はっきりしておかなければならないこと
仏教・真宗の教えは、
聞いて善い人間になる。というものでもないということです。
人間であることそのものを問題にする教えであります。
それが道徳や倫理と違うところだと思います。
み教えのはたらきに出遇い
仏願がなぜ生起したのかを知らされる
それは成仏する手がかりを何も持ってない私の真実相を知らされる私の姿でありました。
歎異抄後序
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」
「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。」
教行信証~信巻~
「誠に知りぬ。悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥ずべし、傷むべし、と。」