ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

東畑開人『聞く技術 聞いてもらう技術』2022・ちくま新書-コミュニケーションとカウンセリングを学ぶ

2024年10月03日 | 心理療法に学ぶ

 2022年10月のブログです

     *

 東畑開人さんの『聞く技術 聞いてもらう技術』(2022・ちくま新書)を読む。

 新刊!(えっへん!)。

 東畑さんはカウンセラーで、少し前まで大学の先生をされていたが、最近、やめたらしい(と本書に書いている)。

 今は開業カウンセラー。

 著書『居るのはつらいよ』で賞を取るなど、活躍中。

 今年の遊戯療法学会のシンポジウムにも出席をされて、じーじはズームで拝見したが、歯切れのいい発言をされていたのが印象に残っている。

 さて、本書、対話が難しいように見える現代におけるコミュニケーションについて述べると同時に、カウンセリングの技術についても述べている、なかなかの本。

 じーじにも参考になることがらが多く述べられている。

 例えば、聞く技術小手先編(?)には次のような内容が並ぶ。

 時間と場所を決めてもらおう。眉毛にしゃべらせよう。正直でいよう。沈黙に強くなろう。返事は遅く。七色の相槌。奥義オウム返し。気持ちと事実をセットに。「わからない」を使う。傷つけない言葉を考えよう。なにも思いつかないときは質問しよう。また会おう。

 いずれも、大切なことがらばかりで、じーじが実践できているものもあるし、なかなか難しいものもあって、いずれにしてもとても勉強になる。

 さらに、聞くことについて述べる中で、ウィニコットさんを引いて、環境としての母親やほどよい母親の大切さに述べていて、これがとってもわかりやすい。

 他にも、対話が難しい分断の時代に、コミュニケーションを復活させるにはどうしたらいいのか、についての提言など、参考になることがらも多い。

 小さな本だが、いろいろと考えさせられるいい本だと思う。      (2022.10 記)

 

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菅佐和子『思春期女性の心理療法-揺れ動く心の危機』1988・創元社-こまやかな心理療法に学ぶ

2024年10月02日 | 心理療法に学ぶ

 2022年10月のブログです

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 菅佐和子さんの『思春期女性の心理療法-揺れ動く心の危機』(1988・創元社)をかなり久しぶりに読む。

 じーじが若いころ、家庭裁判所で非行少女の援助に苦労していた時に参考に読んだ本。

 しばらく若い女性のカウンセリングをしていなかったので(?)、ご無沙汰していた(菅さん、ごめんなさい)。

 しかし、読み返してみると、とてもこまやかな心理療法で、今でも勉強になる。

 菅さんは、河合隼雄さんが京大の大学院の先生になった時の一期生。

 それまでロジャース派の来談者中心療法を勉強されていた菅さんが、河合さんの指導を受けて、さらに力をつけていった様子がうかがわれる。

 もっとも、河合さんのお考えもあって、コチコチのユング派ではなく、あくまでも菅さんの個性を活かしたていねいなご指導を受けたようで、かなり柔軟で、こまやかなカウンセリングをなさっていることが読み取れる。

 事例が中心の本で、クライエントさんは、強迫症の中2女子、いじめられっ子の中2女子、不登校の中1女子、拒食症の中3女子、抑うつ症の高2女子、などなど。

 いずれもかなり難しそうな事例で、心理療法も難航するが、菅さんは右往左往しながらも、なかなか落ち着いたカウンセリングを実践していらっしゃる。

 その菅さんの心中の右往左往が正直に報告されて参考になるし、全般的にとてもていねいで、こまやかなカウンセリングがされていて、読んでいて脱帽する。

 じーじも、初心にかえって勉強しなくっちゃ、と思わせられる、いい本だ。

 最近、勉強をさぼりがちのじーじには、いい刺激になる一冊だった。      (2022.10 記)

 

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山野保『「うらみ」の心理-その洞察と解消のために』1989・創元社-「うらみ」を超えて

2024年08月30日 | 心理療法に学ぶ

 たぶん2011年ころのブログです

     * 

 山野保さんの『「うらみ」の心理-その洞察と解消のために』(1989・創元社)を再読しました。

 何回目になるでしょうか。

 何回読んでも得るところの多い本です。

 このところ,「うらみ」ということについて考えることが多く,そういえば、家庭裁判所の当事者のかたがたや心理臨床のクライエントのかたがたに,「うらみ」にとらわれている人々が多くおられるなと感じています。

 「うらみ」のせいで,本来,力のあるかたがたが,冷静な判断をできずに苦しんでいる姿をよく拝見します。

 「うらみ」の世界からは,自分ひとりの力だけでは,なかなか抜け出すのが難しいようです。

 適切な援助者の手助けを利用することも,大切なのかもしれません。

 この本の中で,「うらみ」をいかに「解消」するか,その一端を山野さんは家庭裁判所のケースなどを中心にしてわかりやすく述べておられます。

 実は山野さんは,じーじが四十数年前に家裁調査官になった時の指導官のお一人。

 ずいぶんお世話になりました。

 面接のしかたや面接の訓練について,丁寧に教えていただきました。

 一度,山野さんのカウンセリングを見学させていただいたことがありました。

 ふだん,部屋では毒舌で厳しい山野さんが(山野さん,ごめんなさい),別人のように優しいカウンセラーになられていて,その変身ぶりに,びっくりした記憶があります。

 プロはすごいな!と思いました。

 不肖の弟子はまだまだ半人前。

 もっともっと勉強をしていかないといけません。     (2011?記)

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 2020年12月の追記です

 「うらみ」が「甘え」と関係していることを述べたのが、土居健郎さん。

 「甘え」足りないと「うらみ」が発生することを土居さんも山野さんも述べています。

 しかし、「甘え」足りない部分を満たすことは至難の業。

 結局は、「甘え」足りずに「うらみ」に浸っていることを自ら理解し、「諦める」という「喪」の作業が大切になるのかもしれません。     (2020.12 記)

     *

 2022年5月の追記です

 よく考えると、「うらみ」を解消するといっても、すごく難しい作業ですよね。

 われわれにできることは、せいぜい、「うらみ」を抱いているということをきちんと自覚すること、くらいなのかもしれません。

 それだけでも、ずいぶん違ってきそうな気もします。      (2022.5 記)

 

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狩野力八郎『重症人格障害の臨床研究-パーソナリティの病理と治療技法』2002・金剛出版-パーソナリティ障害とは?

2024年07月28日 | 心理療法に学ぶ

 たぶん2017年のブログです

     *  

 狩野力八郎さんの『重症人格障害の臨床研究-パーソナリティの病理と治療技法』(2002・金剛出版)を再読しました。

 この本もかなり久しぶりの再読です。

 昔、読んだ時に少し難しかったという印象が残っており、なんとなく再読が遅くなってしまいました。

 さて、昔よりは多少の経験を積んで読んでみた本書、でもやっぱり難しかったです。

 それでも、ところどころに出てくるアンダーラインに感心しながら、以前はこんなところに感動しながら読んでいたんだ、と少し懐かしい気分で読みました。

 パーソナリティ障害の人はデイケアでも出会いますし、家庭裁判所の現役時代にも数多くお会いして、結構、皆さん、お互いに苦労をされていると思います。

 そういうかたがたを援助する技法はとても大切なわけですが、しかし、こころの病ですからそう簡単に治るというものではなく、時間と粘り強さが必要となります。

 本書には、そういう工夫と症例が数多く載せられており、とても参考になります。

 今回は、以前より多くのアンダーラインと付箋で印をつけましたが、印象に残った第一の点は、面接で治療者が患者さんより話の先を行かないように気をつけることの重要さです。

 これは心理療法全般に大切な点だろうと思いますが、本書で改めて大切さを実感しました。

 第二は、激しい夫婦喧嘩を繰り広げる夫婦の家族療法の症例。

 夫婦同席面接で、ていねいな質問による明確化と言語化は、とても参考になります。

 すばらしいなあ、と感嘆するばかりでした。

 それでも、狩野さんは、冷静に振り返って反省をしたりしており、すごいな、と本当に感心させられます。

 おごらず、常に謙虚な姿勢が成長のポイント、と教えられました。

 久しぶりに読んだ本書は、やはり難しいところもありましたが、確実に勉強になる本でした。

 いずれまた、さらに経験を積んで、読みたいと思いました。         (2017?記)

     *   

 2020年2月の追記です

 じーじは昔からクライエントさんの話を早わかりしてしまうくせがあって、先輩に指摘されますが、最近は年のせいか、さらにせっかちになっているようで反省です。

 また、同じ日本語であっても、クライエントさんのいう意味とじーじのいう意味が、同じでないことが多々ありますので、クライエントさんの意味するところをふくらませてもらって、より明確にすることが大切だなと感じています。      (2020.2 記)

     *

 2020年12月の追記です

 下坂幸三さんが、面接で大切なことの一つとして、患者さんの話したことを「なぞる」ことの重要性を挙げておられます。

 こういうことをきちんと実践できれば、患者さんの話の先を行ってしまったり、早わかりしてしまうことも減りそうです。      (2020. 12 記)

 

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小倉清・狩野力八郎編『摂食障害-拒食と過食(思春期青年期ケース研究1)』1994・岩崎学術出版社

2024年07月26日 | 心理療法に学ぶ

 たぶん2017年のブログです

     *  

 小倉清さんと狩野力八郎が編集をした『摂食障害-拒食と過食(思春期青年期ケース研究1)』(1994・岩崎学術出版社)を再読しました。

 これもかなりひさしぶりの再読です。

 一時期、思春期青年期精神医学会に顔を出したり、雑誌を購読したりして、勉強をさせてもらっていた時期があり、この思春期青年期ケース研究のシリーズにも境界例や家庭内暴力など何冊かお世話になっています。

 本書は摂食障害の治療をした数人の若手・中堅の臨床家による論文と執筆者の座談会からなっていますが、じーじは今回は最初に狩野さんが司会をした座談会の部分から読み始めました。

 編者の小倉さんも加わって、ざっくばらんで飾りのない、わかりやすいお話が展開されていて、治療の臨場感がすごいですし、それへの研究心や学術的な関心が熱いくらいにあふれています。

 今はもう大家になっているかたの治療が失敗も含めて正直に語られ、遠慮なく議論されて、とても勉強になります。

 やはり臨床は、きちんと議論をしていかないと成長もないのだな、と納得をさせられますし、日々、反省のじーじの臨床についても深く考えさせられる場面が多々あります。

 今回、特に印象に残ったのは、束原美和子さんが、患者のお母さんに急な面接を要請されて、しかし、きっぱりと断わる場面。

 約束を守る大切さを説明されて、例外的に動くことの弊害をお母さんに説明されますが、いざ実行をできるのはすごいなと感心をしました。

 他にも、ケースについての見方が豊富で、柔軟だなという印象を強く受けました。

 じーじが臨床の仕事についた頃、指導者だった山野保さんから、仮説は四つ以上考えなさい、三つまでは弁証法で楽に出るが、四つ目を出せるようになるのは難しい、と言われた記憶がありますが、本書のみなさんは、もっともっとこの仮説を縦横に展開されて、やはりすごいです。

 さらに勉強を続けていこうと思いました。      (2017?記)

     *

 2020年12月の追記です

 束原美和子さんの論文を読むと、治療者が治療構造を守ることの大切さに気づかされます。

 そして、それが、患者である子どもさんを守るだけでなく、お母さんをも守ることになるのだな、と納得させられます。      (2020. 12 記)

 

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吉本隆明・北山修『こころから言葉へ』1993・弘文堂-ばななさんのお父さんと北山修さんの対談です

2024年07月12日 | 心理療法に学ぶ

 2018年のブログです

     *   

 先日、きたやまおさむさんとよしもとばななさんの対談本を再読しましたので、こんどはばななさんのお父さんである吉本隆明さんと北山修さんの対談本の吉本隆明・北山修『こころから言葉へ』(1993・弘文堂)を再読しました。

 この本はなんとなんと20年ぶりくらいでの再読で、本棚の隅っこにあったのを見つけて、もう一回読んでみました。

 吉本隆明さんはばななさんのお父さんですが、じーじの世代には共同幻想論というやや難しい考えで有名だった評論家・思想家で、じーじも若い頃には何回かチャレンジしてみましたが、難しさのあまりに途中で挫折をした思い出があります。

 今回は、北山さんがお相手で、赤ちゃんのこころの発達や人間の言葉の発達などの話題からはじまって、家庭や社会、こころや精神、などなどのさまざまなテーマについて、深い考察がなされています。

 20年前のじーじはまだ精神分析学会に入会する前の初学者で、当時はこの本のすごさをあまり理解できなかったのかもしれません。

 北山さんはまず精神分析の無意識の概念をていねいに説明されます。

 そして、フロイトさんの『日常生活の精神病理学』という本を紹介して、精神病と健康の間に神経症を発見したことにふれ、正常と異常の間の橋渡しをしたことを指摘しています。

 また、小児科医で精神分析家のウィニコットさんの普通でほどよい育児を紹介し、いること、いられることの大切さを述べられています。

 これらのことは今のじーじならなんとか少しは理解できますが、当時はまだまだ勉強中のことでした。

 吉本さんはこういう子どもの発達や育児、家庭、親子関係などに当時、関心をお持ちだったようで、かなり熱心な討議がなされ、読んでいてなかなかスリリングです。

 じーじも自分の関心事や考えの変遷をふりかえることができて、なかなか勉強になりました。

 いずれまた、読み返してみたい本だと思いました。      (2018 記)

     *

 2023年12月の追記です

 まだ読み返していません。

 吉本さんの他の本は読んだのですが…。

 頑張ります。     (2023.12 記)

 

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きたやまおさむ・よしもとばなな『幻滅と別れ話だけで終わらないライフストーリーの紡ぎ方』2012・朝日出版社

2024年07月11日 | 心理療法に学ぶ

 2018年のブログです

     *

 きたやまおさむさんとよしもとばななさん(なぜか、ひらがなです)の対談である『幻滅と別れ話だけで終わらないライフストーリーの紡ぎ方-並んで海を眺める心でいっしょに考える!』(2012・朝日出版社)を再読しました。

 この本は少し前に読んだつもりだったのですが、もう6年が経っていました。

 去年、ある臨床心理士さんがご自身のブログでこの本をほめておられていて、気になっていたのですが、やっと読めました。

 あらためて読んでみて、やはりいい本です。

 東日本大震災の少し後での対談で、お二人の軽妙なお話の中にも、冷静な分析が混じっていて、勉強にもなります。

 いろいろ考えたことがあったのですが、ひとつは日本人の愛の形について。

 きたやまさんが、小津安二郎監督の映画を例にして、日本人は横に並んでいっしょに同じ方向を見ることが愛の形になると指摘されます。

 西洋の男女が見つめあうのとは違う愛の形があるのでは?と述べられていて、おもしろく感じました。

 そして、ともすると、日本では、つるが美しいままで去っていくのを見送ってしまう悲劇の物語になってしまうので、はかなさで終わらずに、すまなさという罪悪感をきちんと感じることが大切、と述べられます。

 それを受けてばななさんは、つるにずっと生き残ってもらえるようにすることが重要では?と提案をします。

 日本人の甘えや無責任さを鋭くつき、その打開策を考えるお二人のお話はとても参考になります。

 また、きたやまさんが、村上春樹さん(すみません、読み返してみると、村上龍さん、の間違いだったようです(2020.11 追記))の、普通というのは普通じゃないところを含んでこそ普通、という発言をひいて、正常は異常を含んで初めて正常、と述べています。

 ともすると、異端や異常を排除しがちな日本人の悪いところを指摘していると思いました。

 他にもいろいろと刺激されたところが多々あって、いい本だと思います。

 なお、著者名が漢字でなく、ひらかなのお二人ですが、ここには深い深いわけがあり、それは本書をじっくりと読んでみてください。

 それもがひとつの日本人論にもなっています。     (2018 記)

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 2020年11月の追記です

 きたやまさんが指摘する、村上龍さんの「普通」は普通じゃないものを含んでいる、という指摘は鋭いと思います。

 じーじは、ただの「普通」もそれなりにすごい、と考えていますが、もっと考えてみようと思います。

 蛇足ですが、じーじの公園カウンセリングは横並びでお話を聴くことが多く、これについても考えてみたいと思いました。     (2020. 11 記)

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 2023年12月の追記です

 日本人は横に並んでいっしょに同じ方向を見ることが愛の形になる、という指摘はすごいですね。

 じーじのカウンセリングは「愛」なのかもしれません(???)。       (2023. 12 記)

 

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北山修監修・高野晶編著『週一回サイコセラピー序説-精神分析からの贈り物』2017・創元社

2024年06月28日 | 心理療法に学ぶ

 2018年のブログです

     *   

 北山修さんが監修をした『週一回サイコセラピー序説-精神分析からの贈り物(2017・創元社)を読みました。

 去年秋の精神分析学会で北山さんや高野さんなどからご紹介のあった本で、今、精神分析学会で論議されている精神分析と精神分析的心理療法との異同について考えるのに、最適な一冊かなと思って読みました。

 なかなか刺激的な本です。

 これまであまり明確に議論をされてこなかったことがどんどん明らかにされるせいもあるでしょうし、精神分析的心理療法という古くて新しい心理療法を皆さんがなんとか確立していきたいという意気込みみたいなものも感じられます。

 もっとも、じーじは精神分析の訓練を受けたこともなく、本を読むだけで、どちらかというと精神分析的心理療法を学んだり、実践する立場ですので、冷静に勉強をしたいと思って読みました。

 本書では大勢の人が論文を書いており、たとえば、北山修さんの独創的な論文には本当に感心させられますし、鈴木龍さんの事例と理論にはこころから納得させられます。

 また、高橋哲郎さんの論文では、あの土居健郎さんが出てきて、とても感激させられます。

 そんな中で、今回、じーじが一番、勉強になったのが、先日もご紹介をさせていただいた生地新さん。

 生地さんは「子どもと思春期」という論文で、子どもや思春期の心理療法について詳しく説明をされ、週1回面接の意味やそれ以外の面接との比較についても述べられていて、月1~2回程度の面接が多いじーじの実践にもとても参考になりました。

 まだまだ読み方が浅く、理解も十分ではないと思いますので、今後、時間をかけて読み込み、実践に活かしていきたいなと思いました。      (2018 記)

 

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北山修『ふりかえったら風・対談1968-2005 3 北山修の巻』2006・みすず書房

2024年06月24日 | 心理療法に学ぶ

 たぶん2017年のブログです

       *     

 北山修さんの対談本『ふりかえったら風・対談1968-2005 3 北山修の巻』(2006・みすず書房)を再読しました。

 この本もかなりの久しぶりでしたが、今回は前回読んだはずなのにすっかり忘れていた(?)斧谷彌守一(よきたにやすいち)さんという哲学者を再発見(?)したことが一番の収穫です。

 斧谷さんはハイデガーさんの研究者ですが、ハイデガーさんはヘーゲル弁証法の正・反・合を発展させて、全体性と聖なるものの関連に気づいていたのではないか、という説を述べられます。

 ただし、ウィニコットさんを知らなかったため、子どもとおとなの中間領域という考えやそこが創造の場であるという考えには至らずにいて、喜びと悲しみの中間領域という考えには思い至らなかったのではないか、という大胆なお話に発展しています。

 たしかに、ハイデガーさんは読むのにも難儀をするような緻密な哲学で、ウィニコットさんの遊びや創造性の世界からは少し縁遠い印象を受けますが、しかし、素人の感想ですが、どちらもがかなり深い世界を扱っているなという雰囲気だけはなんとなくわかります。

 久しぶりに哲学らしい論議を読めて、面白かったです。

 他にも、精神分析の鈴木晶さんとの対談では、昔話の変化とつくり直しの話題が出て、例のつるの恩返しの物語が書き換えられるかというテーマに繋がっています。

 同じく精神分析の小此木啓吾さんとは境界パーソナリティをめぐって対談がなされ、現代社会における子どもの過剰適応との関連が検討され、死の本能の隠蔽やエディプスの崩壊とおとなになることへの失望など、なかなか刺激的な話題が話されます。

 さらに、精神分析の妙木浩之さんとは、ウィニコットさんをめぐって話され、ウィニコットさんやフロイトさんの症例報告が間接話法で書かれていることを指摘されて、ローデータ神話を批判されます。

 事例報告を直接話法で書くか、間接話法で書くか、という問題は、事例検討が重要である臨床家にとっては大きな問題で、今後、真剣に考えていきたいなと思いました。

 対談本ですが、とても刺激になった一冊でした。     (2017?記)

 

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成田善弘・氏原寛編『共感と解釈-続・臨床の現場から』1999・人文書院-「共感と解釈」を学ぶ

2024年06月05日 | 心理療法に学ぶ

 2020年7月のブログです

     *

 成田善弘さんと氏原寛さん編集の『共感と解釈-続・臨床の現場から』(1999・人文書院)を再読しました。

 先日、ご紹介をした同じ編者による『転移/逆転移-臨床の現場から』(1997・人文書院)の続編です。

 執筆者も前著と同じ方々が、今度は、共感と解釈、という心理療法の基本に挑みます。

 しかしながら、前著と同じく、こちらもなかなか難しい本で、じーじなどはまだこちらも拾い読みの状態です。

 とりあえず、今回、印象に残ったことを一つ、二つ。

 まずは、松木邦裕さんの論文「言葉を超えないこと-共感から解釈へ」。

 松木さんはご自身の面接を提示され、そこでセラピストが考えていることをとてもていねいに正直に描写されます。

 それだけでも勉強になりますが、まるで自分も面接を一緒に進めているかのような気分になって、自分も考えさせられます。

 そして、誠実に努力しつつも、言葉の限界を示すことを指摘され、理解の限界を示す、という言葉がとても印象的でした。

 次は、やはり、藤山直樹さんの論文「共感-不可能な可能性」。

 藤山さんは、共感は目指すものではなく、面接での理解の結果として得られるもの、という大切な視点を論じられています。

 そして、共感を目指すような余裕のなさの危険性を指摘され、そうではなくて、ウィニコットさんのいうような「ふたりでいてひとりになること」やビオンさんの「もの想い」などの大切さについて説明されます。

 「遊ぶこと」の大切さをはじめとして、面接におけるウィニコットさんやビオンさんの考え方の大切さを再認識させられて、とても勉強になりました。

 さらに、深く学んでいこうと思いました。     (2020.7 記)

      *

 2024年初夏の追記です

 松木さんの論文の感想を再度、読んでいると、ウィニコットさんの、解釈は治療者の限界を示すもの、という言葉を連想しました。

 治療者は万能ではなく、心理療法は患者さんと治療者が二人で進めていくもの、ということを改めて考えます。     (2024.6 記)

 

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氏原寛・成田善弘編『転移/逆転移-臨床の現場から』1997・人文書院-心理療法における転移・逆転移を学ぶ

2024年06月04日 | 心理療法に学ぶ

 2020年6月のブログです

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 氏原寛さんと成田善弘さんが編集された『転移/逆転移-臨床の現場から』(1997・人文書院)を久しぶりに読みました。

 中級者向けの事例中心の本ですが、理論面でもかなり高い水準の本で、じーじなどはまだまだ十分に読み込めていない論文もあります。

 2001年に購入したと思うのですが、購入の動機は若き日の藤山直樹さんと松木邦裕さんの論文があったことから。

 お二人とも、いい論文を寄せられています。

 藤山さんは、「私」の危機としての転移/逆転移、というテーマで、心理療法中の「再演」などの危機の状況の時に、どのくらい事態を読めるかの重要性などについて論じています。

 提示されている事例がすごいケースで、勉強になります。

 松木さんも、難しい事例の中で、転移の占める部分をできるだけ明確に理解していくことの大切さを論じます。

 さらに、菅佐和子さんの論文がいいです。比較的平易な文章で、率直な語りを通して、転移・逆転移について述べられています。

 そんな中で、今回、じーじが一番印象に残ったのが岡田敦さんの論文。

 岡田さんは、「転移劇」というキーワードで、転移・逆転移を事例を通して読み解きます。

 これがすごいです。

 精神分析と劇の関係については、フロイトさんから始まって、いろんなかたが述べており、岡田さんもウィニコットさんや土居健郎さん、小此木啓吾さん、北山修さんらの説を挙げて、説明されます。

 そして、心理療法の中での患者さんの「再演」をよいものに改定していくことの大切さを述べています。

 くしくも、心理療法の中での患者さんの「再演」を読む解くことの重要性が重ねて論じられていた印象を今回、感じました。

 今のじーじの問題意識がそこにあるせいでもあるでしょうし、やはり大切なポイントでもあるからだろうと思います。

 さらに勉強を続けていこうと思います。    (2020.6 記)

     *

 2022年春の追記です

 文中でも述べていますが、じーじの理解が不十分な状態での感想文で、理屈っぽい、わかりにくい文章になっています。

 今も理解が深まったとはいえないのですが、「再演」とは,、じーじの今の理解では、心理療法の中で、クライエントさんがご自分の感情などを言葉で表現できずに、行動で「反復」してしまうことではないかと思います(それで合っているのかなあ?、ちょっと心配。いろんなレベルでの理解があると思います、と少し逃げておきます)。

 そして、「再演」を治療者がきちんと受けとめられると、クライエントさんは少しずつ言葉でご自分の感情などを表現できて、自身の行動の「反復」に気づけるようになる、というのが、今の精神分析的な心理療法の考え方ではないかと思います(まだわかりにくい文章ですね。じーじはもっともっと勉強しなければなりません)。    (2022.4 記)

 

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北山修ほか編『語り・物語・精神療法』2004・日本評論社-神田橋條治さんの症例検討会ライブがすごいです

2024年05月18日 | 心理療法に学ぶ

 2023年5月のブログです

     *

 北山修・黒木俊秀さん編著の『語り・物語・精神療法』(2004・日本評論社)を久しぶりに再読する。

 2002年の第9回日本語臨床研究会の記録。

 日本語臨床研究会は、北山修さんや藤山直樹さんなどが参加されていた精神分析を日本語で研究しようという勉強会で、じーじも何回か参加させてもらったことがあるが、型にとらわれない、自由でなかなか刺激的な研究会だった。

 何回目だったかは忘れたが、甲南大学で行われた時に、中井久夫さんが講演をされたが、以前どこかにも書いたが、パワーポイントがお嫌いだという中井さんが、黒板にいっぱい板書をされてお話をされたのが印象的だったのを覚えている。

 今回もいろいろなプログラムがのっているが、圧巻なのが神田橋條治さんの症例検討会でも公開スーパーヴィジョン。

 すごい!のひと言だ。

 若手臨床家の解離の症例を神田橋さんがスーパーヴィジョンをするが、そのていねいな指導ぶりがすばらしい。

 治療者が考えたことや連想をしたことをていねいになぞり、それが患者との関係でどんなふうに展開しているのかを、一緒に検討する。

 神田橋さんの質問や連想や感想で、治療者の記憶や連想がすごく豊かになっていくさまがすばらしい。

 総じて、患者さんの様子をポジティブにとらえていく構えがすごいなあ、と感心させられる。

 やはり神田橋さんはただものではない、と思ってしまう。

 連休中にいいものを読ませていただいて、とても楽しい連休になった。     (2023.5 記)

 

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下坂幸三『摂食障害治療のこつ』2001・金剛出版-摂食障害とその家族に向き合う

2024年05月15日 | 心理療法に学ぶ

 2019年5月のブログです

     *

 下坂幸三さんの『摂食障害治療のこつ』(2001・金剛出版)を再読しました。

 先日、同じ下坂さんの『拒食と過食の心理-治療者のまなざし』(1999・岩波書店)を再読して、かなり勉強になったので、その続きです。

 この本もかなり久しぶりの再読。

 最近は摂食障害の患者さんにお会いすることがあまりないので、つい足が遠のいてしまいました。

 本書のほうが岩波本より2年後に出た本で、出版社も精神医学関係の会社からであり、少しだけ専門的かもしれませんが、基本はぶれていません。

 今回、印象に残ったことを、一つ、二つ。

 一つめは、繰り返しになりますが、面接論で、患者さんや家族の発言をなぞるように繰り返して、要約することの大切さ。

 このことはよく言われますし、たまたま、今読んでいるサリバンさんも同じことを強調していて、本当に重要な点だと思います。

 下坂さんの場合は家族面接をされますので、それを患者さんと家族の前で実践し、同意は無理でも、それぞれに確認をすることの大切さも述べられます。

 このように、それぞれの考えをていねいに聴いて要約し、みんなで確認することの重要性を下坂さんは、前書でも協調されていますが、本当に重要な点だと思います。

 じーじも家族面接で実行してみたことがありますが、特に、家族がこれまで言えなかったことを言えた、という経験をされることが多かったように思います。

 そして、下手をすると論争の場になってしまうこのような場で、治療者が治療者として生き残ることで、患者さんや家族の不安を受けとめることにもなると述べます。

 二つめは、面接のていねいさについて。

 たとえば、ものの見方が善悪に極端に分裂してしまう患者さんに、少しの反対面を確認し、患者さんの強迫性を崩すこと。

 原因より現象をていねいに語ってもらい、生身の姿を確認することで、やはり強迫性を崩すなど、現実を見据えて、互いに確認することの治療性を説きます。

 いずれも、治療現場で下坂さんが手探りで実践してこられた方法ですが、フロイトさんをご自分なりにていねいに読み解いて、実践されてきた重みが感じられます。

 空理空論でない、現場からの誠実な声に学ぶところがたくさんあります。

 さらに勉強を続けていきたいと思います。     (2019.5 記)

 

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下坂幸三『拒食と過食の心理-治療者のまなざし』1999・岩波書店-摂食障害と向き合う

2024年05月14日 | 心理療法に学ぶ

 2019年5月のブログです

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 下坂幸三さんの『拒食と過食の心理-治療者のまなざし』(1999・岩波書店)を再読しました。

 これもかなり久しぶりの再読。

 昔、家裁調査官の時に、万引きをした女の子が摂食障害の子で、対応に苦労した時に、下坂さんの本で勉強をしたことを思い出します。

 いわゆる不良少女とは違う真面目な女の子の非行で、非行というよりやはり精神的な病いとして理解する必要を感じたことがありました。

 以来、摂食障害はじーじの中で大切なテーマの一つですが、なかなか難しいです。

 この本もアンダーラインや付箋がいっぱいですが、どれくらいきちんと理解できているのかは心許ないですし、ましてやそれを心理療法の中でどれくらい実践できるのかについてはまだまだだな、と思ってしまいます。

 それでも、今回、印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つめは、摂食障害と強迫症、境界例の関係。

 内心の不安から自分や周囲をコントロールしようとする心性ということで、これらの病いは似ているところがありそうです。

 完全か無、善か悪、白か黒、といった極端な考え方も共通しています。

 ひょっとすると少しだけ緊張感に満ちた家庭での、自分を守る手段の一つなのかもしれません。

 二つめは、上記と関係しますが、過食や拒食にも理由があるので、その理由、利益をていねいにきくこと、いわゆる、下坂さんのいう現象論が大切ということ。

 そして、患者さんの心的現実には安易にうなずかずに、冷静な確認が必要となるようです。

 三つめが、できれば家族同席面接で、親子、それぞれの言い分をていねいにきいて、それを言語的になぞり返して、相互に確認をすること、これが重要になるようです。

 いずれも、行なうのはなかなか難しいことで、訓練と実践が必要で、今後さらに勉強を重ねていきたいと思いました。    (2019.5 記)

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 2022年5月の追記です

 ここでも、思うことは、こころの成熟は、あいまいさに耐えること、白も黒も灰色もある世界を理解できるようになることなどが大切になりそうな気がします。    (2022.5 記)

 

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北山修ほか編『日本語臨床3「甘え」について考える』1999・星和書店-「甘え」の臨床に学ぶ

2024年05月12日 | 心理療法に学ぶ

 2020年5月のブログです

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 北山修ほか編『日本語臨床3「甘え」について考える』(1999・星和書店)をかなり久しぶりに読みました。

 土居さんの「甘え」理論を1997年の第4回日本語臨床研究会で討議をしたあとの論文集ですが、読むのはなぜか久しぶりになってしまいました(土居さん、北山さん、ごめんなさい)。

 例によって、付箋やアンダーラインがあるものの、記憶がほとんどなく、なんと藤山直樹さんも論文を書いていて、ラッキーでした(一回読んだはずなのに、ラッキーもないのですが…。藤山さん、ごめんなさい)。

 言い訳になりますが、人はやはりその時の実力に応じた読書しかできないのですね。

 さて、今回の実力(?)で、印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つは、小此木啓吾さんの論文。

 小此木さんは土居さんより10歳後輩らしいのですが、土居さんの影響で小此木さんも精神分析を勉強をされたとのことで、「甘え」理論についても、土居さんのお人柄をからめて、ご紹介され、わかりやすいです。

 共通の症例の治療経験も述べられ、深い思索が示されています。

 次は、藤山さん。

 藤山さんは、「甘え」と「はにかみ」について、わかりやすく述べられています。

 提示された症例が、藤山さんの他の論文でも取り上げられていることに、途中で気づき、忘れん坊のじーじとしてはめずらしく症例を記憶していることに、感動しました(?)。

 藤山さんは、「はにかみ」が生じる時に、「甘え」が自覚できると述べられており、さらに、それらと「恥」や「秘密」との関係ついても論じていて、とてもいい論文です。

 それにしても、日本語臨床研究会のレベルの高さに驚きます。

 じーじはもうしばらく後の会から何回か参加させてもらったのですが、その頃も刺激的な議論がなされていた記憶があります。

 さらに、経験と思索を深めたいと思います。      (2020.5 記)

 

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