人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

(追悼編) ホセ・クーラとディミトリー・ホロストフスキー Jose Cura & Dmitri Hvorostovsky

2017-12-03 | 同僚とともに

Jose Cura FB cover photo



すでに2週間近くがたちましたが、脳腫瘍で闘病中だったバリトン歌手のホロストフスキーが2017年11月22日に亡くなりました。本当に残念なことでした。
同日、ホセ・クーラは、舞台で共演し仕事上の大切な友人であったホロストフスキーを悼んで、フェイスブックに上の画像をかかげるとともに、追悼のメッセージを掲載しました。






"Dear Dima, this is how we, who knew you, will always remember you: beautiful and smiling!"  Jose Cura
「親愛なるディーマ、私たちはいつでもあなたの美しい笑顔を忘れない!」



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ホセ・クーラは、ディミトリー・ホロストフスキーと何回か共演していますが、実は2人は、同じ1962年生まれの同い年でした。
今年2017年に55歳(クーラは12月生まれ)になりました。以前の投稿で、生い立ちや2人の共演の舞台などについても紹介しています。
→ 「ホセ・クーラとディミトリー・ホロストフスキー」

ホロストフスキーは、バリトンとして充実期、これからまだまだ活躍するという時の病、そして執念の闘病・・。さまざまに報道されていますし、詳しくもない私がここに書くまでもありませんが、脳腫瘍と診断され、困難な治療を続けながら、コンサートやレコーディングなど、最後まで、ファンと観客に歌を届けようとたたかい続けてくれたそうです。
数々の名演、舞台姿、各種の録画、録音、そして彼の美しい声と笑顔は、世界中の音楽を愛する人たちの中に残り続けることと思います。

特にクーラと同年齢ということで、とても他人事とは思えません。昨年もまだ若い51歳のテノール、ヨハン・ボータ氏が亡くなり、ソプラノのダニエラ・デッシーも58歳で亡くなっています。もちろん病気は避けられるものではありませんが、オペラ歌手は本当に激務で、体だけが楽器、世界中を旅してステージに立ち続け、やりがいも喜びも大きいけれど、万一調子が悪ければ容赦ない観客やレビューの批判にもさらされる、とてつもない重圧がかかった職業です。果敢にステージたち、才能を花開かせ、素晴らしい歌と音楽を届けてくれるオペラ歌手たちが、どうか健康を保ち、長く活躍しつづけ、芸術家としての実りある人生を全うしてほしいと心から願います。






この画像は、今年3月のクーラのインスタの投稿。プラハでの湖畔(?)の銅像がまるでイル・トロヴァトーレの主人公マンリーコみたいだとクーラが投稿したものです。
実はここに、私が「あなたのマンリーコは最高にクールで、ゲバラのように(クーラと同郷アルゼンチン人)大胆不敵だった」とコメントしたところ、クーラが返信してくれたのです。
どうやらあの舞台についてはクーラ自身は思うところがあるようですが、「トロヴァトーレで、ビジネスにおける私の親友の1人ホロストフスキーに出会えたので、私にとって幸運だった!」とコメントしてくれました。当時、闘病中だったホロストフスキーへの思いが込められていたように感じました。




2人が共演した2002年のロンドン王立歌劇場のトロヴァトーレは、幸いにしてDVDが販売されていて、現在でも入手可能です。
これは、クーラの公式HPの紹介ページから。






こちらはクーラとホロストフスキー2人の有名なバトルシーンのリハーサル風景。DVDの特典映像として付属しているものの一部です。リハーサルで、譜面台を使った立ち回りを演じる、おちゃめな2人。インタビューもあります。

Jose Cura and Dmitri Hvorostovsky Battle scenes rehearsal



何度も紹介していますが、ネットにあがっているそのバトルシーンも。

Battle scene: Jose Cura vs Dmitri Hvorostovsky (Il trovatore)




ぜひ、DVDで2人の熱演をお楽しみいただきたいと思います。
以下、トロヴァトーレから、2人のいくつかのシーンを。


ホロストフスキーが演じるルーナ伯爵



クーラ演じる吟遊詩人マンリーコ



レオノーラの愛をかけて、決闘する2人。本格的な激しい立ち回り、迫力のシーンでした。銀色の髪をなびかせて華麗に動き回るホロストフスキーは、本当に魅力的でした。






再び対決する2人



美しい銀髪で高貴なホロストフスキーのルーナ伯爵、黒い髪、赤い衣装でワイルドなクーラのマンリーコ。とても対照的でした。



ついに捕らえられたマンリーコと母、服毒して亡くなったレオノーラ。その牢獄に現れるルーナ






マンリーコを拳銃で射殺するルーナ。しかし・・



実はマンリーコは、赤ん坊の時に誘拐されたルーナの実の弟だった。ねじれた運命に翻弄された兄と弟、ラストシーン








最後に、カーテンコールで大喝采をうけたホロストフスキーの笑顔を。











R.I.P. Dmitri Hvorostovsky!
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ホセ・クーラとロベルト・アラーニャ / Jose Cura and Roberto Alagna

2017-09-08 | 同僚とともに



今年(2017年)7月に、ロンドンのロイヤルオペラでトゥーランドットのカラフに出演したロベルト・アラーニャ。実はこのプロダクションは大変な長寿で、ホセ・クーラも2008、9年に出演しています。

アラーニャ夫妻がカラフとリューで出演したこの舞台は、ネットで公式に公開されたので、ご覧になった方も多いかと思います。
一方のクーラの舞台は、残念ながら録画も録音も見当たりません。写真もごくわずかです。

今回は、このプロダクションに出演した際のクーラの写真を紹介しつつ、クーラとアラーニャについてとりあげてみたいと思います。

これまでのクーラと同僚についてとりあげた投稿(ホロストフスキー、マルセロ・アルバレス)もお読みいただければうれしいです。





《 2人の歩み 》

――シチリア移民の家庭、フランス生まれのアラーニャ

ロベルト・アラーニャは、1963年6月生まれ。
イタリア・シチリアからの移民の両親のもと、フランスのパリ郊外の出身だそうです。




――レバノン、イタリア・フランス移民のルーツ、アルゼンチン生まれのクーラ

クーラは1962年12月生まれですから、半年ほどクーラの方が早いですが、現時点(2017年9月)では同じ54歳です。
祖父母がレバノン、イタリア・スペインからの移民のルーツをもつ両親、アルゼンチンのロサリオの出身です。
アラーニャもクーラも、どちらもラテンの血を引く、イタリアのルーツをもつ移民の一家という点で、共通していますね。




――若くから歌ってきたアラーニャ、指揮者・作曲家志望のクーラ

2人とも、家族が音楽好きで、幼いころから音楽に囲まれ、親しみながら育ったことでも同じようです。
アラーニャは、フランス版ウィキペディアによると、何人かの音楽の教師との重要な出会いがあったようですが、ほぼ独学で歌を学び、22歳まで実際にパリのキャバレーで歌っていたそうです。家族を支えるということもあったのでしょうか。

クーラは、指揮者・作曲家が幼いころからの夢で、12歳から作曲、15歳から合唱団の指揮者として活動し、大学でも指揮と作曲を専攻しました。しかし当時のアルゼンチンは軍事独裁政権下で、民主化後も経済的な混乱が続いたために、指揮者や作曲家として食べていくことは難しく、25、6歳から、歌手として本格的な活動をはじめました。ストリート・ミュージシャンとしてお金を稼いだ経験もあるそうです。1991年にイタリアに移住しています。

音楽への歩みは対照的ですが、それぞれ様々な人生経験と苦労を経たのちに、歌手としての国際的なキャリアに踏み出しました。
重要な契機となったのは、アラーニャは1988年のルチアーノ・パヴァロッティ国際声楽コンクールの優勝、クーラは1994年のプラシド・ドミンゴ主宰のオペラリア優勝だったようです。


《 異なる個性、近年は同じ役柄も 》

その後、世界各国の歌劇場にデビューし、現在まで活動してきた2人ですが、2人は声質も歌唱スタイルや個性も大きく異なっています。
もともとリリックな声、ロマンティックな歌唱のアラーニャ、そして強く暗い声、ドラマティックな歌唱スタイルのクーラ。当初はレパートリーもかなり違いましたが、近年ではアラーニャが、次々に重い役柄に挑戦しているので、カラフをはじめ、オテロ、カニオ、サムソンなど、長年クーラが歌ってきた役柄のほとんどをアラーニャもレパートリーにしているようです。

2009年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇場で、カヴァレリア・ルスティカーナと道化師の同じプロダクションを、それぞれ月替わりで演じたこともありました。残念ながら両方とも動画を見ることができません。同じ2009年に2人が歌った「衣装をつけろ」を、アラーニャはオランジュの舞台の動画を、クーラはメトロポリタンですが音声だけのものを。

Roberto Alagna | Ext. I PAGLIACCI (Orange 2009)


Jose Cura 2009 "Recitar! ... Vesti la Giubba" Pagliacci


声も歌い方もかなり違いますね。私の印象としては、暗い声で、より演劇的なクーラ、明るい声で、より歌唱的な(こういう言葉があるのかわかりませんが)アラーニャ、という感じがします。


《 ロンドンのカラフ 》

ロンドンのトゥーランドット、今年のアラーニャの舞台は録画がネットで放送されたので、ご覧になったかたも多いかと思いますが、クーラ出演の舞台は、残念ながら録音も録画もありません。いくつかネット上から写真をお借りして紹介します。

●アラーニャのカラフ











現在ではロンドンの舞台動画は見ることができないようですので、2012年これもオランジュの舞台からアラーニャの「誰も寝てはならぬ」を。
"Nessun dorma" Roberto Alagna HD720



●クーラのカラフ











クーラのロンドンでの録音は見当たりませんので、2014年、同じオランジュの野外劇場ですがコンサートでのクーラの「誰も寝てはならぬ」を。
Jose Cura 2014 "Nessun dorma" Turandot


ロンドンのアラーニャのカラフと、他の舞台でのクーラのカラフを聞いて比べた感想としては――リューへのきめ細かな愛情表現(相手が奥さんだからなおさら?)、丁寧でやさしい印象、トゥーランドットへの愛を表現しているアラーニャのカラフに対して、クーラの方は、傲慢で権力志向、父やリューへの思いも浅薄で、トゥーランドットを力で組み伏せようとするカラフ。ある意味で正反対、オペラのドラマの解釈の違いにもとづいているのでしょう。歌唱スタイルや声も違い、好みも分かれるところと思いますが、それぞれに魅力があります。
クーラのカラフも、同じロンドンの舞台の録画で観てみたかったと思いました。
 

《 アラーニャの温かい人柄――クーラの紹介したエピソードより 》

同じテノールというと、ライバル関係のように考えられるかもしれませんが、実際は、忙しく世界を飛び回るオペラ歌手同士、劇場で顔を合わせれば、終演後に一緒に食事に行ったりする、と以前クーラはインタビューで語っていました。テノールはそれぞれ主役のことが多いので、共演機会はあまりないと思いますが、公演期間中に同じ劇場で会うこともあるのでしょう。

次の画像は、以前クーラが自分のFBに、アラーニャの温かい人柄を示すエピソードを紹介したものです。

2013年9月、ウィーン国立歌劇場でオテロに出演したクーラ。イアーゴはロールデビューのホロストフスキー、デズデモーナはアニヤ・ハルテロスという豪華メンバーでした。この公演時、クーラは持病の腰痛・背中痛が発症して、非常に苦しみながらキャンセルせずに舞台をつとめていたようです。そしてその楽屋を訪問したアラーニャ。以下、クーラのコメントを紹介します。





――クーラのFBのコメントより

「あなたたちの多くはすでに、私がウィーンのオテロの最初の公演中に、ひどい背中の痛みに苦しんでいたことを知っている。
私のいつもの、ばかばかしい脊椎のトラブルは、ショーの2時間前に私を襲った。私は文字通り、2つに壊れるようにして歌った。
ロベルト・アラーニャは公演中で、彼は舞台の前と後、両方にあいさつを言いに来た。彼は本当にナイスガイで、私たちはそれぞれのキャリアの初期から、良き同僚だった。

14日(2013年9月)、ロベルトは私に、その日を思い出させた―― 2006年に私たちが一緒に日本に行って、プロモーション写真の撮影のためにポーズをとり、彼が私を地面から持ち上げたときのことを。そしてオテロの終演後、彼は、私を家に運んであげると申し出た・・。"なんて優しい"、私は言った。 "でも、あなたはずっと若かったし、私ももっとずっと軽かった... !!!"。

実際あったこととして、この有名な写真を見つけたので、それを共有したいと思った!」


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2006年にボローニャ歌劇場の来日公演で、アラーニャ、ファン・ディエゴ・フローレスとともに来日した時の写真ですね。
クーラの来日は、今のところ、この時が最後となっています。
この3人で雑誌の表紙も飾っていますね。




アラーニャとクーラ、50代半ばとなり、それぞれ円熟の時を迎えています。精力的にオペラ、コンサートに出演し、レパートリーを広げ、世界各地の歌劇場で活躍し続けているアラーニャ。ワーグナーのローエングリンにデビュー予定という情報も入ってきました。一方、本来の志望である指揮、作曲活動や演出に軸足を移しつつ、ワーグナーのタンホイザーや英語オペラピーター・グライムズなどの新しい挑戦を続けるクーラ。2人とも自分のルーツ、母国の音楽の紹介にも熱心に取り組んでいます。
個性やキャリアの方向は違いますが、それぞれユニークで尊敬すべきアーティストとして、それぞれのめざす道をつきすすんでいってほしいと思います。




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ホセ・クーラとマルセロ・アルバレス Jose Cura and Marcelo Alvarez

2016-04-01 | 同僚とともに


以前の投稿で、ホセ・クーラと同年生まれのディミトリー・ホロストフスキーとを並べて紹介しました。
→「ホセ・クーラとディミトリー・ホロストフスキー Jose Cura & Dmitri Hvorostovsky
今回は、やはり同年生まれで、クーラと同郷のアルゼンチン出身、同じテノールのマルセロ・アルバレスのことをみてみます。

テノールのクーラとアルバレスは、ともにアルゼンチン出身です。そして同じ1962年生まれ。
マルセロ・アルバレスは2月にコルドバで、クーラは12月にロサリオに生まれました。20代の下積み時代に、2人はテアトロ・コロンのコーラスで一緒に活動して以来の友人だそうです。

2人の10代、青年期、アルゼンチンは軍事政権下で、1982年にはアルゼンチンとイギリスとの間で、フォークランド戦争が勃発しました。徴兵でクーラは待機中の予備軍にいたそうです。友人も出兵し、後にクーラは「私は戦争が短かったことを神に感謝した」と回想しています。戦争の犠牲者を追悼するレクイエムを作曲したクーラ。平和と自由への思いはこの時代からいっかんしたものなのでしょう。
→「ホセ・クーラ 平和への思い、公正な社会への発言

軍政終了後も経済が崩壊し、2人の前途は困難でした。大学で作曲と指揮を専攻し、作曲家・指揮者が志望だったクーラは、スポーツクラブのインストラクターや街頭で歌ったりして生計をたてながら、音楽の道を探っていました。アルバレスは子どもの頃から音楽を学んでいましたが、大学では経済学を学び、家業の家具工場で働いていたそうです。

  

クーラは1991年にイタリアに渡り、テノールとして国際的な活動を開始します。一方、アルバレスも、30歳の時に歌手になるために歌唱を学び始め、95年にイタリアへ。それぞれ欧州で活躍しはじめます。

若い頃は、2人ともハンサムでしたね(笑)
 

2人の故郷への思いはつよく、それぞれアルゼンチン音楽のアルバムを発表しています。クーラ「アネーロ」と「ボレロ」、アルバレスの「わが懐かしのブエノスアイレス」。

 

2人一緒にインタビューを受けたこともあります。2人はともにアルゼンチン人であり、アーティストとして、故郷アルゼンチンの音楽と結び付けて一緒に何かしようとプランを練ったこともあったそうです。残念ながら、所属レコード会社の関係などもあったようで、実現はしていません。

リリックな声と端正な歌唱のアルバレス、一方、太く強い声とドラマティックな表現のクーラ。それぞれの個性、味わいは大きく異っています。でも、今、ともに円熟期を迎え、最近では、同じ役柄を歌うことも増えています。

ヴェルディのイル・トロヴァトーレのマンリーコ役は、クーラが2001年マドリッド、02年にロンドン・ロイヤルオペラで歌いましたが、同じプロダクションで少し後に、アルバレスもマンリーコを歌っています。

 

Youtubeにアップされている動画から、第3幕のクライマックス、「ああ愛しい人よ」から「見よ、燃え盛る炎を」の場面で。
まずはクーラ。
Ah, si ben mio... Di quella pira - Jose Cura (Il trovatore)


アルバレスの方は、2つに動画が分れています。
Marcelo Alvarez "Ah si, ben mio" Il Trovatore


Marcelo Alvarez "Di quella pira" Il Trovatore


やはりそれぞれ個性が違っておもしろいですね。
また、2人はともにメトロポリタンオペラ(MET)で、道化師とカヴァレリア・ルスティカーナの二本立てを歌っています。クーラはゼフィレッリの演出で2009年、アルバレスは2015年の新演出です。



クーラの「衣装をつけろ」
Jose Cura 2009 "Recitar! ... Vesti la Giubba" Pagliacci


アルバレスの「衣装をつけろ」
Marcelo Alvarez - Vesti la giubba - Pagliacci


これもだいぶ違いますね。軽めの声とメロディラインが美しいアルバレス、一方、劇的な表現で迫力あるクーラ。それぞれの個性が発揮され、聞く人の好みもそれぞれだと思います。

もともと重めの役をやってきたクーラのあとを追うように、役柄をひろげているアルバレス。一方のクーラは、指揮や演出のキャリアをひろげつつあり、2015年7月には故郷テアトロ・コロンで、自ら演出した道化師・カヴァレリアルスティカーナを上演しました。(クーラはカニオのみ出演)

50代の円熟期を迎えた2人、これからもそれぞれの道を歩み、それぞれの活動が楽しみです。





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ホセ・クーラとディミトリー・ホロストフスキー Jose Cura & Dmitri Hvorostovsky

2016-02-20 | 同僚とともに


今年のザルツブルク復活祭音楽祭2016は、ヨハン・ボータの病気によるキャンセルで、ホセ・クーラがヴェルディのオテロに出演することが決まりました。イアーゴは、当初、ディミトリー・ホロストフスキーがキャスティングされており、2013年のウィーン国立歌劇場以来、2度目の、クーラとホロストフスキーのオテロが実現するかと思われました。
しかしその後、残念ながらホロストフスキーは病気治療のため降板し、イアーゴはカルロス・アルヴァレスとなることがアナウンスされています。
 *追記 ホロストフスキーはその後、2/18のカーネギーホールのリサイタルで無事復帰、大成功だったそうです。
 *2017/11/22 つい先ほど非常に残念なニュースが入りました。ホロストフスキーが亡くなったそうです。ご冥福をお祈りいたします。
  公式発表 → ホロストフスキーFB


今回のザルツブルクでは実現なりませんでしたが、ぜひとも、また、この2人でオテロとイアーゴを歌ってほしいと思います。何といっても、舞台上の存在感、演技、声、歌唱、容姿、エネルギー、さまざまな面で、オテロとイアーゴの魅力的なぶつかり合いが観られそうだからです。できれば、DVD等で発売してほしいものです。

そんなきっかけから、クーラとホロストフスキーについて調べてみました。共通点と違いがそれぞれ興味深いです。ツイッターの投稿をもとにまとめました。

●生まれ
意外(?)なことにこの2人は同い年。
クーラは1962年12月5日、アルゼンチンのロサリオで生まれました。
ホロストフスキーは同年10月16日、旧ソ連のシベリア・クラスノヤースク生まれ。
2か月違いの同級生でした。

 左がクーラ            右がホロストフスキー
 

●音楽との出合い
南米アルゼンチンと北のシベリア、地球の反対で、同時期に生まれた2人。ともに、幼い頃から音楽に親しんだようです。
7歳から子ども音楽学校でピアノを学んだホロストフスキー。クラスノヤースク教育学校、クラスノヤースク美術学校と順調に学んでいったようです。
一方クーラは、ピアノを習い始めたものの、レッスンが嫌で、教師からはなんと、「才能がないから他の習い事をしてはどうか」と宣言されたそうです。ピアノより、サッカーやラグビーなど、スポーツに夢中だったとか。

 

●青年期
ホロストフスキーは卒業後、オペラのソリストとして活躍、1987年グリンカ国際コンクール、1988年トゥルーズ歌唱大会、1989年BBCカーディフ国際声楽コンクールなど、つぎつぎに優勝して注目されるようになったそうです。
 *ホロストフスキーのファンのSyaraさんから教えていただきました。→素晴らしいファンサイト
クーラはもともと作曲家・指揮者志望で、大学で指揮と作曲を学びました。しかし当時のアルゼンチンは軍政が終わった後の経済難で、とても若い音楽家志望が食べていける条件はなく、生活のためテアトロ・コロンのコーラス隊に所属しました。オーディションもいくつか受けたようですが、残念ながら認められなかったようです。

 80年代後半の2人
 

●国際的な舞台へ
国際舞台での活躍は、ホロストフスキーがだいぶ早いようです。すでに1990年には初アルバムを出し、その後もつぎつぎにリリースされていったようです。
一方のクーラは、周囲のすすめにより、88年から本格的に歌唱技術の研究を開始、そして91年にイタリアに移住しました。94年にオペラリアで優勝、その前後から注目されはじめ、初のアリア集「Puccini Arias」のリリースは97年でした。(オペラ全曲盤は1994年「Le Villi」、1996年「Iris」)

 

●初共演
2人の初共演は、2002年、ロンドン・ロイヤルオペラでのヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」ではないかと思います。
冒頭の2人の迫力ある決闘シーンが魅力的でした。ルーナ伯爵役のホロストフスキーは、高貴な容姿、見せ場も多く、たいへん人気を集めたと思います。
クーラはチェ・ゲバラ風(同じアルゼンチン出身)で、野性的な風貌がぴったりでした。

 

YouTubeから、マンリーコとルーナ伯爵の決闘シーンを。
Battle scene: Jose Cura vs Dmitri Hvorostovsky (Il trovatore)


しかしオペラで歌いながら激しく動く決闘シーンは、とりわけ高音をだすテノールにとっては、きびしいものだったようです。DVDの特典映像のなかのインタビューで、クーラは、運動の時の肺呼吸と歌唱のための腹式呼吸の違いを説明したうえで、その両方を同時にやらないとならず、それを自然に見せるのは大変だったと言っています。そのうえ何キロもある重い剣を振り回すために、強靭な体をもつさすがのクーラも、「この場面は怖かった」と回想しています。

     

一方のホロストフスキーは、「バリトンに決闘はつきものだが、高い声を出すテノールには難しい」「ホセには驚いた。彼の勇気と身体の強さを尊敬する」と語っています。同僚へのリスペクトを忘れない姿勢が素敵です。

   

ロンドンのトロヴァトーレの映像から、クーラの“Ah, si ben mio... Di quella pira”を。美しい2重唱から、勇壮な場面へ。
Ah, si ben mio... Di quella pira - Jose Cura (Il trovatore)


同じく、ホロストフスキーの美しく存在感があるルーナ伯爵のアリア「君の微笑み(Il balen del suo sorriso)」 を。
Il balen del suo sorriso - Dmitri Hvorostovsky (Il trovatore)


特典映像には、主な出演者のインタビューとともに、リハーサルの楽しそうな様子も収録されていました。
 

特典映像もYoutubeにあがっていました。
Il trovatore 2002 london interview


DVD クーラHPの紹介ページ


●2013年ウィーンのオテロ

2度目の共演は2013年のウィーン国立歌劇場のオテロでしょうか?
意外に共演は少ないのです。端正で美しい声のホロストフスキーのイアーゴは、観客からもレビューでも高い評価を得ましたが、クーラのドラマティックで激しい歌唱は、いつものように賛否両論で、批判も多かったようです。

 
 

2013年ウィーンのオテロはホロストフスキーのイアーゴデビューだったようです。残念ながら正規の映像はありません。YouTubeにある2幕の2重唱“Si pel ciel”(音声のみ) を。
Dmitri Hvorostovsky - José Cura - Era la notte ... Si pel ciel marmoreo giuro - LIVE


●現在~

歌とともに、徐々に指揮や演出に比重を移しつつあるクーラ。
脳腫瘍とたたかいながら、精力的に舞台にたつホロストフスキー。
私生活では、クーラは15歳からつき合ってきた妻シルヴィアさんとの間に3人の子どもをもっています。長男ベンは俳優で、昨年映画監督でもデビューしました。
ホロストフスキーは再婚したフローレンスさんと、まだ幼いお子さんが2人いるそうです。
家族に支えられ、第一線で活躍してきた2人。共に53歳。
それぞれ個性は違いますが、同じアーティスト、音楽・芸術の道を歩むプロフェッショナルとして、さらなる高みが期待できることと思います。

*追記 2016年12月、ホロストフスキーは、病気療養のため、当分の間、オペラ出演は控えることを発表しました。
コンサートやレコーディングは継続するとのことです。療養後、また再び、彼の素晴らしい存在感が光るオペラの舞台が観られることを願うばかりです。クーラとの火花が散るようなオテロとイアーゴの再演をぜひ。

*追記 2017年11月、ホロストフスキーの死去で、今後の共演の可能性は絶たれました。55歳、バリトンとしての絶頂期の闘病、死去。最後までエネルギーを振り絞って、舞台に立ち、コンサートやレコーディングに執念を燃やしていただけに、本当に残念です。残されたお子さんもまだ小さく、ご家族の悲しみはいかばかりかと胸が痛みます。
しかしクーラとの共演をふくめ、彼の素晴らしい歌唱、演技、存在感、誠実な人柄は、多くの人々の胸に残り続けることと思います。ご冥福を・・。




写真はホロストフスキーとクーラのHPなどからお借りしました。
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