人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

2019年 ホセ・クーラ、ブダペストの国際的写真展からの招待

2019-11-24 | 写真を撮る

 

 

 

ホセ・クーラは、今年(2019年)の10月、ブダペストのアートフェスティバルに招待され、写真のブースを出展しました。今回はその様子と、クーラの写真についての思いやハンガリーでの今後の活動について、インタビューから抜粋して紹介したいと思います。

クーラは少年の頃からカメラに親しみ、プロのミュージシャンとして活動しながら、趣味として写真を楽しんできたといいます。そして出版社に勧められて2008年に写真集を出版、またコンサートの際に、関連企画として写真の個展を開催したこともありました。(クロアチアのドゥブロヴニクザグレブでの写真展を以前の記事で紹介)

今回は、これまでの写真展と違って、プロの写真家、美術家のための展示・即売会のようです。「アートマーケット・ブダペスト」という名称のこの展示会は、「中央ヨーロッパ最大のアートフェアであり、30か国の代理店から約500人のアーティストによる数千の作品を展示している」と紹介されています。写真、絵画、彫刻などの現代アートの展示に加え、様々なパフォーマンス、多くのワークショップなどが行われたようです。

 

 


 

 



≪アートマーケット・ブダペストの様子≫

 

なぜクーラがこのアートフェアに招待されたのかについて、写真展のリーフレットには、アートマーケット・ブダペストの創設者でありディレクターであるAttila Ledenyiの言葉が以下のように書かれていました。

「私たちが最初に注目したのは、ホセ・クーラの写真作品の品質であり、情熱、そして美しさである。アートフォト・ブダペストは、さまざまな高品質の写真を訪問者が利用できるようにするとともに、写真の芸術を新しい聴衆に提示することを目的として設立されており、それらをすぐに聴衆と共有したいと考えた。最高品質の音楽を愛する人々にとって、アートフォトブダペストでのホセ・クーラの写真作品の展示は、必見の体験になるだろう。」

 

●クーラがFBで紹介した写真展のリーフレット 

 

 

●アルゼンチン大使館のFBで紹介された会場の様子

クーラの作品ブースの入口のようです。

展示の様子

●クーラの展示を紹介したスペイン語ニュース

 

 

フェスティバルのFBより、今年を振り返って

アートフェスティバルの様々な写真が紹介されています。規模の大きさ、多彩さがわかります。

 

 

 


 

 

≪インタビューより≫

 

ーーホセ・クーラの音楽世界がビジュアルに


ホセ・クーラは何年もの間、世界で最も著名なテナーの1人であり、現在56歳、彼は、写真に関心をもち、ブダペストのアートマーケットで初めて作品を展示している。

オープニングイベントで、クーラは、彼の作品の背後にある哲学は、「あらゆる表情の豊かさにおいて」人間に集中していると説明した。「国や都市を区別しない。私によって自発的な瞬間を盗まれた人物の、その背後にある人生の物語を理解しようとしている」と、クーラは語った。

アートマーケット・ブダペストでの展覧会「アートフォト・ブダペスト」の一部として、すべて白黒の写真8枚が展示され、10月6日まで訪問者に公開される。2008年に、クーラは「ESPONTÁNEAS(自発的の意)」というタイトルで写真を集めた本を出版した。

「展示されている写真は、私の本『ESPONTÁNEAS』に収録されており、そのほとんどすべてが、90年代にライカとキヤノンのカメラを使用して撮影された」とクーラは言う。

彼の写真への情熱は、45年前に母親が彼に、今でも使えるコダックを贈ったときに始まった。しかし、クーラは、自分をプロの写真家とは考えてはいない。

「今まで、写真は単に情熱であり、世界を分析する方法であり、写真が発達させる観察力を、私の役柄の研究と特徴付けに適用するためのものだった」とアルゼンチンのアーティストは付け加えた。「私の写真には、私の音楽と同様に、人間的感情への傾倒がある。私は芸術を単純な技術的演習とは考えていない。それが私の心を動かさないなら、それは私には合っていない。」

(「laht.com」)

 

 

 

ーーホセ・クーラ 「写真は子どもの頃から私の情熱だった」


第9回アートマーケット・ブダペストは、10月3〜6日、ミレナリス展示ホールで特別なアートを取り揃えて訪問者を待っている。イベントの一環として、伝説的なオペラ歌手であるテノールのホセ・クーラが、ブダペストで初めて彼の写真芸術を披露する。ハンガリー放送芸術協会の最初の常設ゲストアーティストである彼に独占インタビューを行った。


Q、歌、指揮、作曲、演出、教育活動、そして写真撮影。自分をどのようなアーティストと定義する?

A(クーラ)、著名な雑誌がかつて、私について、”真に博識、真のルネッサンス精神”と書いたことがあった。しかしあなたが私に尋ねるなら、芸術などの人間活動について不必要な定義を探している、と私は答えるだろう。なぜなら、定義することは、まさに抑圧に最も近いものだからだ。何世紀にもわたる苦い経験を通じて、私たちは、アーティストを箱に入れることは無用であるだけでなく、危険でもあることを学んだ。歴史において、勇敢に冒険した人々は常に避けられた。


Q、10年以上前、2008年にその写真集「Espontáneas」がリリースされたが、写真アートはおそらく読者の大半にとって最も魅力的なもの。写真をどうやって見つけた?

A、これは言わなければならないが、私はプロの写真家ではない。また、少なくともこれ以前にそうだったことはない。そしてもちろん、神は、ブダペスト・アートマーケットの後に何が起こるであろうことを知っている。

写真は、私の子ども時代からの燃える情熱だった。後に、歌手・俳優としてのキャリアを始めたとき、写真によって、自分のまわりの世界を別の方法で観察し、受け入れることによって、自分の視野をさらに広げることができることに気付いた。スイスの出版社が私の個人的なコレクションに興味をもち、私の写真を公開したいと考えたために、私の写真集は11年前に公開された。


Q、ブダペストのアートマーケットへの出展は、どのような出会いから?

A、フェアの主催者も私の写真集を見て、私に、展示することに興味があるかどうか尋ねた。私はプロの写真家の世界に入るつもりはなかったが、こうした人々の信頼を光栄に思った。そして私は「なぜ試そうとしてみないか?」と考えた。


Q、ハンガリーおよびブダペストと特に密接な関係を持っているが?

A、私は2000年からハンガリーで仕事をしており、多くの都市や劇場で演奏している。ハンガリーのアーティストには、私に対するアーティストとして、また個人的にも、信頼と敬意を通じた強い絆がある。私はサルバヴィータ財団(障がい者の雇用支援に取り組む)と緊密に連携しており、ヴェスプレーム市の名誉市民であり、そして今シーズンからは、ハンガリーの放送芸術協会の最初の常設ゲストアーティストとして働いている。


Q、2020年1月、リスト音楽院の大ホールで、自ら作曲した新作オペラである「モンテズマと赤毛の司祭」の世界初演を指揮するが?

Q、1987年のある日、友人が本を私に手渡して、これはオペラだと言った。当時、なりたての作曲家として私はそれを試してみたが、当時の私には、オペラを作るための武器と経験がなかった。この本は、私がホコリを被ったコレクションの中から再び見つけ出すまで、30年間、私の書斎に置かれていた。

あっと言う間の仕事だった。当時できなかったことを、経験を重ねた作曲家、パフォーマーとして、私は短期間で達成することができた。

それはコメディ、英語で「マッド・キャップ」(衝動的な、向こう見ずなの意)とわれるような作品が生まれたネオバロックの「タッチ」とモダンなリズムを使って、室内オペラのように作品を書いた。あなたは私がどれほど興奮しているか想像できるだろう。作曲を始めてから35年後、これが私の最初のオペラだからだ。リハーサルを始めるのが待ちきれない。ハンガリー放送交響楽団のような素晴らしいチームでこれを行うことができることは特別な誇りだ。


Q、今シーズンを見てみると、歌い、作曲し、指揮をする。将来はどうなる?1つの領域にもっと焦点を合わせる?それとも多様性を保つ?

A、多様性は喜びだ。そして、ルーティンはアーティストにとっての終わりの始まりだ。

(「papageno.hu」)

 

 

 

 

 


 

 

FBで紹介されたパンフレットで、クーラは、「写真は45年間にわたって私の情熱であり、母が私に最初のカメラをくれた。今も持っているコダックで、それはまだ完全に機能している。初めの頃は、写真が、新しい役柄を準備する時の大好きなツールの1つになるとは思っていなかった。写真がフォトグラファーの内部で発展させる細部への注意の度合いは、それが私の仕事に不可欠になるまで、私が理解していなかったものだ」と語っていました。

写真はあくまで趣味だったといいますが、それが様々な形、意味合いで、クーラの芸術活動の豊かさ、深さを支えるものの一つになってきたのでしょう。それは作曲、指揮、演出・舞台デザインなど、クーラが歌に加えて多面的な芸術活動を行い、それらが相互に影響しあっていることと同じです。ルーティンには耐えられず、それはアーティストとしての終わりにつながるとまで言うクーラ。この点はいろんな意見もあることでしょう。クーラ自身も、長年、「もっと歌に専念すべき」と繰り返し批判され、「なぜいろんな活動をするのか」と問われ続けてきました。もちろん、1つの分野にひたすら専念し、道を究める生き方もまた尊く、同時に、クーラのように、「やむにやまれぬ」情熱にかきたてられ、さまざまな活動にチャレンジしていく姿もまた、好奇心とエネルギーにあふれたアーティストとしての正直な生き方なのだと思います。

この12月5日で57歳(1962年生まれ)になるクーラ。Operabaseなどに表示されるようなオペラ出演はかなり減らしていますが、毎日、仕事のスケジュールでいっぱいのハードワークな毎日を送っているようです。健康の維持を願うばかりです。

 

 

*画像はクーラや関係者のSNS、HPなどからお借りしました。

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2018年 ホセ・クーラ "レンズを通して見た人生"ーーザグレブで写真展

2018-09-01 | 写真を撮る




今年7月、ホセ・クーラが出演したクロアチア・ザグレブでのコンサートの際に、その前後1週間、クーラの写真展(クーラが撮影者)が開催されました。
その様子を紹介したいと思います。

実は2年前の2016年にも、同じクロアチアのドゥブロヴニク・サマーフェスティバル2016で写真展が開催されたことがあります。クロアチアの芸術関係者による、多面的なアーティストとしてのクーラに対するリスペクトが感じられます。

 → ドゥブロヴニク・サマーフェスティバル2016での写真展についてのブログ記事


今回の写真展の会場は、クロアチアの首都ザグレブの中心にあるアートパビリオン。今年で120年の歴史をもち、現在も様々な企画展が開かれている美術館で、市のシンボルでもある建物だそうです。そしてコンサートは、このアートパビリオン前のトミスラフ広場で開催されました。



 



 →アートパビリオンHPのクーラの写真展案内ページ

 →ザグレブでのコンサートの様子は、「ホセ・クーラ 2018 夏のコンサート――ヴィンタートゥール、ザグレブ、ヴェスプレーム」で紹介しています。


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少年時代から写真が趣味のクーラ。公演のため世界中を旅行する時も、いつもカメラと一緒のようです。1998年に初来日した時に撮りためた写真も多数あり、今回の写真展でも展示されたようです。
インタビューで語っていますが、編集者に説得されて2008年に写真集を出版(『Espontáneas』――スペイン語で、“自発的な”、“自発性”のような意味か?)、時には、このように写真展の開催要請も受けています。クーラのインタビューをもとにした記事から、抜粋して紹介します。



≪ホセ・クーラのインタビューを紹介した記事より≫

JOSÉCURA ―― アルゼンチンのテノール、ホセ・クーラ、ザグレブ・クラシカとアートパビリオンで

「この展覧会では28枚の写真を展示している。日々の人通りの風景、普通の人・・そこには、レッド・カーペットも、スパークリング・ワインもない。これらは、普通の日常的な状況や出来事であり、私たちが無関心ではいられないもの。
これらの写真がどれほど示唆に富み、どれほど私たちがその中に引きつけられるか、それは驚くほどだ」
パビリオンのアートディレクターは言った。

展覧会のオープニングに出席したクーラは、写真は彼にとって45年以上にわたる趣味であると言った。彼は12歳の少年の時から写真を撮り始め、これまで数百万の写真を撮っている。

「私は専門家ではないので、技術的完成度を達成することは私の目標ではない。私はただ、まわりの世界を見せたいテノールだ。

黄金の檻に住むスターの魅惑的な生活の危険の1つは、現実世界とのつながりを簡単に失い、人々と結びつく糸を失い、現実が自分の生きている世界のようなものだと考え始めることだ。しかしそれは違う。

私は確固として信じている。アーティストは、物語を持っている人であり、その物語を伝えなければならない。もし自分が現実を生きていなければ、そこに物語はない。
人間の真実を伝えるためには、それらに触れる必要がある。そしてそうすることなしに、人生が本当にどういうものであるかを感じることはできない。」
とアーティスト(クーラ)は語った。

すべての写真の背後には物語があり、それは「個人的な要素」というべきもので、それらはすべて彼にとって重要なことなのだ。例えば彼は、イエスの像の足をさする人々の写真と、道で眠っているホームレスの写真を隣り合わせに置いている。

「私は疑問に思った。本当に必要な人に触れる方がはるかに意味があるとしたら、像の足をさする意味は何だろうか?」
とクーラは明かす。
・・
(「Nacional.hr」)


●別の記事より、クーラの発言抜粋

「ほとんどの人にとって、音楽は趣味だが、プロのミュージシャンとして私は何か他の趣味を見つけなければならなかった」
「私の写真は世界を変えることはないだろうが、私がステージでやっていることが好きなら、あなたはそれらを好きになるだろう」
(「promise.hr」)



≪SNSなどより、写真展の様子≫

●クーラのFB投稿 写真展入口の看板



●写真展のオープニングに展示されたケーキ。マジパンでできたクーラのミニチュアが飾られている。


実際に切って振る舞われたようですね。





●クーラのFBより、写真展の様子
左壁面


右壁面


●挨拶するクーラ



●パビリオンのFBに掲載されたニュース動画。日本で撮影されたと思われる写真も見えます。





≪主催者によるクーラの写真展紹介文より≫

JOSÉCURA ―― 著名なテノールのレンズを通過した人生


2018年のアートパビリオン創立120周年を記念して、世界的に有名なアルゼンチン人のテノール、ホセ・クーラが、ザグレブのトミスラフ広場でコンサートを行う。このコンサートは、パビリオン120周年を記念して行われる。

マエストロ・クーラが、長年写真を撮影してきた芸術的写真の愛好者であることを知り、パビリオンのディレクターは、写真の個展に招待した。この展覧会は、クーラのコンサートの開始2日前に開会し、7日間展示される。

写真家としてクーラは、「普通の」人々の日常生活に関心を持ち、明日には過去の一瞬となる、生きた瞬間を捉える優れた能力のために、写真という媒体を使用する。

写真のなかにおいてのみ、私たちはいつまでも若く、永遠に幸せ、または永遠に悲しく、そして永遠に愛することができる。写真は時間と感情の両方を止めることができ、時を経て、その感情が消滅した後でも、まだそこにあるかのように、画像のなかにそれらを焼き付けることができる。

写真撮影のこの魔法のような、非現実的な能力は、非常に魅力的だ。1回のシャッターで時間を保持する。数分の1秒で、錬金術師が何世紀もの間、求めたてきたこと、その実現を可能にする。寿命を伸ばす人生の妙薬を見つけることができる。写真家は錬金術師のようなもの。幸福、悲しみ、愛の妙薬を持っている。

写真家は目と手に力を持つ。写真はどのように見えるのかは、彼らがその能力をどう使うかによる。写真はその撮影者を反映する。作成者が過去に経験してきたことを反映したものが、今、蘇る。

カメラのレンズを通して、ホセ・クーラは、彼がそれを見る方法で、人生を写真を作成する。
そして彼は、確かにそれを憂鬱な光の中で見ている。

アートパビリオンHPより)




コンサートの様子




*画像は主催者や関係者、クーラのFBなどからお借りしました。
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(写真展編) ホセ・クーラ 2016年ドゥブロヴニク・サマーフェスティバル / Jose Cura / Dubrovnik Summer Festival 2016

2016-10-30 | 写真を撮る



ホセ・クーラが指揮者として、歌手として参加した、クロアチアのドゥブロヴニク・サマーフェスティバル2016。
これまでにオープニングコンサートについてと、来年の演出予定について、紹介しました。

今回は、フェスティバル期間中に開催された、クーラの写真展についてとりあげたいと思います。これは、被写体としてクーラを写したものではなく、クーラがカメラマンとして、これまでとりためてきた写真作品を展示したものです。

「私は自分が写真家だと主張したことはない。写真は趣味だ。世界を観察したいという私の欲求を大いに助けてくれる。」(2016年)

こう語っていたように、あくまで趣味としてだそうですが、ツアーで外国に行く時などは必ずカメラを持って、撮影しているようです。
そのことを知った出版社が、写真集の出版を持ちかけ、2008年に『Espontáneas』(スペイン語で、“自発的な”、“自発性”のような意味か?)を発行しました。
 → Amazonの紹介ページ

今回のドゥブロヴニク・サマーフェスティバルの写真展では、この『Espontáneas』におさめられたうちの14点が展示されたとのことです。




実はこの写真集『Espontáneas』の中には、日本で撮影したらしい写真もたくさん掲載されています。
例えば・・


















初来日の時なのか、大相撲の写真もありますが、いくつか見て分かるように、クーラがファインダー越しに見つめる被写体は、その多くが普通の人々であり、日常生活であり、また時には社会の底辺に生きる人々であったりします。
オペラ歌手の写真集と聞いてイメージする、豪華で華やかなスターの世界を描いたものとは反対の、リアルな世界です。社会に対する問題意識を常にもち、写真を撮ることが「世界を認識するひとつの手段」と考える、クーラらしい作品といえます。
もちろん、他にも、子どもたちを撮ったかわいい写真、微笑ましい作品もありますし、この写真集以外にも、動物を写したユーモラスなものや、また闘牛を撮ったショッキングな作品もあります。

こうした作品は、クーラのフェイスブックの写真コーナー≪José Cura Photography≫で紹介されています。ロゴ入りのサンプルですが、興味をお持ちの方は、ぜひご覧になってみてください。

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ドゥブロヴニク・サマーフェスティバル2016でのクーラの写真展『Espontáneas』、開催期間は、2016年7月13~20日でした。
場所は、ドゥブロヴニクの旧市街にあるスポンザ宮殿。16世紀に建てられた歴史的建造物で、かつては税関、造幣局、武器鋳造所があり、現在も公文書館として使われているとのことです。






●写真展を紹介したクロアチアの報道より

「展示された14枚の写真は、世界中を旅行した彼が、通行人や一般の人々の、生活の中で日常の瞬間を撮影したもの。モノクロ写真は、見知らぬ人々の運命を記録している。彼のカメラのレンズは、高級感や魅力的なものにではなく、人々の裸の生活に焦点を当てている」

「この写真を見て、ホセ・クーラによって撮影されたということは分からないだろう。普通の人々、ただの男・・これらの画像には、スターはどこにもいない。そこには、贅沢は何もない。赤いカーペットも、シャンパンの泡も...。観客は、ホセ・クーラの写真に、つぎのようなものを期待するかもしれない。人を魅了する世界の主要都市、有名な歴史的建造物、広大なアベニュー、豪華な内装、魅力的なホテルやレストラン・・。しかし、ノー。彼の関心は、他の動機によって描かれている。」

●フェスティバルのことや、写真について語るインタビュー動画 2016年7月ドゥブロヴニク
 → 動画があるHPへのリンク



写真展の開会にあたって、あいさつするホセ・クーラ。





●写真集出版のいきさつ――2008年インタビューより
――写真は私の情熱であり、人生を観察する方法

写真はあくまで趣味。ある人は絵を描き、ある人はものを書く。私は写真を撮るのが大好きだ。
少なくとも過去30年間、写真を撮ってきた。訓練して腕も向上してきたし、仕事上、多くの偉大な写真家と話をすることもある。
私は常に、趣味の一端として写真を撮ってきたし、それは私の情熱であるとともに、人生を観察する方法でもある。

写真集の出版については、考えたことがなかった。しかし、2年前に、スイスの出版社が私のところに来て言った。
「私は友人の家にあるあなたの写真の何枚かを見た。ぜひ写真集を発行し、あなたの写真を公開したい」
私は、「世界が本当に私の写真の本を求めているとは思わない」と答えた。

これに対して彼は、こう反論した。
「あなたは、リチャード・アヴェドン(アメリカ合衆国の著名な写真家)ではないかもしれない。しかし、あなたは有名なアーティストだ。あなたを好きな人は、あなたが物事を見る方法を確認したいと思うだろう。写真集は、彼らにとって、素晴らしいものになるだろう。」
これを聞いて、私はOKを言った。


会場となったのは16世紀に建てられたスポンザ宮殿。さりげなく観客のように映っていますが、この青年は実はクーラの次男ニコラス君。




若い参加者とも気さくに懇談し、写真に収まるクーラ。






クーラの左側の若い女性は、愛娘のヤスミンさん。大学で写真を学んでいるそうです。


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写真はあくまで趣味というクーラですが、プロのアーティストとして、常に世界を見る目、人間を見る洞察力を磨き、人間と社会のなかから真実をつかみだし、表現する――そういう日常のなかにいるわけですから、クーラが写真をとることを愛しているというのにも、納得させられます。

1人の全面的な解釈者、表現者としての完成をめざして、社会と人間、芸術にかかわるさまざまなものに好奇心と興味をもち、挑戦しつづけるクーラ。多くのことに手を出すことについては、常に批判がありますが、それらは決して無関係ではなく、客観的な世界に対して、観察し、主体的に働きかけるアーティストとしての生き方にすべて連なっているし、それぞれが合わさって、クーラというアーティストに豊かさと魅力をもたらしているのではないかと思いました。



*写真は、クーラのFB,フェスティバルのHPやFBなどからお借りしました。
 
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