ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

千本桜〜令和元年度 自衛隊音楽まつり

2019-12-09 | 音楽

在日米陸軍軍楽隊と海兵隊音楽隊のステージが終了しました。
ここで「トラディション-伝統と伝承の響き」と銘打った第一章は
フィナーレを迎えることになりました。

トランペットのソロで幕開けです。

「ラーラーソーソーラソソミー レードレドレドミソ〜」

というフレーズ、聴いたことあるようなないような。

二方向あるエンドの片側には今演奏を終えたばかりの海兵隊が。

反対側には米陸軍音楽隊が。
軽快なラテンのリズムに乗って第一楽章に出演した
全音楽隊が演奏を行うようです。

その間海兵隊ボーカルが見かけによらない軽快なダンスをして
わたしの周りのおばさま方に大いにウケていました。

脚の動かし方が実に独特です。

全部隊がステージに上がったところで、躍りまくっていた彼は
中央に全力ダッシュを始めました。

中央で先ほどクィーンメドレーでフレディの歌を熱唱した
陸軍軍楽隊の歌手とガッチリ握手。

抱き合っている時もあり、その時の空気で何をするか決まるようです。

陸軍と海兵隊二人の指揮者が指揮をしています。
同じゲストバンドとしておいでいただくうえ、階級も同じ上級准尉の
指揮者、あちらを立てればこちらが立たずになるため、(たぶん)
自衛隊としては苦し紛れに二人を指揮台に立てることにしたのだと思います。

海兵隊と陸軍が仲が悪いという話は特に聞きませんが、
だからといってこういうことが遺恨になってもいけないからですね。
完璧に想像で言ってますけど、普通に考えて指揮が並んで二人なんて
全く音楽的に無意味だし、そんなこと以外理由がほかに考えられません。

指揮者が二人ならボーカルも公平に二人、ツインボーカルです。

リッキー・マーチンの「The Cup Of Life」が始まりました。

ここでボーカルを二人にした理由もおそらく指揮者のと同じ。(たぶん)

ここでの歌唱は正直二人ともプロレベルとまではいかないものでしたが、
勢いで行ってしまう感じと、ハモっていたのはよかったです。

ボーカルが歌う間にも人が出てきてはハイファイブしたりして、
全軍友好をアピールするのが本パートに課せられたミッションである模様。

ちなみにこれをする役は決まっているらしく、毎回同じ組み合わせでした。

ソロパートも公平に陸自と海自のトランペット一人ずつが出て、
アドリブ対決?のあとやはりハイファイブでお互い健闘を称え合います。

旧軍時代にこんなイベント、せめてアメリカのように士官学校同士の
スポーツ交流(という名の代理戦争)でもあったら、勝てないまでも
本物の戦争の方はう少しいい線いったのではないかと(略)

♫Here we go  Ale, ale, ale

♫Go, go, go  Ale, ale, ale

というサビの部分が一度聴いたら(耳について)忘れられないこの曲ですが、
タイトルの「カップ」というのはコーヒーカップのことではなく、
優勝カップの方の意味のようですね。

つまりタイトルの意味は「人生の優勝杯」ってことです。

 

米陸軍のピッコロ奏者に美人さん発見ー!
アメリカ人って一般に、この人痩せてたらきれいなのにもったいない、
という人がとても多いのですが、軍人は仕事量が多く滅多に太らないので、
きれいな人がきれいなままで保存されやすい職場の一つではないかと思ったり。

アドリブ対決をするとき、周りには人が集まって応援します。
ソロを演奏する人はピンマイクを搭載していますね。

これが本当の音楽まつりです。

出演部隊の正面がどちらからも見えるように、二手に分かれてのエンディングです。

皆、ちゃんと指揮者を見て演奏していますね。

「カップ・オブ・ライフ」は、1998年FIFAワールドカップ
フランス大会の公式曲で、スペイン語の「La Copa de la Vida」
を英訳したものです。

二人の指揮者、と先ほど書きましたが、本ステージには
実はもう一人、東京音楽隊の野沢副隊長も後ろで指揮をしていました。
つまりトリプルコンダクターだったことになります。

しかし野沢副隊長は後方の指揮を受け持っていたため、
音楽進行上必要不可欠な場所にいたと言えるでしょう。

武道館より広いここ代々木競技場では、よくみるといろんなところに指揮がいて
マーチングでどんな方向を向いても棒が見えるようになっており、
ライトに照らされる演奏者のために、小さなライトを振っていました。

容れ物が変わると、こういう工夫にも若干の変化が生じてくるようです。

さて、ここからは第二章に突入します。

イクスパンションー広がりの響きー

と題されたステージのトップは、陸上自衛隊北部方面音楽隊

1952年(昭和27年)、前身となる警察予備隊第二管区音楽隊として
札幌に発足し、札幌オリンピックでは中心的音楽隊として活躍しました。

映画「ベン・ハー」より

Parade of the Charioteers(御者たちのパレード)

 

音楽まつりを見ていない方はぜひ最初のところだけでも聴いて欲しいのですが、
この「御者たちの行進」、まるっきり和風の曲調ですよね?

この曲を演奏しながら同隊が行進を始めたとき、わたしは
(プログラムを見ていなかったので)大河ドラマのテーマかと思いました(笑)

勇壮な「ベン・ハー」の勝利のパレードの曲が終わると、
6名のサクソフォーン奏者によって「千本桜」のサビが演奏されました。

次の瞬間、同隊隊員による超絶ボイスパーカッションが始まり、
会場はそのインパクトに大きくどよめきました。

ボイスパーカッションは実は「ボイパ」(笑)などといわれて
けっこうメジャーなものなのですが、文字通り声のドラム、
「マウスドラムス」、「口三味線」ということもあります。

マイケル・ジャクソンなどもときどきやっていましたが、
今ではボイスパーカッションのやり方などがネット上で出回るなど、

静かな広がり?を見せているこのジャンル。

いやしかし、まさか自衛隊音楽まつりで聴けるとは思ってなかったわ(笑)

「♫ 少年少女 戦国無双」

という全く意味不明の歌詞の部分を演奏するのもサックス6名。

この「千本桜」は、ボーカロイドの初音ミクが歌って
インターネット空間で広がりを見せた曲です。

作曲したのも同人音楽グループだったり、歌詞が意味不明で
内容も耽美主義というより厨二病的なのがいかにもですが、
わたしは、メロディと「和楽器バンド」の演奏をちょっといいなと思ったとき
ふとしたはずみと勢いで携帯の待ち受けにこれを入れてしまいました。

後悔はしていませんが、そろそろ変えるべきと思いながらも
忙しいのと変え方を検索するのが面倒なのでそのままです。

もし巷でこのサビ部分の待ち受けを鳴らしている人がいたら、
それはわたしかもしれません。

なぜ同隊がボイスパーカッションをフィーチャーしたかについて、

「飲み会のカラオケで披露してたら、『お前次これやれよ』とかいわれて
正式に演奏者としてやることになったんじゃないでしょうか」

わたしは同行者とそんな会話をしました。

口だけで千本桜 / Human Orchestra 2

「千本桜」をご存知ない方のために。
この人は何から何まで一人でやってしまっています。

「千本桜」が終わると、お仕事終了ですたすたまっすぐ歩いて行く
「ボイパ」奏者。

どこに行くんだろう、と目で追っていたら、後方ステージに上り
帽子を被って何事もなかったかのようにティンパニを叩きだしました。

うーむ、本業もパーカッションだったか。

ここからラストまで演奏されたのは「ベン・ハー」からの曲で

Fanfare To Prelude

のプレリュードの部分だと思います。(多分プログラムは順番が違う)

 最後に「ベン・ハー」のプレリュードでカンパニーフロント。

指揮は佐藤文俊三等海佐、ドラムメジャーは古舘正夫一等陸曹でした。

 

さて、令和元年度自衛隊音楽まつり、つづいての「イクスパンション」は?

広がりは海外にフィールドを移し、外国からのゲストバンドが登場します。

 

 

続く。

 


通信機器とテレグラフ「真珠湾に空襲 訓練にあらず」〜メア・アイランド海軍工廠博物館

2019-12-08 | 歴史

音楽まつりの報告の途中ですが、本日日本時間の12月8日は
日本軍が真珠湾攻撃を行い、日米が開戦した日ですので、
こんなテーマを取り上げてみます。 

ちなみに、本日アップは、日本時間8日午前3時22分 、
日本海軍の航空機隊が真珠湾上空で全軍突撃を行い、
攻撃司令淵田美津雄が旗艦「赤城」に対してトラ連送、

「トラ・トラ・トラ」

つまり「ワレ奇襲ニ成功セリ」を打電した時間にしてみました。

でっていう。


さて、メア・アイランド海軍工廠に展示されていた通信関係の資料です。

わたしの最も苦手な分野なのでスルーしたいのはやまやまですが、
歴史的に意味を持つ通信機がここにあるとあっては話は別です。

珍しく機械に説明のカードが付けられていました。
今までアメリカの軍事博物館を数多く見てきましたがこれは初めてです。

まず、上段の機械。

Beat Frequency Oscillator

を日本語で調べると「BFO」て・・・。
そんなの見たらわかるつーの。

気を取り直してBFOを調べると、「うなり発振器」
余計わかりません。

受信機においてCW信号やSSB信号を復調する際に用いられる電子回路である。

CW信号もSSB信号も復調もわからないので、検討もつきません。
どれくらいわかっていないかというと、音楽に全く詳しくない人が、

「ドミナントがトニックに進行するときに導音は常に主音に解決される」

と言われるのと同じくらいわかっていないと思われます。

説明には第二次世界大戦時に使われていたものだと
(もちろんそれだけではないんですが)あります。

この機械の正式名称は

The General The General Radio 913The General Radio 913ーA
Beat Frequency Oscillator

右側のは

BC-348-3 Radio Receiver

こちらはコンパクトなタイプのラジオ受信機で、陸海軍共通の規格をもち
第二次世界大戦時航空隊によって運用されていたタイプです。

その機能については割とどうでもいいのでここでは触れませんが、
重要なことは、この受信機が航空機に搭載されていた

AN/ARC-8 システム

の一部分として、広島に原子爆弾を落としたB-29爆撃機、
「エノラ・ゲイ」に搭載されていたということです。

今日、この受信機は

ビンテージアマチュア無線愛好家

(そんな人たちがいるんだ)の垂涎の的らしいです。

このビンテージ無線愛好家の記事を少し読んだのですが、

「コンデンサの放電中、片手を必ずポケットに入れておくのが基本」

なんて書いてあります。
そうしないと感電してしまうってことですかね。

左の緑色の機械は

The model 80 Signal Generator(標準信号発生器)

The Gilfillan Brothers(ザ・ギルフィラン兄弟社)製

ギルフィラン、という名前は、例えば日本だとNHKの放送博物館で
ラッパのついた蓄音機や鉱石ラジオを見るときに認識されるでしょう。

ギルフィラン兄弟社はロスアンジェルス発祥のラジオ(のちにテレビも)
製造会社です。
ミシンのブラザーや、日本の大阪金属のように、ギルフィラン社もまた
第二次世界大戦中は軍用機器の製造を行なっていました。

ちなみに日本で現在標準信号発生器を作っているトップメーカーは
アンリツ株式会社ですが、ここでも一度述べたようにアンリツは
日露戦争の時に「敵艦隊見ゆ」を打電した三六式無線のメーカーです。

1916年には世界初の無線電話を製品化していますし、
国内初のテレビを作ったのもこの会社。
そのほかにも、国内初の公衆電話、世界で初めての光パルス試験器を開発、
と何かとすごい社です。

このギルフィランの標準信号発生器は。レーダーシステムの試験や、
あるいは主に潜水艦のサービスに搭載されていました。

右側はThe AVCO社製のラジオレシーバー&トランスミッター。
朝鮮戦争、ベトナム戦争時に運用されていたタイプです。

U.S Army Signal Corps BC-1031 Panoramic Adapter

第二次世界大戦中、連合国によって共同運用されていました。
スペクトラムアナライザの初期のタイプです。

New London Instrument Co.と製作会社の銘がありますが、
これはコネチカット州の潜水艦基地のお膝元で、
いわばコバンザメ商法というやつではないかと思われます。

 

右側の携帯用の器具は、

Wheatstone Bridge(ホイートストーンブリッジ)

といいます。
物体の歪みを測定する機器のことを

歪みゲージ(ストレインゲージ)

といいますが、ホイートストンぷリッジはこのひずみゲージの
抵抗測定に使われる回路をさします。

ちなみにこのひずみケージの世界ナンバーワンのシェアを占めるのが、

ミネベアアツミ株式会社

という長野県にある日本の会社です。

この機器の近くにあった写真は、メア・アイランドにあった
海軍のラジオ・トランスミッター・ステーションとタワーです。

外から見ると、普通のうちとなんら変わりはありませんが、
よく見るとセーラー服の水兵が警護に立っています。

イーゼルの上に丸い輪っかを乗せたような不思議な器具がありました。
その辺の床材とか、適当にものを積み重ねてあってぞんざいです。

なんの説明もありませんでしたが、こんなフダがついていました。

Direction Finder (方向探知機)

しかし、木製の台にアルミのリングと、時代的にいつのものか
全く見当がつきません。

ふと、こんな写真を思い出しました。

女流飛行家のアメリア・イアハートがおどけて顔を出しているこれ、
この方向探知機のリングアンテナですよね?

この写真のキャプション、

「Amelia Earhart Holding
Bendix Radio Direction Finder Loop Antenna」

から、これがベンディックスの製品であることがわかりました。
こんなことも書いてあります。

「ヌーナンとイアハートのそれは非常に使用が困難で、
かつ彼らがモールス信号についてあまり知識もなかったことは
彼らの失踪のファクターの一つとなった」

検索すると、イアハートがこのループアンテナを気に入って?
一緒にやたら写真を撮っているようなのですが、なんと彼女は
この機械を

「積んでいたのに使えなかったことが失踪の一因となった」

ってことになるのです。

当時この機械が発明されたばかりで、電波が微弱であったことや、
連絡を取る軍艦に搭載された受信機がバッテリー切れを起こしていた、
という話も目にしましたが、このキャプションによると、

CAPTION:
Earhart's lack of familiarity with the Bendix radio direction finder
was a significant liability.

(リングで写真を撮りまくっていた割に)機械に熟知していなかったと。
つまりもし遊んでいる間に使い方をもう少しちゃんと勉強していれば、
方向探知はできたはず、ということなんでしょうか。

さて、この無線関係の機器の中で、もっとも衝撃を受けたのがこれでした。
まず、

CIH-46159 A

海軍のTCSトランスミッターと受信システムの一つです。
この機器はハミルトン・ラジオ社の製作となります。

このデスクの上の受信機&トランスミッターのシステムは
歴史的に象徴的な役割を果たしています。

冒頭の写真をもう一度見ていただけますでしょうか。

1941年12月7日の午後、ほとんど全てのアメリカ人は、日本軍の飛行機が
真珠湾を攻撃しているという知らせを自宅や職場のラジオで聴く事になりました。

攻撃が始まったのはハワイ時間の朝7時48分、例えばここカリフォルニアでは
10時48分です。

ニューヨークではWORがジャイアンツとドジャースの試合の実況を中止して、
午後2時25分東部時間にCBSがこのニュースを報じ、
CBSでは有名アナウンサーのジョン・デイリーが4分遅れで報じました。

一番最初にこれを報じたのはホノルルのKGU局でしたが、当初
まだホノルル上空を通過していく飛行機が日本軍のものであるとは
確認できない状態だったといわれています。

まだ日本軍の攻撃が続いている時、KGUラジオのスタッフは、
ビルの屋根の上に登って攻撃の様子を確認し、マイクを手にして
NBCに電話を通じて最初の目撃証言をライブで伝えました。

「戦闘はほとんど3時間続いています。
冗談ではありません!これは本当に戦争です!」

その時記者はこのように叫びました。

この時、ホノルルの電話交換手がイマージェンシーコールのために
この場に電話してきて邪魔をするという一幕もありました。

 

ところが個人的にものすごく驚いたことに、ここにあった説明には

この攻撃は、大日本帝国が、南西アジアとフィリピン諸国を
欧米列強の支配から防ぐ、という
目的を持って行われ、
航空攻撃は2波、
六隻の空母から飛び立った353機の飛行機によって行われた

と書かれていたのです。
いやー・・・・・誰が書いたんだろうこの文章。

続いて、

この攻撃によってアメリカ海軍は4隻かの戦艦を失い、
ダメージを受け、3隻の巡洋艦、3隻の駆逐艦、機雷敷設艦、
188機の航空機、死亡2402名、負傷1282名の損害をうけ、
日本側は29機の航空機と潜航艇が5隻失われただけ、
死者は65名、捕虜1名という軽微な損害に終わった

とあります。

それはともかく最後にちょっと突っ込んでおくと、

「日本軍は一人の水兵が捕虜となった」

いや、それ水兵ちゃうし。
それ海軍士官学校出の少尉(酒巻和男)だから。

で、冒頭写真の人物ですが、1941年12月7日に真珠湾攻撃の
テレグラフを受け取る、メア・アイランドのシニア通信士、
ヴァン・B・デイトン氏

今テレグラフから紙がでてきてますね。

それがこの紙(もちろん実物)です。
緑の部分には

URGENT 7 DEC 1941

FROM CINCPAC

TO PACFLT 

HOSTILITIES WITH JAPAN COMMAND
WITH AIR RAID ON PEARL TOR 1111-Y

 

 真珠湾に空襲 X これは訓練にあらず 1112Y

このテレグラフが歴史的なものになることはその瞬間からはっきりしました。
そしてメアアイランド工廠ではこの一枚の紙を後世に残すことにしたのです。

 

 

 


ボヘミアン・ラプソディ〜令和元年度 自衛隊音楽まつり

2019-12-06 | 音楽

オープニングに続き陸海自衛隊音楽隊の演奏が終了しました。
第一章のテーマは

トラディションー伝統と継承の響きー

なので、続く外国バンドも日本に長らく駐在している
米海軍軍楽隊もそういう意味ではここにカテゴライズされるでしょう。

ところでわたしは夏前に映画感想エントリをまとめて作成したのですが、
その中に團伊玖磨の自伝を基にした「戦場にながれる歌」という
陸軍軍楽隊ものがあります。

音楽まつりが終わったら関連テーマとしてアップする予定なのですが、
この映画、後半に当時の在日米軍軍楽隊が大活躍?するのです。

映画では終戦直後の外地における捕虜収容所の専属バンドという設定でしたが、
撮影に参加していたのはまさしく1952年からキャンプ座間に展開した
米陸軍軍楽隊のメンバーでした。
(そのため色々と映像とストーリーに矛盾が生じていたのですが、
そのツッコミも含めてどうぞアップをお楽しみに)

わたしはその制作の過程で映画のためにキャプチャした写真を観ながら、

「ここに写っている軍楽隊員のほとんどは下手したら生きていないかも」

という感慨を持ったものですが、つまり在日米陸軍はそれほどに
今日まで長きにわたって根を降ろしてきたということでもあります。

Selections From Queen

海上自衛隊が楽聖ベートーヴェンのメドレーを行った後に、
こちらはロック界のレジェンドであるクィーンのメドレーです。

昨年はなぜかクィーンがフレディ・マーキュリーの自伝映画、

The Untold Story 

リリースとともに大ブレイクし、そのおかげで全世代に彼らの音楽が
懐メロという位置づけではなく浸透しました。

「ボヘミアン・ラプソディ」の冒頭アカペラの導入部分を
トランペット奏者がソロで演奏し、それにトロンボーンが絡みます。

ハイトーンのメロディはトランペットには難しそうですが、
わたしの観た回は3回のうち2回はノーミスでした。

その部分をイントロとして、曲は

「Crazy Little Thing Called Love」
(愛と呼ぶところのクレージーで些末なもの)

に代わり、ボーカルが加わります。

 

東京音楽隊がピアニストありきで今回ベートーヴェンメドレーを選んだように、
米陸軍音楽隊も彼がいるからクィーンをすることにしたのではないかと思いました。

マイケル・ジャクソンやフレディ・マーキュリーなんて、そもそも
似ているとか以前にまともに歌える人そのものが滅多にいない気がします。

白人、東南アジア系、東洋系、アフリカ系。
同音楽隊リズムセクション+キーボードは多様性に富んでいます。

もう一度「ボヘミアン・ラプソディ」に戻り、ラストの4拍3連部分、

「So you think you can love me and leave me to die?」

のところではリズムに合わせて全員で腰をアップダウン。

総じて米陸軍音楽隊のマーチングはラフな部分多めで、
全員でライトスライドでぐるぐる回るけど全く整列しないとか、
ただ上半身揺らしてるだけとかいう状態から、いつのまにか
高速移動してちゃんと整列しているというようなのがお得意です。

アフリカ系の年齢は他民族からはわかりにくい(そう思うのはわたしだけではなく、
アメリカの法廷ドラマ『グッドワイフ』でもそんなセリフがあった)のですが、
彼の場合袖の洗濯板は6本あるので、勤続18〜21年未満のベテランです。

階級は二等軍曹(スタッフサージャント)、自衛隊でいうと普通に二曹となります。

曲は「Somebody Loves Me」

日本語のタイトルはなぜか「愛に全てを」なんだそうですが、どう考えても
「誰かがわたしを愛してる」ですよね。
ジャズのスタンダードに同名タイトルの曲があるのであえてそうしたのかな。

Queen - Somebody To Love (Official Video)

 

実際に映像を見ていただければ、このヴォーカルが持っているマイクのスティック、
フレディのトレードマーク?だったことがおわかりいただけます。

これについてはなんでもフレディがまだ学生の頃、当時のある日のステージで
スタンドマイクを振り回しながら歌っていると継ぎ目のところで半分に折れてしまい、
本人はなぜかスティックだけになったそれをえらく気に入って、
その後自分のトレードマークにしてしまったという伝説があります。

ところでこのスティック、いったいどこで調達してきたんでしょうか。
ネットを検索すると「100均でなりきりスタンドマイクの作り方」
なんてのが出てくるんですが、まあ陸軍なら、いくらでも金属加工くらい
施設科かどこかでやってもらえるかもしれませんね。

ちなみに100均で作ると、ポールはプラスティックになりますので念のため。

「 Find me somebody to love」のリフレイン部分になると、
全員が楽器をお休みし、自分たちも歌いながら客席に向かって

「一緒に歌え」

と手振りで強要してくるのでした。

ボーカルも

「エブリバディ!」(歌え)

とか言ってるし。

だがしかしここはジャパン。
このフレーズをこの場で一緒に歌える人は、おそらくこの代々木競技場の
五千人の観客の中でクィーンのコンサートに通ったレベルのファンとかの
一人か二人、せいぜい三人くらいだったとわたしは断言します。

というわけで皆手拍子はすれども歌は歌わず。
ユーフォニアムのおっさんが

「あ?聴こえねーぞコラ」

ってやってますが、歌えんものは歌えんのだ。わかってくれ。

というわけでクィーンの曲で最後まで押し通した在日米陸軍、
エンディングはもう一度「ボヘミアン・ラプソディ」で締めます。

あくまでもフレディスタイルでフィニーッシュ!

指揮はリチャード・チャップマン上級准尉。
今回米陸軍はドラムメジャーが出演しませんでした。

そういえばアメリカ軍の軍楽隊隊長は必ず上級准尉です。
軍楽隊に士官はいないということなんでしょうか。

米陸軍の退場は王道の「星条旗よ永遠なれ」に乗って行われました。

 

続いては米海兵隊第3海兵機動展開部隊音楽隊の登場です。

「伝統と伝承」といえば、海兵隊音楽隊の歴史は古く、
独立戦争中に創設された海兵隊が1797年に再建されたとき、
歴史上初めて大統領の前で演奏できる軍楽隊として生まれたものです。

彼らの制服が詰襟なのも、大航海時代「首を刃物から守るため」
カラーにレザーを使用していたことからで、一般的に今でも
海兵隊のことを「レザーネック」という慣習は残っています。

音楽まつりに出演する海兵隊部隊は沖縄のフォート・コートニーに駐在し、
アメリカ以外に本拠地を置く唯一の海兵隊音楽隊として活動しています。

演奏タイトルは「Peace Across The Sea」

ブルース風のリズムを持つ曲ですが、検索しても同名の曲は見つかりません。
もしかしたら隊員のオリジナルだったりして・・・・。

ピースマークを全員で描いて、解散したところ。

彼らは海外に展開する唯一の音楽隊として、日本を中心に
アジア全域で活発な演奏活動を行なっており、
年間300くらいのコンサートをこなしているそうです。

ところで音楽まつりのとき彼らはどこに寝泊りしているんでしょうか。

ゆったりしたピースフルな曲がワンコーラス終わると、続いては
海兵隊名物、ドラムセクションの乱れ打ちが始まりました。

ステップしながらの演奏では隣のドラムを叩いたり、
時々スティックをクルクル回してみたり。

映像をご覧になることがあったら、ぜひこのときのシンバルの人の
謎の動きにも
注目してみてください。
この奏者、後半演奏がない時もシンバルを振り回して目立っております。

そして時折このようにニッコリ笑いあったりしているわけですな。

「お、ボブお前やるじゃん」「まあな」

みたいな?

ちなみに彼らは全員三等軍曹です。

ところで大変不甲斐ないことに、わたしはこのパーカッションの後、
前半とは雰囲気をがらりと変えたハンス・ジマーの映画音楽風の曲の題名が
どうしても思い出せず、アメリカにいるMKにSkypeで尋ねたところ、

Two Steps From Hell - High C's 

であるという答えとともに即座にYouTubeを送ってきました。
何度も聴いた覚えがあると思ったらわたしアルバム持ってました。

いやー、便利な息子を持ったものです。

前半のゆるふわなままで終わるわけがないと思ったら、
やはり後半は雰囲気を変えてきました。
構成としては前半がピースで後半が「地獄の戦い」ということになりますが。

それにしてもどうしてプログラムに曲名を載せてないんでしょう。
英語のタイトルが長すぎてスペースに収まらなかったからとか?

海兵隊名物、怖いドラムメジャーは今年も健在です。
軽々と回しているようですが、バトンって重そうですね。

ドラムメジャーはロバート・ブルックス一等軍曹。
これは何人かやってる顔ですわ。

新兵に「サー、イエス、サー!」とか言わせてるんだろうか。
それとも黙って一睨みするだけで泣く子も黙るみたいな?
先ほどの「地獄からの二歩」のミュージックビデオに出てくる人みたいな?

海兵隊は例年「アメリカ海兵隊賛歌(Marines' Hymn)」で退場します。
海自の「軍艦」陸自の「陸軍分列行進曲」みたいなものですね。

 

というわけで、在日米陸軍と米海兵隊、伝統のアメリカ軍楽隊のステージが終わりました。
楽しかった〜!

 

続く。


ピアノソナタ「悲愴」〜令和元年度 自衛隊音楽まつり

2019-12-05 | 音楽

令和元年自衛隊音楽まつり、第一章の一番手である陸自中央音楽隊が
第302保安警務中隊と競演した最初のプログラムが終了しました。

すると、ステージに迷彩服の演技支援隊がアクリル製の
透明なピアノを設置し始めました。

うむ、東音は今回主力武器としてピアノを投入するつもりだな?

わたしは初回だけは何も知らない状態でステージの進行を見守り、
何が起こるか同時進行でワクワクしたいので、前もってプログラムを見ません。
そしてこの光景を見たとき胸が高鳴るのを感じました。

しかもどこから調達してきたのか、カワイのアクリル製透明ピアノ。
昔一度この透明ピアノで演奏の仕事をしたときに、
鍵盤を全く見ずに指を置こうとしたら蓋が閉まっていた
(透明なのでうっかり)という冗談のような体験をしました。

また、この日の同行者に

「音はいいんですか」

と訊かれて、ビジュアル重視なのである意味良いわけがない、
と答えましたが、今日のような用途だときっとマイクを使うはずだし、
そのレベルの音質などまず関係ないとも思われます。


それにしても、このピアノと迷彩の集団というビジュアルのインパクトよ。

演奏部隊がスタンバイを始め、ピアニストが席についてからも
支援隊のセッティングはぎりぎりまで行われています。

場内アナウンスが、

「2世紀半経っても色褪せることのない至高の音楽」

と呼んだのは、そう、楽聖ベートーヴェンの作品のことでした。

Beethoven Collage

と題された作品メドレーをピアノ中心に行うとわかり、この
素敵な企みに対し、わたしは内心快哉を叫びました。

ピアノ協奏曲第5番 作品73「皇帝」第一楽章

の最初の音が響き渡りました。
原曲はもちろんオーケストラですが、ブラスによるこの最初の
変ホ長調の和音は一層輝かしく迫力に満ちて体育館を満たしました。

先日来日したベルリンフィルでついに聴くことが叶った「エロイカ」と、
この「皇帝」は、第5番「運命」と並んでわたしが愛する
ベートーヴェン作品のベスト10には入っています。

「英雄」と違い「皇帝」は作曲者本人が名付けたものではありませんが、
そのタイトルはこの曲のイメージそのものです。

写真をアップにして初めて気づきましたが、弦のところに
マイクロマイクが2基仕込まれていますね。
あまりに小さいので会場にいたほとんどの人には見えなかったはずです。
しかし技術の進歩はこんなことまで可能になったんですね。

一昔前なら、ピアノにスタンドマイクを噛ますしか増幅の方法はなく、
それに必要なコードがマーチングの邪魔になるので、
そもそもこんな計画は最初から不可能とされたでしょう。

さらに、武道館ではグランドピアノを配してその周りで
マーチングをするスペースもここほど十分ではないはずなので、
このチャレンジは代々木競技場ならではだったのではないでしょうか。


東京音楽隊が今回このような企画を打ち出したのは、前述の
条件が満たされたことはむしろ後付けで、最初から

「ピアノ奏者ありき」

であったことは明らかです。

何しろ東音には、コンサートピアニストとしての経験と実力を持った
「技術海曹」が在籍しているのですから。

皆が意表を突かれたとすれば、ホールのステージで行う定演とかではなく、
マーチングと競演する音楽まつりでこれをやってしまったということです。

アレンジによる「皇帝」が盛り上がる中、まず前方に
カラーガード隊とバナー隊、ドラムメジャーが整列。

最初の敬礼(実際に敬礼しているのはドラムメジャーのみ)です。

広報ビデオで海自迷彩を着て練習していたカラーガードは、
自衛艦旗を中心に、東京音楽隊の旗、女性隊の旗(紫)などを掲げます。

 これまでは前方だけ向いていたカラーガード隊も、
ここ代々木競技場では後方を向いて姿を見せてくれます。

交響曲第7番イ長調 作品92第1楽章

あまりにピアノの音とマッチしていたので、

「はて、これピアノ協奏曲だったっけ」

と一瞬勘違いしそうになりました。

上半身正面を向いたまま横(左)に動くレフトスライドという歩き方。

そうして全体がピアノの形になりました。

もちろんこの間も場内スクリーンには音楽に合わせて
海自の広報映像が映し出されています。

ちょうど先日日本から任務に出発したばかりの「しらせ」の姿が。

音楽に合わせて、といえば、音楽と完璧にシンクロさせて魚雷や
P3CのIRチャフフレアが炸裂しているのが凄かったです。

ピアノソナタ第 14番嬰ハ短調 作品27−2
『幻想曲風ソナタ』第3楽章

というより「月光」第3楽章といった方が通りがいいかもしれません。
テンポが速くなるのでステップも超高速です。

このときとても目立っていたのがパーカッションの皆さん。
この曲ににタカタカタカタカ、とスネアドラムを合わせるアイデアは斬新です。

このベートーヴェンコラージュのアレンジをした隊員に心からの賛辞を贈りたい。


「エリーゼのために」

この曲に移行するときにちらっと「運命」が聴こえてきたのですが、
クラシック通というわけではない人もこれには気づいたのではないでしょうか。

ピアノソナタ8番ハ短調作品13「悲愴」

ヴォカリーズの「悲愴」第二楽章が、ピアノの調べに乗って
甘やかに聴こえてきました。

おりしもフォーメーションはハート型。

「悲愴」というタイトルの三楽章からなるソナタの中で、
激しく激情を滾らせるかのような第一楽章に続き、優しく、切なく、
慰めと祈りを思わせる第二楽章のメロディに合わせたのでしょう。

歌うのは現在東京音楽隊所属の歌手、中川麻梨子三等海曹。

去年は三宅由佳莉三曹とのデュエットを行いましたが、
現在
三宅三曹が横須賀音楽隊に転勤になっているため、
今年は
彼女がソロで出演となりました。

今年は中部方面音楽隊の出演がなかったので、同隊所属歌手の
鶫真衣三曹も顔を見せることはありませんでした。


今年の音楽まつりは全体的に歌手の出演ボリュームを減らし、いつもの
「歌姫競演」とはちょっと違う方向性を目指したのではないかと思われます。

三音楽隊で歌手を採用していたのも海自だけでしたし、しかもそれが
器楽的なヴォカリーズ(歌詞なしの旋律)であることからそう思ったのですが。

兼ねてから中川三曹の安定した歌唱力には定評がありましたが、
今回写真に撮ってみて、歌手としてのステージングもビジュアルも
以前と比べて段違いに磨かれてきたように思われました。

やはりセントラルバンドの歌手という重責を経験することによって
研ぎ澄まされてくるものがあるのかもしれません。

彼女の本領であるドラマチックな高音も遺憾無く発揮されました。
難なく響かせたラストのEs音ではまたしても全身に鳥肌が(笑)

 

指揮は東京音楽隊副隊長、野澤健二一等海曹。
呉地方隊隊長から同隊副隊長に転勤するとご本人に伺ったとき、

「それなら音楽まつりで指揮をされることになりますね」

とお声がけしたのを思い出しました。

そして恒例の行進曲「軍艦」(または錨を回せ)です。

今年はピアノがあるので、あれどうするんだろうと思っていたら、
何のことはない、ピアノを中心点に錨が回転しております。

「軍艦」にピアノのパートがあったことにこの日初めて気がつきました。
なぜなら、ピアノコンチェルトモードで音量もそのままになっていたため、
「軍艦」なのにピアノの音が無茶苦茶聴こえてきたのです。

やっぱり海自の音楽隊は最後に「これ」がないと。

そういえばこのステージも、

第一章 トラディションー伝統と伝承の響きー

でした。

前半はどこよりも斬新な企画で、かつ圧倒的な才能ある人材(編曲者含め)
を繰り出し、いつもよりさらに進化したステージを見せてくれた同隊、
最後はやはり伝統墨守に倣い本来の姿で終わり、というこの心憎い対比。

米海兵隊のドラムメジャーは演奏中何もしないことで有名ですが(笑)
自衛隊のドラムメジャーは一般的に大変よくお仕事をします。

時々は指揮者の反対側で裏指揮をしているくらいです。

ドラムメジャーは藤江信也三等海曹。

「軍艦」のエンディングはいつもとちょっと違いました。
ここでもちょっと洒落を効かせてベートーヴェン風に華々しく終了。

ところで皆さん、ステージ左に迷彩服の集団が潜んでいるのに注目!

代々木競技場は広いので、どの音楽隊も、エンディングとは別に
退場の時の
テーマソング的な曲が必要になります。

陸自中央音楽隊の退場は、入場の時に演奏した「陸軍分列行進曲」
中間部に当たる「扶桑歌」が選ばれました。

海自が選んだのは「錨を揚げて」(Anchors Aweigh)です。

これには会場に招待されて来ていた第七艦隊関係者も喜んだのではないでしょうか。

指揮者とピアニストが並んで退場。

音楽まつりでは歌手であっても個人名は紹介されず、
プログラムにも載りませんが、この日太田沙和子一等海曹は
最後に指揮者、ドラムメジャーとともに名前がコールされました。

敬礼をするのかと思ったら、お辞儀したので一瞬?となりましたが、
よく考えたら彼女は正帽を着用していなかったので当然ですね。

演奏中ステージの影で待機していた演技支援隊が飛び出してきて
皆でピアノを移動し始めました。

こんなシュールな光景が見られるのは世界でも自衛隊音楽まつりだけでしょう。

 

続く。

 

 


陸軍分列行進曲〜令和元年度自衛隊音楽まつり

2019-12-04 | 音楽

 

例年ならまだ音楽まつり全日程が終了しないうちから、我慢できずに
写真をアップしてしまうわたしが、今年はなぜエントリアップまで
実質2日かかってしまったかといいますと、それはパソコンのトラブルでした。

トラブルと言っても何のことはない、大量にRAW画像をアップロードしていると、

「もうHDに空き容量がなく読み込めません」

ということをPCから宣言されてしまっただけなんですが。
しかしここでわたしはよせばいいのにせっせといらないデータを捨てたりして
自力で何とかしようと格闘を始めてしまったのです。

同じことになった方はもしかしたら経験がおありかもしれませんが、
(わたしだけかな)手作業でそんなことをしてもほぼ焼け石に水。
それどころか必要なファイルを見分けることもできず、作業は行き詰まり、
もはやこれまで、と専用アプリを導入したら一瞬で仕事が終わりました。

これが本当のタイムイズマネーです。

しかし、今回、驚いたのは自分で撮った写真の多さでした。
たかだか一回のイベントで、
わたしはRAW画像1400枚、
1時間につき700枚、1分間に70枚、つまり

1秒毎にかならず一回以上シャッターを押していた

ということになります。
・・実際に目で見るよりファインダーを覗いていた時間の方が長かった?

 


さて、オープニングが終わり、音楽まつり、次はセレモニーです。

第302保安警務中隊の儀仗隊が入場してきました。
隊長を入れて28名、全国から推薦されて入隊試験を受け、
それに選ばれたその中からの選りすぐりのメンバーです。

保安警務中隊の写真を見ていつも思うのですが、どんな訓練をしているのか
彼らの動きは写真というコンマ秒の瞬間においても常に完璧に揃っています。

肉眼で見た音楽隊の行進やマーチングは、もちろん一般レベルで言うと
段違いに訓練された団体のそれですが、やはり写真に捉えた瞬間は
この「肉体と規律のスーパーエリート集団」に敵うものではありません。

第302保安警務中隊は役職で言うと「ミリタリーポリス」ですが、
国家行事の際に国賓を迎えるという「日本の軍隊の顔」であるので、
ロンドンのバッキンガム宮殿の近衛兵さながら、容姿チェックがあります。

ただ厳密には個々の目鼻立ちというより、全体的に並んで立ったときに
規格から外れていないかが選考のポイントなのではないかと思われます。

眼鏡をかけることも許されないようですが、視力の悪い人は応募できないのか、
それともコンタクト着用と言うことで許されるのか、どちらでしょうか。

純白に日の丸レッドのパイピングが施された制服に身を包んだ
カラー(国旗)ガード(護衛)に運ばれて入場してきました。

国旗入場の前に観客には起立を要請するアナウンスがかかります。

第302保安警務中隊の制服は昨年度刷新されました。
52年間着用されていた前の白いスーツ襟のも好きでしたが、わたしはこの
「日の丸カラー」の新しい制服は近年にない名作だと声を大にして言います。

コシノジュンコ氏は間違いなくこのカラーガードをイメージして
この制服のデザインを行ったのに違いありません。

そして、詰襟にベルト、斜めのパイピングというデザインも
世界的に見ると華奢な日本人にはよく似合うと思います。

去年、武道館で行われた音楽まつりで、よりによって
大臣展覧の招待公演で国旗旗手が台から足を踏み外し、
万座が息を飲むという「事故未満」があったのを思い出しました。

あの後、おそらく警務中隊全員で(参加してない人も)正座して(しらんけど)
徹底的な反省会になったと思われるのですが、それにしてもあのとき
足を踏み外しても旗手がバランスを崩さず、もちろん国旗を落とすことなく
瞬時に体勢を立てなおしたのには驚嘆させられたものです。

あの咄嗟のリカバーこそが、彼らが日頃行っている
厳しい訓練の賜物だったといまでもわたしは思っています。

しかし、自衛艦旗事件のように、しばらくの間は音楽まつりで
同じ光景を見るたびにあのシーンが脳裏をよぎってしまうのは、
あれを目撃した人にとって、もうこれはどうしようもないことです。

やっぱり一緒に目撃した人とはその後何度かその話をしましたし、
何よりも当の旗手は二度と同じ徹を踏まない覚悟で臨んでいることでしょう。

続いて国歌斉唱が行われました。
去年は前奏に続いて斉唱となっていたと記憶しますが、今年は

「前奏はありませんので」

にまた戻っていました。
うーん・・・・なぜに?

前奏がないと最初の「き」を誰も歌わないんですよね。
わたしは指揮者の動きを見て歌おうとしたのだけど、
体育館は広いので指揮のタイミングより音が聞こえてくるのが
遅くて、
やっぱり最初からは歌えませんでした。

ステージ前のスタッフもこと自衛隊行事とあって全員が起立しています。
カメラマンは自衛官であっても敬礼しなくてもいいんですね。
これは「任務中」と言うことなんだと思います。

昔練習艦隊の艦上レセプションで案内してもらっていたら
喇叭譜君が代が始まったのですが、

「立ち止まって敬礼しなくていいんですか」

と聞いたら、

「任務遂行中はしなくていいことになっています」

と言っていました。

わたしごときを案内する任務なんてどうでもいいから
立ち止まって敬礼してくれ!と内心思っていましたが。

第302保安警務中隊は国家吹奏中捧げ銃をします。
訓練ではこの足の開き方の角度まできっちり測られるそうですよ。

選ばれたメンバーの中からさらに選抜された28名、
その指揮官になるというのは一体どういう自衛官なのでしょうか。

階級は三等陸尉ですが、これはつまり、彼らは防大卒ではなく
陸曹から選抜され、その隊長が任官すると言うことだと思います。

流石にそんなメンバーを率いる隊長だけあって動きが美しい。
剣の敬礼動作から鞘に収めるまでの一挙一動も全て絵になっています。

序章とオープニングの指揮を行ったのは航空中央音楽隊隊長、
松井徹生二等空佐です。

この後、

「東京オリンピック ファンファーレ」

が陸海空4名のトランペット奏者によって演奏されました。

 

このファンファーレはオリンピック委員会とNHKの公募に
寄せられた作品から選ばれたアマチュア作曲家の作品です。

初演は1964年10月10日、東京オリンピックの開会式において、
陸上自衛隊音楽隊の副隊長玉目利保三佐指揮による
隊員総勢30名によって初演されました。

このファンファーレとセットで想起される古関裕而作曲の
「(東京)オリンピック・マーチ」とともに全隊が退場すると、

東京音楽隊のハープ奏者演奏による、坂本龍一作曲
映画「ラストエンペラー」のテーマが暗い会場に流れます。

モニターとナレーションでは、自衛隊音楽隊の歴史が紹介されました。
警察予備隊、海上保安庁において式典などの必要性から
音楽隊が発足するまでの経緯を説明したものです。

この時初めて知ったのは、航空中央音楽隊の発足時、
音楽隊準備要員として陸上自衛隊中央音楽隊からまず三人、
移籍して2年後、「臨時航空音楽隊」がその三人をコアに発足し、
現在の名称になったのは昭和57年になってからということです。

ということは最初の三人は陸自から空自にコンバート?
したということになるんですね。

最初の出演は陸上自衛隊中央音楽隊です。
「陸軍分列行進曲」が会場に響きわたったとき、全身に鳥肌が立ちました。

 

同じブルーと白のセレモニー用制服を中央音楽隊が世間に披露するのは
おそらくこれが初めての機会だったのではないかと思われます。

陸自中央音楽隊には、陸自だけが保有する第302警務中隊とともに
国賓等の歓迎行事における演奏を行うという同隊だけの任務があります。
その特別任務のためにこの度衣装も誂えたということなのでしょう。

手前のモニターに総火演のヘリの映像が見えていますが、この間
会場には土をけたてて進む戦車や水陸機動車、レンジャー訓練など
次々と広報映像が流され、音と視覚が多面的に織りなす効果は
それはもうとてつもなく効果的でした。

今回も観艦式と同じく、募集対象者を中心にチケットを捌いたそうですが、
わたしがもし入隊を考えている対象者だったら、これを見ただけで
陸自に入隊を決めてしまったかもしれません(笑)

右肩にはホルンを模した金糸のマークが見えます。
音楽隊の制服としてもなかなかいいものです。

ただ夏の公務にはまさかこれを着ることはないと信じたい。

曲は渡辺俊幸作曲 祝典序曲「輝ける勇者たち」です。

渡辺俊幸氏というと、わたしはNHKの「大地の子」のテーマを思い出します。

中央音楽隊が行う第302保安警務中隊のドリルとの競演は、いわば
「陸軍分列行進曲」に象徴される「ミリタリースタイルの追求」そのものです。

そういえば、第一章のテーマは

「トラディションー伝統と伝承の響きー」

でした。

従来の武道館での演奏の違いで言うと、圧倒的にマーチングが
動きのある、ダイナミックなものになっていたということです。

ブラスバンドの本質から言うと、広い体育館であるここは
彼らにとって見せ甲斐のあるフィールドとなったのではないでしょうか。

三方向に音楽隊を配して中央で儀仗隊が一糸乱れぬドリルを行います。
このシーンは、銃を持ち替えたり構えたり、左脇に抱えて
パートごとに敬礼をしていくというドリルをしているところ。

敬礼の角度のシンクロ具合がすごい・・・。

クライマックスでカンパニーフロント(一列になって全員が前進)
を行うのが音楽隊ではなく儀仗隊とドラムメジャー。

後ろから一線になって進み、前方でドリルを行ったのち、
銃剣を下に向けるポーズでエンディングに備えます。

 

ラストサウンドで銃剣を空に向け、フィニッシュ!

陸自中央音楽隊と第302保安警務中隊、
相変わらず期待を裏切らない質実剛健ながら花のあるステージでした。

 

続く。




ワールド・イン・ユニオン〜令和元年度 自衛隊音楽まつり

2019-12-02 | 音楽

 

自衛隊恒例の秋の音楽イベント、自衛隊音楽まつりは
今年令和元年、いつもの武道館から場所を国立代々木競技場に移し、
予行練習を含めて三日の日程を無事終了しました。

各方面からのご好意のおかげで今年も参加して参りましたので、
しばらくの間ご報告させていただきたいと思います。

何度か武道館での音楽まつりに参加して、順番待ちのタイミングとか
駐車場とかどこから入場するのがいいかなどにすっかり詳しくなり、
それなりに場所取りのエキスパートを自負していたわたしですが、今回は
全く勝手がちがうので、どうなるか見当もつきません。

澁谷という世界一駐車場が高いこの地域で、車をどこに停めるかからして
まったく未知数です。

本番を明日に備え、そういったことどもに気をもんでいたら、

「今日の晩(11月29日)の予行演習のチケットがあるんですが、
わたしは行けないのでいかがですか」

と知人からいきなりメールが入りました。

すぐさま用意をして、都内でチケットを受け取り、駆けつけたときには
会場のほとんどが埋まっている状態でしたが、そんなことがあったので、
結局わたしは今回合計三回音楽まつりを観ることになったというわけです。

このNHKの写真は、二日目の朝、1日目にタクシーの運転手さんに
教えてもらった上限2000円の超穴場パーキングに車を停め、
歩いて代々木競技場に向かうときに撮ったものです。

真ん中に写っている得体の知れない物体はドーモくんです。

NHKホールの横の並木道を通り、競技場裏にあるフットサルのコートの
ゲートから入って行くという道で現地までたどり着きました。

これは同じ並木道の昨夜の様子です。
今この道は「青の洞窟」と称するライトアップをしています。

競技場の駐車場にはOD色のトラックがずらりと並んでいました。

代々木競技場の中に入るのは初めての経験です。
昔漫画の背景にこれを描いたことがあったなあ(遠い目)

外側がアシメトリーなのに内部は長方形で富士山を象った天井が
両側にシンメトリーになっていることを初めて知りました。

会場には武道館とは比べ物にならないくらい最新型の大型モニターが
真上からのカメラ映像を放映していました。

今年のテーマは「EVOLUTION 変革の響き、進化への除幕」です。

これは三日目の開始前で、防衛大学校の儀仗隊が練習をはじめました。

キャップ、トレーニング用ジャージ、ジャンパー全て儀仗隊のネーム入り
ユニフォームをあつらえているんですね。
トレードマークは交差させたガーランドです。

練習ですが皆の表情は真剣です。

これは11月30日の第三回公演が始まる前ですが、すでに彼らは
今日二回の本番をこなした後であるはずなのに、合間に
体育館の横で練習をしているのです。

彼らの演技は今回も完璧でしたが、その影にはこのような
努力の積み重ねがあってこそなのです。

ちなみに、練習が終わったあと、スタミナドリンクのような
小さい瓶が配られ、皆がそれを飲んでいるのも目撃しました。

自衛隊オリジナルドリンク「元気バッチリ」かもしれません。

二日目に席についた時の場内の様子です。
どんだけ早く来てるんだ、と思った方、あなたは鋭い。

とにかく二日目だけは気合入れました。

その甲斐あってこの日は、早く来た黄色チケットの人に限り、
VIP用の赤いソファーを
独占できるという嬉しいサプライズがありました。

席に着くとすぐに自衛官が、

「この席では飲食は禁止となっておりますのでご注意ください」

と言いにきました。
絨毯にジュースや食べ物をこぼされては敵いませんからね。

次の日は招待席で選択の余地なく反対側に案内されましたので、
1日だけでもそんな場所から鑑賞できてうれしかったです。

最終日はここに偉い人が来ることになっているので、
SPのみなさんが打ち合わせ(談笑?)をしています。

赤いシートの周りは国会議員などの招待席となっていたようです。
最前列に有村治子議員(東郷平八郎の縁戚にあたる)、そのうしろに
佐藤正久議員の姿が見えました。

あれにみゆるお姿は彬子女王殿下ではございませんでせうか。

開始前のステージ、台上には各音楽隊のリズム隊楽器が整然と並びます。

招待日、席には出口海将がご挨拶に来られました。
この日、こちら側は陸海空幕僚長招待席となっていました。
気のせいか陸幕長招待席に一番たくさん人がいたように思います。

音楽まつりは実は陸自が主体で運営しているそうですが。

左のブロックは海外駐在武官や大使館などの招待者席。

モニターではいつものように広報ビデオも繰り返し放映されていました。
このときに一緒に行った人に聞いたのですが、AAAVに乗る水陸機動団、
隊員に特別(危険当ては出ないそうですね?

「陸自はお金がないんですよ」

陸に限ったことではないとは思いますが、こんなものに乗るのに
特別手当てなしとはちょっと非道くないですか。

ビデオを見ていて、某所でお世話になったことのある方が
TACOだったと知ったときの驚き(笑)

音楽まつりの練習に励む隊員たちの素顔も紹介されます。
海自のカラーガード隊ですが、この海自迷彩の映像からは、
ミニスカートで白いブーツ、キラキラのついた舞台メイクをしている
あの華やかな一団と同じ人たちとは思えません。

ステージ上ではいつものようにハープ奏者が調弦を始めました。
ハープというのはとてもセンシティブな楽器で、気温と湿度によって
音程が変わってしまうので、しょっちゅう面倒を見なければいけません。

「ハープを持っているというのは赤ちゃんがいるのと同じ」

とも言われています。
あるオケの演奏者は、

「ハープ奏者の良し悪しは調律の上手い下手と同義」

ともいっておりました。

開始前に防衛省の代表として防衛大臣政務官が挨拶しました。
自民党の渡辺孝一氏です。

誰もいない会場に最初のセレモニーを指揮する
航空中央音楽隊隊長が登場しました。

武道館との大きな違いは、出演者の出入口が長方形のエンドに
二箇所あることです。
そして、武道館が一面に向いていればよかったのに対し、ここは
会場の両側に向かって「見せる」ステージにしなくてはいけません。

オープニングセレモニーの入場からして、これまでとは全く違う構成です。
陸海空音楽隊が右側と左側に整列を行いました。

さあ、いよいよ音楽まつりの開始です。

いつも心湧き立つような曲がオープニングに選ばれますが、
今年は「アベンジャーズのテーマ」でした。

 

いきなりかっこよさにゾクゾクしてしまいました。

スクリーンでは「平成」とが「平和」になり、そして
「令和」に変わるという誰が上手いこと言えと、な文字が浮かび、
三自衛隊音楽隊は人文字を描いていきます。

これは「乙2」ではありません。
どちらから見ても「2」が見えるようになっています。

ステージの両側に、陸海空の歌手が登場し、歌声がいきなり会場に響きました。
キリ・テ・カナワなども録音を残している「ジュピター」の英語替え歌、
「World In Union」です。

航空中央音楽隊からはピアニスト兼任、森田早貴一等空士。

陸自中央音楽隊の松永美智子三等陸曹。

もちろん海自東京音楽隊の中川麻梨子三等海曹もいたのですが、
三回ともライトが顔に当たってしまい撮れませんでした。

しかし、この日中川三曹は最初、中盤、エンディングと活躍でした。

It's the world in union

The world as one

As we climb to reach our destiny

A new age has begun

連帯によって世界は一つになる

運命をつかむために高みにのぼるとき

あたらしい時代が始まる

 

この曲は皆様もご存知と思いますが、今年日本中を沸かせた
ラグビーワールドカップのオフィシャルソングでもありました。

【ラグビーワールドカップ】この感動は一生に一度だ / オフィシャルソング 『World In Union』 / 吉岡聖恵(いきものがかり)

 

続きます。