ホセ・クーラは、感染拡大が深刻な国のひとつ(2020年4月初現在)、スペインのマドリード在住です。3月半ばから外出禁止命令が出され、クーラの公演予定も、3月のハンブルクのオテロの2回目が中止されて以降、4月のウィーン国立歌劇場のサムソンとデリラの公演とライブ中継、ハンガリーの道化師などがキャンセルとなっています。
自宅待機を余儀なくされるなかでクーラは、元気に作曲の作業などを続けつつ、SNSでの発信を増やし、リサイタル動画を公開したり、「自宅に居よう、健康でいよう」とメッセージを発信しています。また「Strong together」というFBの交流サイトを新設しました。外出禁止措置が長引き、不安や苦痛を募らせている人々を励まし、楽しく意見交換、情報交流する場にしたい、ともに強く、この困難を乗り切っていこうという思いからのようです。
またビッグニュースとしては、近々、1月に初演されたクーラ脚本・作曲の新作オペラ「モンテズマと赤毛の司祭」の動画を、全編掲載するということですので、楽しみに待ちたいと思います。紹介の記事も書きたいと思っています。
今回は、2019年12月に発表されたインタビューから、抜粋してご紹介します。歌手、指揮者、作曲家、演出家と、様々な活動を広げているクーラの、キャリアやその仕事について、役柄、批評、テクニックについて・・等々。
今年2020年11月、イタリアのバーリ歌劇場の来日公演のアイーダで、クーラの来日情報も公表されています。久しぶりにクーラの情報にふれたという方、はじめてクーラのことを知ったという方にも、クーラの多面的な姿を知る興味深いインタビューではないかと思います。
いつものように不十分な訳をお許しください。原文をご参照ください。
≪それが知的であるなら、公演はうまくいくーーホセ・クーラへのインタビュー≫
2019年12月27日 Opera Vilag
ハンガリーでの3年間の契約の初めに、世界的に著名なテノールのホセ・クーラは、歌手、指揮者、作曲家としての彼のキャリアについて語った。(2019年秋からハンガリー放送芸術協会のゲストアーティストに就任)
Q、ハンガリー放送芸術協会との3年間にわたるコラボレーションの動機は?
A(クーラ)、それは一目惚れだった! 何年も前、彼らと初めてコラボレーションをした時、私たちはコダーイの「テ・デウム」とロッシーニ「スターバト・マーテル」を演奏した。2回目は、私自身が作曲した音楽を演奏した。オーケストラが私の作品にそのような大きな愛と関心を示してくれているなら、私は彼らとより深い感情的なつながりを育てることができる。
2回目のコンサートの終わった時、私たちは素晴らしい体験にとても感動し、私はすぐに彼らの主席ゲスト・アーティストとして参加するよう招かれた。
Q、指揮者として大学を卒業したにもかかわらず、あなたは主にオペラ歌手として知られており、ほとんどの場合、オペラ歌手として舞台に立った。指揮者として直面する課題と困難とは?
A、オペラ歌手であることと、指揮者になるための準備はまったく違っている。
オペラ歌手としては、主に自分自身に責任を負うーーもしうまく歌えれば、他のみんなもより良く演奏できるだろう。しかし一方で、歌が悪かったなら、批評はあなたとあなたのパフォーマンスだけに集中する。対照的に、指揮者はパフォーマンスのすべての参加者に責任を負う。したがって、より大きな責任があり、パフォーマンスがうまくいかなかった場合に全体的な責任を回避することはできない。
指揮者の場合は知的なプレッシャーがより大きく、対照的に、歌手の場合は、単純な健康上の問題がパフォーマンス全体を危険にさらす可能性がある。指揮者としては、気候が寒いか、雨が降っているか、気にする必要はなく、自分の仕事にのみ焦点を当てればよいので、そういう種類のプレッシャーはない。しかし指揮者の責任は他のものに根ざしている。チーム全体を運営しなけらばならない。指揮者は歌手とオーケストラを信頼することを学ぶ必要があり、歌手とオーケストラが安心できると感じるようにしなければならない。これは言うのは簡単だが、実践するのは非常に困難だ。この種の相互作用はめったに達成されることはない。
Q、リハーサル中に、ソリストに技術的な知識に基づいて教えることがある?それとも指揮だけに集中する?
A、求められていないアドバイスほど不愉快なことはない。したがって、私は教えようとするのではなく、次のような提案をする。「私があなただったら、その問題をこのように解決すると思う 」、または「 もし私の経験が役に立つなら、自由に使ってほしい。そうでなければ、あなたのアイディアを教えて」・・と。ソリストにとっては、作品の難しい部分が何であるかを正確に理解し、解決のために何が必要かを知っている人物が指揮をすることは、有益だろうと思う。しかし、もしソリストが私のアドバイスを受け入れなかったとしても、私はまったく怒らない。私が一緒に仕事をしているのは、初心者や学生ではなく、プロフェッショナル、素晴らしいプロフェッショナルたちなのだから。
Q、あなたは非常に高い評価を受けているオペラ歌手の1人だが、どうやって、ソリストたちに対し、彼らが批判されたとか、気分を害されたと感じさせずに指揮できる?
A、怒るのは凡庸な人だけだ。健全な人は、指揮者が歌手に技術的アドバイスをする場合、すでに同じ状況を経験して歌手がどのような助けを必要としているのか理解しているからそのアドバイスをしている、ということを知っている。ソリストがアドバイスを攻撃と受け取る場合、歌手が心理的なコンプレックスを持っていることを意味しているので、彼の問題は特定の技術的な修正をすることではない。
Q、オペラハウスから招待されたときに、誰と一緒に歌いたいか決める決める力はある?
A、ノー。通常、そういうことは起こらない。
もちろん、オペラ映画などの大きなプロジェクトの場合は、可能な限り最高の作品つくるために、あらゆる優れた要素を組み合わせる方法についての対話がある。しかし、オペラハウスでのレギュラーシーズンの公演の場合は、そこで出会った同僚と一緒に仕事をするだけだ。新しい人々と常に出会い、彼らと一緒に働くことで新しい経験をするのは、素晴らしいことだと考えている。満足できる3、4人といつも一緒に歌うなら、経験できる全体的な世界を失うことになるだろう。キャリアを通じて、さまざまな人々と出会う。良い手本を示し、多くのことを学ぶことができる人もいるし、やるべきでないことの手本となる人もいる。賢明であれば、良い経験で自分の「荷物」を豊かにすることができるだけでなく、無駄なものが何であるかを学び、それを取り除くことができる。
Q、現代的な演出よりクラシックなプロダクションを好む?
A、知的なものを好む。それが現代的か伝統的かは関係ない。私はただ、知的な作品が好きだ。伝統的な作品で本当に馬鹿げているものが沢山あるし、非常に興味深い現代的なプロダクションがある。もちろん、その逆も当てはまる。それは、レンブラントの絵とピカソの絵のどちらを好むかを尋ねるようなものだ。私の答えは、私は非凡な才能を好み、彼らは2人とも天才だったということだ。そこが肝心な点だ。興味深いメッセージを持つ優れた演出家は、プロダクションがモダンか伝統的かに関係なく、優れた舞台を生み出すことができる。悪い演出家はどんな場合でも良くない舞台をもたらす。
Q、あなたはヴェルディのオテロとサン=サーンスのサムソンの最も信頼できるパフォーマーと考えられている。意識してこれらの役柄に特別な注意を払ってきた?それとも偶然にあなたの象徴的な役柄に?
A、まず第一に、私は、自分がオテロやサムソンの最も信頼できるパフォーマーだとは思っていない。なぜなら、これらの2つの巨大なキャラクターを表現するうえで、立派な仕事をする歌手が沢山いるからだ。
ただ、他のすべての役柄に対して同様に、私が、期待されるようなやり方ではなく、さらに深く掘り下げ、何らかの他の要素を見出すためにキャラクターの魂を探求してきたことは事実だ。
ニューヨークのメトロポリタンオペラでオテロ(2013年)を演じた後、「 このいまいましいクーラは、常に自分がやりたいことをやり、期待されていることをやらない」とある批評家が書いた。それは私にとっては最高のレビューの1つだった。ジャーナリストは傷つけるつもりだったが、このレビューは世界にこういうメッセージを送ったと思っているーー「ステージに型通りのオテロは見られなかったが、クーラが独自のムーア人のキャラクターを形作った。クーラは真のパフォーマーだ」と。
Q、自信を持って完全に知るためには、その役を何回演じる必要がある?
A、うーん、たくさん。34歳だった1997年の最初のオテロと今の私のオテロとを比較して、どのように変わったのか、よく聞かれる。34歳の頃、髪を白く染めて年上に見せたが、今では黒く染めて若く見せている。オテロのキャラクターが正確に何を必要としているのかを学ぶのに、何年もかかった。
Q、もし歴史上の大作曲家と話す機会があったら、誰を選ぶ?そして何を質問する?
A、私は間違いなくバッハを選ぶ。私の質問は、「 いったい、どうやってやったの? 」 ( 笑 )。
Q、今シーズン 、あなたはサン=サーンスのサムソンとデリラ、レオンカヴァッロの道化師を歌う予定だ(注*いずれも感染症防止対策のためキャンセル)。カレンダーにはアリアコンサートもある。濃密で多様なプログラムのために、どのように声を準備する?
A、忙しいが、以前ほどではない。これまでに約2,800の公演に出演した。年間100回以上の公演をした時期があるが、それは2日に1回ステージに立っていたことになる。
今は状況が異なる。一定の年齢に達したからといって、歌うのを止めることはないが、しかし1つのパフォーマンスから別のパフォーマンスまでの間に、体が回復するために十分な時間をとることに注意を払う必要がある。 年をとるほど、体が回復するのにより物理的により多くの時間が必要になる。それはテクニックとは何の関係もない。もちろん技術は非常に役に立つが、体が休息を求めている時、その信号を理解し、必要な休息をとらなければならない。20歳のときなら、週に2、3回のマラソンを走ることができるかもしれないが、50歳なら、走れるとしても月に1回だけしかできない...。
Q、今も声の先生を持っている?
A、いいえ、いない。
Q、どうやって声を守る?
A、何に対して?
私は自分自身が良いテクニックを持っていると思う。それについて反対だと思う人もいるが、私は過去30年間歌ってきて、あなたも知っているそれらの重い役を歌い、そして今もまだ話すことができる・・。
私のテクニックは、人々が期待するものとは少し違うかもしれないが、それは私が必要としているものだ。また、もちろん賢明でなければならず、一定の年齢を過ぎると、歌手は自分の声が若くないことを受け入れなければならない。したがって、自分のキャリアのペースをスローダウンしなければならず、お金のためにすべてを受け入れてはならない。私の演出家や指揮者としてのもう一つのキャリアは、その意味では大きな幸運だ。作曲家としての仕事も言うまでもない。指揮や作曲をしている間、声を数週間休ませることができる。
Q、オペラ歌手が犯す最も一般的な間違いとは?
A、現代の騒音公害の結果として、非常に深刻でよくある間違いがある。それは音量だ。叫ぶこと。 今日の人々は、外の騒音、ヘッドフォン、ポップコンサートの大音量のため、耳がよく聞こえなくなっている。コンサートに参加する時、50年前と同じ音響感度を今の人々は持っていない。したがって今日、コンサートでの人々の第一印象は、パフォーマンスの音量が十分ではないということだ。若い歌手もよく私に言う。「 マエストロ、私が通常の古典的な歌唱技法で歌うと、私の音量は十分にならない。 どんどん大きな声で歌わなければならなくなる」。これは、人々の聴覚が悪化し、音楽を楽しむために音量を上げざるをえなくなっているためだ。映画や劇場のショーに注意をむけるためには、ますます「花火」が必要になっているのと同じだ。
現代の私たちは、クラシックコンサートにおいては、音量は重要ではなく、聴衆がアーティストと、人間から人間への生々しい直接の体験があることを忘れてしまっている。私はあなたに経験を与えるーーステージの上で、汗をかき、苦しみ、一生懸命に働く。客席のあなたのために。聴衆は、中間的な装置、マイクやコンピュータ、またその他のものを通さず、生きている人の声を聞いていると感じる必要がある。十分な時間をとって、耳を劇場の環境に慣らす時間があれば、「集中」にも役立つだろう。 これは例えば、眩しい光に当たった後、すぐにははっきりと見ることができず、通常の視力に戻るのに時間がかかるのに似ている。
Q、バロック、クラシック、ロマン派、20世紀の音楽などのうち、あなたの作曲に最も影響を与えた時代は?
A、我々の時代の人々は、500~600年に及ぶ偉大な音楽を受け継いでおり、非常に幸運だ。ある時代の音楽にのみから影響を受けたとは言えない。今日の作曲家の成功の秘訣は、過去の音楽から受け継がれたすべての要素を活用し、それらを組み合わせて、そこから何かを創り出すことだ。オリジナルになる唯一の方法は、すでに発明されたものを発明しようとするのではなく、それらのすべての経験を大きなカクテルグラスに入れ、その素晴らしいドリンクを飲み、それを自分自身の個性を通して引き出すことだ。人それぞれの個性は異なっており、作品をユニークするのに十分だ。ヨハン・セバスチャン・バッハの後、「この世界、太陽の下、もう新しいことは何もない…」とモーツァルトは言った・・。
(「operavilag.net」)
多岐にわたる質問で、クーラもいつものように率直に、飾らず答えていて、興味深い内容もたくさんありました。とりわけ、聴衆の聴力の問題は、クーラがこういう問題意識を持っていることは初めて読んだように思います。以前クーラは、オーケストラのチューニングが高くなっていることによる弊害について発言していましたが、その問題とも合わさって、歌手の大変さ、キャリアにもかかわる問題の深刻さとともに、作品の音楽的なバランスなども含め、いろんな問題をはらんでいることに気づかされました。
生のステージで、観客とともに舞台をつくっていくことを大切にしているクーラの姿勢は、これまでも繰り返し語られてきたことです。とりわけ現在、新型感染症の影響で、劇場、文化施設、コンサートホールなどが閉鎖されているもとで、あらためて文化・芸術・音楽が人間のくらしに果たしている役割を考えさせられます。ステージでの感動、アーティストとの相互作用で生きた感情が感じられるライブの舞台が、一日も早く、再開されることを願わずにはいられません。
現在、新型感染症で世界中の市民の命と健康が脅かされ、社会生活も甚大な影響を受けています。日本でも感染拡大が重大な局面となっています。感染拡大の阻止、ウイルス対策、医療の整備拡充等が前進して、一日も早く事態の収拾が図られることを。そして個人でもできることを努力しながらですが、アーティストをはじめとして、現金給付や休業補償がだれでも受けられ、みんなで協力してこの困難を早期に乗り越えられるようになることを切に願っています。
*画像は報道などからお借りしました。