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「From 1776 to Tomorrow」〜バッファロー・エリー郡海軍軍事博物館

2021-01-13 | 歴史


というわけで、エリー湖のほとりに偶然発見した海軍軍事博物館、
係留展示されている軍艦三隻をご紹介し終わりました。

当施設の名称がNaval&Military'sとなっているのは、
本日ご紹介する予定の陸空軍の装備も展示されているからです。

湖岸の遊歩道には基本的に最初に紹介した、軍人の顕彰碑、
軍艦の慰霊碑などが並んでいるわけですが、そこは実は
この「ミリタリーパーク」の奥で、わたしが車を停めたところから
ずっと進んでいくと、そこにはパークの入り口があるのです。

そこには向かい合った二つの建物があり、平常時であれば内部では
戦争に関する博物館になっているのではないかと思われました。

大きなドーム状の建物の中では、なにやら大掛かりな工事中だったので
春の再開予定に向けて装備をレストアしているところかもしれません。

煉瓦造りの建物のエントランスには、プラークが並んでいました。

左から右に:

第一次世界大戦地元民戦死者顕彰碑


↑陸軍第74大隊顕彰碑

 
106th Field Artillery Regiment Memorial image. Click for full size.

米陸軍第106野戦砲兵大隊顕彰碑(第一次、第二次世界大戦参加)

バッファロー騎兵部隊

騎兵隊は、第一次世界大戦ではTrench Motor Battery、
塹壕迫撃砲部隊となって戦っていたようなことを書いてあります。

下段左から右に:

第102沿岸砲兵(AAセパレート)大隊顕彰碑

オーストラリアに展開していた砲兵大隊で、あのマッカーサー将軍が
フィリピンから脱出してオーストラリアに到着した時にお迎えしたのは
この部隊のメンバーであったということが伝えられています。

ニューヨーク州兵 第127戦車部隊50周年記念

1997年に結成50周年記念として作られました。

↑第二次世界大戦で命を捧げた米国商船隊(マーチャント・マリーン)の
全ての父と息子たちの思い出のために

Northeast View image. Click for full size.

そして最後の碑には:

アメリカ合衆国の理想を守るために戦った全ての人々のために

ユダヤ人ヴェテランの会がこれを寄贈しています。

軍艦をバックに空軍の戦闘機がこんな風に見られる博物館というのも
ありそうでないかもしれないと思ったり。

これはわたし的には絶対どこかで見ているはず、と思ったら、やはり

マクドネル F-101Fブードゥー戦闘迎撃機

でした。

1954年に初飛行で音速突破を記録した双発の長距離戦闘機で、
低翼配置、後退翼、エアインテークは主翼の付け根にあります。

登場した当初はマッハ1.7を誇り当時最高速の戦闘機でしたが、
風速でマッハ2クラスの戦闘機が続々と現れてしまい、(誰うま)
「最速」の座をあまりに早く明け渡してしまいました。

あまり有名でないのはこのためだと思われますが、まあそもそも
マッハ2が出るかどうかというのは戦闘機の最優先事項ではない、
ということでそのことはよしとしても、(よくないけど)
この写真を見ていただければお分かりのように、水平尾翼を垂直尾翼の上に
T字上につけてしまったというのが致命的なミスで、これが
詳しいことは省略しますが、しばしば回復できない失速を起こし、
戦闘機としては致命的な運動性能の低さにつながってしまったそうです。

運用の結果事故率が大変低かったのは、この性能のため、
操縦にかなりの制限を設けたせいだったとかなんとか。

同じニューヨークのエンパイアステート博物館で見た「ブードゥー」も、
たしか州兵で使用されていた機体だった記憶があります。

この角度から撮るとウェポンベイの作りがよくわかります。
これは半埋め込み式なので、扉がなく、機外がわに半埋め込み式で
この写真に写っているように2発、これと別に2発内部に搭載できました。

機外搭載ミサイルを撃ち尽くすとミサイルのラックが回転し、
機内側のミサイルが露出する仕組みになっています。

長距離戦闘機として開発されたはずなのですが、これも設計ミス?
増槽はミサイル発射時にブラストが直撃し吹き飛ぶ恐れがあったため、
ミサイルと同時に搭載しないか発射前に投棄が必要となる制約があったとか(´・ω・`)

という戦闘機なのであまりたくさん生産されなかったわけですが、
そういうのがなぜここにあるかというと、一部は州兵で運用されていたからです。

当博物館の展示機は1971年から1982年まで

ナイアガラフォールズエアステーション Niagara Falls 

ニューヨーク空軍州兵の第107戦術迎撃機グループ

「レインボー戦隊」🌈

によって運用されていたそうです。

 

ちなみに「レインボー戦隊」でアヒったら、
こんなものしかでてこないんですが・・・・。

レインボー戦隊ロビン 【概要・あらすじ・主題歌・登場人物 ...

気を取り直してRainbow squadronでダックったところ、
第一次世界大戦のために創設され、第二次世界大戦時にマッカーサーが
アクティブにした陸軍州兵第42歩兵師団のことであるのがわかりました。

戦歴を見るにかなりの精強部隊で、ドイツ軍に恐れられていたという話もあります。
ダッハウ強制収容所を解放した部隊ということにもなっているようですね。
最初に発見したのは日系人部隊だったとわたしは思っていますが。

ニューヨーク州の管轄であることから、911同時多発テロ事件発生後、
グラウンドゼロでの復旧作業現場やニューアーク空港の警備を行ったりしています。

ここに展示されているF-101は、レインボー戦隊運用中、ナイアガラの滝の上の虹を表す
赤、青、黄色のマークが尾翼にペイントされていたということです。

ノースアメリカン FJ-4B「フューリー」

空軍F-86「セイバー」ジェットの海軍バージョンです。

海軍の戦闘機なので、バックに軍艦がいるとしっくり見えるんですね。
気のせいか。

低高度攻撃のために5基のマーチン製ブルパップBullpupミサイルと、
機首に4基の20mm砲を搭載していました。

AGM-12D Bullpup missile on display at Air Force Armament Museum.jpgbullpup 

ライトターボジェットエンジンを搭載しており、このため
海面で680mphの最高速度を出すことができました。

航空機の横にはPTボートっぽいものがいました。

PTF-17

なんだかタイムリーだなと思ったのは、このPTボートのクラスは
「トランピー」Trumpyだということです。

トランピー級高速巡視艇は、1968年、メリーランド州アナポリスで進水しました。

長さ:80フィート4インチ(2450cm)
ビーム:24フィート7インチ(753cm)
ドラフト:6フィート10インチ(186cm)
重量:69トン
兵装:40mm砲×1 20mm砲×2 .50口径機関銃×1

PTボートは「パトロール・トルピード」=哨戒魚雷艇ですが、
PTFは高速巡視艇(ファースト・パトロール・ボート)の略です。
2基のネイピアデルティック3100馬力ディーゼルエンジンを搭載した高速船で、
最大40ノットの速度で航行することができました。

ベトナムでは、PTFは沿岸および内陸水域をパトロールするために使用されています。

PTF-17は退役直前バージニア州に搬送されて、そこで
シカゴ近郊の五大湖海軍基地に本部を置く沿岸河川師団21に配属されていました。

退役後の1979年に戦車揚陸艦USS「フェアファックスカウンティ」
親善クルーズで五大湖の都市を訪れた際、このボートを乗せてノーフォークから
バッファローアンドエリー郡海軍軍事公園に到着してきたということです。

軍事公園というだけあって、陸軍の戦車まであります。

陸軍M-41戦車

この軽戦車はクリーブランドで特別に建設され、朝鮮戦争で利用されました。
重量は22.3トンで、76mmの大砲を装備しています。

「ウォーカーブルドッグ」の愛称で呼ばれていたということで、その名前は
朝鮮戦争第八代目司令官で交通事故死したウォーカー中将に因んでいます。

日本国陸上自衛隊でも採用していたタイプです。

公式ページには解説がないのですが、これはナイキミサイル(ヘラクレス)ではないかと思われます。

MIM-14 Nike-Hercules 02.jpgね?

陸自でも活躍しているヒューイくんにナイアガラで再会できるとは・・。

UH-1「ヒューイ」

「元々の名称は「イロコイ」または「グリフォン」として知られていました。
プロトタイプは1956年に初飛行、1973年までに7,000以上が製造され、
米軍のすべてのブランチおよび他のほとんどの連合国で使用されていました。

通常、2〜4丁の機関銃または48発の無誘導ロケット弾で武装していました」

・・・と、過去形で書かれている上、

「ヒューイ」は常にベトナム戦争の象徴として記憶されています。

アメリカではそうなんですけど、日本ではバリバリ現役なんですがこれは。

「ロサンゼルス」級潜水艦USSボストン(SSN-703)の一部が展示されています。

「ボストン」はマサチューセッツのボストンに因んで名付けられました。

「潜水艦の故郷」であるグロトンにあるエレクトリックボートで
1973年にアメリカ海軍の7番目の原潜として誕生しました。

しかし、1999年、国防予算軽減法案のため、多くの「ロスアンゼルス」級の
姉妹と同様、中年期の原子力燃料補給を与えられず、海軍隻を抹消されました。

セイルと上舵は、不活性化のあとここに運ばれてきたというわけです。

「ボストン」は現役中大変優秀な艦であり、その乗組員は、
功績のあるサービスと卓越したパフォーマンスによって、何度も表彰されました。

その数ある賞には、太平洋艦隊と大西洋艦隊の2隻にしか贈られないという
「アーレイバーク艦隊賞」と「マージョリーステレット戦艦基金賞」
が含まれています。

展示されているセイルには、歴代艦長の名前を記した記念プラークがありました。

From 1776 to Tomorrow」1776年から明日まで

「ボストン」のマークには独立戦争の兵士が描かれています。

この「1776年」を今回この時期に目にしたこと、わたし個人としては
何かの偶然にしても
「はっ!」と思ってしまったのはここだけの話。

 

窓の中にはおそらく受賞した名誉賞の紹介と艦歴が書かれたものがみえますが、
大変残念ながらガラスがあまりにも不透明でこれ以上は写真に撮れませんでいた。


同博物館には他にも室内展示品などもあり、それらもいつかは
再オープンすれば観にいくことができるかと思います。

いつになるかはわかりませんが、必ず観てきてここで紹介しますので、
その日がくることをわたし自身も楽しみに待ちたいと思います。

 

バッファロー・エリー郡海軍軍事博物館シリーズ終わり