3/19に初日を迎えた、ホセ・クーラ主演のザルツブルク復活祭のオテロ。まだ現地の新聞のレビューを見ていないのでよくわかりませんが、ネットに即日掲載されたレビューでは、まずまずだったようです。
演出には少しブーイングが出たと書いていたのもありました。指揮、舞台、衣装は拍手を受けたそうです。
キャストでは、デズデモーナが一番大きな喝采を受け、ホセ・クーラのオテロも、全部の観客がそうだったわけではないが大多数から拍手されたとのことです。日本時間で27日未明のラジオ録音放送を楽しみにまちます。
→ラジオ放送プログラム
*追加情報 クラシカジャパンで来月放送されるようです。初回放送4/23(土)21:00~23:45 →番組案内 →詳しい放送日時
スタッフ、キャストなど詳しいことは「告知編」と「リハーサル編」をごらんください。
実際の舞台、レビューなどは、「リハーサル編」、「レビュー編」をどうぞ。
このオテロを前に、クーラはザルツブルクでKURIERのインタビューを受けました。
オテロについて、指揮のキャリア、将来、オペラと世界の危機、歌手のルックスとアーティストとしての成長など、興味深い内容についてインタビュアーの質問に答えています。
表題は、"Otello braucht nicht nur die Hautfarbe"――「オテロに必要なのは“肌の色”だけではない」と訳してみましたが、間違っていたらすみません。
原文はドイツ語ですが、クーラのFBには英文も掲載されています。→こちら
原文をお読みになりたい方はこちらを→リンク
主な内容を抜粋して訳してみました。語学力がないので、直訳、誤訳が多いとは思いますが、ご容赦ください。ぜひ原文もご参照ください。
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Q(インタビュアー)、あなたのオテロの見方は長年にわたって変更されてきた?
A(クーラ)、私がオテロを演じ始めた時に、私の髪は真っ黒だった。しかし今では、「塩と胡椒」(白髪混じりの意味か)だ。私の中のこうした変化は、私の解釈の変化をも説明している。それに加えて、この間に、私はオテロを演出したし、この4月のシェイクスピアの没後400年の記念日に、初めて指揮をする予定だ。
私は謙虚に言うことができると思う。私は現代のオテロに関して、非常に「徹底的な」専門家であると。これは傲慢ではない。ただ長い間のハードワークの結果だ。
Q、メトロポリタン・オペラが歌手の黒塗りを停止して以来、最近オテロについてかなり活発な議論が行われているが・・?
A、オテロは肌の色だけでなく、役柄と一致した声を必要とする。したがって、オペラで白人のキャスティングを回避することは非常に困難だ。
私は良い意図を理解するが、また、その中に「隠れた罠」を見る。
もし黒人だけが黒人の役を演じることができるのなら、白人だけが白人の役を演じられることになる。それでは、黒人俳優は決してハムレットを演じられないのか?リチャードⅢ世は?また…?
この新しい「政治的に正しい流行」は、黒人のプロフェッショナルを従事させない最高の口実を提供している。私に言わせれば、それは、顔を黒くメイクする以上に、人種差別の悪臭を放つ。私の黒人の友人の何人かは、実際にこうした考え方を懸念している。
Q、ザルツブルク復活祭音楽祭は、来年2017年に50周年を祝う。それは常に豪華な祭とされている。こうした高級感のようなものは、今日の社会に適合しないと思うか?
A、ロールス・ロイスがガレージに収まるのと同様に..。多くの車のブランドがあり、それぞれの人が、その経済力に合ったものを購入することができる。
ザルツブルク復活祭音楽祭は、「通常の」チケット価格でやっている他のオペラハウスを後援している、多くの同じ資産家たちの豪華なランデブーだ。それはそれで結構なことだ。
Q、オペラは近年、多く変わりつつあるようだ。いくつかのオペラハウスは、より博物館のようになり、他のものはより大胆に。オペラは危機的状態になっているのか?
A、世界が危機的状態にある。この修正と逆修正のための巨大な瞬間から逃げることはできない。私は、社会の良識を信頼している。しかしそれは長い時間がかかるだろう。
Q、若い視聴者を引き付けるために何が必要だろうか?
A、知的誠実さ、感情のリアリティだ。審美的な提案であるかどうかが問題ではなく、彼らに嘘をつかないことを示すなら、若い人たちはあなたについていく。
Q、有名なテノール歌手プラシド・ドミンゴは現在バリトンロールを歌っている。この決定についてのあなたの意見は?
A、アーティストには、彼が望む方法で作品を提示する権利がある。一方、観客は、アーティストの提案に従う、または従わない権利を有する。
Q、指揮者としても活動しているが、それは将来的にあなたのためにどのような重要性をもっている?
A、作曲と指揮は私のバックグラウンドだ。歌のキャリアは、それへのアプローチを豊かにした。私が数十年前に夢見ていたフルタイムの指揮者として、自分のキャリアを終わること、それ以上に私にとって自然な事はない。
しかし、それが実現するかどうかは、私の力を超えることだ。とはいえ、文句をいうことはできない。私が望むほどにはたくさん指揮をしていないが、良い形でバトンをキープしている。また現在、私が作曲した作品を発表しつつある。昨年2月にマニフィカトを初演、そして2017年3月にはEcce Homoの初演を迎える。
Q、あなたの同僚の中には、オペラハウスのトップを目指す人もいるが、あなたはどう考えている?
A、イエス、しかし恐らく理由は同じではない。30年以上の舞台の後、私は誇りを持って言うことができる。私の芸術的信条を定義するスタイルがあると。
劇場でフルタイムで働くことは、共有を望むカンパニーに、私の信条を伝え育てる良い方法だろう。ある者はこれを読んで、私が世間知らずだと考えるだろうが...。
Q、今日、オペラでルックスは重要なのか?
A、ルックスはゴールではなく、「売り込み手段」として非常に重要になることがある。私自身、ずっと前に、「オペラのセックスシンボル」として売りだされていた。だから、私にはこの問題について語る権利があるだろう。
もし、今日ますます多い種類の「単なる」商業的キャリアを望むのなら、良い外見は違いをうむだろう。しかし自らの才能にもとづいてキャリアを築き、長年のハードワークの後に、アーティストと呼ばれるようになろうとするのなら、それは違う話だ。
もちろん、我々の国民は夢を求めている。そして歌手が、その役割に「見える」ということは、ベターなことだ。しかしこれに対処するには、多くの方法がある。
José Cura 10 - 03 - 2016
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最後に、3/19初日の夜に放送された現地TVのニュースクリップを。残念ながらクーラの歌声は入っていませんが、舞台の様子、いくつかの場面が見られます。またアルヴァレスのイアーゴの歌が少し聞けます。
"Otello" bei den Osterfestspielen in Salzburg
*写真はフェスティバルの公式FBからお借りしました。