浄土真実のみ教えは
苦難の人生にあって
安心を与えて下さる (惠)
※安心とは、心配・不安がなくて心が安らぐこと。
と辞書にはある。
生きていく上での苦難
死の恐怖!
生死の苦難をあるがまま受け入れ
有難き慶びに導いて下さる如来の大悲。
安心(あんじん)という。
浄土真実のみ教えは
苦難の人生にあって
安心を与えて下さる (惠)
※安心とは、心配・不安がなくて心が安らぐこと。
と辞書にはある。
生きていく上での苦難
死の恐怖!
生死の苦難をあるがまま受け入れ
有難き慶びに導いて下さる如来の大悲。
安心(あんじん)という。
~被害者の瞳に写る犯人~
容疑者のスマホに被害者の写真があった
徳島県警はそのスマホに写っていた
被害者の瞳を写真解析
瞳には犯人の顔が映っており
それが決め手となり犯人検挙
http://www.sankei.com/west/news/170127/wst1701270077-n1.html
この世の縁にしたがいて
わが身をたのみ
わが心をたのみ
励み善根を修せしかど
仏さまの世界へは
いかなる自力の善根は通用せず
「地獄必定のわが身なり」
この上は
弥陀のもよおしにあずかりて
念仏申すのみ…
慚愧・歓喜の南無阿弥陀仏
朝から自室清掃
11時からスポーツクラブのプールで
30分泳ぎ30分水中歩行
サウナで1時間
3時皮膚科へ
おでこにブツブツが出来、
老人性イボと思っていたが、気になるので皮膚科へ
診察したら「線維腫」だって…聞いたこともない病名?
物理的に取り除くしかないとの事で
とりあえず液体窒素で焼いてもらったが
暫くしたら再来院しろとの事
その後、帰宅。
~親鸞聖人御消息~
浄土の真実信心の人は、
この身こそあさましき不浄造悪の身なれども、
心はすでに如来とひとしければ、
如来とひとしと申すこともあるべしとしらせたまへ。
(意訳)
お念仏者は、信心を頂いたからといって立派な人間ではなく、
煩悩まみれのお恥ずかしい身ではありますが
無上のおさとりの世界へ往生することが確定しており
その意味では ”如来と等しい”。
何年か前から、この時期になると
やたらコンビニに「恵方巻」の幟がたなびく
縁起を担がない私には関係ないが
節分に食べると縁起が良いとされているようだ。
そして福枡で豆まき
福枡を見ると福・壽の文字と共に
「七難即滅・七福即生」と書かれているが
お念仏に生きる私にとって
何時どんな苦難が起こるかも知れないけど
苦しく・悲しくとも、お念仏と共に
あるがまま、その苦難を受け入れ生きていきたいですね。
~歎異抄~
念仏者は無碍の一道なり。そのいはれいかんとならば、
信心の行者には天神・地祇も敬伏し、
魔界・外道も障碍することなし。
罪悪も業報を感ずることあたはず、
諸善もおよぶことなきゆゑなりと[云々]。