人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

2019年 ホセ・クーラ インタビュー 「現代的か、古典的かを問わず、大切なのは知的であること」 

2020-04-09 | 声、技術、キャリアについて

 

 

ホセ・クーラは、感染拡大が深刻な国のひとつ(2020年4月初現在)、スペインのマドリード在住です。3月半ばから外出禁止命令が出され、クーラの公演予定も、3月のハンブルクのオテロの2回目が中止されて以降、4月のウィーン国立歌劇場のサムソンとデリラの公演とライブ中継、ハンガリーの道化師などがキャンセルとなっています。

自宅待機を余儀なくされるなかでクーラは、元気に作曲の作業などを続けつつ、SNSでの発信を増やし、リサイタル動画を公開したり、「自宅に居よう、健康でいよう」とメッセージを発信しています。また「Strong together」というFBの交流サイトを新設しました。外出禁止措置が長引き、不安や苦痛を募らせている人々を励まし、楽しく意見交換、情報交流する場にしたい、ともに強く、この困難を乗り切っていこうという思いからのようです。

またビッグニュースとしては、近々、1月に初演されたクーラ脚本・作曲の新作オペラ「モンテズマと赤毛の司祭」の動画を、全編掲載するということですので、楽しみに待ちたいと思います。紹介の記事も書きたいと思っています。

今回は、2019年12月に発表されたインタビューから、抜粋してご紹介します。歌手、指揮者、作曲家、演出家と、様々な活動を広げているクーラの、キャリアやその仕事について、役柄、批評、テクニックについて・・等々。

今年2020年11月、イタリアのバーリ歌劇場の来日公演のアイーダで、クーラの来日情報も公表されています。久しぶりにクーラの情報にふれたという方、はじめてクーラのことを知ったという方にも、クーラの多面的な姿を知る興味深いインタビューではないかと思います。

いつものように不十分な訳をお許しください。原文をご参照ください。

 

 

 


 

 

≪それが知的であるなら、公演はうまくいくーーホセ・クーラへのインタビュー≫

2019年12月27日 Opera Vilag

 

 

 

ハンガリーでの3年間の契約の初めに、世界的に著名なテノールのホセ・クーラは、歌手、指揮者、作曲家としての彼のキャリアについて語った。(2019年秋からハンガリー放送芸術協会のゲストアーティストに就任)

 

Q、ハンガリー放送芸術協会との3年間にわたるコラボレーションの動機は?

A(クーラ)、それは一目惚れだった! 何年も前、彼らと初めてコラボレーションをした時、私たちはコダーイの「テ・デウム」とロッシーニ「スターバト・マーテル」を演奏した。2回目は、私自身が作曲した音楽を演奏した。オーケストラが私の作品にそのような大きな愛と関心を示してくれているなら、私は彼らとより深い感情的なつながりを育てることができる。

2回目のコンサートの終わった時、私たちは素晴らしい体験にとても感動し、私はすぐに彼らの主席ゲスト・アーティストとして参加するよう招かれた。

 

Q、指揮者として大学を卒業したにもかかわらず、あなたは主にオペラ歌手として知られており、ほとんどの場合、オペラ歌手として舞台に立った。指揮者として直面する課題と困難とは?

A、オペラ歌手であることと、指揮者になるための準備はまったく違っている。

オペラ歌手としては、主に自分自身に責任を負うーーもしうまく歌えれば、他のみんなもより良く演奏できるだろう。しかし一方で、歌が悪かったなら、批評はあなたとあなたのパフォーマンスだけに集中する。対照的に、指揮者はパフォーマンスのすべての参加者に責任を負う。したがって、より大きな責任があり、パフォーマンスがうまくいかなかった場合に全体的な責任を回避することはできない。

指揮者の場合は知的なプレッシャーがより大きく、対照的に、歌手の場合は、単純な健康上の問題がパフォーマンス全体を危険にさらす可能性がある。指揮者としては、気候が寒いか、雨が降っているか、気にする必要はなく、自分の仕事にのみ焦点を当てればよいので、そういう種類のプレッシャーはない。しかし指揮者の責任は他のものに根ざしている。チーム全体を運営しなけらばならない。指揮者は歌手とオーケストラを信頼することを学ぶ必要があり、歌手とオーケストラが安心できると感じるようにしなければならない。これは言うのは簡単だが、実践するのは非常に困難だ。この種の相互作用はめったに達成されることはない。 

 

Q、リハーサル中に、ソリストに技術的な知識に基づいて教えることがある?それとも指揮だけに集中する? 


A、求められていないアドバイスほど不愉快なことはない。したがって、私は教えようとするのではなく、次のような提案をする。「私があなただったら、その問題をこのように解決すると思う 」、または「 もし私の経験が役に立つなら、自由に使ってほしい。そうでなければ、あなたのアイディアを教えて」・・と。ソリストにとっては、作品の難しい部分が何であるかを正確に理解し、解決のために何が必要かを知っている人物が指揮をすることは、有益だろうと思う。しかし、もしソリストが私のアドバイスを受け入れなかったとしても、私はまったく怒らない。私が一緒に仕事をしているのは、初心者や学生ではなく、プロフェッショナル、素晴らしいプロフェッショナルたちなのだから。

 

Q、あなたは非常に高い評価を受けているオペラ歌手の1人だが、どうやって、ソリストたちに対し、彼らが批判されたとか、気分を害されたと感じさせずに指揮できる? 


A、怒るのは凡庸な人だけだ。健全な人は、指揮者が歌手に技術的アドバイスをする場合、すでに同じ状況を経験して歌手がどのような助けを必要としているのか理解しているからそのアドバイスをしている、ということを知っている。ソリストがアドバイスを攻撃と受け取る場合、歌手が心理的なコンプレックスを持っていることを意味しているので、彼の問題は特定の技術的な修正をすることではない。

 

Q、オペラハウスから招待されたときに、誰と一緒に歌いたいか決める決める力はある?

 
A、ノー。通常、そういうことは起こらない。

もちろん、オペラ映画などの大きなプロジェクトの場合は、可能な限り最高の作品つくるために、あらゆる優れた要素を組み合わせる方法についての対話がある。しかし、オペラハウスでのレギュラーシーズンの公演の場合は、そこで出会った同僚と一緒に仕事をするだけだ。新しい人々と常に出会い、彼らと一緒に働くことで新しい経験をするのは、素晴らしいことだと考えている。満足できる3、4人といつも一緒に歌うなら、経験できる全体的な世界を失うことになるだろう。キャリアを通じて、さまざまな人々と出会う。良い手本を示し、多くのことを学ぶことができる人もいるし、やるべきでないことの手本となる人もいる。賢明であれば、良い経験で自分の「荷物」を豊かにすることができるだけでなく、無駄なものが何であるかを学び、それを取り除くことができる。

 

Q、現代的な演出よりクラシックなプロダクションを好む?

 
A、知的なものを好む。それが現代的か伝統的かは関係ない。私はただ、知的な作品が好きだ。伝統的な作品で本当に馬鹿げているものが沢山あるし、非常に興味深い現代的なプロダクションがある。もちろん、その逆も当てはまる。それは、レンブラントの絵とピカソの絵のどちらを好むかを尋ねるようなものだ。私の答えは、私は非凡な才能を好み、彼らは2人とも天才だったということだ。そこが肝心な点だ。興味深いメッセージを持つ優れた演出家は、プロダクションがモダンか伝統的かに関係なく、優れた舞台を生み出すことができる。悪い演出家はどんな場合でも良くない舞台をもたらす。

 

Q、あなたはヴェルディのオテロとサン=サーンスのサムソンの最も信頼できるパフォーマーと考えられている。意識してこれらの役柄に特別な注意を払ってきた?それとも偶然にあなたの象徴的な役柄に?

 

A、まず第一に、私は、自分がオテロやサムソンの最も信頼できるパフォーマーだとは思っていない。なぜなら、これらの2つの巨大なキャラクターを表現するうえで、立派な仕事をする歌手が沢山いるからだ。

ただ、他のすべての役柄に対して同様に、私が、期待されるようなやり方ではなく、さらに深く掘り下げ、何らかの他の要素を見出すためにキャラクターの魂を探求してきたことは事実だ。

ニューヨークのメトロポリタンオペラでオテロ(2013年)を演じた後、「 このいまいましいクーラは、常に自分がやりたいことをやり、期待されていることをやらない」とある批評家が書いた。それは私にとっては最高のレビューの1つだった。ジャーナリストは傷つけるつもりだったが、このレビューは世界にこういうメッセージを送ったと思っているーー「ステージに型通りのオテロは見られなかったが、クーラが独自のムーア人のキャラクターを形作った。クーラは真のパフォーマーだ」と。

 

Q、自信を持って完全に知るためには、その役を何回演じる必要がある? 


A、うーん、たくさん。34歳だった1997年の最初のオテロと今の私のオテロとを比較して、どのように変わったのか、よく聞かれる。34歳の頃、髪を白く染めて年上に見せたが、今では黒く染めて若く見せている。オテロのキャラクターが正確に何を必要としているのかを学ぶのに、何年もかかった。

 

 

 

 
Q、もし歴史上の大作曲家と話す機会があったら、誰を選ぶ?そして何を質問する?

 
A、私は間違いなくバッハを選ぶ。私の質問は、「 いったい、どうやってやったの? 」 ( 笑 )。

 

Q、今シーズン 、あなたはサン=サーンスのサムソンとデリラ、レオンカヴァッロの道化師を歌う予定だ(注*いずれも感染症防止対策のためキャンセル)。カレンダーにはアリアコンサートもある。濃密で多様なプログラムのために、どのように声を準備する?

 
A、忙しいが、以前ほどではない。これまでに約2,800の公演に出演した。年間100回以上の公演をした時期があるが、それは2日に1回ステージに立っていたことになる。

今は状況が異なる。一定の年齢に達したからといって、歌うのを止めることはないが、しかし1つのパフォーマンスから別のパフォーマンスまでの間に、体が回復するために十分な時間をとることに注意を払う必要がある。 年をとるほど、体が回復するのにより物理的により多くの時間が必要になる。それはテクニックとは何の関係もない。もちろん技術は非常に役に立つが、体が休息を求めている時、その信号を理解し、必要な休息をとらなければならない。20歳のときなら、週に2、3回のマラソンを走ることができるかもしれないが、50歳なら、走れるとしても月に1回だけしかできない...。

 

Q、今も声の先生を持っている?

A、いいえ、いない。

 
Q、どうやって声を守る?

A、何に対して?

私は自分自身が良いテクニックを持っていると思う。それについて反対だと思う人もいるが、私は過去30年間歌ってきて、あなたも知っているそれらの重い役を歌い、そして今もまだ話すことができる・・。

私のテクニックは、人々が期待するものとは少し違うかもしれないが、それは私が必要としているものだ。また、もちろん賢明でなければならず、一定の年齢を過ぎると、歌手は自分の声が若くないことを受け入れなければならない。したがって、自分のキャリアのペースをスローダウンしなければならず、お金のためにすべてを受け入れてはならない。私の演出家や指揮者としてのもう一つのキャリアは、その意味では大きな幸運だ。作曲家としての仕事も言うまでもない。指揮や作曲をしている間、声を数週間休ませることができる。

 

Q、オペラ歌手が犯す最も一般的な間違いとは? 


A、現代の騒音公害の結果として、非常に深刻でよくある間違いがある。それは音量だ。叫ぶこと。 今日の人々は、外の騒音、ヘッドフォン、ポップコンサートの大音量のため、耳がよく聞こえなくなっている。コンサートに参加する時、50年前と同じ音響感度を今の人々は持っていない。したがって今日、コンサートでの人々の第一印象は、パフォーマンスの音量が十分ではないということだ。若い歌手もよく私に言う。「 マエストロ、私が通常の古典的な歌唱技法で歌うと、私の音量は十分にならない。 どんどん大きな声で歌わなければならなくなる」。これは、人々の聴覚が悪化し、音楽を楽しむために音量を上げざるをえなくなっているためだ。映画や劇場のショーに注意をむけるためには、ますます「花火」が必要になっているのと同じだ。

現代の私たちは、クラシックコンサートにおいては、音量は重要ではなく、聴衆がアーティストと、人間から人間への生々しい直接の体験があることを忘れてしまっている。私はあなたに経験を与えるーーステージの上で、汗をかき、苦しみ、一生懸命に働く。客席のあなたのために。聴衆は、中間的な装置、マイクやコンピュータ、またその他のものを通さず、生きている人の声を聞いていると感じる必要がある。十分な時間をとって、耳を劇場の環境に慣らす時間があれば、「集中」にも役立つだろう。 これは例えば、眩しい光に当たった後、すぐにははっきりと見ることができず、通常の視力に戻るのに時間がかかるのに似ている。

 

Q、バロック、クラシック、ロマン派、20世紀の音楽などのうち、あなたの作曲に最も影響を与えた時代は?

 
A、我々の時代の人々は、500~600年に及ぶ偉大な音楽を受け継いでおり、非常に幸運だ。ある時代の音楽にのみから影響を受けたとは言えない。今日の作曲家の成功の秘訣は、過去の音楽から受け継がれたすべての要素を活用し、それらを組み合わせて、そこから何かを創り出すことだ。オリジナルになる唯一の方法は、すでに発明されたものを発明しようとするのではなく、それらのすべての経験を大きなカクテルグラスに入れ、その素晴らしいドリンクを飲み、それを自分自身の個性を通して引き出すことだ。人それぞれの個性は異なっており、作品をユニークするのに十分だ。ヨハン・セバスチャン・バッハの後、「この世界、太陽の下、もう新しいことは何もない…」とモーツァルトは言った・・。

(「operavilag.net」)

 

 


 

多岐にわたる質問で、クーラもいつものように率直に、飾らず答えていて、興味深い内容もたくさんありました。とりわけ、聴衆の聴力の問題は、クーラがこういう問題意識を持っていることは初めて読んだように思います。以前クーラは、オーケストラのチューニングが高くなっていることによる弊害について発言していましたが、その問題とも合わさって、歌手の大変さ、キャリアにもかかわる問題の深刻さとともに、作品の音楽的なバランスなども含め、いろんな問題をはらんでいることに気づかされました。

生のステージで、観客とともに舞台をつくっていくことを大切にしているクーラの姿勢は、これまでも繰り返し語られてきたことです。とりわけ現在、新型感染症の影響で、劇場、文化施設、コンサートホールなどが閉鎖されているもとで、あらためて文化・芸術・音楽が人間のくらしに果たしている役割を考えさせられます。ステージでの感動、アーティストとの相互作用で生きた感情が感じられるライブの舞台が、一日も早く、再開されることを願わずにはいられません。

現在、新型感染症で世界中の市民の命と健康が脅かされ、社会生活も甚大な影響を受けています。日本でも感染拡大が重大な局面となっています。感染拡大の阻止、ウイルス対策、医療の整備拡充等が前進して、一日も早く事態の収拾が図られることを。そして個人でもできることを努力しながらですが、アーティストをはじめとして、現金給付や休業補償がだれでも受けられ、みんなで協力してこの困難を早期に乗り越えられるようになることを切に願っています。

 

 

*画像は報道などからお借りしました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホセ・クーラ 声について、テクニック、キャリアについて / Jose Cura talked about voice,technique or career

2017-08-06 | 声、技術、キャリアについて




ホセ・クーラは1991年にイタリアに移住し、歌手として国際的な活動を開始してから、すでに25年以上のキャリアをもっています。
ところがクーラについては、なぜか、「発声に問題がある」「声を壊した」などのネガティブ評価が、明確な根拠も示さないままに今も広がっているように思います。

これに関して、最近、おもしろい会話をみつけました。イタリアの音楽評論家たちがクーラについておしゃべりしていたものです。


    *  *  *  *

A氏 「専門家は“あんな歌い方ではすぐ壊れる”と世界に向かって言ってたけれど、クーラは55歳(今年12月で)、少なくとも25年歌っている」
 
B氏 「この前聞いたオテロは、16年前より上手だった」  

A氏 「実際、素晴らしいことに、声と高音はまだ20年前と変わらない。あなたにとっては喜ばしいことではないかもしれないが、それは発声技術の教師を否定するものだ」

B氏 「彼の声はオーケストラを超えてくる」

A氏 「クーラは個性を持っている。その分野にライバルは多くない」

C氏 「でも彼に対する酷いレビューをたくさん読んだ」

A氏 「そう、イタリアのオペラ愛好家は常に、楽曲の絶対的な法則を守らないといけないと思っているからだ。とにかくクーラは、とても、とても破格だ」

B氏 「確かに。実際に自分も、大げさだったり、疑わしい批評をよくみる」


    *  *  *  *


たったこれだけですが、クーラがかつての専門家の評価に反して、歌い続けることができているばかりか、声を維持し、歌唱面でも進化していること、そして何よりも、強烈な個性をもち、ある意味では型破りであるが、実力と魅力があることを、こうした音楽評論家の方々も認めているということだと思います。

今回は、これに関連して、クーラ自身が、自分自身の声や歌唱テクニックをどう考えているのか、またキャリアとの関係などについて語っている部分を、インタビューから抜粋して紹介したいと思います。



1994年、ドミンゴ主宰のコンテスト、オペラリアでのクーラ



――2006年インタビューから

●自分の声を「掘り起こす」までの苦闘


Q、12歳で作曲と指揮を学び始めた時、あなたは自分に声があることを知っていた? 歌うことは好きだった?


A(クーラ)、12、13歳から、カルテット(四重唱)やオクテット(八重唱)などのいくつかのグループで歌ってきた。ジャズやスピリチュアルなど、他のスタイルの中でもやったし、その後、合唱団で例えばパレストリーナのような古い音楽を歌った。だから私は常に歌っていたが、オペラ的な方法ではなかった。
21、22歳の時、本格的に歌い始めた。しかし私は問題を抱えていた。適切な先生を見つけることができなかった。

Q、どういう問題が?

A、声は、楽器と違って、どこが間違っているのか、簡単に「見る」ことはできない。歌は非常に経験的なもので、教師と生徒の間に非常に豊かで調和のとれた人間的なコミュニケーションがなければ、何が起きているのか本当に知ることはできない。
 
教師が生徒の気持ちのなかに入って、彼、彼女に、何をどのようにすべきか、手がかりを与えることができるなら、その教師はその人のための正しい教師だ。もし、あなたと良いケミストリーがもてて、あなたの体と声を理解している教師を見つけられたら、そのうえ素晴らしい技術を持っていたら、あなたは天国にいるようだ!

個人的には、私の体の中、私の声帯、私の喉頭の中を "掘る"ことをしてくれた教師を見つけるまでの1年間、私は多くの問題を抱えていた。それはアルゼンチンにいた26、27歳の時だった。それ以前に試みた他のすべての教師は、私の声をひどく傷つけてしまった。

Q、良い教師を見つけて、多くの技術的なことを学んだ?

そう、私たちは1年間かけてそれをやった。
私は、自分の人生において、常に反逆者で、自分がしているほとんどすべてのことを独学で学んできた。私はいつも、自分のスタイルで自分の道を切り開いていきたいと思ってきた。
しかし、この教師は、私の“楽器”を発見し、理解することを助けてくれた。彼は変えようとせず、私の声のまだ粗い原型を、アーティストの型に入れて形作ろうとはしなかった。

そこから私は、自分自身の“楽器”に向き合い、自分自身に問いかけ続けた。「今、自分は、それをどのように感じ、私が何をしなければならないのか、どういう感覚を維持しなければならないのか、理解しているだろうか? 音楽家として自分の道を歩み続けるためには、声に対する理解をどのような形にしなければならないのだろうか?」と。
 
もちろん、1人でするには時間がかかる。非常に危険であり、何度も壁にぶつかるだろう。私は運が良かった。常に偉大なミュージシャンに囲まれて、素晴らしい耳を持つ人がアドバイスをしてくれた。「これは良くない。それをチェック!」、「あなたが何をすべきかは分からないが、しかしこれはいいとは言えない」――と。

●「クーラはテクニックを持っていない」の批判に対して――自分自身のテクニックをもつことこそ重要

面白いことに、私のキャリアの最初から今日までのレビューを読むと、初期の頃、私がパフォーマンスの過程で自分自身を開発しつつあったことを理解するだろう。私は自分自身の表現方法と自分の体を見極めようとしていた。

たとえば初期のレビューでは、その多くが「クーラはテクニックを持っていない」と書いた。そして私はいつも考えていた――ちょっと待ってほしい。最初から持っているかのようにこのようなキャリアを論じることはできない。もし本当にテクニックをもっていないなら、サムソンやオテロを歌った後にそう言うことができる。数年後に完全に声を失い、1つの音も歌うことができなくなる。

一方で私は、「テクニックを持っていない」と評価されたことを喜んだ。それは私自身のテクニックを持っていることを示すからだ。歌手は、アンフェアなレビューに直面した時、たくさんのことを学ぶことができると思う。
 
歌手にとって理想的なのは、自分のテクニックを持つことだ。歌手は楽器演奏者のようなものではない。歌手は、自分自身そのものだ。すべての人に同じリソースを適用することはできない。それが歌手であること、まだ粗い素材からプロフェッショナルまで成長するための、中心的な挑戦だ。そしてまた、良い教師を見つけることが大きな課題だ。・・・誰かから声を作り出そうとするから、教師は失敗する。教師として、生徒のなかに何があるのかを理解するために時間を取らなければならない。そこから始めて、生徒がすでに持っているものを最大限に活かすようにすべきだ。






――2009年インタビューより

●偉大な声は過去のものか?

Q、過去のような偉大な声はもう存在しない?


A、存在しないのは、声を訓練する辛抱強さと忍耐だ。アスリートなどの運動する人たちに、何らかの魔法によって筋肉を鍛え、力が発達することを期待しているようなものだ。
喉頭のための筋肉増強剤はない。私たちが知っているような、かつてのような声を自らのものとして発展させるためには、デル・モナコのような年月が必要だった。

Q、声に問題を抱える歌手がいるが問題は?

A、アスリートは、筋肉が適切なレベルになる前に、特定の課題のために活動してしまうと、肥大せずに萎縮を起こす。全く同じではないにしても、同様に過酷な状態におかれている。
萎縮は、必ずしも身体的な面だけではない。過去においては声を持つことがキャリアを切り開くための十分条件であったとしたら、世界がヒステリックな今日では、絶対に持っていなければならないのは、失敗に耐える知的な明快さ、撃たれても耐えられる明晰さだ。

Q、オーケストラの規模が大きくなるにつれて損なわれている?

A、それプラス、野望の大きさも? それとも、さらに悪いことに、あなたを消費して食べている人々の野心の程度も?
もちろん、その要因は、キャリアの長さに多くの影響を与える。

もしより多くのチケットを販売するため、サッカースタジアムのサイズが2倍になり、選手が200mのフィールドを走らなければならないなら、プレイヤーは3年で燃え尽きるだろう。TV番組のより高い収益のため、マラソンが42キロでなく100キロだったら?
オーケストラの音と不自然なチューニング、実際、ヴェルディの頃よりも、およそ半音、毎秒432サイクル高い。我々がいま演奏する作品が書かれた当時、管楽器のセクションの音質はかなり劣っていたが、今日、トロンボーンはまさにバズーカだ。

Q、あなたが最も賞賛する歌手は?

A、すべての歌手が賞賛に値する。日々、1人で、身も心も裸にして自分自身を露わにし、頭を差し出す行為は、それだけで尊敬に値する。





――2012年ブラスチラヴァでのインタビューより

●長いキャリアを経て、アーティストに成長する

今の世代は、声を徐々に成熟させることが可能だった前世代とは違う。何人かは成功するが、他はそうではない。マーケティング、出版業界、そしてマネー、マネー、マネー‥のプレッシャーの下で多くの才能を失っている。
はじめは、歌手はアーティストではない。才能があり、長いキャリアを経て、それからアーティストになることができる。


――2016年フェイスブックでフォロワーの質問にこたえて

●キャリアを積むことの意味


才能はいつか木に成長する種。木、自体ではない。したがって、あなたはそれを植え、水をやり、土壌を豊かにし、間違った枝を切り、葉を健康に保ち、害虫やその他の危険な動物を遠ざけるようにする必要がある(ビジネスにおいては、それが多い)。そうすれば多分、ある日、あなたはアーティストになるかもしれない。

人々は、なぜ焦らずにそれをすすまなければならないのか、私に尋ねる。なぜキャリアが長いことが重要なのか?
私は答える。「アーティストのためのプロジェクト」を「熟達したアーティスト」に変えるために、それだけの長さのキャリアが必要だからだ。
これを短くする方法はない。ウィキペディアの解決策もソフトウェアの助けもない。時間。よく使用され適切に使われた時間。





――2015年、北京でのインタビュー

●自分の声について



私は商業主義の製品になりたくない。必要なのは芸術と尊敬だ。10年前、オペラの演出を始めた。指揮、作曲に加え、フィールドの開発を続ける。舞台セット、振付、衣装デザイン、照明‥。声を維持するために、歌は年50日以内にしている。

30年のキャリアを経た今、若く新鮮で美しい声を持っているとはいえない。劇場での私の歌は完璧ではない。しかし私のエネルギー、強さとカリスマを聞くことができる。年を経て、これはアーティストとして重要なことだ。

オペラにおいて、私の声は、様々な情報が統合されて含まれている。音は材料であり、その材料を利用して、私は、人々の心の中に別のものをつくりだすことができる。人々は、声にそうした様々な要素を含まない人の歌を聞いた時に、それが完璧だと感じる。しかし、それは私たちに必要な情報を伝えていないのだ。

時には、私たちは表面上において、完璧ではない。しかし、その人のキャラクターの個性や人格の特性は、あなたに深い影響を与えるだろう。そしてあなたは、この人が美しいことを知る。音も同じ理由だ。ある人がとても良い音だとしても、もし良いキャラクターと魅力的な個性をつくりだすことができないならば、意味がない。

専門家は私の公演を聞き、完璧ではないと言うだろう。しかしあなたは、ステージで私のエネルギーを聞くことができる。強さとカリスマが公演の私の声にある。これがアーティストとしての私の最も重要なポイントだ。





≪ホセ・クーラ 語録≫

●長くキャリアを続けるためには声を休ませるのが大切

●歌手が歌を歌うことだけを考えるのは悪いことだ。それは声を殺し、すべてのカリスマを奪う。それに加えて、全般的に認識の感覚を狭めてしまう。そうならないようにしなければならない。

●私は、「かつてのような声が現在はない」と主張する者たちと、いつでもたたかう準備ができている。今も素晴らしい声がそこにある。私たちは、彼らを見つけ出し、彼らを助ける必要がある。

●私は歌手としてだけでなく、俳優として、私の声を使用する。そして(美しい声だけでなく)、声の中に「窒息した」色合いもつくりだす。

●私は私の声の奴隷ではない。もちろんパフォーマンスの前に、雪の中、裸足で外出して運命に挑戦したりはしない。しかし他の人たちと同じように、私は、お腹がすいたときに食べ、疲れているときに寝て、汚れた時に体を洗う。


******************************************************************************************************************


これまでの投稿で紹介してきた発言とも共通することですが、声や才能はあくまでも「種」、出発点に過ぎず、長い時間をかけて1人のアーティストに育て、成長することが必要なこと、他から押し付けられたテクニックではなく、自分の体から自分自身で自分のテクニックを導きだすことが大事だと思うことなどが強調されています。
また、そのためには、現在のような商業主義による若い世代の使い捨てには大きな問題があることをクーラは指摘しています。

こうした考え方にもとづいて、長年、努力し、「自分自身のテクニック」をみがき、キャリアを積んできたことによって、現在のクーラがあるのですね。
しかも特筆すべきは、長いキャリアのあいだで、声のトラブルによる長期の休業やキャンセルを繰り返すといったことが、一度もないことです。セミプロのアスリートでもあった頑強で鍛えられた身体に恵まれたことに加えて、無理のない、自分に合った発声方法、テクニックを探求、発展させていった結果だったのでしょう。

「現在では若く新鮮で美しい声を持っているとはいえない」と言っていますが、確かに声はより重く、暗くなっていますが、声の美しさ、響きはいまも健在です。さらに成熟した表現力、豊かさを増しているように思います。

デビュー当時から「テクニックがない」といわれ「すぐにダメになる」と批判され続けてきたクーラ。もし、まわりの言いなりになっていたら・・。
いろんな面で考えさせられます。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする