住職の独り言

~ご縁に触れて~

キリシタン

2017年09月16日 | 独り言

伝道院研修同窓会で長崎へ行きましたが、

その研修はキリスト教弾圧の足跡を尋ねた。

16世紀の長崎県大村は、日本で初めてキリシタン大名となった

大村純忠(おおむらすみただ)が治め

領主の意向により家臣や領民もキリスト教を

信仰するようになり、1582年頃にはその数6万人のも達したという。

純忠の信仰は過激で、領内の寺社を破壊、先祖の墓所も打ち壊した。

また、従わない僧侶や神官を殺害、

領民も殺害されたり土地を追われたと言う。

1587年に純忠が亡くなると、

跡を継いだ息子の喜前(よしあき)はキリスト教を棄て日蓮宗に改宗。

江戸時代になり、徳川幕府はキリスト教の信仰を禁止し、

キリシタンに厳しい弾圧を行いました。

仏教徒になる領民も多くいましたが、

厳しいキリシタン弾圧のなかにあっても、

信仰を支えにキリスト教を守り続けるキリシタン達がいました。

捕まると、火あぶり、斬首 。

遺体が再びよみがえらないようにと、

首と胴体を別々に、

南北に約500メートル離れた位置に首塚・胴塚をつくって埋葬。

寛永のころキリシタン討伐が阿修羅のように荒れ狂った時、

赤ん坊を抱いて逃げようとした女人を切った。

ところが女人は死に際に「ナマンダブツ ナマンダ」と唱えながら…息を引き取った

念仏を耳にし、仏教徒であったことがわかり不憫に思い、

碑を建立してとむらってあげたと伝えられている。

等々キリシタン弾圧の足跡を訪ねる研修会でした。

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