報恩講を前にして境内の庭木剪定
5~6人で3日間かかりスッキリして気分です。
床屋さんに行ったみたい、
後は、内陣荘厳等との準備をして報恩講を迎えます。

今のお寺を建立してから50年…
次は何百年も耐えるお寺を建立したいもんだ…五億円の宝くじを当てて一発建立…
一ヶ月位の長期休日をいただいてクルーズ船旅行…
などと夢見ている。
娑婆の縁尽きるまで、夢物語に始終して命尽きゆくのが私の姿。ましてお浄土へ参りまいとも思わないのが私の姿。
「凡夫」というのは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲も多く、怒り腹立ちそねみねたむ心多く、臨終の一念に至るまで止まらず消えず絶えず。」(一念多念文意)
「一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで穢悪汚染にして清浄の心無し、虚仮諂偽にして真実の心無し。」(教行信証)
親鸞聖人のおしゃれ通りであります。南無阿弥陀仏
仏教では、諸法無我を説き、我というような固定的な実体はない、我をくだいていこう、無我に なりきろうとお教えいただきます。
我の執着を離れるところに見えてくるものがあります。
今までは、この世の中は、自分中心にまわっているのだと思っていましたが、我のとらわれを離れてみれ ば、あらゆるものがお互いに関わりあい、支えあって成り立っていることが知らされます。
智慧の こころとは、この縁起の世界にこころを開くということです。
しかし、どうしても我の強い私たちは我執を離れることはできませんが、釈迦・弥陀二尊の慈悲心に生かされて、念仏申す生活の中で、自らの姿に気づかせていただき、生死を超える道を歩かせ ていただきます。
おのずと、生かされる喜びの中に、仏恩を報ずる想いも生じます。