人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

1996年 ホセ・クーラの若き歌声 ― メイキング動画『グレート・コンポーザー プッチーニ』 / Jose Cura, Making of Great Composers, Puccini, 1996

2017-08-12 | CD・DVD・iTunes




ホセ・クーラが、若い頃の素晴らしい動画をアップしてくれました。今回は、そのご紹介です。

内容は、1996年にBBCが制作したDVDシリーズ『Great Composers』プッチーニ編に、クーラが出演した際の「メイキング動画」です。

こちらは発売されているDVDの方↓


Great Composers Puccini
from the BBC TV series

Music performed by Jose Cura , Julia Migenes , Leontina Vaduva
The BBC Philharmonic
Conducted by Richard Buckley


DVDの内容は、プッチーニの生涯と業績を、現地ロケや関係者、専門家のインタビュー、実際のプッチーニの作品を紹介しながらたどるというものです。
今回クーラがアップしたメイキング動画は約1時間もあり、そのほとんどは、これも約1時間の本編DVDには採用されなかった部分です。
収録したが使わなかった曲、または部分だけしか収録されなかった曲の全体、または別ヴァージョンが収録されているものなど、カットされた録画ですが、その画質音質とともに、音楽的なレベルは非常に高く、これまで公開されてこず、今回無料で公開しているというのが、もったいなく思うほどです。
当時33歳、若くて力づよい、みずみずしいクーラの歌声、姿がたっぷりと聴けるようになっています。


動画はクーラがVimeo上に作っている「ホセ・クーラTV」で無料公開されています。
下の画像をクリックしていただくと、動画ページにリンクしています。ぜひぜひ、ご覧になってみてください。




*2018/1/7 残念なことにクーラはホセ・クーラTVを閉鎖してしまいました。Vimeoから無断ダウンロードされてしまっていることが原因のようです。ファンがYoutubeにこの動画をアップしていて、クーラも今後はそちらをみてねとため息交じりに(苦笑)言っていましたのであげておきます。
➡ こちらも見られなくなりました。正規の映像をリリースしてほしいものです。


JOSE CURA MAKING OF GREAT COMPOSERS PUCCINI




クーラはフェイスブックでこの動画を掲載した際に、ちょっとしたエピソードも紹介していました。



ジュリア・ミゲネスとマノン・レスコーの二重唱を歌っている場面がありますが、その最後のキスシーンで、「カット!」の声が聞こえなかったために、誰かが近づいて「キス、ストップ!!」と言うまで続けていて、ジュリアが笑い出してしまったとか。たしかにそんな感じのシーンもありました。

また、この収録の後、実はクーラは、あのサラ・ブライトマンのアルバムで共演したヒット曲「Just Show Me How To Love You」の録音があったそうですが、この録画の前半で来ているグーフィーのTシャツ(笑)のまま行って、ブライトマン夫妻やプロデューサーからちょっとからかわれたそうです。

こちらは有名なプロモーション動画。画像をクリックすると動画ページにリンクしています。
もちろん出演時はグーフィーTシャツではありません。





―― 以下、メイキング動画から、収録されている曲目を紹介したいと思います。

≪前半 約30分≫

前半は、オーケストラと一緒の録音風景です。


①《外套》より、「お前の言うとおりだ」/ Hai ben ragione (Il Tabarro)

②《トゥーランドット》より、「誰も寝てはならぬ」/ Nessun dorma (Turandot)
これはクーラが今もコンサートで必ず歌う曲ですが、この当時のみずみずしさはまた格別な魅力があります。

③《トゥーランドット》より、「死の姫よ!」/ Principessa di morte! (Turandot)
トゥーランドット役の歌手とデュエットですが、映像はクーラメインでとっています。クーラが出演したこのオペラ全曲の正規録画はありませんので、これが、このラストの二重唱をきれいな音質画質で見聴きできる数少ないものです。

④《西部の娘》より、「やがて来る自由の日」/ Ch'ella mi creda (La Fanciulla del West)
1994年にオペラリアで優勝した際の最終選考で歌った曲でもあります。現在も、歌い続けています。

⑤《ラ・ボエーム》より、「冷たい手を」/  Che gelida manina (La Bohéme)
とても甘くやさしい歌声にちょっとびっくりするほどです。顔の表情も、それまでの曲とは違って柔らかい印象。

⑥《ラ・ボエーム》より、ラストのミミとロドルフォの二重唱、「ああ、ミミ、ぼくの美しいミミ!」 / Last duet (La Bohéme)
ミミ役のソプラノとの二重唱で、最後にミミがなくなる悲しいシーンです。クーラのボエームの全曲録音、録画は皆無なので、貴重です。

⑦《妖精ヴィッリ》より、「全能の神よ」/ O sommo Iddio (Le Villi)
本編にも一部収録されています。とても美しい歌唱です。

⑧《マノン・レスコー》より、「あなた あなたなの?」/ Tu, tu, amore tu! (Manon Lescaut)
第2幕のマノンとデ・グリューの甘く切ない二重唱。

⑨《トスカ》より、「星は光りぬ」/ E lucevan le stelle (Tosca)
銃殺刑を前にしたカヴァラドッシの辞世の歌。美しくドラマティックなアリアで、最後は感情があふれ泣き崩れる演技も。


  

OKが出た後の笑顔と声が、まだ幼い印象があるくらい若いです。
 











≪後半 約30分≫

後半は、衣装をつけて演技をして、プッチーニのオペラの一部分をスタジオで再現したものです。


①《西部の娘》より、「やがて来る自由の日」/ Ch'ella mi creda (La Fanciulla del West)



②《マノン・レスコー》より、「あなた あなたなの?」/ Tu, tu, amore tu! (Manon Lescaut)







③《ラ・ボエーム》より、ラストのミミとロドルフォの二重唱、「ああ、ミミ、ぼくの美しいミミ!」 / Last duet (La Bohéme)





④《トゥーランドット》より、「誰も寝てはならぬ」/ Nessun dorma (Turandot)



⑤《トゥーランドット》より、「死の姫よ!」/ Principessa di morte! (Turandot)






**********************************************************************************************************************


以上、約1時間の内容の濃い動画でした。とにかく美しい声、美しい歌唱が満載です。
クーラの初めてのCDは1997年の「プッチーニアリア集」でしたが、それはこの動画の翌年。収録されている曲目もほぼ重なっています。
聴き比べてみると、プッチーニ集のCDよりもさらに、この動画の歌の方が軽く柔らかく、瑞々しい印象がします。

ファンの私にすれば、本当に宝物のような動画です。
そして、この時から20年以上、さまざまな努力と経験を積み、困難を乗り越えて、円熟の境地に達しつつある現在のクーラ。声と歌唱、解釈と演技が高いレベルで統一された現在のパフォーマンスと、この若く瑞々しい声と歌唱、それぞれにまた、違う魅力があります。

クーラはこの「クーラTV」に様々な動画を、自分のキャリアをたどれるような形でアップしていく構想を持っているようです。今回の動画をはじめ、他にも、ベートーヴェンの「第9」やドヴォルザークの「新世界より」、マーラー「復活」、バッハ「ミサ曲」など、大曲を指揮している動画や、初期のコンサートなど、とても珍しく興味深いものがアップされています。
ぜひ「クーラTV」もお楽しみください。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホセ・クーラ 声について、テクニック、キャリアについて / Jose Cura talked about voice,technique or career

2017-08-06 | 声、技術、キャリアについて




ホセ・クーラは1991年にイタリアに移住し、歌手として国際的な活動を開始してから、すでに25年以上のキャリアをもっています。
ところがクーラについては、なぜか、「発声に問題がある」「声を壊した」などのネガティブ評価が、明確な根拠も示さないままに今も広がっているように思います。

これに関して、最近、おもしろい会話をみつけました。イタリアの音楽評論家たちがクーラについておしゃべりしていたものです。


    *  *  *  *

A氏 「専門家は“あんな歌い方ではすぐ壊れる”と世界に向かって言ってたけれど、クーラは55歳(今年12月で)、少なくとも25年歌っている」
 
B氏 「この前聞いたオテロは、16年前より上手だった」  

A氏 「実際、素晴らしいことに、声と高音はまだ20年前と変わらない。あなたにとっては喜ばしいことではないかもしれないが、それは発声技術の教師を否定するものだ」

B氏 「彼の声はオーケストラを超えてくる」

A氏 「クーラは個性を持っている。その分野にライバルは多くない」

C氏 「でも彼に対する酷いレビューをたくさん読んだ」

A氏 「そう、イタリアのオペラ愛好家は常に、楽曲の絶対的な法則を守らないといけないと思っているからだ。とにかくクーラは、とても、とても破格だ」

B氏 「確かに。実際に自分も、大げさだったり、疑わしい批評をよくみる」


    *  *  *  *


たったこれだけですが、クーラがかつての専門家の評価に反して、歌い続けることができているばかりか、声を維持し、歌唱面でも進化していること、そして何よりも、強烈な個性をもち、ある意味では型破りであるが、実力と魅力があることを、こうした音楽評論家の方々も認めているということだと思います。

今回は、これに関連して、クーラ自身が、自分自身の声や歌唱テクニックをどう考えているのか、またキャリアとの関係などについて語っている部分を、インタビューから抜粋して紹介したいと思います。



1994年、ドミンゴ主宰のコンテスト、オペラリアでのクーラ



――2006年インタビューから

●自分の声を「掘り起こす」までの苦闘


Q、12歳で作曲と指揮を学び始めた時、あなたは自分に声があることを知っていた? 歌うことは好きだった?


A(クーラ)、12、13歳から、カルテット(四重唱)やオクテット(八重唱)などのいくつかのグループで歌ってきた。ジャズやスピリチュアルなど、他のスタイルの中でもやったし、その後、合唱団で例えばパレストリーナのような古い音楽を歌った。だから私は常に歌っていたが、オペラ的な方法ではなかった。
21、22歳の時、本格的に歌い始めた。しかし私は問題を抱えていた。適切な先生を見つけることができなかった。

Q、どういう問題が?

A、声は、楽器と違って、どこが間違っているのか、簡単に「見る」ことはできない。歌は非常に経験的なもので、教師と生徒の間に非常に豊かで調和のとれた人間的なコミュニケーションがなければ、何が起きているのか本当に知ることはできない。
 
教師が生徒の気持ちのなかに入って、彼、彼女に、何をどのようにすべきか、手がかりを与えることができるなら、その教師はその人のための正しい教師だ。もし、あなたと良いケミストリーがもてて、あなたの体と声を理解している教師を見つけられたら、そのうえ素晴らしい技術を持っていたら、あなたは天国にいるようだ!

個人的には、私の体の中、私の声帯、私の喉頭の中を "掘る"ことをしてくれた教師を見つけるまでの1年間、私は多くの問題を抱えていた。それはアルゼンチンにいた26、27歳の時だった。それ以前に試みた他のすべての教師は、私の声をひどく傷つけてしまった。

Q、良い教師を見つけて、多くの技術的なことを学んだ?

そう、私たちは1年間かけてそれをやった。
私は、自分の人生において、常に反逆者で、自分がしているほとんどすべてのことを独学で学んできた。私はいつも、自分のスタイルで自分の道を切り開いていきたいと思ってきた。
しかし、この教師は、私の“楽器”を発見し、理解することを助けてくれた。彼は変えようとせず、私の声のまだ粗い原型を、アーティストの型に入れて形作ろうとはしなかった。

そこから私は、自分自身の“楽器”に向き合い、自分自身に問いかけ続けた。「今、自分は、それをどのように感じ、私が何をしなければならないのか、どういう感覚を維持しなければならないのか、理解しているだろうか? 音楽家として自分の道を歩み続けるためには、声に対する理解をどのような形にしなければならないのだろうか?」と。
 
もちろん、1人でするには時間がかかる。非常に危険であり、何度も壁にぶつかるだろう。私は運が良かった。常に偉大なミュージシャンに囲まれて、素晴らしい耳を持つ人がアドバイスをしてくれた。「これは良くない。それをチェック!」、「あなたが何をすべきかは分からないが、しかしこれはいいとは言えない」――と。

●「クーラはテクニックを持っていない」の批判に対して――自分自身のテクニックをもつことこそ重要

面白いことに、私のキャリアの最初から今日までのレビューを読むと、初期の頃、私がパフォーマンスの過程で自分自身を開発しつつあったことを理解するだろう。私は自分自身の表現方法と自分の体を見極めようとしていた。

たとえば初期のレビューでは、その多くが「クーラはテクニックを持っていない」と書いた。そして私はいつも考えていた――ちょっと待ってほしい。最初から持っているかのようにこのようなキャリアを論じることはできない。もし本当にテクニックをもっていないなら、サムソンやオテロを歌った後にそう言うことができる。数年後に完全に声を失い、1つの音も歌うことができなくなる。

一方で私は、「テクニックを持っていない」と評価されたことを喜んだ。それは私自身のテクニックを持っていることを示すからだ。歌手は、アンフェアなレビューに直面した時、たくさんのことを学ぶことができると思う。
 
歌手にとって理想的なのは、自分のテクニックを持つことだ。歌手は楽器演奏者のようなものではない。歌手は、自分自身そのものだ。すべての人に同じリソースを適用することはできない。それが歌手であること、まだ粗い素材からプロフェッショナルまで成長するための、中心的な挑戦だ。そしてまた、良い教師を見つけることが大きな課題だ。・・・誰かから声を作り出そうとするから、教師は失敗する。教師として、生徒のなかに何があるのかを理解するために時間を取らなければならない。そこから始めて、生徒がすでに持っているものを最大限に活かすようにすべきだ。






――2009年インタビューより

●偉大な声は過去のものか?

Q、過去のような偉大な声はもう存在しない?


A、存在しないのは、声を訓練する辛抱強さと忍耐だ。アスリートなどの運動する人たちに、何らかの魔法によって筋肉を鍛え、力が発達することを期待しているようなものだ。
喉頭のための筋肉増強剤はない。私たちが知っているような、かつてのような声を自らのものとして発展させるためには、デル・モナコのような年月が必要だった。

Q、声に問題を抱える歌手がいるが問題は?

A、アスリートは、筋肉が適切なレベルになる前に、特定の課題のために活動してしまうと、肥大せずに萎縮を起こす。全く同じではないにしても、同様に過酷な状態におかれている。
萎縮は、必ずしも身体的な面だけではない。過去においては声を持つことがキャリアを切り開くための十分条件であったとしたら、世界がヒステリックな今日では、絶対に持っていなければならないのは、失敗に耐える知的な明快さ、撃たれても耐えられる明晰さだ。

Q、オーケストラの規模が大きくなるにつれて損なわれている?

A、それプラス、野望の大きさも? それとも、さらに悪いことに、あなたを消費して食べている人々の野心の程度も?
もちろん、その要因は、キャリアの長さに多くの影響を与える。

もしより多くのチケットを販売するため、サッカースタジアムのサイズが2倍になり、選手が200mのフィールドを走らなければならないなら、プレイヤーは3年で燃え尽きるだろう。TV番組のより高い収益のため、マラソンが42キロでなく100キロだったら?
オーケストラの音と不自然なチューニング、実際、ヴェルディの頃よりも、およそ半音、毎秒432サイクル高い。我々がいま演奏する作品が書かれた当時、管楽器のセクションの音質はかなり劣っていたが、今日、トロンボーンはまさにバズーカだ。

Q、あなたが最も賞賛する歌手は?

A、すべての歌手が賞賛に値する。日々、1人で、身も心も裸にして自分自身を露わにし、頭を差し出す行為は、それだけで尊敬に値する。





――2012年ブラスチラヴァでのインタビューより

●長いキャリアを経て、アーティストに成長する

今の世代は、声を徐々に成熟させることが可能だった前世代とは違う。何人かは成功するが、他はそうではない。マーケティング、出版業界、そしてマネー、マネー、マネー‥のプレッシャーの下で多くの才能を失っている。
はじめは、歌手はアーティストではない。才能があり、長いキャリアを経て、それからアーティストになることができる。


――2016年フェイスブックでフォロワーの質問にこたえて

●キャリアを積むことの意味


才能はいつか木に成長する種。木、自体ではない。したがって、あなたはそれを植え、水をやり、土壌を豊かにし、間違った枝を切り、葉を健康に保ち、害虫やその他の危険な動物を遠ざけるようにする必要がある(ビジネスにおいては、それが多い)。そうすれば多分、ある日、あなたはアーティストになるかもしれない。

人々は、なぜ焦らずにそれをすすまなければならないのか、私に尋ねる。なぜキャリアが長いことが重要なのか?
私は答える。「アーティストのためのプロジェクト」を「熟達したアーティスト」に変えるために、それだけの長さのキャリアが必要だからだ。
これを短くする方法はない。ウィキペディアの解決策もソフトウェアの助けもない。時間。よく使用され適切に使われた時間。





――2015年、北京でのインタビュー

●自分の声について



私は商業主義の製品になりたくない。必要なのは芸術と尊敬だ。10年前、オペラの演出を始めた。指揮、作曲に加え、フィールドの開発を続ける。舞台セット、振付、衣装デザイン、照明‥。声を維持するために、歌は年50日以内にしている。

30年のキャリアを経た今、若く新鮮で美しい声を持っているとはいえない。劇場での私の歌は完璧ではない。しかし私のエネルギー、強さとカリスマを聞くことができる。年を経て、これはアーティストとして重要なことだ。

オペラにおいて、私の声は、様々な情報が統合されて含まれている。音は材料であり、その材料を利用して、私は、人々の心の中に別のものをつくりだすことができる。人々は、声にそうした様々な要素を含まない人の歌を聞いた時に、それが完璧だと感じる。しかし、それは私たちに必要な情報を伝えていないのだ。

時には、私たちは表面上において、完璧ではない。しかし、その人のキャラクターの個性や人格の特性は、あなたに深い影響を与えるだろう。そしてあなたは、この人が美しいことを知る。音も同じ理由だ。ある人がとても良い音だとしても、もし良いキャラクターと魅力的な個性をつくりだすことができないならば、意味がない。

専門家は私の公演を聞き、完璧ではないと言うだろう。しかしあなたは、ステージで私のエネルギーを聞くことができる。強さとカリスマが公演の私の声にある。これがアーティストとしての私の最も重要なポイントだ。





≪ホセ・クーラ 語録≫

●長くキャリアを続けるためには声を休ませるのが大切

●歌手が歌を歌うことだけを考えるのは悪いことだ。それは声を殺し、すべてのカリスマを奪う。それに加えて、全般的に認識の感覚を狭めてしまう。そうならないようにしなければならない。

●私は、「かつてのような声が現在はない」と主張する者たちと、いつでもたたかう準備ができている。今も素晴らしい声がそこにある。私たちは、彼らを見つけ出し、彼らを助ける必要がある。

●私は歌手としてだけでなく、俳優として、私の声を使用する。そして(美しい声だけでなく)、声の中に「窒息した」色合いもつくりだす。

●私は私の声の奴隷ではない。もちろんパフォーマンスの前に、雪の中、裸足で外出して運命に挑戦したりはしない。しかし他の人たちと同じように、私は、お腹がすいたときに食べ、疲れているときに寝て、汚れた時に体を洗う。


******************************************************************************************************************


これまでの投稿で紹介してきた発言とも共通することですが、声や才能はあくまでも「種」、出発点に過ぎず、長い時間をかけて1人のアーティストに育て、成長することが必要なこと、他から押し付けられたテクニックではなく、自分の体から自分自身で自分のテクニックを導きだすことが大事だと思うことなどが強調されています。
また、そのためには、現在のような商業主義による若い世代の使い捨てには大きな問題があることをクーラは指摘しています。

こうした考え方にもとづいて、長年、努力し、「自分自身のテクニック」をみがき、キャリアを積んできたことによって、現在のクーラがあるのですね。
しかも特筆すべきは、長いキャリアのあいだで、声のトラブルによる長期の休業やキャンセルを繰り返すといったことが、一度もないことです。セミプロのアスリートでもあった頑強で鍛えられた身体に恵まれたことに加えて、無理のない、自分に合った発声方法、テクニックを探求、発展させていった結果だったのでしょう。

「現在では若く新鮮で美しい声を持っているとはいえない」と言っていますが、確かに声はより重く、暗くなっていますが、声の美しさ、響きはいまも健在です。さらに成熟した表現力、豊かさを増しているように思います。

デビュー当時から「テクニックがない」といわれ「すぐにダメになる」と批判され続けてきたクーラ。もし、まわりの言いなりになっていたら・・。
いろんな面で考えさせられます。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする