親鸞聖人の好きな所。
上から目線で教導するのではなく、我欲の満足に始終している私と同じ目線で懺悔の心をお伝え下さる有り難さ。
「まことに知りぬ。悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥ずべし、傷むべしと」
(教行信証「信巻」)
(意訳)
いま、まことに知ることができた。悲しいことに、愚禿親鸞は、愛欲の広い海に沈み、名利の深い山に迷って、正定聚に入っていることを喜ばず、真実のさとりに近づくことを楽しいとも思わない。恥しく、嘆かわしいことである。