2020年1月29日(日本時間は1月30日早朝)、ホセ・クーラの新作オペラ「モンテズマと赤毛の司祭」の世界初演が無事に終了しました。クーラが脚本・作曲・オーケストレーションを手がけ、演出(セミステージ形式)と当日の指揮も担いました。
(緊急告知)でお知らせしたように、この公演はハンガリーのラジオ局バルトークラジオで生中継され、日本でも、とても良い音質で聞くことができました。生放送は終わりましたが、うれしいことに、1月30日からの30日間、オンデマンドで録音を聞くことができます。今回は、あらためてオンデマンド視聴先のリンクをご紹介します。
珍しい作品を聞くチャンスだと思いますが、しかし、全く知らない新しいオペラを音だけで楽しむのは、なかなか難しいことです。しかもクーラのオペラは、ハンガリー語、イタリア語、英語、スペイン語・・など多言語で歌い、演じられています。また今回は、セミステージ形式で舞台装置がなく、演技・動きも制限されていて、劇場の観客にとっても、字幕があるとはいえ、理解しにくさがあるだろうと思います。
こうした事情をふまえ、この公演では、話の流れをつかめるように特別にナレーターを登場させています。ナレーターが冒頭と各場面の前に登場し、大まかなあらすじを語る(現地のハンガリー語)形をとっていました。もちろんラジオ放送にも含まれています。
さらに、ラジオ放送を聞く視聴者のために、クーラが、ナレーター用の原稿をフェイスブックに英語にして掲載してくれました。これを不十分ではありますがざっくりと和訳して紹介したいと思います。誤訳やニュアンスの違いがあると思いますので、ぜひクーラの原文をご参照ください。
今回は、①クーラ掲載のナレーター原稿(あらすじ・元の英文)、②各場の初出登場人物一覧(リスト音楽院HP)、そして③ハンガリー放送協会が178枚もアップしてくれた舞台写真の一部、をお借りして、オペラの流れに沿って組み合わせてみました。オンデマンドで録音を聴くときに、不十分ではありますが、多少の参考になればうれしいです。
なお、クーラがこの脚本を書くにあたって、原作としたのは、カルペンティエールの小説「バロック協奏曲」です。
≪クーラのFBより≫
●初演の翌日に
”1枚の写真は、多くの言葉よりも優れている...…「モンテズマと赤毛の司祭」の昨日の初演は、非常に特別なものだった!”
後ろ姿がクーラ、抱き合っているのが、主役のモンテズマとヴィヴァルディを演じた2人。長いハードワークの結果、世界初演を成功させ、思いを分かち合っている姿がとても印象的です。
●ナレーション原稿(英文)をアップしたFB投稿
”ハンガリー人でなくて今夜の放送を聞く予定の人にとって、ハンガリー語で話すナレーターや対話を聞き、何も理解できないとしたら、がっかりするだろうと思う。なので、印刷してフォローできるように、ナレーターのテキストがここにある。・・・”
≪バルトークラジオの録音オンデマンド≫
以下の画像にリンク
*録音が流れ始めると、最初にアナウンサーの声、続いて男性のナレーターの声がしばらく続きます。
≪オペラの流れーークーラのナレーター原稿を中心に≫
クーラの「モンテズマ」は、6つの場から構成されているようです。それぞれの場に合わせて、上記の3種の材料を配置してみました。
*訳も不十分で誤りもあると思われますので、ぜひ上記のリンクから元ページをご確認ください。
JOSÉ CURA: MONTEZUMA AND THE RED PRIEST
ホセ・クーラ 「モンテズマと赤毛の司祭」 (原作・カルペンティエール「バロック協奏曲」)
◆プロローグ ~ 伝染病 / Prologue ~ The Plague◆ (登場順にキャスト紹介)
Francisquillo – Alagi János (フランシスキーリョ・従者)
Az Uraság – Matias Tosi (男爵)
A Szerető – Károlyi Katalin (恋人)
Hangok a háttérből: (背景からの声)
Egy nő – Sallay Gabriella
Egy férfi – Tóth Péter
Kvintett: (クインテット)
1. Ducza Nóra (még: Donna 2)
2. Nagy Bernadett (még: Donna 4)
3. Bakos Kornélia (még: Donna)
4. Csapó József (még Uomo 1 és Pignatta)
5. Hámori Szabolcs (még Uomo 3)
年は1732年、メキシコ、より正確にはベラクルスの街にいる。銀鉱山ブームの間に一家の財産を築いたスペイン人移民の孫である男爵は、余暇のためにヨーロッパに旅行することにした。男爵はアマチュアのバリトンで、いつの日か偉大な歌手になることを願っている。男爵は、彼の若い従者のフランシスキーリョが、この先の長い旅行のために彼らの鞄の荷造りするのを眺めながら、少年が辛い虫歯に苦しんでいることにすぐに気が付いた。痛みを和らげるのに役立つと期待して、フランシスキーリョに飲み物を与える。
突然、男爵の恋人の1人が、男爵が古い大陸に向けて出航する前に、彼へのある種、早すぎる慕情に苦しむふりをして駆けつけてくる。彼女の本当の意図は、うまくいけば恋人から高価なプレゼントを受け取ること。その女性を落ち着かせるために、男爵は彼女に高価なネックレスを贈り、フランシスキーリョは彼女に伝統的なメキシコの子どもの歌を歌う。
ドアがにノックされ、予想外の2人の訪問者が男爵に、きれいに折りたたまれた文書を手渡す。男爵がそれを開くと、彼が外国から帰国する際のお土産物のリクエストの長いリストが明らかになる。「もしパリを通ったら、その素晴らしい香水を持ってきてくれないか?」、または、「カーニバル中にヴェネツィアにいるなら、どうか、私にマスクを買ってくるのを忘れずに!」……等々が、無限のリストのなかに。怒った男爵は使い走りになることを拒否し、怒りを抑えるために恋人と一緒に寝室に引き取る。…
一方、フランシスキーリョは状況を楽しむことに決め、モンテヴェルディの “Oh, dolente partita”(「ああ、悲しみの出発」)を歌う。この美しい音楽が流れる間ーー実際には、ゆったりとした旅ではなく、死者の出発に関するものだがーー主人公たちは、大西洋を越えてヨーロッパに向かう船に乗るために、キューバのハバナに到着する。そこでは街を破壊する疫病の流行の真っ只中だった。男爵と彼の従者は、船が到着するまで待たなければならない2週間を安全に過ごすことができる場所を探す。医師が病気に感染した多くの人々の世話をし、救われない人々の遺体が火葬のために戦車の上に投げ込まれていく間、コーラスは葬送曲を歌う。
運命は、若くて弱いフランシスキーリョを疫病に感染させようとする。地元のキューバ人男性が看病してくれるが、少年は悪化し、死んでしまう。ヨーロッパに向かう旅行中に突然、アシスタントが必要となった男爵は、たまたまフランシスキーリョの看護師だった “el negro Filomeno”(「黒人のフィロメーノ」)を雇い、彼は亡くなった従者の代わりになる。
◆カーニバル / The Carnival
Vivaldi – Varga Donát (ヴィヴァルディ)
Vendéglős – Rezsnyák Róbert (レストラン店主)
Filomeno – Megyesi Zoltán (新しい従者・フィロメーノ)
Händel – Blazsó Domonkos (ヘンデル)
Scarlatti – Gál József (スカルラッティ)
Donna 3 – Süveges Katalin
Uomo 2 – Pivarcsi Gábor
男爵と彼の新しい従者フィロメーノは、1733年、カーニバル中にヴェネツィアに到着する。そこで彼らは、シンバル、ラトル、ドラム、ヴェネツィアン・コルネットのくぐもった騒音は、カリブ海のパーティーの不協和音とあまり変わらないことを発見する。男爵は負けないようにドレスアップすることを決め、ヴェネツィア人が毎年の祭りの期間中にやらないようなことをするため、より良いアイデアがなければ、伝説のアステカ皇帝モンテズマの肖像を採用することに決めた。その反対に、フィロメーノは、手を加えずに誇らしげに彼のルックスを誇示することにした。
やがて通りの騒ぎに飽きてきた男爵とその従者は、補給のためにヴェネツィアのレストランに足を踏み入れた。運命は、神秘的に暗くエレガントな人物とテーブルを共有することを望んだ。バイオリニスト兼作曲家のアントニオ・ヴィヴァルディ、赤毛の司祭その人だ。そのヴェネツィア人は、伝説のアステカ皇帝の装いをしているメキシコの男爵に、その服装は誰のものかと質問する。その時、常連客たちを楽しませるために小さなオーケストラが到着する。
店主は、シェークスピアのロミオとジュリエットからの一節を引用して、ミュージシャンのためのエリアを設定するが、プレイヤーたちは、伝説のマエストロ・ヴィヴァルディの存在に気付き、彼に敬意を表して、彼らが演奏するためよう雇われた楽しいポピュラー音楽の代わりに、彼の曲を演奏することにした。店主は偉大な作曲家に謝罪し、ヴィヴァルディの美しく洗練された音楽が、街のレストランの世俗的な場所に合わない理由をかなり哀れに説明しようとする。気分を害したヴィヴァルディは、自分が望むなら、彼の芸術を、いつでもどこでも、いかに実際に適合させることができるのか、音楽の爆発で証明する。
ミュージシャンたちはイベントの転換を恥じ、シャイなメヌエットを演奏し始める。非常に怒っているゲオルク・フレデリック・ヘンデル、続いて軽快なチェンバロの名手であるドメニコ・スカルラッティが火を噴く。ヴィヴァルディは2人の男性にテーブルを共有するよう招待し、会話はサン・ジョヴァンニ・グリソストモ劇場で最近初演されたヘンデルのオペラ「アグリッピナ」に向けられる。
数杯飲み、みんなリラックスして、オーケストラがそれまで演奏していた気まぐれなメヌエットから楽しそうなガボットへ引き継がれると、本当のパーティーが始まる。パーティーは、誰が最も粋な戯れ歌を思い付くことができるかを決定しようとする、男性と女性の間の突然のコンテストで終了する。 2編の悪戯っぽい14世紀の詩に基づくストルネッロ(男女の戯れ歌)は、4番目のシーンにつながっていく。
◆救貧院 / The Hospice◆
Apáca – László Borbála (修道女)
Az Árvák zenekara: (孤児のオーケストラ)
Bianca Maria – Varga Fruzsina (fuvola)
Claudia – Kozár Melinda (oboa)
Cattarina – Yoshie Toyonaga (klarinét)
Lucietta – Béres Dóra (trombita)
Pierina – Fazekas Ildikó (hegedű)
Bettina – Madák Katalin (brácsa)
Margherita – Keresztes Rita (gordonka)
Giuseppina – Kocsis Gerda (bőgő)
まだ冷めないパーティの興奮をほぐそうとして、ヴィヴァルディは友人たちを誘い、ピエタ院を訪問する。孤児の女の子のための歴史的な救貧院で、楽器を演奏する方法を教えることで彼女たちに人生のスタートを教えている。救貧院の教師であるヴィヴァルディは、厳格な修道女によって歓迎される。彼は生徒たちを温かく友達に紹介する。
スカルラッティはチェンバロに座って彼の最新作を演奏し、ヴィヴァルディはヴァイオリンを手に加わる。誰もが参加して、忘れられない音楽の瞬間が形になる。ヘンデルまでがヴィヴァルディの挑発に応えるまで参加し、彼の有名な「ハレルヤ」のものすごい演出で爆発し、圧倒的な音の流れで全員を覆い尽くす。自分の能力に合った楽器を探しに出かけていたフィロメーノは、急いで戻り、いくつかの鍋を大きな音で叩き始め、皆を驚かせる。作曲家たちは、音楽スタイルの突然の転換に喜び、ヘンデルの「ハレルヤ」による予想外のジャムセッションで団結するが、しばらくすると、バイオリンの凄まじいアクロバット演奏に常に飢えているヴィヴァルディは、彼の「四季」の夏の嵐のモチーフで即興演奏を止める。すぐに誰もが再び参加し、その有名な作品の即興の抜粋は、疲れ果てた笑いの爆発で終わる。
誰もが楽しんで、飲んで、ますます親密になった時、突然、フィロメーノが、エデンの園で蛇に誘惑されるイブの絵を見つめながら、不気味なメロディーを歌い始める。思いがけない気分の変化により、みんながゆっくりと互いの仲間で夜を楽しむ。貞操の誓いのためにグループに参加することができない修道女を除く誰もが...。彼女はその代わりに、ペルーのカホン(打楽器)を必死に打ち鳴らすことに慰めを見つける...。
救貧院で夜を過ごし、午前中、寝ていたヴィヴァルディの一行は、頭をはっきりさせるために町を散策することにした。サン・ミケーレ島の墓地にある庭にゴンドラに乗っていく。そこでは、墓石が、広い空っぽのカフェの固定されていないテーブルのように見える。彼らは、修道女によって与えれた食べ物を穏かに消化できることを望んでいる。
モンテズマの物語が再び会話の話題になり、ヴィヴァルディの熱意が再び現れる。当時のオペラのベースになったテーマを近代化することを決意した革命的なヴェネツィア人は、より保守的なヘンデルに向かう。彼を怒らせる恐れがあるにもかかわらず。
多くの作品について話が飛ぶ間に、ヴィヴァルディはストラヴィンスキーの墓を発見する。ヘンデルはこの機会を利用して、友人にリベンジするために、偉大なロシアの作曲家が彼の音楽を公然と嘲笑ったことを思い出させた。ヴィヴァルディは、少なくとも、ストラヴィンスキーが「サーカス・ポルカ」(バーナム・サーカスに委嘱されて作曲)で書いたような、ゾウを踊らせる音楽を書いてはいない、と言って反論する。
フィロメーノ(従者)は、フランスの海賊と戦って死んだ奴隷である祖父サルバドール・ゴロモンのオペラを書くべきだと無邪気に提案するが、ヘンデルは、黒人が何かの主役になることは不可能だと主張して拒否する。フィロメーノは、ヴェネツィアとトルコの戦争中における黒人の冒険についての戯曲が、ロンドンで絶対的な成功が収めていることを指摘して、ヘンデルの誤りを指摘し、召使としての地位から推測される以上に博識であることを証明した。男爵は、高位の身分の人物を公然と正して、自らの分際を越えた従者を猶予し、後者はグループから距離を置き、バッグから、ホスピスの孤児の一人であるルシエッタからの贈り物のトランペットを取り出す。
遠くで葬儀の鐘が鳴り、行列を導く僧が説明するように、前日にヴェネツィアで亡くなった有名なドイツの作曲家の遺物を運ぶ行列で歌われたレクイエムが遠くから聞こえてくる。スカルラッティは、これは、馬が飛び、ドラゴンが火を吐き、水の下で話すことのできる女性まで出てくる、幻想的に長いオペラを書いた男だと説明する。驚いたフィロメーノは、ウォルト・ディズニーのことかと聞き返す…。リヒャルト・ワーグナーに敬意を表して合唱団に加わるまえに、みんなは爆発的な笑い声をあげる。
◆リハーサル / The Rehearsal◆
Montezuma – Matias Tosi (モンテズマ・男爵)
Teutile – Ducza Nóra
Ramiro – Bakos Kornélia
Fernando – Nagy Bernadett
Mitrena – Károlyi Katalin
Színpadi rendező – Könyves Pál Kálmán (舞台監督)
Egy néző – Tóth Péter (観客)
数週間が経ち、ヴィヴァルディは、Nをとったスペルで命名したオペラ「モテズマ ”Motezuma”」(「モンテズマ」でなく「モテズマ」もしくは「モテスマ」)の最初の草稿を書き終え、レチタティーヴォの一部をリハーサルしている。ヘンデルとスカルラッティは、同僚の仕事の様子をバルコニーから眺め、フィロメーノは反対側のボックスから眺めている。
男爵は、歌う夢を現実に変え、彼自身が同名の皇帝の役を担当している。リハーサルが進むと、ヴィヴァルディのますます斬新になる発言と、男爵の抗議が繰り広げられる。男爵は、作家による、不当な歴史的不正確さに不満を抱いている。最終的に、男爵とヴィヴァルディの間で議論が巻き起こる。前者・男爵は歴史的事実の重要性を擁護し、後者・ヴィヴァルディは詩的幻想の重要性を擁護する。スカルラッティとヘンデルは、味方になりたくないので、劇場を出て散歩に出かける。議論はますます激しくなり、ヴィヴァルディは、メキシコ人(男爵)の感性の欠如の疑いに腹を立てて出ていく。
男爵はこうした傲慢さと愚かさにうんざりして、メキシコに戻り、彼の本来の習慣と愛情に帰ることに決め、その間、従者をしばらく仕事から免除することにした。フィロメーノはパリに行くことを決めた。そこで彼は、いつものような、ただの「黒人」ではなく、ムッシューと呼ばれるだろう。
最後に、舞台には「ムッシュー・フィロメーノ」だけがいて、トランペットを演奏し、その背景には、ルイ・アームストロングのパリでの伝説的なコンサートを宣伝するポスターが映し出される。
(終)
*この文は、脚本作者のホセ・クーラがFBに掲載したナレーター用原稿を簡易的に和訳したものです。ぜひ原文をごらんください。
≪ハンガリー放送芸術協会のFBより≫
●公演当日の舞台写真
178枚もアップしてくれています。時系列になっているので、これを見ながらだと、舞台の様子がイメージできて楽しいです。これを見ると、舞台装置こそありませんが、ちょっとした小道具あり、簡単な衣装あり。演技も表情もしっかりとつけて、演じられているようです。
写真はここからお借りしました。
≪ハンガリーのTVニュースよりーーリハーサルとインタビュー≫
クーラの初の新作オペラの世界初演、大成功といってよいようで、本当に素晴らしいことでした。またラジオ放送によって、私もその目撃者(?)の1人になれて、とてもうれしいです。
初めに聞いた印象では、とにかくカラフルで多彩、時空を超えた様々な音楽、バロック音楽から、ロマン主義、現代音楽、ジャズ風、ラテン・カリブ風、イタリア民謡風・・等々、数多くの楽曲が、さまざまにアレンジされてちりばめられています。また従者の死の場面では、クーラ自身が以前に作曲したレクイエムも引用されているそうで、ドラマティックで印象的なシーンとなっています。一言ではいえないけれど、とにかくユニーク、楽しく、いわゆるオペラという型にはまらない、観客、キャスト、オケ、一体となって音楽を楽しむ公演となったことは間違いないと思います。
クーラが脚本の原作とした「バロック協奏曲」の作者カルペンティエールは、小説家・評論家であるとともに、学位をもつ音楽学者であり、音楽に対する造詣が非常に深かったのだそうです。そのことが小説のストーリー、さらにクーラのオペラにも反映していて、たくさんの歴史的な音楽作品引用の根拠となっています。さらにクーラが古典文学から引用したりと、知的な遊びにあふれた作品となっているようです。どこに誰の、どの曲が出てくるか、探してみるのも楽しいのではないでしょうか。
またクーラは、原作者が作品に込めたテーマの一つでもある、モンテズマとアステカ文明への侵略と征服という歴史への認識、人種差別の問題など、現代に通じる課題についても、オペラに位置付けています。このあたりについて、インタビューで語ったこともありますので、またいずれ紹介したいと思っています。
いつか舞台セット、映像なども含めた公演が実現することを願っています。
*写真はハンガリー芸術放送協会のFBよりお借りしました。