ホセ・クーラが作曲した「レクイエム」の世界初演、ハンガリーのバルトークラジオで生中継されることになりました。
ハンガリー放送芸術協会のゲストアーティストを3年の任期で務めたクーラ。パンデミックの時期にあたりキャンセルになった公演もありましたが、クーラ作曲の初めてのオペラ『モンテズマと赤毛の司祭』世界初演を実現したのをはじめ、とても実りあるものとなりました。今回は、ゲストアーティストとしては最後の公演になるようです。今後も協力関係が続くことを願っています。
すでに「告知編」で、これまでのインタビューから、「レクイエム」作曲の背景やクーラの思いなどを紹介してきました。今回は、ラジオ生放送のリンクや、その後の情報などについて掲載したいと思います。
BARTÓK RADIO
Requiem ternam Premiere of José Cura's work live from Müpa
Klára Kolonits (soprano)
Dorottya Láng (alt)
Dániel Pataky (tenor)
Marcell Bakonyi (bass)
Dinyés Soma
National Choir (conductor: Csaba Somos)
Conductor: José Cura
José Cura: Requiem Æternam
premiere on 9 May at 19:30 in the Béla Bartók National Concert Hall of MÜPA
live on Bartók Radio
ホセ・クーラ作曲・指揮「レクイエム・エテルナム」(世界初演)
2022年5月9日(月)19時30分~
(日本時間)5月10日(火) 深夜2時30分~
ブダペストMUPAより、バルトークラジオで生中継
*画像にバルトークラジオの生放送サイトをリンクしています
*番組表より
≪ レクイエム世界初演に向けてーークーラのFBより ≫
●私のレクイエム ”Requiem æternam”(ラテン語で”永遠の安息”の意)について
私が『Requiem Argentino (アルゼンチンのレクイエム)』を書き始めたのは1982年だった。フォークランド諸島をめぐるアルゼンチンとイギリスの戦争が始まったばかりのとき、私は19歳だった。私の世代(1962年生まれ)は兵役を終えたばかりで、まだ正式に除隊していなかったため、真っ先に戦地に送られた。そのため私も戦わなければならなかったが、運命によって派兵を免れた。
80年代、アルゼンチンでは、兵役義務(後に廃止)に就く高校生を、政府が毎年くじ引きで全国から選んでいた。くじが引かれ、ラジオで生放送され、その年、IDカードの番号が100未満の私たちは、兵役を免除されることが発表された。私の番号は093だったか、097だったか(42年経ち、少し記憶があいまいになっている)。運命か、偶然かが......何と呼んでもいいが、私が兵役に呼ばれることを防いだ。私の世代の非常に多くの若者たちが悲しくも得られなかった幸運によって。
1982年4月、私は音楽院のカフェテリアのテーブルに座り、歴史上最も不必要な戦争の1つの始まりに関するニュース報道を見ていた(本当に不必要な戦争はこれまでにたくさんある)。私の親しい友人の何人かが「準備」状態に招集され、大西洋の戦場に送られるのを、不幸な徴兵の第一波のすぐ後で待機していることを知った... 。幸いなことに紛争が短期間で終わり、私の友人たちは島へ飛ぶ前にとどまった。しかし、私と同じくらいの年齢の多くの若者が、その約8週間の悲惨な期間に死んでいった。両方の側で。
このことは特定の場所、時代だけのことではなく、私には誰かを指さす権限もない。しかし、それまで平和に共存していた2つの国の間に起こった、このような無意味な戦争がもたらす恐怖と深い悲しみを、当時の私が感じたことは事実だった。
そしてその年、私は「Fac eas, Domine, de morte transire ad vitam」(主よ、死から生へと受け継ぐことをお許しください)という言葉にとりつかれ、レクイエムの「Offertorium」(奉献唱)が生まれた。この「アカペラ」の部分は、当初は1つの合唱団のために書いたが、その後、「アルゼンチンのレクイエム」の残りの部分は3つの合唱団(子どもの合唱団を含む)によるものへと大幅に発展し、2番目の合唱をより大規模な「パレストリーナ」(16世紀イタリアの作曲家)スタイルで書きあげた。
残りの部分は1984年から1985年にかけて書いたが、キリエについてはあまり満足していなかったため、最終的に2016年に現在の最終的な作品に差し替えた。その時点では、『アルゼンチンのレクイエム』は「Agnus Dei」(アニュス・デイ)の後、合唱が再開する「Señor, pon tus ojos en tus hijos y dales tu Santa Bendición(主よ、あなたの目をあなたの子どもたちに向け、彼らにあなたの聖なる祝福を)」で終了していた。しかし、2020年のパンデミックによって世界が一時停止され、この大きな休止は、私にレクイエムのフルスコアを刻む機会を与えた。元のAマイナーの追悼のトーンでなく、より前向きな方法で作品を締めくくるために、最後に「Lux æterna」を追加する必要性を感じた。
実現の見通しのないまま、私は90年代から「アルゼンチンのレクイエム」を初演しようと試みてきた。アルゼンチンとイギリスの合唱団が平和的で象徴的なコラボレーションのために集まることを願って、その実現につながる可能性のあるあらゆる扉を叩いてきたが、残念ながら実現しなかった。だから私は、「アルゼンチンのレクイエム」を「レクイエム・エテルナム Requiem æternam(æternamはラテン語で永遠の命の意味)」という新しい名前で初演することが、最終的にこの作品を生かす、より非政治的な方法になることを理解した。
しかし、レクイエムが初演される頃に、世界がまたしても別の無意味な戦争に巻き込まれていることを私は予期していなかった…。
ホセ・クーラ
マドリード、2022年4月26日
●クーラの「レクイエム」スコアーーウィーンのドブリンガー社発行
”私の「レクイエム・エテルナム」世界初演は、中央ヨーロッパ時間2022年5月9日(月)にハンガリーのラジオで放送される”
≪ ハンガリー放送芸術協会のFBより ≫
●リハーサル中の様子
●ブダペストに到着し、インタビューのためTV局へ
80年代から作曲し推敲を重ねてきたクーラの「レクイエム」、ついに初演の日を迎えます。
今回ご紹介したFBでのコメントに見るように、母国アルゼンチンの青年期、軍事独裁政権が起こした無謀で無意味な戦争に直面し、戦争の「恐怖と深い悲しみ」を痛感したクーラ。自身は派兵を免れたものの、戦争が長引けばいつ出兵となるか、その不安は本当に大きなものだったと思います。この戦争での両国の犠牲者は900人にものぼったようです。
戦争終結後も、経済的混乱は続き、音楽で生活していくことはできず、渡欧を決意して今日に至る歩みは、これまで何回かこのブログでも紹介してきたとおりです。戦争は本当に多くの犠牲をもたらし、人々の運命を狂わせました。また当時の軍事独裁政権は、自由な発言を圧殺し、暗黒の政治を行っていました。このことは独裁・専制政治と戦争が一体のものとなることを示していると思います。当時のアルゼンチンについては多くの映画や書籍、証言が残され、今も事実が発掘されているようですが、私が鑑賞した映画「ローマ方法になる日まで」でも描かれていました。
(ブログ記事「ホセ・クーラと母国アルゼンチン――映画『ローマ法王になる日まで』を見て」)
今年はフォークランド戦争(マルビナス戦争)からちょうど40年です。1982年4月~6月にかけてのことでした。直後に作曲され、長い間、初演の日を待ち続けていた作品が念願の初演を迎えますが、クーラがFBで触れていたように、まさかロシアによるウクライナ侵略戦争の最中になるとは。本当に、クーラの言う「意味のない戦争」は、ウクライナだけでなく、今も世界からなくなっていません。
クーラが作曲に込めた平和への願い、追悼の思いと世界の未来への希求、世界へのラジオ放送で伝わることを願っています。