人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

1998年 ホセ・クーラ、パヴァロッティの代役でパレルモ・マッシモ劇場のアイーダ出演 / Jose Cura in Aida at Teatro Massimo

2017-06-23 | オペラの舞台―ヴェルディ



現在、各地で来日公演を行っているイタリア・シチリア島のパレルモ・マッシモ劇場。アンジェラ・ゲオルギューのトスカ、レオ・ヌッチがパパ・ジェルモン役の椿姫など、豪華な配役で話題です。

ところで、公演のHPを見ると、マッシモ劇場の紹介として、「1974年から24年間修復のため閉鎖。1998年再開、こけら落とし公演はヴェルディ『アイーダ』だった。ホセ・クーラがパヴァロッティの代役として登場、オペラ界の話題をさらった」と書いてあります。
今回は、この公演について紹介したいと思います。








Aida (Giuseppe Verdi)
Teatro Massimo di Palermo 1998 , re-opening of the theater
Norma Fantini (Aida)
Jose Cura (Radames)
Barbara Dever (Amneris)
Giorgio Zancanaro (Amonasro)
Andrea Papi (Ramphis)
Conductor= Angelo Campori


確かにこの時、クーラがパヴァロッティの代役としてラダメスを歌っています。初来日して新国立劇場開場記念アイーダのラダメスにロールデビューしたのがこの年、1998年の1月。そして、このマッシモ劇場のリニューアルオープン記念公演は、その少し後の1998年4月22日と5月22日の2公演でした。
くしくも、日本とイタリアの両国で、重要な劇場のオープン記念・再オープン記念という祝祭にクーラが連続して出演したことになります。それから来年でちょうど20年になります。

すでに新国立劇場のアイーダについてはブログで紹介していますので、今回はパレルモ・マッシモ劇場のリニューアルオープン公演について、クーラのインタビューや、公演の録画などをいくつか紹介します。


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――1998年のパレルモ・マッシモ劇場のリニューアルオープン公演、事前のインタビューより

●世代交代の瞬間


私は、パレルモ市民の期待に応えられることを願っている。長く待たれていたことをわかっているし、またパヴァロッティが出ないことで失望している人がいることも知っている。しかし、おそらくこれらの人々も、私がパレルモに来たことを喜んでくれると思う。

世代交代は、遅かれ早かれ、我々が取り組まなければならないものだ。
私はこのような偉大なアーティストの代わりに出演することを誇りに思っている。マッシモ劇場のリニューアル・オープンは、今世紀の終わりのイタリア、そしておそらく世界においても、最も重要な文化的イベントの1つだ。
オペラハウスをリニューアル・オープンに出演する栄誉は、イタリアのテナーに属するべきであるというのは当然のことだ。しかし、パヴァロッティには、彼の声が素晴らしいコンディションにあるとしても、65歳近い男性としての身体的な問題がある。ラダメスは大きな物理的な力を必要であり、そしてこれは世代交代の瞬間だ。
パレルモに来るためには、自分のカレンダーを完全に変更しなければならなかった。それができたのは奇跡のようだ。





Q、あなたは、しばしば優れた「代役」にたっているが?

A(クーラ)、そう、パヴァロッティは私が代役をした3番目だ。今年はすでに、オテロのプラシド・ドミンゴとカルメンのホセ・カレーラスに代わった。そして今はパヴァロッティの代わりをしている。それについての判定は、他の人に委ねる。


Q、ラダメスは、すでに東京でゼフェレッリ演出で歌っている。この役割の声の難しさとは?

A、私がオテロにデビューしたとき、誰もが私に言った――「注意するように。それは虐殺だ」。
私はそれに対して、「彼らはラダメスがどれほど難しいか分かっていない。声楽的にはるかに難しいものだ」と答えた。

この4幕のオペラで、このキャラクターを「維持」することは、ヴェルディのレパートリーの中でも最も難しいものの1つ。
カーテンが上がると、すぐに、テノールは「清きアイーダ」 "Celeste Aida"を歌わなければならない。それは大きなテストだ。
私はこのアリアを歌ううえでの、私自身のやり方を見つけたと思う。パレルモでそれをうまくやれることを願っている。


マッシモ劇場リニューアル開場公演アイーダでの、第1幕、冒頭のクーラの「清きアイーダ」
Jose Cura amazing! "Celeste Aida" Palermo 1998



Q、アイーダで何が一番好き?

A、アイーダの偉大な音楽は、第3幕から始まる。
最初の2つの幕は型どおりだが、第3幕以降は、より現代的で、より演劇的だ。
アイーダは、巨大なスペクタクルを見たい聴衆を満足させるオペラになってしまっているが、 第3、第4幕では、革命的なヴェルディを聞きたい人にもアピールする。


第3幕、アイーダと会い、エジプトを離れ、エチオピアで暮らそうと誘われたラダメス。悩みつつ決意したが、アイーダに巧妙に聞かれて、軍の行軍経路の機密を口にしてしまう。そこに現れるアイーダの父であり敵国の王アモナズロ。愕然とするラダメス、さらにそこにアムネリスとラムフィスらが現れる。喜怒哀楽、感情、局面が二転三転するドラマティックな場面。
Jose Cura 1998 "Pur ti riveggo" Aida



Q、アバド指揮によるオテロの経験は重要だった?

A、私のキャリアの転換点になっている。私はオテロが別のやり方でやれることを実証した。
多くの人が私の現代的な解釈を高く評価したが、他の人は私を批判した。しかしそれは普通のこと。
それはアーティストとして成長するために取らなければならないリスクだ。

Q、4月14日にパレルモに到着する。劇場デビューの1週間と少し前。リハーサルの時間が短すぎるのでは?

A、カレンダーのうえでは、私が来ることができたのはまったく奇跡的だ。

Q、「アイーダ」はパフォーマーにとって何を意味する?

A、大きなテスト。
長年にわたって、私はラダメスのキャラクターを避けようとしてきた。彼への対処は私を圧倒することだった。
私を納得させたのはゼフィレッリ。彼は、「アイーダ」の演出を受け入れるのは、私が出演する場合だけだと私に言った。
今、私は結果に満足している。

Q、ゼフィレッリがいないと、マッシモのラダメスは日本でのものと違う?

A、計画では、キャラクターの設定はその時とは変わらずにとどまり、おそらく時間とともに進化し、声の観点からは改善されている。
パレルモでは、私は別のグループのなかに収まって歌う必要がある。私は、到着した時に誰かが言ったような愚かな人間ではない。
「どれも私が言うようにならなければ、私は抜ける」――この種の行動は、私の一部でもなく、そしてそれは助けにはならない。またどんなアーティストのものでもない。



第4幕、ラダメスを救いたい、愛を訴えるアムネリス、それに対し毅然と拒絶し、アイーダへの真心と自らの誇りを歌い、審判の場に向かう。丁々発止の二重唱。
Jose Cura 1998 "Già i sacerdoti adunansi .." Aida



Q、あなたのデビューは?

私のキャリアはちょっと説明しにくいが、試してみよう。私は1993年にトリエステで初めて、現代オペラを歌って主役を務めた。翌年、「運命の力」のノーカット版に出演し、実際上、国際的キャリアを開始した。

初めから、私の音楽との関係は愛憎ともにあった。
12歳でギターを弾いて歌い始めた。15歳で合唱団を指揮し、17歳で、作曲と指揮を学び始めた。
19歳くらいで、歌を始めたが、残念なことに、間違った教師によって、声を傷つけ、不適切な、間違ったテクニックのために、22歳くらいであきらめた。良いこと以上に苦しんでいた。私は自分自身に言った――歌がこのようなものなら、やめるほうがよい、と。
それが私が26歳になるまでにやったことだ。その後、私は研究を再開した。そして今度は、私は正しいテクニックによってうまくいった。それを楽しむことができるかどうか ―― それは別の問題だ。

Q、歌うことはどういう意味?すべてを忘れさせる?

A、全く逆で、私はすべてを覚えている。
私がステージにいるとき、まさにそれは過去と現在が一緒に来ているかのようだ。
私のパフォーマンスのどれもがアクシデントの結果ではなく、むしろ一緒に束ねられた多くの経験の結果だ。
ステージに立つことは、私の人生の中で最も幸せな時間。家族の中で家にいるときのように。私は安全で、私を害する可能性のある、あるいは害したい人から遠く離れていると感じる。

Q、オペラが終わった時、どのように感じる?

A、レース後のマラソンランナーのように身体的に疲れているが、エネルギーにあふれている。それは愛する女性を愛している時と同じ。あなたはあなたの最高のものを与え、終わったら、疲れてはいるが喜びに満ちている。


石牢に閉じ込められたラダメス、そこに現れたアイーダ。ともに死を覚悟した哀切な2重唱。
Jose Cura 1998 Aida last "La fatal pietra sovra me si chiuse"




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2003年 アンジェラ・ゲオルギューとホセ・クーラの椿姫 / Angela Gheorghiu & Jose Cura / Verdi's La traviata

2016-11-04 | オペラの舞台―ヴェルディ



2003年、ホセ・クーラは、イタリアのヴェローナのアレーナで、ヴェルディの椿姫に出演しました。主人公のヴィオレッタは、アンジェラ・ゲオルギュー。
クーラが、アンジェラ・ゲオルギューと共演したのは、たぶん、これが唯一の舞台ではないかと思います(間違っていたらごめんなさい)。

この2003年の夏、クーラは、ヴェローナのアレーナで、6~7月にトゥーランドットのカラフ、7月にカルメンのドン・ジョセ(ホセ)にも出演、そして7月31日がこの、椿姫のガラ公演でした。 → この時のトゥーランドットの舞台は、クーラのカラフデビューでもあり、以前に紹介しています。

セミ・ステージ公演だったようで、クーラはインタビューで、つぎのように語っていました。

Q、アレーナは壮大なセットが適しているのか、それともセミ・ステージ公演でも観客の興味を引くことは可能だろうか?

クーラ 「ひとつのことが、その他の可能性を排除するわけではない。より大きなスペースは、それをふさわしく埋めることを求める。アレーナの舞台のレイアウトは伝統の一部であり、それはアレーナの視覚的な習慣の一部になっている。観客も、音楽のためだけでなく、壮大なパフォーマンスと関連するすべてのためにアレーナに来る。
そういう壮大さと花火を欠く時には、舞台は他の何かで満たされなければならない。それはカリスマ(人々を惹きつける魅力と能力)だ。カリスマ性のあるアーティストであれば、アレーナの空っぽのステージにあがり、パフォーマンスを行うことが可能だ。」





アンジェラとクーラ、2人とも、まさに“カリスマ的”な魅力をそなえたアーティストですね。この椿姫は、2人の力量と存在感をぞんぶんに見せた舞台だったことでしょう。

しかし、これも正規のDVDやCDはありません。YouTubeに同じ方がかなり多くの場面をアップしていますので、そこからいくつか紹介したいと思います。
どうやらゲオルギューのファンの方のようで、アルフレードのアリアなど、クーラファンとしては見逃したくない場面が、残念ながら抜けています。一方、ここでは紹介していませんが、アルフレードの父ジェルモンの有名なアリアなどがアップされています。

La Traviata (Verdi)
Arena di Verona July 31, 2003

Angela Gheorghiu = Violetta
Jose Cura = Alfredo
Ambrogio Maestri = Giorgio Germont
Orchesta e colo dell Arena di Verona
Daniel Oren = conductor




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〈第1幕〉
ヴィオレッタが主催する華やかなパーティがはじまり、ホセ・クーラ演じるアルフレードが登場する。
Angela Gheorghiu - La Traviata - Arena di Verona 2003 - part 1


「乾杯の歌」 有名なデュエットと合唱
Angela Gheorghiu - La Traviata: Brindisi - Arena di Verona 2003 - part 2


華やかな生活の影で病気に苦しむヴィオレッタに、愛を打ちあけるアルフレード
Angela Gheorghiu - La Traviata - Arena di Verona 2003 - part 3


ヴィオレッタから一輪の花を贈られ、再会を約束する
Angela Gheorghiu - La Traviata - Arena di Verona 2003 - part 4


アルフレードの真剣な態度に、本当の愛を感じつつ、私は自由に花から花へと生きる、と自らの境遇を自嘲気味に歌うヴィオレッタ。
背後のアレーナの階段状の高い部分から、クーラが回想の中のアルフレードを歌う。
Angela Gheorghiu - La Traviata: E strano... Sempre libera - Arena di Verona 2003 - part 5


〈第2幕〉
第6場 一緒に暮らし、幸福をかみしめる2人。しかしアルフレードの父に身を引くよう言われ、悩み動揺するヴィオレッタ。何も知らないアルフレードが慰めるが、ヴィオレッタは無理に笑顔をつくりながらさりげなく別れを告げる
Angela Gheorghiu - La Traviata: Amami, Alfredo - Arena di Verona 2003 - part 9


第13、14場 別れた2人がパリのサロンで再会、事情をしらないアルフレードは、ヴィオレッタに心変わりを詰問し、大勢の前で罵る。
Angela Gheorghiu - La Traviata: finale act II - Arena di Verona 2003 - part 10


〈第3幕〉
病がすすみ、持ち物も売りつくして貧しさのなか、死が近いヴィオレッタ。真実を知ったアルフレードが駆け込んでくる。
二重唱「パリを離れて」
Angela Gheorghiu - La Traviata: Parigi, o cara - Arena di Verona 2003 - part 13


ラスト
再会を喜び教会にお礼に行こうというヴィオレッタ、着替えをしようとするが、もうその体力もない。自分の肖像の入ったロケットをとりだし、将来アルフレードが結婚する相手に贈り物として渡してほしいと願う。アルフレード、駆け付けた医師、アルフレードの父に見守られながら息絶えるヴィオレッタ。
Angela Gheorghiu - La Traviata: finale - Arena di Verona 2003 - part 14



歌唱の実力だけでなく、立ち姿も美しく、華やかなヴィオレッタにぴったりなゲオルギュー、そしてクーラの熱演、とても素敵な舞台だったと思います。
この舞台とは違いますが、クーラがアルフレードを歌った2000年のパリでの椿姫が、DVDやブルーレイで再リリースされることになっています。
ヴィオレッタは、エテリ・グヴァザーヴァ。他の公演と3作セットで、日本では11月22日発売予定、その情報については、こちらのページで紹介しています。












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ホセ・クーラのドン・カルロ ヴェルディ / Jose Cura / Don Carlo / Verdi

2016-09-16 | オペラの舞台―ヴェルディ



ヴェルディの傑作のひとつ、オペラ、ドン・カルロ。ホセ・クーラは、2001年にチューリッヒ歌劇場で、タイトルロールでデビューしました。

実はクーラは、アルゼンチンからイタリアに移住した翌年の1992年、ヴェローナのアレーナのドン・カルロで、カバー(代役)として採用されていましたが、結局、出番はなかったようです。また、1998年に日本で、このドン・カルロを歌う予定だったようですが、事前にキャンセルしています(理由は不明)。
ということで、2001年からチューリッヒで、同じプロダクションを何シーズンか歌い、ウィーン国立歌劇場で2006年に出演しましたが、それ以降は歌っておらず、クーラとしてはあまり出演回数は多くありません。

ドン・カルロは、主に、フランス語上演の5幕版(1867年)と、イタリア語上演の4幕版(1884年)がありますが、クーラが出演しているのはイタリア語4幕版です。
このオペラは、主要な役それぞれに、素晴らしいアリアがあり、デュエットがあり、そして複雑な心理、葛藤、苦悩を表現することが求められています。もちろん音楽は本当に素晴らしく、魅力たっぷりです。

クーラは、このスペインの王子ドン・カルロ役について、「カルロは、本当のヒーローだ。彼は夢想家、そして理想主義者であり、異端審問に異議を申し立てる」と語っています。そして、理想を抱き、そのために行動する熱い心をもち、同時に、許されない恋を断ち切れず、苦悩し、逡巡する、悩み深き、複雑な人物像、ナーバスで過敏な青年として描きだそうとしているようです。

このドン・カルロでも、オペラ舞台の正規のDVDやCDなどがありません。つくづく残念でなりません。美しく、切ない、繊細なドン・カルロの内面を描き出すのにぴったりな、若い時のホセ・クーラのドン・カルロの舞台を映像化して欲しかったと思います。

ということで、画質や音質が良くないものも多いのですが、アップされているいくつかの映像や録音、インタビューやレビューなどから、クーラのドン・カルロを紹介します。

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●ロンドンでの2001年コンサートより
DVDも出されている、ロンドンで開かれたコンサート"A Passion for Verdi"より、ドン・カルロの第1幕、カルロと、カルロが愛するエリザベッタ(父の妻)とのデュエットを。義母にあたるエリザベッタ役は、ダニエラ・デッシー。

Io vengo a domandar (Don Carlos) - Jose Cura, Daniela Dessi


ダニエラ・デッシーは、大変に残念なことに、今年2016年の8月、亡くなりました。クーラは、このコンサートの他にも、1996年のマスカーニのイリスをはじめ、トスカ、アンドレア・シェニエ、マノン・レスコー、オテロなどで共演も多く、フェイスブックに追悼のメッセージを掲載しました。







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〈クーラのインタビューより〉
●2006年――掘り下げが可能な役 ドン・カルロ、カニオ・・・
Q、役を演じる時、関連資料を読む?

イエス、もちろん、役割に応じて。
本当に、心理的に、内面を掘り下げることが可能な、いくつかの役柄がある。ドン・カルロ、カニオ、サムソンやオテロなどだ。
例えばトゥーランドットのカラフなどの役割は、魅力的な存在感をもって、上手に歌うならば、それですでに十分だ。多分、2、3のカラーを見出すことができるけれど、それは心理的な背景の面では、豊かなキャラクターではない。 

●2005年インタビューより――「海賊」にふくまれる、ドン・カルロのフレーズ
ヴェルディのオペラ「海賊」(Il Corsaro)についてどう評価する?

これは傑作ではないことは明らかだ。しかし非常に興味深い作品。そして、オペラが好きならば誰もがそれを一度聞くべきだ。
ヴェルディは、彼が後の作品で使用することの多くを、「海賊」の中でテストした。
そこには椿姫のバー・ラインがあり、ドン・カルロからフレーズ、そしてオテロからカラー。これは、テノールのための簡単な役ではない。緻密なオーケストレーションと限定的なインストゥルメンテーションの輝きによるシリアスな瞬間がある。

〈舞台のレビューより〉
●2001年チューリッヒ
クーラは、誕生から運命に愛されていない子ども、内省的で神経質なカルロを描きだした。彼は磨かれた輝かしい声で、最初の言葉から魂をむき出しにした。クーラは陰気な性格を強調したが、彼の歌唱の推進力に抵抗するのは難しい。

●2003年チューリッヒ
チューリッヒのプロダクションで、1つのオリジナルな点、それは、英雄的な行動を通じてエリザベートへの情熱を忘れようする、理想的な英雄としてスペインの王子を提示していないことだ。
むしろ弱い人として、過敏さと動揺、失われた愛の悲しみによって取り乱し、人生の方向を模索する、歴史的真実に近いドン・カルロ。
ホセ・クーラは、舞台上の存在と驚異的なコミットメントが素晴らしい。疑いによって苛まれ、エボリまたは彼の父親が彼に非難を浴びせるとき、しばしば地面にうずくまり、痙攣に苦しむカルロを演じる。
声において、華麗なフォームを示し、特に明確な、明るい高音が開始から終了まで火花を放つ。




〈チューリッヒの舞台の動画――YouTubeより〉
幸いにして、YouTubeに、チューリッヒでの舞台の動画がアップされています。残念ながら遠くからの映像で、画質、音質もあまりよくありません。でもクーラの歌唱、演技の雰囲気だけでもつかめるので、ありがたいです。悲しい運命に翻弄されるカルロ、許されない恋に苦悩するカルロの姿が、本当に切なく、美しい。

チューリッヒ歌劇場2001年、ドン・カルロ 第1幕第1場
互いに愛し合っていた恋人で、自分の父、王の妻になったエリザベッタへの思いが断ち切れないドン・カルロ。かつての日を思い歌う。
Jose Cura 2001 "Io l'ho perduta" Don Carlo (Verdi )


第1幕第1場 親友のロドリーゴが、思いを断ち切り、迫害に苦しむフランドルの人々のために立ち上がるように諭す。カルロも決意し、ロドリーゴとの永遠の友情を誓う、有名な二重唱。
Jose Cura 2001 Don Carlo & Rodrigo duet


第1幕2場 カルロは、自分をフランドルに派遣するように父、王を説得してほしいと、エリザベッタに頼む。しかしエリザベッタへの想いがこみ上げ、愛を求めるカルロ。しかし動揺しつつ、理性を保ったエリザベッタは、カルロを拒絶する。
Giuseppe Verdi, Don Carlo 2001 "Io vengo a domandar"


第2幕1場 カルロは受け取った手紙をエリザベッタからのものと思い込み、夜、庭園で彼女を待つ。現れた女性をエリザベッタと思い、愛を告白するが、実は、ヴェールの下にはエボリが。驚くカルロに、エボリは激怒し復讐を誓う。
Giuseppe Verdi, Don Carlo & Eboli duet


第3幕 異端尋問に抗議し、捉えられたカルロ。その牢獄にロドリーゴが訪ねて来る。美しいロドリーゴのアリアと二重唱。
Giuseppe Verdi, Don Carlo 2001 Don Carlo & Rodrigo Act3 duet


第4幕 
生きている世界での愛を諦め、二人は永遠の別れを告げる。ラストシーンへ。
Giuseppe Verdi, Don Carlo 2001 Don Carlo & Elisabetta Act 4 duet



●音声のみ コンサートの録音

1999年パリでのコンサートより。
Jose Cura 1999 "Io l'ho perduta" Don Carlo (Verdi )


2001年 ベルリンでのコンサートより
Jose Cura 2001 "Lo vengo a domandar" Don Carlo


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ドラマと心理的リアリズムを大切にするクーラは、たぶん、もうドン・カルロを歌うことはないと思います。すでにカヴァレリアのトゥリッドウも歌わないことを宣言しています。でも今後、演出や指揮で、とりあげることがあるかもしれません。ぜひその際には、ネット中継や映像のホセ・クーラTVへのアップなどを期待しています。

(おまけ)
クーラがマスタークラスを実施した、フランス、ナンシー国立歌劇場の受講生とのコンサートで、指揮をしながら一緒にドン・カルロの二重唱を歌う。
José Cura & Ricardo Velasquez - E lui! desso l´infante - Don Carlo




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ホセ・クーラ、年を重ね演じ続ける―ヴェルディ中期のオペラ・スティッフェリオ / Jose Cura / Stiffelio / Verdi

2016-09-10 | オペラの舞台―ヴェルディ



ヴェルディの37歳の時の作品、スティッフェリオは、上演されることも多くなく、あまりなじみのないオペラかもしれません。牧師の妻の不倫をテーマにした心理劇で、発表当時は検閲による介入があったり、ストーリー展開にも分かりにくさがあり、その後、長い間、忘れられていたりした、波乱の経緯をたどった作品のようです。

ヴェルディは、このスティッフェリオの翌年にはリゴレット(1851)、3年後にイル・トロヴァトーレ(1853)、椿姫(1853)を発表しており、スティッフェリオは、これら有名な傑作群の直前に書かれました。物語が地味で、有名なアリアもありませんが、数多くの重唱が美しく、一度なじむと、何度も聞きたくなる魅力のあるオペラだと思います。

クーラは、1995年に、ホセ・カレーラスのキャンセルをうけて、この作品で、ロンドンのロイヤルオペラにデビューしました。このことが、後のオテロ出演とその後の世界的な活躍のきっかけのひとつにもなったようです。クーラはそれ以降も、各地で、スティッフェリオを歌い続けています。
このページのトップの写真は、左から、1995年のロンドン(ロールデビュー)、2007年ロンドン、2010年ニューヨークMET、2013年モナコ・モンテカルロ歌劇場での舞台写真です。この間、20年近い年月がたっているのですね。

2007年、ロンドンでスティッフェリオの再演にあたってのインタビューから、このオペラの魅力、クーラの思いを紹介するとともに、舞台の録音や録画、画像などを掲載したいと思います。

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<1995年から、2007年へ>
まずは、1995年のロールデビューの時と、2007年の舞台の録音聞き比べを。
まだ若い歌声、舞台姿の95年から、10年以上の年月、経験をへて、クーラの声と表現の成熟がわかります。

●1995年ロンドンの舞台より(音声のみ)
1995年、ロンドンでのスティッフェリオのデビューの舞台より、第1幕、スティッフェリオと妻のリーナとの二重唱。布教の旅から戻り、久しぶりに再会した妻と2人になるが、その不審な様子に心配するスティッフェリオ。そして妻の指に結婚指輪がないことに気づく。
Jose Cura 1995 Stiffelio Act1 duet


●2007年ロンドンの舞台より(音声のみ)
つづいて、12年後の2007年、同じロンドンでのスティッフェリオの舞台、第1幕のスティッフェリオの帰還から、95年と同様にリーナとのシーンを。上の録音とは場面が前後少しずれています。
Jose Cura 2007 Stiffelio Act 1


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<2007年ロンドンでのインタビューより>
●成熟とともに変わるスティッフェリオへのアプローチ

Q、1995年にコヴェント・ガーデンで、スティッフェリオとしてデビューしたが?

当時、私は髪と髭を白くメイクして出演した。しかし今は、私自身、十分白くなったので、その必要はない。このスティッフェリオの役柄に最適な人間としての、経験と成熟度―― それは私が、人生のうえで、当時とは、異なるアプローチを持っていることを意味する。
 
これは、スティッフェリオにおいては完全に別の意味を持つ。多くの役柄では、ミュージシャンとしての成熟度を必要とするが、人間として成熟するにつれて、多くを変えていく必要はない。しかしスティッフェリオは、オテロと同様に、そうした役柄の1つだ。人生における年齢や経験が、あなたの役柄へのアプローチを変え、言葉の意味やキャラクターの心理へのアプローチを変える。

Q、スティッフェリオは、椿姫やイルトロヴァトーレのように、傑作とよばれるに値するか?

それはもちろん、あなたの視点に依存する。私にとって、解釈する者、アーティストとして、そう、私は、それが傑作であると考えている。しかし、あなたが、オペラを傑作と判断するために、有名な15分の曲を持っている必要があるというのなら、もちろん、これは、そのような作品ではない。スティッフェリオには、'Di quella pira'(ヴェルディのイル・トロヴァトーレの有名なアリア「見よあの恐ろしい火を」)や、'Nessun dorma'(プッチーニのトゥーランドット「誰も寝てはならぬ」)はない。
音楽スタイルの面では、それはもっと、ピーター・グライムズのように考案された作品だ。音楽がつぎつぎと背後にあるアクションを導き、第3幕でバリトンが大きなアリアを歌ったあと、一瞬の絵のために立ち止まり、そしてその後、駆け抜ける。それは最初から最後まで、疾走する音楽。イプセンの演劇のようなもの。それは生のドラマだ。


写真=ロンドン2007年

Q、スティッフェリオのキャラクターをどうつくる?

キャラクターは非常に複雑であり、そして、心理的に、ステージ上の他のすべてのキャラクターとリンクしている。例えば、トゥーランドットのカラフとは違う。彼は、徹底してずっと同じだ。

だから、私というより、むしろ、私たちがキャラクターをつくっている。私たちがスティッフェリオとともにやっていることは、私の同僚たちが彼ら自身の役をつくっていることを読み取った結果であり、非常につよいものをつくりあげていると私は思っている。今日私たちは、6時間を、このオペラの厳しい精神的な瞬間についやしたが、何度も、互いに泣いているのを見た。そのように非常に深く取り組んでいる。キャストの誰もが、ただ歌を歌うだけでなく、彼、彼女の役を生きている。純粋な意味で、驚くようなものになると思う。いま起きているのは、非常に重要なことだ。

私たちはステージ上で、必要な時のみ、ごくわずかしか動かない。すべては、テキストを通して、私たちの内面的な気持ちや感情に入り込む。それは1レベル上の大きなリスクだ。なぜなら劇場が大きいので、簡単に失われる可能性があるからだ。しかし現時点では、そのオペラをつくりあげるうえで、良い方法だと思う。恐らくステージにあがる時は、離れても誰からも理解できるように、動作をより大きくするだろうから。


写真=ロンドン2007年

●普段は沈黙を愛する
Q、あなたにとって音楽とは?

このような質問には、非常に俗に答えることができるし、非常に哲学的になることもできる。そして非常に現実的に、音楽は私の生活の糧を得る方法であると言うこともできる。これは本当だ。それは、非常に感謝すべき、生計を立てる素晴らしい方法だ。 私は本当に、謙虚に、そのための才能があり、それを実行できることをうれしく思っている。

しかしそれと同時に、私は、多くのミュージシャンのように、沈黙を愛している。私の人生において、音楽のほとんどはプロフェッショナルな活動と結びついている。プロとして音楽をやっている時以外、私は普通に沈黙のなかにいる。だから、音楽は私の人生のエッセンスだとか、シャワーの時もベッドでも音楽を聞いている、などとは言えない。音楽は美しいビジネスだ。そして音楽で素晴らしいことができるのは幸運だ。そかし私は本当に沈黙の価値を認める。

●イギリスでピーター・グライムズを!
Q、すでにイタリアオペラのレパートリーの主要なものはほとんどを歌っているが、新しいものは?

それは良い視点だが、新しいレパートリーをするために、オペラハウスを説得するのは非常に難しい。主に劇的な役割に特化され、フリーな期間があると、オペラハウスは、サムソンやオテロをやりたがる。やれる人がとても少ないので、ステージにあげるのが困難な作品だからだ。そのため、「私は1か月、フリーだから、ル・シッドをやれないだろうか?」と言うのは難しい。

しかし、私の夢の一つは、ピーター・グライムズをやること、そして私はここ、ロンドンでそれをやってみたい。ここロンドンよりも、それを学び、演じるのに良い場所があるだろうか。一方で、それは非常に危険なことだ。もしあなたがイギリス人やドイツ人でなくて、英語やドイツ語のオペラをやるとき、正確なアクセントを身につけていないと、死ぬほど批判される。しかしあなたがイギリス人で、イタリアオペラを完璧なアクセントでなく歌っても、誰も何も言わない。なぜそうなるのか、私にはわからない。私は、イタリア的なアプローチが最も健康的だと思う。なぜなら、外国語で完璧なアクセントを持つのは不可能だから。重要なことは、キャラクターをつくるために最適なアプローチをすることだ。私はピーターグライムズをやれると思う。しかし私がイギリスでそれを提案するたびに、彼らは「イエス、でも他のどこかで最初にやって、それからここに持ってきて」という。なぜだろうか。私は最初からそれをよく学びたい。再びやるときに、ゼロからスタートしなければならないよりも。誰かがこれを読んで、私がそれを行うことができるようになることを願う。



●若い人たちはオペラの将来、子どもたちは人類の未来
Q、イギリスでは若い歌手を助けるために忙しい時間を過ごしているが?

私にとっては、これが最も重要なものの一つ。それは私が子どもの頃、持っていなかったもの。年上の人々から、彼らが経験したすべての事を聞くことと同様に、若い人たちと、学んだすべてのものを共有することが不可欠だ。それは一緒に育つこと。素晴らしいことだ。2時間のマスタークラスに出席し、彼らと一緒に10時間を過ごしたら、何が起こるかわからない。よく準備され、互いに尊敬があるならば、素晴らしいことだ。私はいつも言うのだが、私は、そこで、どう歌うかを教えるつもりはない。私は、誰かに歌い方を教える技術的な権限を持っていない。しかし、私自身の経験から知ったいくつかのことを彼らに伝えたいと思う。

彼らのような若い人たちは、オペラの将来のすべてだ。私は44歳(当時・1962年生まれ)で、まだ過去の人間ではない。しかし、もし私に今後20年間の将来があるとしたら、彼らは次の40年間の未来だ。そして、あなたの後の人たちは、次の60年間の未来になるだろう。もし世界にすべてにおいて希望があるならば、それは過去にはない。未来に希望はある。

かつて読んだ言葉はこう言っていた。「子どもたちは、あなたが見ることのできない、将来からの生きたメッセージ」――それは絶対的な真実、それは人類の未来だ。



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<2006年チューリッヒの舞台の動画>

クーラのスティッフェリオは、残念なことに正規の録音もDVDもないのですが、2006年のチューリッヒ歌劇場での舞台のいくつかの場面がアップされています。人間関係も入り組んだ物語なのに、字幕がなく、わかりにくいかもしれませんが、クーラと他の出演者の重唱の魅力を味わえるのではないでしょうか。

2006年チューリッヒ、第1幕第1場 重唱~スティッフェリオとリーナの二重唱
Jose Cura Stiffelio "Di qua varcando sul primo albore"


2006年チューリッヒ、第1幕第2場、みんなが集まった場で、リーナが不倫相手との通信道具としてきた本が差し出され、大混乱の場。
Jose Cura 2006 Stiffelio "Cugino, pensate al sermone?.."


2006年チューリッヒ、第3幕第1場、妻の不倫相手のラッファエーレに、離婚したら結婚の意思があるかと問うスティッフェリオ。その後、現れたリーナに、静かに離婚を切り出す。リーナは騙されて関係ができたと許しを請う。リーナの父スタンカー伯爵が現れ、娘の不倫相手ラッファエーレを殺したことを告げる。
Jose Cura Stiffelio Act3 : Stiffelio, Lina duo


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出演者が互いに涙を流しあうほど、心理的に深く入り込んで、リハーサルに打ち込んだという、ロンドンのスティッフェリオの舞台。断片的な録音では、その魅力が十分味わえないのがなんとも残念です。

このインタビューによると、かなり前から、ブリテンのオペラ、ピーター・グライムズをやりたい、それもブリテンの母国イギリスで、と願ってきたようですね。残念ながらその願いは長くかなえられませんでしたが、ついに来年2017年7月、ドイツのボン劇場で実現することになりました。しかも主演に加えて、舞台デザイン、演出もクーラが担当します。これをもって、イギリスに行けるかどうかは、まだまだ先の話ですね(笑)

またインタビューの最後は、クーラからの、若い人たち、子どもたちへの熱いメッセージ。機会あるごとに熱心にマスタークラスにとりくんでいます。また子ども好きで、オペラの演出のなかでも、子どもたちに希望を託すメッセージを発信しています。「子どもたちは、あなたが見ることのできない、将来からの生きたメッセージ」――これは、音楽分野にかかわらず、自らの経験を過信しがちな大人の1人として、印象に残る言葉となりました。


写真=2010年、メト
 

 

 

 



2013年、モンテカルロ


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1999年 ムーティ指揮 スカラ座の運命の力 / Jose Cura / Muti / La forza del destino

2016-05-08 | オペラの舞台―ヴェルディ


ホセ・クーラは当初、この5月、2016ヴィースバーデン5月祭でヴェルディ「運命の力」のドン・アルヴァーロを17年ぶりに歌うことになっていました。しかし残念ながら、5月4日にフェイスブックでキャンセルすることが告知されました。芸術的な問題や契約上のトラブルではないということです。


50代になったクーラが、どのようにアルヴァーロを歌うのかとても興味がありました。ぜひまた、次の機会にチャレンジしてほしいです。
ということで、この機会に、あらためてクーラの「運命の力」の舞台、1999年のミラノ・スカラ座での録画を、YouTubeから紹介したいと思います。

指揮はリッカルド・ムーティ、演出・舞台はクーラと同郷のウーゴ・デ・アナ。とても凝った美しい舞台のようです。しかし残念ながら正規の映像がなく、YouTubeも画質が良くありません。また、もともと照明も暗めの舞台です。放映時に、アップと引いた画像を二重写しにするなど、映画風の編集がされているようです。音声はそれほど悪くありません。

この「運命の力」、とにかくこれでもかと悲劇的アクシデントの連続で、運命によって追い立てられるように悲劇へとつきすすむお話です。でもヴェルディの音楽は、ドラマを描き出して本当に聴きごたえあり、美しく迫力あるメロディにあふれ、美しい2重唱やアリアがあります。序曲もとても有名です。例によってテノールの出演場面を主に紹介しました。

La Forza del Destino (Verdi)
Jose Cura (Don Alvaro)
Georgina Lukacs (Leonora)
Leo Nucci(Don Carlo)
1999 La Scala
Hugo de Ana , Riccardo Muti

第1幕


スペインの由緒ある侯爵の家に生まれたレオノーラ、一方、スペインに滅ぼされたインカの王族の子孫であるドン・アルヴァーロ。愛し合う2人だが、結婚を侯爵に反対され、駆け落ちを計画する。迎えに来たアルヴァーロとためらうレオノーラ、アルヴァーロは熱い愛の告白を、レオノーラは父への思いと恋人への愛とのあいだで悩み苦しみ、最後はかけおちを決断する。
Jose Cura La forza del Destino Act 1 duo




2人で家を出ようとしたところを父侯爵に見つかり、自衛のため持っていたピストルを、無抵抗であることを示すために投げ出した。ところがそれが運悪く暴発、侯爵に当たり、亡くなってしまう。
Verdi:La forza del destino: "Vil Seduttor!.."- José Cura, Georgina Lukacs, Eldar Aliev


第3幕


侯爵の家を逃げだしたものの、途中ではぐれた2人。アルヴァーロは、レオノーラがすでに亡くなったと思い込み、イタリアの戦場で偽名で士官となっていた。戦場で、自らのインカの血統、侵略者に処刑された父母、不幸をふりかえりながら、愛するレオノーラを回想する「天使のようなレオノーラ」
Jose Cura, " La forza del destino " -- 1999


敵とたたかう同僚の声を聞きつけ救出。実はそれが、復讐のためアルヴァーロを探し続けていたレオノーラの兄、ドン・カルロだった。しかし互いに偽名を名乗ったため、まだお互いに気付いていない。変わらぬ友情を誓うテノールとバリトンの二重唱が、とてもりりしく、美しい。
Jose Cura La forza del Destino Act 3 scene 2 duo


戦闘で負傷したアルヴァーロ、カルロに「秘密が入っている。自分が死んだら焼き捨ててほしい」と箱を渡す。その中には、恋人レオノーラの肖像画が入っていた。
Forza del Destino Act 3 scene 4 duo


負傷から生還したアルヴァーロに、すでに箱を開けて秘密を知ってしまったドン・カルロが、レオノーラの無事と自らの復讐の思いを告げる。レオノーラへの愛と自らの無実を語るアルヴァーロ、しかしやむなく剣を抜き、応戦。運命の恐ろしさから、修道院に行くことを決意する。
Jose Cura La forza del Destino Act 3 scene 7,8,9


第4幕




それから5年後、執念で修道院にいるアルヴァーロを探し出したカルロ。罪を贖い、慈悲を請い、運命の前にひざまずくと歌うアルヴァーロ。しかしアルヴァーロを許さず、侮辱の言葉をなげかけるカルロに、ついにアルヴァーロも剣をとる。
Verdi:La forza del destino:"Le minacce, i fieri accenti"- José Cura, Leo Nucci




さらなる悲劇が襲う。カルロを刺した直後に再会したレオノーラとアルヴァーロ。兄を殺したと告白するものの、そこにまだ生きていた瀕死のカルロが現れ、父を裏切ったレオノーラを刺す。静かに息を引き取るレオノーラ、運命のあまりの過酷さを嘆き、絶望するアルヴァーロ。終
Jose Cura La forza del Destino last


主なシーンのあらすじだけ追うと、あまりに暗い、過酷な運命に翻弄される物語に、ちょっとどうも・・と思われると思いますが、ヴェルディの音楽は素晴らしく、感動的です。クーラの若々しいインカの末裔の青年、軍服姿のりりしい歌、そしてラストシーンの、絶望にうちひしがれたアルヴァーロの、祈りのような歌はとても印象的です。

まとめてオペラ全体を見たい方には、以下の動画がおすすめです。画質もこれまで紹介したものよりだいぶ良く、出演者の表情やセットの細部もわかります。前後半に分かれています。
Verdi - La forza del destino (1) - 1999


Verdi - La forza del destino (2) - 1999




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2000年 パリの椿姫 La Traviata Paris / Verdi

2016-02-16 | オペラの舞台―ヴェルディ


もう15年以上前になりますが、パリの実在の歴史的建造物を舞台に、世界中に生中継されたヴェルディの椿姫。ホセ・クーラがアルフレードで出演しました。日本でも録画放送され、ご覧になった方も多かったのでは。

マリー・アントワネットが愛したプチ・トリアノン宮などをロケ地にして、豪華で美しい椿姫でした。生中継で、なおかつ出演者と指揮者・オケは別の場所にいて、音を合わせるのは大変だったようです。そんな問題を超えて、リアルで美しく、キャラクターの魅力があふれる作品となったと思います。

エテーリ・グヴァザーヴァ/ホセ・クーラ/ロランド・パネライ他出演
ズービン・メータ指揮/RAI交響楽団
Artists: José Cura, Eteri Gvazava, Rolando Panerai
Conductor: Zubin Mehta  Direction: Giuseppe Patroni Griffi

DVDも発売されたのですが、残念ながら現在は入手は困難です。 → 再リリース情報!(2016年11月予定)
ホセ・クーラHPの紹介ページ
 

その代わり、YouTubeにいくつかの場面がアップされているので、画質はあまり良くありませんが、まとめて紹介を。 


第1幕、ヴィオレッタにアルフレードが求愛する場面。テーブルの下でのキスシーンが美しい。
"Un di felice, eterea" La Traviata


第1幕第5場 アルフレードの言葉に動揺しつつ、「私はいつも自由」と歌うヴィオレッタ。
Eteri Gvazava Jose Cura "Sempre libera" La Traviata


第2幕第1場 共に暮らし始め、「天国にいるようだ」と愛の喜びを歌うアルフレード。
"Lunge da lei per me non v'ha diletto!" La Traviata


第2幕第2・3場 別荘暮らしの費用のためヴィオレッタが持物を売っていることを知り、急いでパリに向かうアルフレード。 
"O mio rimorso! O infamia" La Traviata


第2幕第6場 別れの手紙を書くヴィオレッタと、不安を抱くアルフレード。
"Che fai?" La Traviata


第2幕12場 別れた2人がフローラの邸宅で再会、カードで対決するアルフレードと男爵。
"Alfredo! Voi! " La traviata


第3幕 ラストシーン 再会した2人と悲しみのラスト。
La Traviata Last


DVDには特典映像としてメイキング・ビデオがついていました。Youtubeにあがっていたこともありますが、すぐに削除され、現在は見られません。撮影現場の様子やインタビューが収録されていました。
ラストシーンの直後、涙にぬれ、悲しみにぐったりしている2人の様子も写っていました。












写真が趣味のクーラは、このロケ現場にもカメラを持ち込み、撮影していたようです。その様子が写真におさめられました。クーラ本人のフェイスブックで紹介されたものです。


クーラは自分のフェイスブックに自分が撮影した写真コーナーを作っていますので、今後、いろいろとアップされてくるかもしれません。

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1998年新国立劇場の開場記念 ヴェルディのアイーダ Aida / Verdi in Tokyo

2016-02-14 | オペラの舞台―ヴェルディ

ホセ・クーラの初来日は、1998年、大きな話題になった新国立劇場の開場記念公演のアイーダでした。
鮮烈な印象を残した日本デビューから、もうじき20年になります。2017-18年の新国開場20周年のシーズンに、ぜひともホセ・クーラを招聘してほしいと願っています。

 


 

*2019年7月 追記

結局、開場20周年でのクーラ招聘の願いは実現しませんでした。2019年6月に、クーラが出演した開場記念アイーダの演出をしたゼッフィレッリが亡くなりました。その追悼として、新国FBに当時の舞台写真が掲載されました。これまで劇場HPにはクーラの写真はなかったのですが、ここにはクーラもたくさん映っています。美しい舞台写真をアップしていただき、感謝です。(右上のFマークをクリックすると劇場FBで沢山写真を見ることができます)

 


 

2006年のボローニャ歌劇場来日公演のジョルダーノのアンドレア・シェニエ以来、10年間、来日がないクーラ。世界のオペラ劇場で活躍してきましたが、来日がなく、また大手レーベルによるCD発売もないため、日本のオペラファンからは、ほぼ忘れられた存在になりつつあるのではと思われるのが残念です・・。

しかしまだまだ力も魅力も健在なクーラの情報を伝えたい・・これがブログを始めた理由です。
これからおいおい、最近の活動についても、海外のファンサイトで得た情報などからアップしていきたいと思います。

まずは、日本での第一歩、ヴェルディのアイーダを、YouTubeにアップされている動画から。
当時、35歳。輝かしい声と舞台上の存在感は独特です。

Aida (Giuseppe Verdi)
Maria Guleghina
Jose Cura (Radames)
New National Theatre,Tokyo Opening Memorial performances



Jose Cura "Celeste Aida" 1998 アイーダ第1幕 ラダメス「清きアイーダ」


Jose Cura , Maria Guleghina  "Pur ti riveggo mia dolce Aida" 第3幕 アイーダとラダメス二重唱


(追加)
最後、地下牢に閉じ込められ死を待つラダメスのところに、現れたアイーダ。2人で死を迎える悲劇のラストシーン。クーラの悲痛な声がなんとも胸に迫る。
Jose Cura , Maria Guleghina  Aida last duo


そしてこちらは全編 1998年1月15日からの本番ではなく、13日のドレスリハーサルの録画ではないかと思いますが、どうなのでしょうか。
新国立劇場の情報センター閲覧室では1/17と1/24の映像が保管されていて、無料で見られます。しかし初日の映像はありません。どこかにあったらぜひ観てみたいものです。

Giuseppe Verdi - Aida- Tokyo (C)

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