「仏は常にいませども、現(うつつ)ならぬぞあわれなる、
人の音せぬ暁(あかつき)に、ほのかに夢に見えたもう。」
~梁塵秘抄(りょうじんひしょう)~
(意訳)
仏様は永遠におられる。そして救って下さるが、
お姿が見れないのが悲しい。しかし人が寝静まると、
少しだけ夢の中にそのお姿を見せてくださる。
(和讃)
子の母を おもふが ごとくにて
衆生仏を 憶すれば
現前当来 とほからず
如来を拝見 うたがはず
(現代語訳)
母親の愛情が注がれて子どもが母親を懐い慕うように、
如来の慈悲が受けいれられて衆生が
阿弥陀仏の本願を信ずる身になれば、
この世においても、あるいは将来浄土に生まれても、
如来は遠くかけ離れた存在ではなく、
さまざまな形となって拝見できることは疑う余地もありません。