お釈迦さまに面白い話があります。
ミミズは土を食べます。
あれはどうし て土を食べるようになったかというと、ミミズが、何を食べて生きようかと悩んでいたそうです。
私のようにのろまな者はすぐ鳥に食べられるし、泳げ ないから魚もとれない。
ほかの生きものたちは皆食べ物を自分で取って生きているのに、私のようにただ地面を這うことしかできないのろまは、このま までは死んでしまうのではないかと心配して、お釈迦さまのところへ相談に行ったそうです。
そしたらお釈迦さまは、「お前は土を食べて生きなさい」とおっしゃった。
しかし、ミミズにも疑い心があって、「土がなくなったらどう しましょうか」と尋ねた。
その時のお釈迦さまの答えが面白いですね。
「土がなくなったら、馬に蹴られて死ぬがよい」と言われた。
馬に蹴られて死んでもいい、それで大丈夫だと言われたそうです。
この話は、一切衆生は生きても死んでも大丈夫だ、
仏さまのお護りの中を出ることはないのだということを言っているのだと思います。
お念仏があっ たら死んでいけるわけです。
馬に蹴られて死んでもお浄土行きです。
馬なんかに蹴られて死んでたまるか、なんて言っているのは、これはやっぱり信心がないからだと思いますね。
お釈迦さまは、おまえは生きている間は土を食べれば良い。
土がなくなったら馬に蹴られて死ねば良い。
生きても死んでも大丈夫だということを、
ミミズに教えられた。これが「一念無疑」ということです。
お念仏を聞いて無疑の人を、善導大師は「希有最勝人」だと褒められるの です。
信心の人は、人間ではあるがただの人間ではない、如来と等しい人間だと言われたのです。
凡夫といってもただの凡夫ではなくて、心は如来と等しいということです。
如来と等しいということは、死んだだけで仏に成れるということです。
(大峯顕師浄土の哲学より)