親鸞聖人は後生の解決を求め9歳から比叡山で修行されましたが、20年の歳月を費やしても安心出来る世界へ至る事が出来ず、比叡山での修行(20年間)に終止符を打ち、真の知識(まことの仏教の先生)を求めて山を下りられました。
京都で法然聖人と出遇われ、安心する世界(本願力廻向)との出遭いでありました。
親鸞聖人が法然上人から直接教えを受けられたのは、29歳から35歳までの約6年間と、親鸞聖人90年のご生涯の中では、ほんの短い期間でありましたが、法然聖人との出遭いを「真の知識にあうことは かたきが中になおかたし」(高僧和讃109)と何より慶んでおられます。
その出遭いとは、自分を磨き「さとり」に至る「自力修行」の道から、与えられている事に目覚める「本願他力の目覚め」でありました。
その目覚めを
「ひそかにおもんみれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。
(教行信証総序)
現代語訳
(意訳)わたしなりに考えてみると、思いはかることのできない阿弥陀仏の本願は、渡ることのできない迷いの海を渡してくださる大きな船であり、何ものにもさまたげられないその光明は、煩悩の闇を破ってくださる智慧の輝きである。
阿弥陀如来の大慈悲心に目覚め安堵する世界でありました。
親鸞聖人はハッキリとした人生の意味(浄土往生)に出遇われ、それは死んでから参るのではなく、今安心を頂く世界でありました。南無阿弥陀仏