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Flatten The Curve(疫病退散)〜バッファロー&エリー郡海軍軍事公園を訪ねて

2021-01-03 | 博物館・資料館・テーマパーク

ナイアガラの滝を見るトリップのために調べていて、
「ネイバルパーク」なる文字を見つけました。
正式には

The Buffalo and Erie County Naval & Military Park
(バッファロー&エリー郡海軍軍事公園)

という名前の軍事博物展示です。

ところでみなさん、ナイアガラの滝は何州にあるかご存知ですか。
なんと、ニューヨーク州なのです。
ニューヨークという街は位置的にニュージャージーかコネチカットのはずなのに、
ニューヨーク州がむりやり手を突っ込む様にしてがっつり確保していて、
そのおかげでNY州はエリー湖と大西洋どちらの水路も確保しているのです。

そして、エリー湖に面したニューヨーク州のバッファロー、
そしてエリー郡の名前を冠したこのネイバルミュージアムですが、
1979年に最初に一般公開された

国内最大の内海海軍&軍事公園

となっています。
まあ、ほとんどの海軍軍事公園的なものは
外海に面しているわけですからそうなるでしょうって感じですが。

ナイアガラの滝を見たあと、次にどこに行こうという話になったので、
わたしが運転者の権限でそこに行くことを決定し、車を走らせました。


ナイアガラから車で30分走るとバッファロー市街地です。
エリー湖岸からは屋上に自由の女神が立っている旧リバティ銀行、
リバティビルディング(右)とエリー郡庁舎の時計台が見えます。

時計台の庁舎は1870年代、リバティビルの建築は1925年です。
どちらもバッファローで最も高い建物のうちの二つとなっています。

ナーバルパークはエリー湖からナイアガラ滝を経てオンタリオ湖に続く
ナイアガラ川の河口の近くにあります。
写真の灯台の向こう側にはエリー湖が広がり、湖上の国境線から向こうはカナダです。

駐車場らしきものはなかったので、写真の右側の道路沿い車を停めて
わたしだけカメラを持って車から降りました。

「滑らないように気をつけてねー」

MKは寒いうえミリタリーにほとんど興味がないので車でお留守番です。

地面の白い部分は雪が陽で溶けてほぼ氷になっているところなので、
言われるまでもなく地面と並行に足裏を着地させなくては滑って危険です。

抜けるような冬の青空に翩翻たる星条旗。
これが遠くからのナーバルパークの目標になりました。

あーなんだか久しぶりにしっくりする眺めだわ。
近づくにつれ逸る気持ちを押さえてペンギン歩行を心がけます。

よたよたとたどり着いたところに現れたのはいかにも慰霊碑。

西ニューヨーク地方におけるベトナム戦争の戦死者の碑です。

ベトナムの田園と月と兵士。

碑にはベトナム戦争のベテランのこんな詩が記されています。

彼らは求められ、そしてそれに答えた:
神を少ししか求めなかった:
彼らの死は我々を苛んだが
しかし、その犠牲は我々を豊かにもした
死者を偲んで我々は生を受け入れる:
なぜなら我々は何よりそれを記憶するべきだから

右側のウィングにも延々とベトナム戦争の戦死者の名前が続きます。
こちらにもベテランの「兵士」という詩が記されています。

「兵士」

私は誰もなりたくないものになった

私は誰も恐ろしくて行かないところに行き
そして
他の人がしないことをした

私はそれらに何も求めず それらも私に何も与えなかった
そして不承不承 私がヘマをしたが最後陥る
"永遠の孤独"の運命を受けいれた

私は凍るような恐怖に突き刺さされた顔を見た
そしてそれによる甘い一瞬の快楽の味を楽しんだ

泣いた 苦悩した そして 希望を抱いた
しかし何よりも私は
皆が忘れてしまうがよいというに違いない時代を生きた

少なくともいつかは こう言うことができるだろう
私は私自身を誇れるもの・・そう 兵士であったと

対の碑の間に見えているのはUSS「リトルロック」の左舷側の錨です。
錨そのものについての説明は次のようなものです。

1942年に製造された錨は、重量7トン、高さ10フィート(約3m)、
幅7.5フィート(約2.1m)。

各錨鎖の重量は65ポンド(約30kg)で、艦には2つの錨のために
135ファゾム(815フィート)の鎖を搭載していました。

ファゾム(fathom)は、古英語で
「いっぱいに伸ばした腕」という意味のfæthmが由来です。

元々は、両手を左右にいっぱい伸ばしたときの幅に由来する身体尺で、
特に水深の単位としてよく用いられます。
ここから派生して、英語でfathomは「測る」(measure)という意味の動詞、
さらに「真相を究明する」(get to the bottom of)や、
「理解する」(understand)といった意味にも使われます。

なお、ここでいう鎖の135ファゾムは約247メートルくらいとなります。

巡洋艦「リトルロック」についての説明も翻訳しておきます。

USSリトルロック(アーカンソー州の首都に因み名付けられた最初の米軍艦)は、
ペンシルベニア州フィラデルフィアのクランプ造船会社によって建造され、
1945年6月17日に軽巡洋艦として米海軍に就役しました。

1957年から1960年の間に、USSリトルロックはニュージャージー州カムデンの
ニューヨーク造船所によって誘導ミサイル巡洋艦に改造されました。

冷戦中は地中海で広範囲に活動し、1967〜1970年、1973〜1976年の期間、
イタリアのガクタにおける第6艦隊の旗艦として活躍しました。

軍籍廃止は1976年11月22日。
1977年7月15日に博物艦、そして公式の記念碑としてバッファローに到着しました。

おお、これがもしかしてその巡洋艦「リトルロック」だったのですか。
左舷の錨鎖が海に落とされていますが、これは「演出」で、
本物は陸揚げして展示されているということなんですね。

ピッツバーグの兵士と水兵のための記念博物館の展示のログで
赤い枠に金色の星のフラッグを紹介したことがあります。

これはゴールドスターファミリーに与えられる旗で、
窓にそれがかかっている家の家族の誰かは戦死しており、
ゴールドスターを贈られている、という目標になります。

当ミリタリーパークは

アメリカ合衆国を守るため究極の代償を払った
愛する家族をもつゴールドスターファミリーへのオマージュ

であるとその使命がここに記されています。

ミリタリーパークであり、軍人顕彰碑のあるメモリアルパークでもあります。

1939年から1946年まで存在した特別海兵隊ユニットの顕彰碑です。
そういえば後ろのアパートはマリーンストリートという道沿いに建っています。

碑には、

1939ー1946にアメリカ合衆国海兵隊と海軍に奉職した
全ての男性と女性に捧ぐ

とあります。
スペシャルマリーン、というのは、第二次世界大戦前から戦後にかけて
海兵隊が2個旅団から6個師団、5個の航空集団、および支援部隊を増設し、
20個師団の防衛大隊とパラシュート大隊が編成されたことを指します。

その結果海兵隊員は合計で約485,000人となり、
第二次世界大戦中、そのうち約87,000人が死傷(約20,000人が死亡)。
82人が名誉勲章を
授与されました。

碑の土台部分には

Deffence Battalions  防衛大隊

AntiAircraft     Artillery 対空 砲兵

Airdrome battalions 航空大隊

Barrage Balloon squadrons 弾幕風船部隊

Glider Group グライダー小隊

Parachute Battalion パラシュート大隊

Raider Battalions 急襲部隊

と特別海兵隊として存在した隊が記され、その下に
海兵隊のモットーである、

The Few  The Proud  The Marines

が見えます。

Marines - The Few, The Proud

同名の必要以上にかっこいい海兵隊のビデオをどうぞ。

クリスマスのデコレーションが遊歩道に沿ってあしらわれていました。
キモ可愛いサンタさんの帽子に書いてある

Flatten The Curve

ですが、直訳すると「カーブを平らにする」ですね。
実はこの言葉、中共ウィルスが蔓延して以降よく聞かれるようになりました。
統計感染者の数を示した二次曲線を平らにする、つまり疫病を押さえ込むを言う意味で、
ここに書いてあるのは

疫病退散祈願

みたいな意味が込められているのだと思われます。

疫病のせいで本来なら艦内ツァーができるところ中止されているのですから、
ミリタリーパークとしては一日も早い疫病退散を祈らずにはいられないはず。

HPによると、来年の四月には再オープンを予定しているようですが、
わたしもその暁には必ずもう一回来るぞ!と早くもここで心に誓いました。

 

続く。


ナイアガラの滝詣で〜アメリカ自粛中旅行

2021-01-02 | アメリカ

新年のけじめとしてみなさまには賀状めいたログをアップしましたが、
ご覧になった方はおそらくうすうすお気づきのように今回ナイアガラの滝を見てきました。

今回渡米したのはMKが今期借りていた寮の退出期限と、次に移るアパートの
入居可能日の間に3週間という微妙なタイムラグが起きてしまい、
平常時なら荷物の預かりと配送を依頼するドームルームムーバーが
中共ウィルスの影響で手配できないという事態に対応するためでした。

しかも選択している授業によっては最終試験の次の日に退出、
という厳しいスケジュールになっていて、MKの場合夏頃から
それがストレスになっているという状態だったので、パッキングと
荷物と本人のホテルへの引き取りを目的にわたしの出動となったわけです。

しかも彼の場合退出日の前日夜に企業を加えた研究プレゼンというのまであったとか。
相手は日本のゼネコン「A組」とその窓口となるB社の人、つまり日本人相手に
英語でオンラインプレゼンを行ったそうで、その様子をわたしは興味津々で聞いたところ、

「B社の社長はプレゼンにいたよ」

「ふーん」

「でもA組の社長はいなかった」

「社長・・・・そんなもんいるかーい!(呆)」

さて、ここピッツバーグでは気温が零下8度から11度まで寒暖が繰り返されます。
雪が降ったと思ったら雨がそれを溶かし、そこにまた寒波の波が雪をもたらします。

現地について二回目の雪が降った日、朝向かいの球場の整備員が
こんなハイテク機器で球場の周りの雪かきをしていました。

雪除けのフードは太腿部分にベルトで留めてあるようですね。

それが終わったら今度は雪を溶かすための塩を撒いていました。
ブルーの色は雪が溶けるとなくなります。

二回目の雪の後、ホテル前の河原のトレイルを歩きました。
向こう側に見えるのは、かつてワシントンが南北戦争の時に上陸した
ハーズ(Heers)アイランドで、今は高級住宅地とマリーナがあります。

クリスマスの時はビルディングのイルミネーションは皆緑と赤でした。

河原の鉄橋下などにあった落書きは、すべて塗り潰されたのですが、
いたちごっこのように上から新しい落書きが・・・。
この微笑ましい?やりとりは旧落書きのときにもありました。

夏までトラ(ンプ)大統領を貶める4文字言葉の落書きがあった場所には、
塗り潰し作業後、全く逆の応援落書きが現れました。

都市部ではトランプ支持者は襲われて危険などという情報もあるようですが、
少なくともここピッツバーグ(ペンシルバニア=スィングステート)では今回
車に「トラ(ンプ)・ペン(ス)」のナンバーを付けて走っている車も見ますし、

フリーウェイを走ると、郊外には大きな「トランプ」の看板を挙げている家もあります。

大統領選以降、隠れていたトラ支持者が存在を表し、声を挙げているのを肌で感じます。

 

さて、ナイアガラの滝まで行く計画はなんとなく決まりました。
住んでいるピッツバーグから車で簡単に行ける観光地というと
ナイアガラしか思いつかなかったからなのですが。

休憩を入れて3時間半くらいでバッファローに到着。
ホテルの隣にウォルグリーン(24時間営業のドラッグストア)があって便利です。

地形に高低がなく、どこまでも真っ直ぐな地面のせいで空が広い。

古い建物が多く残された落ち着いた雰囲気の街です。

レジデンスインをたまったマリオットのポイントで取りました。
オープンしてまだ新しく、インテリアも設備も最高です。
こういうご時世なのでクリスマス休暇中にもかかわらず部屋を取るのは容易でした。

翌日、早速ナイアガラ国立公園に行ってみました。
ピッツバーグからまっすぐ北上するとエリー湖に突き当たります。
エリー湖の向こうはもうカナダ。

ボストン在住時、幼児のMKも一緒にナイアガラには来ているのですが、
彼は当然ながら全くその記憶がないそうです。

国立公園に入ってみると、無料のパーキングがあったので、
そこに車を停めて現地まで歩いて行きました。

滝の近く(といってもそんなに近くない)にも駐車場はありますが、
行ってみると並んでいる上なんと10ドルも取られるのです。
(アメリカの駐車代10ドルは異常に高い部類)

エリー湖からオンタリオ湖に流れるナイアガラリバーの河畔を歩いて行きます。
穏やかだった川の流れがだんだん激しくなって行きました。

向こうの橋のむこうが滝。
超当たり前ですが、この川は一切船の交通はありません。

川に万が一落ちたら確実に命はありません。
日本なら厳重に柵を作ってしまうところ、こちらではこの通り。
川岸に腰を下ろして流れを見ながらコーヒーを楽しんでいる人が
立ち上がるときにバランスを崩して川に落ちたとしても自己責任です。

向こうに見えているタワーはオンタリオにあるスカイロンタワー。

高さ236mで展望台からはカナダ滝、アメリカ滝の全景が楽しめます。
最上階には回転レストランがあるそうですが、もちろん今は営業していないでしょう。

この日は晴れて絶好の「ナイアガラ日和」でしたが、気温はマイナス3度くらいで、
ダウンコートに今回のためにネットのリサイクルショップでゲットした
フード付きのマフラー、ダウン入りパンツが大活躍です。

川沿いの通路は滝に近づくにつれて(たぶん飛沫のせいで)
普通の靴では滑って危険状態になってきました。

手前の柵の小さな氷柱をご覧ください。

そこでわたしは手すりを掴める状態で、「ペンギン歩き」を心がけました。

寒い地方にはそれなりの歩き方の作法があるのです。

というわけでナイアガラの滝に到着。

水の勢いが凄すぎて氷瀑になりようもなさそうです。
流れを凝視していると自然への畏怖みたいなものを感じずにいられません。

観光客はこのシーズンにしては少なめとはいえ、一定数いました。
前回来たときとの比較でいってもかなり人数は減っていると思いました。

平常時であれば滝の周りを回遊する「霧の乙女号」は、営業を停止して
全て陸揚げされていました。

前回来た時もなんだか不思議だったこの巨大な廃屋。

昔は宿泊施設だったりしたのかな。
ちなみにナイアガラの滝はアメリカ側からよりカナダ側からみる方が絶景です。

川の真ん中に突き出すように設置された展望台に行ってみました。
普段は有料のようですが、今は無料公開されています。

展望台の手前にあるゲートでは係が一人立って人数制限をしていました。

飛沫を浴びるくらいの至近距離に近寄ることができる通路があります。
コロナに関係なく危険なので冬季は閉鎖しているようです。

拡大してみると、そこは氷漬けの世界。

 

ナイアガラの滝の観光客が現地で費やす時間はせいぜい30分といったところでしょう。
たしかに一生に一度は見るべき自然のスペクタクルではありますが、
見ていても何も変わるものではないので、皆写真を撮ったらそそくさと帰って行きます。

前回の記憶のない息子はそれなりに期待していたようですが、見た後、
あんなものか、みたいな軽い失望を表したので、わたしは彼に
「日本の三大がっかり」について解説してやりました。

ただ、はりまや橋、時計台に続く3番目のがっかりがどうしても思い出せませんでした。

ちなみに世界三大がっかりといわれているのはマーライオン、ブリュッセルの小便小僧、
シドニーのオペラハウスですが、いろいろバリエーションはあってもとりあえず
ナイアガラフォールズはがっかりからは外されているようです。

クリスマスシーズンにしてはこの人の少なさは特殊でしょう。
ナイアガラの滝を何度も見にくる人はまずいませんが、それでも世界中から
毎日のように初めての人が詰めかける場所だからです。

今回は今までどこにでもいた中国人観光客の姿を1組も見ませんでした。

周辺のレストランはほとんどが営業を停止していたようです。

ビジターセンター前でガチョウの群れを追いかける女の子。

アメリカ人にとってガチョウなど珍しくもないと思いますが。

このあたりのリスは異様なくらい皆太っています。
日頃から観光客の捨てたゴミ捨て場の食べ物などを漁っているので、
冬眠の必要は全くないのだと思われます。

今年の夏はカリフォルニアに行けなかったのでリススレをあげられず、
大変残念に思っていたわたしとしては目の色を変えて彼らを追い回しました。

ガチョウもそうですが、ここのリスどもはとても人慣れしています。

人によりますが、ときどきスナックなどを撒いてくれるからですね。
バターとか塩味たっぷりのスナックは小動物の体にはよくないと思うのですが。

モルジブのホテルでロシア人が猿にチキンを与えている姿、
奈良の鹿がフライドチキンを食べているのを見たことがありますし、
ディズニーシーのカモはポップコーンを啄んでいました。
自分の食べているものを何も考えないで動物にやるという行為は、
観光地の動物たちにとって「優しい虐待」以外の何物でもありません。

それに比べてカモメたちの雄々しく勇ましいことよ。
激しい川の流れの上を、その流れの中に獲物を求めて飛びます。

そして何かを見つけると流れに飛び込み、一瞬で離脱したときには獲物を捕らえているのです。
もちろんそれが成功するのは一日何百回ものうちの数度にすぎません。

わたしたちも展望台に上がればここでの用事は終了です。

元来た遊歩道を歩いて車に戻りました。
大した距離とは思いませんでしたが、観光客はほとんど歩いていません。

パーキングの横にナイアガラ手前のリバーサイドのちょっとした歴史がありました。
ナイアガラ観光のために公園として整備される前、1887頃の写真です。

上は1910年頃リバーサイド。
下は1963年の写真だそうです。

空いているレストランを探すのは至難の技なので、ホールフーズで材料を買って
副菜を調理し、メインにバッファローウィングをデリバリーしました。

何しろここはバッファロー。
バッファローウィングの発祥の地ですから。

お店はたくさんあった様ですが、ネットの評価が高かったお店で
とりあえず20ピース注文してみました。

バッファローウィング(英:Buffalo wing)は、鶏肉の手羽を素揚げにし、
辛味の強いソースをまぶしたものです。
地元の人には「チキンウィング」や「ウィング」で通じます。

カイエンペッパーと酢を利かせた辛味と酸味の強いソースが特徴で、
大体のお店では辛さのレベルをチョイスすることができます。

わたしは辛いものが苦手なので、マイルドを注文しました。

セロリスティックとブルーチーズドレッシングがオプションでつけられます。
ブルーチーズドレッシングは辛いチキンにちょっと付けるのもよし、
チキンの合間にパリパリと食べるセロリに付けるのもよし。

時間を指定して持ってきてもらい、出来立てにかじりつきました。

「美味し〜い!♡」

ほとんど人に会わず、人混みに出ないで車で往復し、
食事はすべてホテルで自炊するという旅行ではありましたが、
それなりのイベント(ナイアガラ詣で)グルメ(デリバリーのチキン)
と十分に楽しむことができて大満足の旅でした。

しかも!

みなさまにぜひお伝えしたいのは、当ブログ的に思わぬ収穫があったことです。
海のないこの地域で全く期待していなかった「軍艦見学」ができたのです!

 

続く。