住職の独り言

~ご縁に触れて~

法名はいらない

2024年10月25日 | 独り言
亡くなっても法名を付けないで俗名のままの人がいる
浄土真宗の教義には
阿弥陀如来の本願力によって信心を恵まれ、念仏を申す人生を歩み、
この世の縁が尽きるとき、浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する。
と示され、
帰敬式の文言には
当流では、すべて二字の法名で、その法名の上に「釋」の字をつけます。
「釋」は釋迦牟尼佛を略したもので、「釋○○」とするのは仏弟子になったことをあらわします。
 ちょうど川の水も大海に流れ込めば同じ塩味の海水になるように、仏弟子となった者はすべて、御同朋
御同行として共にお念仏を慶び、お浄土に往生させていただくなかまとなります。
俗名のままと言うのは仏さまになった証も要らないと言うことか、仏さまにさせて頂く事を拒否する事なのか…それでいてお経だけは浄土真宗でと言われる。理解に苦しむ…








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