人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

ホセ・クーラの2016/17シーズンを振り返るーー挑戦と創造、実りの時 / Jose Cura 2016/17 season summary

2017-07-30 | 経歴・これまでの活動


*写真は左から、ワロン王立歌劇場のトゥーランドット、プラハ交響楽団コンサート、モンテカルロ歌劇場タンホイザー、ボン劇場ピーター・グライムズ、ワロン王立歌劇場オテロ


すでに2016/17年のシーズンを終了し、休暇に入っているホセ・クーラ。
あらためて振り返ると、クーラの今シーズンは、新しい挑戦と探求、創造、成熟と実りの年であり、クーラの長く豊富なキャリアにおいても画期的な1年だったといえるのではないかと思います。

というのは、これまで何度も紹介してきましたが、ワーグナーへの初挑戦があり、長年の念願であるピーター・グライムズで演出・舞台デザイン・主演デビューがあるなど、新たな地平を開く挑戦があり、一方で、長年歌い続けてきたオテロや西部の娘での円熟の役柄での大成功があり、そして20代の若い頃に作曲した作品の世界初演もありました。

今年12月には55歳になるクーラ。歌手として、ベテランの域に入り、役柄と解釈を成熟させながら、今でも輝かしい声とのびやかな歌をもっていることを証明してくれました。また、もともとの志望であった指揮者・作曲家として、さらに近年、活動を広げている演出家・舞台デザイナーとしても、重要な成果を得ました。オペラと音楽において、多面的にフルパワーで活動し、芸術的探求と創造性で豊かな成果を築いた1年でした。そしてその多くが映像化されたのも嬉しいことでした。

これまでの投稿でも紹介してきましたが、あらためてこのシーズンをざっくりと、主な公演にしぼって振り返ってみたいと思います。これまでブログをお読みいただいている方がいらっしゃるとしたら、しつこくて恐縮ですが、現在のクーラの到達点を多くの方に知っていただきたいと思い、できるだけ動画のリンクも紹介したいと思います。


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≪歌手として――迎えた円熟の時、そして新たな挑戦≫

●2016年12月、プッチーニ「西部の娘」のディック・ジョンソンで、みずみずしい解釈と歌唱――ウィーン国立歌劇場でライブ放映

今シーズン前半、昨年12月に、クーラが長年歌ってきた役柄のひとつであるプッチーニ「西部の娘」でウィーン国立歌劇場に出演、この舞台がライブストリーミングに登場しました。実は、クーラのジョンソンが正規の映像になるのは、これが初めてのことでした。
ライブ放送は終わりましたが、YouTubeに非公式にアップされた録画が削除されずに残っています。いつまであるかわかりませんが、リンクを紹介します。

伸びやかな声と歌唱の魅力、そしてジョンソンのキャラクター、心理の分析、解釈をふまえた、クーラの控え目ながらリアルな演技、舞台上の存在感が見ものです。レビューも、「クーラはトップフォームにあった」など大変好評でした。


前半
Puccini - La fanciulla del West (Part I) Eva-Maria Westbroek, Tomasz Konieczny, Jose Cura


後半
Puccini - La fanciulla del West (Part II) Eva-Maria Westbroek, Tomasz Konieczny, Jose Cura



●2017年6月、ヴェルディ「オテロ」、20年の解釈、円熟の到達点示す――ワロン王立歌劇場のライブ放映

今年6月には、ベルギーのワロン王立歌劇場で今シーズン最後の演目オテロに出演しました。幸い、これも日本でライブ放映され、見ることができました。

20年間歌い続け、さらに演出、指揮もしているオテロ。2006年のリセウ、2016年のザルツブルク復活祭音楽祭の舞台もDVDになっていますが、このワロン王立歌劇場のオテロは、それらをはるかに凌ぐ、クーラ渾身のオテロ、円熟の到達を示す舞台だったと思います。
「今日この役の最もふさわしい解釈者の一人であり、端的に言えばそれは、巨大なオテロ」など、最大級の賛辞をレビューからも得ました。 → くわしくはこちらで紹介しています。

フランスTVによって収録され、CultureBoxにより放映、YouTube公式チャンネルで現在も視聴できます
 *公式チャンネルからは見られなくなりました。他にアップされている動画リンクです。

“Otello” de Verdi - Opéra Royal de Wallonie




●2017年2月、ワーグナー「タンホイザー」に初挑戦(パリ版仏語上演)――モンテカルロ歌劇場からライブ放映

長年、ワーグナーを歌いたいと願いながら、ドイツ語が不十分という理由で断りつづけてきたクーラ。今季、最大のニュースのひとつが、そのワーグナーについにチャレンジしたことでした。
ワーグナー自身が手を入れた台本によるフランス語版での上演。パリでの初演以来、初めての復活という歴史的意義のあるプロダクションでした。
 → タンホイザーについてはこちらで詳しく紹介しています。

そしてその注目のプロダクションで、初挑戦のタンホイザーを成功させ、これまでにない魅力のキャラクター像をつくりあげました。
「めったに聞く機会がない美しいタンホイザーの解釈」などと絶賛され、とりわけ第3幕のローマ語りは、多彩なニュアンスと豊かな解釈に満ちた感動的な場面となっています。

こちらもCultureBoxにより放映され、YouTube公式チャンネルで視聴することができます
*同じく現在では見られなくなりました。別のリンクで紹介します。

"Tannhäuser" de Wagner en français - l'Opéra de Monte-Carlo



≪演出家・舞台デザイナーとして――創造性と誠実さ、チームワークを大事にして≫


●2016年9月、プッチーニ「トゥーランドット」の演出・舞台デザイン・主演――ワロン王立歌劇場(ラジオ中継あり)

2008年以降、本格的に演出家として活動を始めたクーラ。今季も2つのプロダクションを演出、そのひとつが、これもクーラが何度も主演してきたトゥーランドットです。クーラは演出と舞台デザインを担当しつつ、カラフで出演もしました。
残念ながら、録画放映はまだされていませんが、ネットラジオでライブ放送されました。録画はしているようですので、DVDにぜひしてほしいものです。実はトゥーランドットのカラフでのクーラの正規映像もまだないのです。

劇場の提案でリューの死で終わるプロダクション、寓話的要素を強調するため、子どもたちの学ぶ様子をフレームにした、カラフルで楽しい、そして最後にあっと驚くエンディングがある演出です。
「クーラは、演出家・舞台監督としてプッチーニの未完のオペラへの説得力あるアクセスを見つけることができたことを証明しているだけでなく、王子カラフの挑戦的な役柄で輝くことができる。テノールらしい旋律の美しさと、猛烈な『私は勝利する』(Vincerò)を歌いあげ、有名な『誰も寝てはならぬ』を形づくった。」――などの高い評価をえました。


全編の録画は公開されていませんので、劇場の予告編と、短い録音のリンクを掲載しておきます。
クーラの演出構想やレビュー、舞台写真などは、以前の投稿でまとめています。


Turandot (Puccini) - La Bande Annonce


Jose Cura 2016 Turandot Act1 last


Jose Cura 2016 turandot Act2 last




●2017年5月、ブリテン「ピーター・グライムズ」の演出・舞台デザイン・主演――ボン劇場(モンテカルロ歌劇場と共同制作)

今季のもうひとつのビッグチャレンジが、ブリテンの英語のオペラ、ピーター・グライムズです。こちらも演出と舞台デザイン、衣装などを担当しつつ、主演もしました。
長年、歌いたいと言い続けてきたグライムズの夢がようやく実現したものです。

「プレミアの観客は、熱狂的なスタンディング・オベーションと賞賛で、参加者全員を祝った。ピーター・グライムズは典型的な敗者だ。しかし、彼の解釈者であるホセ・クーラは、すべての分野における勝者だった。演出家として、衣装・舞台デザイン、タイトルロールの解釈においても。」――観客からの熱狂的な喝さい、感動をよび、レビューでも高く評価されました。

このプロダクションはモンテカルロ歌劇場との共同制作で、来年2018年2月に、モンテカルロで再演の予定です。もちろん主演もクーラ。今度もライブ放映されることをつよく願っています。

まだ録画も録音もありませんので、劇場の予告編を。またグライムズに関するくわしい紹介はこちらでまとめています。

画像をクリックすると、ボン劇場のVimeoの紹介動画にリンクしています。




こちらはYouTubeにアップされているカーテンコールの様子。
長く続く拍手とブラボー、そして立ち上がる観客、クーラは舞台上に裏方さんたちも呼んで、みんなで成功を喜びあっています。

José Cura - Curtain Call "Peter Grimes"




≪作曲家、指揮者として――初心を貫き、活動が広がる≫

●プラハ交響楽団でのレジデントアーティストとして2年目

最後は、作曲家、指揮者としての活動の展開です。2015/16シーズンから始まった、プラハ交響楽団のレジデントアーティストとして2年目の今季は、3回6公演のコンサートに出演しました。
 → プラハ響との活動はこちらで詳しく紹介しています。

もともと作曲家・指揮者をめざして、大学でも作曲と指揮を専攻したクーラ。このプラハ響との活動で、指揮、歌手としてとともに、若い頃に書き溜めていた作曲作品の初演に取り組んでいます。

今季、初演されたのは、クーラ作曲のオラトリオ「ECCE HOMO(この人を見よ)」。指揮は友人のマリオ・デ・ローズが行いました。
オケはプラハ響、そしてソリスト男声2人、女声2人、混声合唱合唱団と子どもの合唱団、さらにクーラ自身が、キリスト役の声として歌いました。まだ録音、録画は公表されていません。
来季で3年目、2017/18シーズンが最後の年です。来季も、歌手として、指揮者として、作曲家として、クーラの多彩な側面を楽しめるコンサートが予定されています。







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多彩なチャレンジで、ハードワークにつぐハードワークの1年だったと思います。でもその努力に報いるだけの豊かな実りがあった1年といえるのではないでしょうか。

現在は休暇中とはいえ、たぶんクーラは、自宅・事務所で来季の準備、秋の新しい作曲作品の初演、演出の仕事、また自作の音楽劇の作曲・・と、知的好奇心とチャレンジ心、自らの可能性と才能をどこまでも広げていくための努力と探求をさらに続けているようです。
さらに来季以降が楽しみです。





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(追加画像とインタビュー編) 2017年 ホセ・クーラ ワーグナーのタンホイザーに初挑戦 / Jose Cura / Tannhäuser

2017-07-23 | ワーグナーのタンホイザー




ホセ・クーラの2016/17シーズンは、ボンのピーター・グライムズの最終公演(7/15)をもって終了しました。
改めてこのシーズンについて、まとめをつくりたいと思っていますが、それほどまでに、新たな地平を開く挑戦と創造、そして豊かな実りと円熟の1年でした。

その中でもとりわけ大きな節目だったのが、2月のモンテカルロ歌劇場でのワーグナーのタンホイザー(パリ版フランス語上演)初挑戦だったと思います。
この公演については、すでにこれまで何回も紹介してきて、もう終わりのつもりでしたが、先日、モンテカルロ歌劇場がシーズンの終わりにあたって、このタンホイザーの初日の舞台の新しい画像をたくさん、フェイスブックにアップしてくれました。
ぜひ直接、見ていただきたいのですが、とても魅力的な写真が多かったので、そこからいくつかをお借りして紹介したいと思います。

 → これまでのクーラのタンホイザー関連の投稿はこちら


これまで紹介していなかったドイツの雑誌「オペルングラス」のレビューとインタビューからの抜粋も掲載します。

 






――ドイツ誌のレビューより

●めったに聞く機会がない、美しいタンホイザーの解釈――すぐにまた聞きたい、フランス語でも、ドイツ語ででも

「…最後に重要なことは、スターテノールのワーグナーデビューだ。単刀直入に言うなら、観客は真のセンセーションを目の当たりにした。

…ホセ・クーラは、多くのテナーに恐れられる正当な理由をもつ、この非常に要求の厳しい役柄であるタンホイザーに、素晴らしいパフォーマンスでロールデビューした。それは驚くほど簡単に、あらゆる可能性のある困難を完全に否定するように見えた。

明らかに風邪で苦しんでいたにもかかわらず、彼のパフォーマンスには目立った弱点はなく、全くその反対だった――集中した、フォーカスされたピッチ、最も難しいパッセージにおいても確実なイントネーション、フレージングは言語の流れから完全に自然に発展し、素晴らしく響き渡る、力づよいバリトンのような音色、それらに加えて、見事な、安定したハイノート――これらのすべてが一緒になって、すばらしく透徹した、非常に表現力豊かな、同時に、ボーカルにおいてもバランスのとれた、めったに聞く機会がない美しいタンホイザーの解釈を創りあげた。

そして、それは人にすぐにまたもう一度、聞ききたいと思わせる―― フランス語でも、いつの日か、ドイツ語ででも!」

「Das Opernglas」(April 2017)









――2017年ドイツ誌でのインタビューより

Q、今シーズンは2つの待望のロールデビューをする。タンホイザーとピーター・グライムス。モンテカルロ歌劇場で2月に、ワーグナー・オペラに着手する。フランス語版なので実際には言語は問題ではない。あなたにとっての主な挑戦は?

A(クーラ)、自然なボディランゲージを好むパフォーマー(ヴェルディ、プッチーニ、ヴェリズモの後期作品が好きなのは不思議ではない)として、ワグナーの驚異的な音楽レトリックを、演劇的に信憑性のあるやり方で伝えることは、確かに私の最大の課題。また、時にはテノールが歌うときに強制されるテッシトゥーラ(音域)も問題になるが、私は自分の歌を、スコアのニーズに合わせて解決できると信じている。


Q、フランス語上演は、あなたがこの役割をやるうえで考慮に入れた?

A、このことについて、あなたは私の目撃者だ。長い間、私たちはお互いを知っている。私がワーグナーを歌わない唯一の理由は、聴衆への敬意だ。現在話さない言語で歌うことを自分に許さないという敬意。
人々がそれを好むかどうかにかかわらず、役柄の解釈についてのクーラの「標準」がある。その標準は、テキストと身体の言語との関係に強く結びついている。これは、演劇の俳優で必須条件だが、オペラではそうではないようだ、あるいは必ずしもそうではない...。
もしその言葉が、あなたの文化的な持ち物に属していない場合、正直な身体的な言語表現をする方法はない。それで、私が流ちょうに話せるフランス語でタンホイザーのオファーを受けた時、すぐに受け入れ、これがおそらくワーグナーを歌う唯一のチャンスだと確信した。








●まったく新しい世界を発見しつつある――初のワーグナー挑戦

Q、正直なところ、ドイツ語版には本当に苦労させられる?

A、良い耳を持っているので、発音的には解決できるかもしれない。しかし、それは人々が私に期待するものではない。
ひとつは、クーラは他の何人かのアーティストほど良くはないと言っている人たちだが(これはその人の観点であり問題ではない)、しかし、まったく別のものが、クーラはいつものクーラほど良くないと言うこと...。


Q、パリでは、ワーグナー自身がフランス語の訳語を作った。さらに重要なのは、スコアそのものの変更、その間に作曲家の発展をかなり明確に示している。タンホイザーのさまざまな版のメリットは?

A、私はまだ、あなたの質問に答えるのに十分な権限をワーグナーについて持っていない。私は今、まったく新しい世界を発見しつつある。その発見のなかでは、私は子どもの無邪気さと、賢明な大人の慎重な備えをもって、前進しつつある...。








●タンホイザーは難しい歌唱でいっぱいの巨大なオペラ

Q、モンテカルロではオペラの指揮はナタリー・シュツッツマン、あなたと同じように、歌手であり指揮者。音楽解釈についてのコミュニケーションはどのように?

A、私は歌手・指揮者ではなく、後に歌手になった作曲家・指揮者。しかし、私はあなたの質問の意味は理解している。
まず私は、シュツッツマン氏に対して、指揮するときに、歌手ができることを同等に理解してくれるよう期待する。
それは確かに非常に難しい歌唱でいっぱいの巨大なオペラだが、それゆえに、歌手に愛と理解をもって寄りそい、権威を持ってオーケストラを「維持できる」指揮者が決定している。


Q、あなたのアプローチは、私たちがいつも聞いているものとは異なるものになる?

A、言ったように、ワーグナーに関する私の蓄積は非常に初歩的なので、私がタンホイザーを「創造」することができるのか、それとも、ただ良いプロフェッショナルとしての仕事ができるのか、私は言うことができない。(公演が終わった)3月にもう一度話そう...。








●リスクをとり、喜びとともに歩む「ドリーム・ロール」――ピーター・グライムズ

Q、タンホイザーのちょうど3か月後、次の大きな役柄のデビューがある。ピーター・グライムズ。今回はボンで、演出と舞台装置も行う。新しい役柄を準備しているアーティストにとってこれは大きな課題では?

A、これは大きな課題であり、大きなリスクだ。挑戦は私の肩にかかる仕事の量と関係があり、リスクは、演出・舞台監督と自分が一体であるため、私の解釈を最良の方法で作りあげることから自分自身を甘やかす恐れが・・。

冗談はさておき、それは仕事の地獄だが、また非常にやりがいのあること。芸術的な楽しみの縮図だ!

これがもっと頻繁に演奏されるオペラであれば、私は演出はせずに、歌っただろう。しかし再びいつ、このような、あまり演奏されないが素晴らしい作品を演出するチャンスが私にあるだろうか? 私はこの1つのチャンスを失うことはできなかった!


Q、ピーター・グライムズは、あなたにとって「夢の役柄」の1つだった。何がこの役割に関心を?そして何が挑戦?劇的に?

A、すでに語った、ワーグナーの音楽的レトリックと密度の濃い台本に対処するうえでの私の困難についての話に戻ると、ピーター・グライムズは正反対だ――音楽、テキスト、アクションの完璧な共存。私のようなパフォーマーにとっての夢だ。
この作品においては、すべての瞬間が挑戦。しかし、リスクを伴ってそれぞれのステップを踏む、このような魅力的な挑戦はまた、喜びとともにある一歩だ。






Q、あなたの2つの新しい役柄、タンホイザーとピーター・グライムズの間にはどのような違い、また類似点がある?

A、どちらもつまはじきにされた男だが、理由は異なる。タンホイザーは彼の運命に挑むが、ピーター・グライムスはその結果に苦しんでいる。
声楽的には、タンホイザーは素晴らしい音楽に非常に依存しているが、グライムスは精神の状態を伝えるために、声を使うことに依存している。時には単独の声だけに。たとえば第3幕の長い独白のように。

Q、今シーズン、あなたの最も重要な役割である3つに出演している――カラフ、西部の娘のディック・ジョンソン、オテロ。これらを現在のあなたの代表的な役柄とみなしている?

A、確かにオテロとディック・ジョンソンが私の代表的な役柄だといえる。カニオ、サムソンも同様に。そしてうまくいけば、数年後にはグライムスも。
カラフについては、私は何度も彼を演じて、それは成功しているが、彼は掘り下げるに十分な「人物像」を提供してくれないため、それを重要な役割とは考えていない。それは深い心理的な内面を演じる夜ではなく、素晴らしい歌の夜だ。


Q、これ以上の新しい役は?

A、タンホイザーを開発し、主に自分のグライムズを創るには数年かかるので、今はさらなる新しい役はない。
シンフォニックな面では、2017年3月にプラハで1989年に作曲した私のオラトリオ「この人を見よ」が世界初演される。








●変化する世界のなかで

Q、約25年前、あなたは家族とともにヨーロッパに移り、それからすぐに国際的なキャリアが始まった。
私たちは長年にわたって、あなたの歩みと時には通常とは違うやり方を追ってきた。私にとって個人的にも、あなたと話すことはいつも大変楽しい。
あなたの最初のインタビューは、1997年、表紙を飾った記事の1つだった。これらの年月を振り返ってみると、ビジネスが大きく変わった?


A、世界は大きく変わり、ビジネスも変わってきた。新しい技術、特にインターネットは、多くの人の心に、もはや成功するためには、長い時間の努力と研究は必要ではないと考えるようにさせた。今日、誰もが写真家であり、作曲家、作家、映画監督、歌手、俳優、料理人だ..。

現在ほど、「有名」であることと「偉大」であることとの違いが大きいことはなかった。かつては、有名になるためには優れていることが必要だった。そして時とともに偉大になったなら、賢明さにより尊敬を受けた。今日では、社会に貢献するものを持たずに、「世界規模のネット」を通じて簡単に有名になることができる。

それはそれでよい。誰もが有名になる権利を持っている...。しかし長期的には、これは私たちが物事を行う際の質に深刻な影響を与えている。大多数の人々が、自分に親近感を感じる悪いものを「楽しむ」ことを好むからだ。素晴らしいものよりも。それらは、彼らの頭の中で快適でなければ、彼らはそれを劣っているものと感じる。
 
他者の素晴らしさは、常に人々に2つの異なる効果をもたらしてきた。羨望と憎しみ――自分はあなたのようにはなり得ないから。または賞賛と感謝――
他者の偉大さが、自分自身を改善し、成長し、より良い個人になるように刺激するから。

この古くからの現象(我々の種のように古い)は、今日、インターネットの受け入れやすさによって、無限に増殖されている。

「Das Opernglas」(2017年2月)







*画像は劇場のFBよりお借りしました。
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(告知編) ホセ・クーラ テアトロ・コロンのアンドレア・シェニエに出演 / Jose Cura's Andrea Chénier of Teatro Colón

2017-07-17 | テアトロコロンのアンドレア・シェニエ2017




ホセ・クーラのオペラ新スケジュール、母国アルゼンチンのテアトロコロンのアンドレア・シェニエへの出演が正式に発表されました。
2017年12月、ダブルキャストによる全6公演のうち、クーラ出演は5、10、13、16日の予定です。

実は当初は、同じテノールのマルセロ・アルバレスが出演する予定でしたが、契約関係の変更が理由となって、アルバレスがキャンセル。クーラに出演依頼が回ってきたようです。
アルバレスとクーラは、同郷で、生まれ年も同じ友人同士です。2人については以前の投稿でも紹介しています。

クーラがテアトロコロンに出演するのは、2015年のクーラ演出・舞台デザインによるカヴァレリア・ルスティカーナと道化師の公演(クーラは道化師のカニオのみ出演)以来。それ以前は、2013年のクーラ演出・舞台デザイン・主演のオテロ、2007年のサムソンとデリラ(コンサート形式)、そして初出演が1999年のオテロでした。

クーラは20代の頃に、奨学金を得てテアトロコロンの付属芸術学校に所属、さらにその後も合唱団で歌っていたことがあるそうです。指揮者と作曲家をめざしていたクーラにとって、夢の実現はなかなか困難で、また歌でも評価されることがなく、チャンスを求めて1991年にイタリアに渡りました。その後、テノールとして認められ国際的キャリアを広げ、テアトロコロンの舞台に主演として初めて出演したのが1999年のオテロだったのです。それ以来、18年間の出演は前述の4回のみで、今回が5回目の出演となります。

 → クーラ演出のカヴァレリア・ルスティカーナと道化師の公演についてはこちら。

 → クーラの音楽家、アーティストへの歩みについてはこちらをお読みください。

 → また、クーラの祖国アルゼンチンへの愛と複雑な思いについてはこちらで紹介しています。


テアトロコロンのアンドレアシェニエのページ(クリックで劇場サイトに)



5,10,13,16 / 12 /2017 Teatro Colón

GUEST MUSIC DIRECTOR Christian Badea
MUSICAL DIRECTOR Mario Perusso *
STAGE DIRECTOR Lucrecia Martel
SCENOGRAPHY DESIGN Enrique Bordolini
COSTUME DESIGN Julio Suárez
ILLUMINATION DESIGN Enrique Bordolini

ANDREA CHÉNIER José Cura / Gustavo López Manzitti *
CARLO GERARD Fabián Veloz / Leonardo Estévez *
MADDALENA Maria Pía Piscitelli / Daniela Tabernig *
BERSI Gaudalupe Barrientos / María Luján Mirabelli *
MATHIEU Hernán Iturralde / Gustavo Gibert *
* Extraordinary Functions

演出家はルクレシア・マルテル、1966年アルゼンチン生まれの女性で、映画監督、脚本家だそうです。クーラより若い方のようですね。


クーラが出演することの告知ページ(同上)




キャンセルしたアルバレスとクーラは、同い年で同じテノールとはいえ、声質も個性も、歌唱スタイル、演技スタイルも全く違っています。
アンドレア・シェニエの同じプロダクションで2人が歌っている動画がありましたので、聴き比べを。
このプロダクションは、ジャンカルロ・デル・モナコ演出のボローニャの舞台でクーラが来日公演(2006年)、DVDにもなっているものです。
2つの舞台は、衣装などが若干違っていますが、同じ演出のものだと思います。


●まずはアルバレス。とてもリリックでやさしい声、丁寧で柔らかなメロディラインです。

Andrea Chénier - Marcelo Alvarez



●こちらはクーラの2006年の舞台。強い声、迫力ある歌唱です。

Umberto Giordano Andrea Chenier 'Un di all'azzurro spazio' Jose Cura



このように大きく違う2人の個性。聴衆の好みも分かれるところだと思います。このキャストチェンジ、テアトロコロンの聴衆は、どう受け止めてくれるのでしょうか。

クーラの歌唱には、クーラとしてのシェニエの人間像と時代背景などを踏まえた作品解釈、キャラクター解釈があります。
以前の投稿で、クーラのシェニエ論、解釈を紹介していますので、お読みいただければうれしいです。

 → 「アンドレア・シェニエの解釈――信じるものを守るために」

また上で紹介したシェニエのアリアについて、クーラの述べた部分を再掲します。


――ホセ・クーラ アンドレア・シェニエについて 2014年ストックホルムでのインタビューより
≪彼らは変革の萌芽≫


彼らは人々の魂に向けて語る。画家、作曲家、演奏者、哲学者、詩人など、いわゆる知識人であり、彼らは常に変革の萌芽である。
そのために彼らの多くは、身体的または社会的な死をも含む高い代償を払ってきた。アンドレア・シェニエはそうした人々の1人。彼は両方の代償を払った。最初は社会的な信用を奪われ、そしてギロチンに。

私自身が一種のドン・キホーテなので、シェニエであることにくつろぎを感じている。
シェニエの性格と精神を明らかにしている"Improvviso"(独白)は、真のプロテスト・ソング(抵抗の歌)だ。


(テアトロコロン 外観)



クーラがシェニエに出演するのは、2014年のストックホルム王立歌劇場のプロダクション(トップの写真)以来です。その前は2013年のウィーンでした。
ストックホルムの録音は見当りませんでした。なので2013年のウィーンでの「5月の晴れた日のように」が入っている録音をYouTube(音声のみ)から。
1999年、2001年、2004年、2013年のクーラのこの曲だけが続けて入っています。

José Cura Andrea Chénier "Come un bel dì di maggio" 1999~2013



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クーラの2年ぶりの母国でのオペラ出演が大きく成功することを願っています。またテアトロコロンは、ライブ放映やラジオ中継に熱心なので、クーラのシェニエもぜひ、放送をお願いしたいです。
またシェニエは、クーラが、人間的に共感できるオペラの登場人物としてトスカのカヴァラドッシとともにあげているキャラクターです。このシェニエでも、クーラの演出・舞台デザイン、そして主演の舞台が、いずれかの劇場で近いうちに実現することを期待しています。


(テアトロコロン 内部)

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(インタビュー編)ホセ・クーラ 21年目のオテロ ワロン王立歌劇場 / Jose Cura's Otello at Opéra Royal de Wallonie-Liège

2017-07-12 | ワロン王立歌劇場のオテロ2017




ワロン王立歌劇場のオテロの初日(6/17)の後、ホセ・クーラのインタビューがイタリア語のサイトに掲載されました。
すでにオテロの公演は終了してしまいましたが、ざっと訳して紹介したいと思います。 
 → このオテロについてのこれまでの記事はこちら
いつものことながら語学力が不十分なため、誤訳、直訳、お許しください。


それとは別のものですが、劇場が作成したフランス語のインタビューの動画がありますのでそれも掲載しておきます。
ライブ中継の休憩時間に放映され、録画にもそのままアップされているのでご覧になった方はご存知だと思います。
申し訳ありませんが、フランス語でペラペラで字幕もないため、何を言っているのか全くわかりません・・(T_T)
とはいえ、鬼気迫るオテロの舞台上のクーラと、普段のクーラとは全く違って、素顔はフランクで柔和、ユーモアのある人であることがわかると思います。

Otello - Entretien avec José Cura



何度も紹介して恐縮ですが、ワロン王立歌劇場のオテロの動画をCultureboxのYouTube公式チャンネルから
まだご覧でない方には、ぜひおすすめです!
“Otello” de Verdi - Opéra Royal de Wallonie


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≪ リエージュ、アルゼンチンテノール、ホセ・クーラとオテロ――“私に最高の満足を与えてくれる役柄” ≫


――昨夜のリエージュのオペラ座での素晴らしいイベント――アルベルト2世とパオラ妃もヴェルディのオテロの初日に出席し、Stefano Mazzonisの印象的な舞台とマエストロPaolo Arrivabeniの素晴らしい指揮を賞賛した。

優れたアーティストたちは、素晴らしいオテロを聴衆に示した。主人公のホセ・クーラ、チンツィア・フォルテ(強烈なデスデモーナ)、Pierre-Yves Pruvot(彼のイアーゴはキャラクターのニュアンスを完成させた)、Giulio Pelligra、Alexise Yerna、Papuna Tchuradze、Patrick Delcour、Roger Joakim、Marc Tissonsも含まれている。

ヴェネツィアのムーアの衣装をまとうために戻ってきたアルゼンチンのテノール、ホセ・クーラにインタビューした。
彼の歌唱と素晴らしい表現力は、聴衆を感動させ、文字通り拍手で彼を覆った。


Q、あなたにとってオテロを演じるということは何を意味する?

A(クーラ)、プロフェッショナルとしての視点からは、それは私に多くの満足感をもたらした役割であり、同時に、私は最高と最悪の批評を受けた。

これは、新しいものを創り、誰もがキャラクターに関連付ける共通の解釈とは異なる読み方を提供する時に起こること―― 一方には、新鮮な空気の息吹を好む人々がいて、もう一方には、 あまりに多くの酸素がもたらされると、めまいを引き起こすとして新鮮な空気を恐れる人々がいる。







Q、声楽的な観点でのオテロの主な特徴は?

A、声について神話がある。
歌を勉強するとき、導くために学生の分類を提供する必要があることは事実だ。しかし一度プロフェッショナルになれば、自分の傾向にしたがって、それぞれのアーティストが自分自身で意思決定を下すことになる。21世紀においては、ラベリングを止めるべきだ。

これは、誰もが何でもできることを意味するのではないが、もし誰かが普通と違うことをやるとしたら、またもし他と異なっているけれど、うまくやれるとしたら、そのアーティストを捕まえて、私たちがそうあるべきだと望むケージに入れるべきではない。

さらに悪いのは、それがケージに入らない場合に、完全に消してしまう――「異なるもの」を排除して、問題を解決しようとする。
それはもう始まっている? 順応的な社会は、排除と衰退を強要される社会だ。


Q、オテロと人間としての共通点は?

A、オテロは背教者(ヴェネツィアでは自らのキャリアのためにイスラム教を捨てた)、裏切り者(かつてのイスラム教徒の兄弟を排除するためにヴェネツィアと契約した)、傭兵...。
ノー、私には、彼との共通点はない。







Q、あなたのキャリアのハイライトを紹介すると?

A、リストアップするにはあまりに多い。自分の視点からみると不完全な軌跡になるかもしれないが・・。

私は1991年に幸運を求めてヨーロッパに来た。
最初のライブレコーディングは妖精ヴィッリ "The Villi"(プッチーニ)、1994年7月。ロンドンでのデビューはスティッフェリオ "Stiffelio"(ヴェルディ)で、Warner(ワーナー、レコード会社)と1995年に契約した。最初のオテロはトリノで1997年だった。

何年かの間に、歌手としての自分を確立した後、1998年にオーケストラの指揮へ復帰した。クロアチアで最初の演出をしたのが2007年。2010年にカールスルーエでプロデューサー&演出家として、サムソンとダリラの私の最初のDVD、そして2012年カヴァレリア・ルスティカーナと道化師で、演出家として決定的な評価を得た。2013年には、オテロの演出家・主演として、(母国アルゼンチンの)テアトロコロンに戻った。

私の若い時の作曲作品、1988年と1989年にそれぞれ書かれた「Magnificat」(「マニフィカト」)と「Ecce Homo」(「この人を見よ」)が、2015年と2017年に初公開された。これはオーケストラの指揮とともに、私のもともとの音楽キャリアを構成してきた作曲への最終的な復帰となった。

私は現在、私にとって最初のミュージカル劇の作曲に取り組んでいる。私はそれを「オペラ」とは呼ばない。それだけではないので。その後、それを初上演する劇場を見つけるという問題があるだろう。









Q、あなたには、困難と危機の時もあった?

A、たくさん。 あなたが想像できる以上に多くのことがあった。
しかし、私は生き延びることができた。その証拠は、1978年に初めてステージに上がって以来、26年間の国際的なキャリアと39年間のステージ活動を経て、まだ、私がここにいることだ。

Q、誰が最もあなたの仕事と芸術の考え方に影響を与えた?

A、1人だけの名前を言うのは不公平であり、おろかしいだろう。
私は常に、人間とその過去と現在の成果に対する熱心な観察者であり、分析者だった。芸術にとどまらず、「偉大」なもののリストはきわめて長い。

それらを見て、それらを読み、最後にそれらに耳を傾け、こうした結果を創りあげるうえでの成功と失敗の痛みの両方において、それらを徹底的に研究することは、今日のすべての人にとって不可欠だ。アーティストにとってだけではなく。







Q、あなたの好きな作品のキャラクターは?

A、私の好きなキャラクターは、いつでも、ある日、あなたが私の舞台の1つを見に来た時、その時、私が演じているものだ...。

「Fattitaliani.it」





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いつも率直に自分の考えを述べてくれるので、クーラのインタビューはとても刺激的で面白いです。
少し前に、オペラの脚本を書いていると言っていましたが、このインタビューの話では、すでに作曲の作業にかかっているようですね。「オペラとは呼ばない、それだけではないから」とクーラは述べていますが、どんなものになるのでしょうか。とても楽しみです。ぜひ、初演の場を提供してくれる劇場が見つかることを願っています。

クーラも自分のキャリアについて述べていましたが、作曲、指揮を学び、その後、歌手として成功したのち、近年、念願の作曲、指揮の活動に復帰してきました。現在では、オペラの演出と舞台デザイン、衣装などにも活動の場をひろげ、さらに今、オペラまたは音楽劇の脚本・作曲まで。まさに多面的で総合的な活動を展開していますが、興味深いことは、それらが歌手としてのクーラの活動に、妨げになるどころか、相乗的な豊かさ、深化をもたらしていると思われることです。

タンホイザーやピーター・グライムズなど、歌手として新たな役柄への挑戦とともに、20年以上歌ってきた今回のオテロのような役柄においても、解釈と演技、歌唱において、いっそうの充実ぶりが実感できました。54歳、まだまだ歌手として、アーティストとして進化を続けています。












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(レビュー編)ホセ・クーラ 21年目のオテロ ワロン王立歌劇場 / Jose Cura's Otello at Opéra Royal de Wallonie-Liège

2017-07-02 | ワロン王立歌劇場のオテロ2017




ホセ・クーラが出演したワロン王立歌劇場のオテロ、今回は、レビューから主にクーラに関する部分を紹介したいと思います。
観客の反応も素晴らしく、全体として非常に好評な公演、クーラも絶好調、指揮、オケを含む、アンサンブル全体も高く評価されています。

また新たに劇場がフェイスブックにバックステージの画像をアップしてくれたので、いくつかお借りして掲載しています。

その前に、再度、YouTubeにアップされている全幕録画のリンクを。


“Otello” de Verdi - Opéra Royal de Wallonie



Otello - Live Web 
SEASON : 2016-2017
LENGTH : 2:50
SONG LANGUAGE : Italian
CONDUCTOR : Paolo Arrivabeni
DIRECTOR : Stefano Mazzonis di Pralafera
CHOIRMASTER : Pierre Iodice

Otello: José CURA
Desdemona: Cinzia FORTE
Iago: Pierre-Yves PRUVOT
Cassio: Giulio PELLIGRA  Emilia: Alexise YERNA  Lodovico: Roger JOAKIM
Roderigo: Papuna TCHURADZE  Montano: Patrick DELCOUR  An Araldo: Marc TISSONS

Opéra Royal de Wallonie-Liège





●あらゆる点で成熟した軍指導者

「・・彼が20年間歌い続けてきた最も要求の厳しいヴェルディの役柄で、ホセ・クーラをもう一度聞くことは、依然として啓示だった。
彼は慣れ親しんだ安全な演目に頼ることに決して満足しない歌手であり、今年だけで、彼はフランス語でワーグナーのタンホイザーを歌い、ピーター・グライムズの演出、舞台設計、主役を引き受けた。
彼が“Già la pleiade ardente in mar discende”(「すでに燃えるプレアデス星は海に沈んだ」第1幕デズデモーナとの二重唱) を歌った時、ピーター・グライムズが心理的および声楽的に求めるものが想起された。
 
シェイクスピアのオリジナルでは、オテロは「私は老境に傾いている」と言っている。そして白髪のライオンのようなたてがみと灰色のあごひげのクーラは、あらゆる点で成熟した軍指導者、才能と経歴をもつ指揮官に見えた。

ワロン王立歌劇場では、クーラの強力なスピントなテノールが、オープニングの "Esultate!"ですぐに感銘を与えた。そして第1幕、酔っ払いの暴動を鎮圧した時の“Abbasso le spade!”(「剣を下ろせ」) の見事な歌いぶりにおいて、彼の権威に疑問の余地はなかった。彼の長年の経験とともに、少なかったものが多くなった。以前のピッチやリズムの気まぐれがなくなり、彼の黒く暗い、よく響く低い声は、愛のデュエットにエキゾチックな異質さと情熱の両方をもたらした。

イアーゴの毒が盛られたとき、目の中の激しい怒りの閃光とともに、クーラの傲慢な尊厳と冷静さは粉々に砕かれた。ダイナミックなボーカルの極限を取り入れ、 "Ora e per semip addio"からの繊細な内向性と深いソット・ヴォーチェ、ほとんどくぐもった“Dio! mi potevi scagliar” から気高くも哀れな“Niun mi tema”まで、これは、シェイクスピアのスケールでの、欠陥を抱えた英雄の悲劇的な転落だった。

・・・

演出のいくつかのぎこちなさにもかかわらず、クーラとアンサンブルの魅力的な強さは、・・より感動的な夜をつくった。」

(「Bachtrack.com」)





●ホセ・クーラ、巨大なオテロ

「・・私たちが(ベルギー・リエージュまで)旅行したのは演出のためではなく、今シーズンの初めにここでトゥーランドットを聞いた有名なアルゼンチンのテノール、ホセ・クーラのタイトルロールのためだった。

私たちはすぐには忘れることができないだろう。幕が降りる少し前に、最高のニュアンスでつぶやかれた死を。

そして、不思議に通り抜けた"Exultate!"を例外として、その栄光の時以来(我々が2000年代初め、バルセロナのリセウ大劇場で同じ役で聞いたときのことを言っている)、知られていなかったヴォーカル・フォームを表示する。そして、したがって、今日この役の最もふさわしい解釈者の一人であり、端的に言えばそれは、巨大なオテロだ。・・」

(「Opera-Online.com」)





●成功はほとんどクーラ1人の肩に

「公演の成功が証明されたが、それはほとんど1人の男の肩に頼っている。

身体と魂を一体にして、すべてのテノールによって恐れられているこの役柄に勇敢に直面することが可能なホセ・クーラは、大きなスケールと確信の強い力を持ってオテロを形づくる。

歌唱は高度な洗練はないものの、声は非常に激しく、強力に投影されながら、その音色は美しい一貫性を示している。」


(「ConcertoNet.com」)





●優しさがあふれるデズデモーナとの二重唱「もう夜も更けた」

「アルゼンチンのテノール、ホセ・クーラは、燃える活力と彩りの豊かさでオテロのスコアを探求する。彼の "Abbasso the spade!" は、第一幕を閉じるデモデモーナとのデュエットとは完全に対照的で、完全に彼の権威を宣言している。

また、彼が抱擁のエクスタシーのなかで死にたいと歌うとき、彼は、幸せの不安定性についての認識を完全に広める。"Giànella notte densa"は優しさがあふれている。」
 
(「Arts et Lettres」)







●模範的なシーズンの最終公演


「第3幕は、ホセ・クーラのオテロの勝利をみた。ステージ上の本当の野獣、そしてワロン王立オペラでのレギュラー出演者。
激怒した彼とイアーゴとの対話、そして彼の有名な独白“Dio ! mi potevi scagliar”は素晴らしいドラマチックなアーティストだった。

・・・

傷ついた、野生の獣のようなクーラのオテロは、同様に感動的な"Niun mi tema"を歌った。

・・・

結論として、ワロン王立オペラの純粋な伝統のオテロ――有名な歌手、ハウスのオーケストラ、そして古典的なステージング。 模範的なシーズンの終わり。」

(「Crescendo-magazine.be」)





●議論の余地のない主人公

爆発した場面、その瞬間から、彼は議論の余地のない主人公である。中年の成熟とともに、ヴェルディによるオテロの役割に戻ってきたホセ・クーラ。パワーと、繊細な内部の葛藤の表現を交互にもちいて、強烈で苦痛を伴う解釈を与える。

(「Giornaledellamusica」)





感動の面持ちでカーテンコールの喝さいを受けるクーラ。大歓声とブラボーの声、大量の足踏みで称賛された。







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これまで何回か、クーラのオテロ解釈を紹介してきましたが、この巨大で複雑なキャラクター、テノール最難関の役柄を、ここまで自らのものにして、自由自在に歌い、演じ、ドラマをつくりだす――クーラの到達したオペラパフォーマーとしての境地には、ひとりのファンとしてつよい感動を受けました。

そしてレビューの評価が、そういう私の思いとほとんど一致したというのもまた、驚きであり、喜びでした。

この先2017/18のスケジュールには、演出、指揮、作曲作品の発表がメインとなり、オペラ出演はまだわずかしか発表されていません。もちろん指揮はもともとのクーラの念願であり、また演出も楽しみですが、歌手として、声も演技も、新たな絶頂期、黄金期を迎えていると思われるクーラのオペラを、もっとたくさん見せてほしい、新しい録画やDVD、そしてできれば実演でみたい・・こうつよく思わざるをえません。

来年2月に、モンテカルロ歌劇場で再演されるクーラのピーター・グライムズが、またこのCultureboxでネット放送されることを心から願っています。




*画像はワロン王立歌劇場のFBなどよりお借りしました。
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