明年(H23)親鸞聖人750回遠忌法要が勤まるが、
今、京都駅で写真展が開催されている。
650回忌(明治44年)
700回忌(昭和36年)
それにしてもすごいお参りの数ですね…
西本願寺の御影堂がお念仏の声で溢れていたのでしょうね!
明年(H23)親鸞聖人750回遠忌法要が勤まるが、
今、京都駅で写真展が開催されている。
650回忌(明治44年)
700回忌(昭和36年)
それにしてもすごいお参りの数ですね…
西本願寺の御影堂がお念仏の声で溢れていたのでしょうね!
私一人のために、電車が動かなくなった。
どうしてかというと…
急病人になっちゃたんです!
日本橋で懇親会があり、S寺住職と帰宅途中。
日暮里で気分が悪くなり、一人下車し休養。
次の電車に乗ったが、まだ、気分がすぐれない。
次の三河島で下車しようと思っている間に…どうやら倒れたらしい。
気がつくと三河島駅の駅員が「大丈夫ですか?」「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれている。
私は「大丈夫です」と言ったものの、電車は止まったまま…
まずい私が降りないと電車は動かないと思い…
急ぎ下車すると、電車は安心したように動き出した。
ちょっと休憩して帰宅したが、
翌日気がつくと、膝小僧からは血は流れているし、まゆ毛の辺りを電車のガラスに強打したようで痛い。
どうやら貧血で倒れたようだ。
生まれて初めての体験でした。
電車の乗客の皆さん、駅員さん、車掌さん、ご迷惑を掛けました。
「食事のことば」が、50年ぶりに制定になったが、
大乗(H22.06号)に元北米開教使の鳥見さんが、
北米開教区プラサ仏教会の「食事の言葉」紹介記事があった。
【食事の言葉】
「わずか一滴の水も 一粒のお米も 宇宙の尊い『いのち』なれば つつしんでいただきます。合掌 南無阿弥陀仏」
…シンプルかつダイナミックでいいですね。
改訂版
【食前のことば】
多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうをまぐまれました。
深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。
【食後のことば】
尊いおめぐみをおいしくいただき、ますます御恩報謝につとめます。
おかげで、ごちそうさまでした。
腹が立つんだよね!
腹が立つというより、嫌な気分になるといった方がいいかも…
それは、本を読んでいて「親鸞」と呼び捨てで書いてある本です。
学術書ならまだしも、こと信仰に関する本で「親鸞」とか「親鸞さん」とか呼び捨てにしたり、友達のような言葉遣いだったりすると…本当に嫌な気分になる!
お敬いの心が感じられないと、この人本当にお領解していないのでないだろうかと不信になったりする。
【御文章】(二帖5通)
「真実信心を獲得したる人は、かならず口にも出し、また色(ようす)にもそのすがたはみゆるなり」
近頃色々な人から「やつれたねェ!」と言われる。
「スリムになった」とか「痩せたねェ」ならまだしも…
「やつれたねェ…!」
辞書で引くと「やせ衰える」とあり、
「若さがなくなって元気がない」という意味で言われるんだろうけど、
私にとってはショックな言葉!
…そうかなァ…と自分で省みる。
ここ何年かで真珠腫の手術や脳梗塞で入院とか色々あったからなァ…
そんな事をSさんに話したら、
ある程度、年を重ねると「スマートになりましたねェ」と言わないで
「やつれましたねェ…」と言うんだとか?
…これには何も言えませんでした。
やっぱり老病死には刃向かえないか!
天真寺日記の「日曜礼拝のすすめ」2010-06-09 http://blog.goo.ne.jp/tenshinji/
で自分お写真が出ていたけど、
本当!姿勢が悪いねェ…
もっと背筋を伸ばさなくちゃ…
自分では気がつかないけど、
写真を突きつけられると本当姿勢が悪い
反省…反省
そういえば友人のNさんは自分は背筋が強いんだ!
と自慢していたことがあった。
何故かというと
毎日雪かきしていたからだという。
辛い雪かきも、その成果は自分に返ってくるんですよね。
昨日(日曜日)は「やすらぎ堂」(天真寺永代合葬墓)で二戸の納骨があった。
初めて「やすらぎ堂」へこられる方がほとんどだが、
皆さんから「素晴らしいですね!」との
お言葉を頂き有り難いかぎりだ!
それに、いつも「やすらぎ堂」の納骨の際
お世話して下さる加藤さんの携帯の待ち受け画面が
やすらぎ堂の阿弥陀さまなんですよ!
うれしかったですね…
でも、阿弥陀様の力ってすごいですね!
自らの姿を通してお慈悲を伝えて下さる。
加藤さん感謝感謝…今後とも宜しくお願いします。
合掌
いよいよワールドカップが始まりましたねェ。
昨日の夜は寝付かれなくて
韓国vs.ギリシャ
アルゼンチンvs.ナイジェリア
をテレビ観戦してしまい寝付いたのは3時過ぎ…
2時間位しか眠れなかったので眠い眠い…
賑やかな日が続きそう…
日本 頑張れ ファイト!
人は自我の「モノサシ」でものを見る
虹は何色って聞かれたら…
七色と答える。
だが、アメリカでは六色、ドイツでは五色、南アフリカの一部では三色…
色々違うようである。
実際の虹の色に境目は無く、
無限に変化する色が並んでいる。
無限に変化する色の中で、
人々がどの色やどの数を大切にするかによって、
虹の色の数が決まる。
つまり、自分が大事にしている色や数を「モノサシ」にして決めている。
だから民族や文化によって違いが出てくる。
阿弥陀様は善人・悪人・男・女・財産の有無・修行の有無…
一切の「モノサシ」を当てずに、
一切衆生をお救い下さるのであります。
それは「私一人のため」のお救いであります。
門というより
狭い茶室の入口(高さ60㎝強の正方形の入口)であります。
この入口を「にじり口」という。
「にじる」とは、ひざを曲げて畳をすりながら、両手のこぶしで進む動きをいいます。
この狭い入口から二畳余りの茶室に入る時は、
どんな身分や地位が高い人でも、
頭を下げて、にじらなければならない。
昔、武士は入口で刀を預けなければ入れない。
ひとたび茶室に入れば、世間の身分等々の立場を離れて、
皆、平等になる意味を持つという。
お寺も一緒ですね!
【御一代聞書】(蓮如上人)
「身をすてておのおのと同座するをば、聖人(親鸞)の仰せにも、四海の信心の人はみな兄弟と仰せられたれば…」