私の体が凝ってしまったらマッサージして凝りをほぐします。
私という存在を聖教に
「凡夫というは、無明煩悩われらが身にみちみちて、
欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、
ねたむこころおほくひまなくして、
臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず…」
言ってみれば、「我」ということに凝り固まっているんです。
これをほぐすのが「聴聞」であります。
自分のものさしを以て聞くのではなく、
ものさしを置いて仏さまの真実を聞く。
ご本願を自らのはからいで聞くのではなく、
疑いなくお聞かせに預かるところに
凝り固まった私という存在が「仏のいう命に」転ぜられる。