人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

(実物編) 2000年パリの椿姫 DVDが再リリース / Jose Cura / La Traviata in Paris 2000

2016-11-29 | CD・DVD・iTunes



先日、告知編で紹介した、2000年にパリの歴史的建造物を舞台にして、エテリ・グヴァザーヴァ、ホセ・クーラ出演で世界生中継されたヴェルディの椿姫を含む、オペラ映画の3作セット、私の手元にも到着しました。

内容は、ドミンゴのトスカ、グリゴーロがマントヴァ候、ドミンゴがタイトルロールを歌ったリゴレットとのセットです。
DVD4枚セットと、ブルーレイ3枚セットがありましたが、私は3枚組のブルーレイの方を選択しました。

クーラが出演した椿姫を中心に、紹介します。 
 → Youtubeにアップされている動画を中心に紹介した以前の投稿もどうぞ。 

(内容について 再掲)
幻の映像、遂に登場! 「その時、その場所で」演じられた3つの名作オペラ映画
3つのライヴ・フィルム『トスカ』『椿姫』『リゴレット』

『ラ・トラヴィアータ・イン・パリ』(2000)
 ヴィオレッタ・ヴァレリー…エテリ・グヴァザーヴァ(ソプラノ)
 アルフレード・ジェルモン…ホセ・クーラ(テノール)
 ジョルジョ・ジェルモン…ローランド・パネライ(バリトン)、他
 イ・ソリスティ・カントーリ
 イタリア国立放送交響楽団
 ズービン・メータ(指揮)

『トスカ・イン・ローマ』(1992)
 フローリア・トスカ…キャサリン・マルフィターノ(ソプラノ)
 マリオ・カヴァラドッシ…プラシド・ドミンゴ(テノール)
 スカルピア…ルッジェーロ・ライモンディ(バス・バリトン)、他
 ローマ・イタリア放送交響楽団&合唱団
 ズービン・メータ(指揮)

『リゴレット・イン・マントヴァ』(2010)
 リゴレット…プラシド・ドミンゴ(バリトン)
 ジルダ…ユリア・ノヴィコヴァ(ソプラノ)
 マントヴァ公…ヴィットリオ・グリゴーロ(テノール)
 スパラフチーレ…ルッジェーロ・ライモンディ(バス・バリトン)
 マッダレーナ…ニーノ・スルグラーゼ(メゾ・ソプラノ)、他
 イタリア国立放送交響楽団
 ズービン・メータ(指揮)

(外装)
ケースはなかなか立派です。マグネットでふたが開閉するようになっていました。



ふたをあけると上側に、3枚のディスクが収納されています。






(ブックレット)
下側には、ブックレットがケースにつながった形でついています。はずして見られないはちょっと・・。
結構厚いです。 
→ はずせました!長年素晴らしいオペラブログを書いてらっしゃるkeyakiさんから、「最後のページが差し込んであるだけですので、はずせますよ」とアドバイスいただきました。ありがとうございました!



ブックレットの裏表紙


画像や挿絵がそれなりにありますが、思っていたほど、画像は多くありませんでした。






(本編)
椿姫のディスクをいれると出るメニュー画面



椿姫の本編をTVで観賞しましたが、やはり画質がよく、美しいです。出演者の肌のきめや汗などもリアルに見えます。
美しい歴史的建造物を舞台とした豪華なプロダクションを、よい画質、音質で観賞できて、とてもうれしいです!




(ボーナス映像)
そして何といってもお勧めなのが、ボーナス映像。以下は椿姫のものです。
歴史的建造物を舞台に、オケと別の場所で演技・歌唱して、それを世界生中継という離れ業を、どのようにして実現したのか、裏の苦労や、撮影現場の様子、出演者の素顔など、魅力的な映像がたっぷりです。インタビューやメイキング映像で構成されています。








*気になっていたいくつかの点について・・・

①やはり字幕には、日本語はありませんでした。告知通り、英語、イタリア語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、韓国語のみ。
 英語があるので、それで大意がつかめる方なら大丈夫ですが、いずれ日本語版が出るかどうかは、現時点ではわかりません。

②ボーナス映像について
 DVD版は、4枚組の4枚目にボーナス映像がまとめて収録されているようですが、ブルーレイでは、各ディスクに本編とボーナス映像がセットで入っていました。
 
③ブックレットについて
 立派なカラ―ブックレットがついていますが、これも日本語版はありません。
 英語とイタリア語のみ。ただとても豪華なので、ざっと見ているだけでも楽しめるともいえますが・・。




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(告知) 2000年パリの椿姫 DVDが再リリース / Jose Cura / La Traviata in Paris 2000

2016-11-29 | CD・DVD・iTunes



朗報です。
2000年に世界で生中継されて、大きな話題になった、ヴェルディのオペラ、椿姫。パリの歴史的建造物を舞台に、ヴィオレッタがエテリ・グヴァザーヴァ、アルフレードでホセ・クーラが出演したプロダクションが、NAXOSから、DVDとBlu-rayで、再度リリースされることになりました。  → NAXOSのHP

素晴らしい作品で、放映後にDVD化されたのですが、絶版になったらしく、その後、長らく入手できない状態が続いていました。 → 入手できました!現物の様子はこちらの投稿で

ただし、今回の再リリースは、単独ではなく、同様の野外ロケシリーズ3作、この椿姫と、ドミンゴのトスカ、そして、グリゴーロがマントヴァ候、ドミンゴがタイトルロールを歌ったリゴレット、このセット販売のようです。
また、DVD4枚セットと、ブルーレイ3枚セットがあります。
広告のコピーは…
 幻の映像、遂に登場! 「その時、その場所で」演じられた3つの名作オペラ映画
 3つのライヴ・フィルム『トスカ』『椿姫』『リゴレット』

『ラ・トラヴィアータ・イン・パリ』(2000)
 ヴィオレッタ・ヴァレリー…エテリ・グヴァザーヴァ(ソプラノ)
 アルフレード・ジェルモン…ホセ・クーラ(テノール)
 ジョルジョ・ジェルモン…ローランド・パネライ(バリトン)、他
 イ・ソリスティ・カントーリ
 イタリア国立放送交響楽団
 ズービン・メータ(指揮)

『トスカ・イン・ローマ』(1992)
 フローリア・トスカ…キャサリン・マルフィターノ(ソプラノ)
 マリオ・カヴァラドッシ…プラシド・ドミンゴ(テノール)
 スカルピア…ルッジェーロ・ライモンディ(バス・バリトン)、他
 ローマ・イタリア放送交響楽団&合唱団
 ズービン・メータ(指揮)

『リゴレット・イン・マントヴァ』(2010)
 リゴレット…プラシド・ドミンゴ(バリトン)
 ジルダ…ユリア・ノヴィコヴァ(ソプラノ)
 マントヴァ公…ヴィットリオ・グリゴーロ(テノール)
 スパラフチーレ…ルッジェーロ・ライモンディ(バス・バリトン)
 マッダレーナ…ニーノ・スルグラーゼ(メゾ・ソプラノ)、他
 イタリア国立放送交響楽団
 ズービン・メータ(指揮)

収録時間:合計9時間25分

〈 VERDI Rigoletto, La traviata PUCCINI Tosca – live now on DVD 〉
La traviata in Paris (2000) Eteri Gvazava, José Cura
Tosca in Rome (1992) Catherine Malfitano, Plácido Domingo
Rigoletto in Mantua (2010) Plácido Domingo, Julia Novikova, Vittorio Grigolo






発売元のNAXOSによると、2016年11月11日にリリースとのこと。
また日本での発売は、広告がでていたローチケHMVのHPによると、11月22日となっています。
3作セットのため、定価13,823円、HMV会員価格で9,990円と、だいぶ高額なのは困った点です。
 * アマゾンやタワーレコードでも広告が掲載されました。価格もそれぞれ違い、発売日も違いますので、購入を検討されている方は、お気をつけください。

さらに現時点では輸入盤のみのようです。
告知によると、字幕は、英語、イタリア語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、さらに韓国語はあるのですが、日本語はありません。これは確認したいとわかりませんが、日本語字幕がほしい方は、推移を見てからの方がいいかもしれませんね。

また、当初の椿姫のDVDは、下の写真のような美しいパッケージで、多くの写真が収録された冊子と、とても魅力的なメイキングビデオが付属していました。




今回も冊子と、3時間余りの特典映像が付いているようです。3作セットなので、以前のものと同じかどうか、今のところの情報からは、判断できません。
とはいえ、3作とも評価の高いものですので、発売が楽しみです。

販売会社のYoutubeチャンネルnaxosvideosには、この3作の予告編がアップされています。

椿姫
DVD Box - 3 Live Films - La Traviata in Paris (Eteri Gvazava, Zubin Mehta, Giuseppe Patroni Griffi)


トスカ
DVD Box - 3 Live Films - Tosca in Rome (Placido Domingo, Zubin Mehta, Giuseppe Patroni Griffi)


リゴレット
DVD Box - 3 Live Films - Rigoletto in Mantua (Placido Domingo, Zubin Mehta, Marco Bellocchio)


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おまけとして、以前の投稿にもまとめて紹介しましたが(「2000年パリの椿姫 La Traviata Paris / Verdi」)、Youtubeにあがっているパリの椿姫のいくつかのシーンを紹介します。

当時、クーラは37歳、まだまだ若く、この収録のためにかなり減量して臨んだということです。実在の歴史的建造物でロケをした美しい映像、そして容貌、演技、歌唱とも素晴らしい、2人の主人公にピッタリなグヴァザーヴァとクーラ。違和感なく、物語に入り込める貴重なプロダクションです。できれば、高額な3枚セットではなく、個別で販売も可能になってくれるとうれしいですね。

冒頭の序曲途中でホセ・クーラ演じるアルフレード登場から、「乾杯の歌」の場面まで
"Dell'invito trascorsa ..libiamo ne' lieti calici" La Traviata


第1幕、ヴィオレッタにアルフレードが求愛する場面。テーブルの下でのキスシーンが美しい。
"Un di felice, eterea" La Traviata


第3幕 ラストシーン 再会した2人と悲しみのラスト。
La Traviata Last








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(ガラ・コンサートとインタビュー) ホセ・クーラ 2016年ドゥブロヴニク・サマーフェスティバル / Jose Cura / Dubrovnik Summer Festival 2016

2016-11-23 | コンサート



ドゥブロヴニク・サマーフェスティバル2016に出演したホセ・クーラ。これまで、(オープニング編)(写真展編)、さらに来年の演出予定に関する(告知編)を掲載してきました。

たいへんしつこくて恐縮ですが、最後に、2日目、2016年7月11日のガラ・コンサートの様子を伝えつつ、現地クロアチアでクーラが受けたインタビューから、興味深い内容を抜粋して紹介したいと思います。

インタビューは、いつも以上に踏み込んだ内容です。経済的危機と文化の問題、母国アルゼンチンとの関係、自身のアルゼンチンから移住した経験と移民排斥、シリア難民など現代の問題、商業主義と若手アーティストの使い捨てへの批判、クラシック音楽のエリート主義など、さまざまなテーマで率直に述べています。
なお、いつものことですが、原文がクロアチア語のために、翻訳に誤りや直訳による不十分さが多々あることを、あらかじめお詫びします。クーラのユニークで我が道をゆく生き方を伝えたいという思いだけでやっている稚拙な素人翻訳で、すみません(>_<) 





Dubrovnik Summer Festival2016 Gala concert
Croatian Radio and Television Symphony Orchestra
José Cura= tenor
Linda Ballova= soprano
Mladen Tarbuk= conductor

コンサートでは、前半が、ヴェルディのオテロからアリアやデュエット、後半がアルゼンチンなど南米の音楽が中心に演奏されたようです。
まずは、ガラコンサートの全体の様子を伝えるダイジェスト動画を。
クーラの登場の様子やソプラノ歌手とクーラの歌、会場の様子とクーラのインタビューなどが映っています。
クーラは、「サウナのような暑さ」をいいつつ、観客が素晴らしく、良いコンサートだったことなどを語っているようです。

Gala concert
<iframe src="https://wwws.youtube.com/embed/ENKtYP7EN3k" width="640" height="360" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


ピアソラのChiquilin de Bachin= チキリン・デ・バチン(バチンの少年)を歌うクーラ。
画像をクリックすると、クーラのFBの動画にとびます。



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――2016年「NACIONAL」のインタビューより   → 原文のページ

Q、ドゥブロヴニクの印象は?

A、到着したばかりで、まだ多くを言うことができない。リハーサルをして、フェスティバルのオープニングとガラ・コンサートをやった。私は街を歩いていない。唯一、ホテルとメイン広場を見た。しかし、ここがユニークな歴史的、建築空間であることを確信した。私の家族は私より先に到着して、本当に熱心だった。

Q、オープニングコンサートでは、歌と指揮をおこない、観客を喜ばせたが、どのようにしてそれをやるのか?

あなたがプロではないと、外からはすべてが困難に見える。サッカーと同じで、すごいことのように見えるが、しかし、あなたがどうやっているのか不思議に思うことを、サッカー選手は簡単にやる。仕事の一部について、あなたが専門家であり、訓練を受けているならば、痛みを伴う運動を意味することがあっても、何も難しいことはない。
私は15歳でステージに立ち、間もなく40年になる。奇跡や偶然、運によるもの何もなく、ただ非常なハードワークの結果だ。

ドゥブロヴニクでは、塔の上で歌うために、登ったり降りたりしなければならなかった。気温40度と高湿度のなかでは厳しい身体活動だった。
2日前にリュブリャナでオテロを演じたので、私のカレンダー上でコンサートの日程を確保するのはかなり複雑だった。幸いにも頻繁な便があり、どうにか可能だった。

オープニング・プログラムは、伝統的な要素を含み、聴衆とコミュニケーションをとり、華麗な女優OlgaPakalovićがガブリエル・ガルシア・マルケスによって書かれた最後の手紙からスペイン語の詩を話す部分など、本当に感動的な瞬間だった。

ガラ・コンサートでは、今年没後400周年を迎えたシェイクスピアを記念して、私は最初の部分でオテロを歌った。
オープンスペースでのコンサートはとても繊細で、鳥の鳴き声も非常に騒がしい。そのような環境では、必要な親密さを作り出すことは困難だ。
コンサートの第2部では、ラテンアメリカとスペイン音楽との関係を中心にして、美しいオーケストレーションで4つのラテンアメリカのラブソング、バラードを歌った。それらのうち、いくつかは国際的にも知られており、人々の反応は予想以上に素晴らしかったと聞いた。





Q、何年も前、90年代初頭に、あなたはアルゼンチンを後にした。あなたは魅力的な国際的なキャリアを作り、後悔していないと思う。もしあなたがあなたの国に残ったら?

A、そうはならなかっただろう。
まず第一に、アルゼンチンは地球の向こう側にあり、本当に世界の出来事から遠い。
そこで何らかの地元のキャリアを持つことはできる。私には、アルゼンチンに残り、そして依然として生き残るために苦労している多くの友人や同僚がいる。しかし劇場がわずか2つか3つしかないので、まともな人生を送ることができる程度に仕事のスケジュールを満たすことは非常に困難だ。
ブエノスアイレスには大規模な劇場テアトロ・コロンがあるが、ロサリオ、メンドーサなどの都市ではより小規模で、プロフェッショナルが生き残れるような強力な活動はない。したがって、チリ、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジル...彼らは多く旅をしなければならない。厳しい戦いだ。ドイツが120以上の劇場を持つような、ヨーロッパとは対照的だ。





Q、アルゼンチンを長らく支配してきた政治的、経済的混乱が文化や芸術にどのような影響を及ぼしている?文化は常に最初の犠牲者?

A、実際には、文化に関する混乱がある。文化を扱うカルチャー・ビジネスと混同しないでほしい。これらは同じではない。

アルゼンチンの経済危機以来、軍政の後の経済混乱がまだ回復していなかった時期ほど深刻ではないが、道徳的危機ははるかに悪化した。経済危機は実際には道徳的危機の結果である。人口の半分がお金を持っていて、それ以外の半分が持たないのならば、それは道徳的危機だ。しかし、経済危機はビジネスや文化に影響を与えている。

文化のためのお金がないと、人々は無知のままになる、とよく言われる。私はそれには同意しない。図書館は無料で、博物館への入場も無料、もしくは非常に安く、学生や年金生活者の場合は無料だ。そしてそれはアルゼンチンについてだけではなく、世界について話していること。すべての政府の同じ決まり文句 「お金がないと、文化が低下する」。私は、人間が文化に関心があるならば、そうはならないといいたい。学生ならば、スカラ座のコンサートにわずかなお金で行くことができる。もちろん、一番良い席ではないが、そこは文化とは関係ない、社会的、政治的な自己顕示欲に関係すること。これはポリティカル・コレクトネスではないかもしれないが、私は偽善の別名であるポリティカル・コレクトネスを嫌う。もし、あなたが読んでみたいと思えば、また世界やヨーロッパのギャラリーや博物館で芸術と出会いたいのであれば、それは無料または非常に安価だ。

Q、文化に飢えているなら!

A、もちろん、あなたが飢えをつのらせているなら。しかし、今最も訴えているのは、文化事業に生きている人々だ。私を含め、私は実際にプロだ。私たちは、好きなのでこの仕事をしているが、アーティストと演出家、舞台裏で、主に、よりお金について考えている人々を意味する。アーティストたちは、この職業について、彼のキャリアの中でさらなる進展がなく、その職業で生きていくためにはますます激しく戦わなければならないほど困難であると感じて、対処し始めている。それでは生活のために職業を維持することは困難だ。それはリスクだ。

プロフェッショナルになるほど、仕事において非情でハードになる危険も大きく、あなたがしていることの本当の価値、芸術の本質についての概念を見失ってしまう。それは、人々とのコミュニケーションと感情の交換であり、人々に良いエネルギーと、可能な場合には笑いを伝達する能力だ。





Q、国際的なスターとして、あなたは母国アルゼンチンでの音楽シーンの発展を助けることができると思う?

A、アーティストとその国との関係は、常に非常に議論の余地があるものだ。「誰も彼の村では預言者ではない!」というイエス・キリストの言葉がある。
私は、アルゼンチンにおいて最終的に認められるのに25年以上かかった。国民はそうではないが、行政からはそうだった。昨年、彼らは、私に、上院による特別表彰を与えたが、それは観客だけでなく、行政機関によって認められたということ。しかし、それ以外には、残念なことに、それを無視しようとする理由のために、国とその機関との流動的な関係はない。

ある者は意見を大声で表明することもできる。おそらく、私とアルゼンチンの機関の間には強い兄弟関係がないので、私は政治について、静かにしていることができる。私が言っているのは機関の考えのことであり、聴衆が私を好きでいてくれることは知っている。
行政機関は誰が権力を持っているかに応じて、常に愛と憎しみの間にある。幸いにも、これは3年から4年ごとに変化しているが、どこにでもあることだ。一番の例は、おそらくこれまでにおいても、現在でも世界最高のサッカー選手であるリオネル・メッシだ。彼は、ヨーロッパに来て英雄になるまで、自分の国でそれを経験しなかった。

Q、あなたは何年も前にヨーロッパに到着したが、北と南、南米とヨーロッパの違いについてどんな経験を?カルチャー・ショックは?

A、イエス、私は財布に2つコインをもって、90年代初めにイタリアに到着した。私は仕事がなく、家族と共に生き残ろうとしていた。最初のショックは、私が絶対的に何もない者になったこと、お金もなく、私はドアをノックして、「私に仕事はないだろうか」と尋ね回らなければならなかった。

それは、私にとって、各地からヨーロッパへ何千もの難民が到着している状況を非常に連想させる。
もちろん、私はミュージシャンであるという利点があった。実際、私は、ミュージシャンであると主張したが、まだ証明していなかった。そう、私はテノールだったが、私はそれを証明しなければならなかった。私はアルゼンチン人で、シリア人ではなく、テロリストの支配する国から来たわけではなかった。これらはまだ酌量できる状況だったはずだが、当時のイタリアでは非常に困難だった。実際、ちょうど分離主義者とファシストの党、北部同盟が出現した時で、私は北部同盟がもっとも強かったヴェローナに住んでいた。そして外国人が排斥されたために、私は離れなければならなくなった。

実際には、私の祖母はイタリア出身であり、何人もの親友がいて、私はイタリアを本当に愛している。しかし彼らは私を失い、そして、私は国際的なスターとして、それらを使用するようになった。
その後、フランスに移った。そこはとても良かったが、主に天候のために、スペインに移り住んだ。パリは雨が多く、ラテン系の私たちには多すぎた。





Q、あなたは商業的なクラシック音楽産業を嫌っており、そのため、仕事を手配するエージェントを持たないと聞いたが?

A、私は業界を嫌っているわけではない。しかしその業界が、品質に十分注意を払うことなく、獲得した結果であるマネーに基づいている時、それを嫌う。

時には、本当に良い者が、国際的に有名になることがある。それは問題ではない。
時には、いくつかの奇妙な理由で、より有名になり燃えあがる。実際には、経験から話すと、それは「とりあげる、使う、却下する」というモットーの下で、放り出されるだろう。これが今日、若いアーティストたちに対してやっていることだ。
いくつかの興味深い可能性を検出すると、実際のメリットと理由もなしに、彼らに一晩で大スターに変身できるという錯覚を与える。ロマンティックな言葉を使うと、それを才能と呼ぶかもしれない。しかし、才能は単なる種であり、それは大樹ではない。まだ家を建てられるだけの多くの木を持たず、種だけがある。彼らが「キャリアを築いている」という時、それが今日、若い人々に起きていることだ。しかし才能以外、何ももたない。そして幻想を与えられた彼らは、若くて理想主義に満ちているので、それを信頼し、使い捨てられる。彼らを保護し、彼らのプロフェッショナルとしての発展を助けるのではなく、わずかな期間にそれらを打ち上げ、悲劇を起こす。

いくつか非常に有名な例がある。 エイミー・ワインハウスのことを考えてみてほしい。プレッシャーによって倒れた。彼女は次のバーブラ・ストライサンドになる可能性があった、素晴らしい声と才能をもつ若い女性であったことは否定できない。しかしバーブラは、長く日陰で歩み、ステップを前に踏み出すに十分強くなるまで、自分の時を待って、そのようになった。

いまは、若い世代にとって非常に危険な時だ。私たちはすでに確立されており、自分を外部から守る方法を知っている。しかし若い人たちはそうではない。
これは業界への憎しみではなく、業界内で、自身の利益のためだけにそこにいる者への憎しみを意味する。





Q、あなたは第4のテノールとしてメディアに扱われたが、それはあなたへの侮辱だった?

A、おそらくいまだに私を第4テノールと表すことはないのでは!?これは前世紀のものだ。

しかしながら、私が第4のテノールだと想像すると、それは私への侮辱ではなく、他の3人に対してだ。彼らは私の父の年代であり、伝説になるための莫大な操作に投資しているという、単純な理由から。
私は自分より若い若者と比較されるべきではない。そう、今、私はこのビジネスで30年間やってきた。私が「第4のテノール」といわれ始めたとき、私は言った―― ちょっと待ってほしい、私はまだ、ただの子どもだ!

Q、3大テノール、世界中での大規模な有名なオペラ・アリアのコンサートなど、このようなコンセプトでのクラシック音楽の普及についてどう思う?

A、私はクラシック音楽の普及を問題だとは思わない。私が問題だと思うのは、クラシック音楽のエリート主義だ。
それが書かれた当時、楽しみのための音楽であり、これは過去におけるポップミュージックだった。一般の人々のための音楽であり、エリートのための音楽ではなかった。

エリートのための音楽は教会音楽だった。それ以外の、300年から400年前の音楽は、すべての人のためのものだった。それは20世紀に始まり、この文化の断絶は、人々の間での分裂など、多くの深い理由からのものだ。政治家がそれらを操作する。

このような音楽の分裂はばかげている。シューベルト(Schubert)と同様に、ジョン・レノン(John Lennon)、マッカートニー(McCartney)の曲は良い。





Q、あなたは、主に指揮者として教育を受け、後に歌うようになり、それから演出、舞台デザインを手掛けるなど、真の意味で舞台をコントロールしている事実によって、世界の音楽シーンにおいて独特な存在だが?

A、私は目障りといわれている!

Q、私はクロアチアで、それを行うことができる人を知らないが?

A、あなたは世界中の人を知っている?私はこの質問を受けるとき、傲慢になりたい。なぜなら、私がすべてのことをやっていることで、非常に批判されるからであり、傲慢でいることは本当に大事なことだ。




Q、他にもあなたは写真家として?

A、私は言葉の真の意味での写真家ではない。写真は私の趣味。
人々は通常、音楽を趣味にするが、しかし私はミュージシャンであり、私たちは音楽を趣味になることができない。私は何か他のものを見つけなければならなかった。
私はいつも、自分の作曲は良いと思っていたけれども、写真は、スイスの出版社が出版することを提案するまで、公開するつもりはなかった。私は、人々が、私をふくむ公的な人物が、何を愛し、何を嫌い、どのように自分の周りの世界を見ているのか、理解したいと思っているという事実に興味をもった。だからこそ彼らは、私の写真や、パヴァロッティの絵や本を買う。ドゥブロヴニクでそれらの一部が公開される。







最後は、アンコールの定番、トゥーランドットの「誰も寝てはならぬ」
Jose Cura



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暑い夏の野外コンサート、スケジュール調整など、いろいろな困難な条件はあったようですが、歴史と伝統のあるサマー・フェスティバルで、指揮と歌、そして写真という、クーラの多面的な能力が発揮される場となり、大喝采をうけて大きく成功したようです。さらに来年2017年のフェスティバルでは、プッチーニのトスカを演出することがアナウンスされています。このフェスティバルとクーラとの関係が、さらに続いていくことを願いたいです。

またいつも率直にものをいうクーラですが、このインタビューでは、「偽善の別名であるポリティカル・コレクトネスを嫌う」といい、かなり逆説的な言い方もしていて、クロアチア語からきちんと真意が伝わるようにできたのか、たいへん心配なところでもあります。疑問に思った方は、ぜひ、原文のページをご覧ください。

シリアをはじめとする難民問題への言及は、とりわけ彼自身の辛い経験と結び付けて語られていて、胸に迫りました。移民排斥の政治勢力が伸びるなかで、祖母の地であったイタリアから追われるように離れたというのは、初めて読んだエピソードです。
若いアーテイストたちに心を寄せた商業主義批判は、彼自身も体験したことでもあり、また自分の決断で断ち切り、自分の足で自分の道を切り開く決意をしてこれまでやってきたクーラならではと思います。

日本ではこういう彼の姿や発言は、まったく紹介、報道されることがありません。そのため語学力のなさをかえりみず、無謀にも訳してみました。内容の誤りはすべて私の責任であり、それについては申しわけありませんが、ぜひ、クーラのユニークで我が道をゆく姿勢の一端を知っていただければと思います。読んでいただき、ありがとうございました。










*写真はフェスティバルのHPなどからお借りしました。
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2016年 ホセ・クーラ ドレスデンのゼンパー・オーパーにデビュー / Jose Cura debut at Semper Oper Dresden

2016-11-20 | オペラの舞台ートスカ



ホセ・クーラは今年(2016年)10月に、ドイツ・ドレスデンのゼンパー・オーパー(ドレスデン歌劇場)にハウスデビューしました。

すでに3月のザルツブルク復活祭音楽祭2016のオテロに、キャンセルしたヨハン・ボータ(当時、病気闘病中でその後、残念ながら死去)の代役として出演して、指揮者のクリスティアン・ティーレマンと、ティーレマンと率いるシュターツカペレ・ドレスデンとは共演しています。 → 紹介したブログの記事

ただし今回の指揮者は、ティーレマンではなく、パトリック・ランゲ。
演目はプッチーニのトスカで、クーラが長年歌い続けているカヴァラドッシでした。
 → クーラのカヴァラドッシへの思い、作品解釈については、「ホセ・クーラの“ヴィットリア!”と通行証の謎」で紹介しています。

クーラのFBに掲載された告知。


Tosca (Giacomo Puccini)
2016/10/23, 26, 30
MUSICAL DIRECTOR= Patrick Lange , STAGING= Johannes Schaaf
FLORIA TOSCA= Amanda Echalaz
MARIO CAVARADOSSI= José Cura
BARON SCARPIA= Andrzej Dobber
Staatskapelle Dresden




10/23の初日を前に、クーラはフェイスブックに窓から見える景色を紹介し(上の写真)、こんなコメントを寄せていました。

「ドレスデンはひどい天候だ。雨が降り、寒く(5℃)、湿度は90%。この美しい街を楽しむために出かけることはできない。 この1週間のために借りたアパートメントの部屋に座って、窓からフラウエン教会(聖母教会)の鐘楼を見ることができる――鐘が鳴るたびに、私の部屋の窓が震える。それぐらい近い。」

ドイツの秋の寒さがちょっとこたえたのか、少し寂しそうな印象の投稿ですが、外国へのツアーには、ほとんど必ず妻のシルヴィアさんが同行されているようなので、別に、1人侘びしく仮住まい(笑)・・というわけではないと思われます。またいつもパワフルなクーラ、この日はパソコンのファイルの整理をしたといって、ブタペストのコンサートの動画をフェイスブックにアップしてくれました。

その時にアップされた動画 2015年、ブダペストでのコンサートで、様々なジャンルのアーティストと共演して歌ったジョン・レノンのイマジン。
クーラの動画ページにリンクします。



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さて、ドレスデンでのトスカですが、動画や録音などは残念ながらネットにもアップされていませんが、劇場のHPやクーラのFBで舞台の写真が掲載されていましたので、紹介します。

●第1幕
貴族で画家のカヴァラドッシ、教会で依頼された聖母マリアの絵を描きながら、恋人トスカの美しさを歌う。アリア「妙なる調和」のシーン。


逃亡してきた共和主義者のアンジェロッティが、カヴァラドッシのいる教会に現れる。アンジェロッティの理想に共鳴しているカヴァラドッシは彼を匿うことにする。


そこに現れたカヴァラドッシの恋人、歌姫トスカ。トスカが、信心深く、嫉妬しがちな女性であるため、アンジェロッティのことを隠して、トスカをなだめ、できるだけ早く帰そうとする。トスカへの愛をささやく二重唱。




●第2幕 
警察長官に捕まり、拷問にかけられるカヴァラドッシ。しかし彼は黙秘をつらぬき、激しく痛めつけられる。


トスカは彼の姿にいたたまれず隠れ家の場所を白状してしまう。


そこにナポレオン軍勝利の一報が入り、カヴァラドッシは力をふりしぼって立ち上がり「勝利を!」と叫ぶ。


憲兵を振り切り、スカルピアにつめよるカヴァラドッシ。


●第3幕
スカルピアと取引して逃亡のための通行証を手に入れ、さらにスカルピアを刺殺したトスカ。自由への逃亡を夢見るが、約束ではカヴァラドッシの処刑は空砲のはずが、それはスカルピアの罠で、彼は銃殺される。トスカも絶望し、高い城壁のうえから身を投げる。




●カーテンコール
クーラの熱演に、たいへん観客の反応も熱く、好評だったとのことです。


現地で観賞した方がツイッターで流してくださったカーテンコールの様子を。観客の大きな歓声、ブラボーの声が聞えます。
shochiさんのツイートにリンクしています。↓


●レビュー

プロダクション自体が初演ではなかったため、レビューは多くありませんでしたが、非常に良評価でした。

「プッチーニの音楽と歌手の説得力のある演奏によって、明らかにドラマティックに増強された。」
「ホセ・クーラはエモーショナルに有名な星は光りぬを歌った。」
「音楽的に、パフォーマンスは非常に良好で、ホセ・クーラがりードする2人の主役は、深い経験をもたらした。長く熱狂的な拍手は、観客の大満足を証明した。」
(「OperaPlus」)

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クーラは今年12月5日で54歳になります。白髪も増え、体型も中年らしく体重も増えましたが、歌唱と演技、ドラマの解釈を深め、若い時よりもますます役柄の表現力を高めていると思います。
カヴァラドッシは、クーラにとって、心から共感でき、感情移入できる役柄のひとつだそうです。理想のためにたたかい、死ぬ――理想主義者で、社会に対する関心の高いクーラにとっては、オペラのテノールの役柄のなかでは、数少ない説得力のある魅力的な人物なのだと思います。
クーラのカヴァラドッシは、2000年の舞台がDVDにもなっていますが、私としてはぜひ生の舞台で観賞したいと強く願っている役柄のひとつです。

最後におまけで、最近のクーラのカヴァラドッシの歌を。
何度もこのブログで紹介していますが、2014年ハノーファーでの野外オペラより。どれも魅力的な歌唱です。
「妙なる調和」
Jose Cura "Recondita armonia" Tosca


第1幕の二重唱
Jose Cura 2014 Tosca Act 1 duo


「星は光りぬ」
Jose Cura "E lucevan le stelle"



クーラのファンページに掲載されたカーテンコールの時の写真。サンドラ・オットさん撮影。by Sandra Ott




*画像は、劇場のHP、クーラのFB、ファンサイトなどからお借りしました。
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ホセ・クーラ フェイスブックで語る 過去の歌手と現代の歌手について / Jose Cura on Facebook

2016-11-17 | 人となり、家族・妻について



ホセ・クーラも、フェイスブック上で公式のページをもっていて、情報を発信しています。でも、ちょっと、一風、変わっています。

というのは、クーラが、投稿も、コメントも、自分で書いているうえに、他のオペラ歌手などのページからイメージするような、舞台裏や日常のスナップショット、同僚と一緒の自撮、バケーションやパーティなどの華やかな投稿がほとんどないからです。

その代わりに、フォロワーに問題提起して、考えさせるような、ちょっと理屈っぽい(笑)、ユニークな投稿が少なくありません。フォロワーからの質問に、クーラ自身が何でも答えるというコーナーを設けたこともありました。私の質問に答えてくれたこともあり、いずれまた紹介したいと思います。

もちろん、次の公演の告知やインタビューとか動画の紹介など、普通の投稿もありますし、演出家としても活動するクーラは、プロダクションの演出ノート、作品解釈などについても、投稿して紹介してくれるので、それもフォロワーにとっての楽しみでもあります。
タイムラインの記事の他にも、動画コーナーやクーラが撮影した写真コーナーなども常設されています。





そんなクーラのフェイスブックで、不定期に登場するシリーズが、“COGITO ERGO SUM”(コーギトー・エルゴー・スム)――ラテン語で、「我思う、ゆえに我あり」。
デカルトの有名な言葉をかかげた、一連の投稿です。これをみても、ちょっと理屈っぽそうな感じがわかるでしょう(笑)。
でもその内容は、いつも、社会のこと、オペラ界のこと、クーラの芸術的信条についてなど、とても率直で、知的に刺激的で、考えされられるものばかりです。

今回は、少し前(10月28日)の、“COGITO ERGO SUM”の投稿を紹介したいと思います。例によって、翻訳が不十分なので、ぜひ、直接、クーラのフェイスブックの投稿(英文)をご覧いただければと思います。

話題は、つぎの写真を、クーラがフェイスブックにアップしたのが始まりでした。これは1997年ウィーンでの、フランコ・コレッリを囲む5人のテノールによるコンサートで、クーラの他に、ニコライ・ゲッダ、ガルージン、ザイフェルトらが出演した時のものです。左がクーラ、真ん中はコレッリ、右がゲッダです。
この写真をめぐって、フォロワーの間でちょっとしたやり取りがあり、それをとりあげて、クーラが意見を表明したものです。





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COGITO ERGO SUM

私は長い間、使っていなかったこのセクションに戻る。
マギーとハンスとの間の非常に興味深い意見交換が、2014年の投稿に関してあった。
そこでは、若いクーラが、偉大なマエストロ、コレッリとゲッダ――これまでで最も素晴らしい歌手の2人――と一緒のところを見ることができる。

マギーは述べている。
「私は、ウィーン国立歌劇場のトスカでコレッリを見たが、私はホセの方がもっと良いカヴァラドッシだと確信している!」
そして、ハンスの返信。
「こんにちはマギー。あなたは、少年時代(若い頃の意味か?)のフランコと比較しなければならない。そうすれば、フランコに対して、君のホセに勝ち目はない!」

それらはオペラの伝説の一部であり、私はこの交流を愛するので、この「広い」問題について、私は自分の考えを指摘しておきたい。

まず第一に、「フランコに対して」という言葉は、この文脈では何の関係もない。
マエストロ・コレッリ、またはフランコは、どの偉大な芸術家もそうであるように、代わりのいない素晴らしい歌手だった。
(実際の)アーティストの間では、誰も、誰かに対抗などしていない。このファンタジーをふりまいているのは聴衆だ。 

ハンスとマギーの許可を得て、私は、彼らのコメントを使って状況を分析したい。
(ハンス、このことは、あなたに反対するのではなく、あなたの言葉を使ってこの話題について語るということだ)





すでに亡くなった者だけが良いと言う(またはほのめかす)ことは、現代の観客を喜ばせるために最善を尽くしている新しい世代から、あらゆる改善の願いを奪ってしまう。

私たちが完璧でないから? 本当だ。
私たちが過去の人々ほど偉大でないから? これもまた本当だ(「多分」と言う人もいるだろう…)。

我々は、可能性をもっている。さもなければ、あなたは、録音で満足しなければならない。
若い世代の成長を助けてほしい(私のことではない。私は、間もなく54歳になる、すでに大きな男の子だ)。
彼らを、芝居がかった死体愛好者の疑わしい海に葬るのではなくて。

あらゆる分野において新しい人を必要としているように、私たちには新しい歌手が必要だ。
私たち、私の世代、さらには私たちに先行する世代は、今日、私たちが残す世界に大きな責任を負っている...

私たちが、世界をどのようなものにしているか、私は話すべきだろうか?
私は、あなたたちが新聞を読むように願う... そして、不毛な論争を止めて、新しい地球をつくり始めよう!

過去において、歌手だけが良かったのではなく、私たちが呼吸する空気もより良く、水はより澄んでいて、極地は溶けだしておらず、アマゾンは消えていなかった。
私たちはまた、友人や地域の活動にもっと時間を割いていた(今日、私たちはインターネットでそういうことをやっている)・・等々。

50年前のような歌手を得ることができるだけでなく、50年前にあったような地球を私たちが持てることを願う。
もちろん50年前も、世界には非常にひどい多くの問題があった...だからこそ。

CARPE DIEM!!! (ラテン語で、「今を全力で生きよ!」) 
José




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オペラ劇場での会話から、オペラアリアの投稿動画のコメント欄にいたるまで、必ずといっていいほど、かつての名歌手と比べて云々・・という話がよくあります。クーラ自身も、欧州デビュー以来、いわゆる3大テノールや伝説的歌手たちと常に比較され、第4のテノールなどのレッテルがついてまわって時期もありました。
そういうことをやめて、新しい若い歌手を育てる立場でみてほしい、というのは、かつての経験からも、またいま、マスタークラスなどで才能ある若いアーティストと接するなかで、切実な思いなのだと思います。

またそれから一歩ふみこんで、狭いオペラ界の過去にひきずられた議論から、視野を広げて、もっと社会全体のこと、地球の未来も考えていこう、私たちにはそういう責任がある――この展開は、常に、芸術と現代社会、今日に生きる人間との関係を考え続けている、クーラらしい問いかけだと思いました。

最後に、前にも紹介しましたが、コレッリを囲むコンサートで歌うクーラの動画を。
当時76歳ころだと思われる偉大な先輩を前に、34歳のクーラ、のびやかで瑞々しい歌唱です。

JOSE CURA "Cielo e mare" La Gioconda (Ponchielli)


Jose Cura "Du bist meine Sonne" (Franz Lehár)


Jose Cura "Come un bel dì di maggio" Andrea Chénier

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ホセ・クーラ、美しい声、美しい歌 / Jose Cura Beautiful voice, beautiful singing

2016-11-09 | オペラの舞台―その他



ホセ・クーラというと、最近では、ヴェルディのオテロや、レオンカヴァッロの道化師のカニオなど、ドラマティックで激しい歌唱という印象がつよいかもしれません。
もちろん、オペラのなかのドラマ、人間の感情と生き様を表現できるアーティストとして、抜群の力量、独特の存在感があるのはいうまでもありません。

同時に、私にとっては、クーラの声自体の美しさ、歌唱の美しさが、年齢を重ね、声が重く変化しても、大きな魅力のひとつであり続けています。ドラマを表現するためには、「声を歪ませ、醜い音を出すことも厭わない」というクーラですが、その声の力と魅力は圧倒的だと思います。
今回は、ネットにアップされている音源から、クーラの声の美しさが際立つ、美しい歌声を紹介したいと思います。


●1999年ローマ サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会でのコンサート ~ ヴェルディ レクイエムよりテノール独唱「われ過ちたれば嘆き」

教会の荘厳な雰囲気のなかで響く、クーラの美しく、りりしい声。これは何度聴いても、本当に美しく、また高音にかけあがる部分がスリリングで、圧倒的です。(2000年としていましたが1999年でした。失礼しました。)
DVD『ホセ・クーラ/聖なるコンサート』に収録されていますので、興味をもたれた方はぜひ美しい録音でお聞きになってください。

Jose Cura "Ingemisco" 1999



●2007年ウィーン国立歌劇場 ~ グルベローヴァ、ガランチャとのベッリーニのノルマ

エディタ・グルベローヴァのノルマ、エリーナ・ガランチャのアダルジーザ、クーラのポリーネと、夢のようなキャストがそろった舞台。コンサート形式で行われました。
まずは、第1幕から、ガランチャとクーラの二重唱。端正なガランチャの歌唱、クーラの男性的でセクシーな声、魅力的な2人です。

Jose Cura, Elina Garancha Norma Act1 duo



ラストのグルベローヴァとクーラの二重唱と合唱。

Edita Gruberová, José Cura Norma last duo



●1997年ミラノスカラ座 ~ ポンキエッリのジョコンダから二重唱

少し若い時代にさかのぼりますが、クーラのスカラ座デビュー、ジョコンダのエンツォ役。第2幕のエンツォとラウラの二重唱を。
みずみずしく強靭な声、若い頃のクーラの声の魅力を伝える歌唱です。ラウラはルチアーナ・ディンティーノ。

Jose Cura Gioconda 1997 (very beautiful love duet)



●1996年ラヴェンナ ~ ムーティ指揮のカヴァレリア・ルスティカーナから「おお、ローラ」

クーラはまだ33歳頃、青年トゥリッドウの許されぬ恋、切々と歌いあげるクーラの歌がまた切ないです。

José Cura "O Lola ch'ai di latti la cammisa" Cavalleria Rusticana



●2009年ウィーン国立歌劇場 ~ カサロヴァ、キューマイヤーとのビゼーのカルメン

また年代は下って、比較的最近ですが、ウィーンで出演したカルメンから、まずは、第1幕、ミカエラとドン・ホセ(ジョゼ)の二重唱。
キューマイヤーの可憐な歌声、クーラとの二重唱が、本当に美しいです。

Genia Kuhmeier / Jose Cura Carmen act1 duo Micaela / Don José



第2幕、カルメンに会いに来たドン・ジョゼ、そして有名なアリア「花の歌」へ。
奔放で個性的なカサロヴァのカルメンとの掛け合いも魅力的ですし、後半の「花の歌」がまた聴きどころです。

Vesselina Kasarova, Jose Cura Carmen Act 2 Duo & "La fleur que tu m'avais jetée"



●2007年ジェノヴァ ~ プッチーニの妖精ヴィッリ

プッチーニのオペラ第1作ですが、本当に美しいメロディがいっぱいです。
ソプラノのチェドリンスとクーラ、ソリストと合唱、美しい声が合わさって、本当にきれいに響き合っています。

Jose Cura 2007 "Padre mio, benediteci!" Le Villi


もうひとつ、ヴィッリからの二重唱を。
Jose Cura Le Villi 2007 Duo



最後におまけ
●2003年 プラハのコンサート ~ ビートルズのイエスタディ(ギター弾き語り)
クーラは12歳からギターを練習し始めたそうですが、その動機は、ギターの上手な友人が女の子たちに人気だったから、だそうです。
ギターをつま弾きながら歌いだし、途中でオーケストラも伴奏に入ります。アンコールの定番でも。

José Cura in Prague - Yesterday


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これまでに紹介したものもありますが、今回は、1996、97、2000、2003、2007、2009年と、クーラのキャリアを通して聴くような形でとりあげてみました。

美しい声、美しい歌というテーマでまとめてみましたが、生まれもっての美しい声という意味だけでなく、年を重ね、経験を重ねながら、誰もが経験するだろう年齢による声の変化、身体的な変化を受けとめながら、歌い手として、技術的にも芸術的にも努力し、発展、進化してきたのだと思います。
同時に、クーラのような魅力ある声は、そうたくさんあるとはいえないと思います。まだ50代半ば、演出や指揮も素晴らしいですが、もっともっと、歌いつづけてほしいです。

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2003年 アンジェラ・ゲオルギューとホセ・クーラの椿姫 / Angela Gheorghiu & Jose Cura / Verdi's La traviata

2016-11-04 | オペラの舞台―ヴェルディ



2003年、ホセ・クーラは、イタリアのヴェローナのアレーナで、ヴェルディの椿姫に出演しました。主人公のヴィオレッタは、アンジェラ・ゲオルギュー。
クーラが、アンジェラ・ゲオルギューと共演したのは、たぶん、これが唯一の舞台ではないかと思います(間違っていたらごめんなさい)。

この2003年の夏、クーラは、ヴェローナのアレーナで、6~7月にトゥーランドットのカラフ、7月にカルメンのドン・ジョセ(ホセ)にも出演、そして7月31日がこの、椿姫のガラ公演でした。 → この時のトゥーランドットの舞台は、クーラのカラフデビューでもあり、以前に紹介しています。

セミ・ステージ公演だったようで、クーラはインタビューで、つぎのように語っていました。

Q、アレーナは壮大なセットが適しているのか、それともセミ・ステージ公演でも観客の興味を引くことは可能だろうか?

クーラ 「ひとつのことが、その他の可能性を排除するわけではない。より大きなスペースは、それをふさわしく埋めることを求める。アレーナの舞台のレイアウトは伝統の一部であり、それはアレーナの視覚的な習慣の一部になっている。観客も、音楽のためだけでなく、壮大なパフォーマンスと関連するすべてのためにアレーナに来る。
そういう壮大さと花火を欠く時には、舞台は他の何かで満たされなければならない。それはカリスマ(人々を惹きつける魅力と能力)だ。カリスマ性のあるアーティストであれば、アレーナの空っぽのステージにあがり、パフォーマンスを行うことが可能だ。」





アンジェラとクーラ、2人とも、まさに“カリスマ的”な魅力をそなえたアーティストですね。この椿姫は、2人の力量と存在感をぞんぶんに見せた舞台だったことでしょう。

しかし、これも正規のDVDやCDはありません。YouTubeに同じ方がかなり多くの場面をアップしていますので、そこからいくつか紹介したいと思います。
どうやらゲオルギューのファンの方のようで、アルフレードのアリアなど、クーラファンとしては見逃したくない場面が、残念ながら抜けています。一方、ここでは紹介していませんが、アルフレードの父ジェルモンの有名なアリアなどがアップされています。

La Traviata (Verdi)
Arena di Verona July 31, 2003

Angela Gheorghiu = Violetta
Jose Cura = Alfredo
Ambrogio Maestri = Giorgio Germont
Orchesta e colo dell Arena di Verona
Daniel Oren = conductor




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〈第1幕〉
ヴィオレッタが主催する華やかなパーティがはじまり、ホセ・クーラ演じるアルフレードが登場する。
Angela Gheorghiu - La Traviata - Arena di Verona 2003 - part 1


「乾杯の歌」 有名なデュエットと合唱
Angela Gheorghiu - La Traviata: Brindisi - Arena di Verona 2003 - part 2


華やかな生活の影で病気に苦しむヴィオレッタに、愛を打ちあけるアルフレード
Angela Gheorghiu - La Traviata - Arena di Verona 2003 - part 3


ヴィオレッタから一輪の花を贈られ、再会を約束する
Angela Gheorghiu - La Traviata - Arena di Verona 2003 - part 4


アルフレードの真剣な態度に、本当の愛を感じつつ、私は自由に花から花へと生きる、と自らの境遇を自嘲気味に歌うヴィオレッタ。
背後のアレーナの階段状の高い部分から、クーラが回想の中のアルフレードを歌う。
Angela Gheorghiu - La Traviata: E strano... Sempre libera - Arena di Verona 2003 - part 5


〈第2幕〉
第6場 一緒に暮らし、幸福をかみしめる2人。しかしアルフレードの父に身を引くよう言われ、悩み動揺するヴィオレッタ。何も知らないアルフレードが慰めるが、ヴィオレッタは無理に笑顔をつくりながらさりげなく別れを告げる
Angela Gheorghiu - La Traviata: Amami, Alfredo - Arena di Verona 2003 - part 9


第13、14場 別れた2人がパリのサロンで再会、事情をしらないアルフレードは、ヴィオレッタに心変わりを詰問し、大勢の前で罵る。
Angela Gheorghiu - La Traviata: finale act II - Arena di Verona 2003 - part 10


〈第3幕〉
病がすすみ、持ち物も売りつくして貧しさのなか、死が近いヴィオレッタ。真実を知ったアルフレードが駆け込んでくる。
二重唱「パリを離れて」
Angela Gheorghiu - La Traviata: Parigi, o cara - Arena di Verona 2003 - part 13


ラスト
再会を喜び教会にお礼に行こうというヴィオレッタ、着替えをしようとするが、もうその体力もない。自分の肖像の入ったロケットをとりだし、将来アルフレードが結婚する相手に贈り物として渡してほしいと願う。アルフレード、駆け付けた医師、アルフレードの父に見守られながら息絶えるヴィオレッタ。
Angela Gheorghiu - La Traviata: finale - Arena di Verona 2003 - part 14



歌唱の実力だけでなく、立ち姿も美しく、華やかなヴィオレッタにぴったりなゲオルギュー、そしてクーラの熱演、とても素敵な舞台だったと思います。
この舞台とは違いますが、クーラがアルフレードを歌った2000年のパリでの椿姫が、DVDやブルーレイで再リリースされることになっています。
ヴィオレッタは、エテリ・グヴァザーヴァ。他の公演と3作セットで、日本では11月22日発売予定、その情報については、こちらのページで紹介しています。












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