ホセ・クーラは2022年3月、ブルガリアとルーマニアで、ヴェルディのオペラ「エルナー二」の指揮に取り組んでいます。主催はブルガリア南部の都市ルセのルセ国立歌劇場で、公演は、3月16日にルセで初日、18日にブルガリアの首都ソフィア、25日はルーマニアの首都ブカレストとなっています。また指揮の合間に1回だけ、ルセでアルゼンチン歌曲のリサイタルも行いました。
公演の様子を紹介する前に、クーラのインタビューが現地のマスコミに掲載されましたので、そこから抜粋して、インタビュー編として紹介したいと思います。
ルーマニアは北側がウクライナに接した国。ブルガリアも、国境は接していませんが同じ黒海沿岸です。今回のインタビューでは、ロシアのウクライナ侵略の問題についても質問され、クーラが答えています。
いつものように誤訳等あると思いますが、お許しください。リンク先の原文をご参照ください。
●インタビュー(2022.3.16)ーー「エルナー二」プレミア上演前に
≪ ホセ・クーラ "起きていることは超現実的であり、時代錯誤" ≫
今夜3月16日、ジュゼッペ・ヴェルディの初期の傑作の1つであるオペラ「エルナーニ」が、ブルガリア・ルセのドホドノ・ズダニエ劇場の大舞台で初めて上演される。このイベントは、第61回「ルセ3月音楽祭」の一環として行われるもの。
また、ルセ国立歌劇場の新しい大型プロジェクトである「エルナー二」は、3月18日に首都ソフィアの国立文化宮殿のホール1で上演される。演出はオルリン・アナスタソフ、指揮は世界的に有名なテノール歌手ホセ・クーラが担当した。
「 世界が困難な情勢にあり、緊張状態にあって、ここから遠くない場所で戦争が起こっている今、みんなが、最高の形で舞台を見せたいという強い思いをもっており、職場の雰囲気はとてもいい。人々が尊厳と欲求を持って良い音楽を作ることは非常に大切なことだ」
アルゼンチンのマエストロ、ホセ・クーラは、オペラ「エルナーニ」の初演を前に、ルセ国立歌劇場のソリスト、合唱団、オーケストラとの共演について、このように語った。
「歌手や声について言えば、私は常々ブルガリアには偉大な声があると言っているので、驚くことはない」と、絶賛されたテノールであり指揮者は付け加えた。
「『エルナー二』には、例えば『ナブッコ』の「行け、我が想いよ」のような合唱はないが、人気のあるソプラノとバリトンのパートがある。愛好家にとっても魅力的だし、『このオペラは何だろう?』と思う非専門家にとっても好奇心をそそるものだ」とホセ・クーラは言う。彼は2003年にソフィアでシンフォニーコンサートを指揮して以来、ソフィアへの再訪を心待ちにしている。「私はあなたたちの首都に歌手として招かれたことがない」とマエストロは言う。
ホセ・クーラは、クラシック音楽界を代表するテノールとして国際的なキャリアをスタートさせた当初から、指揮台での仕事と卓越した声楽のパフォーマンスを見事に融合させてきた。生来の音楽的才能は、彼を指揮者としての独自の解釈を形づくるように導いた。そのため、世界的な歌手としてのキャリアの全盛期においても、指揮者としての仕事は止むことがなかった。ヴェルディのあまり上演されないオペラ「エルナー二」をホセ・クーラがルセ歌劇場で解釈することは、音楽史に残るだろう。オペラ歌手、指揮者でありながら、作曲家としても活躍している。宗教的音楽、オラトリオのジャンルでの「スターバト・マーテル」、「マニフィカト」、三部作「この人を見よ」、「テ・デウム」、「レクイエム」や、バロック時代の作曲家アントニオ・ヴィヴァルディに捧げたオペラ「モンテズマと赤毛の司祭」は、レコーディングやコンサートなどで聴衆の注目を浴びている。
今回、ホセ・クーラは、ルセの観客の前でだけ、歌手、作曲家として登場する。3月20日18時から、ルセのフィルハーモニーホールで行われる「From Bulgaria to Argentina」と題したリサイタルでは、ブルガリアのソプラノ歌手Tsvetelina Vassilevaとともに、アルゼンチンの作曲家の作品やクーラ自身のオリジナル曲を演奏する。ツヴェテリナ・ヴァシレヴァは、ブルガリアの作曲家による曲を歌う。ピアノ伴奏は、ハンガリーのピアニストKatalin Cilagとブルガリアのピアニスト兼指揮者Viliana Valchevaが担当する。
「”自国の文化大使 "であることが重要だ。パブロ・ネルーダやルイス・セルヌーダなど、詩的な歌詞が素晴らしい楽曲を紹介する。ブルガリアのいくつかの歌とともに、ブルガリアとアルゼンチンの兄弟愛を表現する」と語った。
ーーロシアによるウクライナ侵攻について
起きていることは超現実的であり、時代錯誤でもある。現代社会ではあり得ないと思っていたことが起きている。80~100年前はそうだったが、2022年の今、人類は過去を捨て、インターネットやその他のイノベーションによって現代に移行したと思っていた。決して「油断」することなく、そういう人間の思考が、我々の敵になるまで、常に警戒を怠ってはいけないようだ。
ウクライナへの侵攻だけでなく、私たちが生きているのは、すでに信じられないような困難な状況だ。人々の顔は苦痛に満ちている。経済的、地理的、文化的な違いを超えて、兄弟愛や私たちの間にある愛などの共通のもので結ばれる理想の社会には、まだまだ遠いということを改めて見せつけられた。私の60歳の年齢からするとナイーブに聞こえるかもしれないが、これが自然の教訓であり、そうあるべきなのだ。私たちが対立の中で生きていたら、私たちが住んでいると思う現代的な社会へ、この一歩を踏み出すことはできないだろう。そして突然、中世を思わせるような状況に置かれた。自分たちを現代人だと思っているのに、まるで洞窟の中で暮らしているかのように振る舞う。間違いは甚大だ。理想の世界への道のりはまだまだ長い。それは、人々が家の中でどこでもインターネットが使えるということだけではない。
ーーロシアの音楽家のプロ契約解除について
物事を別々に検討し、実際の事実と実際の相互関係を評価すべき微妙な問題だ。私はゲルギエフとプーチンの関係も知らないし、ネトレプコとプーチンの関係も、親しいのかそうでないのか、友人なのかそうでないのかも知らない。自分がよく知らないことは判断できないが、新聞で読んだり、ラジオで聞いたり、テレビで見たりした。新聞を読んで、起こってはならない重大なことについて意見を述べる責任がある。何が正しいか正しくないかを言うためには、メディアが発信している情報よりもう少し多くの情報を持っている必要がある。
≪ ルセ歌劇場で受けた素晴らしい人間としてのレッスンーーどのような状況下でも人は創造することができる ≫
彼は非常に熟練したミュージシャンであり、自分の才能に忠実で、妥協することなく懸命に働くことをいとわなければ、どのようなことも可能であることを実際に示している。スカラ座、コベントガーデン、ウィーンなど世界の舞台での成功に甘んじることはなかった。テノールとして、作曲家、指揮者として…。今回、彼はルセでヴェルディのオペラ「エルナー二」のブルガリア初演の3公演を指揮する。ルセでの3月音楽祭で大成功をおさめ、今夜ソフィアで、そして3月25日にルーマニアのブカレストで上演される。
クーラはルセでのドレスリハーサルの開始前に、特別にインタビューに答えた。リハーサルがどのように行われるのか、初日にむけて何が残されているのかまだわからないが、彼は1つのことを確信しているーー「聴衆に”エネルギーのブースター”を与えることができるだろう」。
Q、あなたに関して情報を調べると、「三大テノールに続く4番目のテノール」、「世界で最も傲慢なテノール」、さらには「世界で最もセクシーなテノール」などといわれていたが、あなたは自分をどう定義する?
A(クーラ)、あなたは初めて私に会ったが、私をどのように認識する?
Q、あなたはすぐに相互の距離を縮め、氷を壊したいと思っている人だと思う。表現力豊かで、反応が早い。
A、「第4のテノール」や他の同様の定義は、一般のメディアの決まり文句。しかし90年代にはインターネットがなかったので、レコード会社のPR担当者にとってはそのような決まり文句が重要だった。25年前は今よりもメッセージを送るのがはるかに困難だった。そのような決まり文句を克服するのに私は何年もかかった。「第4のテノール」と言われるのは誇らしいことだと自分自身に言い聞かせたが、しかし他の3人が私の父の年齢と同じだとしたら、何の意味があるのだろう?
Q、1997年には「新しいオテロがうまれた」と書かれた?
A、そう、しかし彼らは「新しいオテロを見つけた」とは書かず、「生まれた」と書いた。それは全くの嘘だ。誰かが生まれた時、私たちは彼が成長するのを待ち、どうなるか見なければならない。私はオテロに生まれたが、その役柄を成熟させるのには少なくとも15年かかった。その点は真実だ。
Q、あなたは歌い、同時に指揮し、また管弦楽曲をつくり、歌うが、とても驚くべきことだ。そのような共存関係は何から導かれている?
A、それは違う。時系列でみると、私のキャリアはアルゼンチンの大学の音楽院での作曲家・指揮者として始まった。私がプロとして歌い始めたのはずっと後のことで、作曲家として生計をたてることが非常に困難だったためだ。そして今日でも、作曲した作品だけで生きていくことは非常に困難だ。作品を演奏したり、教師になったり、歌ったりする必要がある。200年前は可能だったが、しかし現代では、すべての作曲家がそうではないが、作曲とともに他に何かをやっている。
80年代と90年代において、アルゼンチンで作曲家や指揮者になることは非常に難しかった。軍事政権の後、経済、国が回復する途上で、私は若く、仕事がなかった。それで歌い始めて、ある日、自分が有名になっていたことに気が付いた。運命のいたずらであり、それに逆らうことができただろうか?
その後の25年間、私の歌手としてのキャリアは非常に重要で多忙だったために、指揮と作曲は、後景に押しやられた。私は常にそれらを維持し続けてきたが、しかし指揮に専念することはできなかったし、作曲は不可能になった。例えば5分時間があるから作曲しよう…というのは、モーツァルトだけができることで、普通の人間にはできない。私たちには時間が必要だ。
パンデミックは状況を大きく変えた。私は他の人々と同じように、ほぼ2年間、毎日24時間、家にいた。それで作曲に戻った。ギター協奏曲、テ・デウム、交響曲の組曲を書き、今年2022年5月にブダペストで初演されるレクイエムを完成させた。不満は言えない。もちろんコロナ禍は大惨事であり、多くの人が愛する人を失った。私は幸いにして家族の誰も失わなかったが、友人を失った。コロナ禍で、私は、優先順位を再編成することにした。
週に3回のコンサートを行い、1か月に5か所のホテルを移動する…こんな騒がしすぎる生活を送ってきた人間にとっては、すべてが止まった。突然、走り回ることのない自分自身を見つけた。そしてともに過ごし、周りを見渡し、いる場所の美しさに気づいた。もちろん、私はもう60歳間近で、この現実に40年近くいるので、こう言うことができる。トップに立ち、プロフェッショナルのトップパフォーマーでありたいという私のニーズは、長く満たされてきた。
Q、ルセでは、あなたは本当に歌劇場のチームにエネルギーを与え、彼らは非常に感謝している。ブルガリアのアーティストのチームは?
A、そう、私はソフィアとプロブディフで働いたことがある。
私はプロフェッショナルであり、この職業で生計を立てている。これが私の仕事だ。私は、請求書や子どもの学費の支払いのため、または子どもたちが孫を連れてくるにを助けるために生計を立てている。これが私たちの仕事であり、私たちはそれを忘れてはならない。なぜなら、人々は、文化について、楽しい仕事だとか、なんてロマンティックだ、と言う…。そう、それは正しい、しかし仕事だ。真面目な仕事であり、難しく、非常に緊張が強いられる仕事。ギターを手にパブで歌うのではない。これは産業だ。ショービジネスは産業であり、巨大で重要な産業だ。世界中の何百万人もの人々がこの業界に依存しているーー映画で、そして劇場、合唱団、オーケストラとオペラで。私たちはそれを忘れてはならない。
人々が文化とショービジネスを混同することを、私は非常に懸念している。これら2つは異なるものだ。ショービジネスは、文化が製品である産業だ。ショービジネスがなければ、例えば今回のオペラ「エルナー二」のような重要な仕事はなかっただろうから、これは良いことだ。「エルナー二」で300人を雇用している。ショービジネスがなければ、これは全く不可能だった。もちろん、ショービジネスがなくても、文化、芸術、音楽、その他すべてが存在し続けている。しかし運命論に陥ってはならない。経済的危機で、文化は苦しんでいる……いや、ショービジネスが苦しみ、文化も苦しむ。それは世界の文化の多くに起こったこと。ショービジネスは世界中の何百万もの人々が文化からお金を稼ぐようにする。
私たちには使命がある。私たちはプロフェッショナルだが、私たちの使命は、この業界の文化的製品である作品を人々に伝え、積極性をもたらし、基準を構築し、良いものを創造することだ。素晴らしい芸術と同じように。偉大なカラヴァッジョの絵を見れば、視覚的基準を育てることができる。そして、それほど良くないか、全く良くない何かを見た時に、あなたの頭の中で、偉大なものと偽物を区別する。これはアーティストとしての私たちの人生において、非常に重要な使命だ。人々が素晴らしい芸術作品に到達するのを助けるために、日々、コミュニケーションをとる特権を持っている。人間の基準が、崇高なものと無駄を区別できるように。
ルセで苦しんでいる素晴らしいチームと出会った。劇場は破壊されたが、彼らは素晴らしい。リハーサルはとても大変だった。しかし一方で、それは私にとって、素晴らしい人間的なレッスンだった。彼らが教えてくれたのは、どのような状況においても、創造することができるということだ。
Q、今住んでいるのは?
A、マドリード
Q、一番好きな場所は?
A、マドリードの家。マドリードだからではなくて自分の家だから。
Q、世界中で一番好きな場所は?
A、幸運にも、オーストラリアの珊瑚礁からシベリアまで見たことがあるが、ひとつを選ぶのは難しい。しかし私は、大都市の賑やかな雑踏よりも、自然の素晴らしい美しさの方が明らかに好きだ。何回問われても、ニューヨークやロンドンよりも、グレートバリアリーフやサンフランシスコ湾の方を選ぶ。フランスの田舎の牧歌的な風景が好きだが、パリは2日で無理だ。たぶん子どもの頃、アルゼンチンの田舎で、馬に乗ったりして育ったので、自然の無限の広がりを現在も愛している。
Q、もし一瞬で家をどこかに移動できるとしたら?
A、たぶんパタゴニア。世界で最も素晴らしい場所の1つだから。
Q、ウクライナの戦争についてどう思う?
A、ひどい時代錯誤だ。21世紀において、人々が互いに殺し合うことなどあってはならない。そう、ロシアが侵略者だ。しかし、両方の側で人々が死につつある。そしてもう一つ、情報過多の時代に、誤った情報が多すぎるということも逆説的だ。明らかなのは、戦争は時代錯誤であり、人々の殺害を止めなければならないということだ。交渉がどのように可能かはわからないが、止めなければならない。
(「utroruse.com」)
●クーラのFBより リハーサルの様子について
「友人のイワン・キルクチエフが私に『エルナーニ』を指揮するよう私に誘ったとき、彼は、”ホセ、私の芸術チームの気分を高めるのを助けるために一緒に働いてほしい”と言った。実際、洪水や火事の後、劇場は大規模な再建の準備が整い、最終的に劇場を取り戻すことができるまで、全員が心ひとつに必死に耐えて働いている。暖房のない中でのリハーサルも、(外はマイナス気温だが)目標達成の妨げにはならない。「ジャケットと手袋をし、スカーフを巻いて、さあ、出発だ」というのが、暗黙の了解のようだ。誰も文句を言わない。この勇気と謙虚さを教えてくれたルセ歌劇場に感謝する。悲惨なウクライナにとても近く、それでも音楽をあきらめないことは、コミットメントの1つの大きな例であり、心を癒してくれるものだ。」
●テレビのインタビュー動画
クーラがインタビューに応える動画(英語だがブルガリア語通訳が重なります)やリハーサルの様子などが収録されています。
いつもリハーサルの時は半袖Tシャツ1枚のことが多いクーラですが、FBに投稿していたように、劇場が再建中で暖房もない中、さすがのクーラも厚手のパーカーのようなものを着ていました。非常に困難ななかで、リハーサルを乗り越え、公演は大きく成功したようです。本当に良かったです。
今回は、ロシアによるウクライナ侵略の最中で、ウクライナに近い国での公演でした。インタビューでもこの問題について問われ、クーラは「戦争は時代錯誤であり、人々の殺害を止めなければならない」と断言していました。
母国のアルゼンチンで軍事政権のもとでのフォークランド紛争(マルビナス戦争)を体験し、もう少し長引けば派兵させられるところだったクーラ。常に平和と社会的公正を求めて発言してきましたので、今回のような意思表明は当然だと思います。
「理想の世界への道のりはまだまだ長い」と言いつつ、しかし「理想の世界」、戦争の時代と決別した真の「現代」を目指すべきであり、それが自然の教訓であり、そうでなければならない、と断言しているのは、やはり理想主義者であり、熱い心のクーラらしい発言です。
ロシアのアーティストの契約解除については、個々の関係を見て判断すべきであり、また責任をもって発言するためには表面的な報道にとどまらない情報が不可欠だと、穏当な指摘をしています。この問題については音楽業界でも様々な見解・態度があり、個々の是非は別としても、アーティストの生き方、芸術と政治権力との関係、距離、権力と商業主義……いろいろ考えさせられます。戦争と言論弾圧、民主主義破壊は常に一体のものでもあります。侵略を止めさせ、一日も早く戦争が終わることを願わずにいられません。
*写真は劇場FBや報道などからお借りしました。