2016年9月23日に初日を迎えた、ホセ・クーラ演出、ベルギーのワロン王立劇場のシーズン開幕公演のトゥーランドット。熱狂的だったという観客の反応や、レビューも好評のようです。
劇場のHPに投稿された観賞した方の感想もとても良いものでした。
「音楽、視覚的に、あらゆる面で傑出した、優れたパフォーマンス」、「私たちのオペラハウスの素晴らしいショーは、国境を越えて広くひろがる」、「良い作品、いつも素敵な夜!おすすめ!」、「コーラス、ステージング、風景...トータルで成功」、「優れたトゥーランドット。私はそれをとても楽んだ」、「すべてに最高なプロダクション、卓越したキャスト、豊かで面白い公演!」、「トゥーランドットは美しかった!エンドレスでたくさんの拍手に値する!」・・などなど。
以下では、レビューなどからいくつか抜粋して紹介するとともに、クーラのフェイスブックや、ファンサイトなどに掲載された、カーテンコールの画像などを紹介したいと思います。
またレビューのなかには、今回のクーラの演出の特徴、導入部分や、プッチーニの死後、弟子のアルファーノが補筆した部分をカットしてリューの死で終わるために、演出上、クーラが工夫したラストシーンなどを解説したものもあります。
以前の投稿、(告知編)や(演出メモ編)の時点では、謎のまま残っていた興味深い部分が、ある程度、明らかにされています。
これからご覧になる予定の方にはネタばれになりますが、クーラの演出の魅力的な中身がわかりますので、紹介したいと思います。
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●導入部分について
――オペラのフレームとして授業で学ぶ子どもたちを導入
「クーラは彼のプロダクションのために古典的なアプローチを選択した。実際のパフォーマンスの開始の前に、プッチーニのオペラに関するプロジェクトに取り組んでいる学校の授業が、フレームとして導入されている。
年少の子供たちは、クーラが設計したステージである、三段からなる塔を設計する。年上の女の子たちは、3人の大臣のための衣装を取り扱い、コメディア・デラルテ(仮面即興劇)から3人のキャラクターを舞台上の壁に描いた。これらは大臣のピン、パン、ポンを具現化する。・・・
教師が登場し、生徒の作品を調べ、その後、彼は東洋の衣装を着た中国人に変身し、"トゥーランドットは3つの謎を解決できた者と結婚する"というメッセージとともにオペラを開始する。」
(「Online Musik Magazin」)
●ラストシーンについて
――プッチーニの死、彼が創造したキャラクターたちによる別れ
「すでに演出と歌手としての二重の役割で、カヴァレリア・ルスティカーナと道化師で4年前に私たちを感動させたホセ・クーラは、今回、プッチーニの未完のオペラを取りあげた。彼は、ラストシーンのための非常にユニークな解釈を見つけた。リューが自殺した後、最後に、プッチーニ自身が現れ、そして彼は、彼の口でティムールの最後の言葉を言う。」
「クーラのプロダクションでは、奴隷(リュー)が本当に剣にむけて身を投げ出したのか、または、トゥーランドットが後ろから彼女を刺したのか、それが本当に自殺であるのかどうか、議論の余地がある。
トゥーランドットは、必死に(架空の)血液から自分の手をきれいにしようとしていて、彼女が罪の意識にかられていることは明らかだ。
このシーンでプッチーニが現れると、突然、蝶々夫人、ミミ(ラ・ボエーム)、トスカ、西部の娘、修道女アンジェリカなど、彼が創りだした有名なキャラクターたちが舞台に登場し、落胆して、彼らの創作者への別れを告げる。
プッチーニは、ステージ上の赤と白の紙のランタンの間に身を横たえる。そうして作品は、疑わしいハッピーエンドなしの終り方を見出す。」
(「Online Musik Magazin」)
(この写真は、ファンサイトBravo Curaより)
●公演の評価をレビューから抜粋
――クーラは衰えず、90年代の栄光の時代の何も失っていない
「アルゼンチンテノール、クーラのステージングは、かなりうまく動作する。むしろ古典的なスタイルで、それは、台本に忠実である。」
「ホセ・クーラは、この間(ほとんど)衰えることなく、90年代後半にサムソンと道化師に結び付けられ、ディスクに収録された栄光の時代の何も失っていない。声はまだ十分であり、すべての面で、物理的および技術的な基盤の上に確保されている。」
「バリトンのような色合い、それと同時に、声を変色させることなく、高音にいく能力をもつ」
「結論として、このトゥーランドットは、リエージュで鳴り物入りでオペラシーズンを開いた魅惑のショーである。バーは、シーズンの今後にとって、高く設定された。」
(「Forum opera」)
――今も大テノールの1人
「ホセ・クーラは、演出だけでなく、自分自身でカラフを歌った。ホセ・クーラはまだ、私たちの時代の大テノールの1人である。強力な輝きで、彼は役柄を歌う。」(「BRF)」
――クーラは歌手として輝いただけでなく、演出家としての多彩な才能を証明
「クーラは、演出家・舞台監督としてプッチーニの未完のオペラへの説得力あるアクセスを見つけることができたことを証明しているだけでなく、王子カラフの挑戦的な役柄で輝くことができる。テノールらしい旋律の美しさと、猛烈な『私は勝利する』(Vincerò)を歌いあげ、有名な『誰も寝てはならぬ』を形づくった。」
「クーラはまた、柔らかいテナーと華麗な高音で情熱的に第2幕のカラフの『泣くなリューよ』を歌った。最後には、すべての参加者による、長い、かつ熱狂的な拍手があった。」
「結論 ホセ・クーラは、プッチーニのトゥーランドットの歌手として輝いただけでなく、オペラのアルファーノの加筆のない説得力あるコンセプトによって、ディレクターとしての、彼の多才な才能を証明した。」
(「Online Musik Magazin」)
――聴いて、見て、価値あるプロダクションに、長く熱狂的な拍手
「何年か前に、カヴァレリア・ルスティカーナと道化師のプロダクションで成功した同じ場所で、全体的に、彼は非常に満足のいく仕事で成功した。」
「そして、音楽の質は、とにかく聞く価値がある。もちろん、クーラが、パワフルで輝かしい声で、素晴らしい物理的強度で、有名な『誰も寝てはならぬ』を歌う時だけでなく、その成功は保証されている。」
「観客は、優れたキャストによる、プッチーニの一見の価値のあるプロダクションにたいして、長く、熱狂的な拍手で感謝を表明した。」
(「Opernnetz」)
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今回のクーラ演出のトゥーランドット。劇場側の要請で、プッチーニの死後、アルファーノが加筆したカラフと姫の対決シーンを削除して構想されたわけですが、クーラの演出メモを読んでも、どういうラストになるのか、謎でした。
実際に上演がはじまり、レビューや観賞した方の感想などを読んで、ようやくある程度、イメージがつかめてきました。
もともと、アルファーノ版のトゥーランドットに対するクーラの解釈は、失われた権力と富、美しい女性に対する欲望に駆られたカラフと、男性による自由と権利のはく奪と抑圧を恐れる王女、その男女の世界の対決構図でみるというものでした。その点では、ラストの「愛」による「ハッピーエンド」は、決して真の愛ではなく、男性による性的、権力的支配と、女性の屈服として分析されていました。
しかし今回は、その性的な屈服の比喩的なシーンがないために、かえって、本来のトゥーランドットの話の起源にたちもどり、リューの無償の愛の力を中心にすえた寓話として描き出したということのようです。
寓話としての性格を浮き彫りにするために、子どもたちがプッチーニのオペラを学ぶという授業をフレームにして、レゴや絵画、創作、仮面劇の世界から、トゥーランドットの世界が飛び出してくるという構造になっています。子どもたちの合唱が大きな役割を果たし、子ども合唱団も高い評価を受けたようでした。
そして注目のラスト。リューはカラフの名前を守るために、自らの体をトゥーランドットのもつ剣に向けて投げだすようにして自殺します。トゥーランドットは予期せぬリューの動きにひるみ、怖れ、血に濡れた自らの手をあわてて洗う動作をします。彼女が芯から邪悪な人間ではなく、身を守る鎧としての姿だったことが示唆されています。
無償の愛をうたう寓話としての物語、子どもたちの存在、そして作者プッチーニに捧げられる追悼と別れの感情。最後のシーンは、観賞した人によると、非常に感動的で、心揺さぶるものとなったようです。
演出と舞台デザインの仕事としても、またクーラ自身の歌唱と演技、全体のアンサンブルと音楽の質、全体として高い評価をえて、観客からも歓迎されたということで、本当に、クーラとしても、努力とハードワークが報われて、喜んでいるのではないでしょうか。
とはいえ、実際にみてみないことには、わかりません。ぜひぜひ、DVDの発売や、何らかの形での放送をお願いします。
最後は、ファンページのBravo Curaに掲載された画像から、終演後の充実した笑顔、すばらしい舞台をつくったことへの満足感が伝わる写真を。
*画像は、劇場のHP、クーラのフェイスブック、Bravo Cura Page からお借りしました。