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96年2月イタリア卒旅編 その5

2008-10-10 | リョコウ
またまた半年振りに、12年前の旅行記事を更新。

この先の記事については、この旅の後も何度か行った場所になるので記憶があやふやなのを強引にまとめてみます。


四日目の夕方。
ピサからフィレンツェへ移動して、泊まったのはどこだったかなぁ。
中心地区には車が入れないので、多分駅の裏の辺りだったような、違ったような。
なんせこの日は、着いた頃には日が暮れていたので、即夕食だったっけ。
たぶん。



五日目は、早朝からフィレンツェの中心地で自由行動。

早朝にホテルを出てから、メルカートをチェックしつつくぐってヴェッキオ宮殿前を通り、目指すは混む前のウフィツィー美術館。
入った途端にスペシャルな絵画が展示してある豪華さに、朝から眩暈がするばかり。
そこから途切れることなく、個人的には大好きな、そして絵画にそれ程興味の無い方でも絶対に見たことのあるルネッサンス期絵画が延々と展示されていて、その中の1点でも日本に貸し出される事があれば大ニュースなのにと思うと、後半はもう感覚が麻痺状態です。
本来ここだけで1日居る事ができたけど、悲しいかな俺達は時間に制限のあるツアー利用者なんよね。

あわよくばポンテ・ヴェッキオの2階からと企んでいたものの、一般客通行禁止だから出来るわけもなく、かつては宝石商が、現在は土産物屋の連なる1階を渡ってピッティ宮へ。
ピッティでは壁一面を覆うようにかけられた絵画も、ウフィツィーで麻痺した後なので感動が薄く。
外の風景もウツクシかったけど、時間が無いのでパスw
価値の解っていない日本人観光客の典型的なタイプだった俺。

ピッティ宮近くの丘にあるミケランジェロ広場から市街地を一望した後、サンタ・マリア・デル・フィオーレ“ドゥオモ”へ。
洗礼堂の扉やらドゥオモの外観やらを観ながら、当初計画していたドゥオモ登りよりもジョットの鐘楼を登る方が良いのでは?ということになり、そちらのテッペンでパシャリ。
景色としては、ドゥオモのクーポラが客観的に観られるジョットの鐘楼で正解かなぁ。
(結局今もまだドゥオモには登ったことがありません)

ちなみに、今年話題の落書きの件。
落書きし放題だし、された方も消さずにほったらかしだし、つか撮影禁止だろうがなんだろうが、日本人よりも他のアジア人、さらにはドイツ人のマナーの悪さは相当なので、あの報道は異常です。

続いて、ドゥオモ博物館でピエタの見学。
この旅の目的は、「ミケランジェロを全部見る!」だったもので。
(と言いつつ、ミラノのロンダニーニのピエタは時間の都合上見れず仕舞い)
当時は相当感動したのですが、バチカンのピエタを見た今となっては、その感動も薄くなってしまう未完成のピエタ。
でも、あれから12年経って、すっかりおっさんになった今の感性でもう一度見てみたい!

それからアカデミア美術館でミケランジェロ三昧。
ダビデも美しかったけど、周りの未完像達にも魂が宿っているようだった。
つーかさ、国が買えるような作品についてどーこー書く俺って無粋。

サン・マルコ修道院では、かつては人が住んでいた小部屋を巡りながら、そこに描かれた絵画と人との近さに、絵画と宗教の密接な関係を改めて感じ。
メディチ家礼拝堂では、ミケランジェロの仕事っぷりにメディチ家の強大な力を思い。

最後はサンタクローチェ教会でミケランジェロのお墓参り。

「またゆっくり、墓参りに帰って来ねば」と心に誓ったのでした。
駆け足で美術品巡りはしたけど風景を堪能した記憶が薄いし、次はカーサ・ブオナロッティにもお邪魔せねば。


この日の晩飯は、ツアー飯の安っぽさにイライラしていたのと、“フィレンツェと言えばTボーンステーキ”という旅行雑誌の受け売りで、用意されていたツアー飯を断って(添乗員さんは怒り気味)どこかでTボーンステーキを食ったっけ。

次回、その6は震災前のアッシジを巡っていよいよ最後の地、「全ての道はローマに通じる」。
俺の道もローマに繋がっていました。



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