ホセ・クーラは2017年の10月末に、ロシアのサンクトペテルブルクでの第2回オネーギン賞の授与式など関連行事に出席し、特別賞を受賞しました。
オネーギン賞の様子は、いずれまたこのブログでも紹介したいと思います。
その前に、クーラが
サンクトペテルブルクで受けたインタビューがロシアのネットニュースに掲載されましたので、ざっくりと訳して紹介したいと思います。
いつものように、率直に、フランクに語っています。語学力がないため、誤訳、またニュアンスの違いがあるだろうこと、お許しください。
Q、サンクトペテルブルクとの関係は?
A(クーラ)、あなたたちの街は素晴らしい。ここでは、すべてにおいて、文化、演劇、音楽が息づいている。
私はここに来るたびに、それをより正確に表現するやり方を感じる... 亡霊ではなく、このユニークなカリスマ性、大気中の魅力。
残念なことに、私のこの都市との関係は、コンサートだけで結ばれてきた。それ自体はよいのだが、私は、本当に本格的なオペラでここで演奏したいと思っている。すぐに何らかの計画をたてて、ここで歌えるようになることを願う。
時間は止められないので、遅かれ早かれ、私は歌をやめるだろうから。
Q、たぶん、あなたはサンクトペテルブルクの劇場にとって、あまりにも高価な歌手?
A、今日、世界中にはたくさんの問題があり、私たち全員、オペラアーティストは価格を引き下げている。これは私のどの同僚もそう言うだろう。これをしなければ、とにかく働くことはできない。もちろん、この場合はお金についてだけではないが、最終的にはそれが私たちの職業だ。
私にとって、長年にわたって行ってきたことは、まず第一に音楽を創造することであり、人々とコンタクトをとり、コーラスやオーケストラ、技術スタッフたちとともに仕事をする――非常に素晴らしい人間的な経験だ。そのような贅沢な経験を、ただお金のためだけに放棄することはできない。もしすべてがお金を尺度に測られるならば、私たちは、コミュニケーションからなる我々の芸術の本質を破壊することになるだろう。したがって、すべてが可能であり、すべてが議論の対象になる。
Q、ロシアのオペラには、あなたのための役柄はほんの少ししかない。チャイコフスキーの"スペードの女王"のゲルマンは、残念ながら、あなたは歌っていないが?
A、そう、言語がわからないために、私はこの役をやってこなかった。私はチャイコフスキーの音楽的言語にとても親しんできて、彼の交響曲をたくさん指揮している。しかし、歌を歌うだけでなく、舞台にたつことが大好きな歌手として、私には、自分が話さない言葉でオペラを演奏することは非常に難しい。
私自身で納得できないだろうし、聞き手も私を信頼しないだろう。これは私の基準を満たしていない。私は、クーラは他の歌手ほど良くないという意見を受け入れることはできるが、いつものクーラより良くないというのは聞きたくない。私はゲルマンの役が私の能力を超えていることを恐れている。
しかし、ロシアには、この役を非常にうまく歌っているテノールがたくさんいる。たとえば、素晴らしいウラジミール・ガルジンもそうだ。
Q、あなたは依然としてユニークなドラマチックなテナーとして高く評価されている。しかし、栄光は一時的なものであるという事実についてどう思う?
A、私は非常に満足している。あなたがトップにいる時、あなたが何をしているのか、ほとんど誰も気にしていない。誰もがお金にしか興味がない―― あなたを良い儲けの手段として。どのくらいあなたが他の人に稼がせることができるのか。つまり、あなたは製品だ。そしてこれが普通で、これらはゲームのルールだ。
あなたがこのランクの製品でいることをやめるとき、それから、あなたは、自分の本当の仕事のスキル、経験、品質によって表現するものによって、もっと多くの人々を引き付けるようになる。あなたは本来の熟練者、アーティストとして認識される。あなたはもはや素晴らしい「製品」でない。素晴らしい「表現者」だ。私にとっては、今が、非常に良いと感じられる時だ。
Q、オペラ歌手の場合、年齢という概念は、もちろん、バレエほどではないが?
A、そう、オペラ歌手はだいたい60歳までやることができる。そしてダンサーはもっと早くその年齢を感じ始め、キャリアはずっと短い。これほど難しく、犠牲的に自分自身を捧げる分野は、芸術的ビジネスにおいても他にはほとんどない。歌手にとっては、自制心も非常に重要だが、力を分配するためのより多くの時間がある。
私のケースは特別だ。私は多くの歌手よりも後から歌手になった。大学の卒業証書は、作曲と指揮で受けた。プロの歌手としてのキャリアは、28、9歳から始まった。したがって、私は状況をさまざまな方法で解決する機会を得た。この意味では私は幸運だった。
10年前、私はまだトップにいたとき、オペラの演出、指揮を始めた。私がいつ歌をやめるのかは分からない。それは自然の問題なので、一般的に言うのは難しい。しかしその後、私は作曲家と指揮者としてのキャリアを続けるだろう。
過去3年間で、私はいくつかの作曲作品を初演した。そのほとんどは20年前に書いたものだ。去年は、オラトリオ「エクセ・ホモ(この人を見よ)」のプレミア、2年前は 「マニフィカット」を初演した。そして今、私の最初のオペラ=喜劇の作曲を終えた。世界がよりユーモアを必要としていると思うから。
Q、「この世はすべて冗談」と歌ったヴェルディのファルスタッフをどのように受け継いだ?
A、もちろん、ヴェルディの天才と比べることはできないが、私の努力だ。つまり、将来的には、さまざまなことをしている可能性がある。ある日、私は歌をやめたり、レパートリーを変えたりするだろう。現在、私は、プッチーニのラ・ボエームのロドルフォをもう歌うことはできない。理由は、この主人公のように感じることができないというだけだ。またマノン・レスコーの若いデ・グリュー、椿姫のアルフレッドも同様に。彼らは子どもだ。ステージでこれらの若い男性のように見えるふりをすることは、私には滑稽に思われる。
私にとっては、ブリテンのピーター・グライムズのような心理的に深いキャラクターのための時だ。私はオテロと道化師を歌い続けている。これらの役において私の年齢はキャラクターのドラマに対応していると感じる。
Q、 誰から演劇術を学んだ?
A、私は55歳だ。私がやってきたすべてのことの背後には多くの時間がある。若い頃、劇場によく行った。良い舞台は家族の日常生活の一部だった。私は良い劇的な演技なしにオペラを理解することはない。私が出演している30年前のビデオを見たら、非常に良い歌手だとは思わないかもしれないが、それでも私は良い俳優だった。いうなればそれは私の「トレードマーク」だった。私の息子ベン・クーラは、今、映画と演劇でプロの俳優だ。
Q、あなたは天性に劇的な才能を持っていると?
A、天性は天性でも、それを助けるべきことがたくさんある。研究と勤勉。才能は木ではないので、天性にのみ頼るのは危険だ。才能はあなたに植えつけられた種であり、それは、あなたにどちらかを選択するように迫る。この種子は最終的なものではなく、ゴールでもない。これは始まりにすぎない。
今日、多くの人がこれを忘れている。誰もがすぐに結果を望んでいる。
そして、その種が木になるまで、芸術は長期的な自己犠牲だ。樹冠が育つと、それは熱い時に影をつくることができる。家とテーブルをつくることができ、寒い冬の夜には、暖かく保つ火を焚くために使うことができる。種子は何もできない。
Q、プラシド・ドミンゴのクリエイティブな長寿については?
A、バリトンへの転向はドミンゴ氏が初めてではない。過去には、時折、バスになったテノールがおり、またはメゾ、さらにはコントラルトへと変化したドラマチックソプラノがいた。ある時から、高音域と低音に分類されて、声の種類の部門のなかで終わらなければならなくなったようだ。しかし、むしろ私は、歌手がこのパートを歌うことができるのかどうか、主人公のドラマに対処できるかどうか、舞台で聞いて信じることができるか、そうでないかによって、歌手を判断したいと思う。もちろんドラマティックな声が、コロラトゥーラを歌うのは難しい。しかし、もしできるのなら、どうぞ!いいだろう? テノールのグレゴリー・クンデは、ヴェルディとロッシーニのオペラでオテロを歌うことができる。これは彼の非凡な技術によるものだ。問題はラベルではない - 問題は結果だ。
ドミンゴ氏がバリトンとして歌うのは、単純な理由だ。彼はステージライフと強く結びついているので、休みのために離れることは、彼にとっては死に等しいことだからだ。私はこの話題で彼と話をしたことはないが、私はそう確信している。私たちは、自分たち自身がしていることが非常に好きだからだ。
私が子どもの頃、私の父は、ヌレーエフの最後の公演の1つを観るために、地元のロサリオではなく、ブエノスアイレスまで連れて行ってくれた。ヌレーエフはすでに中年だったので、ステージ上ではほとんど何もしなかった。しかし私は、ヌレーエフを見に来た他のみんなと同じように、まったく気にしなかった。またキューバの偉大なダンサー、アリシア・アロンソを、彼女が65歳くらいの頃に見た。彼女はほとんど手をあげなかったが、私はアリシア・アロンソ自身を見た!
ここにはドミンゴと同じことがある――生きる伝説。いずれにせよ、これは議論の問題ではない。最後の最後までお楽しみを。過去に多くの人がこれをやったことがあるし、多くが将来続くだろう。そして例えば、私。
私は、みんな知っているように、バリトンのようなテノール声を持っている。そしてハイノートを歌うことができなくなったら、たぶん私もまた、バリトンで歌うだろう。ただ単に私はステージを愛しているから。するときっと、「まあ、クーラはドミンゴを真似ている」と言う人がいるだろう...。
(「
spbvedomosti.ru」)
*画像はオネーギン賞のHPからお借りしました。