱりそうでした。

財務官僚時代には大和ミュージアムの創設に尽力しています。



宇都隆史議員はもうお馴染みです。(わたし的に)
ご存知のように宇都議員は航空自衛官出身。
外地でのご遺骨収集に関わる法制の整備に奔走したことについて
ある会合でお話しした時に、国民の一人として
わたしは直接お礼を申し上げたことがあります。

参院選当選後初めてお会いしたので、この日は
まず当選おめでとうございますと挨拶したところ、

「この度外交防衛委員長に就任いたしまして」

と嬉しそうに新しい名刺をくださいました。



森本信治議員は民進党の参議院議員です。

「民進党議員は一人しか慰霊式に出席しなかった」

と書きましたが、昨日の慰霊式に野党議員がどれくらいいたのか、
わたしはよくわかりません。

「法務大臣とは良いですね。二つ覚えときゃ良いんですから。
”個別の事案についてはお答えを差し控えます”
”法と証拠に基づいて適切にやっております”まあ、何回使ったことか」

という発言で有名になった柳田稔が慰霊式の弔電披露で名前を呼ばれていたので、
たとえどんな主義主張の人間にも招待状は出すんだなとは思いましたが、
この日民進党の議員が実際に出席していたのには少し驚きました。
挨拶の内容は忘れましたが、そんな変なことは言っていなかった気もします。

ただ、選択的夫婦別姓制度を熱心に推し進めていたり、
蓮舫や社会民主党党首の吉田忠智と連名で、集団的自衛権の行使容認を

支持しないようオバマ大統領に求める文書を在日米大使館に提出したり、
という人がここにいるとはねえ、と多少不思議な気はしましたが。

 

自衛隊記念日の主な行事は、自衛隊に貢献した
民間人に感謝状を贈呈することです。

この日表彰されたのは6名の方々。
賞状と盾を呉地方総監から授与されたあとは
こうやって全員が地方総監と並んで写真を撮ります。



功労の内容はいろいろで、例えばこの方は
元アナウンサーで、自衛隊員に「話し方講座」を行ったとか。

他にはJMUの人事で退職隊員を多く受け入れてくれた、とか。



こちらの女性の感謝状には、

「特に呉基地業務隊において休日や課業時間外も厭わず
四十四年の永きにわたって理髪店を営業され、当地区で勤務する
隊員の清潔なみだしなみの堅持と部隊全体の威容の保持に
寄与されるとともに、広島東洋カープに関する話題を通じて 
隊員間の融和保持に多大なる貢献をされました。

自衛隊記念日にあたりここに深く感謝の意を表します。」

とあります。
奇しくもこの日、ペナントレースを制した広島東洋カープは
日本ハムと日本シリーズの第1戦目に入ろうとしていました。

わたしは野球の動静については全く認識をしていなかったので、
カープが優勝したことも空港のポスターで知ったのですが。

カープはともかく、懇親会でこの方とお話ししましたが、
80歳になったら引退する、とおっしゃっていました。

新入隊員の時に頭を刈ってもらったたくさんの自衛官が
退官の時にもまだこの「理髪店のおばちゃん」は
現役で仕事をしていた(している)ということになります。



記念式典のあとは、懇親会のために講堂に移動しました。

わたしはただの一般人ですが偉い人の皮を被っていたため、
こんな上座に名札が置かれていて恐縮しました。
家に帰ってTOに

「右側が陸自の総監代理で左が検事正だったんだよ〜」

というと、

「検事正wwwwあんた一体何様www」

と爆笑されました。



しかしあちらもこちらも広くて立派な建物があるもんですね。
その広い会場を埋め尽くす招待客。

40代くらいの女性の一団がいたのでなんだろうと思ったら
みなさん防衛モニターの名札をつけていました。
なるほど、防衛モニターになるとこういうご招待があるんですね。



海上自衛隊のパーティというとかならず出現するのが舟盛り。
鯛のお頭が二匹も直立しております。

懇親会の最初に池総監が呉地方隊の先任伍長を紹介しました。



皆代わる代わる台の上に立ち、自分の関わる任務についての説明を行いました。

給油だけを行う基地で任務をこなしていたり、
エルキャックなどの整備を専門に行う部署での任務だったり。
巨大な自衛隊という組織が動いていくためには、
一般の目に触れないあらゆる部門にわたって、
その専門分野で力を尽くす自衛官の努力が必要なのです



左端の女性は、呉地方隊の女性海曹の最高位。
左腕のマークが「洗濯板」だー。



本日の懇親会に出された美味しいお料理を作った料理人も、
こうやってちゃんと紹介されます。

潜水艦隊で出している焼きそばを作った、と紹介されている人もいましたし、
たしか一番右の隊員はカレーを監修された方。
 


「海軍カレーが出てますよ、行きましょう」

同行の方にこう誘われて(海軍じゃないし)まだ誰もいないうちに
早速一皿いただいてみました。

 

にかくジャガイモの多さが印象的だった中辛のカレー。
大盤振る舞いで大変量が多く、これを食べきったら
あとはお刺身くらいしか食べられませんでした。



最後に挨拶された方は

「とにかく今海上自衛隊は隊員の募集に苦労している。
皆様もどうかご留意の上ご協力をお願いしたい」

ということを力一杯おっしゃっていました。 
そうじゃないかとは思ってましたが本当にそうなんですね・・。



ところで、「愚直たれ」をモットーとして就任した新呉地方総監。

今回わたしは自衛隊のHPに「愚直たれコンテスト」なるものをみつけました。

指導方針を広く告知しあまねく隊員に浸透させるための試みです。
てっきり「自分の愚直エピソード」を競い合う企画かと思ったら、

愚直たれコンテスト

・・・そっちかい。 

「厳正な選考」を行っている会議の真剣な様子がじわじわきます。
いやー、味見してみたいですねえ。「愚直タレ」。 

ちなみに結果発表。
「愚直大賞」ラベル部門とレシピ部門の表彰式の様子です。

愚直たれコンテスト結果発表&表彰式




潜水艦と赤煉瓦〜自衛隊記念行事 記念式典

2016-11-01 | 自衛隊

殉職者追悼式の日は朝から雨模様でした。
空港からのバスの車中、だんだん強くなる雨足を見ながら
心配していたのですが、地方総監部に到着する頃には雨は上がり、
式典の間は一粒も降らず、
閉会となり、皆が席を立つと同時にまた降り出すといった具合。

またもや「わたしが中国地方に来るとは必ず雨」という

ありがたくないジンクスに悄然としていたのですが、
前回の進水式も今回も、結果式典に傘は不要となり、翌日の記念式典には
綺麗な秋晴れとなったのを見て、

「もしかしたら新呉地方総監は強烈な晴れ男かもしれない」

と思ったわたしです。


当日の朝、同じ地球防衛協会系(仮名)の方にホテルまで
車で迎えに来ていただき、少し時間が早かったので
皆で潜水艦でも観に行こう、ということになりました。



綺麗に晴れて海の色が朝独特の深い色をみせる呉港。
いつ見ても、何時間見ていても飽きないこの景色です。
わーい、潜水艦だー!



「男たちの大和」のロケ地にもなった?潜水艦桟橋の門。



新型の潜水艦がいました!



今は使われていないブイもなにかいわくありげ・・。



補給艦「とわだ」がいます。

2013年には台風の被害を受けたフィリピンにここから出航し、
輸送艦「おおすみ」と護衛艦「いせ」への給油などを担当し、
レイテ湾では救援物資輸送や医療、防疫活動を実施しました。

洋上給油を行うためのブームと黒い蛇管がここからも見えます。



こちらは音響測定艦「はりま」。
「ひびき」とともに「灘」の名前を与えられたこの艦種は、
同じ海自の隊員からも「いつもどこで何をやっているのかわからない」
と言われるくらい謎に包まれているそうです。

それもそのはず、音響測定艦の「敵」は潜水艦。
ケーブルで監視用曳航アレイ・ソナー(SURTASS)を曳航し、
人間の「指紋」にあたる潜水艦の「音紋」を採取して

データベース化しているのですから、特に中国海軍にとっては
「一番嫌な船」ということになるのかもしれません。

潜水艦というのも、その実態は厳密に秘匿されているものですが、
潜水艦に対峙するのがお仕事なのですから、さらに音響測定艦は
秘密のベールを何重にもかけて情報を遮断されているのだそうです。

一般公開はもちろん、観艦式などにも決して参加しません。




同行者の誰もこれが何のための艦かすらわからなかった艦番号483。
調べてみてびっくり、敷設艦「むろと」でした。

敷設艦などという艦種が未だにあるとは全然知りませんでした。
敷設艦、というとどうしても日露戦争の時に海底ケーブルを敷設して
殊勲賞をもらった「沖縄丸」のことを思い浮かべてしまいますね。

いま検索したところ、児玉源太郎の海底ケーブル敷設について
まとめて書いたのは不肖当ブログだけだったようで、
改めて読んだら我ながら内容に感心してしまったので(笑)再掲しておきます。

「児玉ケーブル」と「光海底ケーブル」



しかもこちらも「はりま」同様、その実態については
何も公表されておらず、「謎の船」なのだそうです。

つまりここは潜水艦始め、秘匿性の高い艦船をまとめてあるってことらしいですね。



アレイからすこじまのある港は、呉海軍墓地を抱く住宅街の連なる
屏風のような斜面から一望できるのですが、(造船ドックも見下ろせる)

「あのへんの家には中国人が住み着いてるんじゃないの」

と同行者の一人が言い出し、皆眉をひそめて頷きました。
横須賀の海自基地を見下ろす高層マンションを中国人がどんどん買っている、
という話も聞いたことがありますが、なんとかならないんでしょうか。

「何か理由つけて制限すればいいのに」

昔は呉も横須賀も地図に載らず、住居はもちろん立ち入りさえも制限されていたそうです。

同行のおじさまたちは、さらにここにあった観光案内の看板に、
中国語とハングルが書かれているのに甚くお怒りで、

「こんなもんなくてよろしい」

「日本語が読めないんだったら英語を読めばいい、目障りだ」

とそれを指差してぶつくさ言っておられました。
わたしも、あのおでんみたいな象形文字が日本語と同じ大きさで
まるでこの国の言葉のように併記されている看板などを見ると、


「なんで少数旅行者のためにここまでしなきゃいけないんだ」

とうっすらと不愉快になることがあるのでその気持ちはよくわかりますが。




潜水艦基地には道向かいの潜水艦隊から歩道橋を通って
外に出ることなく隊員が岸壁にたどり着けるようになっています。

鉄の門扉は常に閉ざされ、何人たりとも近づくことができないよう
潜水艦の前では警衛がいつも見張りをしています。

もちろんこの鉄条網によって夜間こっそり忍び込むことも不可能です。



見ていたら潜水艦の向こうに水煙が上がっているのが確認できました。

「見に行っていいですか」

皆さんに断って、何をしているのか正面に移動してみました。
これは朝の始業点検みたいなものですかね?
水煙だけでなくよく見るとずいぶん水を吹き出しているように見えます。




岸壁に沿って散歩道が敷かれ、ここが呉市の整備する
観光スポット的な扱いとなっているのは、いまだにこのような
昔のレンガ倉庫や工廠だった建物が残っているからです。



この建物の横にはコンビニがありましたが、そこから建物側面を見ると、
爆撃を防ぐために窓ガラスを外して塗りつぶしてしまったらしい跡。

レンガの隙間から草が生えている様子に、古い建築物フェチのわたしは
もう陶酔してしまいました。



レンガの建物といえば、呉地方総監部で行われた慰霊式のため
上から入場して坂を下っていったところにこんなレンガ棟があります。

あせって移動しながらも機密に抵触しなさそうなこういう場所を
歩きながら素早くシャッターを切っておきました。
クーラーもありますし、これどう見てもまだ現役ですね。



そしてガラスの歪みから、これらはまず間違いなく
戦前から呉鎮守府として機能していた海軍の建物でしょう。

本当は感激している場合ではなかったのですが、
とりあえずこのようなものを見られたのは間違いも怪我の功名でした。

一応自衛隊内部なので、建物の後ろに写っていた構造物は
Photoshopで綺麗に消しておきました。 
初心者なのであんまり上手くないですがお許しを。




昔地下防空壕につながっていたのかもしれません。
そういえば、慰霊式のとき、儀仗隊は会場横の防空壕みたいなところから
いきなり出てきたのでちょっと驚きました。

奥が地下3階くらいの秘密基地の入り口になってたりして・・・。



もう一つついでに呉基地内から撮った呉港。
昔ここに「さみだれ」を見に来たことがありますが、そのときには
ここに泊まっているのは掃海艇だと思っていました。
いまなら一目でこれらが支援船であることがわかりますが。 

ちなみにここに見えているのは

水中処分母船(YDT04)

EOD、つまり水中処分隊の輸送と作業支援を行う船。

曳船(YT65とYT73)

自走重油船 25型 ( YO44)


アレイからすこじまの道を隔てて向かいのコンビニには
呉土産が置いてあります。
同行の方はここでお土産を買い込んでおられました。

さすがに潜水艦基地の前だけあって、

潜れ!ぼくらの潜水艦ケーキ

なる自衛隊みやげがあります。
レモンケーキだそうですが、シェイプが潜水艦の形をしていたら
大変評価できると思います。
「!」がよく見ると潜望鏡の形をしているのと、
商品名の「潜れ!」がなんかじわじわきますね。



その横にあったこの商品、「近大マンゴーのぷっちょ」。
わけがわからなくて後ろを読んでみたら、このマンゴー、
近畿大学附属農場湯浅農場で栽培されたもので、デパートなどに流通しています。

平成4年から主に、関西の百貨店を中心に販売されていて、今年で25年目。
毎年、同大学農学部農業生産科学科、バイオサイエンス学科や
応用生命化学科の学生たちが農場実習の一環として、栽培・収穫に携わっています。
今回も約100人の学生がこの"近大マンゴー"を作り上げたということです。

ちなみにお値段は一個3〜7000円だそうで・・・・高っ。

カリフォルニアじゃ一個1ドルからせいぜい2ドル台ですぜ。



さて、そんなこんなですっかり満足したわたしたちは
本日の会場である呉教育隊に向かいました。

車の方は前もって駐車票を取っておられたので、
ダッシュボードを確認しただけでノーチェックで中に入れました。


この中に入るのは二度目ですが、そういえばその時も
ここ呉は結構激しい雨だったんだわ。
そのずいぶん後の呉地方総監表敬訪問の時も雨。
「いせ」で行われた戦艦「伊勢」慰霊式も見事に雨。
「ふゆづき」の引渡し式はむちゃくちゃ雨。(全部別の日)

やっぱり「わたし+中国地方=雨」であり、前回今回の
後半の晴れは、式典でも「晴れ男」だといわれていた呉地方総監の
パワーがそれに打ち勝った結果なのでは、と真剣に思えてきました。



会場はこの体育館です。
テントで受付をすると、名札をもらえますが、その裏には
式典会場での席がちゃんと記されていました。



土足で全員が上がれるようにシートを敷き詰めています。



整然と並べられたパイプ椅子はにはそれぞれ番号が振ってあります。
偉い人順に前からきっちりと全員の席次が決まっており、
こういう準備を遺漏なく行うことはさぞかし大変なことだろうと感心しました。



自分の席を探しながら後ろから歩いて行ったら、
なんと、結局こんな前に来てしまいました。
これは断じてわたし自身が偉いからこうなったのではありません。

いろいろと事情があって、今回、「偉い人の代理」という立場で
出席することになってしまったというだけのことなのですが、
その偉い人が半端でなく偉い人だったので、結果として前後左右、
政治家やら各界のトップやらのおじさま方に囲まれてしまい・・。



そうこうするうちに呉音楽隊がスタンバイを始めます。

さて、こんな身分不相応な扱いを受けることになった自衛隊記念日式典(笑)
どんな出来事が待ち受けているのでしょうか。


続く。