伝道院研修同窓会で長崎へ行きましたが、
その研修はキリスト教弾圧の足跡を尋ねた。
16世紀の長崎県大村は、日本で初めてキリシタン大名となった
大村純忠(おおむらすみただ)が治め
領主の意向により家臣や領民もキリスト教を
信仰するようになり、1582年頃にはその数6万人のも達したという。
純忠の信仰は過激で、領内の寺社を破壊、先祖の墓所も打ち壊した。
また、従わない僧侶や神官を殺害、
領民も殺害されたり土地を追われたと言う。
1587年に純忠が亡くなると、
跡を継いだ息子の喜前(よしあき)はキリスト教を棄て日蓮宗に改宗。
江戸時代になり、徳川幕府はキリスト教の信仰を禁止し、
キリシタンに厳しい弾圧を行いました。
仏教徒になる領民も多くいましたが、
厳しいキリシタン弾圧のなかにあっても、
信仰を支えにキリスト教を守り続けるキリシタン達がいました。
捕まると、火あぶり、斬首 。
遺体が再びよみがえらないようにと、
首と胴体を別々に、
南北に約500メートル離れた位置に首塚・胴塚をつくって埋葬。
寛永のころキリシタン討伐が阿修羅のように荒れ狂った時、
赤ん坊を抱いて逃げようとした女人を切った。
ところが女人は死に際に「ナマンダブツ ナマンダ」と唱えながら…息を引き取った
念仏を耳にし、仏教徒であったことがわかり不憫に思い、
碑を建立してとむらってあげたと伝えられている。
等々キリシタン弾圧の足跡を訪ねる研修会でした。